東方月煌幻 ~月下の銀狐~   作:沢村亮輔

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第二話◇賢者と巫女

 紫様の命令を果たしたわたしは、夜の(とばり)が降りかかる博麗神社の境内に転移した。滅多に使わない〈スキマ〉を閉ざし、境内周辺を見渡す。

 瓦屋根が黒鉄(くろがね)を思わせる本殿。薄明かりに映える鈴緒。灰色に染まり始める参道。静寂(せいじゃく)に支配された境内。

 見渡した風景はゆっくりと、だが確実にわたしを含む妖怪好みの世界へ変化してゆく。実に心地よい薄暗さだ。しかし、心の奥にくすぶるモノがある。悪必滅を貫徹するあの魔女のことだ。

 人間の分際で高い魔法能力を有するあの魔女は、紫様に選ばれたことを拒否したのだ。それどころか、博麗の巫女が参戦すると聞いたとたん、態度を一変させた。おなじ人間である博麗の巫女を助けたいのだろう。だが、妖怪の賢者たる紫様を差し置いた罪は重い。

 始めから承諾すればよいものを……。今さら態度を変えてもすでに手遅れだ。紫様の意思を否定したのはお前自身なのだからな。

 あの魔女は「使うときに使わず、使わないときに使う」いわば〈風呂のフタ〉だ。今宵(こよい)は幻想郷の存続に関わる決戦の日。戦場に〈風呂のフタ〉で何ができる。

 問題外だと結論を下し、わたしは紫様が待つ神社の母屋(おもや)へと歩みを早めた。

 

 母屋の居間に行灯(あんどん)の明りが差していた。八畳分のそこへ入室すると、二つの視線がわたしに向けられる。ちゃぶ台の前へ座る紫様と、左隣に並ぶこの神社の巫女がそろって視線を投げてきた。

 紫様は、誰もが認めるであろう鮮麗なお顔で「ご苦労さま」とわたしをねぎらう。八卦(はっけ)(すい)と太極図を描いた導師服が良くお似合いだ。

 膝丈に届くほど長い黄金(こがね)色の髪がうるわしい。その髪を八本に束ね分け、腰から下付近の余った髪は畳へ敷かれている。先端に結っている赤い小さなリボンが愛らしい。

 その主が居られる部屋には、ちゃぶ台の他に茶箪笥(ちゃだんす)と置時計など、必要最低限の家具しか置かれていない。割と広く感じられるのはそのせいだろう。紫様とわたしが居住する八雲邸に比べると、あまりにも殺風景すぎる。

 ちゃぶ台の上には湯飲みが二つあるほか、霧の湖周辺の地図が広げられ、立体的かつ仮想的に視覚化されていた。侵略者の拠点、予想戦力、戦略展開予測、果ては湖周辺に棲息する妖怪がどのようにコき使われるかまで表示されている。本日午後に、館ごと転移してきた侵略者への対策を継続して練っていたに相違ない。

 浅はかな凡俗(ぼんぞく)から見れば「今さら対策を練ったところで間に合うわけがない」と思うはずだが、紫様は賢者と呼ばれるお方だ。このお方の思考レベルは、幾多の軍師が束になろうと足元にも及ばないだろう。

 わたしが敬愛する主ほど、真摯(しんし)に幻想郷を愛している者はいない。その愛すべき幻想郷への侵略行為は、紫様へ弓引く事に他ならないのだ。

 わたしは賢者に使役されし式神、八雲藍(やくもらん)。我が主と同じ姓を冠する者として、幻想郷へ侵略する者どもは美しく残酷にこの大地から根絶させる。

 決意を新たにして紫様のそばへと近づき、そしてひざまずく。

「ご報告を申し上げます。魔女は幻想郷の未来よりも私用を選びました。その時点で、作戦内容および落ち合い場所など詳細は不要と判断し、帰還した次第でございます」

 主である紫様へ(うやうや)しく一礼したのち、あの魔女の意思を端的にお伝えした。……あの無愛想な面構えが脳裏に浮かび、苛立ちが波紋のように広がる。だが、主の前でそのような表情を出すわけにもいかない。わたしは平静を装うことにした。

