「ヒュー……ヒュー…はぁっ」
準々決勝を終えて控室で座り込んで乱れた呼吸を整えるよう意識しつつ休む。しかし、かれこれ5分ほど経っても呼吸の乱れは治らない。先程の試合、一本で勝ったものの殆どフルの時間を使って試合をした結果このザマだった。
息苦しさは中々消えず吐き出す汗も止まらない。夏ではないのに首の裏や脇の下にアイシングをしないと溶けてしまいそうな気させした。
呼吸を整えながら今の試合を振り返る。3回戦となるとやはり相手のレベルも初戦のように上手くは立ち回れなかった。相手に2度も試合を見られてる上に2度とも奇をてらった勝ち方をしたせいで相手は最大限に警戒しずるずると試合が長引いてしまった。
試合が長引けば必然と左足にかかる負担が増える。現に2回戦を終えた後よりも痛みは酷く歩く度に痺れるような痛みが走る。だがまだ俺は歩けている。まだ動ける、我慢が出来る……ならば棄権の選択肢はないし元よりするつもりもない。
さっきの試合は今まで見せてこなかった寝技での相手をひっくり返す技がたまたまいいタイミング仕掛けられたお陰で勝てはしたがもう次の相手には通用しないだろう。
次は準決勝、相手ももう決まっているが俺が大会前から予想していた選手が勝ち上がってきている。学年は6年生で去年の今大会で5年生ながら第3位という結果を残した沢村という選手だ。
この選手も小学生の間では有名な選手で神童が名を上げるまではこの沢村が小学生でトップなのではと言われているほどだった。実は沢村は別の大会で神童と一戦を交えて敗北をしている、今大会は打倒神童に燃えて気合十分だろう。
現にこれまでの試合も優勝候補の神童とは見劣りしない程の圧倒的な強さを見せつけている。神童と沢村、この2人がこの大会のキーマンだった。だから入念に入念に研究をした、勝ち上がれば必ずこの選手と当たるはずだと確信があったからだ。
しかし、いかんせん今日の沢村の試合も待ち時間の間に見させてもらってはいたが冷や汗が止まらなくなるほど圧倒させるような強さを改めて見せつけられた。
俺がたとえ事故に遭わず、万全の状態で出れたとしても真っ向勝負となると勝てるかどうか……。
ただでさえ今の俺はこれまで使ってきた技は錆び付いていてこんな全国屈指のレベルが集まる大会じゃとてもじゃないが通用しない、さらに左足を思いっきり使えばきっと怪我は再発するだろう。
だから左足を軸にする技なんかも使えない。そんな状況下で勝つために過剰なまでの研究と対策を練り、試合運びを重要視した。いわゆる今後のためにはならない今大会に勝つためだけの努力をしてきた。だがそれももう限界だ、勝ち進めば進むほど手の内は明かされ、恐らく左足の怪我も既に周りにはバレているだろう。
ただでさえ化け物揃いのこの大会に化け物の中の化け物に勝たなくてはならない。心が折れそうになった、
「はぁー……」
ようやく整った呼吸でゆっくりと息を吐く。頭によぎった考えを捨てて吐き出すように。
『もう十分頑張っただろう』
『ここまでやっただけ凄い』
『ここで棄権しても恥ずかしくない』
そんな甘言になど乗ってたまるか。弱気は自身を蝕む。そんな物を切り捨ててふてぶてしく笑って前を見据えるんだ。
「へへっ……上等だ」
1人そう呟く。やってやる、こんな状況下で勝ってこそ証明になるのだ。寧ろ俺は運がいい、俺の望みを果たす為の最高の舞台が待っているんだから。さあ見てろよ……会場の誰もが沢村と神童の決勝を待ち望んでるだろう、そうなると思っているだろう。
見てろよ、観客も……応援来てくれた皆も……なのはちゃんも……。全員だ……全員……
「度肝抜かしてやる」
……………………………。
