愛は薄明の中に刹那   作:沖 一

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第二話 夜に輝く赤どもよ

□【夜興引(ヴェスパー)】ラディアラ・リベナリル

 

「ソルティ、《真偽判定》に反応した。このティアン何か知ってるぞ」

 

 その言葉を聞いた男が「本当か?」と振り返った瞬間に私の身体は動いていた。揺らめくように走り出し、矢より早く距離を詰めた。

 

 ここで殺す。

 

 武器を取り出して構える時間すら惜しい。貫手がソルティと呼ばれた男の首を狙う。

 しかし夜でない私の速度は音速域には及ばず、すんでの所で彼の左手が首を庇うように挟まれた。私の右手は差し込まれた左手を貫通するも、首には僅かに届かない。やはり昼間ではこの程度か。

 視界の端で、《真偽判定》を使っていた男が逃げようとしているのが見えた。

 手を抜き取り、男を飛び越えつつ《瞬間装備》で構えた弓で矢を放つ。

 放たれた矢は走り出した男の足を掠めるにとどまったが一瞬の足止めは叶った。彼らは立ち止まり、宙を跳んだ私に視線を向けたが、着地と同時にそれを振り切って私は茂みの中に姿を消した。

 

◇ ◆ ◇

 

 私のもとに一人の冒険家が訪れるずっと昔。

 一人の旅人が訪れた。若い男だった。

 【薬師】を名乗った彼は、まだ見ぬ薬草が無いかと歩いていたところ、いつしかこんな山奥まで来てしまったと言う。

 装備は山をただ歩き続けるには十分なものの、モンスター避けの香はこの辺りのモンスターには効き目の無いもので、彼がここまで来れたのが幸運以外の何物でもない事を物語っていた。

 このまま死なれても困りはしなかったが、【薬師】の知識に興味があったので援助と引き換えにその知識の一部を授けてもらう事にした。

 

 

 彼が滞在して数日が経過した。私は余所者が少しぐらい滞在しても構わなかったが、彼の方はずっとこんな所にいてもいいものなのだろうか?なんとなしに彼に尋ねると答えた。

 

 ――村に弟子を置いている、よほどの事態でもなければなんとかなるさ。

 

 その日も彼の講義を受け、その合間に紅茶のコツを教わった。なんでも私の育てている茶葉は匂い付けをしやすいものだとか。彼がこの山で採ったものを使って数種類飲んでみたが、どれもおいしかった。手順も教えてもらったのでこれからは私でもできるだろう。

 薬師とは言え博学だとこぼすと、

 

 ――元は俺の趣味じゃなかったんだけどな。(ひと)の為にと作っていたらいつの間にか、さ。

 

 そう言って彼ははにかんで笑っていた。

 

 

 山歩き、それも夜の中だった。二人で歩いていた。

 

 ――【宵闇狩人】の傍で夜の森を歩ける機会なんて二度とないかもしれない。いつか俺が夜を往かねばならん時に、きっとこの事が糧になる。

 

 本当は反対で、実際にするべきでないと伝えた。

 だけど彼の意志は頑なで、彼に教えをもらった借りもある。危険はあれど私がいるならこの山で私達を脅かしうる脅威はないだろうと、私はそう思ってしまった。

 そんな愚かな夜歩きの中、事は起きた。

 

 ――痛っ……いや、気にしないでくれ。少し棘で擦っただけだ。夜というだけで、こんなにも勝手が違うとは。

 

 誤算だったのは、偶然流れた彼の血が、ヒトの血が記憶よりも遥かに強く私の理性を殴りつけてきたこと。

 さらなる誤算は、この夜に限って私に襲いかかる力量さも測れない無謀なモンスターがいたこと。 

 

 血に酔った私は加減というものを忘れて襲い掛かってきた熊の腹に吸血鬼の膂力をそのままに振るった。

 【薬師】の目の前で熊は素手の私によって腹を切り裂かれ、臓物をこぼしてから光の塵になった。

 

 ――きみ、その目は……。

 

 私の両目は月夜の中で爛々と紅く輝いてみえただろう。

 彼は見てしまったのだ、唯の人の身では説明できない力と貌を。かつて人々が怪物と(そし)ったものを。

 それを見られた以上、生きて返す選択肢はなかった。

 

