ダーマ神殿のある島から船で10日。魔物の脅威が日増しに強くなっている昨今の情勢で、船旅をしようという剛毅な人間はそう多くない。魔物の脅威が身近にある時代背景もあってダーマを目指す人は多いが、その多くは魔物と戦いながら日々を生きる旅人だ。
船旅では彼らも道中の警戒に当たり、日に数度襲ってくる魔物を撃退しながら進む。ザジもそんな旅人の一人であり、多くの魔物を撃退しながら船旅は続いた。
海上の交通の要である海の強国コスタールにたどり着き、そこから船を乗り換えてさらに数日。船は次の港にたどり着こうとしていた。
「見えてきたぞ~!」
つい数十分前に見張りを交代し休むことができたザジを、船乗り特有のよく通るバカでかい声が叩き落した。船室の壁に預けていた背を起こし、傍らに置いていた鋼の剣を何気なく佩く。ザジは眠気のする眼を擦りながら甲板に顔を出した。
「……あ」
幾人もの旅客を乗せた帆船のロープの隙間から見えてきたのは、大陸と呼ぶにふさわしい地平の拡がる陸地。やってくる船を迎える灯台は、堅牢な石造りで以前寄港した港のものよりも武骨なつくりだった。
5日前に寄港した港はコスタール。その旗は、黒く塗られた双つの向かい合う竜と、海神の得物とされる三叉槍が描かれていた。
各地に残る自然界の四大元素『火』『水』『地』『風』の力を司る精霊たちの伝説。双竜三叉槍は、その中でも水の精霊の紋章として知られている。
今日たどり着いた港も精霊信仰にゆかりの印なのかと思ったが、そうではなかった。二本の槍と盾を交差させた、武力を示す中でも守りを重視した国風を感じさせる。各国に侵攻を繰り返したラグラーズが攻めならば、この国は守り。それも、人からではなく魔物から守る意志を強く見せているのだろう。
南の強国と名高く、また一方ではカラクリの発祥の地ともされる王国、フォロッドである。
「ありがとよ、坊主。あんたのおかげで、無事航海を終えられた!」
そう言って下船するザジの背中を力いっぱい叩いたのは、コスタール――フォロッド間をつなぐ連絡船の船長だ。元は腕の立つ鯨捕りだったらしく、魔物の数が増えて鯨が見られなくなってからは、酒場でくだを巻く毎日を送っていた。しかし連絡船の船長の仕事を紹介され、以来この仕事一筋なのだという。
今回の航海の最中、船長は魔物の奇襲を受けて負傷し、さらに追撃を受けそうになった。ザジはそんな船長の近くで戦っていたため彼を助け、傷の治療も行った。そのおかげか、こうして親しげに接されるようになったのだ。
「別に、僕一人の力って訳じゃ」
「謙遜すんな。儂が生きてんのは坊主のおかげだ。儂がいなけりゃ、この船はまともに動く訳あるめぇ? 儂を助けた坊主が、一番の功労者だ」
がっはっはと大笑いしながら船長はザジの背中をバシバシと叩く。
「そういやよ、坊主。お前フォロッドまで来て、何するつもりなんだ?」
「えっと……」
ザジは船長の問いに対する答えに詰まった。
これからの生き方を考える、などという抽象的な目標はあるものの、具体的に何をしようかなどと決まってはいない。強いて言えば、『戦士』の職を極めるべく魔物との戦いに身を置ければいいのだが。フォロッドにきたのも、魔物との戦いに一際熱を入れているという噂が立つからである。
まぁこの人になら話してもいいか、と疑う気の起きなくなった船長にザジは自分のこれからをかいつまんで話すことにした。船長は「ふーむ」と腕を組み自慢らしい白髪の混じった髭を弄る。
「ならちょうどいい。向こうの島が闇に包まれたとかで、調査に向かう予定があるんだと。それで傭兵を募ってるんだ。坊主ほどの腕なら、心強いはずだ」
