すまない…すまない石上すまない…。
帰りのホームルーム後の教室掃除も終わり、誰もいなくなった教室。そこにかちり、かちりと小さな物音が鳴り響く。
窓際の席には一人の生徒の姿。我らが主人公、四宮総司である。総司は席に座ったまま、くるくるとペンを回しながら何やら考え事をしている様子。
机には一枚の写真があった。そこに写っているのは二人の男の姿。一人は総司と対して年が変わらなく見える金髪の男子。もう一人はスーツを着た壮年の男。
物陰に隠れて何かを窺っている様子に見える。
「四宮」
「あぁ。いきなり呼び出したりしてすまない。よく来てくれた」
写真を一旦机の中に隠す。そして入り口の方から聞こえてきた声に振り向き、そこに立っている男子生徒に声を掛けながら総司は立ち上がる。
「さあ座れよ。もう放課後だし、気にする事はないぞ」
「…あぁ、解った」
この男子生徒は総司とは別のクラスである。別のクラスの席に座るというのは何だか罪悪感が湧く行為ではあるが、今は放課後。全く気にする必要はない。
総司は自分の前の席の椅子を引いてそこに座るよう促す。男子生徒がそこに腰を下ろしてから、総司も再び腰を下ろす。
「それで、何の用だい?これでも僕は忙しいんだけど」
「忙しい、ね」
男子生徒は不機嫌そうに総司を睨む。総司は鋭い視線を受けながらも、全く気にする素振りは見せない。
それどころか、小さく笑みを浮かべる余裕さえ見せる。
「安心しろ。その忙しさも今日で終わる」
「…どういう意味だ」
総司の言葉の意味を計りかねたか、男子生徒は目を細めて聞き返す。
総司はその問いには答えず、黙って先程机の中に仕舞った写真を取り出し机の上に放り投げた。
「…っ!?」
劇的なほどに、男子生徒の表情が一変した。
動揺、戸惑い、焦燥。様々な感情が入り雑じった表情で、男子生徒は机の上の写真を引ったくってビリビリに破いてしまう。
「はぁ…はぁ…はぁ…っ」
破いた写真の破片を全て回収し、ポケットの中に仕舞った男子生徒は息を切らしながら笑みを浮かべ、見下すように総司に視線を向ける。
──────まさか、画像がその一枚だけとでも思っているのだろうか。だとしたら、愚かにも程がある。
「安心してる所悪いが高梨。画像のデータならもう家のPCに保存してある。残念だったな」
「っ!」
笑みから再び焦燥に満ちた表情へ。総司に高梨と呼ばれた生徒は歯を噛み締め、忌々しげに総司を睨み付ける。
「さてと、本題に入ろうか。高梨。お前は誰の指示でこんな事をした?」
「…」
黙り込み、総司の視線に耐えきれなかったか、目を逸らす。
逃げ出そうとはしなかった。逃げても無駄だと悟ったのだろうか、それとも逃げるという選択肢すら浮かばないのか。
「…ふぅ」
五分、待ってはみたが高梨に口を開く気配はない。相当強く口止めされたか、まあこの程度は想定範囲内である。ただ質問しただけで答えてくれるとは、総司も思っていない。
総司はため息を吐きながら、鞄を持ち上げて中からホチキスで留めた三枚の紙を取り出す。そしてその三枚の紙を総司は高梨に差し出した。
「これは?」
「暗号文だよ。家族を大事に思うんなら、帰ったら必ずそれをお父上に渡すんだな。それとこれは伝言だ。期限は今日の二十一時まで、とお父上に伝えておいてくれ」
総司はそう言い残し、鞄を持ち上げて教室を出る。
放課後となってそれなりに時間が経っている。校舎内に残っている生徒はかなり少ない。
「…さて、どれくらい絞り出せるかな?」
まず総司はあの少年は大した情報を持っていないだろうと考えていた。いや、それ以前に高梨家自体、敵にとっての蜥蜴の尻尾でしかないとすら思っている。
もしあの写真が総司を尾行している様子であったならば、急いであんな事をしなくても良いと考えていただろう。
だがあの写真は、藤原千花を尾行している様子を撮ったものだ。
