東方月煌幻 ~月下の銀狐~   作:沢村亮輔

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第二十六話◇長くアツい夜の終わり

 

 濃緑の草葉を踏み鳴らし、わたしは半裸で横たわる魔女の左側まで近づいた。仰向けの魔女は生きているようにも死んでいるようにも見える。

 月明かりは満身創痍(まんしんそうい)なこいつを照らしていた。浮かび上がる小麦色の肌には、首からさげた五芒星(ごぼうせい)型の魔法具と白い質素な木綿の下着、機能性を重視したベージュ色のポーチと薄茶な革のブーツだけ身にまとっている。センスを疑う黒い尖がり帽子はこいつの頭付近に、懐中時計が足元で転がっていた。

 血まみれの右腕と袈裟懸(けさが)け状の打撲痕がいやでも目につく。鳩尾(みぞおち)の上辺に皮下出血が見られる。肋骨の一つや二つは折れているだろう。左の人差し指の先に噛み切ったあとがある。吸血鬼を倒したことと何か関係があるのかもしれない。

 身体と転がる帽子に微量な灰が付着している。おそらくカストミラだった(・・・)物だろう。吸血鬼の遺灰を目にしたわたしは戦慄(せんりつ)し、思わず身震いした。

 矮小(わいしょう)な人間が、よもや〈生命の樹〉と同等のモノを引き出すとはな……。あのときの〈魔砲〉の白光がいまだに脳裏から離れない。あれは明らかに命の炎だ。

 わたしは燃え尽きたであろう魔女の生死を確かめるべく、そっと身を屈めた。

 いつもの無愛想な顔は見る影もなく、耳の先まで血色がない。それは唇も同様だった。半ば開いた口も、下着に包まれた起伏豊かな胸にも、呼吸の気配はない。

 柔らかそうな首元に右手を伸ばす。指先に冷え切った肌の感触が伝わる。頚動脈から血液の流れが感じられない。

 物言わぬ魔女にわたしは小さな吐息をもらす。その吐息が何に対してなのか自分でさえわからなかった。ただ、「幻想郷の(ことわり)」と関係ないことは確かだ。

 複雑な気持ちを抱え、わたしは立ち上がった。

「……死んだか」

 そうつぶやき、足元の魔女を見据える。こいつが地に伏してから三十分は経つ。呼吸が停止してから蘇生までのタイムリミットは、せいぜい十分。既に死んでいたのだろう。

 微風が吹き、これまでの戦いで火照(ほて)った身体の熱を奪ってゆく。濃緑の草地がさざ波のように揺れるなか、わたしは魔女の死の考察に及んだ。

 こいつは魔力の代わりとして己の命を燃やし、〈魔砲〉に直結させたのだろう。それは〈生命の樹〉の観念と同等なモノをもたらし、結果としてカストミラを(ほうむ)った。その戦果だけは称賛に値する。しかし己の命を燃やした代償は高い。

 この魔女は悪必滅の信念を貫徹し、そして燃え尽きたのだ。こいつの(くじ)けぬ戦意が、わたしを無自覚に意識させたのかもしれない。紫様がこいつを「変革をもたらす切っ掛け」と仰るのも今ならうなずける。せめてその心意気だけは見習うとしよう。

 わたしは夜空をあおぎ見た。天高く浮かぶ満月は、わたし達のことなど無関心かのように輝いている。その(きらめ)きに既視感を覚え、過去の記憶が浮かぶ。

 こいつと初めて会った時もこのような満月だったな。青臭いことばかりほざいていたあの小娘が、よもやわたしと肩を並べて戦うとは……。だが死んでしまったからには美談として語り継ぐとしよう。

 考え終えたわたしは草地に横たわる魔女を見やる。こいつとの様々な思い出が次々と浮かぶ。……どれもこれも、ひどいやり取りばかりだ。

 まあいい。わたしをここまで意識させた人間は後にも先にもこの魔女だけだろう。ならば、手向けの言葉ぐらいは送ってやらねばな。

 そう思い、わたしは姿勢をただす。

「幻想郷のため、ひいては紫様のために死ねたのだ。光栄に思え」

 このような手向けの言葉など、こいつが生きていれば悪態で返したに違いない。それにしても半裸をさらしたままでは目の毒――もとい気の毒だ。そう思った瞬間――。

「……やなこった……」

 ――しゃべったっ!?

