「おはようアンタ。よく眠れたかい。」
サディがそう言って歩いてきていた。
「君は本当に空が好きなんだね。」
そう言って彼は笑窪を作った。彼は“あの本”を抱えていた。いつの間にかものすごい量の栞が閉じられていた。
「お前の方こそ、ずいぶん読み込んでるみたいだな。」
「まぁね。一文字もわからないけど。」
そう言って彼は、赤い栞が挟まったページを開いた。大きく描かれた一体のモンスターを中心に、無数のモンスターが所狭しと描かれている見開きのページだった。生態の分布図かと予想する俺に対して、サディはページの片隅に指差してこう言った。
「そうともとれるかもしれない。けど、もっと違うメッセージが込められているような気がしてならないんだ。」
サディの解釈は、中心のモンスターから周囲の生き物が逃げている、というものだった。確かによく見ると、全ての生物は中心に背を向けている。小さく描かれていた人類も例外ではなかった。
サディは間違いなく、この本と今回の事件に関連性を疑っているに違いない。
「この事と関係があるって言いたいのか。」
「端的に言えば...そういうことになる。」
サディはまるで告白するようにそう言った。俺の目を見た彼は、パッと本を閉じた。
「ごめん、忘れてくれ。飛躍しすぎた妄想だよこんなもの。あぁ恥ずかしい。」
忙しそうな手つきで鞄に本を仕舞い込んだ。
「いいじゃんか。別に違ったっていいだろ。」
俺は咄嗟にそう言った。森の奥に秘密があることは確かなことだ。そして何より、俺もその可能性を否定できなかったのだ。
「だとしたら、この本は終末の予言書かなにかかなぁ。」
サディは微笑の滲んだ表情で言った。
夏季の始まりを告げるような濃淡に富んだ空の中を、颯爽と雲が流れていく。森からやってきた白い鳥が、蕩々とその影を俺の前に落として行った。有明の月も、太陽も、妙に白かった。
碧色の空が白じろと輝き出した頃、俺たちは一本の大木の根に集まっていた。村の門から少し離れた場所にある、森の入り口とも呼べる場所であった。
「よぅし、一丁やってみようぜ。」
意気揚々とフレントは言った。彼はこの間よりも二回りほど大きな斧を持っていた。俺なら両手で扱うほどの代物であった。
「いいのかな...。こんな勝手に。」
大きな鞄を背負い、槍を持っていたサディが呟いた。
「今更なにビビってんだって。」
俺は右手に装備したオンボロの盾のベルトを締めて言った。そう、これらの装備は全て、自警団の小屋からお借りしたものなのである。早朝から忍びこんで、施錠されていた扉をあらかじめ強引に外しておいたのだ。
自警団とは言っても、俺らを含めた村の青年が加盟する形だけの組織だ。装備の倉庫の管理は実に粗末なものであった。
「まぁ、モンスターを追い払えば貸し借りなしか....。」
自信なさげに言ったサディは、鞄の中から深い緑色の液体が入った小さな瓶を取り出した。
「この回復薬を配っておくよ。怪我をしたら、患部に塗ってね。疲れてどうしようもない時に飲んでもいい。」
サディはそれを一人に二本づつ手渡した。
「美味しいの?」
アーミカがまじまじと回復薬を見つめて言った。
「残念だけど味は保証できない。アオキノコと薬草だからね。でも、効果は抜群さ。」
サディはそう言って虫かごを一つ取り出し、鞄を閉じた。
アオキノコと薬草を煎じることで出来上がる回復薬は、確かに不味いが上手に作れば効果は絶大だ。この村の商売の要にもなっている。
しかし調合にはそこそこの腕と知識が必要で、俺がやったら、間違いなくこんな綺麗な緑色は出せないだろう。
「君たちの分は...想定外だったな。どうしよう。」
サディはアーミカの足元にいたメラルーたちを見て呟いた。彼らも今回の戦いに加わるという。彼らは草で編まれたポーチの中にいろいろ忍ばせているようで、薬草や干し肉などの食料がゴチャッと入っていた。
「留守番しててもいいんだぜ。」
「アイツラ、ユルサナイ。」
森に暮らす彼らなりに、なにか黙っていられないところがあるようである。俺たちはまさしく猫の手を借りて、森へと繰り出したのだった。
彼らはモンスターの気配にかなり敏感らしい。先行していくメラルーたちはお互いに謎のコミュニケーションをとりながら、俺たちを先導した。
