東方月煌幻 ~月下の銀狐~   作:沢村亮輔

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第一話◆魔女と九尾

 

 この九尾は何を言っているんだ?

 魔法理論の研究に没頭していたわたしは、書きかけの研究書類から視線を離し、背後に立つ声の主、式神の九尾に思わず顔を向けた。

 魔法の森が夕刻をむかえ、薄暗くなったころのこと。

 デスクランプを(とも)した直後、人の家に、それも書斎兼研究室へ、よりにもよっていけ好かない九尾の狐が土足で踏み込んできたのだ。わたしの聖域たる書斎に押し入るからにはよほどの話かと思えば、意味不明なことをぬかしやがった。

「聞こえなかったか? 『今夜、死ぬ覚悟を()って霧の湖に来い。確かに伝えたからな』と言ったのだ。理解できなかったのか?」

 研磨(けんま)したての刃物に似た眼光を放ち、九尾は不快感をあらわにした。相変わらず人を見下す嫌な瞳だ。

 わたしと同じぐらいな背丈の身体は導師服に似た物をまとい、背後から見える九本尻尾が扇を連想させた。顔立ちは整っちゃいるものの、眉根(まゆね)を詰まらせて睨みつけている。金色の短めな髪は、二本角を思わせる独特な帽子に包まれ、こいつの耳に見えてしまう。

 ……両袖を胸元に合わせ、わたしを見下ろす姿が(かん)にさわる。

「聞こえていたが、まるで訳がわからん」

 負けじとわたしも睨み返す。火花を散らすでは生ぬるい。花火を乱発するといった方が合っている。それほど華やかじゃないが。

 とにかく、訳もわからずホイホイと死ぬ覚悟をしてたまるか。向こうもわたしのしかめっ面を目にして気分を害しているに違いない。

 どういうわけか、なんとなくこいつの気持ちがわかる。こいつもわたしの気持ちを漠然(ばくぜん)とわかるのだろう。嫌いな者同士は奇妙な共通認識があるのかもしれない。

 わたしは人間を見下すこの九尾が嫌いだし、妖尊人卑の九尾もわたしを嫌っているはずだ。なのでお互い名前を呼ぶことすらない。どうしても呼ばなければならないときに限り、わたしはこいつを九尾と呼ぶし、こいつはわたしを魔女と呼ぶ。

 名前で呼び合わなくなってどのくらい経つだろうか? 追憶する気にもならない長い時間なのは確かだ。

 そんな九尾が自らの意思でここに来るとは考えにくい。おおかたこいつの主、妖怪の賢者こと八雲紫(やくもゆかり)からの命令なのだろう。その命令がこの訳のわからない言伝(ことづて)だと? しかも本人は来ず、いがみ合っている九尾を寄こすとは……。バカにしてるとしか思えん。

 妖怪退治を生業(なりわい)とする以上、いつ殺されても文句は言えない。その覚悟はいつも持っている。命がけの商売だから当然だ。しかし、こいつの言葉遣いは「死にに行け」と聞こえる。それも頭ごなしに。

 冗談じゃない! なぜ胡散臭(うさんくさ)い賢者のために死ななきゃならないんだ!?

「今取り込み中だ。他をあたれ」

 こいつと会話を交わすことすら気分が悪い。できる限り口数少なく返答し、わたしは机に向き直った。

 木製の机の上には、はたからは乱雑に散らかっているように見えるだろう。しかし魔法使いのわたしに言わせれば、雑多な物など一つもない。

 付箋(ふせん)だらけの分厚い三冊の魔導書。正面のブックスタンドに立てかけた参考書。指になじんだ羽根ペンと底が平べったいインク瓶。魔力などの分量計算に使う木製のソロバン。備忘紙を貼りまくった小型のコルクボード。ずんぐりとしたガラス製のウォーターボトル。そして書きかけの研究書類。

 それら全てが今研究中の魔法理論に必要な物だ。

 九尾がなんの用件でここに来たか知らないが、今のわたしにはやることがある。新しい魔法理論、〈自然魔力変換理論〉の完成。それが今やらなければならない最優先事項だ。

 外の世界では日光や風力や水流など、自然を利用して雷に似た力へ変換できる技術があると聞く。「自然の力を魔力に変えることは可能だろうか?」と思ったのが研究を始めたきっかけだ。この理論が完成すれば、幻想郷に技術革新が起こる事は間違いない。

 しかし今のままでは問題が山積みだ。特に「自然の力を無尽蔵に引き出す割には得られる魔力は微々たるもの」が最大の問題なので、それを改善しなきゃならない。九尾の用件など二の次だ。

 

 研究を再開していると九尾が淡々と言葉を発す。

「人間風情のお前が紫様に選ばれたのだ。誇りに思え」

「やなこった」

 わたしは書類を目にしつつ即答した。

 そんなもん、誇りにしてたまるか。

 正直なところ、文句を言うのもバカらしくて無視したかったんだが、条件反射で口に出してしまった。長年に渡っていがみ合っているんだ。見下した物言いをされれば反発もするさ。

