ドラゴンクエストⅦ ダーマの戦士   作:砂鴉

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第1話:独り旅

 ダーマ神殿は人々が職を授かる唯一の場所だ。

 『職』とは日々を生きるための、日銭を稼ぐための仕事のことではない。ダーマで言う『職』は、人々の生き方を定め、生まれ持った素質にほんの僅か刺激を与え、それまで持ちえなかった力を得る場所だ。

 と、『職』について難しいことを考える人は少ないだろう。

 要はそれまでなかった『職』に着けば、『職』ごとの刺激に従って恩恵を受けられる。魔法や特技を習得することができる。一般的な認識は、まさしくそれだった。

 

 世界では、世界を切り取り闇に包み、支配をもくろむ強大な魔王の存在がまことしやかに噂されている。実際に魔王の手先によって脅かされ、闇の封印に囚われたことのある地域も少なからず存在した。

 

 そんな事情もあって、近年のダーマ神殿は世界中の冒険者が足しげく通う場所へと様変わりした。

 嘗ては、『神』なる存在と共に魔王へと立ち向かった名だたる英雄たちの力となるべく。そして今は己を守り、己の居場所を守ろうとする幾多の冒険者や戦士たちの修行の起点として、ダーマは繁栄を続けてきた。

 

 かくいうザジもその一人で、以前は姉の病を治すために癒しの魔法を得るために『僧侶』に、そして今回は直接的な力で姉を守り、かつその武勇で実りのいい仕事に就けるよう『戦士』の職を志したのだ。

 

 しかし、その望みは最悪な形で裏切られた。

 

 予想はできたことだ。

 世界を切り取り封ずる邪悪な魔王の存在。それを示唆するように、世界中あらゆる地域で活動する魔物たちや、それを束ねる魔軍の将たち。魔に支配されたことのある、あるいは支配される一歩手前まで浸食された地域。

 それに対抗するべき力の源であるダーマが、魔軍に目をつけられていないはずなどなかったのだ。

 

 ザジがダーマ神殿を訪れたとき、そこはすでに職を授かる神聖な場所ではなくなっていた。魔物の悪意に満ちた罠が張られた、蜘蛛の巣だったのだ。

 

 転職の儀を偽装した魔物の儀式により、訪れた人々は魔法と特技を奪われ、世捨て人となった人の溜まり場、『吹き溜まりの町』に墜とされたのだ。

 それからの日々は、無力感に苛まれ続ける日々だった。

 転機をもたらした三人の旅人がいなければ、ダーマの未来は亡きに等しかっただろう。

 

 

 

「……これが、【戦士】の職の恩恵って訳か」

 

 ダーマ神殿の北、海岸沿いに続くなだらかな道をあえて避け、ザジは神殿の背後を覆う山の中を一人歩いていた。

 ダーマで買ったばかりの鉄の鎧に包まれた自身の身体は、同年代の女性に近い細い体格だ。もちろん魔物との戦いなどを経てそれなりに鍛えてはいるものの、屈強な戦士と比べるべくもない。顔立ちも中性的で、細い体格と相まって少女のようと言われたことも何度かある。

 そして、実際にザジはそれほど体力に恵まれてもいない。以前だったら、この程度の山道でさえ音を上げていただろう。それを可能にしたのは、【戦士】の職への変転だった。

 

 戦いの専門家。誰よりも持ちえた体力と力強さで戦いの場に切り込む前衛職。その職に就くということは、必然的に以前よりも体力を得るということだ。以前の職が後衛向きである『僧侶』だっただけに、実感は人一倍あると感じた。

 

 岩肌剥き出しの山道を登り続ける傍ら、ふとザジは視線を北に向けた。半年前、ダーマに向かって姉と共に歩いた海岸沿いの道には、幾人もの旅人の姿が見受けられた。ダーマ復活の噂を聞き、各地から職を授かろうと人々が集まりつつあるのだ。また、魔物に騙されて足踏みを余儀なくされた囚われの人々も、多くがそれぞれの帰る場所を目指してダーマを離れる。

 復活したダーマの交流がそこにはあった。

 

『なぁおい、ダーマが魔物に占拠されてたって本当か?』

『ああ、なにせ俺も騙されて力奪われてたんだ』

 

 そんな、旅人たちの声が聞こえてくる気がする。

 

「こっちを選んで、よかったな」

 

 ザジがあえて厳しい山道を選んだのは、そうした旅人との交流を避けたかったからだ。

 ザジはあまり人付き合いのうまい方ではない。吹き溜まりの町にいた頃は特にそうだ。ネリスを想って苦言を吐き、言い寄る短足騎士(カシム)に反発し、姉に欲望を抱くならず者どもを侮蔑した。そして、弱肉強食がまかり通る吹き溜まりの町をどうにか生き延びるため、周りの誰もを敵視してきた。

 人を疑い、敵意を向けることが、精神にも体にも染みついているのだ。ダーマに向かう旅人に、都合のいい愛想を振りまく自信などない。

 そもそも、する気もない。

 

 ――けど、そんなことも言ってられないんだろうな。

 

 そんなザジの認識を改めさせたのは、ダーマ復活の契機となった三人の旅人だった。

 

