東方月煌幻 ~月下の銀狐~   作:沢村亮輔

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最終話◆帰還の報酬

 白い“闇”に(おお)われるなか、かすかな雨音が聞こえてきた。段々とハッキリ耳に響いてくる。屋根を激しく打ち付けていないから土砂降りじゃあないらしい。

 わたしはその雨音に違和感を覚えた。聞きなれた雨音だが、それが問題だ。

 なんで寝室からの雨音が聞こえるんだ?

 違和感はそれだけじゃあない。寝室に置くランプキャンドルの匂いが鼻腔を刺激する。疑問の嵐が吹きすさぶ。

 わたしは命を燃やし尽くした。そう。死んだのだ。その証拠として身体に力が入らないし、怪我の痛みも感じない。視界も白い“闇”に覆われたままだ。それなのに音が聞こえるし、匂いもする。

 ……まるで訳がわからん!

 困惑と混乱が大集結するなか、わたしは気づいた。

 いま、考えている(・・・・・)……!

 死んだ人間は幽霊にでもならなければ思考を維持できないはず。そもそも三途の川を渡った覚えもないし、幽霊になった覚えもない。考えられるのはただ一つ。

 わたしは生き長らえたのだと悟った。だが、どういった理由で生き残ったのか見当もつかない。

 釈然としないものがあると、ハッキリさせたくなるのがわたしの性分だ。そのためにはここがどこなのか確かめなきゃならん。だいたい想像はつくが……。

 わたしは目を凝らす。白い“闇”は思考の覚醒とともに晴れてゆく。それでも視界はハッキリしない。脳裏のヴィジョンに満月の(きらめ)きが焼きついているからだ。太陽を真正面から直視したような焼きつけは、酷使した〈魔女の目〉の代償と言ってもいい。この分だと視覚異常は二~三週間ほど続くだろう。

 頭脳に侵蝕(しんしょく)した真円の幻が苛立ちをかきたてる。凝らしに凝らしたすえ、ようやく視界の片隅に見慣れた物が入った。

 ベッドに横たわるたび見る木目の天井。心中で「思った通りだ」とつぶやく。ここはわたしの家の寝室だ。

 視界が月の幻でおおわれたと同時に安堵のため息をつく。だが、普段から横になるベッドの質感が違う。背中のマットがいつもより柔らかい。どうやらわたしのベッドではないようだ。

 疑問の嵐が増大する。

 わたしのベッドはどこにいった? それ以前にさっきから力が入らないのはどういうわけだ?

 わたしは身体を揺すろうとするが、首から下が拘束されたように微動すらしなかった。唯一自由がきく首をもたげ、再び力の限り目を凝らす。……どうやら当たらずとも遠からず、と言ったところらしい。

 わたしの身体には見慣れた布団がかけられ、そこから両腕を出していた。右腕は包帯で簀巻(すま)き同然だし、噛み切った左人差し指も同様だ。それと左肩から右(わき)下にわたって包帯で巻かれた感覚があるし、胸の下から腹にかけて硬い何かをあてがった感触もある。完璧な手当を受けたようで、思わず嘆息してしまった。

 それにしても隅から隅まで全身包帯だらけのような感じがする。これじゃミイラじゃないか――。

 ……寝間着はなく、洗い立ての下着だけ身にまとっている、と肌の感触で今ごろ気づく。

 それはそれとして、いったいなんで助かったんだ!? 誰が手当てしてここに寝かせたんだ!? ますます訳わからん!!

 満月の幻が視界をおおい、わたしの困惑と混乱はピークに達した。そのとき、寝室の左方からドアが開く音を耳にする。ヴィジョンの焼きつきが邪魔してよく見えないが、覚えのある気配だ。

「……ようやく起きたか。作戦を破綻させておいて六十時間も眠り続けるとは大した身分だな」

 こんなイヤミ全開な口を利くやつは幻想郷でただ一者。こいつの口ぶりから察すると、二日以上は眠っていたようだ。その九尾に憤然と返す。

「これでも死にかけたんだ。少しはいたわれ。……ていうか、なんでお前がここにいる?」

 こいつが我が家にいることの疑問を口から出すも、ずいぶん寝込んだせいか掠れた声しか出ない。自分で言うのもなんだが、まるで別人のようだ。

脆弱(ぜいじゃく)な人間がなにを偉そうに」

 冷たく言い放った九尾の声を聞いたあと、ドアの閉まる音がした。衣服の擦れる音と足音が近づいてくる。

 質問は無視か……。こいつは左腕に深手を負っていたはずだが、その割には元気そうなのが腑に落ちない。まあ、いろいろ聞いて〈深読み〉してや――。

 音の接近につれ、わたしは不安を覚えた。

 ……待てよ、二日!? あれからどうなったんだ!?