「そう。意外な答えね」

 紫様は驚くでもなく右手で髪を大きくかき上げた。房の二束が優雅に舞い上がる。

「外の世界の妖怪と技術に興味を持つと考えたんだけど……。あなたはどう思っているのかしら?」

 紫様がわたしから視線を外して博麗の巫女に移す。整った顔を仏頂面にしているこの人間は「……来るさ」と口数少なく答えた。

 黒い髪を腰まで伸ばしたこいつは、女とは思えない並外れた背丈がある。その高さは、紫様とわたしをゆうに越えるほどだ。赤い巫女装束の下の鍛え抜かれた身体は幾多の傷跡が刻まれ、それは正座する膝の上に置かれた手にも及んでいた。指に至っては、関節ごとに切断し再び繋げたと言われても、なんらおかしくはない。

 無口で頑健な身体の巫女はその外見とは裏腹に、人妖わけへだてなく親睦を持とうとするので理解しがたい。わたしも例外ではなく、気安く「藍」と呼び捨てにされるたび虫唾(むしず)が走る。

 たかが矮小(わいしょう)な人間だ。妖怪に比べれば、その一生など瞬く間に終わりを迎える。その間わたしがこらえればいい。……だが、いちいち食って掛かるあの魔女は別だ。こらえるにも限度がある。

 わたしは脆弱(ぜいじゃく)な人間である魔女が嫌いだ。魔女は人間を見下すわたしのことが気に入らないのだろう。

 それでいい。人間風情と馴れ合うなど妖怪の沽券(こけん)に関わる。互いに名を呼び合うことは、億分の一もないだろう。

「藍」

 物思いにふけっていたわたしは、主の声で現実へと引き戻された。紫様が右隣を指差す仕草は、「ここに座りなさい」とのご意思だ。それに従い、はばかりながらも座に着く。

 我が主に隣座してよいのは、このわたしだけだ。それゆえ、この巫女もあの魔女に次いでわたしを苛立たせる。卓越した格闘家だと認めるが、所詮は人間。いくら鍛え抜かれた鋼の肉体であろうと、吸血鬼の一撃に耐えられるはずがない。どこまで持つのか興味はあるが。

 それにしても、この巫女といいあの魔女といい、なにゆえ紫様は人間を迎撃者に指名したのか理解しがたい。……主の見識に並ぶ道のりは果てしなく遠いようだ。

 ちゃぶ台を囲んで、紫様を中心に侵略者への対策会議が再開された。

「妖子が拒否したからにはプランAを実行に移しましょう。こちらの戦力は三名。それを一箇所に集めて敵を制圧。問題は、どちらを攻めるか――よね?」

 地図をながめて頬杖しつつ、紫様は憂いたように吐息を漏らす。紫様が仰りたいことはわかる。霧の湖周辺の地図は、敵勢力を二つに分けて表示しているからだ。

 湖畔に(すた)れた洋館があるが、そこから湖をはさんだ反対の位置に、敵の拠点たる紅い洋館がある。その拠点と廃洋館の半分距離をへだて、名もなき平原に妖怪が集結しつつあった。おそらく侵略者に併呑(へいどん)された幻想郷の妖怪達と思われる。敵幹部に統率されていると見て間違いないだろう。

 連中が存在意義の(かて)を求めたとすると、目的地は人里だと予測できる。人里を見捨てて拠点の制圧か。侵略者の勢力拡大を無視して人里の防衛か。紫様、いかがなさいますか?

「藍、あなたならどのような盤面を描くのかしら?」

 頬杖を崩さずに紫様はたずねられた。地図に向けていた視線をわたしへと移した主の瞳は、興味深げな輝きがある。

 主の信頼に応えるのが従者の務め。わたしの意見が参考になるのなら、これに勝る名誉はない。

 (おど)る心をおさえ、地図上の敵勢力に注視する。確認し終えたわたしは、最善策を紫様に提案した。

「おそれながら申し上げます。月齢周期によれば今宵は満月。満月の光は妖怪の力を増大させます。吸血鬼を含めた西洋妖怪もまた同様。ここは敵勢力が拡大する前に、総力戦で拠点を制圧すべきかと。満月の光によって妖力が増大した紫様とわたくしならば、十分可能と存じ上げます」

 わたしの提案に「人里は?」とたずねられたので、話を続ける。

「ご心配には及びません。人間など、放っていれば勝手に増えます。八雲邸には近年における〈人里の文化〉の記録がございます。復旧に多少の時間を費やしますが、ここで敵の拠点をたたかねば在来妖怪と外来妖怪との覇権争いは必至。幻想郷は、泥沼化した戦国時代へと(さかのぼ)ることになりましょう。光明さす未来をお望みでしたのなら、小を切り捨て、大を活かすべきと具申(ぐしん)いたします」

