どれだけ強がっても、どれだけ自分を鼓舞しても、どれだけ周りに支えてもらっても、不安というものは完全には消え去らない。なんて事ないって態度で皆んなには見せてみたがやはり左足の事はチラついてしまう。
今後俺は柔道は出来るのか、後遺症を残さずに済むのか、まともに歩けなくなってしまうのではないか……そんな恐怖を飲み込んで今ここに立っている。たとえ最悪な結果で終わってもきっと後悔はない。全力挑んだ結果なんだから。どれだけ全力で取り組んできたのか誰よりも俺自身が一番知っているから、だから後悔なんてしない。
その道を選んだ事も、それを実行した事も後悔なんてない。
「…………………」
眼前に広がるのは多く観客に注目された決勝という舞台、その畳の上までゆっくりと移動して一礼してから畳に足を踏み入れる。目の前には決勝の相手である神童の姿、こちらを真っ直ぐに見つめる神童に思わず生唾を飲み込んだ。今まで相手してきた選手と明らかにオーラが違う。
どこぞのバトルアニメみたいに本当に彼の周りだけ空気が異質のようなそんな気がする。準決勝の沢村も化け物じみたオーラを感じ取ったが神童はさらに次元が違う……そう表現するのが正しいくらいその雰囲気だけで彼の強さを感じ取れてしまうほどだった。開始線まで歩みを進めて再び礼。そして一歩前へ。
再び視線が絡み合う、最後に闘ったあの時よりも遥かに強くなっている事は明白で対する俺は満身創痍、なるほどこの状況で勝とうなんて言う奴は本当に狂ってやがる。
だが、狂ってなければここまでこれなかった。普通じゃあいつには勝てない、ならば俺は狂っていてもいい。………勝負だ、神童っ!
「始めっ!」
審判の開始の合図共に観客席からの多くの歓声を浴びながら俺は一歩前へ出て仕掛ける。
「くっ!」
左足がズキリと痛む、それを無視して組手を仕掛けるが神童はそれを苦もなくいなす。もう一歩と行きたいところだが思ったより一つ一つの行動での左足に掛かるダメージが大きく動きが止まってしまう。
「しっ!!」
「っ!」
そのタイミングで今度は神童が仕掛けてきた、なるべく左足に負担をかけないように右足中心でステップをしながら神童から下がり組手をいなす。と言ってもやはり足を動かすだけで左足は表情では隠せないほどの痛みが伴う。
「っ!」
そんな隙を見逃すほど甘い相手ではなく神童はすぐに流れるような動きで自分の組手へと持ち込んだ。
「(速すぎるっ)」
いくらなんでもその組み手の動きは早すぎだろ、万全でも対応出来ねぇぞっ。慌てて引き剥がそうとした時にはもう遅すぎる、神童はまた流れるような洗練された動きで体捌きと掴んだ腕を使って俺の体勢を少し、ほんの少しだけ崩す。そのほんの少しが柔道では命取り。
「おおおおおっ!!」
「っ!?」
俺の右足を引っ掛けるようにかけた背負い投げと体落としの複合技、背負落としを仕掛けてきた。それはタイミングも技術も申し分なく上手く踏ん張れない俺では耐える事すら出来ず。
バシンと背中半分を前へと投げられる。すぐに腹這いになって寝技を仕掛けられてもいいように防御を固める。一本ではない、一本ではないが……
「技ありっ!」
ポイントは文句なし、十分に効いてしまった技だった。神童は寝技を仕掛ける事なく立ち上がり審判の待てを促す。すぐに審判は待ての指示を出して俺もゆっくりと立ち上がって開始線なら戻る。
「っっ!」
そのちょっとした移動でさえ脂汗が滲み出るほどの痛みが走る。これは……まずいな。持たないぞ、いつ動かせなくなってしまうか分からない。短期決戦が望ましいがそんな膂力もない。
何より……今は俺が不利な状況だ。チラッとタイマーを盗み見ると今の攻防でたったの13秒、それしか経ってない。試合時間は残り2分45秒ほど、それまでに技あり以上のポイントを取らないとは負けだ。
「始めっ!」
そうこう考えてるうちに再開の合図、ここで慌てても仕方ない。まずは冷静に状況を見定めて……
「っ!」
今度は神童から組手を仕掛けてくる。速い、しかし足は動けなくても組まれさえしなければいい。一度経験した分その異次元の速さの組手もなんとか対応して簡単には組ませない。
「しっ!!」
「ふっ!」