 九尾が健在ということは、黒マントの吸血鬼は倒せたらしい。それ以外の情報が気になる。特に博麗の安否だ!

 動かない身体が震えだしそうな勢いで、わたしは九尾の気配に顔を向けた。

「九尾! あれからどうなった!? 博麗は無事かっ!?」

 数少ない友人の安否を問うと、足元あたりから返事がした。

()くな喚くな。お前を起こしたあと、順を追って説明してやる」

 九尾の声を聞いた直後、なにやら歯車のかみ合う音が寝室に響く。金属の重なる音と連動し、上半身が徐々に起き上がる。どうやらこのベッドは、手回し式で上体を起こすことができるらしい。当然わたしのものじゃあない。

 聞きたいことが一つ増えたと思った矢先、歯車の音にまぎれて九尾の声が聞こえてきた。

「それにしてもお前、少しは下着にも気を遣ったらどうだ? どれもこれも質素すぎる。同年代の女たちならもっと(あで)やかな物を持っているはずだぞ」

 今の言葉で誰が手当てを施したのか理解した。頬が瞬時に熱を帯びる。

 よりにもよってこいつに裸体を見られるなんて……!

「うるさい! よけいなお世話だ!!」

 

 雨音が不規則なリズムでハーモニーを奏でつづける。隣室の洋間から正午を告げる時計の鐘が耳にとどく。視界は満月の幻にさえぎられ、頼りなのは耳と鼻と周りの気配を感じることだけだ。

 上半身を起こされたわたしは、椅子に座ったであろうかたわらの九尾から事の顛末を聞いた。

 ――首謀者であるカーマセイン・スカーレット伯爵は、深手を負った博麗に心臓ごと右拳でぶち抜かれ敗北。断末魔を上げることなく融解し、灰となって消滅した。

 わたしは〈波紋〉を使ったのだと確信する。太陽と同じ力を拳にのせて殴ったんだから、伯爵はたまったもんじゃなかったろう。

 わたしは話の続きに耳を傾ける。

 主な戦力は壊滅。伯爵の娘を含めた特に害とならない者達は、八雲紫の判断で生存を許された。後日、幻想郷の代表である八雲紫と、家督を継いだその娘との間で会談の予定。秘密裏かつ平和的に事を運ぶらしい。

 八雲紫の見え隠れする魂胆も気になるが、深手を負った博麗の方が気がかりだ。

「それで博麗はどうなった!?」

 掠れ気味の声をしぼり出すわたしに、九尾は落ち着いた声で制す。

「あんずるな。重傷だが一命は取り留めた。お前と同じく回復に相当の時間を要するだろうがな」

 博麗が無事と聞いて安堵の吐息をつく。五体満足なら大きく肩で息を吐いただろう。

 九尾によると博麗は昨日目覚めたようだ。わたしの容態が気になるらしく、八雲紫へ様子をたずねていたという。その博麗から言伝(ことづて)を頼まれた、と九尾は述べた。

「『治ったら殴りに来い』――だそうだ」

 いかにもな言葉にあいつの心意を悟った。わたしは約束を破ったも同然なのに、あいつは微塵も気にしていないのだ。そればかりか約束を果たすつもりでいる。純粋な博麗らしい言葉に熱い想いが込みあがってきた。

 そんなわたしを無視するかのように、九尾は淡々と話す。

「紫様からお言葉を預かっている。『作戦を破綻させた罰として、妖怪退治屋の職務は無期限休止』――との仰せだ。当然だな。むしろ軽すぎる処罰だ」

 九尾の嘲笑(あざわら)う声に、込みあがった想いが()えた。先走って暴発したんだから文句は言えない。見返りを求めちゃいないが、ひとつだけ腑に落ちない点がある。わたしは憤然と不満を漏らす。

「フリーの魔法使いのわたしに『職務休止』だと? なんの権限があっ――」

「所有権だ」

 さえぎるような九尾の言葉に耳を疑う。なんのことだかわからず思考をめぐらす。そんなわたしに構わず、九尾は言葉をつむぐ。

「お前には紫様の能力が施されている。能力の支配下に置かれた以上、お前は紫様の所有物だ」

 そう宣告され、わたしは思い出す。

 こいつとカストミラとの話し合いの際、今と同じセリフを吐いていた。作戦前に賢者から言葉の〈境界〉をいじられた件のようだ。わたしは掠れた声で答えた。

「なら返す。異国語を話す必要性はないからな」

 冷たく突っぱねたとたん、嘲笑(ちょうしょう)が耳中に響く。

「それは紫様がすでに解除された。……まだわからんか?」

 あざける口ぶりが(かん)にさわる。共闘したときとは偉い違いだ。……てことは、別の〈境界〉をいじったのか?