自分ではなく、他人、それも身内に危害が及ぶというなら話は別である。
四宮総司という男は、身内には優しい人間なのだ。
「総司くーん!」
さあ、用事は済んだし帰ろう、とした時だった。背後から総司を呼ぶ声。
振り返れば、そこにはこちらに向かって大きく手を振る藤原と、その隣に澄まして立つかぐやの二人がいた。
総司は僅かに唇の端を引き攣らせた。何というタイミングで遭遇するのか。総司は冷え切らせていた思考を元に戻す。
「藤原、かぐや。今から生徒会室か?」
二人に歩み寄りながら普段の四宮総司に戻し、総司は二人に話し掛ける。
「はいっ。総司君も一緒に行きましょ~」
「藤原さん、総司は…」
「あー、かぐや、良い。藤原とは時間の許す限り生徒会室に行くって約束したからな」
総司の問い掛けに笑顔で頷く藤原。総司の事情を知るかぐやが藤原を嗜めようとするが、総司はそんなかぐやを止める。
すっかり頭から抜けていたが、藤原との約束は当然生きている。それならば、四宮としてまだ帰ってはいけない。
総司の今日のスケジュールは、二十一時になるまでは空いているのだから。
「…総司は藤原さんに甘いのね」
「そうか?」
しかし何故かかぐやにジト目で睨まれてしまう。
藤原に甘いという話だが、さっぱり解らない。別にかぐやと扱いを別にしているという自覚はないのだが。
総司は気付かない。かぐやが言っている事はそういう意味ではないと。
いつものルンルン気分な様子の藤原と、何故か呆れているかぐやと、何故呆れられてるのか解らない総司の三人は生徒会室へと向かうのだが──────
「あの?そこ通してもらえますか?」
「し、四宮…!」
生徒会室の前で白銀と石上がこそこそと部屋の中の様子を窺っていた。何をしているのか解らないまま、かぐやが二人に声を掛けると二人は驚きこちらに振り向いた。
「すまん、ちょっと今は駄目だ…!」
中に入ろうとするかぐや達を止める白銀。
その理由が解らず、藤原が首を傾げながら問い掛ける。
「何やってるんですか~?」
「あの二人が神ってるかどうか調べてるんです」
藤原の問い掛けに答えたのは石上だった。いや、神ってるって何が…。
(あー、そういう事ね)
石上が僅かに開けている扉の隙間から中を覗くと、そこには二人の男女。
柏木渚と田沼翼がソファに隣り合って座っていた。
ちなみに、田沼翼の名前は眞妃の件が気になって調べた。
「何かあの彼氏、感じ変わってね?」
「あぁ、夏休み中にイメチェンしたらしい」
しかし田沼の感じが夏休み前とは大分変わっていた。素振りがどこかチャラく、何なら髪も染めていた。白銀曰く、イメチェンらしい。
「あ!恋人繋ぎ…!これはどうでしょう…!?」
「いや、恋人繋ぎくらい初デートでもするだろう!まだ神認定は早い…!」
「前者はともかく後者については白銀に同意でーす」
中の二人が両手を握り合っていた。所謂恋人繋ぎである。だが、これではまだ神認定するには早すぎる。
それと、関係ない話になるが何故かぐやは顔を赤くして白銀を見てるのだろうか?
「あー!ちゅーした!ちゅーしましたよ!これは神じゃないですか!?」
「ちゅーくらい三回目のデートでする!まだだ!」
「前者はともかく後者は白銀に同意でーす」
柏木が田沼の頬に口付けた。藤原のテンションが爆上がりである。だがこれでもまだ神認定には早い。
「あれ!?あ!あー!首筋にキスしてます!これはどっちですか!?」
「最早これは現在進行形で神ってると言って良いんじゃないんですか!?」
「いや、これ位四回目のデートでする!」
「え、マジ?これに関しては石上に同意なんだけど」
白銀にはまだこれでも神認定は早いらしい。総司はもう、あ、やってるわこいつら、と思うには十分な材料なのだが。
だって首筋だよ?首筋にキスですよ奥さん?しかもあの吸い方、絶対キスマーク残るよ?