◇ ◆ ◇

 

 森に血の匂いが漂っていた。私のではなく、あの二人の血。その命を奪おうとして振るった手は、それでも命には届かなかった。

 

「……逃げたか?」

「いや、多分まだいる。ケガは?」

「左手が死んだな、手持ちじゃ治るか半々だ。ありゃ防いでなけりゃ首がやられてたな……【宵闇狩人(ナイトシーカー)】だと?あれは狩人系統の素手の攻撃力じゃねぇぞ、特典武具か?」

「見たところ無かった。隠密系統みたいに表示を隠蔽できる超級職かも」

「俺かお前なら就けるかもしれんな、そういうイベントか?」

「突発的すぎるけどあり得る、デンドロらしい」

 

 《真偽判定》は最も相対したくなかった相手だった。その上私が全力を使って戦った〈UBM〉について聞かれたのは輪にかけて最悪だ。【夜興引】のことも吸血鬼のことも暴かれかねない。

 つまり、目の前にいるのは最大級のリスクであった。故に《真偽判定》持ちだと分かった時点で即座に殺しにかかったのは選択の余地すら無い、必然だった。

 

 今も二人の居場所はわかる、聞かれていないと思い込んでいる話し合いまでわかる。  

 次は《帳下ろし(イクリプス)》を掛けて攻撃すれば確実に殺せる。

 

しかし、それは()()()()()()が無ければ、という条件がつく。

 

 【酩酊】。相手から攻撃を受けた訳では無いはずなのに、原因不明のそれは確かに私に罹っていた。

 いや、認めたくはないけれど原因に検討はつく。右手に付いたあの男の血だ。今も私の手から静かに滴り落ちる新鮮な血。森の中を漂う、濃厚な、人間の血の匂い。

 

 認めたくない、認めたくない。

 どうしてまた、どうしてまだ。こんな、人の血で酔うなんて。

 

「ログアウトできるか?」

「おれもあと15秒ぐらいかかる。到着は遅れるが制限が抜け次第ログアウトしよう、あれは二人じゃ無理だ」

 

 ログアウト?

 そうだ、フォリウムが口にしていた。館を離れ、〈マスター〉の国へ転移をする時に言っていた言葉だ。

 逃げる気か。

 

「《帳下ろし》《蕭殺・虚空》」

 

 先の攻撃で剣士の男と軽装の男のうち、まともに手傷を与えれたのは剣士のほうだ。本当なら《真偽判定》をもつ軽装から仕留めたかったが、まずは数を減らす。

 

「なっ、夜!?」

「来る!」

 

 狙ったのは手負いの剣士だったが、軽装の男が背後からの奇襲に反応してみせた。《虚空》による感覚鈍化を剣士に指定したのが仇となったか。なら軽装から仕留める。

 《ブラッド・アーツ》によって掌から皮膚を突き破って血を溢れさせ、それを即座に《紅血鍛冶(ブラッド・スミス)》で剣へと変える。

 しかし血剣を振るわんとしていた右腕に、どこからともなく現れた蛇が噛みついた。蛇は軽装の肩から生えていた。

 蛇に似つかわしくない凄まじい咬合力だが、《ブラッド・アーツ》による血流操作で咄嗟に硬化した腕を砕くことはない。それでも咢を離さぬ蛇は、その渾身の力で剣の軌道を逸らした。

 

 再び接敵状態となって《蕭殺・虚空》が解除され、状況に反応した剣士が背負った剣の柄を握った。

 蛇が私の腕を放さない今、そのまま振り抜かれるのはまずい。

 血液のコントロールによって皮膚に食い込む蛇の牙が抜けないように固定してから右腕を引けば、蛇ごと身体を引かれた軽装がこちらに倒れこんだ。これなら味方ごと斬るしかないだろう。

 だが、

 

「なびけ!」

 

 その一言ともに剣は振り抜かれた。だがやってきたのは私達をまとめて薙ぐ斬撃ではなく、大岩で殴りつけるような衝撃。私だけがその衝撃に晒され、たまらず飛ばされた。

 木々の隙間を吹き飛ぶ私に向かって軽装がいつの間にか手にしていた松明を向ける。

 