 わたしは九尾の声がする方向に眼光を放つ。

「わたしの何か(・・)をいじったな?」

「紫様は、怪我の痛みと首以外の身動きの〈境界〉を操作された。肋骨が三本折れていたし、袈裟懸(けさが)けの打撲もひどかったからな。右腕も手当てを施さなければ今ごろ手遅れな状態だ。激痛で暴れたら治るものも治らん。紫様の御慈悲に感謝しろ」

 九尾の言葉に絶句するしかなかった。激痛を感じないのも、首から下の自由が利かないのも八雲紫の仕業だとわかったからだ。それと同時に疑問が広がる。

 わたしは作戦を破綻させた。それを胡散臭(うさんくさ)い賢者がかんたんに許すはずがない。この件をダシにしてタダ働きさせる気か? それとも何か厄介ごとを押し付けるかもしれない。胡散臭い魂胆のにおいがプンプンする。

 あらゆる可能性が〈深読み〉によって思い浮かぶ。考えれば考えるほどイヤな予感がし、背筋に悪寒を覚える。

 ほどなくわたしは賢者に対する猜疑(さいぎ)をやめた。

 ……まあ、あれこれ考えても仕方がない。先走ったわたしが悪いんだし、ここは素直に処罰を受けよう。過ちを認めないと筋が通らない。

 わたしは「わかった。従おう」と真顔で答えた。その直後、九尾の嘆息が耳に入る。きっとわたしが処罰を受け入れたことに驚いたんだろう。

 会話は途切れ、雨音だけが寝室に響き続ける。周囲に重い空気がただよう。……このような気まずい雰囲気は苦手なので、話をすり替えることにした。

「わたしのベッドはどこへやった? あれじゃないと落ち着いて眠れやしない」

「紫様とわたしが住む八雲邸に一時保管しているが、六十時間も眠っておいてよく言う」

 冷たく答えた九尾にわたしは返す言葉を失う。もっともな嫌味で返され、砂利飯を噛んだような苦々しい気分だ。

 

 百を数える時間が過ぎたころ、重い空気に耐えかねてか、九尾は声を発す。

「二つほど聞きたいことがある」

 わたしは辛うじて当惑を押し込んだ。

 共闘して以来、こいつが質問してくるなんて珍しいことは続くもんだな。

 重い空気は嫌いだし、断る理由もないので黙ってうなずく。

「どのような方法で『陽の光』に相当する『命の炎』を引き出した?」

 九尾の問いに、わたしはうつむいたまま沈黙する。

 研究中の魔法理論の応用で命を引きだしたモノだが、自慢して答える気になれなかった。なぜなら、〈自然魔力変換理論〉の脅威に気づいてしまったからだ。

 たしかにわたしは命を燃やし、零式重撃魔砲の術式に直結させて吸血鬼を(ほうむ)った。これは命そのものが武器になることを意味する。

 この理論を悪用されたら、あらゆる命が魔力に変わってしまう。わたしの研究の成果で数多くの命が“消耗品”になるなんて、そんなのはごめんだ!!

 そんなつもりで研究し続けたわけじゃないし、それこそ巫女様の教えを破ることになる。これでも人並みの倫理観はあるし、そんな真似をするほど馬鹿じゃあない。

 幸いにも研究書類は封印魔法を施したブリーフケースにしまって隠してあるし、書斎兼研究室も施錠済みだ。たとえ〈スキマ〉で侵入したとしても、そう簡単には見つからないだろう。……たぶん。

 とにかく研究は中止。身体の自由が戻ったら関連資料は残らず焼き捨てよう。知識も墓の下まで持っていく。それが巫女様の教えに背いたわたしの贖罪(しょくざい)だ。

 ……とはいえ、作戦を破綻させた責任は重い。九尾の問いに答える義務があるとわかってはいるが……。

 思い悩むなか、以前博麗が口にした言葉を思いだす。

 ――「大いなる力には大いなる責任が伴う」

 その重みのある言葉がわたしの背中を押した。

 未完成とはいえ〈自然魔力変換理論〉を使った以上、果たさなくてはならない責任がある。このまま黙っていたら、いつかきっと後悔する事態が起きるだろう。

 わたしは意を決し、九尾が発した声の方向にうつむいた顔を向けた。

 