さらに組手が激しくなる、危ない場面がありつつも組まれてもすぐに相手の腕を襟から切って自分も仕掛ける。しかしそれも同じように弾かれこっちも組手には持っていけない。
「っ!」
再び慎司が俺から距離を詰める。反射的にステップで距離を取ってしまう。
「くうっ!!」
左足の痛みは徐々耐え難いものとなっていく。たが痛がってるうちに投げられては元も子もない。歯を食いしばって耐えながら神童の組手には応対する。やがて、しばらく攻防を繰り返すと審判から待ての合図。
これは互いに指導だろう、お互いに組み合わなければどっちかが逃げ越しでも大体のパターンで最初のなら両者に指導が来る。
「指導っ!」
予想通り、俺と神童に指導の警告が入る。互いにあと二つ貰えば反則となるがあまり神童には影響はない。勝つ手段としてこちら側から攻めに攻めまくって相手の好きにさせず消極的姿勢とさせて指導を狙う戦法もある。
しかしこのやり方は左足を負傷して技を沢山掛けれない俺では実行できない。なにより……
「はぁっ……はぁ…っ!」
たったこれだけの攻防で胸が苦しくなるほど息切れを起こしてる俺じゃとてもスタミナが足りない。逆に俺が消極的姿勢と見られないように自分から動かなければならない。実際のところそう何度も思いっきり技を掛けれる状態じゃない。本当のチャンスの時にしか技は出せない、じゃないと左足がもたないからな………だが既に技ありを取られてしまった。悠長にも出来ない。
「(くそが……)」
とにかく今はまた投げられないように注意しながら機を伺うしかない。
「始めっ」
試合が再開される、左足の激痛に耐えながらも俺は咆哮をあげながら小学生柔道界最強の強敵に向かっていった。
……………………………。
「………慎司君っ」
モニターで試合を観戦しつつそう自然とその名を呟いてしまう。彼は必死の形相で試合に取り組んでいた。動きは不自然、左足を庇いながら動いてから当然だ。そして試合が進むにつれて慎司君の呼吸はどんどん深く乱れている。
顔色も悪い、不自然なほど汗が噴き出てている様子もモニター越しで伺えるほどだ。それでも、慎司君の眼は死んでない。相手を睨むように見つめて勝つための最善を常に考えながら、痛みに耐えながら柔道をしている。
「…………」
隣で同じモニターを覗いてるお母さんも祈るように手を合わせながら試合を見守っている。リンディさんも少し遠巻きにモニターを見て静かに試合を見ている。ここにいる2人も、そして会場で応援してる皆んなもきっと私と同じで今の慎司君が痛々しくて見るのも辛いと思う。
明らかに体を動かしちゃいけないほどの状態で……今モニターに映し出されてるように少し相手に崩しをやられただけで足が堪えきれず前のめりに倒れ込んでしまう。そうした事を数度繰り返せば……
『指導』
慎司君に2度目の指導が与えられてしまう、あと一度貰えば反則負け。慎司君は苦虫を噛み潰したような顔を浮かべつつも頭を振ってすぐに切り替える。慎司君にその気はなくても消極的、逃げ、そう見られて指導になってしまう。審判もそれは理解してると思う、しかしルール上指導を取らざるを得ない。
必死に足の痛みに耐え、決勝の相手である神童の猛攻に耐えてるのに試合の流れは完全に慎司君の不利な状態。そんな慎司君を私だけでなく皆んなだって見るのは辛いと思う。
それでも、どうしても目を離す事が出来ない。
『しゃあっ!!』
始めの合図と共に慎司君は魂を燃やすような咆哮をあげながら再び神童に向かっていく。どうしてまだそんな声をあげられるのか、どうしてそんな状況でまだ諦めずに必死になれるのか、どうしてその眼は……未だ消えずに燃え続けているのだろうか。
それは……慎司君だからだろう。荒瀬慎司はそう言う人なんだ。誰よりも優しくて、頑張り屋で、カッコいい男の子なんだ。私は本心でそう思ってる。
だけど、今はそんな慎司君を見るのは辛い。左足が試合の経過と共に動いてる回数が減っている、顔色は更に青く、もう肩で息をしている。立ち上がるのにも時間をかけてゆっくりとしか立ち上がらなくなっている。もう、やめてよ……どうしてそんなに必死なの?その大会は来年だってチャンスがあるんだよ?いつもの慎司君なら冷静になってすぐに怪我を完治させて来年頑張ろうって、それが正しいって分かってるのにどうして?