 人を信じなければ、自分を信じてもらうことなどできない。自ら行動して、信を得ようと真摯に動かなければ、誰も協力などしてくれない。

 ザジに、吹き溜まりの町でくすぶった誰もに、訴えかけることであった。

 

 ザジにしてみれば、それは姉――ネリスに対してだ。ネリスだっていつまでも病弱という訳ではない。いつまでも誰かの手を借りて生きることに甘んじる人ではない。それを真っ先に理解できるはずだったのは、他ならぬ弟のザジだ。

 ザジがネリスを理解できなかったのは、結局、ザジもネリスを信用していなかったから。ネリスはいつまでも自分の助けがいると、思い込んでいたからだ。

 

 いつまでも旅人の行き来を眺めていても仕方ないと、ザジは荷物を背負いなおす。真新しい鉄の鎧と鋼の剣が鉄音を鳴らし、山中にザジの存在を知らせた。

 

 ジャリ。

 

 鎧の擦れる音とは違う、乾いた砂音がザジの鼓膜に届く。

 視線を向けると、そこに魔物の姿があった。

 

 青い毛に覆われ、その上からオレンジのローブを纏った猫の獣人。緑色のゼリー状の生物――スライムに騎乗した騎士が二匹。ネズミと蜂を掛け合わせたような小さな羽虫も二匹。

 

 ――信じてもらうために、自分から動く、か。

 

 魔物たちはこの山中から海岸沿いを行く旅人を狙い、息を潜めていたのだろう。そこへちょうどザジが通りがかったという訳だ。こいつらを見過ごせば、あの旅人たちは不意を突かれ、下手をすれば死人が出ていたかもしれない。

 獲物を狩る出鼻を挫かれた魔物たちは不服気に、しかし新しい獲物に舌なめずりするようにゆっくりと戦闘態勢に移行する。

 

「ジャガーメイジにスライムナイト。それからフェアリーラットか」

 

 数は合計で五匹。ザジ一人で相手するには少々多すぎる。鋼の剣の柄に添えた右手なんか、不安と恐怖で早くも震え始めていた。

 そもそも、ザジは一人で魔物に相対した経験がほとんどない。成り行きとはいえ、今までは誰かと一緒に相対していたのだ。姉を守るんだという固い決意もなくなった今、ザジを戦いの場に駆り立てる意思はほとんどないと言っていい。

 恥も外聞もなく、悲鳴を上げながら逃げてしまいたい。そんな気持ちもあった。

 

 

 

 けれど、自分を変えると誓った。たった一人ででも、新たな生き方を見出すと誓った。なら、こんな見慣れた魔物ごときに臆してられないんだ。

 

 ザジは旅の荷物を入れた袋をその場に落とし、腰に佩いた鋼の剣を引き抜いた。それなりに鍛えられた筋力があれば片手でも扱える重さのそれを両手で構え、傾き始めた陽光をギラリと反射させる。

 

 こいよ。

 挑発の笑みを顔に張り付け、魔物たちを煽るように睨む。それが、戦いの始まりを告げる合図だ。

 

 フェアリーラットが宙を滑るように駆ける。蜂と鼠を掛け合わせた魔物の尻の針には、即効性の麻酔毒があった。短時間だが、刺されれば昏睡状態に陥らされてしまう。

 だが、この地域の魔物の特徴は、半年以上も吹き溜まりの町に閉じ込められていたザジが把握していないはずがない。

 

 ザジは鋼の剣に添えた左手を外し、握りこぶしを作ると腰辺りまで引いて、一気に突き出した。その瞬間、魔物の群れの中心に小さな閃光が走り、次いで空気のはじけ飛ぶ爆発がいくつも巻き起こる。それはザジに向かってきたフェアリーラットたちのみならず、追撃を狙っていたスライムナイト、援護のために呪文を唱えようとしたジャガーメイジにも痛打をもたらした。

 

 【イオ】だ。

 下位の攻撃呪文の中では難度の高い爆発呪文。ザジはこれを――生来の素質があったのか――独力で習得し、得意としてきた。

 

 【イオ】による奇襲で突出したフェアリーラットの攻勢は勢いを減じる。その隙を逃すまいとザジは鋼の剣を腰だめに構えながら駆け、落下してくるフェアリーラットに振り抜いた。

 

「よし!」

 

 一匹を仕留めたことでザジの心に余裕ができる。さらに魔物の群れは先発があっさり打たれたことで少なからず動揺している。この機を逃さずザジはさらに踏み込み、返す刃で騎乗される緑色のスライムに刃をふるった。

 足場を崩され、騎乗する騎士は慌てながらもザジに向かって剣を振るう。だが、不安定になったスライムの上で振るわれる剣など、少しも怖くない。眼前にかざした鋼の剣の腹で受け、軽く身を引いてさらに体勢を崩してやると、身をひるがえして遠心力を利用し、一気に騎士の胴を横薙ぎにする。

 

「いける!」

 

 ザジの精神が高ぶる。

 1対5という圧倒的不利な状況から始まった戦いだが、現状はザジに大きく傾いていた。これなら勝てる。高揚した気分を崩さず、あとは戦意の強さに任せて短期決着を目指せばいい。

 

 次なる相手に向けて向きを変えたザジに、もう一匹のスライムナイトが切りかかる。剣と剣が激しくぶつかり、激しい金属音と火花を弾かせた。

 

 ――押し、切れる!

