□【
「ラディアラ、これを」
降り立った私は【ブランチクリース】を拾い上げたラディアラに短く呼びかけてアイテムボックスから取り出した物を放った。
「【救命のブローチ】。用意してたんだけど、使わなかったね」
まだ戦闘の気が抜けてないのだろう、超音速のAGIで私の目に止まらぬ速度で掴んだラディアラは私の説明を聞いてしげしげと見つめた後にそれを胸元に装備した。
しばしの逡巡の後に、一言。
「……ありがとう」
「どういたしまして」
雲が分厚い夜空の下で、光源は《
ひどい有様だ。背中に生える翼のうち一つは根本からちぎれて、また一つは大きい穴が空いている。脚から流れる血は服を汚していて、他にも斬られたり殴れたりしたダメージが随所に見られるせいで服はボロボロだ。彼女の艶やかで美しい黒髪にも、一部レーザーで焼け焦げた痕があってまだ少しだけ髪の焦げた匂いが漂っている。
けれど私に向ける群青色の瞳はまっすぐで、潤いに煌めいていて、何より生きていた。
ラディアラの館で彼女の慟哭を聞き、私がデスペナで消えてから経った時間は私からすればほんの24時間、ラディアラにとってみても72時間。数字にすればただそれだけの時間に過ぎないけれど、あの瞬間がラディアラとの最後の時になってしまうのではないかとずっと怖くて仕方が無かった。
だけど戦ってくれた
しばし見つめ合う私達だったけれど、【アルゴー】に照らされているのは私たちだけではない。足元には四肢が焼きつぶれて仰向けになったスレッジ・ハンマー、襲撃してきた討伐クランのオーナーがいる。
終わらせよう。
「ここに【契約書】がある」
アイテムボックスから取り出した【契約書】は、本来はともに冒険をした【冒険家】仲間と後腐れなく取り分を分配するために持っていたもの。それに内容を手早く書き込んで、突き付ける。
「私はあなたを適当な〈月世の会〉の施設に連れて行って、私持ちであなたを治療してもらう。代わりにあなた達は二度とラディアラに危害を加えない。彼女のいる建物や乗り物への攻撃も認めない。意図的なトレイン行為も認めない」
「ふふ、〈マスター〉相手に治療権での交渉というのは賢くないね。この傷もデスペナで治る」
「同意しなければMPを0にして拘束する」
私が言い終わるが早いか、意図を組んだラディアラが《カースド・ブラッド》で【吸魔】を付与させた血液をスレッジ・ハンマーの顔に浴びせた。彼女の手からボタボタと垂れる鮮血に彼が顔を歪めたが私たちは無視した。さらに私が彼の首元に右手を添えて、そのまま《
そうこうしているうちに【吸魔】によって彼のMP残量は減っていき、とうとう脅威となりうる魔法を発動できるラインを割った。
「それとも“自害”する?」
もっとも、彼は“自害”を選ぶまい。どう見ても遊戯派である彼にとって、追い詰められた末に“自害”するなど、これ以上ない敗北だ。ボロボロと所持アイテムをドロップしてリアルに戻った時に味わう苦汁は味わいたいものではあるまい。
たとえこいつが馬鹿だとしても、強いられる“自害”よりも治療を受けられる選択の方が良い選択だと分かるだろう。
ダメ押しに彼の目の前に拳を突き出した。そこに装備されているのは【蓄魔手甲 スプリンガー】。《真偽判定》よりも更に確実な【スプリンガー】討伐の証。
「あなた達が追っていた〈UBM〉は既に討伐された。もうここに
「いや来ないね」
軽薄な男だ。
眼前に突き付けた拳で彼の顔を潰すにはスキルを使うまでもなく、逆に彼がスキルを紡ごうとするほんの一瞬があれば事足りる。
だと言うのに、彼はまだへらへらと笑うばかり。
「いやぁ、参ったな。この身体じゃ振り払う事もできないや」
薄ら笑いを浮かべながら言ったその言葉は事実だ。MPは底を着こうとしているし、四肢は焼けてボロボロ。STRは到底、私が組伏せれば抗うこともできないぐらい、低い——
——低すぎないだろうか?
