「
――えっ?
九尾の絶叫直後、わたしは幾重もの立体化した魔法陣に包まれた右腕を振り下ろすように前へ出す。肘を左手で支え、引き金となる魔法名を言い放つ。
「重撃魔砲〈バスター・カノン〉」
考えなおす
白銀に輝く
〈魔砲〉が収束したころには、名もなき平原は本来の夜に戻っていた。
「さっき……なんて言った……?」
〈魔砲〉を放った姿勢のまま、わたしはうめくように声を絞り出す。九尾の言ったことが確かなら、とんでもない過ちをしでかした事になる。
冷や汗が頬を伝う。大混乱におちいる妖怪どもを尻目にし、強張った顔を恐る恐る左へと向ける。そこには、もはや身を隠す意味がないと悟った九尾が立っていた。鬼の形相を作っていることから、わたしが愚行を犯した事は間違いない。
「……『あれは紫様の妖気だ』と言ったのだが、もう遅い」
怒気がにじむ九尾の言葉を耳にした瞬間、両腕の力が抜け、重力任せにだらりと下ろす。
あの殺気まじりの妖気が八雲紫のモノだと……? あんな妖気を持つ妖怪は吸血鬼以外にいないと思ったのは間違いだったのか? 博麗が口にした「賢者の逆上」はこのことだったんだ! じゃあ、八雲紫がその気になっていれば、わたしなんかいつでも殺せたのか!?
本気になった賢者の妖気だったと知らされ、再び膝が震えだし、立っていられないほどの恐怖に呑まれる。
胸元であわせた両袖を小刻みに震わせ、九尾が鋭い眼光を放つ。その瞳は、灼熱化された鉄を思わせるほどに揺らめき、怒りの度合いがうかがい知れる。
「この大馬鹿者が……。おかしな真似はするなと言ったはずだ。どう始末をつけるか説明しろ!」
憤怒に駆られながら詰め寄る九尾の剣幕におされ、思わずたじろぐ。そのとき、わたしの頭の中に疑問が浮かんだ。
賢者の妖気だとなぜ先に教えなかったんだ? あの強烈極まりない妖気が発生した時点で八雲紫だと言ってくれれば、こんな真似はしなかったのに……!
責任転嫁ともいえる怒りが込みあがり、矛先を九尾に向ける。
「始めからわかってたんなら先に言え! あれが八雲紫のモノだと知ってたら先走らなかったさ!」
両脇をしめ、肘から下を広げて怒鳴った。
はたから見れば自己中心的に思われても否定できない。その自分勝手な感情だけが、自責の念に押し潰されそうなわたしの精神を支えているからだ。そんな態度を見かねたのか、九尾はつかみかかる勢いで顔前に迫る。
「お前が『あの妖気は賢者』だと認識すると思ったまでだ! わたしの目が節穴だったのは認めるが、それを差し引いてもお前が重大な愚行を犯した事に変わりはない!」
頭上の枝葉からこぼれる月光がこいつの表情を浮き彫りにさせた。詰める
頭脳に
やにわに九尾の責め言葉が耳に入る。
「お前の重撃魔砲で二百二十八体のうち、四十六体が減った。その数を減したのであって殺したわけではない。この意味がわかるか? いかにわたしであろうと二百体以上ではトレースしきれん。お前の私情のせいで何もかも台無しだ!」
こいつの言うことはもっともだ。どさくさにまぎれて逃げた者はまだいい。統率者の指示で拠点へ伝令に出た者や、同じく少数で人里を襲う者もいるかもしれない。
こんなはずじゃなかった。
「こうなった以上、もはや挟撃は望めないだろう。伯爵に我々の作戦が露見した場合、紫様らに対して全力をもって排除しようとするはずだ。紫様ならば切り抜けられるが、博麗の巫女はその限りではない。巫女が殺されても文句を言う権利はないと知れ!!」
九尾の怒声を耳にした瞬間、わたしは事の重大さを理解した。立て続けに責めているが、耳に入る状態じゃないほど後悔の嵐が吹きすさんでいる。
わたしのせいであいつが死ぬ……? わたしは博麗を助けたい一心で頭がいっぱいになって……。
九尾の言ったことを信じなかったばっかりに、あいつを死なせてしまうかもしれない。いや、最悪の場合、吸血鬼化されて頭目の
八雲紫は? 九尾は? みんなは? わたしのせいでみんな殺される? 幻想郷が壊れる?