 耳を疑い、即座にかがみこむ。草を(しとね)にする魔女は目覚めてはいない。だが表情にわずかながら血色が戻っていた。

 まさか蘇生したとでもいうのか!?

 事態の急変を目の当たりにし、わたしの心は激しく揺れ動く。戸惑いながらも再び魔女の首元に右手を伸ばす。月光に映える小麦色の肌へ、震える指でふれる。冷えていた肌から微弱な熱を、首からはかすかな脈が感じ取れた。胸もわずかながら上下に動いている。

 どのような経緯かは不明だが、魔女は確かに息を吹き返した。悪霊なみのしぶとさを持つこいつにわたしは驚愕しつつ呆れ果て、もはやため息すら出せない。

 手向けの言葉に逆らうようによみがえるとは、どれだけ反骨心にあふれているんだ、この魔女は!? やはり〈風呂のフタ〉だ!

 憮然(ぶぜん)とする気持ちは、やがて焦燥に変わった。脳裏に「幻想郷の(ことわり)(くつがえ)りかねない」という懸念が再び湧きだす。

 この人間は高位の妖怪である吸血鬼を倒した。悪事働く妖怪を退治する行為はさしたる問題ではない。むしろ人間に希望を持たせた方が恐怖の度合いも増す。妖怪退治屋はそのために存在すると言ってもいい。

 だが、“恐怖を生み出す者”が“恐怖を(かて)とする者”を超越したとなれば話は別だ。これまでのパワーバランスは崩れ、妖怪と人間の立場が入れ替わるとも限らない。このままでは、妖怪のためにこの地を隔絶された紫様のご意志が無駄となる。主と同じ姓を冠する者として、この事態を見過ごすことなどできない。

 わたしは、それまで魔女の首筋にふれていた指を見つめた。

 ……死んでいれば「幻想郷の(ことわり)」は覆らずに済む……。

 賢者の従者としての重責がのしかかり、頚動脈へあてた指の爪に力が入る。このまま動脈を切り裂けば、幻想郷の(ことわり)は守られるだろう。これは紫様の意思を遵守(じゅんしゅ)するための務めなのだ。

 爪の先が魔女の動脈に食い込んだそのとき、突如として幻聴が響く。

 ――それでいいのか?

 また(・・)頭の中に疑問符が広がり、指の動きを奪う。同時に心の揺らぎが激しくなる。

 ……わたしは、紫様が愛しておられる幻想郷を守りたいだけだ。それにもかかわらず、なぜ疑問が生じる? なぜためらう?

 自問自答を繰り返したすえ、いつしか魔女とのやり取りの記憶がよみがえる。どれもこれもロクな思い出ではないが、奇妙な充実感があった。それが(かせ)となっているのだろうが、私情をはさめば危機が広がりかねない。実際、こいつの私情のせいで作戦が破綻したではないか。

 わたしの中で重責と私情がせめぎあう。満月の明かりが自身の影を作り続け、魔女の身体に重なっている。その影が自分の心の闇に思えた。それを目にし、腹の底から(くすぶ)りにも似た自己嫌悪がにじみ出る。

「……ちがう」

 ささやくように呟いたとき、せめぎ合いは終わった。

 わたしはそれまで魔女の首筋にあてた指の力を抜く。かたわらに転がった帽子と懐中時計を拾い、血まみれの右腕とともにこいつの腹部に乗せる。淡い褐色の左腕を自分の右肩に回し、両膝の裏へ自身の左腕をもぐらせた。

 腰を浮かせたとたん、左上腕部の傷と槍鞭を受けた傷が激しく痛みだす。それに構わずわたしは魔女を抱え上げた。力なく垂れる頭を尻尾の一つで支え、こいつの右肩に移す。意識のない顔を見ると呼吸は寝息ほどになり、頬にも血色が戻りつつあった。

 いったいどういった理由で蘇生したかはわからんが、この分であれば何とか助かるだろう。魔女の状態を改めて確認し、わたしはようやく呆れた吐息を漏らすことができた。

 ……わたしが思い留まったのは、情に流されたからではない。紫様の能力が施されている以上、この魔女はあのお方の“所有物”だ。主の許しを得ずして殺すことはできない。それに紫様の教えである(ことわり)を、わたし自身が曲解している疑いもある。

 作戦が破綻したのも魔女だけの責任ではない。紫様が妖気を発したあのとき、早くに真実を伝えていればこんなことにはならなかったはずだ。なにもかもこいつに責任を押し付ける気はない。すべてを魔女のせいにした挙句、殺してしまっては人間の浅知恵と変わらないではないか!