 わたしはすべてを話した。

 研究中の〈自然魔力変換理論〉。博麗が体得した〈波紋〉をヒントに、自分の命を燃やすというひらめき。魔導服に施した術式へ魔法理論を書き加えたこと。命を燃やし尽くした時の気持ち。完成した魔法理論の危険性。研究の中止と関連資料を破棄する決意。……研究し続けてきたわたしの処遇を賢者に一任する想い。

 苦悩な思いで告白したわたしに、これまで聞いていた九尾は小さなため息をつく。その吐息には脅威も恐怖も感じられず、むしろこちらの気持ちを察したように聞こえた。踏み込んだ質問をしてこないのは、こいつなりの配慮なのかもしれない。

 沈んだ空気に耐えられず、わたしは「もうひとつは?」とたずねる。衣服を擦る音と、椅子の引く音が同時に聞こえた。姿勢をただしたのだろう。

「樫の木――ドングリの木で作られた箸の件だ。お前のメッセージのお陰でクロードを倒すことができた。樫の木は〈生命の樹〉の観念をもたらしたとされる。白木の杭に相当すると言ってもいい。いつそれに気が付いた?」

 その時の光景がよみがえったのか、九尾は息を弾ませて問いかけた。語尾になるほど気持ちの(たか)ぶりが伝わってくる。こいつが息を弾ませるなんて珍しい。むしろ初めてだ。想像以上に壮絶な戦いだったのだろう。

 興奮が再燃する九尾に、わたしは率直な気持ちを口にした。

「いや、まったく知らん」

「なにっ!?」

 素っ頓狂な声を上げる九尾に、わたしは無言でうなずく。

 ドングリの木にそんな逸話があったなんて初めて知った。

 唯一動かせられる首をかしげると、九尾の放つ怒気が肌に刺す。

「……では、何を根拠に弱点だと?」

 研磨(けんま)したての刃物のような視線を感じる。両袖を合わせたいつもの姿勢で睨みつける様子が目に浮かぶ。それに構わず、あの時ひらめいた妙案を明かした。

「幼いころ、今は亡き先代の巫女様から命の繋がりを教わったんだ。そのとき、ドングリの実でたとえて話していてな。それを思い出した」

 九尾が「『根拠はなんだ?』と聞いている」と低い声で凄む。わたしは話を続けた。

「命の繋がりを誰よりも知っていた巫女様だ。ドングリの木にも陽の光に相当する力がある、となんとなく(・・・・・)そう思った。それに当代の巫女である博麗いわく『生命エネルギーは太陽と同等』。さっきの話を聞いていなかったのか?」

 ありのまま説明し終えると、九尾から発す怒気の熱が増した。この気配は何度も覚えがある。激怒する前兆だ。まともな視覚だったら、両袖あわす姿勢で全身を小刻みに震わせるこいつが見えたに違いない。

 凄む九尾が低い声を上げる。

「……よもや、そのような妄想を根拠だと言うわけではあるまいな?」

 脅すような威圧感に全身が総毛だつ。

 理屈抜きのひらめきだったんだ。こいつが怒るのも無理はない。

 憤る九尾へ、掠れ気味の声でいたって真面目にかえす。

「妄想なんかじゃあない。亡き巫女様の思し召(おぼしめ)しだろう。結果として吸血鬼を倒せたんだから気にするな」

 怒気の熱がますます強くなる。わたしなりの(なだ)めの言葉は逆効果だったらしい。このあと「大馬鹿者!!」と怒鳴るかと思ったが、予想は外れた。

 九尾は深いため息をつくと、怒気の熱さが消える。その直後、勢いよく衣服のすれる音が聞こえた。一緒に椅子が揺れる音もしたので、どうやら立ち上がったようだ。その九尾の声を右側やや上から耳にする。

「根拠に基づく方法と思ったのだが、漠然(ばくぜん)とした思いこみに踊らされていたとはな。それなりの知識があると思ったが、とんだ見込み違いだ。これまでの話は紫様へは伏せておく。このような絵空事など報告する価値はない」

