『水菓子狂詩曲』
今、将に新たな甘味が尾張で生まれようとしていた。
ご存じだろうか?「美味しい水の和菓子~水信〇餅~」というものを。
戦国の世からみたら遥か未来にギリギリの按排で作られた限りなく水に近い和菓子である。
非常に消費期限が短いために、作られてから数時間のうちに食べなければその甘味の真価を充分に味わいつくせないというシロモノだ。
実のところ静子もテレビで紹介しているところを偶然に目にしたことがあるだけであった。
だが、ささやかながらせっかくの権力を持つ身になったのである。
一度作って食べてみてもバチは当たらないということで作ってみた。
レシピは綺麗な水、黒蜜、天草などで特別なものではない。
基本的に非常に単純であるが、異常なまでに鮮度と使う材料の按配にこだわった部分が特に難しい。
ただ、今の静子の立場はとてもとても多忙であり、一つの和菓子作りに彼女自身が時間をかけてかまけているワケにはいかなかった。
仕方がないので、尾張にある静子お抱えの和菓子職人に起草した依頼書をだす形にせざるをえなかった。
この時代の水の水質はよっぽどのことがない限り非常に良い。
工業化で汚染物質が垂れ流されているということも基本的にない。
生活排水による水質悪化もたかが知れている。
荒れに荒れ果ててしまっている人の世の傍らで滾々と湧き出る清水。
良質な材料が容易に手に入るのだから、彼女にはこの稀有な「食べる水の和菓子」を作らないという選択肢はないのであった。
先の仁比売の発案による菓子作りの件で帝と宮中から尾張の和菓子職人たちは評価された。
これは大きな興奮と喜びを彼らにもたらした。
そして、彼らは新たな菓子の創造というものに並々ならぬ情熱を傾けて日々研究しているのである。
今回の静子からの依頼は単純でありながらも究極の菓子を作るという彼らへの挑戦状であると認識された。
和菓子職人たちの情熱を燃え上がらせたのは当然だったのである。
そんな傍らで、彼女が失念していたことがある。
彼女の周辺には、織田家中の者たちの間者(笑)に囲まれて生活していることに。
静子は織田家の中で地位が上がると共にその家を大きいものへ変えてきた。
本人に至っては手狭に過ぎなければ充分であるのだが、大きく出世してしまった立場が許してくれない。
結果として手が足りないなら、「うちの娘を侍女に」などという話があちらこちらから舞い込んでくる。
もちろん、身元の怪しい人物を採用するわけにもいかない。
結果、家中の身内を家人として雇うことを是とすることになる。
自然と各々の身内への新作料理の情報漏洩の元を抱え込むことになったのであった。
静子が何やら新しい菓子を作ろうとしているという話は瞬く間に広がった。
それは野火もかくやというほどに重臣たちの間を駆け巡ったのである。
織田家中だけでなく三河の徳川はおろか越後の上杉にまで。
もちろん、安土の信長の耳にもしっかり入るということは当然のことであった。
信長が知るということは、あの人物にも当然伝わるということである。
濃姫である。
お気づきであろうか?
濃姫は静子のイメージしている不動の「織田家フリーダム・ランキングNo.1」「織田家・食道楽ランキングNo.1」の二冠王という人物である。
もちろん、この新しい菓子の話を聞いた濃姫は直近の予定が自身にないことを確認すると、早速、いつもの面子である家臣奥方軍団のまつやねね、えい達を引き連れて静子の邸宅に向けて出発したのであった。
そして、やっとできた美しくも瑞々しい完成品を前にした静子の前に織田家のフリーダム&食道楽の二冠王者が顕現するのである。
「また妾を差し置いて美味いものをこっそり食べようとは静子も隅に置けないのう」という微妙に微笑ましいかもしれない圧迫がいつも通りの風景として生まれるのであった。
『どうすんのコレ』
静子の元には様々な海外の生物や植物が集まる。
基本的に彼女の生まれた時代には絶滅してしまった生物が多い。
それは、彼女の手が届く範囲でだが保護するという意味合いが強かった。
そんな中、「もう要求したモノ以外はいりません」という彼女の言葉のやりとりが上手く伝わらずに送り届けられた生き物がいくつかいた。
「珍しい生き物を覆面宰相殿は喜ぶ」とうことでイエズス会は頑張った。
すごくスゴク凄く頑張った。
その結果がある鳥を彼女の元へ連れてきたのであった。
フクロウオウムである。
マオリ族の言葉で「カーカーポー」または「カカポ」と呼ばれる夜行性の飛べない大型のオウム。
確かに珍鳥であった。
もちろん、未来における絶滅危惧種でもある。
だが、飼育する上で彼女はこの鳥の持つ大きな問題を知っていた。
とても長生きなのだ。
大切なことだからもう一度言う。
非常に長命なのである!