準決勝、第一試合。その試合は開始数十秒で会場を沸かせてすぐに終わった。神童隼人……小学5年生ながらも小学生最強とまで言われるほど実績を積んでその地位まで上り詰めた男の試合は美しくも華麗に、そして苛烈に一本を決めて危なげなく勝った。
礼法を済ませて神童隼人は監督から試合の感想を頂いてから控え室には戻らず試合場の近くに留まる。次の決勝……自身の相手を決める試合を見る為だ。少し時間を空けてから試合は始まる。神童はその間ふと、ある選手の事を考えていた。
『荒瀬慎司』
突如現れ、一度自身を敗北させた選手だ。神童は荒瀬慎司を強く意識していた。無論、神童隼人とてこれまでの荒瀬慎司以外には負けてこなかった訳ではない。頭角を表す前は負ける方が多く、その悔しさをバネに神童隼人は血の滲むような特訓をして今の実力を手にしたのだ。
結果を残し、勝つのが当たり前になり、あの時も試合も特に決勝の相手であった荒瀬慎司の事など眼中に無かった。あの大会は神童にとって次に控えてる大きな大会の肩慣らし、そのような気持ちしかなかった。
そして敗れた、同時に神童は自身を叱咤した。調子に乗り相手を見損なった自身に相応しい結果だと。その日は悔しさと恥ずかしさで枕を濡らし、翌日から再び気持ちを入れ直して柔道に取り組んだ。反省を促す為に負けた試合のビデオ映像を何度も見直した。
そしてそれを見ていると神童は自身が負けた事を更に納得させるものに気づく。自分から一本をもぎ取った荒瀬慎司の一本背負いだ。神童はそれを見て初めて他人の技を見て感動を覚えた。
なんて洗練された技なんだと、神童には分かる。その技がどれだけ磨かれてそんな美しいものに仕上がったか。本当に小学生が繰り出した技なのか。だが、そんな技を持ってる荒瀬慎司に負けた事に神童は納得した。そして武者震いをした、こんな凄い選手に勝つ為に自分はまた『挑戦者』として頑張れる事に。
その後はまさに血の滲むような日々を神童は過ごした。全ては荒瀬慎司に勝つ為に、全てはあの一本背負い以上に自分の技に磨きをかける為に。そして迎えた再戦のチャンス。これまたその大会の決勝という相応しい舞台で。
結果を言えば神童隼人は荒瀬慎司に勝利した。判定勝ちではあったが勝ちは勝ち。リベンジは果たされた。しかし、神童は勝利の喜びを感じる事は出来なかった。
『何故一本背負いを使わなかった』
神童は荒瀬慎司とまともに言葉を交わした事はない。だから慎司の事情など全く知らない。しかし神童は落胆した、慎司が仕掛けてこないように工夫していたしそれを防ぐ手立ても何度も研究して身につけた。それを防いだのならともかく慎司は仕掛けてくる事すら無かった。
舐められている?そう感じたが試合中の彼は必死そのものでそんな訳ないと神童はかぶりを振った。だがそれでも自分の中でどこか納得のいかない感情が渦巻く。
大会が終わってからも神童は荒瀬慎司の試合の映像を集められるだけ集めてデータとして見てはいた。しかしどれも一本背負いが使われる事はなかった。神童は思う、もうあの時自分を負かした荒瀬慎司とは闘えないのだろうと。あの誰も真似できないような華麗な一本背負いを使わないという事はきっと理由があり事情があるのだろうと。
神童は、諦めた。そして、時間と共に荒瀬慎司は頭の片隅程度にまで意識しなくなっていた。
偶然だがそれから荒瀬慎司と大会で会う事はなくなる。神童が強化選手となり、大きな大会しか出なくなった事も要因だろう。しかし彼は再び現れた。しかも、小学生大会で1番の大会と言う大きな舞台に。彼は強化選手には選ばれていない、出場すると言う事は特別推薦枠に選ばれたのだろう。
この全国大会ならもしや、今度こそあの一本背負いを観れるかもしれない。神童はそう期待してトーナメント的には決勝でしか当たらない荒瀬慎司の試合を初戦から観戦していた。