 語気からすると、こいつは怒りを通り越して呆れ果てたらしい。以前だったらわたしを見下してあざ笑い、賢者に事細かく報告すると言うはずだ。ひょっとして、人間に対する偏見を改めたのかもしれない。口ぶりもこれまでのような高慢さがないように思える。

 そのとき、博麗の説得の言葉が脳裏をよぎった。

 ――「今夜だけでも藍を信じてみないか?」

 あの晩、わたしは決戦の直前まで九尾を信じ抜けなかった。その結果、招いたのが作戦の破綻。こいつの言ったとおり、無期限の職務休止じゃ軽すぎるくらいだ。そんなわたしをこいつは放心から立ち直らせ、最後まで信じてくれた。

 今こそ下らないわだかまりを捨てるときじゃあないのか? これまでの険悪な関係を、今ならやり直せるかもしれない。

 そんな考えをしていると、立ち上がった九尾が言い放つ。

(かゆ)を作ってくる。そのあいだ大人しく待っていろ」

 衣擦れと足音が左方に遠のく。九尾の見方が変わったわたしは思わず声を張り上げた。

「お前がここにいる理由はわたしの警護のためなんだろう!?」

 叫んだ直後、足音が止まる。衣服のすれる音がしないので、振り返ることなく歩みを止めたのだろう。

「……なぜそう思う?」

 九尾の当惑する声を耳にした。突拍子もないことを口にしたんだ。驚いて当然だろう。

 確証はある。今までの会話の節々に、こいつと賢者の意図が読み取れた。

 わたしは掠れ気味の声で返す。

「お前たちの態度でだいたい察しがつく。何から何まで至れり尽くせりだ。その施しが引っかかる。特にわたしの――」

 

 特にわたしの看護や、「職務休止」という名の長期休暇を与えるのは不自然だ。いくら吸血鬼を倒したとはいえ、ここまで高待遇するか、普通?

 わたしは重症の身。八雲紫に言われるまでもなく、仕事どころか日常生活すらままならない。こんな状態を、名を上げたい妖怪どもは黙ってはいないだろう。わたしを快く思わない人喰い妖怪は特にな。

 そもそも身動き取れないのに、なぜわざわざ「職務休止」を告げる必要がある? わたしが重傷の身であると、幻想郷中に情報を流しているとしか考えられない。たぶん博麗の情報も広がっているだろう。

 隠すどころか大っぴらにする理由を考えた結果、その答えがひらめいた。わたしと博麗の命を狙う悪党どもへの警告以外にない。

 博麗には八雲紫が、わたしには九尾がつきっきりで面倒を見ている。四六時中大妖怪がにらみを利かすんだ。これほど強力な――。

 

「――これほど強力な“結界”はない。それがわたし達への報酬。違うか?」

 そのように〈深読み〉の結果を述べると、九尾は呆れ気味に答えた。

「妄想も考え方も、捉えかたは自由だ」

 言い終えると再び足音を鳴らす。遠のく足音に、わたしは「待て」と制止を促した。足音がやむ。しばしの沈黙が続き、雨音だけが寝室に響いていた。

 気持ちの整理をつけ、わたしは九尾に対する今の心情を話し出す。

「……あのとき、お前が心を開いてくれなかったら、あのような逆転劇はあり得なかったはずだ。それに比べてわたしは(かたく)なになりすぎていた。だが、お前の本質が見えたとき、自分の心のせまさを知ったんだ。わたしを何度も助けたのは、お前の意思で決めたことなんだろう?」

 興奮したのか、語気が若干あらくなったので一息つく。雨音が響くなか、わたしは話を続ける。

「……初めてわたしに会ったあの夜の事を覚えているか? あのときも決戦のような満月だった――」

 

 当時のわたしは、初歩の魔法を身に付けたばかりの駆け出しにも満たない小娘だった。

 ある日、両親を人喰い妖怪に殺された幼い兄妹と出会う。同情したわたしは、必ずその人喰い妖怪を退治すると約束。義憤に駆られながらその妖怪を探し回った。

 兄妹の仇を探し当てたのは、それから三日後の深夜。満月の光は妖怪の力を増大させる。逆に追い込まれたわたしを救ったのが九尾だった。いや、救ったのは結果的であり、九尾は賢者の命令で不穏分子を始末したに過ぎない。それも、あの兄妹との約束を奪われる形で……。

 約束を果たせなくなったわたしは猛然と抗議したが、九尾は黙ったまま。なおも食って掛かると「うるさい……!」と睨まれた。その後、九尾が口にした言葉は今でもハッキリ覚えている。