船長が指さした方角を見て、ザジは記憶上の地図に落としてみる。フォロッドから南、メザレ島と呼ばれる島がある方角だ。神の民の末裔とかいう胡散臭い集団が暮らしている島で、あまりよそ者を受け入れる風習はないとか。
「知ってるかもしれねぇが、フォロッドは昔魔物が作ったカラクリ兵どもに襲われてな、危うく滅びる寸前だったんだ。だから魔物の企みには、他国よりも念入りに警戒してるのさ」
「へぇ……」
「ま、その後復興するのに活躍したのも、奴らのおかげで完成したカラクリの掃除機だってんだから、皮肉なもんだよな」
有名な話だ。突如として現れたカラクリ兵の集団がフォロッドへと侵攻。当時他国との交易もそこまで発達していなかったフォロッドは救援を得られず、孤立無援の戦いを強いられた。その戦いを逆転勝利へと導いたのは、当時国を訪れた旅の傭兵の一団と、国に住んでいた偏屈のカラクリ技師だったという。
また、それを乗り切った後のフォロッドが他国との交易で経済を復興させるに至った根端には、カラクリ兵の技術を解析して作り出したカラクリ掃除機にあった。
カラクリによって奪われ、しかしカラクリによって復興を果たしたのだ。確かに皮肉な話である。そういえば、ふきだまりの町でもスイフーの屋敷にカラクリ掃除機があったなとザジは思い出す。
ザジが少し前までいたダーマも魔物によって散々な目にあわされた。フォロッドの出来事が他人事のように思えず、ザジの中に静かに魔物に対する怒りが募る。それと同じくらい、その誰とも知れない旅の勇者様への感謝も。
「儂の船も壊されてな、怪我なおして復帰したら鯨がいねぇ。やなことばっかだったが、まぁ人生いろいろさ」
はっはっは、と気前よく笑う船長からは悲壮感は感じられない。これが歳を重ねた故のおちつきなのだろうか。
「もしよかったら、手を貸してやってくれないか? 儂の倅も居るんでな、話は通しといてやるぜ」
「……はい」
言葉少なに、ザジは船長の言葉に肯定の意を示す。
別れ際に軽く手を振り、ザジは歩き出した。
***
フォーリッシュの町はフォロッド城の北東に築かれた城塞都市だ。元はフォロッド領の中でも最大の都市だったが、二十年前に起こったカラクリ兵の侵攻に際し城塞都市へと変貌。今も領内をうろつく魔物への警戒として、城塞部分はそのままに保たれていた。
「きれいに舗装されてる。まぁ、二十年も経ってるんだから、復興もするか」
カラクリ兵との戦いで一度は陥落した街だが、今では道も舗装され、城塞の隙間を吹き抜ける風が心地いい。元のフォーリッシュへと復興を果たしていた。
「あ、ちょっとそこの」
声をかけられ、ザジはそちらに顔を向ける。そこに居たのは、一人の少女だった。年は、ザジとあまり変わらないくらい。けれど姉よりは下だろうと思われる。茶色のツインテールがちょこんと頭に乗せられた帽子からこぼれ、伺える表情は年相応に、幼さと可憐さが半々に覗く。
「なんだい?」
「道に迷っちゃって、傭兵の応募で来たんだけど、ここの詰め所に行けって言われて。どこ?」
「どこって……?」
言われてザジはそれっぽい建物を探す。もちろんそれは街の北西側に面した長い要塞壁になるのだろうが、その入り口がどこかは見つからない。兵士に聞こうと思ったが、こんな時に限って巡回でもしていそうな兵士が見当たらない。
「僕も今始めてこの国に来たばかりなんだ。だから分からないよ」
「あら、あたしと同じなんだ」
少女は「うーん」と考え込む。
