愛は薄明の中に刹那   作:沖 一

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第九話 船は来たりて

□【夜興引(ヴェスパー)】ラディアラ・リベナリル

 

 星を隠す曇暗な雲の合間から月が僅かに顔を出した。

 三日前の()()()も、夜空は雲に覆われて月明りは無かった。だが目覚めた時の感覚が確かならきっと、ちょうど月があの高さに届いた今が()()()から七十二時間の経過だった。

 私は館の外壁にもたれかかり、はるか遠く北西の稜線を眺めている。

 

 ずっと考えないようにしていた事がある。

 あの時、私がフォリウムに向けた殺意のままに彼女を殺したのは事実だ。たとえ彼女が〈マスター〉でその命が仮初だとしても、それは揺らがない。

 けれど私がフォリウムの心臓に触れ、脈動する命を感じ取った時。

 

 見つめ合った私とフォリウムは共に何かを言おうとしていた。

 

 手の平から伝わる熱とフォリウムの瞳に煌めく私の姿。

 あの時に私の口を突いて出ようとした言葉が何なのか、私自身分からなかった。

 

 だけど。

 もしも。

 確かめる事が許されるなら。

 フォリウムがあの時に何を思ったのかを聞きたいと、そう思ってしまう。

 

 私が一人、ありもしない希望を待っている時だった。

 稜線の向こうに一つの影が現れた。

 帆船だ。月明かりが弱い今宵の空であくまで朧げな姿であったが、それは確かに帆船だった。

 

 私の心臓が静かに跳ね上がる。

 

 空を飛ぶ帆船が誰の象徴かは言わずもがな。二度に渡り私の窮地に駆けつけ、遂には私自ら拒絶した彼女のものだ。

 

 その甲板に立つ姿を見つけようと、宵闇の中を飛ぶ帆船を見つめる。

 大きな帆。空を掻く櫂。船が近づきその姿が明瞭になっていく一方で、私の希望は薄暗く塗りつぶされていった。

 

 よくよく見れば帆船の意匠は細部が異なる。さらに、空を飛ぶ事以外は普通の木造帆船の様相であったフォリウムのものと違い、その船体は半透明であった。

 夜の闇を透した黒でありながらも、船体の各所には星のようにきらめく灯が埋め込まれていて、この距離からでも見えるのはその微かな明かりが半透明の輪郭を淡く照らしているからであった。

 

 甲板に立つのは望んでいた(ひと)ではなく、杖や盾や剣など多種多様な装備をした()()の男達だった。

 その中の大きく分厚い刃の両手剣を担ぐ男の顔と剣には見覚えがあった。三日前、なびく剣で私と戦った〈マスター〉に違いなかった。

 

 瞬間、私が立つ館一帯に《看破》の感覚。

 あまりにも容易く、館の《幻惑》が剥がされた。今や館を覆い隠していたヴェールはその姿を暴かれ、秘密は公然たるものになっていた。

 信じ難い事だったが、彼らは数千メテルは離れた先に掛けられている《幻惑》を感知し、それを《看破》したようだ。

 

 私は瞼を閉じ、静かに息を吐いた。

 

 ◇

 

 彼らの接近はあくまで静かなものだった。

 船が館に近づいて静かに地面に降り立ち、男達は館を中心とした森の開けた空間の端に並んだ。

 

「君がラディアラ・リベナリルだね」

 

 一人の男が尋ねて来たが、既に《看破》で私の名前は分かっているのだろう。言葉には確信がこもっていた。

 

「えぇ。要件は仇討ちかしら」

 

 話しかけて来た男とは別の、剣を背負った男のギラギラとした目を見れば分かる。

 雪辱を果たさんと炎に燃える瞳だ。仮初の命を言えど、私に殺されたことがよほど腹に据えかねるらしい。今にも剣を抜きそうな面持ちだ。

 しかし話しかけてきた男は剣の男を諫めるようにしながら、あくまでも落ち着いて言葉を続ける。

 

