細い箸を手に持った瞬間、残った〈ヒトガタ〉をクロードへと飛ばす。人の形をした和紙が、あがき続ける黒衣の吸血鬼の四肢に貼りつく。それを視認し、すかさず印を切る。
「発」
掛け声と同時に〈ヒトガタ〉が爆ぜた。爆発の衝撃でクロードの四肢が
はたから見れば、わたしは極めて
頼りない箸でも樫の木で作られているのは紛れもない事実。これを有効に活かすには、可能な限り攻撃を加えて極限まで弱体化させる必要がある。ここで倒さねば幻想郷に未来はない。
幻想郷の害悪は、美しく残酷にこの大地から根絶させる。それが紫様の意思であり、わたしの意思だ。
決意あらたに、樫の木の箸で作られた十字架を握りしめる。魔女から託された箸を持ち、わたしは大岩に打ちつけたクロードのそばまで近づく。
それにしてもこいつの
……カストミラではないが、もっと早くに、それも敵としてではなく出会っていれば、このような結末を迎えずに済んだかもしれないな。
そんな気持ちが顔に出たのか、クロードの怒号でわたしの思考は現実へと戻る。
「なんだ、その目は? 異教徒に同情される筋合いはない! 舐めるな、この女狐め!」
世の無常さに思いを馳せている場合ではない。わたしは表情を引き締め、凄むクロードの顔前に箸で作られた十字架を突き出した。
「これが何かわかるか?」
突然の問いかけにクロードはわずかながら困惑した表情を作る。その顔を目にしたわたしは心中で「やはりわからぬか」とつぶやく。困惑がにじみ出る黒衣の吸血鬼を凝視し、そのままの姿勢で話し続ける。
「『日本は箸の国』と例えられるが、どうやら知らぬようだな」
薄ら笑いを目にしたクロードの顔から、にじみ出ていた困惑が消えた。
「なんの話だっ!?」
「なあに、日本の文化を教えてやろうと思ってな。これは箸と言ってな、お前達が使うスプーンと同列な道具だ」
日本の食器について説明し始めたとたん、「それがどうした!」と眼光とともに返された。それを受け流し、淡々と話しつづける。
「この箸は『樫の木』で出来ている――と言えば、わたしが何をするかはわかるな?」
クロードの顔が蒼白に変わった。こんな細い箸が、「白木の杭」の代用だと理解したらしい。箸を凝視した黒衣の吸血鬼が、碧い瞳をわたしへと向ける。
「なぜ手の内を明かす? そんな棒切れで俺を殺せると思うか!」
クロードが怒気のこもる言葉を吐く。瞳から放たれた憎悪の眼差しがわたしに突き刺さる。その碧眼は
「
一息の間を置き、わたしは言葉を重ねる。
「――わけもわからずに最期を迎えるのも哀れだと思ってな」
同じ立場から見れば、クロードの奮闘ぶりは敬意を表したい。道は違えど、こいつはこれまで姉のカストミラに全力を注いで支えてきたのだろう。尊敬する者の信頼に応える行動としてみれば、共感できなくもない。手の内を明かしたのは、わたしなりの情けであり敬意でもある。
そんな心境のわたしとは裏腹に、出血しているはずのクロードの顔がみるみる紅潮してゆく。
「俺を舐めるのもいい加減にしろっ! その高慢さが命取りになるぞ!」
大岩に打ち付けられた吸血鬼の口から血の泡と怒号が吐き出る。そんな気はなかったのだが、どうやらこいつには見下しているように見えたらしい。
反抗心あふれる瞳の輝きがあの魔女に似ている。あいつもこいつと同じ気持ちを抱えていたのだろうか?