〈深読み〉が地獄の未来を描き続けて頭から離れない。思考が
息苦しさのあまり過剰なまで呼吸が荒くなり、同時に意識も薄れてゆく。冷や汗がにじむ身体は先走ってしまったことと、博麗と九尾を信じることができなかった後悔と、自分に対する怒りにわなわなと震え、どうすることもできない。もはや制御不能な〈深読み〉とおさまり様もない過呼吸に耐えらなくなり、わたしの頭の中は真っ白になりかける。
その寸前、左頬に強い衝撃を受け、わたしは我に返った。気付けば正面を向いていたはずの顔が右向きになっており、左頬には腫れるような痛みが広がっている。飲み込めぬ状況のまま顔を正面に戻すと、右手を払った九尾の姿があった。
「戻れたか?」
そう口にする表情は、普段の見下すものではなかった。焦燥していたのか額に汗が浮かび、頬を上気させている。そして何よりも瞳に高慢さがない。両袖を胸元へ合わせて元の姿勢に戻るも、肩で大きく息を切っている。
それを見たわたしは、ようやく九尾に引っ叩かれたのだと悟った。こいつのお陰で正気に戻れたが、思考はまだ冷静さを戻せないでいる。ぶたれた頬をさすり、返す言葉を探すがなかなか見つからない。無言で口を開閉させることしかできないわたしは、まるで陸の上の魚みたいだ。
「舌をなくしたか? いつもの皮肉はどうした?」
冷めた口調とは裏腹に、九尾の瞳はよどみなく澄んでいる。初めて見るその眼差しに、わたしは押し黙るしかなかった。なぜなら、博麗と同様の純粋な瞳をしていたのだから。
こいつは主である八雲紫に疑うことなく従っているが、逆に考えれば「疑問を抱く必要がないほど信じている」といえる。
……同じじゃないか。わたしを信じてくれる博麗とまったく一緒じゃないか! こいつとあいつの共通点は、良くも悪くも純粋さだったんだ!!
心中で驚愕していると、九尾の顔がみるみると険しくなる。その表情は、裏切られた怒りを表しているように見えた。
「そんなふ抜けた顔をわたしに見せるな! 神経を逆なでる無愛想な顔を見せてみろ! 反骨心あふれる根性はどうした!? 悪態をつく口まで失ったか!? わたしの知っている、自分の本質を貫き通す“魔女”はどこへ行った!?」
憤怒の形相で詰め寄る九尾に、わたしは思わず後ずさる。今までとはまったく違う感情をぶつけるこいつの気迫に圧されたからだ。真剣な眼差しで口にする叱責は
「わたしの本質……?」
放心して以来、初めて口にした言葉は九尾とわたし自身への問いかけだった。九尾の澄んだ瞳には、信じなければいけないことを信じ抜けず、すっかり自信を失ったわたしが映っている。わたしのつぶやきに九尾が声を荒げた。
「お前は今まで何を信じて戦ってきた!? あの巫女のように、悪行者から弱者を守る正義ではなかったのか!? 悪必滅の三文字こそ、お前が持つ本質ではないか!!」
両袖を合わせ、顔前に迫る九尾の言葉を聞いたわたしは、再び声を失う。それまで見失っていた本質を、嫌っている式神から指摘されたからだ。九尾の澄んだ瞳を直視できず、うつむいて逸らすしかなかった。
かつて心に刻んだ悪必滅という三文字が頭の中を駆けめぐる。わたしが魔法使いを目指すきっかけの言葉であり、妖怪退治屋としての信念だ。
悪事を働く妖怪は、人間や立場の弱い妖怪に害をなしてきた。それが命を奪う行為だと、殺された者はさぞかし無念だったろう。そして残された者の悲哀と憎悪による苦痛は、無間の底のように計り知れない。その気持ちは痛いほどわかる。
悲しみや憎しみの連鎖を断つためには、理不尽な悪行を必ず滅ぼすしかない。それが弱者を守る正義であることを、わたしは忘れていた。
博麗のことを優先しすぎて自失し、それを九尾に指摘されるとは……。なんとも皮肉な話だ。……こいつは今までわたしをこんな風に思っていたのか?