 わたしはそこまで(いや)しくはないつもりだが、その考えに至ったのも事実。このうえは紫様に包み隠さずご報告し、相応の罪を償う以外にない。

 謝罪の決意したわたしは弾みをつけ、魔女を抱えなおす。こいつの重みに至るところの傷が悲鳴を上げる。顔をしかめて耐えるわたしと比べ、(かいな)の魔女は死んだように眠っていた。普段は無愛想な面構えをしているくせに、今ばかりは穏やかな表情だ。その寝顔を見ているうち、苛立ちが募ってきた。

 先ほど「魔女だけの責任ではない」とまとめたが、だからと言ってすべてを許したわけではない。責任所在と私的感情は別問題だ。そもそもこいつが先走らなければ、わたしはここまで負傷しなかっただろう。賠償を求めてもいいくらいだ。

 募った苛立ちを今の魔女にぶつけても意味がない。しかし、死んだように眠るこいつをながめていると、文句の一つでも言わなければ気がすまなかった。

「わたしにここまで手を焼かせたからにはキツネそばだけでは済まさんぞ。聞こえているのなら起きろ!」

 その直後、背後から馴染み深い妖気を感じ、聞き慣れた声が耳に入った。

「あら? ずいぶん深い仲になったじゃない」

 肩越しに振り返ると、紫様が意識のない巫女をわたしと同じように抱えて立っていた。背後に〈スキマ〉が開いているので拠点の制圧は終えたらしい。

 お召しの導師服がおびただしい血で汚れている。大怪我を負われたのかと思えたが、よく見ると(かいな)に抱いた巫女の血だった。気絶している巫女はかなりの深手を負っており、右肩から脇腹にかけての傷が痛々しい。まるで巨大な肉食獣に噛み砕かれたかのようだ。

 満身創痍の巫女と比べ、紫様には傷らしい傷は見られない。その主が負傷したわたしを見据えた。

「あなたにしては珍しくてこずったようね」

 傷ついたわたしを気にかけている。だが鮮麗なお顔にかすかな陰りをにじませていた。おそらくわたし達が作戦を破綻させたことに憤っているのだろう。罪悪感が波のように迫り、わたしの心を飲み込む。

 周囲を見渡した紫様が嘆息するようにつぶやく。

「こっちもあらかた片付いたみたいね」

 わたしは魔女を抱えたまま紫様へ向き直る。

「申し訳ございません。魔女が先走ったせいで作戦の破綻を招きました。しかしながら、この者の暴発を防げなかったのはわたくしの責任。このうえは、いかなる処罰を受ける所存でございます。なんなりとわたくしめに――」

「藍!」

 矢継ぎ早の謝罪の言葉は紫様の一喝によって制された。主の射抜くような眼差しに身体が畏縮(いしゅく)する。やがてその眼差しは温もりある光を宿し、微笑みとともにわたしを(さと)す。

「まずは順を追って説明してちょうだい。判断するのはあなたの話を聞いてからでも遅くはないでしょう。いいわね?」

 諭されたことで思考は冷静になった。魔女が倒れてから、わたしは従者として「幻想郷の(ことわり)」の重責に縛られていたのかもしれない。紫様はその点に気づかれたのだろう。焦って経緯を言い忘れるとは、なんとも恥ずかしい。

 心中で反省し、「御意のままに……」と頷くように一礼したわたしはこれまでの経緯を説明し始めた。

 

 紫様は真剣な面立ちで、破綻にいたった経緯を聞かれていた。わたしは順を追って包み隠さず話しつづける。

 紫様の妖気を吸血鬼が発したものと勘違いした魔女。その妖気を紫様のものだと気づくと思い込んでいたわたし。暴発した魔女に真実を告げた件。放心した魔女を引っ叩いて正気に戻した話。混戦を収拾すべく結束したこと。