しかし、神童は荒瀬慎司の最初の試合を見て違和感を覚えた。二回戦目で違和感は疑惑へと変わり準々決勝で疑惑は確信へと至る。
彼は左足に重大な怪我を負っている。準々決勝を見れば自分でなくても皆分かってしまうほどだった。映像をたくさん観てきた神童からすれば違いは明らかだった。
あんな試合の進め方などしたくなかったはずだ。
あんなに簡単に息が上がるほど柔なスタミナでは無かったはずだ。
あんなキレのない技など使ってなかったはずだ。
そんな状態で柔道を、ましてや試合に出るなど武闘家として言語道断だ。しかしそれは彼にも分かっているはずだ。優秀な選手ほど自分の体のことを把握してるものだからだ。しかし彼はそれを押して出場した、何か譲れないものがあるのだろう。
体は鈍っても感じる気迫や気持ちは今まで感じたものより鋭く強い。しかし気迫だけで勝てるほどこの大会は甘くない、勝つ為に沢山のことをして準備してきたであろうは分かる。
全国屈指の選手しか出場してないこの大会においてそのような状態でここまで勝ち上がってきた事は奇跡に等しい。素直に称賛する。しかし、その奇跡も通用しないような相手がこれから慎司と闘う沢村だ。何度か神童も試合で闘ったことのある選手だから分かる。そんななりで勝つなど不可能だ。
十中八九沢村が勝つ、本心でそう思う。しかし何故だろうか、神童の頭を掠める予感のような物があった。この大会においての荒瀬慎司の姿を思い出す。ボロボロなのに気持ちと目は死んでなく、這いつくばりながらも獣のように強引に勝利をもぎ取った彼の姿を。
『彼ならば、何かを起こす』
そんな予感があった。
…………………………………………。
控え室で会場スタッフに呼ばれる。もうすぐに試合だから準備をして欲しいとの事だった。左足を庇うように立ち上がりながらゆっくり歩いて会場の畳に向かう。
左足は最初より更にサポーターとテーピングでガチガチに固めて何とか普通に歩いているように見せれるくらいだった。歩くたびに痛みを感じながらも引き摺らないように歩く。観客にも相手にも友人達にもなのはちゃんにも俺は何でもない、平気だと見せつけるように。
既に手遅れなのは分かっているがもはや意地だった。会場にまで足を運び観客に晒されれば湧くのは俺の友人達からの歓声。
「頑張れー!慎司!」
流石アリサちゃん、よく通る綺麗な声だ。なんて余裕をかまして考えてみるが畳まで足を運んで見ればそんな虚勢はすぐに剥がれる。相手選手を見据える。噂の沢村選手、対峙するのは初めてだが只者じゃないのは実績と目の前のオーラが物語っていた。
「(……やべぇな)」
これまでの対戦相手も皆んな一流と呼べる柔道家でとても強かった。しかし世の中上には上がいるとよく言うがそれにしたって沢村は別格すぎる。礼すらしてないのに冷や汗が止まらない。
自分を奮起させながら歩みを進めて礼法をこなす。開始戦の前に踏み出して審判が互いに準備ができてる事を目で確認してから
「初めっ」
開始の宣言、研究をした俺の見立てでは沢村は最初から飛ばして組手から俺に向かってくるかと予想していたが意外にもまずはゆっくりと俺に近づきながら様子を伺ってるようにも見えた。
大きな大会の準決勝ともなれば流石の沢村も警戒しているのか?いや、違う……コイツ……。
「………っ!」
試しに左足に痛みを覚えながらも一本踏み出して軽く仕掛けてみる。沢村は少し驚いた顔をしながらも俺から距離を取って組まれないよう阻止する。俺は追撃はせず一度踏みとどまる。
俺が軽く仕掛けただけであの表情……そして視線はチラチラと俺の足……左足を気にしてるようだった。俺の怪我を気にしている……しかしそれは悪い意味でだ。
