「はぁ、はぁ、げほっ……」
荒く息を吐き、胃に溜まった海水を吐き捨て、ザジは砂浜に倒れ伏す。船を投げ出され、荒れる封印下の海を泳ぎ切れたのは奇跡としか言いようがない。以前の体力ではとてもできなかっただろうことを考えると、職を戦士に変えたのは正解だったと言えるだろう。
イオで推進力を得て、失われる体力をベホイミで騙しながら泳ぐ。これまでの短い人生で培った技術は意外なところでも役に立つものだ。
「ほんっと、僕もお人好しになったなぁ」
視界を横に動かす。そこには、必死になってここまで引っ張ってきた少女の姿があった。鎧も剣も、泳ぐのに邪魔な道具の全てを海の藻屑にした代わりに拾ってこれたのは、生意気な魔法使いの命だ。それでも、ダーマでは何一つ自分の力では守れなかったことを想うと、比べ物にならない程にマシな成果だった。
ダーマでのザジは、無力な少年でしかなかった。ただ一人の肉親を守ろうとして、その実、何一つ力になれていなかったのだ。ザジとネリスがあの町で生き抜けたのは、――認めたくなかったが――カシムの助力のおかげだ。それすら気づかず、ザジは恩人に突っかかっていたのだ。
ふきだまりの町で生き延びることができたのは、カシムのおかげ。ダーマで支配されたまま終わる境遇から救ってくれたのは、アルスたちのおかげだ。ザジの力では、誰一人として守ることも、助けることもできなかった。
「……ふ、僕だって、少しは頼りになるんだ。みたか、姉さん」
ザジの力を認めてくれなかった大切な人。この場にはいない最愛の姉に、反抗するようにザジは呟く。そして、力尽きて瞼を閉じた。
***
ぼやく視界に目を凝らし、徐々に意識が鮮明になってくる。ぱちぱちという火の爆ぜる音と肌に感じるほのかなぬくもりを意識し、ザジは瞼を持ち上げる。視界に映るのは焚火の炎と、その奥で膝を抱えながら座る茶髪の少女だ。
「あ、気づいた」
うめき声をあげながら身を起こすザジに、彼女は小さく呟くと用意していたコップに水筒の水を注ぎ、ザジに手渡す。それを一気に飲み干し、やっと意識が鮮明になった。
「ここは……」
「たぶん、メザレ島。船から落ちた後、あたしたちは運よくここに流れ着いたみたい。他の人たちは分からないわ」
「そう、か」
少女の話を聞きながら、彼女が海に落ちた後の記憶がないことを悟る。ここまで彼女を引っ張ってきたのはザジだ。けれど、恩着せがましくそれを明かす気はなく、ザジは何も話さないことにした。
「どのくらい、僕は気絶してたんだ」
「たぶん半日くらい、かしら。【トヘロス】を唱えといたから、よほど強い魔物でもいない限り近づいてこないわ」
「ああ」
言われて気づいたが、空はどんよりと黒い雲に覆われ、島全体が暗く重い空気に包まれている。だというのに、少なくともザジたちの周辺は魔物の気配がしなかった。おそらく彼女が見張りをしていてくれたのだろう。そして、その事実はザジに少女の力を改めて教えることであった。
使用者よりも実力の低い魔物を寄せ付けない呪文、それが【トヘロス】だ。その呪文を使って魔物が寄ってこないということは、少女の実力はメザレ島の魔物を歯牙にもかけないものだという証明である。
おそらくだが船で戦ったしにがみ兵クラスの魔物はいるだろう。そして、ザジはあの魔物を抑え込めるほどの実力を有しているとは言い切れない。
「助かったよ、ありがとう」
「うん……あたしの方は、ごめんなさい。新手に気づけなかった」
デッドセーラーに取りついた魔物。現れた状況からして、元々デッドセーラーの船に乗り込んでいたのだろう。いざという時のための保険として、メザレの封印の元凶が送り込んでいたのだ。
「僕も気づいてなかった。君が気付けないほどなんだからそれなりのやり手だ」
そういいながら、ザジは魔物の正体に見当がついていた。
実体のない影が騎士の姿をとった魔物、シャドーナイトだ。デッドセーラーが動き出す直前、真っ黒で薄っぺらい騎士の剣が見えた。まず間違いないだろう。
「次からは、油断しないようにね」
「気を付ける。あんたもよ」
「君が言う?」
「言うわよ。二人なんだから」