私を元気付けるため?そうだとしても嬉しくない。慎司君が苦しい思いを、私のような取り返しのつかない事になるならそんな事されても嬉しくない。慎司君はああ見えて賢いからそんな事だって分かってるのになんでっ!
ふと、両手で添えるように持っていた慎司君の手紙を見つめる。まだ封は開けてない。慎司君は読んで欲しいと言っていたけど私には読む資格がない。慎司君をそんな風にさせてしまってる私には慎司君からの暖かい励ましを受け取る資格はない。
『あああっ!!』
モニターからの音声に釣られ視線を戻す。叫びのような雄叫びをあげながら慎司君はどうやってそう持ち込んだのか寝技の防御姿勢の神童を上から必死なに寝技で追撃していた。しかし、左足の負傷で寝技ですらいつものキレを発揮させる事はできない、防御は硬く相手がひっくり返りそうな動きもなく審判からの待てがかかった。
スッと直ぐに立ち上がって何でもないように開始線に戻る神童とは対照的で慎司君は呼吸を大きく乱しながらヨロヨロと立ち上がり左足を引き摺りながら開始線に戻る。審判が慎司君に何事か声を掛けていたが慎司君は首を振って応対していた。
棄権を勧められたのを断ったのだろう。誰だってもう無理だと思う、それでも慎司君の眼は未だ死んでない。彼はいつだってそうだ、誰もが諦めたくなるような投げ出したくなるようなそんな状況に追い込まれても。
ボロボロになって苦しんでも、辛くても……その眼だけは輝きを失う事はなかった。私とは違う……私は今回の撃墜で絶望し、全部を諦めかけている。いくら頑張っても報われない、リハビリだって……苦しい思いをして頑張っても歩けるようにすら戻れないかもしれない。そんな風に考えてしまったらもう私は何もできない。
慎司君のように……立ち上がれない。私は……慎司君のように強くないんだ。ごめんね、慎司君。慎司君がそうやって頑張ってくれてるのに私は……自分も慎司君の勝利も信じてあげれられない……。
………………………………。
左足の限界が近い。いや、とっくに限界なんか超えてんだけど本当にもう動かせなくなりそうだ。何もしなくてもずっと激痛が走る、普通こう言う時はアドレナリンなんかが効いて痛みが感じなくなるものなんだが今回はそうはいかないらしい。
そして試合もピンチのピンチだ、既に指導を二つ貰い試合運びをミスったら即反則負け、技ありも取られ頼みの綱の寝技も左足の不調と相手が相手なだけに全く通じなかった。どちらにしろ技を掛けなければ指導が来て反則負けになる。無理矢理にでも技をねじ込んで投げるしか勝つ術はなく。
といってもそんな事で投げれる相手じゃないんだがなぁ……苦笑するほかない。
「始めっ!」
待ってれば指導で負ける、痛みを無視して組手を仕掛ける。
「しっ!」
まずは右手で襟を掴みにいくが当然神童もそれを腕で防ぐ、すぐさま右手を仕掛けながら左手で袖を狙う、そうする事で俺の襟はガラ空きになる……。
「っ!!」
神童は俺の左手を腕を一度自分の体へと引っ込ませて交わしながらそのまま俺の襟を高速で掴む。ちょっとしたカウンターの様な形で襟を取られるがそれは俺が誘った撒き餌だ
「くっ!」
襟を掴まれた相手の右袖を相手が襟を掴むのとほぼ同時に掴む。俺の襟を掴むと言う事は俺に袖を差し出す形になる、それを相手が掴む前に仕掛けるのが柔道の肝だが予めそう来ると予測を立てればその反応をさせる前に袖を掴んで……
「っ!?」
「おおおおおっ!!」
袖を持った左手を引き上げながら右足を軸に仕掛けるっ!得意技、一本背負い。袖さえ持てれば片手でも仕掛けられるのが一本背負いの特徴。この入り方を見せるのは今世では初めてのはずだ、そう簡単には対応させない。
「ぐっ!!」
「やあああああああっ!!」
掛け声と共に俺の全力の一本背負いが神童の懐に入り込む。後ろに体重をかけて投げられまいと耐える神童と前へと投げようと掛け続ける俺との鍔迫り合い。
ズキリっ
全力で技を掛けて全身の力をフルに使ってるため左足の痛みはこの世のものとは思えないほどの激痛を帯びていた。それを声と共に吐き出して耐えながらも仕掛け続ける。
「くああっ!!」
「なっ!?」
