メザレ島は闇の結界に覆われており普通の船では近づくことができない。しかし、フォロッドにはそれを突破する手段が用意されていた。
遥か北の火山――エンゴウ火山は火の神の力を有した聖なる炎を有している。これが闇の封印を突破する手段であると突き止めたフォロッド王国は、事前にそれを入手していたのだ。これによりフォロッドの軍艦は封印されたメザレへの侵入を可能とした。
だが、島への侵入の障害は結界だけではない。
島の近海へと差し掛かると、どこからともなく海賊船が現れるのだ。骸骨の魔物たちを乗せた、魔軍の手先の海賊だ。乗っている魔物も強力なものが多く、以前派遣した第一陣はこの魔物たちによって全滅の憂き目にあったのだろう。
つまるところ、まずは海上での海賊討伐が必要になってくる。幸いなことにザジも、そしてドンホセも先日まで連絡船の護衛を経験していた。
油断は禁物だが、今度こそという決意が、ザジたちの乗る船の上に満ちていた。
「……あれか」
甲板での見張りに立ったザジは遠く、薄暗い靄に包まれている一帯を睨んだ。あれが、闇の結界というものだろう。光を通さず、不安感を煽るような黒雲。中の様子は分からないが、ダーマもあれと同じ状態に落とされていたのかもしれないと思うと、見たことのない魔軍への苛立ちを覚える。
「なんだかなぁ。あん中に入らずに済んだってのに、自分からそこに突っ込もうってんだから、おれたちも物好きだろうよ」
同じことを考えたのか、隣に立ったドンホセが嫌気たっぷりの眼差しでメザレ島があるだろう方向を見つめる。迫る戦いの時を予感してか、その手は腰に帯びた【どくがのナイフ】という名の短剣に添えられている。その足元には、いくつもの道具が詰め込まれたドンホセ愛用の袋があった。彼曰く、戦闘に必要なものがごっそり、らしい。
ドンホセとはダーマで戦ったことがある。背負った袋に目いっぱい詰め込んだ【どくがのこな】を投げつけたり、袋に用意していた眠りの杖で殴り掛かってきたり、果ては足元の砂を掴んで投げつけて目くらましを用いたり。小技に長ける戦い方の男だ。一見弱そうで、しかし意外にも油断はできない。
「……なぁ、ザジ君よぉ」
やがて、ドンホセはためらいがちに口を開いた。
「なんだい」
「よく、おれを信じようとしたな」
「ああ、そのことか」
詰所で彼を今回の同行者に決めた後、ドンホセは今回の件が終わってからも供に旅をしないかと持ち掛けてきた。そして、ザジは自分でも驚くほど即決で、それを了承した。
「前に言ったろ。盗賊は意外と役に立つ。一人旅でもいいと思ってたけど、やっぱり僕一人じゃ弱いんだ。だから、同行者は必要だと思ってた。渡りに船さ」
「それでもさ。忌み嫌われるおれみたいな人種をよく引き入れたなって。盗賊で、しかもフーラルみたいな実績はない。おまけにおれは……魂砕きをやった人間なんだぜ」
周囲の兵士たちは見張りを続けてこちらに意識が向いていない。それを確認してから、ドンホセは小声で最後の言葉を零した。
魂砕き。
ダーマで力を奪われた人間たちに魔物が与えた唯一の脱出手段だ。自身の魂から生み出した剣を用い、5人の人間の
ドンホセはそれを成した。魂砕きを行ったことで、軟禁された吹き溜まりの町を脱し、さらなる魔物の罠にかけられたのだ。
一方のザジは――ドンホセにではないが――魂を砕かれた側の人間だ。魂砕きを行った人間に対して嫌気の感情を抱くのは当然だ。
ザジ自身、そう思うだろうと思っていた。けれど、ドンホセと会って、彼が魂砕きを成した人間だと気づいても、その感情は抱かなかった。
「そうだね。けどさ、あの状況だ。追い詰められて魂砕きに手を出してしまうってのも、理解できない訳じゃないんだ。いや、理解できるようになった、かな」
吹き溜まりの町に居て、魂砕きを考えない人間はいないだろう。他ならぬザジ自身も、姉を助けるためという大義名分を翳してやってやろうと考えたことは幾度もあった。結局、華奢な自分が、
「それに、あんたは真っ当になろうとして、それを僕に信じてくれと言葉だけで訴えた。なんとなく、あいつなら信じたんだろうなって思って。だったらまぁ、一度くらい信用してみるかって」
「あいつ?」
「ご想像にお任せするよ」
