私立秀知院学園。かつて、貴族や士族を教育する機関として設立された由緒正しき名門校である。
貴族制が廃止された今で尚、富豪名家に生まれた将来の日本を背負うであろう人材が多く就学している。
そんな彼らを率い纏め上げる者が、凡人であって許される筈がない。
「皆さん、ご覧になって!」
不意に声を上げた少女の視線の先から、二人の男女が歩いてくる。
一人は歩く男の一歩後ろを優雅に歩く美少女。名前は四宮かぐや。
秀知院学園の副会長。総資産200兆円、ゆうに千を超える子会社を抱える四大財閥の一つ、四宮グループの本家の長女である。
芸事、武芸、音楽、そして学問と全ての分野に於いて他者とは一線を画す結果を残し続けてきた正真正銘の天才。
そしてもう一人、本を片手に歩く男の名は白銀御行。
秀知院学園の生徒会長であり、質実剛健、聡明英知を擬人化したとさえ言われるほどの秀才。学園内試験で一度、ある男から一位を奪い去った事で一気に周囲の生徒から注目を浴びた。
かぐやの様に多才ではないが、勉学一本で畏怖と敬意を集めるその姿は模範的かつ圧巻で、生徒会長に抜擢された。
「いつ見てもお似合いなお二人ですわ…」
「えぇ…。神聖さすら感じてしまいます…!」
(神聖)
そんな二人を、人混みの外からこっそり覗く男がいた。
「もしかして、お付き合いなされてるのかしら?どなたか訊いてきてください…」
「そんな!近付く事すら烏滸がましいというのに!」
(近付く事すら烏滸がましい)
二人をこれでもかと持ち上げる言葉に吹き出しそうになるのを堪えながら。
今、日本には鬼才を持った高校生が二人いると言われている。
一人は四条帝。元々は四宮の分家であったが、本家との方向性の違いから追放という形で離脱、現在はその四宮に迫る規模の企業にまで成長を遂げた四条グループの跡継ぎである。
そしてもう一人。何という因果か、四条とは因縁深い相手、四宮家の四男でありながら現当主雁庵から後継者としてすでに指名されている四宮総司。
長女であるかぐやとは双子であり、総司が兄。廊下を歩く白銀とかぐやを物陰から見ていた張本人である。
さて、今説明した通り、同年代のトップといっていい二人は互いに因縁のある家同士の生まれだ。四宮と四条、両家が分断した経緯も相まって、この二つの家の仲は冷え切っている。そしてその事はそうした事情に詳しい者なら誰でも知ってる、常識とすらいえる。
そんな両家の跡継ぎである二人は、今ーーーーーーー
『親父がさぁ、今度の模試で必ず総司に勝て、でなきゃ今後二度と家の敷居を跨がせないとか騒いでさぁ。お袋も親父と一緒になってギャーギャー言ってよぉ。…寿司奢るから負けてくんない?』
「ふざけんな。こっちだってお前に負けたら本家の糞共が俺をゴミを見る目で見てくるんだ。寿司程度で負けてなんかやらん」
勉強しながら通話アプリで仲良く会話してたりする。
家同士の仲は冷えきっていても、個人同士は関係なく、周囲には秘密で二人は友人として付き合いを続けているのだ。
『あーあ、マジでいつまでこんな下らん事引きずってんだろうな。ま、洗脳染みた四宮憎しな教育受けてりゃそうなるんだろうけど』
「…その割にはお前は全然そんな事ないよな。眞妃さんも」
『俺はほら、天才だから。周りがどうとか基本、どうでも良いから。姉貴は…知らん』
「訳が分からないんだが」
帝と会話しながらも走らせるペンは止めない。ノートにはびっしりと問題集に載った問題の解答が書かれている。
『あ、そういえばさ』
「あ?」
『この前そっちはテストあったろ?どうだった?』
「…」
ぴた、と総司の手が止まる。
「別に。いつも通りだけど」
『いつも通り、ねぇ…。白銀くん、だっけ。去年総司に勝ったの』
常に一番をとり続けてきた総司が最初に敗北したのは中学二年の時。まだ小学生から続いていた試験の連続満点記録が途切れてなかった頃。その全国模試で、総司は初めて満点を逃した。
といっても総司が間違えたのは五教科の中でたった一問。普通ならそれでも圧倒的一位に立っているはずだった。普通なら。
そう、帝である。初めて総司が満点を逃した試験で、帝は満点をとったのだ。これが、総司が人生で初めて喫した敗北である。
それからは総司と帝、二人は火花散る争いを毎度の全国模試で繰り広げる事となる。時には勝ち、時には負け。初めは勝って当然を義務付けられた自分に敗北を押し付ける帝を憎たらしく思っていたものの、今では良きライバル兼友人として関係を保っている。
