これは、自然の摂理なんだ。大自然に生きる者の宿命なんだ。
凄まじい緊張が動悸になって、胸を突き破ろうとしていた。もう、背は向けられなかった。片手に持ったナイフを硬く握りしめ、目の前のランポスに向けた。ゆっくりとにじり寄るランポスに思わず後退りしながらも、ナイフの先だけはずっと奴らに向けていた。
サディの元に近寄ってきたランポスに対するフレントの不意打ちをきっかけに、俺たちは完全に縄張り争いの構図になっていた。
俺とフレントはナイフと斧をそれぞれ構えて3頭のランポスと睨み合っている。俺におもいきり腕を引かれたサディは、背後にきっといるはずだ。怯えた息遣いがかすかに聴こえてくる。
「サディだけでも逃すぞ。」
俺はランポスと視線を交えながらフレントに囁いた。
「あぁ。」
フレントはやけに低い声で言った。俺は振り返らずにサディに逃げるように言った。鞄が地面に捨てられる音と共に、サディが違和感のあるリズムの足音を立てて逃げていった。
それを見たランポスの一頭が追いかけようと足を踏み出したが、出せる限りの大声で叫び、ナイフを突きつけて威嚇した。
ランポスもそれに応じて甲高い声で空に向かって吠え、今にも飛びかかろうとしていた。
「やってやろうぜ...。」
次の瞬間、発狂したかのような奇声を上げたランポスは、俺とフレントに向かって牙を剥きながら襲いかかってきた。
目を見張るほどの跳躍力だ。見上げるほどまで高く飛んだランポスは、鋭い脚の爪を地面へ突き立てた。その場にいたもう一頭のランポスもそれに続いて俺に向かって噛み付いてきた。よろめきつつも後ろへ飛び退き、攻撃の機会を伺った。
狙いは奴らの目。サディを睨んだランポスは、逆側にいたフレントに目を傷つけられ、あっけなく退散していった。こいつらの弱点はきっと、目ん玉だ。
再び噛みつこうとしたランポスを避けた俺は、目掛けてナイフを突き出した。しかし顔にすら届かなかった。
フレントも斧を振り回して攻撃を試みるが、まるで当たる様子がない。さっきのはラッキーパンチだったようである。
「アンタ、振り回すだけでいい。あいつらもビビってるぞ。」
フレントは荒い呼吸をそのままに、俺に言った。たしかに、彼が斧を振り回すたびにランポスは後退りを繰り返していた。
「うおおおお!」
俺は叫びながら乱暴にナイフを振り回した。たしかにランポスも怯んでいる。なんだこいつら、意外と臆病者じゃないか。
だんだんと吹っ切れてきて、ランポスとの距離も近づいていた。あいつらが繰り出す攻撃も、よく見れば俺の反射神経で十分避けることができたし、ナイフを振るだけでビビるランポスに手応えを感じ、果敢に攻撃を仕掛けた。
引っ掻こうと爪を振りかざすランポスの横に回り込むことができた俺は、ここぞとばかりに渾身の力でナイフを首に突き刺した。皮を突き破り、肉を抉る鈍い音が手を伝った。
ランポスが鳴き、首を振り上げて暴れた。凄まじい力だった。姿勢を崩しかけ、思わずナイフから手が離れた。
俺はランポスの脇腹を蹴り、よろめいたところに少し助走をつけて体当たりをかました。見事にランポスは倒れ、首に刃が刺さったままもがいていた。
「そのままやっちまえ!」
フレントがもう一匹のランポスを威嚇しながら言った。俺は言われずとも倒れたランポスの首を力に任せて蹴りまくった。
ランポスは立ち上がらなかったが、気絶する気配すらなかった。流石に息が上がり、蹴りに力が入らなくなってきた頃、フレントが突然目前に現れ、ランポスの首目掛けて手斧を両手で振りかざした。足元に血が飛び散り、ランポスの抵抗が一気におとなしくなった。
フレント俺のナイフをランポスの首から抜いて俺に渡した。ナイフには血がべったりとついていた。もう一匹いたはずのランポスは、既にどこかへ消えていた。
森が再び静寂に包まれようとしていた。肩で息をする俺たちのむさ苦しい呼吸の音だけが混じって消えてを繰り返していた。
「どうやら、俺たちが勝ったみたいだな。」
フレントは仕留めたランポスから手斧を抜き取って言った。足元には首皮一枚になったランポスが血を迸らせ、倒れていた。
「とりあえず、村に戻ろうぜ。サディもまだ近くにいるだろ。」
「あぁ。」
少し胸を締めるような感覚を覚えつつも、俺たちはすぐにサディを追おうとした。
しかし、妙に騒がしい音がする。俺はすぐに嫌な予感を感じ取った。二人同時に足が止まり、お互いに顔を見合わせた。
「走るぞ。」
そう言って駆け出したのも束の間、ふたたび奇声がどこからともなく響いてきた。完全に包囲されていたと気づくには、時間は要らなかった。フレントが横で舌打ちした。
俺たちの周りには、あっという間に両手で数えるほどのランポスが集まっていたのだ。彼等は俺たちを嘲笑うかの如く、空に向かって吠え続けた。