会話が止まったところで、ザジはもう一度彼女の身なりを確認すべく視線を流した。女性をまじまじと見るのは失礼なのだが、魔物との戦いが常となる旅人は相手の備えをつい気にしてしまう。見て得た知識が、明日自分の身を守るかもしれないからだ。
彼女の防具はおそらく【マジカルスカート】。いくつかの攻撃魔法の威力を軽減する魔力を含ませた生地で織られた法衣の一種だ。そして帽子の下からちらっと銀色の髪飾りが見えた。
武器は腰に挿しているひと振りの杖。全体的に翡翠色で、先端に魔力を籠めたオーブと竜の彫像が彫り込まれている。【いかずちの杖】という名で、特別な職に就いたものにしか使えない雷の呪文【デイン】には及ばないものの、雷を発することができるという。
ただ、ザジが気になったのはそこではない。
彼女が被っている帽子は所謂ベレー帽と呼ばれるもので、画家が好んで使うものだ。背中にしょった荷物袋からはそこはかとなくインクの付いたエプロンだろう布が。そして背負いカバンの骨代わりに使われているのはキャンパスボードだ。
「……なに?」
ザジのぶしつけな視線――といっても一瞬見て、後はぼうっとしていただけなのだが――に気づいた少女は半眼で睨んできた。
「君は……絵描きなのか?」
「そうよ。世界中の絶景を描いてみたくてに旅に出たの。あたしの故郷の国では芸術、特に絵が盛んでね。あたしも絵を描くのは好きだったから、師匠からの許可ももらったし、いろんな場所の絵を描いてやろうって」
訊いてもないのに少女は自分の夢を自信満々に語る。よほど誇らしく、そして活気に溢れているのだろう。人生の標を無くし、これからの生き方について悩んでいるザジからすれば、羨ましい限りだ。
だから、ザジはふいとそっぽを向きながら「そうかい」とだけ言った。
「なによ、急に不機嫌になっちゃって」
「別に、君には関係ないだろ」
「いーえ、あるわ。そんな不景気な顔されたらこっちまで気分悪くなるの。モチベーションも下がっちゃう」
「それこそ僕には関係ない話だ」
「あんたねぇ……」
ぬけぬけと言われ、少女も頭にきたのだろう。けれど、振ってしまった喧嘩腰を、こちら側から引っ込めるのは情けない。そんな引け腰では今に食われる。ザジが吹き溜まりの町で培った――培われてしまった弱肉強食の生き方が、少女に対し弱気なところを見せようとは思わない。
「世界中の絶景を描くって言ったね。そんな装備で魔物相手に生き残れるのかい?」
「馬鹿にしないで。あたし、これでも強いのよ」
「君は見たところ魔法使いだろ。それも一人旅。魔法使いってのは身体が弱い。誰かと組まなきゃロクに戦えもしないのに、一人旅なんて命知らずさ」
ザジは魔法の使い手を侮っているわけではない。遠距離から攻め手を叩きこめること、様々な補助や回復呪文を操って戦況をひっくり返すことができること。魔法の力はよく知っている。つい最近、それを軽んじて強かにやられかけたのは忘れない。
けれど、魔法はそれを使うまでの時間稼ぎができてこそ。魔法を扱う潤沢な魔力があってこそ成り立つ。その力を除かれれば、一般人と大して変わらない非力な存在だ。ザジは、それを吹き溜まりの町で嫌というほど味わい、見せつけられてきた。
「結局、戦場で役に立つのは武器の力。独りならよほどそうさ」
「ふざけたこと言わないで!」
告げた言葉を、ザジは思わず飲み込んだ。首筋に突き付けられたのは『いかずちの杖』の先端。緑のオーブに込められた雷の魔力が、少女が内に秘めた魔力と合わさり周囲に不可視のきらめきを見せる。怪しくも力強い、彼女が内に秘める魔力の質が漏れ出しているのだ。