「はは、そんなに殺気立たないでくれよ。僕たちは一体の〈UBM〉を探しにはるばる来ただけなんだよ?何が何でも君を殺したいって訳じゃあない」

「彼は違うようね」

「殺されたともあれば恨みの一つもあるだろうさ。でも本当に目的は〈UBM〉さ、狩りの楽しみがあるならそっちで発散させるよ」

「【スプリンガー】なら死んだわ」

 

 ざわり。

 

「そうか」

「手負いだったようだけれど、あなた達が戦ったのね。気が立っていて苦労させられたわ」

 

 三日前に私に《真偽判定》を使った〈マスター〉こそいないようだったが、ここにいる他の誰かが同様の手段で私の言葉の真偽を測ったのだろう。

 彼らの戦意がやおらに膨れ上がる。

 

 私はついさっきまでしていたのと同じように北西の空を眺めていた。そこにはただ暗い夜空の下、星も月も隠すような雲が広がっているだけ。

 他には——ましてや帆船なんて——なにも無かった。

 

「ただで帰るという事はないのでしょう?」

 

 どうせ、いずれこういう日が来るのだと思っていた。

 これはあの時の続きだ。

 私の為にフローが死んだあの日の続き。炎に焼かれ、雨に流され、風に消えた数多の命が、死の運命を私の下に運んできた。

 

「ティアンなのに話が早くて助かるね。ともすれば八つ当たりだろうけど、僕たちの楽しみが奪われたんだ。君に支払ってもらおう」

 

 彼らはあくまで遊びだ。仮初の命で過ごす世界であれば、そうもなるだろう。自分の命が無際限に支払えるモノになれば、命の価値は暴落する。それは己の命だけでなく、他者の命ごと暴落する。

 〈UBM〉狩りという享楽が失われたから、失われた〈UBM〉を他の命で補填する。単純な理屈だ。単純な理屈で、人間はいとも容易く他者の大切な物を奪える。

 

 男は薄っすらと笑みさえ浮かべながら、芝居がかった仕草で指を鳴らした。

 彼らの背後の帆船が光の塵になるのと同時に、四人の男たちがそれに応える。

 

「《ディヴァイダー》!」

 

 【盾巨人(シールド・ジャイアント)】の持つ大楯が七つに分かれ。

 

「《勝利と栄光を捧ぐ(ベレニケ)》!」

 

 自らの長髪を切り落とした【剛剣士(ストロング・ソードマン)】の剣が光輝く。

 

「《血は力なり(パワー・イズ・パワー)》」

 

 【閃光術師(フラッシュマンサー)】はガントレットの掌を固く握り。

 

「《奏でるは天地の調べ(テンモンミッソウ)》」

 

 【大予言者(ギガ・プロフェット)】 がその一言で空を塗り替えた。

 

 【大予言者】の肉体はスキル宣告と共に夜空の闇の中へ消えていた。この、途方もなく美しい空に。

 今や空には月も雲も無く、ただため息が出る程に満天の星々が広がっていた。

 それは長い生を送ってきた私でさえ見たことのない星空。明暗大小、幾つもの星々が煌めく空の中で際立つのは、流れる川のように全天を横切る星々の集まり。

 その様をあえて名付けるならば、()()()か。

 

「伝説級とやりあうだけのメンツで来たんだ。楽しませてくれよ?《ヒート・ジャベリン》」

 

 【猛炎騎士(ナイト・オブ・ブレイズ)】を冠した男が放った炎槍が戦いの火蓋を切って落とした。

 

◆ ◇ ◆

 

 威力よりも速度に秀でた《ヒート・ジャベリン》は、彼我の距離30メテルを一秒も経ずに到達するだろう。

 しかし今は夜。空が塗り替えられたと言えどそれは変わらない。

 【夜興引】と吸血鬼の能力を遺憾なく発揮するラディアラからすれば、一秒弱も猶予が与えられれば躱すのは造作もない。

 