……まあいい。捉えかたは自由であるし、わたしなりの情けも果たした。こいつの忠告どおり、速やかにとどめを刺すとしよう。
意を決し、わたしは表情を引きしめる。
「そうだな。お前の言う通り、もうおしまいにしよう」
言い終えるや、クロードの顔前へ突き出していた箸を逆さに持ち替え、天高くかかげた。満月の明かりがわたしを照らす。月光によって生み出されたわたしの影がクロードの全身をおおう。互いの視線が交差する。
碧眼に自分の顔が映ったその瞬間、わたしは右腕を振り下ろした。箸ごしに肉をつらぬく鈍い感触が伝う。その直後、クロードの絶叫が響く。黒衣の吸血鬼が上げる叫び声には激痛はもちろん、無念さと憎悪を含んでいた。
口から出るものは
返り血を浴びる寸前、わたしは五歩ほど跳んでかわす。両袖合わすわたしに、一陣の風が血の臭いを運ぶ。不快な臭いが鼻腔を刺激する。
そのとき、クロードの身体から青白い炎が噴き出した。蒼白の炎は、瞬く間に吸血鬼の身体を包み込む。勢いよく燃え上がる割には焦げ臭さがない。おそらく〈生命の樹〉の観念をもたらすとされる樫の木が、
蒼白の炎に包まれたクロードの絶叫がかすれてゆく。わたしに向けられた眼光も消えかかっていた。やがて、四肢を失った身体に残された頭部が力なく垂れる。消滅するのも時間の問題だろう。
わたしは
そのとき、強烈な殺気を背後から感じた。おそらく最後の力をふりしぼった奇襲だろうが、すべて読んでいたことだ。背を向けたのも、不意打ちを促すため作った隙に他ならない。迎撃の準備は既にできている。
わたしの〈計算〉は完璧だ。
九尾妖術〈妖怪レーザー〉を放つべく、わたしは右手を構えつつ振り返る。目にしたのは首を切りはなしたクロードだった。燃え盛る炎とともにこちらへ向かって襲いかかる。
迫り来る首は大きく口を開け、鋭い牙がむき出しになっていた。碧眼は血走り、殺意の光だけしかない。なにもかも投げ捨てた死兵の眼光だ。
わたしは
「発」
妖力の球体群がわたしの背丈を上回るほどふくらむ。放たれた巨大な光線は、一瞬にして夜を赤い世界に変えた。
束ねた〈妖怪レーザー〉は、顔前まで襲いくる首だけとなった黒衣の吸血鬼を飲み込んだ。耳をつんざく轟音が名もなき平原に響き、クロードの断末魔をかき消す。クロードの首が、包まれた蒼い炎もろとも消えてゆく。
やがて極太の赤いレーザーは収束した。首だけとなったクロードの姿は既になく、妖気の欠片すら感じない。四肢を失くした身体と
射線上の大きく抉れた大地が、束ねた〈妖怪レーザー〉の威力を物語っていた。程なく離れた大岩も赤熱の光を発している。真横に打ち付けた十字架が大岩と同じく
「
残された十字架が吸血鬼姉弟の墓標に見えたのか、わたしの口からそんな手向けの言葉を吐かせた。
空間が湾曲する全周防壁を解除したわたしは、両袖合わす姿勢のまま熟考し、微動すらできずにいた。なぜなら紫様のおっしゃる「変化を求める心」を持たなかった場合、クロードと同様の末路をたどっただろうと考えたからだ。
紫様から心の変革を促されていなければ、依存する現状に固執したすえ、無様な最期を迎えたのかもしれない……。
そのような考えに及んだ心当たりはある。戦いの終盤、追い詰めたクロードに対して親近感を持ったことが原因だ。
主と姉の違いはあれど、わたしとあいつには幾つかの共通点があった。
疑いようのない信頼感。指示や命令に従う忠誠心。精神の支えとする依存性。
これだけ似通った点があれば、似た者同士だと思うのも無理はない。クロードがどう思っていたかは定かではないが……。
姉であるカストミラの意思に従った結果があのような末路とは、あまりにも悲惨で哀れな最期ではないか。
そう思うと、心中にむなしさの波紋が広がってきた。自分の行く末に思い悩んでいると、一陣の風が前髪をゆらす。そよ風がそれまで上気していた身体の
風鳴り音のなか、およそ三十を数える時間が経ったとき、わたしは紫様の真意を悟った。
これまでわたしは主の命じるまま行動してきた。
紫様の意思は何よりも優先させる。
それが従者の務めであり、わたし自身の存在意義と思っていた。
紫様は、そんな心持ちのわたしを「愚直なまで受動的態度を取り続ければ、いずれ悲惨で哀れな破局がおとずれる」と思ったに違いない。
この決戦の直前までいがみ合っていた魔女と組ませたのも納得がいく。今まで無自覚に意識していたあいつと組めば、
事実、わたしと魔女は強大な能力を持つ吸血鬼に勝利することができた。しかも互いに結束しあってだ。巫女が言った「単独行動から生じる結束力」も、あながち間違いではないのかもしれない。
わたしが魔女のメッセージ抜きではクロードを倒すことはできなかったであろうし、あいつも妖波の解析結果を聞かなければ自力ではカストミラに勝てなかっただろう。
――もしや紫様は、何もかも見通しておられたのか? わたしの〈計算〉はもちろん、巫女の「
嘆息をつくと同時に、それまで押し込んでいた懸念がよみがえる。
その前に魔女の生死を確認せねばならん。仮に死んでいたとすれば、「己の命と引き換えに幻想郷を守った」という美談としてごまかすことができる。もし生きているのならば、そのときは……。
決意を固め、わたしは魔女の元へ向かうことにした。
大岩を通り過ぎてから程なくして激しい亀裂音が耳に入る。肩越しから見やると、大岩の真横に突き刺さっていた十字架がもろく崩れ落ちる光景を目にした。十字架の鉱石物質がレーザーで熱せられて膨張し、外気に冷やされ自壊したのだろう。
これであの吸血鬼の姉弟が幻想郷に存在した痕跡は、すべて消え去った。
主であるカーマセイン・スカーレット伯爵に踊らされ、真の力を取り戻すべく離反し、志し半ばで散った姉弟。
「……
吐息とともにそうつぶやき、わたしは視線を戻して魔女の元へと急いだ。
続く。