「……ふっ」
試合中だと言うのに表情を崩して軽く嗤う沢村。間違いない……舐められている。唯一の推薦枠だからか俺の準々決勝までの試合を見て判断したのか……または、怪我の具合を見抜かれて負ける事は無いだろうとたかを括ってるか。
どれにしろいい感情は浮かばない。しかし、俺は軽く息を吐き出して心を落ち着かせるよう努める。ここで挑発に乗っても相手の思う壺だ、沢村が規格外の選手の事に変わりはないし俺の怪我を見抜いたのならそう思われるのは仕方のない事でもある。それに、そう思われてるのなら都合がいい、油断大敵って奴だ。
「っし!」
「っ!」
相手が俺の怪我を見抜いてるのならまさか激しく動いてくるとは思わないだろう。左足の痛みを堪えながら俺は果敢に組手を仕掛ける。襟を掴もうとすればそれを弾かれ距離を取られる。それから離さらないようしつつもあまり前のめりにならないよう注意しながら距離を詰める。
組手の攻防、さすが規格外。全然組ませてもらえない。そして相手の動きを見て気づく、怪我人の俺を見てもコイツは油断なんかしていない、誘われたっ!
「ぐっ!」
俺の組手をいなしてカウンターを決めるように先に沢村に組まれる。真っ向での組手勝負で負けた。俺が持ち直す前に見事に俺が見て前へと引き出して崩しを仕掛けてくる。
反射で両足で踏ん張ってしまいズキリと左足に痛みが走る。
「──っ!!」
声にならない叫びを上げながらも苦し紛れに襟と袖を掴むが位置が悪い。ここでは相手に力が伝わらない場所だ。しかも大勢は崩れたまま……来るっ!
「やああああああああっ!!!」
沢村の得意技、『払腰』だ。雄叫びとと共に繰り出される洗練された払腰。俺を十分に崩してその流れで掛けられた技、しかも………沢村は左利きの組手、払腰は襟と袖を相手から見て前方へと引き出しながら体を半回転させて自身の腰を相手の胴に当てがい、更に軸足とは逆の足で相手の膝下を払い上げて投げる技。左利きの場合だと払腰は相手の左足を払う形になる。
つまり、怪我をしている左足に直接衝撃が来る。
「ああああっ!!」
喉が裂けてしまうようなそんな断末魔をあげる。激痛で思考が停止しそうになる。痛みで踏ん張る事など出来ず綺麗に体が浮いてしまう。完全な一本コースだった。負ける……
「ったまるかぁ!!」
背中から落ちる直前に相手が掴んだ袖を切る、手が離れた事で力が弱まった所で体を捻って背中から落ちるのを回避しようともがく。
背中半分ほどから叩きつけられ、更に激痛を感じながらもすぐに寝技の防御体勢を取る。一本では無いと信じて。
「技ありっ!」
判定は技あり、しかしポイントを取られた事に変わりない。沢村は一本を取れると思っていたようで落胆した様子を見せながらもすぐに寝技に……移行する事はなく立ち上がる。寝技を仕掛ける意思はない事を示しすぐさま審判は待てで試合を止める。
「(くそっ……やっぱ強えなぁ……)」
既に荒くなった呼吸を整えるためゆっくりとした動作で立ち上がろうとする。卑怯だがこうでもしないとフルで試合なんか出来ない。
「……っ!」
………左足に上手く力が入らない、というか……
「ってぇ……」
力を入れなくても痛みが走り続けていた。まずい、動かせるから折れてはいない筈だがそれでもまずい。痛みで立ち上がれない。
「……大丈夫かい?」
中々立ち上がらない俺の様子を見て審判からそんな言葉を掛けられる。俺は大丈夫ですと告げながらもゆっくりと腕と右足を使って立ち上がる。試しに左足を動かして見るが地面につけるとやはり痛みが走った。
もう意地で隠す事も出来ない、仕方なく左足を軽く引き摺りながら開始戦まで戻る。