互いに文句と軽口を交えながらの会話だったが、それで少女もザジも気が軽くなった。これから一緒に行動しなければならないのは確実だ、意思疎通ぐらいはそつなくこなせるようにしておきたい。初対面では喧嘩腰になった二人だが、そのころのしこりはもうほとんど残っていなかった。
体力的にも多少マシになってきたし、そろそろ動けそうだと判断する。
「……とりあえず、ここからは僕と君で行くしかないな。もういけるかい?」
「ええ」
「メザレの村に向かおう。これが封印された島の状態として、その封印を解く方法を探るにも、村の現状を見なきゃどうしようもない」
そこまで言ってザジは立ち上がる。軽く体を動かし、筋肉をほぐす。目を細め、遠く、メザレの村がある方に視線を向けるとともに、意識を集中する。以前【僧侶】の職を経験していたおかげか、魔物の気配や力量をある程度掴むのは得意だ。この辺りの魔物の力量は、ダーマ近辺より若干強いくらいか。武具を失くした今、油断できない。
「ほら、行くよ」
「わ、分かってるわよ!」
少女は慌てた様子でいかづちの杖を右手に強く握りしめる。彼女も海に身を投げ出した結果、荷物のほとんどを失っていた。大事にしていた絵描きセット一式は船室に置きっぱなしだったが、おそらく船諸共沈んでしまっただろう。
そうだ、とザジは一つ思い出す。
「そういえば、君の名前を聞いてなかったんだけど」
フォロッドでの自己紹介の際、彼女は【メディルの使い】の弟子と名乗ったが、自身の名前は語っていない。ルーク兵士長には名乗ったのだろうが、ドンホセとザジはそれを聞いていなかった。
「そうだったわね。メディル様の弟子の魔法使い、ミクワよ」
名前を聞き、彼女と同じパーティを組むのだと自覚できた気がする。
膨大な魔力を持ち、攻撃から補助、探索まで幅広い呪文を会得して、その自信に裏打ちされた度胸はどんな魔物が相手だろうと臆することはない。それが、なし崩しとはいえしばらくザジの仲間となる魔法使いだ。
――盗賊の次は自称賢者の弟子の魔法使い。僕は仲間を作ろうとすると、どうも極端だな。
けど、相手が誰であれ、悪意がないなら信用してみる。本当の仲間とは、たぶんそういった最初の一歩から始まるんだ。
邪険にして、きっとものすごく感じの悪かった僕を仲間にしてくれたのは、そんなアルスの信頼からだったから。
「ミクワ……分かった。改めてよろしく」
「ええ、よろしく」
目標は決まってない。けど、目指すなら、あんな旅人はいいかもしれない。
同行することを拒んだ、口には出さない
***
魔物の気配に気を配りながら歩くこと一時間。ミクワが【フローミ】の呪文で探知したメザレの村が見えてきた。いくつかの建物が破壊されているが、ひとまず村の体裁は保てているようだ。
別段やましいこともないのでまっすぐ町の入り口に向かうと、恐々と見張りに立っていた人がこちらに気づき、及び腰で槍を向ける。
「ま、魔物か!?」
「違うわ。フォロッドからの依頼でここに来たのよ」
「フォロッド……?」
「証拠はないけどさ」
ぽつりとザジが呟くと、余計なことを言うなとミクワに脇腹を小突かれる。見張りの男は村長を呼んでくるから待っていろと言い残すと村の奥に消えていく。
「あんた、ホント一言多いわね。」
「癖でね。性格悪いんだ」
「自覚しててそれじゃあどうしようもないわ」
ミクワは少しでも話しやすくなればと、村にたどり着くまでザジに会話を振ってきていた。その中でもザジは上げ足をとったり皮肉を交えたりと、あまり好感を持てない話方になってしまっていた。
ダーマでの経験を経て極力そう言った部分は抑えようと考えるのだが、どうもミクワ相手だと抑える気にならなかった。……以前一度だけ共闘した赤毛の少女を思いだして、下手に出たくない。
ただ、ミクワもそんなザジの性格を受け入れてくれたのか、遠慮なく話してくる。あんがい、悪い気はしない。
しばらく待っていると、村から数人の男衆を引き連れて村長がやってくる。その様子を見るが、どの人物も警戒心に加え恐怖心が隠せていない。
「ここ、神の兵の末裔の村だったよね。けどさ……」
「頼りないって?」
「非戦闘員ばかりみたいな感じだ。あるいは戦闘経験が不足しているのか」
「あんたみたいに?」
「僕は、これでもダーマの開放に貢献した方なんだけど」