スレッジ・ハンマー
職業:【猛炎騎士】
レベル:218 (合計レベル:718)
HP:5858
MP:85000
SP:801
STR:588
AGI:343
END:1158
DEX:157
LUC:100
名前から察するに【猛炎騎士】は紅蓮術師と騎士系統の複合系超級職。ひーの【
しかし《看破》で見える彼のステータスのMP以外は、下級職を埋めきらずカンストさえしてない私よりどれも明らかに低い。
そんな事が、あるのだろうか。
カウントダウンのように、スレッジ・ハンマーのMPが減っていく。もう100を切っている。
90、80、70。【吸魔】によって着々と減っていくMPと裏腹に、不吉な予感が止まらない。
60、50、40。妙に低いステータス。そういえば彼が使っていたスキルは、《ヒート・ジャベリン》のみ。それも妙だ。
30、20、10。ステータスにスキル。まるでジョブを一部分しか使えないような——
頭を巡らす私は、根本的な過ちに気が付いた。
ジョブによって成り立つはずの要素が不足しているのなら、〈マスター〉の戦力を担う
——私はまだ、彼の〈エンブリオ〉を知らない。
「《
【アルゴー】が持つスキルの一つ、リソース探知の『羅針盤』。左手の上に現れた盤面から針が浮かびあがった。しかし先端は目の前のスレッジ・ハンマーを指さず、別の方向。私の後方へ——
「やっと気付いたのかい?鈍いなぁ」
0。
ブブブブブ、と耳障りな音がした。先ほどまでの【メリッサ】の羽音と似て非なる羽音。
どこから現れたのか、という次元の話ではなかった。
一匹でなく、群れと呼ぶのもおぞましい、黒い塊。
スレッジ・ハンマーの身体全てが真っ黒な蠅の集合体になって蠢いていた。
しまった、と口にするよりも早く——
——地面が赤熱した。
咄嗟にラディアラを突き飛ばしたが、私が逃げる余裕は無く。
私の足元から、炎が吹き上がった。
燃え盛る、などという生易しい炎ではない。燃焼速度が音速を超え、衝撃波さえ伴うデトネーション現象そのもの。
音を置き去りにするジェットの噴出は地面表層を吹き飛ばし、槍のように私の首を貫く。
命の代わりに、懐の【ブローチ】が砕けた。
「フォリ——」
その次は更に一瞬だった。
私が炎から抜け出したよりも速く。
ラディアラのAGIと反応速度をもってしても認知できないスピード。
過程を認知することさえ叶わず、ただ結果だけを遅れて気づいた。
——超音速さえ届かない、紛れもない超々音速による
「——
遅れて到達した突風が吹きすさぶ中で聞こえた、微かなスキル宣告。
それを告げたのは、ラディアラに槍を突き立てている
槍は確かな一撃としてラディアラに届き、致命撃と判定されてブローチが阻んだ。ここにラディアラの命は守られ、代償に【ブローチ】が砕けた。
襲撃、そして破壊。引き延ばされた一瞬の中で、辛うじて〈マスター〉に《看破》が作用した。
アイス・ブレイカー
職業:【奇襲者】
レベル:100 (合計レベル:500)
HP:13500
MP:2000
SP:7942
STR:1350
AGI:3360 (+16800)
END:650
DEX:320
LUC:100
「【
知らない男。私だけでなくラディアラさえも完全に不意を突かれた。
ずっと隠れていたんだ。きっと、倒された〈マスター〉達と違い、彼だけがずっとラディアラの前に姿を現さなかった。この戦場からずっと身を隠していた。
誰もいないと思っていた森の中に潜んでいた敵。
さらにもう一人、森の中から気配が現れた。
炎だ。
「超級職の〈マスター〉に対する警戒度というのが、君には全く足りていない」
炎であり、それはスレッジ・ハンマーだった。茂る草木を延焼させる紅蓮の炎に身を染めて、緋い
彼が騎乗する
弓を構える人間の上半身が、馬の首の代わりに生えている。
ケンタウロス。
現実世界では神話上にのみ存在し、一方デンドロ世界では人間範疇生物として存在する生物。だが目の前のケンタウロスは《看破》を受け付けないことから察するに、〈エンブリオ〉だ。
ずっと隠れていたのだろうか。いや、ただ身を潜めているだけなら私よりもラディアラが気づいているはずだ。
すなわち〈エンブリオ〉か特典武具の特殊能力。
ケンタウロスの他に、蠅による身代わりやラディアラさえ欺いた隠蔽能力。
他にもあるはずだ。まだ分からない能力が。
そして彼はあくまでも、戦いで決着をつけるつもりだ。