「なら白銀は何回目のデートでセ○クスするんだよ」
「五回目だよ!」
「─────」
総司が問い、白銀が答えた、その瞬間だった。ばたり、と何かが床に倒れ込む音が聞こえたのは。
「四宮!?」
「かぐやさん!?」
かぐやが倒れていた。どうやら容量オーバーしたらしい。
ちなみに先程の総司の質問は単純な好奇心と一緒に、かぐやへの悪戯心が混じってたのは秘密である。
しかし、大分騒がしくなってしまった。そろそろ彼らを落ち着かせないと──────
「なーんちゃって」
──────遅かったらしい。
全員が視線を向ける。そこには扉を開けてこちらを覗く柏木の姿があった。
「かっ、柏木!?これはだな…!」
「ごめんなさい。ちょっと悪戯させて頂きました」
ニッコリと笑いながら謝る柏木。
何故だろう、笑顔なのに素直に笑顔として見る事が出来ない。
「いや、その、色々と心配でな!」
「大丈夫です。私達、皆さんが考えてる様な事はまだ致してませんよ。ご安心ください」
「そ、そうか!そうだよな!」
「…」
柏木の言葉を素直に受け取る白銀。
「そんなのまだ…」
「ええ。もちろん」
安堵し、続けようとした白銀だが、妖しさすら醸す柏木の微笑みに言葉が止まる。
これはもう、完全にあれである。
柏木渚と田沼翼は神ってる。結論はこれである。
「…?」
だが話はこれだけで終わらない。いや、終わらないのは総司だけなのだが。
別に確たる理由があった訳ではない。虫の知らせというか、勘に触れたというか。とにかく総司は振り返ってしまったのだ。
「…っっっ!!!!?」
総司はそれを見て、すぐに視線を前へと戻した。
両目を剥き、唇を震わせ、そんな様子がおかしい総司に気付いたのは石上だった。
「どうかしたんですか、総司先輩?」
「…いや、何でもない。何でもないから石上…」
石上には大変申し訳なく思っている。これは素直に総司を気遣って声を掛けてくれたのだと、総司は解っている。
だが、
「今後ろを振り向くなよ。自分が大事ならな…」
「…はい」
恐怖に震えながら頷く石上。その様子にひしひしと罪悪感に襲われる総司。しかしこうせざるを得ないのだ。
総司達の背後でぽろぽろと涙を流す四条眞妃の為には。
「さて、もうすぐ約束の時間だな…」
あれからは特に何事もなく、他の人が眞妃に気付く事もなく、生徒会の活動を終えて家へ帰った総司達。
すでに外は真っ暗、時刻はもうすぐ二十一時になろうとしていた。
「総司様。高梨と名乗る男から電話でございます」
扉の向こうからそんな赤木の声が聞こえてきたのはその時だった。
総司は部屋に入るよう赤木に言い、赤木が持ってきた電話の子機を受け取る。
「お電話代わりました。四宮総司です。…高梨宗太郎さんですね?」
『──────』
電話を耳に当て、笑顔を浮かべて通話の向こうにいる相手に問い掛ける総司。
高梨宗太郎。大手グローバル企業の重役を勤める男の名前である。年収は一千万を超えるエリート役員だ。
しかし、その実態は──────
「俺が送ったお手紙は見ました?貴方に解るように暗号を作ったんですが、解読できましたか?」
『──────』
「何が狙いって…、嫌だなぁ。そんな怒らないで下さいよ。俺は貴方にとってメリットのある取引をしたいだけなんですから。あぁ、因みに手紙を処分しても無駄ですからね?ちゃんとバックアップはとってあります。それと、もしそんな事をした場合は手紙の内容を全部世間に公表させてもらいます」
『──────!──────!』
「…喧しいな。むしろあんたは俺に感謝すべきだ。俺の身内に手を出しておきながら、二度と外に出られない生活を送らずに済ませてやろうとしてんだからな、こっちは」
相手が息を呑む音が聞こえた。総司は凍らせた表情を溶かし、再び笑顔を浮かべる。
「それじゃあ、とりあえず洗いざらい吐いてもらいましょうか。今回の経緯について全部。そうすれば海外への島流しで許してあげます」
もう相手に反抗する気力はなかった。総司の質問に全て答えて時が経つこと一時間。ようやく通話を終えた総司は受話器を赤木に渡し、一言だけ命じる。
「後始末は任せるぞ」
「了解致しました」
赤木はそう一言総司に返し、部屋を出ていった。
これは、秀知院学園から一人の生徒が転校する三日前の出来事である。
いや、手は出してないじゃんと思ったそこの貴方。
総司的にはアウトです(デデーン