「ハハ...どうやら一本取られちまったみたいだなぁ。」
不思議と絶望感はなかった。絶対に切り抜けてやる。それだけだ。
「もういいぜ。なんだってこいよ!」
鼻で大きく深呼吸をした俺は両手でナイフを硬く握りしめた。
「おうよ!」
追い込まれた者の、断末魔のような叫びが轟いた。俺とフレントは目の前のランポスの大群に向かって全速力で突っ込んでいた。
「目を瞑って!!!!!!!!!!!!」
突然の出来事だった。目の前に見覚えのある虫かごがボテンと落ちた。虫かごはまもなく鋭い音と共に強烈な光を発した。思わず目手で両眼を覆う。
「今のうちだ!はやくこっちへ!」
目を開けると、クラクラとよろけるランポスの向こう側に、サディがいた。
一瞬何が起こったのか全くわからなかった。しかし、虫かごのなかからチラリと姿を現した一匹の虫に、俺は思わずはにかんだ。
「なるほどね。おいフレント、急ぐぞ。」
ポカンとしているフレントの頬を叩き、サディのもとへ駆け寄った。サディは汗だくになりながら眼元を拭って微笑み、こう言った。
「間に合ってよかった。」
それを聞いたフレントは鼻で少し笑った。
「なぁに、軽く捻ろうとしてたんだ。」
俺はフレントの頭を小突いた。すると彼は、いたずらがバレた子供のように無邪気に走り出した。その滑稽ながたいのいい背中を追いかけ、俺たちも村へ急いだ。
村の森まで来ると、既に男たちがわらわらと走り回っていた。槍の影、松明の火影が物々しく行き交っていた。森の奥から突然現れた俺たちに気づいた男の一人は、両手を大きく振りながら怒鳴った。
「おぅいこらぁ!なぁにやってんだぁ!」
俺たちはその男の元に行くと、いきなり俺の頭を叩いてきた。
案の定というか、村はランポスに襲われている様子だった。日頃森に行ってるやつが、こんな時にいないとはどういうことかと、男は文句を言ってくるのだった。
誰がモンスター退治のエキスパートだと言ったのだ。俺はモンスターを狩りに森に行ってるわけじゃない。
「別にそんなに怒ることないだろう。」
そうすると男はまた俺の頭をはたいた。
「村長のとこの娘さんがお前たちがどうのこうのって言ってたぞ。」
「イアが?」
彼女には俺たちが森に行くことは伝えておいたはずなのだが。
「心配させちゃったんだよ。きっと。」
急に用でも足したくなったのか、サディはなにかやきもきした様子で言った。イアの家へと行こうとすると、フレントはアーミカの無事を確かめると言って自宅へ急いだ。
「おい、早くイアの家に行くぞ。」
「う、うん。急ごう。」
フレントの背中に視線を送っていたサディに、俺は大きめの声で言った。
イアの自宅の扉を叩くと、間も無くして勢いよく開いた。中から安堵した様子のイアが現れたが、俺たちのことを見た瞬間に、険しい表情に変わった。あきらかにおかしい反応であった。
「イアは無事だったんだな。よかった。」
「よくないわよ!なにしてんのあんたたち!」
俺の言葉に、イアは突然鋭い剣幕で声を荒らげた。俺は反射的に腹がたった。こいつまであのおっさんと同じことを言うつもりなのか。
「はぁ?だいたい俺はな。モンスター退治なんて微塵も興味はねぇんだ。」
「そんなことわかってるわよ。」
「じゃあなんなんだ。」
「イアさん。何かあったんですか。」
サディがお互いの間に割って入った。イアを宥めるように、冷静な口調で話した。
「アーミカちゃんがいないのよ。ここに入れようとしたんだけど、すぐ戻るからって自宅の方に行ったまま戻らないの。」
「えっ」
どういうことだ。あいつがこんな時に限ってなにを急ぐというのだ。サディになにか知らないか聞くと、わからない、と一言だけ言った。目の焦点が定まらない様子で当たりをキョロキョロとしている。俺はフレントが自宅を見に行っていると伝えた。噂をすればなんとやら、そう言った途端に彼は走ってこちらに向かってきたのである。たどり着いたのも束の間、彼はこう言った。
「アーミカとラブちゃんが家にいねぇんだ。お宅にお邪魔してないか。」
「なんてこった...。」
俺は思わず頭に手をやった。考える暇はなかった。俺たちは三手に分かれると、ふたたび森へと飛び込んだ。今日の森は、実に不快な匂いに満ちているような気がした。
彼女が行方を晦ました理由、きっとその原因は共に姿を消したモスのラブちゃんにある。僕は村についてから押し寄せていた疲労も忘れ、走りながら必死に考えていた。
モスはとても警戒心の強い生き物だから、少しでも騒がしくなると、忽然と姿を消す。
しかしそんなモスとはいえラブちゃんは村の中で暮らしている。ランポスの襲撃を感知できたとしてわざわざ森に逃げることがあるのか。仮にそうだとして痕跡があったとしても、アーミカがそれを追っていれば今頃村にいるはずだ。