何せ最大で95年ほど生きる鳥である。
しかも、その生態も良く分かっていない生き物である。
自分のできる範囲を遥かに凌駕するこの鳥の寿命が手に余ることこの上もない。
そして、頭を抱えて「どうするのよ。コレ……」とこぼしたのは言うまでもない。
『時渡り』
血糊で切れ味の落ちた刀を投げ捨て新たな刀~最後の一本~を男は手に持つ。
三日月宗近。
平安時代の刀匠・三条宗近の作で後に国宝に指定されることになる銘刀である。
また、天下五剣と呼ばれる名刀の中で最も美しい刀と評されている。
ここは二条御所。
永禄八年(西暦1569年)五月下旬、室町幕府足利将軍家・十三代将軍足利義輝は、三好三人衆と松永久道に兵一万で攻められる。
獅子奮迅の抵抗をするも今まさに最後の時を迎えようとしていた。
剣豪将軍の名に相応しく義輝に斬り棄てられた兵が周囲に倒れ伏している。
ざっと三十人以上は転がっているであろうか。
先日、伴天連繋がりで知り合った南蛮商人から献上された文物も飛び散った血と贓物を被り真っ赤になっていることが目の端に映った。
そして、無自覚に視界に捉えたそれ~南蛮の奇妙な黒く染められた皮の装丁の本~が大量に浴びた有象無象に染められ、風に煽られたのかぱらぱらと音を立て更に血を吸った。
まるで、奇怪な意思を持っているかのように……
そして、義輝はもはやこれまでと自刃する決意をした、その時、それは起きた。
不意に義輝の囲んでいる空間の音と色が消えたのである。
妙に覚めた頭でどこか遠い世界に隔絶されていたような違和感を認識することもなく義輝はあたりを首を動かさずに目だけで睥睨する。
全てが停止していた。
沈黙の世界を壊す場違いな闖入者がコツコツと足音を立てながら現れる。
山伏姿の行者が不安定そうな一歯の下駄で器用に歩いてきたのであった。
その頭には頭巾を被っており顔がよく見えない。
義輝は誰何しようとするも、身体が全く動かない。
金縛りにあったように動けないことに気が付く。
何者かと精一杯目を凝らすも、その貌には滑らかな漆黒の空間だけが広がりその中を星が瞬いていた。
奇怪な行者は固まっている義輝を尻目に、周囲の異様な状況も意に介さずに血に染められた黒革の書を手に持つ。
この行者は驚くほどに背が高く六尺以上ある。
行者の大きな掌で本はパラパラと開かれる。
そして唐突に本に火が灯った。
あっという間のことであった。
ただ火が付いたというモノではない。
そして黒い行者の手の中に生まれた炎ちうよりは閃光の爆発と共にソレがやってきた。
義輝と行者の間に川の急流の落ち込みなどで見かける虹色の泡の様なものが生まれた。
目の前に生じたそれはふわふわと浮遊する。
そして、その一つの球体は更なる球体を生み出し、幾つもの球体が連なる群体へと成長していく。
泡の一つの直径は一尺から二尺ほどの大きさでまちまちである。
群体が増えるのが止まると、その一つ一つに突如として横やら縦やら無秩序に亀裂が走り淡い光を放ち始めた。
目が開いた。
数多の目が彼を見つめる。
目眼瞳めメ……あまりの異形の出現に義輝は金縛りに縛られながら無言で混乱と恐怖に叫んだ。
そして目の泡は燐光を放ちながら消えていく。
そこには義輝も奇怪な行者もいなかった。
生きている者は誰もいない。
その日、三好と松永による足利義輝への謀反が起きた。
しかし、義輝の首も遺体も見つけられることはなかった。
滅茶苦茶に損壊された死体が多々あったため彼らは将軍の死を疑わなかった。
この世界で在りえない何かが起きたことに気が付く者はいなかった。
少し時間が空いてしまいました。
三日ほど前には一応書き上げてはいましたが、校正・加筆修正に時間がかかってしまいました(^^;
それでは、また遠くないうちに…