「《アーソン・トーチ》!」

 

 夜を照らす松明から炎が零れ落ち、それは地を駆ける焔となって私へ向かってきた。吹き飛ばされつつ空中で身体を捻ってむりやり地を蹴り、吹き飛ぶ軌道を変える。

 だが焔は三つへ分かれると二つが退路を断つように回り込み、中央の一つは軌道を修正して私へと向かってきた。  

 炎が私を囲い、更に追い立てる。

 

「《瞬間装備》《重刃枝伸》!」

 

 一瞬で装備した【枝刃巨斧 ブランチクリース】による刃の伸縮。

 だがそれは攻撃の為ではない。刃を地に向けた状態で刃を伸ばし、その勢いを利用してこの炎の囲いを飛び越える。

 不安定な体勢から即座に囲いを抜け出せる手段を持ち合わせていたのは流石に予想外だったのか炎は追従しきれず、私は囲いを飛び越えて二人から距離をとった所に着地した。

 

 消えずに燃え留まる炎を挟んで、私と彼らが対峙する。

 

 炎に囲まれた【ブランチクリース】はもうこの戦いでは使えないだろう。

 だが元々【酩酊】の状態異常に罹っている以上、あんな重たい武器を人間相手に精密に振るう芸当はできそうにない。そしてそれは緻密なコントロールが要される弓も同様だ。

 

 私が武器の多くを使えない一方で相対する二人の手札は十全。

 剣士は左手が使えない状態でありながらも剣を扱ってみせ、しかもそれは振るった軌道にいた味方を避けて私だけに打撃を与える奇剣。

 軽装は《帳下ろし》で夜になったにも関わらず私の気配を察知してみせ、それでいながら肩から蛇を生やした術を持ち、自在に炎を操作する術も扱った。

 奇剣もそうだが、特に軽装の技々の特異性はジョブでは説明できない。おそらくこれが、フォリウムが言っていた〈エンブリオ〉だろう。

 

 一目見ただけでは特定できない固有の能力を持ち、そしてジョブの能力も持っている。

 これはまさに人間版〈UBM〉だ。いや、徒党を組む以上〈UBM〉よりも厄介な相手ではないだろうか。

 だが、戦闘を長引かせながら相手の能力を探る真似はできない。そんな隙を見せれば彼らはたちまち〈マスター〉の国へと転移して逃げる。

 

 なにより、血だ。【スプリンガー】と戦った時はただ血を流しただけだから気が付かなかったが、人間の血を嗅いでから傷を負ったせいか血への欲望が時間が経つごとに強くなってゆくのを感じる。

 こうしている今も形容しがたい渇きが私を襲っている。

 

 短期決戦。それしかない。

 だが彼らはこちらの都合など知らぬように作戦を組み上げる。

 

「ハイランド、ログアウトは?」

「だめだ、この夜が一種の結界になっているのかカウントがリセットされた」

「俺が時間を稼ぐから行け。お前が合流できるかで本隊が再戦できる可能性はダンチで変わる」

「あぁ、任せた」

 

 軽装が背を向け、剣士が剣を背負うように構えてこちらを向く。

 最悪のパターンだ。ここで奴を見逃そうものなら奴はたちまち転移で逃げおおせるだろう。

 

「逃がさない!」

「いいや、行かせるね。《勝利と栄光に捧ぐ(ベレニケ)》」

 

 剣士はスキルの宣告のようなものを唱えたかと思うと、自らの長髪をバッサリと断ち切った。

 斬られた亜麻色の髪と、切り落とした髪と同じ色をした剣が金色に輝きだし、それらは光の糸となって編み合わさり一つになった。

 

 おそらく、この剣士の〈エンブリオ〉の切り札なのだろう。だが闇夜に輝く金色をただ惚けて眺めていたりはしていない。

 超級職のAGIとSTRによる踏み込みは音速領域を平然と突破して炎の壁を突き抜けた。

 

 このまま剣士を振り切って軽装を追えばいい。先ほどまでの打ち合いでわかったが、剣士のAGIは私には遠く及ばない。追い追われなら確実に私が勝つ。

 