「スレッジ……ハンマー……!」
「倒すべきは僕だけかい?」
違う。もう一人いる。
ラディアラに奇襲をかけた〈マスター〉、アイス・ブレイカー。
奇襲に使った2メテル程のパルチザンを構えて、今もラディアラと対峙している。奇襲時のような馬鹿げた速度ではなく、《看破》で見えた一万七千程度のAGIで戦っているらしい事が幸いだが、彼女の【ブローチ】が砕かれた今、一刻の予断も許されない。
本当は、相対しているスレッジ・ハンマーを無視して彼女の下へ助力に行きたいというのに。
今、目の前にいるのは詳細不明の〈エンブリオ〉を持つ超級職。もはや目を離す事などできなかった。
スレッジ・ハンマー
職業:【猛炎騎士】
レベル:218 (合計レベル:718)
HP:58580
MP:190000
SP:8007
STR:5880
AGI:3432
END:11580
DEX:1570
LUC:100
《看破》で見えた彼のステータスは、今度こそ目の前の相手が本物だと示すステータスをしている。
さっき蠅となって消えたスレッジ・ハンマーは、きっと彼の〈エンブリオ〉によって生み出された、ステータスに下降補正がかかった分身。
私達はそんな人形に勝利宣言を……。
どうして力を隠して身を潜めていたのか、ある程度想像はつく。
「——
「その通り」
したり顔で頷く
「蹂躙なんてつまらないだろう?そもそも【スプリンガー】を僕抜きでやろうという話だったんだ。本当はアイス・ブレイカーにも見ていてもらうだけでいようかと思っていたんだけど、まさか彼にここでも出番が来るとはね」
「あなた達は、もう負けたでしょう!」
「それは確かに事実だ。君は僕たちを破った。けれど僕と彼はまだいる。アンフェアな戦い以上に、僕は負けるのが嫌なんだ」
後方から剣戟が聞こえる。こうしている今も、ラディアラは戦っている。
湧き上がるのは、怒りだ。この戦場で唯一、彼女だけが真に命を賭けている。
なのに彼らは、どうして、こうも容易く、ゲームだと一蹴できるのか——!
「さぁ、戦おうよ」
「遊びで……人の世界に踏み入るなぁッ!」
今度こそ返事はなく、スレッジ・ハンマーが持つ杖の先に《クリムゾン・スフィア》による眩い火球が形成され、ケンタウロスが弓を構えた。番えられた弦から矢の代わりに放たれた《ヒート・ジャベリン》が、飛んだ。
□【
致命傷だと思った。
フォリウムの首を襲った火炎に気を取られた私を襲った刺突は、私のHPが全快だったとしても削り切る一撃だった。
どこから来たのか、いつ来たのかさえ分からなかった。
【ブローチ】が砕けるその時まで、私は自分の命がここで終わったのだと本気で信じていた。
しかし【ブローチ】は確かに砕け、目の前には私に槍を突き立てる男がいた。右頬に狼の刺青を入れた男。正真正銘知らない顔だ。
視界の隅でフォリウムの口が、この男の名前を読み上げた。もっとも、彼女も知る名前ではないようだ。
なら倒す。
フォリウムが助けに来てくれたこの時を無為に返すつもりなら、私はそれに抗う。
HPは全く回復していない。血も多く失った。
けれど倒す。倒して、この夜を越える。
「《ブラッド・アーツ》!」
「《
誰が勝とうと負けようと。今宵最後となる戦いが始まった。
スレッジ・ハンマーのメインジョブは騎士系統よりも騎兵系統、特に【幻獣騎兵】からの複合超級職の方がしっくりくる気が今さながらにしましたが、騎士の方がカッコいいので騎士系統でいきます。
《雌突雄撃》
アイス・ブレイカーのエンブリオ【浸透蠍針 シャウラ】が持つ固有スキル。目標に対し未発見状態で待機していた時間に比例して初撃を与えるまでの攻撃力とAGIを強化する一段階目《雌突》と、与えたダメージ量に比例して攻撃力とAGIを強化する二段階目《雄撃》の二段階発動型のスキル。《雌突》は《雄撃》より強化倍率が高いが、スタンバイ状態からアクティブ状態に移行した際の猶予時間が数秒しかなく、数秒の猶予時間の間に標的にダメージを与えられなければ強化はリセットされるデメリットを持つ。
ラディアラの不意すら突いたのが《雌突》で、フォリウムに《看破》された際のAGI強化が《雄撃》によるもの。
【奇襲者】のスキルも併用した《雌突》はかの狼桜の《天下一殺》をも超えるダメージをたたき出すが、その火力は彼の〈エンブリオ〉さえも奇襲に特化した物であるが故なので、彼は不意の遭遇戦などでは全然役に立たない。