 胸元に合わせている両袖の中へもぐり込むよう一礼し、わたしは意見をしめくくった。

 人間にしてみれば、わたしは非情な選択を取ったのだろう。だが、ここは幻想郷。人間の恐怖から生み出され、科学技術の進歩とともに衰退してきた妖怪のいわば“別天地”だ。

 幻想郷の人間は、妖怪を根底から恐れるために存在する。恐怖を糧とする妖怪が、人間に恐怖を与える事は当然の(ことわり)といえよう。

 外来妖怪らは糧を求め、侵略の道を選び、実行に移した。彼らが共存するために幻想郷へと渡って来たならば、なぜ使いの者を差し向けない? なぜ拠点周辺の妖精を(なぶ)り殺す? 幻想郷に対して、ひいては紫様へ対する宣戦布告とみなしていいだろう。

 わたしの考えは、妖怪として間違っていない。

「実にあなたらしい考えね。筋は通るし合理的な意見だと思うわ。ただね……」

 紫様はそう口にし、頬杖を解かれた。そして、ちゃぶ台に置かれた湯飲みへ細い腕を伸ばす。

 わたしの意見をどのように評価なされるか気になっていたが、おおむね高いことがうかがえる。……語尾を除けば、だが。

 湯飲みを口にされたのち、意見の評価が続行される。

「あまりにも堅実すぎて面白味に欠けるわ。あなたなりの最善策は否定しないけど、もう少し柔軟な発想をなさい。でないと、付け入る隙を与えかねないわよ」

 批評を終えた紫様は、鮮麗なお顔に笑みを浮かべているものの、瞳には称賛する気配がない。「考え方が(かたく)なすぎる」――と仰りたいのだろう。だがわたしに反論する意思はない。

 紫様の意思は何よりも優先させる。

 わたしが八雲の姓を与えられた時の決意。それは今でも揺がない。

「御意のままに……」

 恭しく一礼するわたしに対し、紫様は「期待しているわ」と声をかけられた。心中に喜々とした衝動の波紋が広がってゆく。

 今宵の決戦を乗り越えたのち、精進しなければならない。

 心の内で固く決意するわたしを尻目に、紫様は左の巫女へたずねた。

「あなたの意見も聞かせてちょうだい」

 先ほどから一言も発していない巫女は、不機嫌そうな表情を崩さないでいる。程なくして地図に向けていた仏頂面を紫様へと移す。

 この巫女は普段からこんな表情なので、わたしから見れば敵意を持っているとしか思えない。しかし、紫様と巫女のあいだに信頼関係があるのも事実。寡黙な巫女が甘言を用いたとは考えにくい。……紫様のお(たわむ)れなのだろうか?

 いずれにしろ肉体言語主体のこの巫女が、どのような講釈をするか非常に興味深い。大方わたしの意見とは反対に、人里を守ると言うのだろう。だとしたら、根拠に基づく理由を聞きたいものだ。我が主に隣座する以上、わたしを納得させてみろ。

 心中で嘲笑(あざわら)うわたしをよそに、博麗の巫女は幾多も傷跡が走る右手を地図にのばす。紫様とわたしの視線が巫女に集中するなか、意外な場所を指差し、わたしの予想は見事に外れた。巫女が無言で指し示した場所は、拠点から反対に位置する廃れた洋館だったのだ。

「……プランBの落ち合い場所ね。まさかあなた……?」

 予想外な行動に呆気に取られるわたしと違い、紫様は冷静な声を発す。心なしか、その声が低いように聞こえる。

 主が袖下から扇子(せんす)を取り出す。広げた扇子で鮮麗なお顔の下半分を隠している。怪訝(けげん)な表情を巫女に見られたくないのだろうか?

 それにしてもこの巫女、なにゆえ廃洋館を選んだのだ?

 そう思案したとき、仏頂面の巫女が口を開く。

「ここで妖子を待つ」

 廃洋館を指差す巫女の口ぶりは、まるであの魔女がそこに現われる、と予言しているように聞こえる。仏頂面の口元がわずかに吊り上っているので、よっぽど自信があるようだ。その姿を目にしたわたしは、もはや呆れるしかなかった。

 プランBの内容は、こちらの戦力を二つに分けた連携作戦だ。しかし、あの魔女が参戦を拒んだ時点で白紙になったはず。

 だいいち、あいつに廃洋館のことは一言も話していない。しいて上げれば、お情けと皮肉を込めて「本質を見抜け」と言い残したくらいだ。しかし、それをこの巫女が知っているわけがない。

「魔女がそこに来るという根拠はなんだ?」

 うずまく疑念に耐えかね、思わず声を上げる。その直後、巫女は鉄面皮(てつめんぴ)な顔をわたしに向けた。

「そう(ささや)くんだ、わたしの(かん)が」

 勘? 勘だと!?

