早坂可愛いよ早坂
夏休み。それは学生達にとっての希望。ある者は友人達と思い出作りを。ある者は恋人と愛を育み。またある者は自身の趣味のために時間を費やす。
夏休みとは、学生達にとっての希望なのである。
「…」
ただ、何事にも例外というものはある。この四宮総司が良い例である。
すでに夏休みに入ってから半月が過ぎている。だというのにこの男は友人と遊びにも行かず、趣味のために時間も使えず、恋人はいないから仕方ないものの、ひたすら仕事と学業に専念する毎日が過ぎていく。
夏休みとは、一体何なのだろうと、総司の今の姿を見る者がいれば誰もがそう思うだろう。
「…よし」
キーボードを叩く手を止め、体勢を崩す。
朝食を摂ってから七時間。昼食は簡単なものを赤木に自室まで持ってこさせ、ひたすらに部屋に籠って仕事を続けていた。まだ量はあるものの、終わりが見えてきた段階で総司は一旦手を止めて休憩をとる事にする。
さすがに休みなしでずっと仕事を続けるのは総司でも集中力が持たない。総司とて人間なのだから。
椅子から立ち上がり、ふらふらと力なく歩いた総司はベッド目掛けて顔面から倒れ込む。シーツに顔を埋め、大きく息を吐いてから寝返りをうち、天井を見上げる。
「くぷぇーーーーーーーほ」
脱力と共に変なため息を吐いてから、総司はこれからどうしようかと考える。
無論、この後も仕事なのだが、今日はまだ時間に余裕がある方だ。恐らく夜の九時頃には今日の分は片付く。
いや、朝から時間のほとんどを仕事に費やして、夜の九時までかかるのいうのは明らかに異常なのだが。
「騒がしいな~」
ベッドに寝転んだまま、首を動かして顔を壁の方に向ける。総司が向いた方向は、かぐやの部屋がある方向だ。
そっちの方からかぐやが何やら騒いでいる声が聞こえてくる。多分、早坂にあーだのこーだの白銀との事について言っているのだろう。
総司も夏休みに入ってから何度かかぐやから相談を受けた。しかし手応えのある結論には至れなかった。
何しろかぐやもそうだが、白銀も互いに互いを誘うという選択肢が初めから無いのだ。それではどうにもならない。
白銀の家の近くに偶然を装って行ってみればと提案しても、そんなストーカー紛いの事は出来ないと言うし。
そんなこんなで夏休みに入って半月が過ぎたが、かぐやと白銀の間には何も無かった。そう、何もだ。会えもしないのに何かがあるはずも無いのだから。
「…もう少し、どっちかが素直になればな」
そうなれば、あの二人は今までの期間は何だったんだと聞きたくなるくらい簡単にくっつく事だろう。そして今までの期間は何だったんだと聞きたくなるくらいイチャイチャしまくる事だろう。
「…何かそれはそれで面倒臭くなりそうだ」
かぐやが白銀とくっつけば、かぐやから呼び出される数も減るだろうと総司は考えた。だがその考えをすぐに改める。逆に増えそうだ。
やれ白銀との仲をもっと深めるにはどうしたら良いかだとかデートにはどこへ行けば良いかだとか。
更に良く考えれば呼び出してくるのは本当にかぐやだけで済むのだろうか。白銀からも色々と相談されそうなのだが。
「やめやめ。そんな仮定の話、後になって考えろよ」
いずれ来るだろう未来だが、果たしてそんな未来はいつ来るんだろうか。このままじゃ卒業まで今の関係のままというのもあり得そうで怖い。
「…ホント、何騒いでんだろうな」
かぐやの部屋の方からドタドタと床を足で叩く音が聞こえてくる。
総司は体を起こして両手を組み、大きく体を伸ばしながら左右に揺らしてほぐす。
「散歩でも行くか」
立ち上がる総司。散歩といっても敷地内の庭を回るだけだが。
それだけなのだが、別邸周囲の庭は毎日使用人達が丁寧に手入れされている。そして庭の景色は四季が切り替わる度に見せる景色が変わる。
部屋を出て廊下を歩く。
ここで少し話は変わるが、総司とかぐやの部屋は近い。部屋を出て突き当たりを左に曲がり、次に左に曲がれる所で左に曲がればすぐそこがかぐやの部屋である。
総司が廊下を歩いていると、かぐやの部屋へと続く廊下の方から扉が閉まる音が聞こえてきた。ぶつぶつと何かを呟く声と足音。声を聞く限り、かぐやの部屋から出てきたのは早坂だろう。
そして総司は廊下の角から姿を現した早坂と出会した。
「──────」
「えっ…」
言葉を失う総司。現れた総司を見て目を丸くして声を漏らす早坂。
沈黙が流れる。総司は余りに突然の事で何も言葉を発する事が出来ない。
それも当然である。何しろ、姿を現した早坂はバスタオル一枚を体に巻いただけだったのだから。バスタオルの下は恐らく全裸である。
髪は濡れていて、顔はやや紅潮している。恐らく、入浴中にかぐやに強引に連れて来られたのだろう。
(まずい、これはまずい)
総司はすぐに顔を逸らした。だが、早坂の扇情的な姿は完全に総司の目に刻まれた。
藤原ほどではないもののバスタオルを押し上げる形の良い胸。引き締まったウエストとヒップ。黄金比を擬人化させたとすら思える美しいスタイルだった。
「そ、総司様…っ!」
「…早く行けよ。風邪引くぞ」
「…お風呂を上がったら話があります。後で総司様の部屋に行きます」