 それにこいつは事ある毎に「紫様」だ。妖怪の賢者が使役する式神というご大層な肩書だが、わたしから見れば体のいい使いっぱしりじゃないか。

 そんな式神を放ったらかし、研究に意識をそそぐ。右手の使い慣れた羽根ペンをインクに浸し、書きかけの書類へ走らせる。得られる魔力の分量を確認するため、手元のソロバンの珠玉(しゅぎょく)を弾く。

 近頃はインク要らずの魔法ペンや、巨人が踏んでも壊れない鋼のソロバンが流行っているようだ。わたしも一度試したみたが、どうもしっくりこなかった。自然素材特有の肌触りがない。やっぱり文房具は自然素材に限る。

 書斎に筆記類の音が響くなか、背後から突き刺すような気配を感じた。〈魔女の目〉を使うまでもない。九尾が両袖を胸元に合わせ、忌々(いまいま)しい顔をしていることはたやすく想像できる。

「……拒否の意思と捉えた。幻想郷がどうなろうが外の世界からの侵略者に蹂躙(じゅうりん)されようが知ったことではないのだな?」

 わかってるじゃないか。てゆうか、要点はそれか! 具体性に欠ける話し方にも程がある!

「外の世界からの侵略者? 迷惑な話だな」

 わたしは振り向くことなく肩をすくめた。

 そもそも隔絶された幻想郷を外の世界の侵略から守るのが、賢者たる八雲紫と九尾の役割のひとつだ。一介の魔法使いに過ぎないわたしが負うべき責任でもなければ果たす義務でもない。

「邪魔しないから頑張ってこい。いちおう応援してやってるんだ。わかったのなら、とっとと帰れ」

 こいつに毒づく自分の言葉に嫌悪感はない。

 八雲紫と九尾がいる限り、たとえ幻想郷に存在する全ての妖怪が反旗をひるがえしたとしても、美しく残酷にこの大地から排除するのだろう。九尾は嫌いだが、妖術と高い〈計算〉能力だけは認めている。気に入らないのは人間を見下す態度だ。

 〈計算〉で思い出したが、こいつは「三途の川の幅を求める方程式」を完成させたらしい。しかし、「スケールが壮大すぎるので、何がどうすごいのかよくわからん」と、周囲の反応は微妙なようだ。

 そんな微妙な方程式を作った九尾が冷たく言い放った。

「紫様の命令は果たした。魔女の参戦可否だけ確認できれば良いとの仰せだ。脆弱(ぜいじゃく)な人間が関わる戦いではないのだからな」

 いちいち癇にさわる言い方だ。わたしも人のことは言えないが。

 九尾の言葉以外に衣服が擦れ合うかすかな音を耳にした。たぶん(きびす)を返したのだろう。

 この煮え繰り返る気持ちをどうやって静めようかと思案していると、九尾が嫌みっぽく声を上げた。

「紫様が仰るには、博麗(はくれい)の巫女は二つ返事で快諾したとのことだぞ」

「なんだって!?」

 耳を疑う以前より、わたしは勢いよく椅子を後ろへ押し出しながら立ち上がり、身体の向きを九尾に改めた。

 たしかに博麗は幻想郷の(かなめ)である〈博麗大結界〉の管理者だが侵略者を迎撃する防衛者じゃあない。しいて言えば、わたしと同じく、幻想郷で悪事働く妖怪を退治することくらいだ。そもそも自分から戦いを求めるほど好戦的な性格じゃあない。そのことは十年以上付き合いのあるわたしが良く知っている。

 八雲紫、博麗に何を吹き込んだ?

 肩越しに振り向く九尾は薄ら笑いを浮かべている。 わたしが動揺しているように見えたのだろう。

「あの巫女、さまざまな格闘術を身に付けているようだが、相手は西洋妖怪の一群。しかも頭目は吸血鬼だ。矮小(わいしょう)な人間がどこまで持つか、見ものだな」

 嘲笑(ちょうしょう)はわたしへの当て付けなのだろう。今までで最悪な面立ちだ。

 博麗の強さは本物だし、それは疑いようもない。過去に天魔という天狗の長を打ち負かすほどに。

 問題なのは吸血鬼だ。伝聞や文献によると「力は鬼のごとく、速さは天狗のごとく」と聞く。人間の血を吸い、血を吸われた者も吸血鬼になると言われる。おそらく頭目を含めた吸血鬼が複数いることは想像にかたくない。いくら腕が立つ博麗でも、鬼や天狗の特徴を持つ吸血鬼相手に生き残ることができるだろうか?