瞬間、後ろに体重を掛けて耐えていた神童は一瞬力が抜けたかと思えばそのまま俺に一本背負いで背負われる……事なく前へと飛ぶ勢いを利用して体を反転させながら俺の正面へと自分で飛んだ。
一本背負いや背負い投げを躱す正当な体捌き。ジリジリと耐えるように見せかけながら一瞬力を抜いて躱す方法へと切り替えるなんてそんな芸当中々……いや、見た事なかった。確かにこれなら仕掛けた側はまさか躱されるとは思えまい、俺も躱された影響で一本背負いは対象を失ってそのまま自分だけ畳に倒れ込む形で不発。
「待て」
すぐに待てがかかるが俺は様々な理由で立ち上がれない。一つは全力で技を出した事で左足の激痛が半端ではない事ともう一つは
「(今のを……防がれたっ)」
一本背負いが防がれた事により、残る手立てが思いつかない事。適当に掛けて防がれたのならまだいい、しかしタイミングも掛かり具合も決して悪くなかった。その俺の一本背負いが防がれた。左足の影響で既に1番得意な一本背負い以外の技ではまともな威力を発揮できないというのに。
何とか立ち上がりながら神童を見る。
「はぁ……はぁ……はぉ……」
少しだけ呼吸を乱してるいるだけで軽く深呼吸をしてすぐに落ち着かせていた。今の一本背負いの攻防でプレッシャーを与えられたのかは分からないが神童はようやく初めて呼吸を乱したくらいだ。対する俺は
「はぁっ!…はぁっ……ぜぇ」
心臓が爆発寸前だと錯覚するくらい呼吸をが乱れっぱなしだ、左足は……痛みはともかくまだ動かせる……まだ折れてはいない筈。
といっても、今のを防がれてはアイツを投げる事なんてとても……
バチンッ
「はあっ!!」
開始線に戻りながら人目を憚らず両手で思いっきり自身の頬を叩き、乱れた呼吸を無視して一喝。弱気になるな、諦めるな。まだ試合は終わってない、残り……30秒を既に切っている。それまでに投げれば勝てるんだ、ごちゃごちゃと余計な事を考えるな。
チャンスは必ずある、なければ意地でも作るんだ。俺の行動に審判は少し驚きつつも再開を宣言、再び俺から仕掛けに行く。左足が痛む、それでも……それでも……諦めたくない、止まりたくない……
「ああっ!!」
それは気合による咆哮か痛みによる叫びか、どちらでも構わない。どうせ技術も体力も今の俺では圧倒的に神童には届かない。だが気迫でそれをカバーする、心技体……柔道の本質でもある心だけは負けるわけにはいかない。
「っ!」
俺の気迫かしつこさか、神童は初めて俺との組手で顔を歪ませた。残り20秒。
「ぐうっ!」
左足の負荷を無視して全力で仕掛け続ければ今のように一瞬体がよろめいてしまう。その隙を神童は見逃さない、俺の右袖……膝の下であるベストな場所を左手で掴む。ぎゅっと握られて俺の右手は自由が効かなくなる。残り10秒。
負ける、負ける。このままでは何もできず終わる。神童はポイントが有利でも最後まで一本を取るべく逃げる事なく果敢に前へと出て柔道家らしく攻めてくる。
ふと、自由を奪われた右手、神童に袖を取られ封じられた右手を俺はそのまま密着してる神童の左手、肘とは反対側の部分の柔道着の袖を握る。本来俺の右手は右利きの為相手の右襟を掴むのがセオリー、右手で相手の左の袖を掴むのは左利きの組手のセオリーなのだ。
勿論状況でそうなる事もあるが俺がそう持っても技に繋がられる組手ではない。本来なら……
「(こりゃ折れるな)」
今から仕掛ける事を思うと自然と心の中でそう思う。しかし、迷いはなかった。残り5秒。
「っ!?」
神童の驚愕の表情を盗み見て俺は仕掛ける。本来俺の右利きとしての持ち技では機能しない右手で相手の左手を引き上げる、そして体を回転させ一本背負いを仕掛ける。そう、逆の一本背負いだ。いわば逆回転、左利きがやる一本背負い。
引き上げる腕は本来左手から右手へ、そして軸にして体を回転させる足もまた逆となる。そう、右足から左足へと。構わず左足を軸にして体を回転させる。
ズキリとした痛みが消え、代わりにパキッと綺麗に割れる何かの音と一際すごい激痛を感じた。
「っっっっ!!!!」
歯が割れそうになるくらい食いしばる、足の状況など無視して俺は先程よりも深く相手に入り込めた左の一本背負いで神童を振り抜く!
