フォーリッシュの町の大通りを駆け足で抜け、要塞の上へと続く階段を駆け上がる。中心部分にあった教会の扉を開くと、すぐさま下へ抜ける階段に視線を走らせる。その階段から何事かとこちらに目をやり、あからさまに「げぇ!」と表情をゆがめたボロ布を着たネズミ顔の男がいる。
「いた、待て!」
奇声を上げながら階段を駆け降りる男をザジは追いかける。転げ落ちそうになりながら男はどうにか一階に転がり降り「助けてくれぇ!」と叫んだ。
ザジが一階にたどり着くと、そこには追いかけてくるザジを取り囲むようにフォロッドの兵が立っている。
「事情を、訊かせてもらおうか」
「そいつが僕のゴールドを盗んだんだ!」
いくら疑われようと、責があるのは男の方で、ザジはそれを追いかけた身。捕まる謂れはない。ザジが間髪入れずに返すと、兵士たちの視線が一斉に男に向かう。
「……さ、さぁ、おれは知らないぜ?」
「じゃあなんで僕の顔を見るなり、血相変えて逃げたんだい」
しらじらしい苦し紛れの嘘を、ザジはつい先ほどの行動で一刀両断にする。男は視線を泳がせ、詰め所を十周ほどしたところでついに観念した。
「ちくしょう! そうだよおれが盗った! ほらよ!」
逃げられないのを悟った男が差し出したゴールド袋は、間違いなくザジの物だった。
まったく、盗まれるなんて不注意者の自業自得。吹き溜まりの町でのルールだったからこそ、ザジはこれまでそういったことに細心の注意と警戒心を持ってきた。なのにこの有様は、自分の注意力の散漫具合にうんざりする。
詰所の中で突如として起こった事態に兵士たちも緊張がうかがえたが、それも一段落だ。彼らもこの後の後始末について話しており、内一人は男を拘束しておくかと近寄る。
――あれ……?
そこでザジは、自分の意識がどこかぼんやりし始めていることに気づいた。同時に、頭の中で鳴り響く警鐘が、それとは真逆にほのかな甘い香りが充満し始めていることを伝えてくる。
「あまい、息……?」
「へっへぇ、ご名答」
ザジの推測に、男が回答する。
「悪いなザジ君。おれ文無しでよ、これ以上密航すんのもきつくてな。ま、君の金で人の命を数日分拾ったんだと光栄に思ってくれ」
不意打ちではあったが、強かな【あまい息】だ。詰め所に居た兵士たちもろとも、ザジはまたしても意識を手放すことになった。
……しかし、
「――はっ!?」
次の瞬間、部屋に立ち込めた【あまい息】をかき消すように魔力の風が吹く。それはザジたちの身体にまとわりつき、一瞬にして眠気を吹き飛ばした。
ぐらつき前のめりになった姿勢を、そのまま駆けだす勢いに変えてザジは前へと踏み出す。何が起こったのか理解が追い付かない顔をしているネズミ顔の盗賊の前に踏み込み、その体を思いっきり押さえつける。
「うわっ! この、放せ……!」
「このまま、君の身体をイオで爆散させたっていいんだ。おとなしくしなよ」
体格から見ればザジは小柄で、ネズミ顔はそれなりの体つき。跳ね飛ばされるのがオチだが、ザジの職は【戦士】だ。対してネズミ顔の職は【盗賊】。前者は力が強くなり、後者は逆だ。職の恩恵が、体格差を覆す要因になった。
ザジと同じように眠りこけてしまうことを免れた兵士たちに囲まれ、ようやくネズミ顔は降参した。押さえつけていた手をどけて立ち上がると、ザジは部屋の隅に視線をやった。
自分たちを救った魔力の発生源。後で知ることになる、【ザメハ】という呪文の行使者は、つい先ほどであった絵描きの少女だ。
「魔法なんて、なんだっけ?」
得意げな顔で頬杖を使いながら上目遣いに睨んでくる少女。まださっきのザジの言葉を根に持っているのだろう。ザジより小柄で華奢だが、その態度は相当にデカい。
「助かったよ」
喉まで持ち上がった反論を吐き出すことなく、代わりに感謝を述べる。
「あら? てっきり何か口答えするかと思ったのに」
「君がいなかったら、そこで馬鹿みたいに眠ってたのは明らかだからね。だから助かった、ありがとう」
いつまでも意地を張っていても仕方ない。誰に彼にと突っかかるのではなく、礼を言うときは素直に言う。疑心暗鬼に包まれていた吹き溜まりの町を救ってくれた恩人から学んだ、大切にすべき教訓だ。
「あー、君」
声をかけられて振り返ると、いかにもな甲冑姿の兵士が立っていた。ここの兵士長だろう。