審判から目で続けるのか?と問われているようで俺はこれが返事だと言わんばかりにただ目の前の沢村を見据える。
呼吸が荒く、汗が尋常じゃないほど体から吐き出している。しかし、多分痛みによる脂汗だ。本格的にやばいと分かる、ここまで激戦に次ぐ激戦でとっくに限界なんか迎えていた。
そもそもまだ試合に出る事すら許されない段階で強行したんだ。ここまで左足がもっただけで奇跡だろう。
「(まずい……まずい)」
ただでさえ規格外な相手とやってんのにこんな状態で勝てるわけがない。研究で打てる手は何個も考えて来てるがそれを実行出来る状態じゃないし組んでみて分かったがそんな付け焼き刃なぞ万全の俺ならともかく今の俺では通用しないと肌で感じる。
「(どうする、このままじゃ……負ける)」
絶体絶命、無理だ。負ける……そんな思考で頭が支配される。そうだ、棄権しよう……こんな痛いんじゃ柔道なんか出来ねえって。最初から無茶だったんだって。
でも……その無茶を通すために俺はここに立ってる。棄権なんて出来ないししたくない。負けたくない……いや違う…、負ける訳にはいかない。勝ちたい、俺の為にもなのはちゃんの為にも。荒瀬慎司、俺は言った事は全部やり通す……そんな俺になりたくて生きていくって決めたんだ。だから、勝つと、優勝すると言ったのならそれを果たす。それが山宮太郎が出来なかった事で荒瀬慎司として成したい事。
だが思ってるだけじゃ勝てない。手立てはない、出し惜しみも別にしてない。本当にそうか?俺は全力で試合をしてる、これ以上アイツに通じる事なんて………
「始めっ」
審判からの再開の合図で思考の海から目覚める。沢村は俺の様子を見てもう負けはないと確信しているのだろう馬鹿正直というほどではないが真正面から俺の襟を掴んで俺を後方へと押しながら更に袖を掴もうとする。左足にまた痛みが走った、が。
自然と襟を掴んできた腕の袖を左で掴む。膝よりちょっと下、その部分を弛まなく掴む事で最大限に力が伝わるようにする。俺の右手の袖を掴もうとした相手の手は空を切った。
「っ!」
沢村の驚愕の表情を盗み見ながら、俺は仕掛ける。手順はまず右足を相手の足の間に入れ込んでそれを軸にして体を回転。その時に掴んだ袖を相手の脇を開けるように開きながら引くと同時に自由になってる右手を開けさせた相手の脇の下を膝裏で挟み込むようにロックする。
自身の背中は完全に相手の体と密着し、相手の左手は完全に俺の両腕でロックされそのまま背負い投げの要領で前へと投げる。
そう、これこそが──────
全国大会の一週間半くらい前にようやく立って歩くだけなら左足に痛みも賜わなくなった。右肩のヒビは完治し、既に筋力を取り戻す為に必死にトレーニングをこなしていたが左足はそうはいかない。
完治は間に合わない以上、筋力を取り戻すような負荷のかかるトレーニングは出来ない。せいぜいなるべく筋肉を使うリハビリをしてこれ以上筋肉が落ちるのを防ぐようにするのが精一杯なのだ。
研究は毎日続けていた、低酸素マスクを起きてる間は常にしてスタミナの低下を軽減し、体の栄養管理もプロ選手より徹底したと自負できるくらいここ一か月以上続けている。
しかしこれでは勝てない、分かっていた。勝てるわけがない、俺は強くなる為の努力ではなくこの大会で勝ち進む為の努力しかしてない。つまりこの大会に限った攻略トレーニングなんだ。先の事を見据えるなら為にならない、そしてそんなトレーニングでは自分自身強くなる事なんか勿論出来ずそんな事では異次元な規格外の選手には勝てない。
前世を含めて長く柔道をして来たからこそ分かってしまう事だった。ならばどうすればいい?不可能を可能にする為に俺は何をすればいい?
