「れーな、おーい、大丈夫かー」
セイバーに投げ捨てられた幼馴染の少女を白い牡牛の上に乗せ……てはとても危険なので仕方がないが石畳の上に横たえ、トシキはその頬を叩く
『あら、ゼウスさまが背に乗せても良いと』
「ランサー。ゼウスの背に女の子を乗せるなんて危険だ」
折角の提案だが、トシキは首を横に降る
『あらあらそうなの?』
「…………ランサー
貴女がそれを聞いてしまうのか?」
『ゼウスさま、ゼウスさま?
何か問題があるのかしら』
自身の乗った牡牛の首を撫でながら、金の少女はそう問うが……
「ゼウスの背に乗せられて拐われた女の子当人でしょう!?」
目を見開くトシキ
『あら、確かにそう言われるとその通りね
でも、ゼウスさまは優しくて、とっても愛らしくて、すごく枕にちょうどいいのよ』
「……すみません。ですが、現代の人はそれを受け入れられるような精神の持ちようをしている人ばかりではな……
あ痛ぁっ!?」
突然の脇腹の鋭い痛みに、トシキは悲鳴をあげて言葉を中断する
白い牡牛が、その立派な角をトシキの脇腹に擦り付けていた
「ほ、本神の、前で……言うことでは、なかった、か……がくり」
同時、角から走る電流に痺れ、足を縺れさせて倒れこむ
小瓶を割らないように気を付けて、黎南にも被さらないようにして
神妃エウロペ。白い牡牛に化けたゼウスによって拐われゼウスの妻となったという神話の女性。その神話通り牡牛の姿で顕現したらしいゼウス神は、なかなかに狂暴であった
「……この、瓶は」
『あらあら?どう使うか迷っているの、マスターさん?』
「いや。違う
たとえこれがどんなに凄いものでも、飲めば根源に近付ける、まともに扱えない魔術刻印を掌握して魔術師として一人前のステージに上がれるようなものだとしても
俺は、それよりもれーなと明日の朝日を見たいよ。魔術師としては、最低な話だけど、さ」
先祖代々、何百年かというか恐らくは千年を越えて受け継がれてきた
(その4人目になりかねない。いや、実は父がその4人目で、自分は5人目か?)
というところまで考えて、トシキは考えを切る。それよりも、眼前で目を覚まさない50℃越えの熱を出している幼馴染の方が重要だと思い直して
(でもなぁ……)
痺れから立ち直り、目を瞑る幼馴染の前に正座して、トシキは悩む
この薬を飲ませれば良いのは分かる。そこが問題なのだ。何よりも問題なのだ
気を失っている相手に、液体を口に突っ込むだけで良いのだろうか。人工呼吸では首を持ち上げて気道を確保とかあったはずだが、液体ではどうだったろう
それをやろうとすると、やることは飲ませる前に膝枕である。とてつもなく恥ずかしい
或いは、飲ませるならばやはり必要なのは口移しだろうか。つまりはキスである。ヤバい
『あらあら、まあまあ』
そんなトシキを、神妃は優しく眺め
『童貞が』
雷神たる牡牛は天からからかいの声を降らせる。背に乗せているのは三人くらい自分の子を産んだ妻、非童貞たる者の余裕という奴である
「DTだよ、子沢山の神様」
『ま、六割方勝手に我の子にされているのだがな』
「……散々この子はゼウスの子と適当吹かれたろうに四割本物なのか、逆に」
流石神話有数のヤリチン、とトシキは逆に感心した
「ヘラクレスは?」
『まあ、ヘラクレス!ゼウスさまの息子なのだからわたくしの子みたいな子だと見ていたわ!』
「エジプト王のエパポスは?」
『我が子だ』
「トロイア戦争の原因になったヘレネーは?」
『当然我が娘よ』
「……もう良いです」
幾らゼウスのゼウスした話を聞いても進まない
結局、トシキには黎南の唇に触れるなんて大それたことは出来ず
「悪い、ランサー。代わりに頼む」
『……む?』
「エウロペの方だろそこは!?」
自分もランサーの一部だからランサーとばかりに歩み寄ろうとした牡牛を制して、トシキは小瓶を少女サーヴァントへと手渡す
黄金の王は投げ渡したが、流石に落とすのが怖い。特に、相手は緩い雰囲気なのだから
『あら、良いの?』
「……俺に、れーなの唇を奪う勇気なんてありませんよ。嫌われたら終わりですから」
根源接続者。それに嫌われるというのがどう言うことか、何となく分かっている
本人に自覚はないだろう。無いはずだが……。家出して迷子になったあの日以降、高生の家系は、黎南の両親は確かに歪んだのだ。仲直りを見た黎南の、二度と大好きな両親が喧嘩する姿なんて見たくないという、強い願いによって。あれから、どんなに意見が合わなくても、喧嘩せずにはいられないような事があろうとも。あの両親は有り得ないほどに寛容に互いを受け入れるように変わってしまった。ずっと大切にしていた宝物を捨てられようが、何だろうが怒鳴り一つなく相手を許す。昔の彼等なら有り得ないだろう
だから、あの日。無自覚ながら確かに根源に繋がる少女の願いは、二人の人間から相手に対して怒るという概念を消失させてしまったのだ。万が一嫌われて強い拒絶を受けた場合、天国トシキという人間は、以降確実に高生黎南という少女を未来永劫関わらない存在として軽く距離を置いて完全無視するようになってしまうのだろう。今、トシキの胸にある想いも、何もかもを無視して
『あら?そんなことないと思うわよマスターさん』
「……そうかもしれません
でも、俺。やり直しが絶対に効かない事に対しては、割とヘタレなんですよ
やり直せるなら、幾らでもやるんですけどね」
だからこそ、トシキは毎回新造する。天国の鍛冶師としても、新造のみ。修繕は受け付けない
修繕はやり直せない。うっかりでも何でも更に壊してしまったら、同じ新品を作り直したとして、それは思い出の無い同じ形なだけの別物だ。例えば長年使って傷だらけの思い出の包丁の修繕を依頼して、同じ造りの傷一つ無い新品が返ってきても無意味だろう。失敗したとしてもう一度作り直せば良い新造とは違う
まあ、父親が失踪後、受け継ぐのが未成年しか居ない為、天国鍛冶はある程度半完成品が貯まっている極一部のお得意様以外の注文受付を終了してしまったのだが
『まあ、マスターさんが言うなら、おばあちゃまにお任せなさいな』
言って、少女は牛を降りる
当たり前のようにドレスが軽く汚れるのは気にせず冷たい石畳に膝を折る。そのまま当然のように膝枕
目を開けぬ少女の頭を、良い子良い子と軽く撫でて、そのまま小瓶を空け、口に含ませた
「……それで良かったのか」
謎の悩みが馬鹿馬鹿しくなって、トシキは息を吐く
『わからないわよ?
でも、マスターさんが愉快に顔を赤くしてたのだから、きっとそれが必要なら飲ませるまであの王さまが見下ろしていたと思うの』
「た、確かに」
『はい。だから、きっと大丈夫』
数分後。ゆっくりと金髪巫女なトシキの幼馴染は、その色素の薄い目を開けた
「れーな、体調は大丈夫か?」
「……トシキ、く
って誰この人!?ボクどうしてこんなきれーな人に覗き込まれてるの!?」
「そこからか!いや当然そっからだわな!?」
前途は、まだまだ多難であった