「うおおおおおおおおおおおおおっ!!!」
確かな手応え、神童は完全な予想外の逆一本背負いで宙に浮き体を回転させ畳に叩きつけられる。……くそがっ。
「技ありっ!!」
審判の宣告は技あり、その宣言と同時に時間終了で鳴り響くブザー。神童は驚きが張り付いたままの顔をしていて中々立ち上がれない。かく言う俺も立ち上がれなかった。
………技ありか、これで指導の数は負けてるがポイントでは並んだ。指導はポイント扱いじゃないから判定は同点、このまま延長戦……『GS』だ。
正直延長戦なんて無理だ、今の一本背負いで一本を決めるつもりだった。奇をてらう作戦で1番だったといってもいい。しかし、技ありだ。神童の咄嗟の防御と逃げがあったとはいえだ……原因としては前世で役に立つかもと練習してた事はあったが結局実戦では一度も使われなかったこの技ではなやはり本来の一本背負いほどの威力は無かったことと………
「……っ」
左足だろう。今も何も力を入れずに伸ばしてるだけで叫びたくなるほどの激痛が伴っている。完全に左足を軸にした技だ、負荷を1番かけるハメになったんだ……既に限界を超えていた左足は無情にも折れてしまった。動かしたくても激痛でうごかせないしそもそも骨が折れてて動かせるものなのかも分からない。
左足を犠牲にするつもりで仕掛けたんだ、代償はでかい。一本を取れなかった時点で賭けには負けたのだ。
神童は頭を振ってから切り替えて立ち上がり開始線に戻る。相変わらず冷静に冷淡にな雰囲気は変わってない。
「……はぁっ!ひゅう……はぁ!ぜぇ……ひゅう」
俺はと言うと呼吸を整えるのも一苦労だ。いや、完全に整うのには数十分はかかりそうだ。何とか少し持ち直してから俺は立ち上がろうとする……が。
「くそがっ」
小声でそう呟く、これは……本当にまずい。痛みで立てない、立ててもそれを維持出来るかすら怪しい。一度力を入れればそれがすぐに分かってしまう。…………絶望が、俺の心を染め上げた。
…………………………。
「あっ………」
観客席、応援に来ているみんなは身を乗り出す勢いで慎司の試合に精一杯の声援を送っていたがシャマルが青い顔をして両手で口を抑える。
「シャマル……?」
はやてがシャマルの異変に気づく、試合は、慎司は奇跡的に技ありを取り返し延長戦へともつれ込んだ所だった。どうかしたかとはやてが問う前にシャマルが静かに告げる。
「折れてます……今ので…足がっ……!」
「なっ……」
はやてだけでなく皆の耳にも届いていたようで全員が少なからず反応を示した。母親のユリカは顔を覆ってショックを隠しきれない、父親の信治郎は静かに拳を強く握る、フェイトは祈るように両手を合わせ、はやては目を背けないように気持ちを強く持った。
皆んなそれぞれショックを受け、なかには涙を浮かべる者もいた。皆んな知っているから、慎司がどれだけ血反吐を吐きながらこの試合に勝つ為に努力してきたかを知っているから。
この試合にどれだけ慎司が想いをかけているか見てきたから。骨を折れたら……もう試合は出来ない。物理的に動けないのもあるし骨と一緒に心も折れたと皆んな思った。
慎司は試合に戻る為に立とうともがいているが中々立ち上がれない。会場も異変に気付きざわついて来ている。ここまで闘って来れた事自体がもう奇跡に等しい。慎司は十分に凄いことを成し遂けた……口には出さないが慎司の仲間や家族は皆んなそう思った。だから……もういいんだよ、慎司……。
誰もが、そう思っていた。
「……………えっ?」
誰が発したのかは分からない。だが目の前の光景を見て誰もが似たような反応を示したのだった。
……………………………………。
「………慎司君っ……」