話す気はないと、ザジはそっぽを向く。言わなかったもう一つの理由は悟られたくない。
信じてほしければ、まず自分から信じること。それをザジは、アルスの態度から学んだ。今回の場合はそれを実践するのはドンホセの方なのだが、かくいうザジも、自分が信じるに値する人間である自信がない。だから、自分からも信用してみることにした。
その最初の人間が盗賊とは、ずいぶんとハードなチャレンジだとも思ったが。
その時だ。マストに上って見張りをしていた兵士から「敵襲!」の声がかかる。船首の方に目を凝らすと、まっすぐこちらに向かってくる船影があった。この辺りを航海する船がいるはずはない。間違いなく、メザレ島近海をうろつく海賊だろう。
「さっそく、僕の信頼に応えてもらうよ」
「おうよ。これからの人生、義理人情に生きてやるって心に誓ってんだ!」
そう気合の籠った言葉を残し、ドンホセは袋を背負うと勇んで船首に向かう。その背を、ザジは注意深く追い、鋼鉄の剣の柄を握りながら続いた。
口ではああ言ったが、実際のところはまだ半信半疑だ。当然だろう。
***
船はまだ遠く。ようやく肉眼ではっきりと視認できたほどの距離だ。だというのに、ザジたちが船首にたどり着くと、戦闘はすでに始まっていた。
「あんたたち遅い!」
「後方の見張りだったんだから仕方ないだろ!」
少女からの罵倒に真っ向から怒鳴り返し、ザジは剣を引き抜くとそのまま振り下ろす。目の前に現れた子ヤギほどの大きさの茶色の魚を一刀両断にした。海から飛び出し真っ向からの体当たりで船や乗組員を襲う魔物【ピラニアン】だ。
海賊たちの先兵か、はたまたもともとこの辺に生息している魔物が海賊襲来のおこぼれを狙い先走って襲ってきたのか。ともかく、船上はピラニアンたちとフォロッド兵のもみ合いになった。
子ヤギほどの大きさのピラニアンたちだが、その体は筋肉の塊だ。海から飛び出し、その勢いと体重を活かした全力の体当たりはかなりの威力だ。
ザジは身を躱しつつ、宙を泳いだピラニアンを的確に切り捨てていく。ドンホセはどくがのナイフでピラニアンを切りつけ、動きの鈍った彼らを海に【突き飛ばし】ていた。
「さっさと追い出さねぇとな」
「ああ」
ドンホセの言葉に短く相槌を打つ。
ピラニアンは、一見猪突猛進な魔物だが、意外にも魔法を――【イオ】を唱えることができる。船上のあちこちで爆発を起こされては船が沈みかねない。
先日の航海でそれを体験したザジたちはもちろんのこと、フォロッド兵たちも素早くピラニアンを倒していく。だが。次から次へと現れるピラニアンの数は多く、少しずつ対処が遅れていった。
ちらりと視界の端にいるピラニアンが目に付く。にやりとあざ笑い、そいつはぶつぶつと何かを呟きながらゆらゆら体を揺らす。イオを唱えるつもりだ。
「マホトーン」
しかしピラニアンたちがそれを唱えることは叶わない。後方に下がった少女がいかづちの杖を掲げ、甲板に石突を打ち付けるとともに呪文を唱えた。沈黙呪文と呼ばれるそれは、少女を中心に灰色の魔力を波立たせてピラニアンたちを包み込み、呪文の行使を阻害する。船上に現れたピラニアンたちを、全員だ。その効果範囲の広さにザジは「流石は自称大賢者の弟子か、けど……」と呟く。
「来るぞー!」
ピラニアンを一通り殲滅したその時だ。マスト上の見張りの声と共に海賊船が軍艦の横に迫った。奇声を上げながら躍り込んでくるのは肉も内臓も腐り切り、骨だけとなった甲冑姿の人型――【しにがみ兵】だ。
そして、海賊船に乗ったもう一体の魔物が姿を現す。
「げひゃひゃひゃひゃ、また来やがったかぁ人間ども。無駄なことを。貴様らも骸に変え、このデッドセーラー様のしもべにしてやろう!」
デッドセーラー。そう名乗った魔物は、大柄なガイコツが水兵服を着た姿だった。獲物は三枚刃の戦斧、バトルアックスだ。
しにがみ兵たちの中にはフォロッドの鎧を纏った者もいる。デッドセーラーの言葉通りならば、フォロッドが派遣した先遣隊は魔物へと変えられてしまったのだろう。自らもそうなってしまうのではという不安感が兵士たちの間を駆け巡り、容赦のないしにがみ兵の槍の突きが数人の身体を穿つ。
「うろたえるな! 仲間の敵をとるのだ! そして奴らを蹴散らし、メザレ島を救うのだ、ゆくぞ!」