「身なりからして、旅の者だろう」
「ああ。さっきダーマから来た」
「ダーマから? ああ、今日定期便が到着する日だったな。……つかぬことを聞くが、君ももしや」
「察しの通り、魔物に騙された口だよ。たぶん、あいつも」
そう言って、ザジは警戒心を逆立てた瞳でネズミ顔の男を睨んだ。おそらくだが、彼はザジが思っている以上の実力者だ。組み伏せることができたのは全くの偶然。次はない。
兵士長は「そうか」と呟き、あごに手を当てる。しばしの黙考を挟み、神妙な顔つきでザジに向き直った。
「君たちに、頼みたいことがある」
***
詰所の椅子に腰を下ろし、ルークと名乗った兵士長から改めて話がなされる。予想はしていたことだが、港で聞いたメザレ島の封印の件に助成してほしいとのことだった。
「魔軍との戦いの経験があるなら心強い。実は、すでに第一陣を派遣しているのだが連絡はない。おそらくだが、奴らにやられたのだろう。頼まれてくれないだろうか」
頼まれるまでもないことだった。元々目的のない旅だ。当面の予定も、とりあえずは【職】の経験を高めること。魔物との戦いの場に赴けるのなら、なんだっていい。加えて報酬金も支払われるなら、当面の旅の路銀も作れる。
「それに、彼女も着いて来るのかい」
「なによ。不満?」
そう言ってじろりとにらんでくるのは先の絵描き少女。
「別に。不満なことはないよ」
性格以外は。
心の中で愚痴って視線をルークに戻す。彼は「ありがとう、助かるよ」と微笑を浮かべている。
「気になったんだけど、魔物たちのことを【魔軍】って呼んでるのは、なんでだい?」
「……フォロッドを襲ったカラクリ兵のことは聞いているかな。マシンマスターという魔物に率いられていた奴らだが、そのマシンマスターは魔王なる存在の指示で侵攻してきていたようだ。そのことを聞いた王は国の復興が叶った後、各国に魔物の侵攻についての調査を行った。その結果、魔王なる存在により組織された魔物たち、魔軍の存在が明らかとなったのだ」
嘗て、世界では各地域ごとに封印で切り取り闇に落とそうとする魔王と、それに相対する神との戦争が起こっていた。神と魔王の決戦により両者は共倒れするも、魔王の配下は活動を続け、各地を侵攻していった。彼ら魔王配下の魔物たちは、嘗てより世界に暮らしていた魔物たちとは一線を越えた力を有している。そんな魔物たちの軍勢が、魔軍と呼ばれたのだ。ダーマを襲った魔物の一団も、魔軍の勢力の一部なのだろう。
「当時の私はフォーリッシュの守護についていた新兵でね。実際にマシンマスターと対峙したのは雇われの旅人と、その援護に着いた当時の兵士長のトラッドさんなのだがね」
当時を思い返したのかルーク兵士長は目を細め、わずかに奥歯を噛み締めた。握りしめた拳から、無念が伝わってくる。
ザジは知らぬことだが、カラクリ兵の侵攻の際、ルークはともに兵士長を目指そうと切磋琢磨した親友を失った。その仇をどうしても討ちたかったのだが、その機会すらこなかった。口惜しさと亡き親友への想いを胸に訓練を重ね、そして約束だった兵士長の地位に上り詰めたのだ。
ザジには兵士長の想いは分からない。けれど、その胸に刻まれた魔物への怒りと無念は、分かるつもりだ。
「結局、こうして君たち旅の者に頼ってしまう当たり、我々も進歩がない」
隣島であるメザレの危機にフォロッドが立ち上がったのも、他国よりも魔軍に対する警戒心が高い故だ。
フォロッド王国は他国よりも兵士の練度は数段上だと言われる。そんな彼らですら魔軍の前では歯噛みするしかない。
自嘲気味に語るルークの言葉には、彼らの苦心があった。
「大丈夫よ。こいつの腕は知らないけど、あたしはなんといっても大賢者様の弟子よ。必ずメザレ島を支配する魔物をぶっとばしてやるんだから」
ザジの隣で話を聞いていた少女が握りこぶしをつくり、任せろとばかりに自分の胸を叩く。が、強く叩きすぎたのか小さく呻きを漏らした。なんだか、不安でしかない。
「……なによ」
「大賢者様って、誰だよ」
「ふふん。大賢者メディル様よ! 前はその使いの人の弟子だったんだけどね。色々あって、今はあたしがその役を引き継いだの。つまりはメディル様の使いって訳。どう?」
「知らないね。それなら絵描きはなんなのさ」