あまりにも衝撃的な言葉に困惑していると、九尾の大きなため息が耳に入る。
「もういい。お前は帰れ」
顔を上げると、敵勢へと
「……帰れ?」
聞き返す声に歩みを止めると、九尾は肩越しに振り向く。失望とも諦観とも取れるその表情は、こいつの心情そのものなのだろう。
「今までお前を〈風呂のフタ〉と
わたしから視線を外して正面に向きなおり、九つの尻尾を揺らしながら歩んでゆく。その後姿と、脳裏に浮かんだ博麗の背中が重なりわたしは確信した。彼女らの本質が同一なのだと。それと同時に九尾がわたしに対するもう一方の見方もわかった。
わたしが〈風呂のフタ〉だと……? つまり「必要なんだか不要なんだかよくわからんモノ」らしい。
そう考えた瞬間、頭に血が上る。
あいつ、わたしの本質を認める一方で、粗大ゴミみたいに思っていたのか!?
……あいつの懲らしめ方なら知っている。幻想郷から好物の油揚げをなくせばいいだけだ。それを実行するには、まず九尾が生きていないと成り立たない。こうなったら無理にでも手助けし、いつかきっと幻想郷中の油揚げを買い占めてやる!!
ここに至って、わたしは通常の思考に戻っていると気づく。
九尾のやつがそれを見越して発破をかけたとしたら? なるほど、長年に渡って賢者へ仕えてきたあいつらしいやり方だ。八雲の姓は伊達じゃない、って訳か……。
考え抜いて納得すると帽子を目深に被りなおし、それに魔力を注ぐ。これでこの帽子はちょっとやそっとで外れることはない。なんせ魔法使いのトレードマークだからな。
それに続いて両の頬を何度もたたき、気持ちを切り替える。
博麗と九尾を信じ切れなかったことへの
わたしの目標はふたつに定まった。そのためなら人間を見下す九尾と組んでも構わない。
あらためて嫌いなやつと組む覚悟を決めると、足早に歩を進めた。足を踏み込むたび濃緑にそまる草地から擦った音がなる。九尾との距離が縮むにつれて音の拍子は早くなってゆく。それは、置いて行かれまいとする焦燥の表れかもしれない。
ほどなくして九尾に追いつくと、ジロリとした目線を向けられた。その目線を
「お前が残りを全滅できるとは思えん。だから手を貸してやる。お互い半分の割り当てなら、なんとかなるかもしれないからな」
憎まれ口を叩きつつ、正面の大岩に集まる群勢を見やる。まだ混乱しているが、防御隊列から攻撃隊列に組み直しているらしい。
逆に考えると、わたしの重撃魔砲によって敵を引き付けたことになる。まあ、結果論だが……。
敵勢の動向を読んでいると、同じ方向に視線を投げる九尾が小さく吐息した。
「意地を張るな。お前に残り百八十二体中、九十一体もの妖怪を倒せるとは思えん。賭けてもいい」
聞き捨てならないセリフを聞き、わたしの頭脳に不快な音が鳴った。
満月の光を浴びた妖怪相手に、人間では太刀打ちできないことなど誰でも知っている。妖怪退治屋のわたしがそれをわかってないとでも思っているのか、この九尾は!?