話がずれたが、総司が敗北を喫した相手が帝以外にもう一人いる。それが秀知院学園現生徒会長、白銀御行だ。
その日、ある事情があり総司は寝不足だった。倫理のテストで解答が途中からずれていた事に気付かないまま提出した結果、総司は初めて学園内で一位の座を他者に明け渡したのだ。
別に寝不足を言い訳にするつもりはない。第一、あとで知ったのだが、白銀もテストの日は必ず強烈な睡眠不足を抱えて臨んでいるのだ。あの日の試験も例外ではない。その状態で自分はミスを犯し、白銀はミスなく解答した。完敗である。
『いやー、あの時はマジで驚いた。総司が俺以外の奴に負けたってんだから』
「…俺だって万能じゃない。負ける事くらいある」
『その台詞、三年前のお前に聞かせてやりたいよ』
「うるせぇ」
からかい混じりに言ってくる帝に短く痛烈に返してから、総司はペンを再び走らせる。
少しの間、総司の部屋にはペンが走る音しかしなかった。しかし不意に、総司のスマホからメッセージの通知音が鳴った。
「…かぐやから呼び出しだ。行くわ」
『んー、了解。じゃあ今日はここまでだな』
椅子の背もたれに寄りかかりながら両手を上げて体を伸ばす。今開いている問題集のページにノートを挟んでから閉じ、机に置かれたスマホに人差し指を近付ける。
「じゃあな。次の模試の景品はさっきのお前の案を借りて寿司でどうだ?」
『おう、それで良いぜ。つっても、模試はもうちょい先だけどなー。おやすみ』
「ん、おやすみ」
挨拶を交わしてから通話を切り、スマホケースを閉じる。そのままスマホはズボンのポケットに入れ、総司は部屋を出た。
「もう戻って良いぞ。ご苦労だった」
「かしこまりました」
直後、総司の部屋の前に立っていた壮年の男にそう告げる。スーツ姿の男は総司に一言返事を返した後で、腰を折って頭を下げる。
総司は男の綺麗なお辞儀を見もせずその場から立ち去る。
先程の男は本家、正確には父から遣わされた総司のお付きだ。部屋で帝と話す際はこの男に部屋の前で見張りをさせている。
いくら父から許可は貰っているとはいえ、その事実を知っているのは本家の中でもほんの一部。四条家に関しては帝が総司と友好関係にあると知っている者は一人もいないだろう。
そんな状況で、たとえ自分の部屋の中とはいえ警戒もせず敵(笑)と通話する訳にはいかなかったのだ。
「さて、今日はどんな笑える話を聞かせてもらえるかね?」
薄暗い廊下を進んだ先にあるのは、総司の部屋の扉と似た扉。この扉の向こうが妹、かぐやの部屋だ。
総司は扉の前に立ち、拳の裏で軽くノックする。
「おーいかぐやー。お兄様が来てやったぞー」
僅かな沈黙。その後、扉が開いた中からメイド服姿の少女が姿を現した。
「早坂。いたのか」
「えぇ。かぐや様の愚痴に付き合わされていました」
「そりゃまぁご苦労なこって」
「何をおっしゃっているのですか。これから貴方も付き合わされるのですよ?」
「…だよな」
無表情のまま淡々と告げる少女、早坂愛に総司はつい苦笑を浮かべる。
早坂が開けた扉を抜け、かぐやの部屋へと入る。
総司を呼び出した張本人であるかぐやは、壁際にある天蓋付きベッドに腰掛けていた。
学校では縛って纏め上げていた黒髪は今はほどいており、ネグリジェに短パンというラフすぎる格好で総司を出迎えた。
「来ましたか」
「あぁ来たぞ。で、今日はどんな面白可笑しい話を聞かせてくれるんだ?」
「面白くなんてありません!可笑しくもありません!今日は本当にもう少しだったのにっ!」
あーだのこーだの大声で愚痴るかぐやに、かぐやの隣に腰掛けた総司は言葉を挟まず、うんうんと頷きだけで相槌を打つ。きっと、早坂にも同じ事を愚痴ったんだろうななんて考えながら。必死に、鋼の理性で今すぐに笑い出したい衝動を抑え込みながら。
「全くもう、藤原さんは!いつもいつも後少しのところで…!」
「うん、そうだな。ホント困った奴だな藤原は」
そして一通りかぐやが鬱憤を吐き出し終えたところで総司はようやく口を開く。勿論、開いた口から笑い声が飛び出ないよう注意しながら。
(とっとり鳥の助って何?映画なの?聞いたことないんだけど。てか藤原の家ってそういうの禁止してるよな?かぐやが仕込んだチケットはともかく、鳥の助のチケットはどこから手に入れたの?)