答えはすぐに出た、俺の前世のトラウマを克服しなければならない。俺の切り札……切り札じゃないな、切り札はとっておきの物ってやつだ。俺のこれは切り札じゃない、常に使い続けそれで相手を薙ぎ倒して来た相棒だ。それを取り戻す事が0を1に変える条件。それがいくら苦しいことでも……もう逃げたくない。
いくら掛けようとしても体が途中で固まって動かなくなる。頭にそれを思い浮かべてると似たような動きをするだけで止まってしまう。それでも無理やり体を動かすように強引にやり続ける。
数日経ってから強引に技を掛けようとすると過去の記憶がフラッシュバックするようになった。精神的な負担は思ったよりあったようだ。
あの時言われた数々の言葉や出来事が脳内を駆け巡る。汗を噴き出しながら、時に吐き気を催しながらも止める事なくやり続ける。
毎日、毎日、毎日、克服する為のトレーニングは数時間どころじゃない。今までやってきた準備に加えて更に精神的な負担をかけたせいか追い込んで追い込みまくってもギリギリで保っていた心が折れそうになる。本当はゆっくりゆっくりと克服するものだ。しかし逃げ続けたツケで猶予はない。荒療治をするほかなかった。
違うんです、そんなつもりじゃなかったんです。正々堂々やってたつもりだったんです。ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい………。
母さんが泣いていた、父さんが俺を止めないように耐えていた。家族団欒のはずが空気は重い。俺のせいだ、これも俺のせいだ………。
鏡を見る、酷い顔だった。疲労が溜まったとかそういう物じゃない、こんな顔されちゃ両親も泣いてしまうのは納得だ。顔を洗って見てもやっぱり変化はなかった。
止めてくれ、誰か俺を止めてくれ。今止めてくれたら俺はきっとそれを受け入れる。だから止めてくれ、誰でもいいから俺に言ってくれ……もう十分やったよって………。
なのはちゃんから着信があった。元気にしてる?ってそんな事を陽気に聞いてきた。自分は今も悩んでてて苦しんでるくせに。そうやっていつもいつも……いつも君は……。
やろう、頑張ろう。
何のために俺はこんな事をしてるのか、苦しい思いをして続けてるのか。それを忘れない、片時も忘れないようにする。何故だが涙がポロポロと零れ落ちる。構わず続ける、心なしかまだ体は固まってぎこちない動きになってるけど段々とスムーズになってくような気がした。
許されなくてもいい、俺を恨んだままでもいい。結局あの時俺が闘った相手もその姉も今は俺にどういう感情を覚えたままなのか知らない。だが例えどうであろう俺は逃げてはならなかった、怪我をさせたのならその相手の悔しさも背負うって耐えて棄権なんてしないで出場するべきだった。
優也が言っていた事は正しいって理解していたけどようやく自分の心に腑に落ちた。
何を言われようと、誰かが赦さなくても俺が柔道をやるかどうか俺自身が決める事だ。続けるにしても辞めるにしてもその理由を誰かに押し付けてはいけなかった。
俺は罪悪感を感じて逃げた、相手を理由にして逃げた。それを跳ね除けて立ち向かって続ける事から逃げた。悲劇の主人公気取りで好きな事から逃げた。それを後悔してずっとうじうじしていた。
もう逃げたくない、後悔したくない、柔道からも自分の人生そのものからも。うじうじしていた山宮太郎と決別し、そして証明したいんだ………俺が柔道で培った努力は無駄じゃなかったって。あの時、逃げて辞めた時どうせこうなるなら努力なんて意味なかったと思ったあの感情を否定するために。
その為に柔道にまた向き合ったんだ!俺は好きだから柔道をやってんだ!そうだ、俺は好きでやりたいから頑張るんだ、頑張れるんだ!そしてそんな頑張りは……努力は例えどんな困難でも立ち向かえる心を培えるんだ。努力に、裏切られる事はあっても無意味な事なんかないんだっ!!