「大馬鹿者が。仇討ちなどとご大層な約束は、相応の実力をつけてからにしろ」

 そう吐きすてると、闇にまぎれて姿を消した。九つの尾が月光を反射させる後ろ姿は、まさしく「白面金毛九尾の狐(はくめんこんもうきゅうびのきつね)」。その背中は今でもわたしの記憶の中にある。

 夜明け後、非情な現実がわたしを待っていた。ありのまま報告した結果、幼い妹の悲痛な言葉が心に突き刺さる。

 「ウソつきっ!!」――と。

 

「――お前の冷たい言葉には、『現実を見なければ酷な報いを受ける』という意味も含んでいたんだな?」

 わたしが語る思い出話を九尾は黙って聞いているようだ。物音はないが気配がある。こいつも、あのときの光景を思い浮かべているんだろうか? 奇妙な思いに駆られながらも、わたしは話を続けた。

「お前は人間を見下しちゃいない。八雲紫と同様に幻想郷やその住民を愛し、見守ってきたんだ。冷淡な言葉もきつい態度も愛情のあらわれであり、だからわたしを助けた……」

 そこから先の言葉に声を詰まらせ、たまらず(うつむ)く。正直言って本音を出したくない。不安と焦りと恥ずかしさがない交ぜになり、頬も火照ってきた。だが、このままだと気持ちがスッキリしない。

 シャキッとしろ、わたし! 二言三言しゃべるだけじゃない! ……よし。

 勇気をふるい、わたしは勢いよく顔を上げた。

「作戦を破綻させてしまって……悪かった。お前が言ったとおり、わたしの私情のせいだ。それにお前のことを誤解していたし……。だから、その……すまなかった」

 謝罪の言葉を述べ、唯一自由がきく頭を下げる。こいつに誠心誠意でわびたのはこれが初めてだ。

 頭を下げるわたしの耳に雨音が響く。九尾は物音立てずにいた。たぶん背中を向けたまま聞いているのだろう。

 どうにか謝罪することができ、頭を上げる。だが、最大の難関が残っていた。戦いの場で助けられ、怪我の手当てを受けたからには感謝の念を伝えなければならない。それに警護されている以上、なおさらだ。でないと人間の道理から外れてしまう。

 こんな雰囲気は苦手だが、九尾に感謝の言葉を送るのは今しかない。

 そう決意し、大きく息を吸い込む。

「……何度も助けられたのに、まともな礼をしていなかった……な」

 言葉の先が続かない。照れくささと恥ずかしさが邪魔をする。さながら片想いの相手に告白するような気分だ。それらの感情を振り払うように、大きく頭をふるう。

「お前のお陰で助かった……ような……もんだ。……いや、その、アレだ。……ありがとう。……藍」

 語尾になるにつれ顔のほてりが増す。はたからは茹でダコに似た顔をしているのだろう。こんな顔を見られたくないので、右方へそっぽを向く。

 ようやく謝礼を告げたわたしだったが、心中は穏やかではなかった。つい最近までいがみ合っていたこいつに、こっぱずかしいセリフを言ったんだから当然だ。

 後悔と恥ずかしさがせめぎあう。そんななか、沈黙し続けてきた式神が深いため息を漏らす。何か言いたげな感じがしたので、わたしはそっぽを向きつつ、聴覚に意識をそそいだ。

「お前の口からそのような言葉が出ようとは――」

 衣擦れの音が聞こえる。肩越しで振り返ったようだ。言葉の続きが待ち遠しいような聞きたくないような。

「――めでたいほどに大馬鹿者だな」

 今なんて言った!?

 あざける九尾の声に、わたしの頭の中から不快な音が鳴った。思わず声の方向に振り向く。状況を飲み込めないでいると、九尾の足音がこちらに近づいて来た。

「わたしが人間風情に心を開くと思うか? 一つ良いことを教えてやろう」

 顔前にこいつの息遣いを感じる。密着させるほど顔を寄せたようだ。

「“その気”にならなければ相手はだませない」

 息遣いが遠のいた瞬間、わたしはハメられたと直感した。放心から立ち直らせたのも背中を預けて共闘したのも、すべて“心を開いた気”になったものだったのだ。もしかしたら、こいつは自分の心さえも(あざむ)いていたのかもしれない。

 わたしの頭脳に崩れる音が響く。

 こいつの信頼に満ちた瞳の輝き。あらゆる疑問が消え去ったあの笑顔。時間稼ぎの虚偽による交渉を決意した表情。それらの光景が、割れるガラスのように壊れてゆく。さっきまでの呵責(かしゃく)していた気持ちも同様だ。

 九尾の最悪な面立ちが頭脳に広がった瞬間、わたしの感情は爆ぜた。

「帰ってくれ! ってか出てけっ!!」

 なにもかも芝居だってのか!? 冗談じゃない!! 九尾に対する見方を改めたのに、これじゃあ無意味じゃないか!!