 だが《ヒート・ジャベリン》を置き去りにして、一条の光が尾を引いてラディアラへと突撃した。それは光を纏った男、ラスティネイル。

 全身に(まばゆ)い光を纏って一直線に距離を詰めた彼は武器を持たず。代わりに全身鎧から腕部と脚部だけ抜き出したような、厳めしいガントレットを装備して拳を固く握りしめている。

 

 輝くラスティネイルと蝙蝠の如き翼を生やしたラディアラが激突。《ブラッド・アーツ》による血流操作で硬化したラディアラの手刀が光り輝く拳とぶつかった。

 STRとENDの拮抗、双方にダメージは通らず。ほんのひと時睨み合った二人は、遅れて到達した《ヒート・ジャベリン》を避けるように飛びのいた。

 

 背から生やした蝙蝠の如き翼で空に舞ったラディアラはラスティネイルを見下ろす。彼はもうその身に光を纏っていなかった。

 

 (私より速かった。限定的なAGI加速?脅威だけど、それでも空は飛べないみたい)

 

 こちらを見上げるラスティネイルを観察していたラディアラは、周囲の異変に気づいた。

 

 (もや)だ。暗闇の中でも見えるのは、その靄自体が淡く光っているからであった。

 ラディアラが初めて見る現象ではあったが、知識として知っていた。

 光る靄。それは可視化するほどに高濃度な魔力だ。

 魔力の靄はいつの間にやら周囲のあらゆる所に現れ、ラディアラとラスティネイルの傍にも漂っていた。

 

 なぜ、こんな物がこんな時に?

 

 答えは見えぬまま二人の傍の靄が輝いた。

 ——魔力が魔法として形をなして力を発揮する〈アクシデントサークル〉。

 ラディアラの傍にあった靄が炸裂。空間にある物体を微塵に裂かんと鋭利な風が渦巻いた。

 僅かな起こりを察知して飛びのいたが、それは風属性初級魔法《バースト・ウィンド》と同じ物。初級という位の低さに見合わず、可視化するほどの魔力全てが込められた《バースト・ウィンド》は直撃すればラディアラの肉体を大きく裂いていただろう。

 

 もし、飛び退いていなければ。

 その身に迫っていた思いもよらないチェックメイトの可能性にラディアラは一人、冷や汗を流した。

 

 一方でラスティネイルの傍の霞もまた〈アクシデントサークル〉を引き起こす。

 しかし発現したのは攻撃魔法ではなく、初級付与術の《アジリティ・ブースト》。

 

 ラディアラには殺意ある攻撃、ラスティネイルにはその身を強化する祝福。

 ラディアラは偽りの星空を見上げ、呟く。

 

「天が味方をしているとでもいうの」

 

 ◇

 

 まず【予言者(プロフェット)】と呼ばれる上級職について説明しよう。

 相当する下級職を持たないこのジョブの就職条件は『多くの予言を的中させる事によって多くの禍福を招く事』である。

 そして習得するスキルはたったの三つ。それも《託宣》のような未来を見せてくれるスキルは覚えない。

 

 一つは《予言》。パッセンジャー・リストが()()との戦いで見せたものだ。起きる事象への予言が的中した際に、その事象の規模を都合の良い方へと大小させるスキルである。

 もう一つは《識者》。サブジョブにおいた【研究者】【魔術師】【錬金術師】などの学問を修める類のジョブのジョブスキルを系統の制限なく扱う事ができるパッシブスキル。

 最後の一つは《沈思黙考(ハイスピード・コンテンプレート)》。哲学者系統の《高速思索(ハイスピード・スペキュレイション)》が『無手の代わりに思考速度三倍』であったのに対し、こちらは『瞑目し、なおかつ沈黙している間のみ思考速度()()』という効果を持つ。