 

 剣越しに伝わってくるスライムナイトの圧力から、ザジはそう判断する。【戦士】の職が与えてくれた頑健さが、頼りなかったザジの力を後押ししてくれる。スライムナイトとの鍔迫り合いを制し、振りかぶった鋼の剣を、大上段から振り下ろす。

 

 しかし、騎士を縦一文字に切り裂く固い感触が、まるでない。

 ザジは目の前の騎士に驚愕の視線を送る。確かに剣で真っ二つに切り裂いたはずだ。しかし、まるで霞でも切ったかのように、その手には何の手ごたえもない。周りを見やると、紫色の霧がザジの視界を覆い、世界を陽炎のように揺らがせていた。

 

幻惑呪文(マヌーサ)……?」

 

 対象に幻を見せ、攻撃を外させる呪文。自分がその術中に嵌ってると判断した瞬間、ザジは背筋が凍るような寒気を感じる。【マヌーサ】で惑わされるのは視覚だ。聴覚や嗅覚といったその他の感覚は健在。そのうちの一つ、聴覚が地面を跳ねるやわらかい音を脳に押し上げた。

 ザジは感覚だけで鋼の剣を頭上に掲げた。右手を柄に、左手を剣の腹に添え、ぐっと砂利の大地を踏みしめる。一瞬のち、岩を叩きつけられるような衝撃がザジの全身にのしかかった。

 

「ぐっ……ぁ」

 

 奥歯をかみしめながら、ザジは朧げな視界の中で着地する緑色のスライムを見た。

 スライムナイトの【ジャンプ斬り】だ。よく跳ねる軟泥状の身体を活かし、宙に跳ね上げた騎士が重力と体重を乗せて斬りかかってくる。隙の大きい技だが、一見弱そうなスライムという種の中では遥かに危険な攻撃だ。

 ザジは自分の失敗を悟る。【イオ】での牽制ののちに、真っ先に仕留めるべきはジャガーメイジだった。呪文での援護を行える魔物は真っ先に斃すべき。それが戦闘の定石であるはずなのに。こちらに対する一撃の脅威が大きいスライムナイトを優先してしまった。

 

「くそ……うぁ」

 

 さらに足に鋭い痛みが走る。マヌーサの霧が晴れてきた視界にあったのは、嫌味たらしく笑うフェアリーラットだ。生き残っていたもう一匹が、悪あがきに尻の針で刺したのだ。

 急速に麻酔が全身を回り、身体から力が抜ける。がらんと鋼の剣が手から零れ落ち、ザジは膝をついた。

 

 視界に、剣を持ち上げながらゆっくりと向かってくるスライムナイトの姿があった。スライムの目と甲冑の奥にある騎士の目。二対の瞳が獲物をしとめる愉悦で歪んでいた。

 

 ――僕は、死ぬのか。

 

 不思議と、あっさりそれを受け入れられた。

 姉に拒絶され、居場所を無くした独り身にはお似合いの末路だ。

 心配はない。ネリスにはカシムという心強い騎士(ナイト)様がいる。姉の気持ちに気づけなかった僕とは違う、本当に彼女を気遣い、立ち上がらせてくれる想い人が。

 ふと、海岸線の道に目をやる。さっきまでそこに居た旅人たちの姿はない。こちらに気づかず、それぞれの旅に向かったのだろう。こいつらが追い付き危害を加えることもないだろう。

 

 ああ、居場所も何もかも無くした僕だけれど、多少、ほんのわずかくらいは、誰かの役に立ったんじゃないかな。

 

 一欠片ほどの満足感を噛み締めて、ザジは今度こそ目を閉じる。

 

 

 

「かみつけ!」

 

 聞き覚えのある声が、猛々しい雄たけびにかき消されていく。

 目を開くと、剣を振り上げたスライムナイトが、その上半身ごと半透明な白狼に食いちぎられていた。

 突然の戦況の変化に目を見開くジャガーメイジの眉間に、数発の火弾が直撃した。

 

「おう、ザジ! 無事か! あっぶなかったなぁ」

「あーだらしない。かっこつけて出てって早々に魔物にボコボコにされてるなんて。さぁ褒めなさい、助けてあげたんだから、あたしのことを嫌ってほど褒めちぎりなさい」

「あのねぇ……まぁいいや。ザジ、大丈夫?」

 

 自身の身体にまとわりつく回復呪文(ベホイミ)の輝きに癒されながら、ザジは朦朧とする視界の中で三人の姿を見る。

 ほんの半月前、魔物に占領されたダーマ神殿に現れ、ザジたちと同じように力を奪われた。しかし魔物に抗い、人々を勇気づけ、ついにはダーマ神殿を取り戻す立役者となった三人の若者たち。

 

 自分と同世代の、己の人生の道を踏みしめていく彼らを見据え、ザジは遂に意識を落とした。

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