圭が千花に違和感を感じたのは、一週間程前からだった。毎日欠かさず交わしていたメッセージでの会話から、総司の話題が消えた。
初めは、その日は会わなかったのか、話せなかったのかと珍しく思いつつもそういう日もあるだろうと納得していた。
しかし次の日、そのまた次の日も千花から総司の話題を出す事はなかった。圭から総司の話題を出しても、千花からの返信はどこか素っ気ないものだった。
『千花姉、総司さんと何かあった?』
『ううん、何もないよー(*^^*)』
こんなやり取りを、一週間の間に何度した事か。千花は何もないと答えたが、そんなはずない。千花と同じ想いを抱いている圭は、そう確信していた。
だが千花は何も答えようとしない。だから、圭はもう一人に疑問をぶつける事にした。
結果、総司の表情が僅かに驚愕に染まったのが見えた。
「…何か、あったんですね」
「いや、別に?」
「でも今、驚いてましたよね。どうして私が知ってるのかって思ったんじゃないんですか?」
「違うって。いきなり変な質問されたから驚いただけだよ」
さすが総司というべきか、表情の変化は一瞬、すぐに笑顔に戻った総司は圭の追求を平然と受け流す。
このままでは平行線だ。それなら、
「ついてきてください」
「は?いや、ちょっ…」
圭は総司の手を掴み、そのままどこかへ歩き出す。後ろで総司が抗議の声を上げているが無視。振り返りもせず、総司を伴って歩き続ける。
いつしか総司からの抗議の声も聞こえなくなり、廊下を歩く生徒達の数も減っていき、そして、奉心祭を楽しむ生徒の姿は見えなくなる。
「…圭さん、ここは入れないよ」
「大丈夫です。兄から鍵を借りてますから」
そうして二人が辿り着いたのは、大きな両開きの扉の前。
扉を見上げながら言う総司に返事を返しながら、圭はポケットの中から鍵を取り出し、鍵穴に差し込む。鍵を回せばガチャリと解錠した音が鳴る。
圭が扉を開ける。扉の奥、正面には仰々しい木造の机。部屋の脇にはテーブルを挟んで置かれたソファー二つ。左側には壁に取り付けられたモニター。
圭が総司を連れてきた場所は、生徒会室だった。
「ここで少し待っていましょう」
「…何を?」
総司が首を傾げている。圭はそんな総司にただ微笑みのみを返す。
ここで誰が来るのかを言えば、きっと総司はすぐに立ち去ろうとするから。
まあ、ここに来る誰かさんもここで総司が待っている事を知れば逃げようとするだろうが。
「…」
「…」
沈黙が流れる。圭も総司も口を開かず、ここに来る誰かを待つ。
聞きたい事はある。でも、総司はそれを話したくない。それなら、圭は聞かなくても良いと思っていた。
だからといって、このまま放置して良いとは思っていない。これは、敵に塩を贈る様なものだ。
それでも──────
ドアノブが捻る音がした。ゆっくりと扉が開くのが見えた。
開いた扉の向こう側には兄が、そしてその一歩後ろでは桃色の紙に黒いリボンを着けた女の子。
「…千花」
「総司くん…?」
呆然と視線を送ったその先に、総司の心に引っ掛かっていた少女、藤原千花は立っていた。
千花は総司と同じ様に呆然と視線を返していたが、突然表情を悲しげに歪めると、踵を返して走り去ろうと──────
「待て」
「ぐぇ」
出来なかった。
その前に白銀が千花の制服の襟を掴んで足を止める。それと同時に千花の口から蛙が潰れたような声が漏れた。
女の子にあるまじき声だが、あれは痛そうだ。仕方ないとしか思えない。
「な、何するんですか会長!窒息するところでしたよ!」
「藤原書記が逃げようとするのが悪い」
「そ、それは…」
白銀の手から解放されたと同時に勢いよく抗議する千花だが、即座に返された白銀の反撃に言い返すことが出来なかった。
横目で視線を送ってくる千花と目が合う。
目を逸らす事なく総司は千花を見続けるが、すぐに千花から気まずそうに視線を逸らされた。
「総司、見ての通りだ。最近藤原書記の元気がない」
「そ、そんなことないですよ?」
「その原因はお前にあると俺達は考えている」
「無視!?」
千花の抗議を完全スルーして、白銀はまっすぐ総司を見ながらハッキリとした口調で続ける。
「藤原書記がこのままだと俺達の調子も狂う。そして、俺の計画も実行しづらくなる」
「…ん、計画って何だ?」
「だから、二人にはここで腹を割って、とことん話し合ってもらう」
「無視すんな」
総司の質問も完全スルーして、白銀は振り返る。
すると、先程まで総司の隣にいた圭が白銀の後をついていく、と思いきや、千花の傍らで立ち止まると口を開いた。
「千花姉」
「圭ちゃん…」
「早く元の千花姉に戻ってね」
そう言葉を残して、兄妹は生徒会室を去っていく。
「言っておくが、外から見張ってるからな。盗み聞きは当然しないが、何も話さず出てきたら解るからな」
おまけに、白銀がそう言い残して。
「…」
「…」
バタン、と扉が閉まった音を最後に沈黙が流れる。
二人は立ったまま互いを見つめ合い、何も言えないでいた。
何か言わなければ、しかし何て話しかければ?