 それ以降から戦闘の終結に至るまでを紫様へ説明し終え、わたしは頭だけで一礼して締めくくった。ひと通り話を聞かれた紫様はしばしのあいだ黙考する。負傷した巫女を抱え、考えに及ぶ紫様を見ていると、心の揺れはいっそう激しくなった。

 沈黙の時間が続くほど、わたしの心は罪悪で満たされてゆく。魔女を抱える両腕がかすかに震える。それは傷の痛みでもなければ、紫様が下す処罰の恐怖からではない。長く続くこの重い空気に耐えられないからだ。

 長い沈黙は紫様の声によって破られた。

「結論から言うわね。あなたと妖子に非はないわ」

「今、なんと仰いましたか?」

 予想外の言葉を耳にし、思わず聞き返してしまった。紫様はわたしの非礼を(とが)めもせず、穏やかな面立ちで語りだす。

「作戦が破綻した原因はわたしの妖気でしょう? 格下の妖怪相手に妖力を出し惜しみ、妖気で退かせたのがまずかったようね。わたしクラスの妖気を人間が感じれば、恐怖におののいて当然よ」

 一息の間を空けたのち、紫様はさらに続けた。

「そもそもあれだけの妖気を放ったのは百年ぶりかしら? 人間でわたしの妖気を知る者はいないわ。元凶はそのことを失念していたこのわたし。これでは不満かしら?」

 そう締めくくった紫様は、微笑みと同時に片目を閉じる。だがわたしは納得できなかった。

 おそらく紫様はお一人で全責任を抱えるおつもりだ。しかし、それではあまりにもわたし達にとって虫が良すぎる。わたしも魔女も何らかの責を負うべきだ。

 そう考えた瞬間、衝動のまま口が開いた。

「お言葉を返すようですが、あなた様が全責任を被ることなど、従者として容認しかねます」

 突然の異論に主は目を丸くさせた。わたしが映る瞳は微妙に揺れ、心の内を表している。

 滅多に異論など唱えないわたしが、今夜の内で二度も反意を示したのだ。驚かれるのも無理はない。その表情が穏やかな笑顔となり、紫様は興味深げに首をかしげた。

「それじゃあ、誰がどのような形で責任を執るべきなのかしら? 詳しく話してちょうだい」

 主の問いに言葉が詰まる。わたしとしたことが勢いだけで異論を唱えてしまった。反意を表した以上、明確な根拠を示す義務がある。

 わたしは思考を加速させたが、都合のいい言い訳しか思いつかない。思考を巡らすほど焦りが募る。

 考え抜いたすえ、「今の気持ちをそのまま伝えることしかない」と結論に至った。感情を優先させる人間の真似など不本意ではあるが、これしか考えられなかったためどうしようもない。これまでにない緊張のなか、わたしは表情を引きしめた。

「おそれながら申し上げます。作戦の破綻における原因は、紫様を含めた各々の“想い”であると思われます」

「想い……?」

 たずね返す紫様は、瞳に興味あふれる光を宿している。紡ぎだす言葉を真剣に聞き、真意を確かめているようにも思えた。わたしは感情のまま言葉を重ねる。

「さようでございます。紫様は真摯(しんし)に幻想郷を愛しておいでです。それは『愛情の想い』なのでございましょう。従者たるわたくしが持つのは『忠誠の想い』でございます。巫女は『純然たる想い』を持ち、魔女は『悪必滅の想い』を持っております。これだけ質の異なる『想い』が集まれば、微妙なズレが生じるは必然。このうえは、参戦者全員による連帯責任が適切と具申(ぐしん)いたします」