 ……そもそも狐は人間を()かす者。こいつを信じたわたしがバカだった。

 自分を卑下(ひげ)していると、九尾の嘲笑が耳に入る。

「そうはいかん。果たすべきことを果たしてもらおう」

「人の話を聞いてないのか!? さっさと出てけっ!!」

 怒鳴ったとたん、額に尖った何かが触れた。かすかな痛みと温もりを感じることから、指先の爪をあてられたらしい。「黙って話を聞け」という意味のようだ。

「賭け勝負を忘れたか? スコアはわたしが百二十八でお前が百八。お前の勝利条件は百十四なので、わたしの勝ちだ。負けたからといって、よもや賭けを反故(ほご)にするつもりではあるまいな?」

 あてられた爪に力がこもる。肌を刺す威圧感に冷や汗が頬へ伝う。

 こいつ、いい事を思い出させてくれるじゃないか。だがわたしは五体満足とは程遠い状態だ。幸か不幸かご期待に応えようがない。

「身動きできないのに何を果たせってんだ!」

「わたしの世話を受けろ」

「なっ!?」

 予想外な言葉を耳にし声が詰まる。九尾の考えがまるで読めないわたしは、陸の上の魚のように口を開閉させることしかできなかった。

 なに考えてんだ、こいつは!? ふつう、見下す相手に世話を焼くか!? まったく理解できん!

 絶句するわたしの表情を読んだのか、九尾は追い打ちの言葉を投げてきた。

「わたしは『負ければ逆の立場になり、また恥をかくだけだ』と言ったはずだ。ならば恥をかけ。賭けに負けた以上、お前には命令に従う義務がある。理解できたか?」

 理解するも何も、わたしに拒否権はないということだ。つまり、食事も包帯の交換も用足しも、全部こいつがやるってのか!? どれだけ“いい性格”してるんだ、こいつは!?

 ……自分から賭け勝負を持ち込んだとはいえ、こんな結果になるなんて。人生最大の不運だ……。

 うな垂れて沈黙していると、九尾の足音が遠のいてゆく。消沈するわたしを目にし、観念したと捉えたのだろう。

 ふいに賭けの勝者の歩みが止まった。

「調理場の水瓶(みずがめ)に溜めた水、博麗神社の霊力水だな。いつから口にしている?」

 九尾の問いに力なく返す。

「子供のころから……。先代の巫女様から勧められて飲んでいる。飲みたいんなら好きに飲め……」

 九尾にハメられた挙句、屈辱の介護を受ける日々が続く。悪態をつく気力がなくなってもおかしくはない。

 滅入るわたしに、九尾が訳のわからない事をのたまったのはその時だった。

「ひとくち飲んで納得した。二代目の巫女に感謝するんだな」

 二代目とは先代の巫女様のことだ。思わぬ人物の名を耳にし、「えっ?」としか言葉が出ない。

 困惑する頭脳をなんとか静めようとするわたしの耳に、九尾の衣擦れ音が届く。身体をこちらに向けたようだ。

「お前が息を吹き返した理由だ。あの水は霊力を回復させるだけではない。体感した限り、霊魂と肉体を繋ぎとめる効果がある。それを長年に渡って飲んできたのなら、悪霊なみのしぶとさを持って当然だ」

 九尾の口からでた驚愕な事実を知った瞬間、全身に衝撃が走った。普段から飲んでいる霊力水に、そのような効果があるなんて知らなかったからだ。

 今までわたしは、魔法の森にただよう瘴気(しょうき)の耐性を高めるため飲み続けてきた。もし巫女様が、わたしの身に万が一の事を考えていたとしたら? いや、わたしだけじゃあない。あらゆる可能性を信じていた巫女様のことだ。幻想郷に住むすべての者達を想い、霊力水の作り方を残されたのかもしれない。

 そう考えた直後、満月の幻が焼きつくわたしの脳裏に、おぼろげな巫女様の姿を視た。焼きついた満月が邪魔して表情はよくわからない。だが笑窪(えくぼ)を作っている。その瞬間、巫女様の姿は消え、満月の幻だけが脳裏に残った。

 ……幻でもいい。あの人の笑顔が見れたのだから……。

 わたしは巫女様が失望していなかったのだと悟った。

 ……巫女様。妖子はまだ生きていていいのですね……?