「ここ、あたしがモンスターに襲われたところだ。」
アーミカがそう言ったのは、秘密の釣り場を経て歩き続け、大木が散らかる大きく開けた場所に出た時だった。
「やっぱり襲われたのか。」
ここは俺たちが痕跡と同時に奴等を発見した場所だった。サディの推理とは裏腹に、アーミカもここでドスランポスとドスファンゴと邂逅していたのだった。
「この辺までドスファンゴに追いかけ回されて、追い詰められた時にドスランポスが来たんだ。混乱に乗じて逃げた先で、この子たちとラブちゃんに出会った。」
俺たちはしばらくアーミカの話に度肝を抜かれていた。女の子が丸腰同然でドスファンゴに追い回されて、ドスランポスにも会って、よく無傷で済んだものだ。
「しかし、意外と静かなもんだな。」
フレントが言った。彼の言う通り、昨日まで森の中に渦巻いていた不穏な気配は、随分と大人しくなったような気がする。
「力のあるモンスターとはいっても、争いを好む訳じゃないですからね。」
サディはそう言いながら草むらを掻き分けてなにかを探していた。
争いの気配は既になくなっているものの、それはこの一帯がどちらかの縄張りになったことを暗示していることは明白だ。それを解っているのかメラルーたちも、真剣に周囲を嗅ぎ回っている。
「ニャー。」
探索をしていたメラルーの一匹がこちらを見て白い牙を見せた。
「チカクニ、イル。」
その言葉に一気に俺たちの中で緊張感が高まっていった。しかし、こうも揃って臨戦態勢を取れると、不安は全くない。
「どこでもいい。身を隠せ。」
俺たちはメラルーが自然と集まったところに身を寄せる。サディも遅ればせながら慌てて走り出した。彼の虫かごの中で、手のひらほどの虫がバチッと音を立てて短く光った。
「なんの気配だ...?」
「リョウホウ。」
メラルーは間髪入れずにそう言った。しかし、なんだか様子がおかしいという。その言葉を元に再び耳を研ぎ澄ますと、確かにゆっくりとした足音が近づいてきていた。
「いたいた...!」
確かにドスファンゴがゆっくりと歩いていた。しかし牙は欠け、傷が露わになるほどの状態になっていた。そしてそれを追ってきた三頭のランポスも姿を現した。
彼らは手負いのドスファンゴに向けて容赦ない攻撃を加え続けた。体の至る所に鉤爪や牙の跡をきざみこんでいく。瞬く間にドスファンゴは横転し、短く痙攣した後に息絶えてしまった。もう聴き慣れたランポスの遠吠えが、鼓膜をつついてきた。
彼らは縄張り争いに勝ったようだ。ボスがピンチになったブルファンゴたちは、既にここから離れているだろう。
「死ぬまで戦ったのか...?なぜそんな..。」
眉間にシワを寄せたサディが呟いた。
「ターゲットが絞れたな。仕掛けるか?」
既に額に汗を滲ませたフレントが言った。ここにきて思いの外緊張しているのか、早く身体を動かしたい様子だった。
「僕が彼らの目の前にこの光蟲を投げますから、目を瞑っていてくださいね。彼らの目が眩んでいるうちに、頑張りましょう。」
サディは慎重に光蟲が入った虫かごを持った。その瞬間からアーミカは蹲って顔を隠し始めた。
生唾を飲んだ彼は、見つからないように近づいていき、思い切り虫かごを投げつけた。耳をつんざくような音と共に、閃光が俺たちの影を形作った。
「よぉしいくぞ!」
木陰から乗り出し、よろけるランポスにここぞとばかりに体当たりをかました。倒れたランポスに向かって、フレントが豪快に戦斧を振り下ろしていく。木こりの斧とは段違いの威力だ。首を千切らんとばかりに、皮を破り、肉を断ち切っていく。瞬く間に鮮血が地面を紅に染め上げた。
「俺たちが致命傷を与えるから、止めは任せたぞ!」
虫の息になったランポスに、サディやメラルーは止めを刺して行った。そうしてドスファンゴの死骸を取り巻いていた三頭のランポスは、あっという間に片付いてしまった。
これが俺たちの経験した、最初の肉食モンスターの“狩猟”だった。しかしその達成を喜ぶ暇もなく、俺たちの前には、一頭の青き山賊が立ちはだかるのであった。