 つまり【予言者】は『予言ができるようになるジョブ』ではなく『専門的な知識によって予言ができる者の予言の意義を強化するジョブ』に過ぎない。

 

 《識者》によって複数系統のジョブスキルを制限なく扱える特性は強力に思えるが、実際に【予言者】に就いている者はほとんどいない。

 複数系統のジョブと言えど、それでも六つの下級職と一つの上級職が上限。そんな器用貧乏になるより同系統の上級職を二つとって能力を特化させたほうが強いに決まっている。

 なにせ【予言者】はMPやSPがある程度伸びるのみで特化職ほど高くならない。自分が起こした動作は《予言》の対象外となる為に能動的なサポートは特化職に劣り、おまけにAGIも高くない為に高AGIの前衛達による高速戦闘の最中に《予言》を挟み込むのは不可能に近い。

 頼みの綱の《沈思黙考》も瞑目していては戦局が分からず、沈黙していてはスキル詠唱が出来ない。どう考えても戦闘に組み込めるようなジョブでは無かった。

 

 よって就職難易度の高さと能力の不遇さが相まって【予言者】は《マスター》にさえ見向きされないジョブである。

 

 

 だがここに【占星宮 テンモンミッソウ】という〈エンブリオ〉がある。

 プラネタリウムを模したドーム状のラビリンスを展開する【テンモンミッソウ】が保有するスキルは二つ。

 展開したラビリンス内を観察する《睨界》と、ラビリンス内にいるパーティメンバーにテレパシーで話しかける事ができる《上奏》だ。

 《睨界》によって現在を観測し、そこから数瞬先を予測。そのビジョンを《上奏》によって味方へと共有する。

 〈エンブリオ〉単体でも完結した性能を持つが、この〈マスター〉はその性能を【予言者】によって強化する。

 目の代わりに《睨界》により知覚し、《予言》は《上奏》によるテレパシーで伝えることで《沈思黙考》のデメリットを踏み倒す。それが【大予言者(ギガ・プロフェット)】 パッセンジャー・リストの戦闘スタイルである。

 

 そしてパッセンジャー・リストが【テンモンミッソウ】の必殺スキルを用いて〈エンブリオ〉と一体化した今、新たに使用できるスキル《刻天》。

 その効果は〈アクシデントサークル〉の発生である。

 

 《刻天》は使用可能なジョブスキルの中でMPを消費して発動するスキルを〈アクシデントサークル〉という形で発動できる。

 《刻天》が行うのはMPを自然魔力としてラビリンス内に展開するのみであり、その魔力が実際に〈アクシデントサークル〉となるか、そして狙い通りの術として発動するかは運任せになる。

 もっともそれは()()1()0()0()%()()()()()。自分の肉体を指先まで完全にコントロールできる者ならば、自分が出すサイコロの目を自在にコントロールできるのと同じ理屈だ。《刻天》はMPを自然魔力として放出するという一点に関して如何なる達人も足下に及ばぬ繊細さを見せ、また生半可な干渉では妨害する事は叶わない。

 

 そしてこれが【大予言者】とシナジーを見せる。

 完全にコントロール下にあると言える術式発動を行う《刻天》はあくまでも自然現象によって術式が発動する以上、それは己の手から外れた物であり()()()()()()()()()()()()()

 〈エンブリオ〉による行いは原則的に主人(〈マスター〉)によるものだとみなされるが、あくまでも〈アクシデントサークル〉という自然現象を介する為にそれは主人(〈マスター〉)による物だとみなされずに、ここに《予言》は成立する。

 

 以上がラディアラを襲い、ラスティネイルに味方した〈アクシデントサークル〉の秘密である。

 

 しかしラディアラにこの事実を知る由は無い。

 更に【大予言者】が彼女の一挙手一投足からその先を読んで仲間へと予知を伝え、起こす現象が全てラディアラに不都合な方へと影響が大小されるという事も、また知らない。

 

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