 頭だけ一礼するわたしは心中で恥じていた。先ほど述べた根拠は今の気持ちに適度な言葉を飾ったものだ。詭弁(きべん)と言ってもいい。

 黙考する紫様は、感情のない表情を作っている。失望されたとしても仕方がない。

 こんな態度では、感情を優先させる人間と変わらないではないか! 妖怪の面目が丸つぶれだ……。

 卑下(ひげ)するわたしに、紫様の射抜くような視線が突き刺さる。その眼差しは心の底まで見透かすような光を宿し、微動できずにいた。

 それまで沈黙していた紫様が口を開く。

「わたしを含めた連帯責任。それはあなた自身の考えなのかしら?」

 見据える主の瞳に息を飲む。畏縮する身体を無理やりほどく。

「仰るとおりにございます」

 紫様の瞳を見据え、わたしは答えた。おかしなことに悔いはない。むしろ爽快な気分だ。自分の気持ちに従ったからだろう。

 そんな思いをよそに、紫様は穏やかな面立ちで微笑んだ。

「筋は通るし柔軟な発想ね。いいわ。それでいきましょう。詳しくは神社に戻ってから、ということでいいわね?」

 満月照らす笑顔(うるわ)しく、紫様はわたしの意見を採用された。募った負の感情が消え失せる。躍る胸のうちは隠しようもなく、ついつい頬が緩んでしまう。わたしは表情を引き締めることなく頭だけで一礼した。

「御意のままに」

 

 紫様の〈スキマ〉により我々は博麗神社へ帰還した。

 母屋に戻った直後、紫様はわたしの“式”を憑けなおす。傷と疲労が消え、身体は元の状態になった。

 いわく「わたしだけで三者の手当ては大変」とのこと。“式”を憑けなおすことは、膨大な妖力と精神力が必要だ。手練(てだ)れな四体の吸血鬼を葬り、お身体の疲労は困憊(こんぱい)なはず。にもかかわらずわたしを気にかけるとは……。

 手間をおかけした事に謝罪すると紫様は片手で制し、負傷者の手当てを指示される。こうして紫様とわたしは、二人の人間の応急手当てを始めたのだった。

 

 重傷の巫女と魔女の手当てを主と施し、床の間へ寝かせたところで柱時計の鐘が三つなった。作戦開始から六時間がたったことになる。

 ひと通り手当てが終わった現在、紫様とわたしは殺風景な居間でちゃぶ台を挟んでいた。わたしはちゃぶ台から身を乗り出し、抱えていた懸念を申し上げた。無論、人間である魔女が高位の妖怪たる吸血鬼を倒した件だ。

「――と、幻想郷の(ことわり)が覆りかねない由々しき事態にございます。紫様、いかが致しましょう?」

 主はその報告を驚くでもなく冷静なまま聞き入り、白肌の右手で黄金(こがね)色の髪を大きくかき上げる。房の二束が華麗に舞う。それがゆっくりと畳に下りたとき、紫様は小さな吐息を漏らした。

「わたしも美味しい所を持っていかれたわ」

 苦笑まじえるその言葉に、わたしはすべてを察知した。

「もしや、あの巫女が伯爵をっ!?」

 無言でうなずく紫様を目にした瞬間、戦慄(せんりつ)が襲う。あの巫女までもが吸血鬼を倒すとは予想できなかった。紫様はそのときの状況を思い返すように語りだす――。

 

 当時、紫様は手練れな四体の吸血鬼と空中戦を繰り広げていたと言う。真下の中庭を見ると、伯爵の召喚した巨大魔狼に右半身を呑まれ、苦悶する巫女を目撃する。その直後、巫女の反撃で魔狼は弾け飛び、とつぜん融解して灰燼(かいじん)と化す。紫様はその技に“陽の光”と同質のモノを感じたと述べた。

 そこから先は空中戦に集中していたため詳しく見ていなかったらしい。その直後、打撃音とともに伯爵の悲鳴が上がった。それが二回続いたと言う。

 四体の吸血鬼にとどめを刺した時、銃声が響いた。真下を見たと同時に三度目の打撃音がとどろく。その光景は、倒れながらもリボルバーを握った伯爵と、その胸部に右拳を叩き込んだ巫女の姿だった。血まみれの巫女が立ち上がると、心臓をつぶされたカーマセイン・スカーレット伯爵は溶けだし、断末魔さえ上げることなく灰になった。

 

「――わたしがそばまで近づいた途端、彼女は意識を失ったわ。それにしてもあの二人、どんな原理で“陽の光”に相当する力を発揮できたのかしらね……?」

 巫女の武勇を語り終えた紫様は、憂うように吐息を漏らす。主の憂慮する姿が目に入り、わたしはこれまでの懸念を強めた。

 このままでは幻想郷の(ことわり)が崩壊してしまう。平原で見せた紫様の陰ったお顔は、同じ懸念を抱いていたのかもしれない。妖怪と人間の立場が逆転した場合、わたし達はどこに行けばいいのだ!?