高町なのはは悲痛に彼の名前を呼ぶ。モニターに映る彼は確かに奇跡を起こした、その体で神童から技ありを奪うという快挙を。しかしその代償は大きかった、なのはは慎司の影響で多少なりとも柔道は素人より詳しい。
だから慎司が逆の一本背負いをした時に軸足が怪我をしている足になる事を理解してその後畳の上で足の痛みを堪えてる様子を見てすぐに骨が折れた事をなのはは理解した。
恐れていた事が現実となりなのはの心は悲しみに染まる。慎司はもがいて試合を続けようと立ちあがろうとしてるけどなのはは思う。無理だと、
「慎司君……ごめん……ごめんね…」
私のせいで……そう口を開きかけた時になのはは驚きで一瞬声を出せなくなる。
「っ!?」
見間違いじゃない。ゆっくり……ゆっくりと、荒瀬慎司は立ち上がる。左足は殆ど使えず右足だけで開始線まで戻る。審判も、相手の神童も驚愕の声を上げる。しかし審判も流石にこれには待ったをかける。
この大会、国際大会ではないからいわゆるドクターストップ何かも存在しない。審判の一存……では決められないが選手の様子を見てこれ以上の試合は危険だと判断して棄権させることも出来る。
『できるっ!!』
モニターからも伝わる慎司の一喝。そしてさらに関係ないと言わんばかりに折れたはずの左足をあろう事か力を込めてドンッと強く足踏みして見せた。
『〜〜〜〜〜っ』
痛みを我慢できるはずがなく青い顔をして左足をを抑えて悶えるがそれでも慎司は笑う。余裕の笑みと、笑うしかないという諦めのような笑み。いくら審判を認めさせるためとはいえやりすぎである。
『……もう一回……やって見せましょうか?』
慎司の気迫に押されて審判は試合を止める選択をする事が出来なかった。このままGSに入る。審判の再開の合図が出る前に困惑の色を残したままの神童を見かねて慎司は本来ありえない事だがこのタイミングで神童に声をかける。
『おい、神童……お前遠慮なんかすんじゃねぇぞ……。本気で俺を叩き潰してみやがれ……』
『っ!』
『………勝つのは俺だ、それが嫌なら全力でかかってこいっ!!』
咆哮、手負いの獣による強がり。しかし、その気迫はやはり常人を逸脱していて神童だけでなく会場の観客ですら震え上がらせる。もっとも神童は恐怖ではなく武者震いの類ではあるが。
モニター越しであるはずのなのはにもその気迫が伝わりその心が揺さぶられる。
「どうして……」
どうしてそこまで強がれるの?どうしてそんなに笑っていられるの?慎司君は……どんな思いでいま闘ってるの?手元の手紙を見る。まだ封をされたままの手紙。
「っ!」
なのはは一度目を閉じてから覚悟を決めたように手紙を開ける、同時にモニターでは審判の開始の合図ともに時間無制限のGSが始まる。
骨を折ったはずの慎司は雄叫びをあげながら果敢に攻める、動きはやはり明らかにおかしく、鈍くなってるがその闘い方に諦めていない事と燃え上がる闘志が伝わる。本当に骨は折れてるの?そう疑問を持ちたくなるがやはり時に左足が持たず何も無いところで足が崩れて倒れそうになる場面もあるがそれを気合でねじ伏せていた。
まるで獰猛な獣、死地を見つけた武士、極限にまで研ぎ澄まされた武器、例えを上げるならキリがない。
なのはは慎司の試合を気にしながらもその手紙を読む。彼の想いを、信念をなのはは受け取る事になるのだった。
咆哮をあげ、限界の先の先へ。奇跡を起こせ、努力を示せ、そして想いを、信念を証明するのだ。諦めない心と、自分を信じる努力は決して無駄な事ではないと、不可能を可能にするのだと。
勝つ事でしかそれを体現できないのなら……それを成し遂げる。ただ純粋にその想いで荒瀬慎司は諦めないのだ。
次回で決着っ!