「あたしは詳細知らないんだけど、一緒にいた三人組のお供、ってとこ?」
「そんなことは――」
「デッドセーラーにもビビってたじゃない」
「……ばれてたのかよ」
また始まった口喧嘩は村長たちがやってきた時には終わらせる。
メザレの村長は眼光は鋭いものの、杖を突いて足の不自由な様子を見れば戦力にならないことが判断できた。その片腕は、痛々しい包帯に包まれている。
「フォロッドから、と伺ったが。真か?」
「フォロッド兵団と一緒に近海の魔物と戦ってたんだ。海に投げ出されて、僕と彼女だけがここにたどり着いた。兵団は聖なる炎を掲げてるし、体勢を立て直したらすぐに駆け付けると思う」
船が沈んでなければ。その余計な付け足しは、意識して飲み込んだ。
ザジがここまでの経緯、フォロッドからの援軍の予定があることを話す。援軍の希望を抱き、後ろの男たちの顔に僅かながら光がともる。
「ふむ、魔物が化けたものではなさそうだな」
「当然よ」
心外だ、と言わんばかりにミクワは杖で地面を叩く。ほんのわずかながら少女から魔力が漏れた。
「ここで話していると奴らに気づかれるやもしれん。儂の家に案内しよう」
村長に先導され、二人はメザレの村に足を踏み入れた。
メザレの村の建物は土壁と煉瓦で作られた見た目頑丈そうなものだ。しかしその建物も半分が打ち崩されており、魔物との激しい闘争の痕を思わせる。
「それで、この村は何があったんだい」
向かいながらでも構わないだろうとザジが問う。
「数日前だ。島の中心の祠から黒雲が立ち昇ったかと思うと、あっという間に島は封印に包まれた。ほどなくして、村はアンデッドの魔物に襲われた」
後に分かったことだが。封印の元凶である魔物の親玉が、島の中心にある祠を襲ったのだ。警備についていた者は惨たらしく惨殺され、魔物の親玉は呪術を行使して祠にあった墓の亡者を傀儡とした。
祠の墓は、嘗て神と魔王が争っていた時代に神と共に戦った神の兵のものだった。当時の神の兵を傀儡とした魔物たちの襲来により、メザレの村は襲撃を受けたのだ。当然戦ったのだが、嘗ての神の兵の力は圧倒的で、今の村の兵たちでさえ歯が立たなかったのだ。
嘗ての神の兵たちはどうにか魔物の束縛を跳ねのけるも、それを成し遂げた頃には村の主要な戦士は全滅。神の兵たちの魂は再び囚われ、魔物たちの計略に利用されているらしい。
しかし、メザレの村人が抵抗できなくなったその時、魔物たちはぴたりと手を止めたのだ。
村の周囲には配下の魔物が闊歩し、村人は村の外に出ることも助けを呼ぶこともできない。生き地獄のような現状を楽しむことも、魔物の企みの一つなのだろうか。メザレの住人は、ただ死を待つだけになっていたのだ。
話を聞き、ザジはいかにも神の兵の末裔らしくない見張りの様子に納得がいった。そもそも、戦える者がもういなかったのだ。見張りに出す人材すら、頼りないのも当然だ。
「早い話、元凶を倒せば全部解決じゃない」
「それができないから困ってるんじゃないか」
「メザレの人たちに戦闘要員がいないからでしょ。さっきまで休んで回復はしてるし、予想だけど、この島に巣食ってる魔物なら、あたしは負けない自信がある」
どこからその自信がと呟きそうになるが、ザジにも思うところはあった。それはミクワのトヘロスの効果が絶大だったことだ。それを思い返せば、魔物の首領は分からないが、取り巻きならば後れを取ることはないだろう。
「武具はいくつか村に残っているものがあります。村の英雄たちが使っていたものは魔物に奪われましたが、それ以外にも業物がいくつか。お貸ししましょう」
武器が、と言いかけたザジの先手を打つように村長が言葉を重ねた。その態度に少し違和感を覚えるが、まだ口には出さないでおく。
「あの魔物を倒していただけるのであれば我々メザレの者としても願ってもないこと。お願いできますかな」
「もちろんよ!」
安請け合いする少女にザジは仕方ないなと嘆息する。そして、話の展開を見守っていた村の人々に意識を向けた。
たんなる違和感なのか、それとも、ダーマの惨状を潜り抜けたザジの警戒心が見せているのか。分からない。けど……。
――どこか、生気のない人達だな。
その感覚は、魔物の討伐に出向く瞬間までぬぐえなかった。