「君は私に何もきかないんだね〜」
食事を終えた後、園子は台所の彼──千晴に言った。
彼は洗いものをしたまま、声だけを園子に向けた。
「聞いて欲しいのか?」
「普通は聞くものだと思うな〜」
「そうか」
「だって君は私を家に置いてご飯を作ってくれるけど……邪魔じゃない?」
「そうでもない」
「ほんとに〜変なの〜」
「そうか」
「そうかって……千晴くんはそればっかりだねぇ」
「……そうか」
ぶー、と唇を尖らせた園子。
「にしても千晴くんって言うのは長いねぇ」
「そうだろうか?」
「うーーん、ん、ぴっかーんと閃いた! ちーくん! 今度からちーくんって呼ぶね〜」
「ちーくん」
「君のこと〜。千晴くん、でちーくんだよ〜」
「なるほど」
ちーくん、と千晴が繰り返した。
「気に入らなかった〜?」
「いや、構わない。だが少し驚いた」
彼が手を拭くと机に寝そべるようにする園子に目を向ける。
不思議な女の子だっだ。
いつもの買い物の帰り道で倒れていた変な服を着た女の子。
意識がぼんやりしているようでただうわ言のように「拾ってください」とだけ言った。
見たことのない顔だった。もちろん自分に面倒を見る義理なんかなかったけど、気づけば背負って家に連れ帰って介抱してやってしまった。
まあ、後でただ寝ていただけだとわかった時は頭を抱えたのだが。
あの時この子を連れて帰ってしまったのは、何故だろう。
「乃木は」
気づけば言葉が滑り出た。
「何故あそこにいた」
「なんで、かー」
園子がんー、と指を口に当てて考え込むように天井を見上げた。
「……家に、帰りたくなかったから、かな」
「家に」
「ちょっと色々あったんだよ〜。だから、今は帰りたくなくて」
ふっと、一瞬園子の表情に陰がさした。
何かが心に居座っていて、普段は上手に隠しているのに、ついそれが覗いてしまった、そんな表情。
「……なら好きにしたらいい」
「え?」
「俺は君にはこれ以上何もきかない」
そう続けて。
「だから、いたいだけ、いろ。俺は気にしない」
「……いいの?」
「好きにとれ」
「……ふふっ、君がそんなに話したのはじめてだ〜」
「……そうだろうか」
「実はそうなんだよ〜」
ふむ、と彼は唸り頬をかく。それを見て、ほにゃ、と園子が頬を緩めた。
「ありがとう、ちーくん」
柔らかい笑顔。千晴の鉄面皮は未だ変わらなかったが、彼は小さく頷いた。
「俺の部屋には入るな」
園子が彼の家に居候することとなってからしたたった一つの約束がそれだった。
「他の部屋はなんでも好きにしてもいい」
でも、俺の部屋は駄目だ、と彼は言う。
「なんで〜?」
「……理由はない」
園子は深くは聞かなかった。彼女は居候であったし、家主を困らせるのは本意ではないのだ。
でも、まあダメと言われれば気になるのが人情。
むむむ、と園子が思考を巡らせて、目を光らせた。
「! ぴっかーんと閃いた!」
「閃かなくていい」
「あれでしょ〜、男の人が布団の下に置いてるって言う〜」
「そういうのは置いてない」
「じゃあ何を置いてるの〜?」
「……お前が知る必要はない」
「えー」
「えーじゃない」
「ぶー」
「ぶーでもない」
「けち〜」
「俺はけちじゃない」
「冨岡義勇〜」
「冨……?」
「古い漫画に出てくるキャラだよ〜」
「……そうか」
いまだ勇者服のままダラダラする園子のまえに、どでんと荷物が置かれた。
いくつもの紙袋と、少し古びた丈夫そうな手提げ。
「……これは?」
「本。そしてノートパソコン」
園子が言われてから紙袋を覗き込めば、何やら日焼けした本が中に覗いていた。
どこから持ってきたのかを聞けば「蔵から持ってきた」と返された。そう言えば居間に来るすがら物置のようなものが見えていた気がした。
おそらくあそこから持ってきたのだろう。
ならば、横の手提げはノートパソコンが入っていることは想像に難くなかった。
「なんで、これ私に?」
「しばらくいるんだろう」
「えっと……」
「冬休みとはいえ俺もずっとお前についているわけにはいかない」
「あっ、だから暇な時間はこれで暇つぶししろってこと〜?」
「ああ」
紙袋から本を取り軽くパラリとページをめくってみる。少し日焼けしてはいるが、なるほど、読む分に問題はなさそうだ。
「パソコンも好きに使え。ネットには繋いである」
「致せり尽くせりって感じ〜」
「嫌か?」
「ううん、嬉しいよ〜、ありがとう〜」
「そうか」
「私実は本を読んだり〜、物語を書いたりするのが大好きなのです」
「そうか」
「君は好き〜?」
「……嫌いじゃない」
「じゃあお揃いだね〜」
「……ああ」
園子がにっこりと笑い、千晴は無表情に、無感動にさえ見える様子で、頬をかき、視線を園子の今の服に滑らせた。
彼はじっと和服のような勇者装束を見つめ、何事かを考え始める。
「……どうかした?」
「いや」
彼が、ほんの少し躊躇うように目を瞬かせる。
「……乃木」
「なーに〜?」
「その服、脱げるか?」
「えっ」
「?」
園子が鳩が豆鉄砲を食らったようになった。
そして、少し照れたようにもじもじと長い髪をいじいじ。
「い、ちおう、脱げるとは思うんよ」
「そうか」
「うん……」
「ーーー」
ちらっと、園子が千晴を上目遣いで伺った。
そしてインナー部分に軽く指を入れて少し引っ張る。ぴっちりとした布がたわみ、園子の病的なまでに白すぎる肌を覗かせる。
「えっと……ま、まさか脱げってこと〜?」
「ああ」
「そうだよね、まさか本当にええええええっ?!」
ぱくぱくと園子が口を金魚のようにし、声ならぬ声を上げたのも束の間、彼はさっさと部屋を出ていってしまう。
そして彼は、残された園子が「え? え? ちょ、え?」と戸惑う中、今度は大きめな紙袋を持って帰ってくる。
「着ろ」
千晴が紙袋を園子の方へと差し出した。
戸惑いつつも園子がおずおずとその手を伸ばすと、大きさの割にはずいぶん頼りない軽さが伝わってくる。
園子が眉根を寄せ、袋の中に手を突っ込み、中のものを取り出す。
「これ、服〜?」
出てきたのは白いシンプルなワンピース。
随所には控えめにフリルがあしらわれており、今のように大赦で崇められる前にはこのようなものを好んで着ていた……気がする。
けれどこれをどうしろというのだろうか?