それを見てザジは息を飲んだ。少し前に自分が告げた言葉を、言わなかったことにしてしまいたい。
一人旅に似合わない華奢な魔法使い? とんでもない。ダーマで出会った幾人もの魔法使いたち。ダーマ神殿を守護する神殿付きの魔導士。その誰よりも、少女の魔力は強かった。もしかしたら、ダーマ神殿の主である大神官に匹敵するほどの魔力の持ち主かもしれない。
『戦士』になったとはいえ、ザジも以前は『僧侶』で魔法に縁深かったのだ。間違うはずがない。
周囲の人々が何事かと遠巻きに様子を窺う。ザジは「しまったな」と内心で呟きながらこの状況を穏便に済ませる方法を模索した。
と、
「待った待った待った!」
遠巻きに伺う人々をかき分け、一人の男が現れた。ボロボロの旅人の服に粗末な麻袋を背負った、ネズミ顔の小男だ。
「なによ」
「あーお嬢さん。こいつはちょっと口下手な上に配慮が足りなくてな。今回は勘弁してくれねぇかい? ほら、街中で喧嘩なんて、着いたばっかりに面倒ごとは御免だろ?」
ザジは「なんだあんた」と言いたげに男を睨むが、男から「おれに任せとけ」と、たくらむような笑みを向けられ、ひとまず口を噤むことにする。男の言う通り騒ぎになるのも面倒だ。これも、吹き溜まりの町での生活の知恵だった。
「そうね、じゃあこの泥棒みたいなおじさんに免じて、聞かなかったことにしてあげる」
そう言って少女は杖を腰に戻す。その後「ただし」とザジを睨み、
「いい、あたしの前で魔法より剣が上なんて言わないで! その所為で――」
続けようとした言葉を、しかし少女はあえて告げずそのまま歩き去ってしまった。
大事に至ることなく終わった。それを認識した人々は元の日常へと帰っていく。そして「ふー」とため息を吐く小男をザジは睨んだ。
「で、なんで割って入ってきたんだい」
「さっき言った通りさ。着いて早々喧嘩なんて、外聞悪いだろう? もしもダーマから来た奴が物騒ごと起こしたなんて広まってみろ。おれまでいらねぇ被害被っちまう。厄介ごとは御免。それが、
男の言い分は正しく、彼に強気に出る理由はない。少し冷えた頭でそう結論をつけたザジは、不承不承納得のそぶりをする。
「その口ぶりは、あんたもダーマで魔物に騙されてた口かい?」
「一緒の船に乗って魔物ども蹴散らしたじゃねぇか。てか覚えてねぇのかよ……まぁそうだよ。お互い、地獄を見たな」
「あんた、職は?」
「人の話聞けよ。あー、『盗賊』さ。真っ当に冒険家でもやろうと思ってな。ダーマに行って、あの通りさ」
盗賊の職が与えてくれるのは冒険の役に立つものが多い。位置把握の勘や、魔物との接触を避ける忍び足。手近な道具を利用する術など。いざという時には意外と頼れる力を与えてくれる。生き延びるという意味では、至極真っ当な職なのだ。
男は「お互い、まぁがんばろうや」と親しく肩を叩き立ち去っていく。
「そうそう、砦には上から入るらしいぜ。下から攻めてきた敵にはいられないように、侵入口は砦の上からだけだとよ。傭兵やるんなら、そっちに行きな」
ついでとばかりに少女に尋ねられたことの答えを残してくれる。胡散臭い――言ってしまえば【やみのとうぞく】という名の魔物のような身なりだが、気前のいい性格らしい。
ザジは「どうも」と簡潔な礼を言い、とりあえず街の中を見回ってみるかと歩き出した。
ふと気づく。
懐にしまっておいたはずの巾着袋が、ない。
そして思い出す。盗賊が与えてくれるもう一つの特技。それは戦闘などのどさくさに紛れて、魔物の所持品を奪い取る、姑息な技能。
「ゴールドがない……盗まれた!?」
気のいい盗賊は、結局のところ盗賊に違いなかった。