 一抹の陰をきざした。

 嘲笑(あざわら)っていた九尾だったが、不安がっているらしいわたしを見て満足したのか、それとも見飽きたのか、目線と顔を正面へ戻す。

 思いがけない言葉を聞いたとはいえ、よりによってこんな表情を見られるとは……。不覚だ。

 両方の頬を叩き、表情を戻す。わたしは覚悟を決めた。死ぬ覚悟なんかじゃあない。数少ない友人を生きて帰らせるための覚悟だ。

「霧の湖と言ったな。正確な場所は?」

「取り込み中なのだろう? 紫様へは『魔女は幻想郷の未来よりも私用を選んだ』とお伝えしておく。せいぜい頑張っておけ」

 顔も向けずによくもぬけぬけと! わたしへの当て付けか!? だからこいつが嫌いなんだ!

 こちらの心情を予想していたのか、九尾の肩が小刻みに震えている。きっと予想通りに反応したわたしを笑っているのだろう。わたしの(はらわた)は、こいつが書斎へ踏み込んできた以上に煮え繰り返っていた。

 どうしてくれようかと思案しているうち、九尾の前に空間の裂け目が現われる。〈スキマ〉と呼ばれる裂け目だ。

 〈スキマ〉とは、異なる空間を任意に繋ぎ、どこにでも移動できる出入り口のようなものと言ってもいい。裂け目の中にはたくさんの目や手が見える。これは外の世界を見たイメージであり、人間の欲の手と他人の目だと聞く。八雲紫が移動手段として使用するが、その従者であるこいつも使っている。滅多に使わないが、早々にこの場を去りたいということか。

 嫌なやつだが、このまま返すわけにはいかない。

「待て! 正確な場所を教えてくれないか!?」

 わたしは両手の平を上に向け、語気を強めた。

 これでもへりくだった言い方だ。友人の命がかかっているとはいえ、こいつに頭を下げたくはない。

「……本質を見抜け」

 嫌いなやつに頭を下げる決心が固まった瞬間、九尾はそう言い残して九本の尻尾を揺らしながら〈スキマ〉に入っていく。

「おいっ!」

 逃がすものかと右手を突き出して駆けだすが、間に合わない。わたしの手が触れる直前、拒絶するように〈スキマ〉は閉ざされた。

 反目し合うほど嫌いなのに、今に限って聞きたいことが山ほどある。なんとももどかしい。

 空ぶった右腕を下ろし、怒りの矛先を失ったわたしは仕方なく机に戻ろうとした。歩き出したとたん、窓ガラスに映った自分と目が合う。まるで般若(はんにゃ)だ。

 こんな顔では他者へ接しても避けられるに決まっている。ましてや、わたしの肌は全ての季節に関係なく小麦色だ。奇異の目で見られるのは慣れているつもりだ。

 だけど、こんなわたしを友達だと言ってくれる数少ない仲間がいる。その一人が博麗だ。大切な友人が死地におもむこうとしている時に、魔法理論の研究などしてる場合じゃあない。

 九尾のせいでわたしの心は驚きと怒りと不安がない交ぜになっていた。椅子に座り、たかぶった気持ちを静めるため、机の右上に置いてあるウォーターボトルへ手を伸ばす。冷めたガラスが火照(ほて)った肌を刺激する。キャップ代わりに被せているグラスを外し、ボトルからなみなみと水を注ぐと、無意識にため息を漏らしてしまった。

 わたしは何をやっているんだ……。

 子供のころから愛飲している博麗神社特製霊力水。これは、博麗の先代にあたる今は亡き恩人の“巫女様”から勧められた水だ。製造法は先代の巫女様が編み出し、後を継いだ博麗が作り続けている。独学で似たような水を作ったことはあったが、本家の足元にも及ばなかった。そのため、週に一度の頻度で博麗から水を分けてもらっている。

 無色無味無臭だが霊力を回復させる他に、瘴気(しょうき)の耐性を高める効果がある。瘴気ただよう魔法の森に居を構える人間のわたしには欠かせない。先代の巫女様からこれを勧められなかったら、わたしは魔法使いになれなかったと思う。

 その水が注がれたグラスに口をつけ、味わうことなく喉に流し込む。飲み干すと気持ちが若干静まった。

「本質……か」

 あいつが去り際に残した言葉をつぶやいた瞬間、最悪な笑顔を思い出し、再び腸が煮立ち始める。グラスに注ぐ動作を省き、ボトルごと水を一気に飲み込む。だが、勢い余って気管に入ってしまい、思いっ切りむせてしまった。大安吉日関係なしに、今のわたしは仏滅を迎えているようだ。

 咳き込みが収まるころには気持ちも大分落ち着いたので、深呼吸するように大きなため息をつき、わたしは〈深読み〉を始めた。

 

 続く。




・オリキャラ:芳賀峰妖子(はがみねようこ)
・職業:魔法使い兼フリーの妖怪退治屋
・容姿:褐色肌に銀髪ロング
・性格:無愛想で皮肉屋
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