痕跡を追えなかったとすれば、無作為に森に飛び込んでいることになる。そうなれば、こんなこと考えたって仕方がないじゃないか。僕はこんがらがった考えを投げ出すように頭を振った。
「アーミカ!聞こえていたら返事をしてくれないか。」
アーミカらしき声は全く聞こえなかった。耳に入るのは、背後の村やその周辺から聞こえるざわめきだけだった。
勝手に持ち去ってきたその辺に立てかけてあった誰かの槍を掲げて振りながら、必死に森へと叫んだ。アーミカ、君はそんなに馬鹿じゃないはずだ。少なくとも僕よりは。
そこまで遠くへは行っていないはずだという算段の元、広く浅くの捜索をしているが、現在地と叫び声の届く範囲から考えれば、なかなかに奥まで進んでいるようだ。いくら呼んでも、彼女の声になって返ってくることはなかった。
もうやけくそになりそうになった頃、なにか軽くて硬いものをコツンと蹴飛ばした。石ころかと思ったが、それは間違いなく彼女の物だった。
「スリングショット...。」
拾い上げたのは、アーミカが肌身離さず持っているスリングショットだった。僕の中に、うっすらと希望の芽が出始めた。しかし同時に、ふりしきる不安の雨もあった。
僕はアーミカが通れるような場所をひたすらに突き進んだ。彼女の名前を叫びながら、腕に擦り傷を作りながら進んだ。
「助けて」
今、なんて言った。僕は足を止めた。あまりにも微かな音だったのだ。草一本揺らす音すらも、この瞬間の僕には耳障りだった。
「アーミカ!」
「サディ」
なにも考えず、僕は右手にあった茂みに突っ込んだ。枝や草木に体を殴られながらも槍で払い除け、林へ出た。すると彼女の姿はすぐに見つかった。
尻餅をついた体勢で彼女から見た正面の一点を見つめていた。彼女が見つめるその先は、大木が邪魔で確認できなかったものの、まず僕はアーミカの下へと走った。
「アーミカ!やっと見つけた。」
「サディ...!」
彼女の顔はひどく青ざめていた。腰が抜けたのか、立とうとはしなかった。
「助けて。」
彼女がそう言って指差した先には、木陰の中で目を不気味に光らせるランポスの姿があった。背中が凍りつくように痺れ、それは頭頂部にまで届いた。
僕はなれない手つきで槍を構え、アーミカの前に立ってみせた。
「アーミカ、立てない?」
振り返らずに言った。しかし決してランポスに目を合わせようとはしなかった。
「ううん。」
背後でのそりと立ち上がる物音がした。ランポスはお構いなしに高らかに吠えた。きっと仲間を呼んでいるのだろう。
「アーミカ、君が先に逃げないとだめだ。二人とも背を向けたら、きっと彼は追いかけてくる。」
「は...?」
「いいから。絶対に村へ戻るんだ。」
ランポスは木陰から、こちらを見据えると、今にも駆け出しそうな気配で近づき出した。
「でも..。」
「心配はいらないよ、ありがとう。すぐ行くから。」
不思議と吹っ切れていた僕は、槍を構えてスタスタと歩き出した。そして突進とも呼べるスピードで、僕はランポスに突っ込んだ。
逃げ腰で突き出した槍は、カチンとチンケな音を立ててランポスの爪にぶつかった。邪魔な木の枝を跳ね除けるように、ランポスは僕の槍をどかして噛みつこうと身を乗り出した。つまずくように後退し、なんとか避けた僕は負けじとランポスを小突き回した。
「この!この!」
嫌がる様子を見せていたランポスは、とうとう痺れを切らしたのか僕の槍に噛み付いた。そしてそのまま乱暴に振り回した。僕はランポスの力に歯が立たず、まるで人形のように左右に揺れた。柄を握り、踏ん張っていたがランポスの強靭な顎にたちまち槍が折れ、僕はその場にひざまづいてしまった。
恐る恐る上を見上げると、乾いた血のように黒い爪を今にも振り下ろさんとしているランポスの姿。すぐに僕は負けを悟った。
すぐに頭を下げ、両手で覆って蹲った。その瞬間、ランポスの悲鳴と生々しい音が響いた。頭を覆っていた手にペトリと温かいなにかが当たった。
「アーミカとサディになにしやがんだ。」
ランポスの首にはナイフが深々と刺さり、血が滴り落ちてきていた。僕の手の甲は、真っ赤に染まっていた。
「アンタ...。」
アンタはそのまま火が灯った松明でランポスを殴りつけると、そのままランポスを力任せに倒してしまった。
そこにすかさずフレントがやってきて、首目掛けて斧を豪快に振り下ろした。瞬く間にランポスは血飛沫と共に息絶えた。
「二人とも大丈夫か。」
過呼吸気味になっていた僕は、なにも言うことができなかった。手の甲は真っ赤に染まり、腕には擦り傷だらけで、服もボロボロになっていた。力が入らなくなった僕は、そのまま仰向けに倒れた。
「サディ!」