早坂はそう言い残してその場を駆け足で去っていく。
「…」
少しの間その場に立ち尽くす。早坂の足音が聞こえなくなってから、総司も歩き出す。回れ右をして。
こんな顔が熱くて仕方ない状態で太陽がギラギラと陽射しを注ぐ外に出るなんて無理だ、不可能だ。部屋に戻ってクーラーをガンガン回さなければ。
総司は熱くなった体を冷やすべく、部屋へと戻るのだった。
部屋に戻ってからベッドに倒れ込んでから一時間程経っただろうか。すでに体も冷え、顔も冷え、頭も冷え、クーラーの温度は戻した。
後は、あれだ。仕事の続きをしなければならないのだが、そんな気は起こらなかった。
無論、しなければという気持ちはある。だが、ベッドから立ち上がろうとする度に過るのだ。バスタオル姿の早坂が残した最後の台詞が過るのだ。
話って何だ。あんな事があった後だ、正直恐怖しかない。
何を言われるのだろうか。とりあえず何らかの恨み言を言われるのは間違いない。あんな姿を見たんだ、一発殴られるのも覚悟しておかなければ。後は…後は…。
「総司様。いらっしゃいますか?」
「っ…。あぁ、入っていいぞ」
扉をノックする音がする。その後、扉の向こうから早坂の声がした。総司が部屋に入る許可を出してから、早坂が静かに扉を開けて部屋に入ってきた。
当然だが、バスタオル姿ではない。いつものメイド服姿の早坂だ。
しかし、早坂の姿を見ると脳裏に過るあの姿。
ダメだ、止めろ、忘れろ、すぐに。記憶から消し去れ。早坂のために、そして自分の精神衛生上のために。
「すみません、総司様。仕事でお忙しい中、時間をとってしまいました」
「あぁ、いや、別に良いさ。ちょっと今は仕事に、その、手が着かなくてな…」
「…そうですか」
言えない。早坂のあの姿が過るせいで仕事に集中できないなんて言えない。言ったら最後、変態の烙印を押され早坂の好感度は駄々下がりだろう。
家族同然の人から変態と思われるのはかなりきつい。総司は固く唇を引き締める。
「総司様」
「…はい」
早坂が総司の傍まで歩み寄り、真っ直ぐに総司の顔を見上げる。そして──────
「見ましたね」
単刀直入に一言、そう言った。
「…」
「…」
早坂の視線を正面から受ける総司。数秒、数十秒と時間が経つ。
「…はい」
嘘はいけない。正直に総司は答えた。
見るどころか、記憶に刻んでしまったのだ。見てないなんて嘘にも程がある。早坂にバレるに決まっている。
「…そうですか」
「あの、その、わざとじゃないんだ。早坂の気分が悪くなるのも当然だ。けど…、許してほしい。埋め合わせなら出来る限りの事はする」
早坂の顔が仄かに染まる。羞恥の色に間違いない。
総司はそれを見てから、姿勢を正して早坂に謝罪した。
すると、早坂がピクリと震えた。
「埋め合わせ…。それなら一つ、良いですか?」
「おぉ。ドンと来い」
早坂は大きく深呼吸をする。息を吐いてから一拍起き、早坂は口を開いた。
「花火大会…」
「え?」
「花火大会、一緒に見てください」
花火大会。夏休みの終盤に行われる夏祭りがあるのだが、祭りの最後に行われるイベントだ。
それを一緒に見る、というのは二人でという事だろうか。しかし──────
「早坂、それは…」
「解ってます。夏祭りに一緒に行こうと言ってる訳ではありません」
もし早坂が言っているのが、夏祭りに一緒に行きたいという意味であればそれは無理だと言わざるを得なかった。
だが、早坂はそれを否定する。早坂が言ったのはそういう意味ではなかった。
「小さくはありますが、ここから花火が見られます」
「…そうだけど。そんなんで良いのか?」
「はい。私はそれで満足です」
早坂の言う通り、総司とかぐやの部屋のバルコニーから花火は見られる。そこから見える花火は小さい。それでも早坂は満足だという。
「…解った。それくらいならお安いご用だ」
「ありがとうございます」
総司の了承を得ると、早坂は満面の笑みを浮かべた。
普段、余り表情を変えない早坂だが、今浮かんだ笑みは本当に嬉しそうで、総司はその笑顔に視線を捕らえられる。
「総司様?」
「…いや、何でもない」
じっ、と総司に見つめられた早坂が首を傾げる。我に返った総司がすぐに視線を逸らす。
「それなら良いのですが。それでは、私はこれで。総司様、お仕事頑張ってください」
「おぉ。…改めて、本当にすまなかった」
「それはもう良いです。…何なら、もう一度見ますか?」
「…冗談は止めろ。ほれ、仕事再開するからとっとと行け」
「ふふ…、ごめんなさい。それでは、失礼します」
早坂がお辞儀をしてから部屋を出ていく。扉が閉まり、足音が遠ざかっていく。
「…はぁぁぁぁ~~~~。仕事すっかぁ」
大きくため息を吐いてからデスクの席に腰を下ろし、PCを立ち上げる。
総司の目は次第に据わっていき、集中が研ぎ澄まされていく。作業のペースはどんどんと速くなっていき、総司は自分の世界へとのめり込んでいくのだった。
ちなみに、最後の早坂との会話にあったとある早坂の台詞に大きく胸を高鳴らせたのは誰にも言えない総司の秘密である。
もう何も辛くないも見たい