「あたしの趣味」
ちらりとルークの方を見ると、彼も視線を横に泳がせる。彼女の言はいざ知らず、どうやらそれほど高名な人物ではないらしい。彼女はその反応に少しがっかりするも、「ま、メディル様って俗世離れしちゃってるものね」と納得していた。
ともあれ、彼女の実力そのものを疑っているわけではない。
彼女の持つ【いかずちの杖】は【ベギラマ】と同程度の威力を誇る電撃を発することができる。それに先ほどの呪文。見立てだが、中級の攻撃呪文を操ることはできるのだろう。むしろ、大賢者(仮)の弟子を名乗るなら、それくらいしてもらわねば困る。
「な、なぁあんたら!」
と、話が決まりかけたところで新たな声がかかった。後ろで縛られてたネズミ顔だ。
「その話、おれも乗せちゃあくれねぇか」
「お前を?」
疑惑の視線を男に浴びせるのはルーク兵士長。目くばせし、ネズミ顔を拘束していた兵士たちを彼から離れさせると、ネズミ顔は身を乗り出して話を続ける。
「おれだってそいつと同じでダーマのクソッタレな状況から脱してきたんだ。職の経験だってある。今まで盗賊やってきたし、この顔のせいでどいつにも疑われてばっかりだったが、元々は足洗って真っ当な冒険家になろうと思ってたんだ」
「その割に、僕の財布盗んだけど?」
「うぐっ……金も尽きて、つい昔の癖で……、けど! 今日がきっかけなんだ! なんだったら魔物相手の肉壁にしてくれたって良い! 虫のいいこと言ってんのは分かってっけど、頼むよ!」
盗賊じゃ壁にしたってたかが知れてるよ。
ついそんな毒を吐きそうになったが、ザジは言葉を飲み込んだ。さっきの【あまい息】のこともある。ダーマの職についてはあの地で散々調べてきた。そのザジの持つ知識からすると、この男はおそらくそれなりの実力者。魔物相手に通用する職歴のはずだ。
いや、職歴の話だけではない。ようやく思い出した。ザジは、この男を
長らくダーマが魔物に支配され、その情報が不足している今、それを見抜けるのはザジだけ。
――僕が、盗賊を仲間に引き込もうと思うなんてね。
ダーマで、それを成した結果痛い目に合った少年をザジは知っている。けれど、ダーマで、吹き溜まりの町の住民にはない瞳と心を持った少年は、ダーマを見事救った。
そして、不本意ながら、ザジは彼の影響を受けたのだ。
「僕は、こいつを連れて行っていいと思う」
そう告げると、詰め所の全員がザジに驚愕の視線を寄せた。隣の賢者の弟子(自称)など「あんたはバカか」と露骨に表情に示している。
「本気か?」
問うてくるルークの言葉は最もだ。要は自分の財布を盗んだコソ泥に、戦場で背中を預けようという暴挙に出ているのだ。
「こいつ、たぶんだけど僕と同じくらい強い。きっと魔物たち相手にだって戦える」
けれど、ザジは知っている。目的のためなら手段を選ばない盗賊という種類の人間を。計算高い彼らをうまく味方につけることができれば、かなり役に立つ。ダーマの親衛隊員だったあの男も、盗賊をうまく使って事態を好転させようと動いていた。
人を信じること。人を使うこと。どちらも、ダーマで出会ったザジに影響を与えた人物から学んだことだった。
後者は特に、認めたくはないが。
「盗賊は使える人種だって、僕は知ってるんだ」
その物言いは褒められたものではないのだろう。渋い顔をするルークだったが、顔を輝かせるネズミ顔を見て、仕方ないと決める。
「あんた、不愛想なのにお人好しなのね」
絵描き少女の言葉にザジは苦笑するしかない。それだって認めたくない。けれど、影響されてしまった。あのお人好しな少年に。
なんだ、結局、どっちも認めたくない奴じゃないか。そう思うと、不思議といい笑みがこぼれた。
席を立ってザジはネズミ顔の前に立つ。
「そういう訳で、あんたの腕を見込んで、協力してくれるかい?」
拘束を解かれるも、ネズミ顔は何かするでもなかった。ただ、清々しい表情で、にやりと笑ってザジが差し出した手を取る。
「ありがとよザジ君。改めて、ドンホセだ。信用の報酬はきっちり払う。おれの命でな」
あの短足騎士も、こうやって盗賊フーラルを味方につけたのかな。握られた手の感触を想いながら、ザジは尊敬できる男のことを考えた。
一生涯かかっても認めたくない、尊敬と信用に値する男のことを。