そんな葛藤が二人の胸中で渦巻きながら時だけが過ぎていく。
「…こうして話すのは久し振りだな」
先に口を開いたのは総司だった。総司はややぎこちない笑顔を浮かべて、千花に声を掛けた。
「は、はい。そうですね…」
僅かに間を置いてから、千花も同じ様にぎこちない笑みを浮かべて返事を返した。
気まずい空気が二人の間で流れる中、千花は総司から視線を逸らす。
しかし一方の総司は千花を見つめたまま、続けて口を開いた。
「あのさ、前の事、だけど…」
「っ!」
千花の体が大きく震える。
前の事、とは言うまでもない。総司と千花がすれ違う切っ掛けとなった告白の事である。
総司自身、あの時の事を話題に出したくはなかった。あの事を話に出しては更に空気が気まずくなるだろうし、第一千花が嫌がるに決まっているから。
だがあれが今回の仲違いの原因になっている以上、話し合わざるを得ない。仲違いの解決をするためには避けて通れない道だ。
「あ、あれはっ…!」
千花が勢いよく振り向き、何かを言いかける。
勢いはすぐに衰え、千花は小さくなったと幻視できる程に縮こまってしまう。
「…本気で、言ったのか」
口にしてから、すぐに自責の念に駆られた。
本気で言ったに決まっている。そうでなければ、あんな風になりはしない。
千花の告白を、総司は最悪の形で振り切ってしまった。
受け入れる事は勿論、断る事すらせず、総司は千花の告白を放置してしまった。
「…」
沈黙が再び部屋を包み込む。何を話せばいいのか解らない。何を言っても千花が傷付くだけ、そう思えてならない。
「─────」
千花が、傷付くだけ。
そう考えた瞬間、総司の脳内で電流が奔った。
今更何を考えているのだろう。千花はもうとっくに傷付いている。それを今更、千花を傷付けたくないとでも?
傲慢にも程がある。
「…俺、さ。何となく察してたんだ」
「え?」
「千花が…、藤原が、俺の事を好きなんじゃないかって」
もう、自分に少女の名前を呼ぶ資格なんてない。そう考えた総司は呼び方を直して続けた。
千花の目が丸く見開き、総司を見る。
「察してたって…」
「知らないふりしてた。最低だろ?四宮総司って男は、そういう奴なんだ」
総司に出来る事は一つだけだった。
隠してた事をさらけ出す。それで千花が更に傷付こうとも、総司にはそれをする義務があった。
「藤原には俺がどう見えてるのかは知らないけど、多分思い違いをしてる。俺は、誰かに好かれる様な奴じゃない」
「そうじ、くん…?」
「ただの屑だよ。散々他人を弄んで、自分のために他人の全てを奪って、その上でのうのうと笑って生きていられる、屑だ」
顔を上げて千花の目を見た。その瞳は動揺故か、あるいは別の理由か、揺れていた。
「俺は、藤原みたいな
総司は、生まれて初めて、ほんの少しだけだけれど、本心を表に出した。
藤原千花が四宮総司と初めて会ったのは、中等部に上がってすぐの頃だった。
多分、総司はその時の会話を覚えていない。千花と会ったのはかぐやを通じて言葉を交わした、中等部二年の頃が初めてだったと思っているはずだ。
総司にとっては何て事ない、ただ気に入らないから言った、それだけの一言だったはず。それでも、その一言は千花にとって大切で、重要で、今の千花を形作った謂わば原点とも言えるもの。
それからだ、千花が四宮総司という人物に興味を持ったのは。テストでは常に一位をとり、運動神経も抜群で、だけど他人を寄せ付けない冷たい目をしていて。
何度も話しかけようと試みた。しかし、何者も寄せ付けない冷たい目が、当時の千花をその度に躊躇わせた。
何が切っ掛けだったか、ある日を境に次第に雰囲気が柔らかくなっていく総司を見ていて悔しかった。総司を変えたのは、自分以外の誰かなのだという現実が。
その悔しさがあったから、あの頃の総司と同じ目をしていたかぐやに声を掛ける事が出来た。自分を突き放そうとするかぐやを諦めず、話し掛け続ける事が出来た。掛け替えのない親友ができた。
藤原千花にとって、四宮総司は光だ。色々なものに呑み込まれそうだった自分を救ってくれた人。総司にはそんなつもりはなかったとしても、その気持ちがどれだけ自分勝手なものだとしても、藤原千花にとって、四宮総司は─────
「取り消してください…」
「え?」
総司が戸惑い、目を丸くする。その反応を見てようやく、千花は今、自分がどんな顔をしているか、どんな気持ちを抱いているかを自覚した。
「さっきの言葉を取り消してください」
「いや…、藤原?何を…」
「千花です」
「…」
「もう名前は呼んでくれないんですか?私の事を、そこまで嫌いになりましたか?」
「っ、そうじゃないっ!」
「それなら、名前で呼んでください!そんな風に他人行儀で呼ばないで!」
千花は許せない。他でもない総司自身が、千花の愛する人を貶める言葉を吐く事が。
「解った、解ったから…。すまん、これからは─────」
「何が解ったんですか?」
「い、いや、下の名前で呼ぶって…」
「そうですか、それは良かったです。それで、さっきの言葉は取り消してくれるんですか?」
「──────」
沈黙。まず、総司は千花が言った
それが、千花の神経を更に逆撫でした。
「だから!私の!目の前で!」
後に千花は語った。今まで生きてきた中で最も大きな声を出した瞬間だったと。
「私の好きな人を!貶さないでください!」
それは、藤原千花の二度目の告白だった。