血で目の縁を鮮やかに彩り、数々のブルファンゴの肉を裂いたであろう黒く染まった鉤爪を持ったドスランポス。欠けた後ろ足の鉤爪が、歴戦の猛者であることを物語っている。
「光蟲はあれだけなんだろ。」
「う、うん。」
俺は短剣を硬くにぎりしめ、盾を構えた。
「なら、真っ向からやるしかねぇな!」
「おうよ!みんな、俺には近づくなよ。斧を振り回すからな。」
ドスランポスは空に向かって吠えた。不気味な奇声を上げこちらを睨み付けるランポスに、アーミカが石ころを放ち、見事当てて見せた。
不意打ちに怯んだドスランポスに、フレントが体がしなるほどの勢いで斧を振り下ろした。その一撃は傷ついていたドスランポスの脚の表皮を大きく引き裂いた。
「いける!」
代わる代わる俺が踏み込み、患部に向けて短剣の刺突攻撃。短剣を深く刺し込み、一旦距離を取って二本目の短剣を鞘から抜いた。
よろけたドスランポスは俺とフレントをギョロっとした目つきで睨むと、引き裂かんと飛びかかってきた。
流石は猛者なだけあって、あの傷でもびくともしない。後ろ足の鉤爪は地面を深くえぐった。ドスランポスが爪を引き抜く間の隙に、俺はすかさず二本目の短剣を傷口に刺した。
飛びかかりは食らえばただでは済まないが、回避できれば大きな隙になるようだ。
フレントが弱点を作っていき、そこを攻撃してたくさん出血させれば、体力をみるみる奪っていくことができる。俺はそのためにドスランポスを挑発し、飛びかかりを誘発させようと試みた。
声を上げて威嚇をしては、距離を離していく。思惑通り、ドスランポスは高く跳躍すると、鉤爪を地面に突き立てた。
「隙だらけだ!」
上半身を目一杯使った戦斧の一撃が、またもやドスランポスの弱点を作り出した。かなり効果的な作戦だったが、相手はメラルーから知将とも評される頭脳を持つドスランポス。そう何度も同じ手は通用しなかった。
飛び上がったドスランポスを見た俺たちは反射的に隙を狙うが、奴は地面に滑らかに着地して見せたのだ。そして素早く身を翻しながら、背後に迫っていたフレントを尻尾で叩きつけた。
「ぶはっ!」
重い音と共にフレントが地面から足を浮かせて倒れた。ドスランポスは軽快な動きで俺に向き直ると、嘴を大きく開いて噛みつこうとしてきた。しかし奴が踏み込んだ瞬間に、謎の怯みを見せた。大きくよろけたドスランポスからは、血が流れ始めていた。
なんとアーミカが呼吸を荒らげながら、スリングショットを構えていたのであった。彼女が放ったハリの実は、見事にドスランポスの脇腹を抉っていたのである。
「アーミカ、スゴイ。」
よろめきながらもドスランポスは前足の鉤爪を一心不乱に振り回した。草葉は散り、低木の枝はたちまち折れて吹き飛んできた。俺は盾を構えてそれらを防いだ。
「グァッ!グゥア!グォオオッッ!」
怒りが頂点に達したのか、ドスランポスは激しく吠え立てた。そして先程とは比べ物にならない機敏な動きを見せ始めた。並の人間の動体視力では捉えられない機動力をこの巨体で発揮している。
「気を付けろよ!攻撃を凌ぐぞ。」
俺はそう言って武器を構え、サディと背中を合わせた。アーミカは再びハリの実をスリングにかけながら、フレントの大きな背中に身を寄せていた。
ドスランポスは俺たちを撹乱するように、四方八方へと飛び回っている。目で追ってはいたものの、奴の強襲能力は圧倒的だった。
「きたぞ!」
俺たちに狙いを定めたドスランポスは、飛びかかってきた。サディと俺は咄嗟に身を投げ出し、攻撃を回避した。しかし、ドスランポスの狙いは外れてはいなかった。
身を切り返し、地面を這いつくばっていたサディに急接近したのである。
「うわあああ!」
ドスランポスはサディを拘束し、鉤爪を不適に光らせた。間に合わないと思ったその時、樹上から三つの黒い影が降ってきた。
「ニャー!」
メラルーたちがドスランポスの身体に張り付き、ステッキやピックアックスで引っ掻き回し始めたのだ。
「ココデ、アッタガ、ヒャクネンメ!カクゴセヨ!」
「ニャー!!」
予想外の奇襲にドスランポスはパニックになり、メラルーたちを引き離そうと暴れ回った。その間にも血はどんどん流れていく。
「サディ、怪我はないか。」
「うん。」
サディを起こすと、ドスランポスが暴れながら突っ込んできた。顔面にメラルーがくっついていた。