兵士長の声に押され、兵士たちの覇気が戻る。だが、嘗ての仲間を醜悪なゾンビに変えられ、戦いを強いられるのは心身への影響が強い。怒りで冷静さを失う。恐怖で身が竦む。どちらにせよ、殺意しか持たない冷酷なしにがみ兵の前では隙を晒すことになる。
そして、ザジもまた手が鈍っていた。
デッドセーラー。見ただけで分かった。あれは、ダーマを支配していた魔物の首領に近い実力者だ。
「ちょっといい」
槍を躱し、柄を叩き折り、至近距離からのイオでその体を爆散させる。砕け散ったしにがみ兵の肉片に思わず顔をしかめ、視線を逸らす。他のしにがみ兵に意識を向けることでどうにか戦意を保ったザジに少女が駆けよる。
「なんだい」
「フォロッドの人たち、動揺してるみたいよ」
「……そりゃ、魔物にされたとはいえ元は仲間だ。気味悪いし、戦いにくいだろうさ。兵士長の近くの人たちは、あの人の迫力に背中押されて頑張ってるみたいだけど」
目の前にやってきた少女の様子に、ザジはつい口に出そうになった「君もだろう?」という言葉を飲み込む。それがただの強がりだという自覚はあったし、彼女にバレたくはなかった。代わりにフォロッド兵の現状を口にした。
ザジの言葉通り、兵士長の鼓舞もあって戦況は膠着状態に移行しつつある。このまま押し返せればと思うが、そうもいかないだろう。フォロッドの先遣隊はデッドセーラーたちによって全滅したのだ。ただの物量だけではない。デッドセーラー自身の実力は、しにがみ兵たちなど歯牙にもかけないほどだろう。
「あのしにがみ兵たち。デッドセーラーの魔力で操られてるの」
「本当かい?」
「間違いないわ。だから、あいつを倒せばこの一団は壊滅する」
「……つまり、僕たちで向こうに乗り込んであいつを仕留めようって提案?」
「放っておいたらさっきやられたフォロッドの人たちまでしにがみ兵にされる。下手すればピラニアンたちも」
【ようかい魚】と呼ばれる魔物がいる。魚の骸骨が魔力を宿し、動き出した魔物だ。これ以上敵の数が増えれば、戦線を維持できなくなるのも必至だろう。
だが、勝てるのか。その疑問が腹の底から湧き上がってくる。ザジはこれまで多くの魔物と対峙し、勝ってきた。けれど、あれは別格だ。油断も隙もならない殺意の塊の魔物。生半可な力ではないだろう。不安が隠しきれなくて、表情にそれが現れてしまう。
「ふふ、心配しないで。大賢者メディル様の弟子のあたしがいるんだもの、勝てるわよ――ギラ!」
けれど、そんなザジの心配を見透かしてか、少女は両掌から炎を打ち出しながら告げた。打ち出されたギラの炎は、いつの間にかこちらに駆けていた二体のしにがみ兵をあっさり打ちのめす。
「いい、あたしがいるわ。だから勝てる。頑張りましょう」
自分とほとんど年の変わらない少女にここまで言われて、情けないけれど、負けられない。闘志が、ザジの中に戻ってくる。
「……わかった。ドンホセ、いけるかい?」
「あ、あたぼうよ!」
背負い袋を振り回してしにがみ兵を殴り飛ばしたドンホセは、ひいひいと息を吐きながらも親指を立てて見せた。不気味なしにがみ兵相手に善戦しているのは――約一名微妙だが――この三人と兵士長のルーク。ルークが兵士たちの士気の要として立っている以上、乗り込んで親玉を倒すのはザジたちの役目だ。
「ほう、オレサマを倒すか」
方針が決まったその時、デッドセーラーもこちらの船に乗り込んできた。同時に、先ほど倒したピラニアンの数体が蠢いた。ようかい魚へと変貌を始めているのだ。
「あんたの死体操作って、距離が離れると効果が薄くなるんでしょ。だから直接乗り込んできたのね」
「へぇ、人間のくせに勘がいいな」
「もちろん、あたしは大賢者様の弟子よ」
賢者の弟子が何で絵描きなんだよ。その突っ込みをザジは喉の奥に押し込む。今は戦いの場だ。殺し合いに意識を集中する。
少女はいかずちの杖をデッドセーラーに向けた。竜の彫像に込められた魔力が放出され、闇の封印による暗雲を切り裂く雷光がデッドセーラーへと迸る。デッドセーラーはそれを片腕を振るうだけであしらった。
戦斧をクロスを描くように振り回し、肩に担ぐとデッドセーラーは力をためる。
戦いが、始まる。
「げひゃひゃ、こりゃメザレの英雄くらいには楽しめそうだなぁ。かかってこぉい、人間どもぉ!」