 生き残ったことへの真実に感情は抑えられず、顔の震えも止まらない。湧き上がる感情とともに、とめどなくあふれ出す涙が頬をぬらす。気が付けば嗚咽(おえつ)を上げていた。なんとか堪えるも、しゃっくりを繰り返すような引きつり声が漏れる有様だ。

「おい」

 九尾の声を聞いた瞬間、顔面に衝撃が走る。そんなに強くはないが、とても柔らかい布のようだった。だが、今のわたしはそれを確認するほど冷静ではない。

 ムカつく九尾を前にして、ただただ号泣を我慢するしかなかった。そのムカつく式神が言葉を発す。

「止血処置に使ったハンカチの弁斉品だ。人間風情に借りを作ったままではわたしのプライドが許さないからな。粥を作っている間、それで顔でも拭いておけ」

 突っぱねるセリフを残し、九尾は寝室から出てゆく。式神の足音と気配が遠のき、やがて消えた。

 一人残った寝室に、午後の雨音がこだまする。今まで堪えてきた忍耐は遂に崩れ、わたしは号泣してしまう。泣き喚く声が寝室に響き、雨音をかき消していた。

 

 隣室の時計が午後一時の鐘を鳴らす。雨はやむことなく屋根を打ち付けている。そのころには、わたしの気持ちは落ち着きを取り戻していた。まだ鼻が詰まっているが……。

 冷静な思考が戻ったわたしは、九尾の取ったこれまでの言動を〈深読み〉し、ある結論に達した。

 あいつは、今までと変わらない関係を望んでいる――のかもしれない。

 妖尊人卑を地で行くあいつのことだ。人間と親睦を持とうとしないことは、誰よりもわたしがよく知っている。――賢者を除いて。

 共闘した時の気持ちは本心だったのだろう。だが戦いは終わり、結束する理由がなくなった。だから“心を開いた気でいた”と言い張ったんだ。

 事の真相を追求する気はない。もし追求したら、また辛辣(しんらつ)なイヤミと嘲笑で返すに決まっている。あいつが険悪な関係を続けたいのならそれでもいい。

 反目しあって意見をぶつける相手がいてもいいじゃないか。いつの日か、このロクでもない出来事を笑い話として語る時代がおとずれる。その時代(とき)を待つのも悪くはない。

 そのように納得させ、わたしは深いため息をついた。そしてこれからについて思考をめぐらせる。

 戦いが終わったとはいえ、やることは一杯だ。まず怪我の療養。今の状態じゃあ復帰どころか何もできやしない。

 全快したら博麗との約束を果たさないとな。……先走って迷惑をかけてしまったからには、わたしも殴られないと割に合わない。これはけじめだ、わたしなりの。

 それと賢者への謝罪。作戦をご破産させたんだ。頭を下げないと筋が通らない。

 ……吸血鬼を倒した方法については、聞かれたら答えよう。報告を伏せてくれる九尾との義理もあるしな。

 あと、わたしをハメた九尾に礼をせにゃならん! 今にみてろ! いつかきっと油揚げを買い占めてやる!!

 ひと通り今後の段取りを決め、わたしは俯いた。別に落胆したわけじゃあない。九尾が投げつけた弁済品を確かめるためだ。

 満月の幻が邪魔なので思いっきり目を凝らす。すると腹部付近に、止血処置を施したのと同じタイプのハンカチが視界に入った。拳一つ分の大きさの白いハンカチはきれいに折り畳まれ、木綿特有の質感を放っている。

 どこにでも売ってあるただのハンカチだ。人間を見下すあいつがわざわざ人里で買ってきたんだろうか? だとしたら妖怪のプライドを守るのも楽じゃあないらしい。

 このありがたい贈り物を前にして、わたしは小さな吐息を漏らす。

「……身動き取れないのに、どう使えってんだ」

 ぼやいた直後、視界は満月の幻で覆われ、雨音が耳中に響く。

 わたしの不運の日々は、まだまだ続きそうだ。

 

 完。




・博麗の巫女の言葉の元ネタ。
スパイダーマン
ピーター・パーカー/ベン・パーカー
「大いなる力には大いなる責任が伴う」

――スペシャルサンクス――
添削・構成アドバイス
カイ.アルザードSSTM様
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