園子がこてん、と首を傾げると、彼はぶっきらぼうに口を開いた。
「脱げるのなら着れるはずだ」
「……あっ、着替え〜?」
「ああ」
「お前の服は少し目立つ。だから買ってきた」
「買ってきたって……君が?」
「ああ」
「ふうん……」
園子が千晴と服との間で視線を何度も行き来させる。
「…………何だ」
「いや〜、こんなかわいいのを君が買ってきたって考えると〜、少し胸がほわわーんとしたんだよ〜」
「ほわわーん」
「ほわわーん〜」
園子のイメージの中で女物の服に囲まれて黙りこくっている千晴の姿が出てきて、何だかおかしくなってしまう。
「ふふ」
「何故笑う」
「ふふ〜、君って〜、こういう服が好きなんだ〜って思って〜」
「……いらんなら返しにいくぞ」
「あっ、いるよ〜いるいる〜!」
「……そうか」
「うん、いる。すごく着てみたいんだよ〜、でもね……」
ちら、と今の自分を見下す。
園子は本来は立ち上がれず片目も見えない。けれど、勇者システムの補助によりかろうじて人としての機能を保っている。
それは本来はリボンのように外装として彼女を支える物なのだが、システムの今回のアップデートは失った手足の機能を擬似的に再現している……らしい。
なので、服を脱いでも歩けなくなる、ということはないはずだ。たぶん。大赦の神官がそんなことを言っていた気がする。
けれど。
「私なんかが、着ていいのかな」
もう自分は『
大赦から逃げ出し、役目を放り出し、目の前の見ず知らずの男の子に甘えている。
そんな自分が、普通の女の子のようにしてもいいのだろうか。
自分は与えられるだけだ。きっとこの男の子に何かを返せることはない。
まだ大赦は園子を見つけてはいないようだが、きっと必死に探しているだろう。
いずれここが見つかるのも時間のうちで、そうなれば園子は彼のもとを去らなければならない。
そんな自分が、いいのだろうか。
「俺は」
すっと、響くような低音が耳朶を打った。
「俺は、お前が着るために買った」
千晴の表情は変わらない。けれど、彼は静かに、一言一言、丁寧に言葉を紡いでいく。
「それは、きっと、お前に似合うと、思ったから」
声のトーンなどほとんど変わらない。でも、園子には千晴の言葉にこもった熱が、何故か感じ取れる。
「お前は、お前の好きなようにすればいいと思う、乃木」
「……好きな、ように」
「ああ」
「……いいのかな」
「ああ」
園子が俯く。長い金色の髪がまるですだれのように園子の顔を覆い隠した。それは今の園子のどこか神秘的な服装も相まって、天岩戸に隠れた天照を想像させる。
彼が、きゅっと口を結んで、頬をかいた。
「……俺は夕飯の準備をする。本も、パソコンも……服も、好きにしろ」
彼が部屋から去る。
残されたのは、園子一人。
長い金髪の奥でーーー頬を薄桃色に染める、園子だけ。
「ど、どうしよう〜、私、すごくちょろいかもしれないんよ〜」
園子の心臓はもう止まっている。今生きているのは勇者システムのおかげ。
その止まった心臓が、胸が跳ねている気がする。どきどき、ばくばく。
こんな、こんな、優しくされてしまっただけで、自分の心が動き始めたのを感じる。
「う、うう〜」
園子が服を抱いてごろごろと転がる。
恋は理屈じゃないと、昔読んだ何かで言っていた。まさか、それを自分で体感することになるとは。
「ずるいよ〜〜」
じたばた、ごろごろと園子が子どもっぽく、服に顔を埋めた。
その時、同じころ、台所で千晴が一冊の本を取り出し、開く。
それはまるで何度も、何度も手にとられたかのように本に癖が付いていて、自然ととあるページを彼に示した。
「人でなしの恋、この世の
彼は、静かにとある一説を読み上げ、窓の向こうの空を見上げる。
そして、夕暮れに差し掛かり、雲を溶かすような暁に目を細める。
「……乃木園子、か」
悪戯に吹いた風がめくったページに、そっと栞を挟むように、人でなしの恋が、始まる音がした。