「言ってくれるな。わたしが勝ったらなんでも言う事をきくか?」
賭けの交渉をしている内に、いつしかお互い歩みを止める。
敵との距離はおよそ四十メートル。敵勢の中から、やたらと肩幅がある背の高い男と、身の丈こえる巨大な十字架を片手で担ぐ女が前に出た。天高くのぼる満月の明かりのお陰か、こちらに十字架で差し示す女の姿がよく見える。どうやらあいつが統率者らしい。
やつらがわたしの研究を邪魔した伯爵の部下か?
二体の西洋妖怪に敵意の眼光を飛ばしていると、九尾の声が耳に入る。
「先ほどの四十六体を含めた百十四体。それを倒せたらお前の勝ちと認めよう。負ければ逆の立場になり、また恥をかくだけだ」
左を見ると、九尾が
賭けが始まる前に勝ち誇った顔を見せるからには、よっぽど自信があるか、わたしを舐めきっているかのどちらかだろう。……いや、妖尊人卑を地で行くこいつのことだ。両方に違いない。
定めた目標が一つ増えた。
「賭けは成立だな。さて九尾、何か策があるんだろ? 極力従ってやるから教えてくれ」
前面の敵勢力を片付ける方法についてたずねると、「ないな」と即答してきた。
賢者の従者が「策はない」ってどういう冗談だ!?
思わず「ああ?」と聞き返すわたしに、こいつは苦々しげな面立ちを向ける。
「どこかの魔法使いが先走ったせいで何もかも台無しになってしまった。代替え案があるなら是非ともお聞きしたいものだ」
……それを言われると言葉に詰まる。
極めて
その元凶である伯爵一味を放っておくと、幻想郷は地獄と化すことは明白。それなら悪必滅らしいことをしよう。
わたしは九尾に単純明快な代替え案を推奨する。
「ここにいる敵を掃除し、幻想郷に住む者達を守る。四の五の考えるよりもこの方が手っ取り早いだろ?」
「いかにもお前らしい具体性に欠ける策だな」
わざとらしく大きく肩をすくませる仕草は、無策っぷりに呆れ果てた証なのだろう。わたしは賢者じゃないし軍師でもないので、期待するだけ野暮ってもんだ。
それにしても「具体性に欠ける」と、よく言えるな。自分がわたしの書斎で話したことは棚上げか?
両肘を抱え、正面を見据えたわたしは、今の気持ちを口数少なく答える。
「お前に言われたくないな」
顔をしかめる九尾の様子が視界の隅に入る。きっと自覚があるんだろう。それでもこいつと組まなきゃ話は始まらない。
わたしと九尾の双肩には、幻想郷に住む者達の命と未来がかかっている。手段を選ぶ必要はない。今でもこいつのことは嫌いだが、能力だけは認めている。今は個別の能力である〈深読み〉と〈計算〉が頼りだ。
先走って重撃魔砲による宣戦布告をした以上、もう後には退けない。幸いにも敵はまだ混乱を
「おい。攻撃魔法を行使するが、いいか?」
こいつに追加攻撃の確認を行うのは、私情を捨てて段取りつけるべきだと思い知ったからだ。わたしの確認に九尾が同意を示すようにうなずく。
「わたしは吸血鬼の妖波を解析する。そのあいだ、お前は時間を稼げ」
偉そうに言っているが、こいつも同じ
解析に専念するため
こいつは今、わたしを信じて全身全霊で解析にあたっている。博麗の言う通り、今夜だけでも信じよう。
夜空に浮かぶ真円を描く
心の内を悟らせないよう感情が表れない仮面で隠し、敵の行動予測の思考と現状を把握する思考とに分ける。たかぶる気持ちを内に秘め、臨戦態勢は整った。
さあ、ゴミ掃除をしようじゃないか!!
続く。
・重撃魔砲〈バスター・カノン〉の元ネタ:恋符「マスタースパーク」