そうだよ、俺が柔道やるなら……お前が必要だ。だから、また使わせてくれ、また一緒に闘ってくれよ。なぁ、相棒……なぁ────
俺の………
「一本背負いだあああああああああああああっ!!!!」
ドンっと地震のような強い衝撃。さっきまで騒がしかった会場がシーンっと静まる。
「っ!い、一本っ!!」
呆けた審判が慌てて宣言すると爆発するように会場は湧いた。「すげぇ」や「まさか勝つなんて」など俺を……俺の一本背負いを讃える声が耳に入る。それを満足げに聞いてると俺を応援してくれていた観客席からも歓声が聞こえて来る。
「慎司ーー!慎司ーーー!あんたすごいわーー!!」
「うん!うん!すごいよ慎司くん!」
アリサちゃん、すずかちゃん、へへ……興奮しすぎだよ。デバイスを俺に向けて映像を送ってくれてるフェイトちゃんを見やると涙ぐんでいた、まだもう一戦残ってるっての。
デバイスの方へ視線を向けて俺は強がりながらもニヤリと笑って見せた、なのはちゃん……次は決勝だぜ。っと、いつまでこうして座ってるわけにはいかない。沢村は畳に一度拳を打ちつけて悔しそうに歯を食いしばりながら礼のため開始線に戻る、俺も早く戻らないと……っ!くそが………。
試合中よりも左足を引きずって歩く羽目になる。その俺の様子を見てさっきまで湧いていた会場は静まり返った。庇いながら歩いても痛みが走る。それでも何とか開始線に戻り礼を済ませて畳を降りる。
あーあ、一本背負い使ったからなぁ……一本背負いはどうしたって書ける瞬間は軸足……右足だけの負荷で済むが投げる瞬間は両足にどうしたって負荷がかかる。だから、本当にそれしか手段が無かった時にしか出せなかったのだ。左足が悪化するのが目に見えていたから。
しかし、一本背負いでなければ沢村には勝てなかった。後悔はない。
ゆっくり……ゆっくりと歩いて控え室へ向かおうと歩みを進める。ふと視線を感じてその方向を見るとジッと神童がこちらを見ていた。次の決勝の相手だ……。神童の表情は……うまく読み取れない、感情が昂って喜んでるような……しかし素直に喜べていないような……後者は決勝の相手が負傷してるって点なのかもしれない。
だから俺は青くなってるであろう自分の顔を無視してもう一度笑みを浮かべ神童を見やる。
「………勝負だ」
呟く、神童まで届いたかどうかは怪しい……しかし神童は少し驚きつつもキュッと表情を引き締めて背を向けて歩く。恐らく自身の控え室に戻っていった。
ここまでの怪我で慎司が試合をしてる事に違和感を感じてるかもしれませんがそれだけ慎司君の気迫と根性が異次元なだけという事で一つ。
オリ主は原作主人公の為ならば何でも出来てしまうのです。
思考停止は良くないので、一応補足すると……自分ではありませんが柔道の現役時代……お世話になった先生である程度その業界でも有名な方だったんですが昔の時代で大怪我でも無理に出た事があったらしく骨折近くの負傷でも試合をして勝ち上がった事があるらしいです。
無論ちょっとした後遺症が残ってしまったらしいので間違った選択ですし今回の慎司君の選択も柔道家としては大間違えですね。スポーツを嗜む人なら怪我をしないように、怪我をしたならそれを見極めて行動する事、それこそが一流選手だと作者は思っています。
あれ?リリカルなのは二次で書く後書きじゃねぇや。失礼いたしました