 だがその考えを剣士は切り伏せた。

 

「なびけ」

 

 すでに一度聞いた言葉。しかし、それはただの焼き直しではなくより洗練された一撃となって私に襲い掛かった。文字通り、剣がその硬さと重さを忘れ、なびいたのだ。風に煽られたしなやかな髪のように、しかし暴風のような力強さで吹き抜けたそれは剣というよりも鞭のようだ。

 

 疾い。

 身を翻して躱したものの、金色の鞭が掠った外套は切り裂かれていた。

 先ほどまでとは違う、斬撃の性質としなやかさの両立。  

 もし初撃がこの一撃であれば私はすでに地に伏していたのかもしれない。

 

 そして不規則な一撃の回避のために態勢が崩れた所を剣士の蹴りが刺さった。

 辛うじて受け止めるが、勢いは死なずに吹き飛ばされる。

 一瞬で距離を詰めた素早さ、蹴りを受け止めた腕に伝わるダメージ、どちらも先ほどまでの人間と同じものとは思えない。

 これがこの剣士の切り札であり、勝算か。

 

 だが、それでもまだ不十分。それを彼は知らない。

 精々超級職一つを修め優れたステータスを持つティアン、そう私を認識しているのであれば、それは不適当だ。

 暴かれるならば殺しを選択するほどの私の秘密を、そしてその秘密が【夜興引】(超級職一つ)だけでは成しえぬ力を私にもたらしている事を彼は知らない。

 

 真正面から突っ込む。相手がリーチに優れステータス差も大分埋められてしまった現状では得策とは言えないが、軽装に追いつかねばならない以上、時間のかかる手段は選べない。

 

「なびけ!」

 

 それは剣士も予想できていたのか、再び輝く剣を振るった。ただ今度は刀身が六つに分かれていて、先ほどの鞭にような軌道と違って格子状に交差する光線による面攻撃。

 それに馬鹿正直に突っ込めばそのまま切り刻まれるのだろう。避けるには後退しかなく、まさに時間稼ぎのための一振り。

 しかし格子状にしたのは愚策だ。そこに通り道はある。

 

「《ブラッド・アーツ》」

 

 両の手の甲から皮膚を突き破って血液が噴き出した。スキルによってノーモーションで飛んできた血液の通過を剣は許す。

 光の檻を過ぎ、さらに発動する。

 

「《ブラッド・アレスト》」

 

 呪いを与える血の網。剣士を捕らえるのはそれに任せ、迫る剣を高く跳んで避ける。

 だがまだ終わらない。能力を完全に振るうための姿への変化に、ようやく肉体が追い付いてきた。瞳は紅く染まり、翼が生える。それこそが私が超常たる所以、吸血鬼の姿。

 

「なん、だと……」

 

 《ブラッド・アレスト》による【呪縛】で身動きができない剣士は、剣を手から取り落とし驚愕の表情を浮かべた。輝く剣はそんな彼の意志をくみ取るように私を追うが、翼をはためかせる私に追いつくことはできなかった。

 地に倒れた剣士の背後に回り、首を掴んで空へ翔んだ。そのまま担ぎ上げて背骨折りへと移行する。《勝利と栄光に捧ぐ(ベレニケ)》というスキルを使ってから、彼のステータスは急上昇したようだが、それでも私のSTRによってその肉体は軋みをあげていた。

 空になびく剣は届かず、仮に剣士が【呪縛】を振り切っても高所から叩き付ければダメージは深刻だろう。剣が届かなくなるほどの高度を目指しつつ、向かうは軽装の方。

 男が走りゆく音を耳が捉えた。軽装はなんらかのスキルで気配を薄めているようだが、今の私をその程度でごまかすことはできない。

 《帳下ろし》の領域外に出るぐらいには距離を稼いだようだが、まだ転移はしていない。

 追いつける。

 

 ふと、剣士がかすかにしか動かない手でアイテムポーチから何かを取り出すのが見えた。状態異常の回復薬かと思ったが、それは薬ではなかった。あれは……ジェム?

 

「ク……ク、《クリムゾン・スフィア》」

 

 自らの命を顧みない捨て身の爆炎が、偽りの夜空に赤く咲いた。

 

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