 巫女が発した言葉に、わたしは怒りを通り越して頭が真っ白になり、そして虚脱(きょだつ)する。この巫女がなにを考えているのか理解できない、と再認識した瞬間でもあった。

 あの魔女が〈風呂のフタ〉なら、さしずめこの巫女は〈昼行灯〉だ。まったく、人間は感情を優先させるから嫌いなんだ。

 この時ばかりは外の世界からの侵略者よりも、二人の食わせ者が脅威に思えてならなかった。

 

 茶箪笥上の置時計は八時を指し、隣室から柱時計の鐘の音が響くころ、決戦の準備はすでに整っていた。

 わたしが湯飲みを洗い場において戻ると、ちゃぶ台に広げられていた地図は紫様が片づけ、霧の湖へ直結する〈スキマ〉を開かれていた。〈昼行灯〉は行灯を消している。あとは湖畔に建つ廃れた洋館へ行くのみ……。

 けっきょく紫様は巫女の意見を「一時間」という条件付きで採用された。「勘のささやきとやらが確かなら、ぜひとも目にしておきたい」とのことだ。一時間たって廃洋館に魔女が現われなかった場合、総力戦で敵の拠点を制圧する。

 結果的にわたしの意見も採用された。――が、人間風情に出し抜かれた感が否めなく、どうにも腑に落ちない。しかし紫様が決定を下されたのだ。主のお考えに及ばぬなら、忠をもって従うのみ。

 決意新たにしていると、紫様は細い赤リボン付きの包み込むような帽子をかぶる。

「確認するけど、一時間たったら速やかに拠点制圧を実行します。いいわね?」

 紫様は並び立つわたしと巫女に念を押した。その瞳には確固たる決意の(ともしび)を宿している。

 主の意思に「御意のままに……」と両袖を持ち上げて一礼するわたしと比べ、この巫女は無言で頷くだけだった。

 寡黙には違いないが、この場は一礼して応えるべきだろうに。礼儀知らずにも程がある。

 わたしと巫女の同意に満足そうな笑みを浮かべると、主は大きく開いた〈スキマ〉へ入ってゆく。その後を巫女が続こうとするが、見咎(みとが)めたわたしは「おいっ」と呼び止めた。見下ろすように仏頂面を向ける動作は、ばか高い背丈も相まって見下しているような感じがする。

 まったくこの巫女ときたら、勘で意見するわ、場の雰囲気を察しないわ、上下関係は無視するわで一体なに様だ!? 本人も自覚がないのか、それだけにタチが悪い。やはり〈昼行灯〉のようだ。

 睨みつけるわたしを察したのか、巫女は無言のまま〈スキマ〉から後ずさった。

 紫様の後に続くのは、従者たるわたしの領分だ。お前の部下になった覚えはない。

 魔女が現われるかどうかは些末(さまつ)なことに過ぎない。問題は、無駄となるかもしれない一時間をどのように補填(ほてん)するかだ。

 わたしはあらゆる策を練りつつ歩みだす。上背が高い巫女の横を通り過ぎて〈スキマ〉に踏み進むと、湖畔の廃洋館へ辿り着いた。

 

 満月の明かりが、無人になって久しい洋館を照らしていた。

 妖力が増大していく認識よりも、目の前の光景に我が目をうたがう。扇子で顔下を隠している紫様もわたしと同じ気持ちなのだろう。

「遅いっ!!」

 聞き覚えのある怒声が廃洋館にはね返る。

 浮遊する杖に座って足を組み、右手で頬杖をつきながら鋭く睨みつけている者は、まぎれもなく“あの魔女”だ。

 夜でも目立つ悪趣味な黒い尖がり帽子と魔導服。眉間(みけん)(しわ)をよせ、眼光ゆらめく無愛想な面構え。月光を反射しているような腰まで伸ばした銀髪。髪を束ねる首元の似合いもしない大きな青リボン。季節に関係なく常夏を思わせる小麦色の肌。そして――。

「さんざん待ったぞ。賢き者なりの釈明を聞きたいものだな」

 賢者に対してわきまえない不遜(ふそん)な態度。

 わたしを苛立たせる元凶の、悪必滅を貫く〈風呂のフタ〉が本質に気づいたのか……?

 

 続く。




・博麗の巫女が発言した元ネタ。
GHOST IN THE SHELL/攻殻機動隊
草薙素子
「そう囁くのよ。わたしのゴーストが」
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