藤原千花。かぐやと同じ生徒会メンバーで、書記を務めている生徒である。なお、書記として働いている所を総司は見た事はなく、聞いた事もないという謎多き生徒である。
かぐやの口振りから解る通り、かなりの頻度でかぐやと白銀を引っ掻き回している様で、今年中に藤原に振り回されるかぐやと白銀の姿を見たいというのが総司の目標の一つだったりする。
「大体会長も会長よ!会長が私に惹かれているのはもう解ってるのに!これ以上意地を張ってないで告白してくれば良いのに!」
「…かぐやは違うと?」
「わ、私!?何で私!?私は違うわよ!別に会長の事なんて…」
「事なんて?」
「こ、事なんて…。す、好きなんかじゃ…!」
さすがに虐めすぎたらしい。顔を赤くして、両目を潤ませながら言葉に詰まるかぐやの姿を見て総司は芝居がかった所作で両手を上げる。
「あー、解った。かぐやは別に白銀の事を好きじゃない。もう解ったから泣くな」
「な、泣いてなんかないわ!わ、解ったなら良いのよ。別に私は会長なんて…」
せっかくフォローしてやったというのに、どうして自分からループに飛び込んでいくのか。まあ先に問いかけた総司が悪いのだが。
「おいかぐや、もう10時半だ。そろそろおねむの時間だぞ」
「赤ちゃん言葉を使わないでくれるかしら?…そう、もうこんな時間なのね。なら今日はお開きにしましょう」
総司の言葉を受け、時計に目を向けたかぐやも今の時刻を察する。普段かぐやが就寝する時間は11時前後。そろそろかぐやが眠くなり始めてもおかしくない時間である。
「おやすみ、かぐや。早坂も。おやすみ」
「えぇ。おやすみなさい、総司」
「お休みなさいませ」
手を上げながら挨拶をする総司に返事を返すかぐやと早坂。総司に向かって手を振るかぐやと腰を折ってお辞儀をする早坂を横目で見遣ってから、総司はかぐやの部屋を出る。
それから足を向けるのは勿論、自室である。
今日はもうしなくてはならない事はない。父から受けた依頼はもう熟しているし、他派閥の動向の報告ももう受けている。
強いて言うなら残すは眠るだけ、というべきか。
「今日は早めに休めるな」
歩きながらポツリと呟く。普段は今頃、父からの依頼に追われているか、勉強のノルマに追われているかのどちらかだ。
だが今日は父から受けた仕事の量が普段よりも少なく、珍しく日を跨ぐ前に眠れそうだ。…父から仕事を請け負うようになってから初めてじゃなかろうか。こんなに早く眠れるのは。
本家に多くいる糞共よりはまだマシな父でさえ、この遵法意識の無さである。
「マジで俺が後を継いだ時には四宮をホワイト企業にしてやる…」
総司と同じように、幼少の頃から激務に身を投じるあの少女のために。そして何より、同じように学生の身でありながら社蓄同然の生活を送る自分のために。
四宮総司は変えたい。
自室の前まで来た総司は流れるように扉を開け、部屋の中へと入っていった。
もう何も辛くないは続けたい(小説を)