 倍増する不安に耐え切れず、わたしは口を開く。

「紫様、どうなさるおつもりですか?」

 わたしはこれまで経験したことのない脅威を味わっていた。気づけば頬に汗が伝っている。

 心中でおののいていると、主はさしたる事ではないかのようにあっさり答えた。

「どうするつもりもないわ。放っときなさい」

「……よろしいのですか?」

 いっそうちゃぶ台から身を乗り出すと、紫様は逆さに組んだ両手を高々と掲げた。大きく仰け反ったのち、気持ち良さげなうめき声を漏らす。

「――現時点であの二人だけでしょう、吸血鬼を倒した人間は。それに二人とも無傷ではないのだし、今は(・・)なんの心配もないわ」

 姿勢をただす紫様の言葉に当惑が襲う。現状の肯定ではない。未来への懸念に対してだ。主は「今は」と仰ったが、近い将来、人間が高位の妖怪を越えるということなのだろうか?

 心中に不安がよぎる。そんなとき、紫様が頬杖をつく。

「あなたは心配性ね。それなら、今後は彼女らの動向を適宜に監視なさい。それでいいわね?」

 向けられる瞳は想いを汲んだように揺れている。わたしの心情を察したようだ。

 紫様のお考えによると、今はまだ深刻な段階ではないらしい。いずれ“その時”が訪れると予測されているのだろう。この口振りだと“その時”までに何らかの対策を練る――ということか。

 紫様の望みはわたしの望み。

 ならば“その時”が来るまでに、わたしも対策を練らねばなるまい。それを含め、巫女と魔女を適宜に監視しよう。

 特に〈風呂のフタ〉は要注意だ。今夜のような暴発を繰り返さないとも限らない。幸いにも魔女の弱味(・・)はわたしの手中にある。当分のあいだは身近(・・)で監視できるので問題ない。

 この時点であらゆる懸念は氷解した。わたしはちゃぶ台から身を引き、ただした姿勢で主の眼差しに応える。

「御意のままに……」

 一礼して顔を上げると、ちゃぶ台に両腕を乗せる紫様の姿があった。その表情には、からかうような笑みが満面に広がっている。わたしが「何か?」とたずねると、吐息のような笑いを漏らす。

「いえね、あのとき藍の口から『連帯責任』の言葉が出るとは思わなかったのよ。以前のあなただったら人間に責任を負わせるはず。ところがわたしも含めた『連帯責任』を、あなたは自分で考えた。まるで誰かの罪を一緒に背負うかのように。どこかの魔法使いさんに熱烈な好意を持ったのかしら?」

 主はすべてを見抜いていた。だが動揺はない。ただ紫様自身が全うしようとする責任に納得いかなかっただけだ。それと、主の推測にひとつだけ誤りがある。

 従者が反論するなど(もっ)ての(ほか)だが、これだけはどうしても伝えなければならなかった。紫様が提唱なさる「変化を求める心」の影響か、あの魔女の挫けぬ戦意にあてられのか定かではないが、わたしの出来るささやかな反発だ。

 茶化した紫様に、わたしはかすかな苦笑で返す。

「おたわむれを……。わたくしは芳賀峰妖子に好意を持った覚えはありません。しかしながら心の底から憎んだ事もございません」

 心境と事実を述べたのち、両袖を持ち上げて一礼した。紫様はそんなわたしに「素直じゃないのね」と、笑みをこぼす。

 何でも見通す我が主のことだ。幻想郷の(ことわり)が覆るのをおそれ、魔女に爪を立てた事実も見通しておられたのだろう。広い見識を持つこのお方の従者でいられるわたしは、本当に幸せ者だ。

 心中で誇っていると、紫様はご自身の右手に頬を置く。

「さて、『連帯責任』も含めた事後処理の段取りをしましょうか」

 賢者たる風格をまとった紫様のかたわらに小さな〈スキマ〉が現われた。その中から厚めの備忘帳と鉛筆を手に取り、わたしへ差し出される。それを受け取ると同時に〈スキマ〉は閉ざされた。小さめな帳面のざらついた質感が肌に刺す。

 備忘帳をちゃぶ台に置くわたしは、これまで考えていた良案を紫様へ提案する。

「おそれながら具申いたします。連帯責任について最良の案がございます」

「楽しそうな顔ね。聞きましょう」

 

 続く。

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