「ニャー!」
ドスランポスはそのまま樹木に衝突。落ちてくる葉や枝を浴びながら転んでしまった。メラルーたちも衝撃で派手にぶっ飛んでいった。
「今がチャンスだ!」
俺は残り一本の短剣をドスランポスの目に突き刺した。生々しい感触と共に鮮血が俺の手を赤く汚した。
ドスランポスは悲鳴を上げた。一瞬激しく暴れたが、すぐに大人しくなり始めた。やはり目への一撃は相当なダメージのようだ。俺はこの瞬間に勝ちを確信した。
「どうだ...!」
俺たちはしばらくそのまま動かないでいた。ドスランポスはそのままぐったりと動かなくなった。サディが安堵のため息を漏らした。
「や....やった!」
アーミカの一言と同時に、今にも千切れそうな糸がとうとう切れてしまったように、緊張が解けていった。俺は振り返ってみんなの顔をみた。メラルーを除いて、喜びが爆発しそうな顔をしていた。そう、メラルーを除いては。それは俺たちがまたしても、知将の策略にハマっていたことを示唆していた。
ドスランポスは突然むくりと起き上がったのだ。
「アンタ!」
俺はサディの声に咄嗟に背後を振り向いた。そこには片目を潰された血塗れのドスランポスが、俺に向かって鉤爪を振り下ろそうとしていた。
俺は反射的に盾を構えた。岩でも降ってきたのかという程の衝撃を感じたその瞬間、激痛が俺の腕を襲った。
「ぐっ!!」
ドスランポスの鋭い爪は、俺の装備していた木製の盾を突き破っていた。袖に生暖かく気持ち悪い感覚が広がっていく。
「ちくしょうっ」
俺は何も考えず、盾に刺さった鉤爪に短剣を突き立てた。無我夢中で放ったその一撃は鉤爪を砕き、俺はその勢いで尻餅をついた。
とうとう武器を失ったドスランポスは覚束ない足取りで踵を返すと、足を引きずりながら逃げ去ろうとした。
「逃すか...っ!」
痛みを忘れていた俺はすかさずその後を追おうとした。
「どいて。」
アーミカが横からゆっくり現れると、再びスリングショットからハリの実を撃った。彼女が放ったそれはドスランポスの腱を穿った。飛び散る血飛沫と共に倒れた彼に、フレントが強烈な一撃を打ち込んだ。今度こそ力尽きたのか、三度動くことはなかった。
「今度は、仕留められたか。」
汚らわしい音を立てて斧を抜きとったフレントが、呼吸を荒らげて言った。
「ヨクヤッタ!ドスランポスニ、カッタ!」
「ニャー!」
メラルーたちは奇妙なステップを踏んで喜びを爆発させていた。
「やったぞ。俺たちが、村と森を守ったんだ。」
立ち上がろうとして煮えたぎるような腕の痛みに顔を歪ませると、サディが飛んできた。
「動かないで。ほら、僕の回復薬を飲むんだ。」
そう言って蓋を抜いた彼の分の回復薬を渡してきて、俺のポーチからもう一つ回復薬を取り出した。
「やったな。」
俺は回復薬を一気飲みし、サディにそう言葉を漏らした。
「すごいよ本当に。」
サディが俺の腕から慎重に盾を外して言った。裏側にはドスランポスが残した爪の鋒が突き出ていた。盾がなかったら、俺の腕は一体どうなっていただろう。
「俺たちには森の向こうに行く力がある。こいつは、それを証明してくれたんだ。そして示してくれたんだ。新しい生き方を。」
サディは回復薬を俺の腕に当てながら、どこか感慨に満ちた表情をしていた。
「決めたぞサディ。俺は”モンスターハンター“になるぞ。」
その言葉に、サディだけでなく全員が俺の顔を見た。
「なんだ?モンスター狩りでもしようってのか。」
フレントが勘弁して欲しそうな顔でそう言ってきた。
「違う。そんな単純なものじゃない。俺たちがこれから目指すべきものなんだ。」
訳のわからなそうな顔をするフレントとは対照的に、サディは満足げに微笑んでいた。
”モンスターハンター“、全ての命の調和をもたらし、それを制し、その中に生きる者。きっと、俺たちにはそうなれる力があるのだ。
俺は尻餅をついたまま、ふと森の奥に目をやった。木漏れ日の淡い光が、吹く風に揺られていた。
無事にドスランポスを倒し、村と森を救った4人とメラルー。アンタはその狩の中で「モンスターハンター」としての生き方を見出しました。これが、全ての運命の歯車が回り出した瞬間なのです。