□【???】ラディアラ・リベナリル
夜の森で息を潜める私に、この森の生態系の頂点の一角を成す存在としての余裕はなかった。
次の夜を待っている猶予はない。
例え【スプリンガー】が緩慢な動きで歩き続けたとしても、次の日没までには館に辿り着くだろう。
月はもうだいぶ傾いており、夜明けまで猶予はない。
一刻も早く殺す必要がある。
もし【スプリンガー】が日没までに館へとたどり着いて、その魔力が豊富な土地でMPを回復しきったのなら、きっとそこを離れない。
そんな事は許せなかった。
このトカゲ風情を館に触れさせる気なんて毛頭ない。
転移直前までの戦闘が終わったばかりで気が立っているのだろうか、【スプリンガー】は歩みを進めがらも周りを警戒しているようだった。それでも私に気づく様子はない。
それもそうだ。夜に潜むことを極意とする狩人が隠れる闇を暴こうなど、森に隠された木を見つけるよりも遙かに至難なのだから。
夜明けまでに知らしめなければならない。この森で誰の聖域を犯そうとしていたのかを。そして、その報いを。
「《
それは第六感を含むあらゆる感覚を鈍らせ、更に鈍ったという事さえ認識させない奥義。
一秒ごとに消費する決して少なくないSPと夜間でなおかつ自分が未発見状態であるという条件を代償に相手に絶対の無防備を作り出す。
「《瞬間装備》」
装備するのは【枝刃巨斧 ブランチクリース】。
二又の刃をもち、私の身の丈を超える大きさを持つ巨斧はかつての〈UBM〉の成れの果て、特典武具。
刃の数を増やす能力は今は使わない。夜の闇によって強化されたSTRのままに振るい、装備補正によって倍増した攻撃力を秘める刃を【スプリンガー】の首に突き立てるのみ。
更にそれだけではない。《蕭殺》にはもう一段階ある。
それは初撃ダメージ三倍化の効果を持つ、夜の狩人に与えられた必殺の一撃。
対象は首に添えられる刃に気づかぬまま、そして訪れた死に気づかぬまま永遠の闇に沈む。
【スプリンガー】の頭の上に立ち、斧を構える。大きく息を吸い、血液の流れを感じ、コントロールする。身体を弓のように引き絞り、無防備に晒された頸へ──
──夜狩の奥義が、振るわれる。
「《
私が出しうる最大火力が、二枚一対の刃に込めて振り下ろされた。
狙いは違えず【スプリンガー】の首元へ。刃が月光を煌めかせる鱗を砕いて皮を裂き、肉を割った。
そのまま骨まで達した一撃が脊椎を叩き折って頸を胴から切り離す。
そんな幻想が、斧が肉で止められたという現実の前に破れ去った。
轟く絶叫。
地を震わせ木々を揺らす叫びが【スプリンガー】から放たれて、次いで超音速で振るわれた尾の先端が私を打った。
首に突き立っていた【ブランチクリース】がほんの僅かばかりの緩衝材となったが、その一撃は痛烈なカウンターとして私を斧ごと吹き飛ばす。
十メテル以上の距離を矢のように飛んで森の木を二本へし折り、三本目にはじかれて地面へと転がった。
「……っ、《気配操作》」
怪我はとても軽傷とは言えないが、吹き飛ばされることで生まれた距離は安全圏まで私を運んだとは到底思えなかった。
《気配操作》の発動と同時に【ブランチクリース】を収納し、その場を飛び退く。
飛び退いた私のつま先を高圧水流が掠めた。
無論自然現象などではない。【スプリンガー】による水属性ブレスでの狙撃であることは明らかだった。
再び気配を消した私を【スプリンガー】は見つけられないようだった。
身を隠す私と苛立ちながら周りを警戒する【スプリンガー】。
しかし、これは私が優位を取った訳でも振り出しに戻った訳でもない。
相手は咄嗟に私を軽々と吹き飛ばす反撃を出せる余力があるのに対し、私は全身のあらゆる箇所に【打撲】があり、斧越しに一撃を受けた左腕は【骨折】していた。
さらに状況が追い打ちをかけるように、東の空は薄明に染まりつつある。
それは私の時間の終わりを意味していた。
このまま【スプリンガー】との戦闘を続けるか?
――否。夜が明ければステータスとスキルへの上昇補正が失われ、正面戦闘では敵わなくなる。
では《気配操作》を維持して逃げるか?
――否。その結果として待ち受けるのは【スプリンガー】が館へと到達しMPを全快させ、万端の構えとなる最悪の構図。
では手段は残されていないか?
――否。
しかしフォリウムが私から十分に離れていなかった場合、彼女にその一片を知られる恐れがある。
確かに、そういえば、フォリウムがいた。
私の頭は一瞬だけ戦闘から気を逸らした。
もしラディアラを介して私の秘密が知らしめられれば、それこそ命や平穏を狙われる可能性は十分にある。
それはつまり、私が一番恐れていた事態に他ならない。
しかし所詮、大事の前の小事。切り札を使う時だ。
そう覚悟を決めて【スプリンガー】へと目を向けた時だった。私は視界に入ったそれを新たな敵かと思った。
それは、北から飛んできていた。
それは、地上数十メテルを飛んでいるせいで一足先に朝日を浴びていた。
それは、光に照らされる帆船だった。
輝く舳先に立つ人物が一人。フォリウムだ。彼女の口が動く。
――
その宣言通り、巨大な帆船は吸い込まれるように【スプリンガー】へと突っ込んだ。
当たればトカゲの巨体をすり潰すであろう突進を【スプリンガー】はその巨体に似つかわしくない俊敏さで飛びのいて躱す。
フォリウムの乾坤一擲の一撃は不発に思えた。
しかして帆船は大地に落ちず、地表数十センチメテルのところで私のすぐ横を通りぬけ、その通りぬけざまにタラップにつかまっていたフォリウムが私を掴んだ。
【スプリンガー】がこちらを向いた時には帆船は急上昇し、忌々し気に睨む【スプリンガー】を遥か高い空から見下ろしていた。
□【
ラディアラの前を去った私が助けを差し伸べるなど、恩着せがましいだろうか。
しかし『羅針盤』で感知したラディアラ級のリソースがラディアラのすぐ近くに現れたとあっては、そのまま見ないふりとはいかなかった。
例えここで再び姿を見せたことを罵られようとも、彼女の力になることで恩に報いたかった。
だからこそ、私は自分の帆船型〈エンブリオ〉の【全天航 アルゴー】に感謝していた。
私はラディアラの右手を掴んだまま、自動で巻き上げられるタラップに任せて甲板におり立った。
そこでようやく、彼女がどういう状態にあったか気づいた。
全身にダメージがあるようだが、何よりも目に見えて明らかな左腕の【骨折】。
「大丈夫!?」
痛みに顔をしかめるラディアラに、アイテムボックスから【
ゴキゴキと骨が軋みながらも瞬く間に治癒していくのを見て私は安堵した。
【
吶喊する直前、視認できたモンスターの名前は【湧沸蜥蜴 スプリンガー】、つまり〈UBM〉。
その見た目はかつてレジェンダリアで見た【ウィザードリザード】に似ていた。濃い自然魔力を求める習性があり、霧のように可視化した魔力のある所でよく見かけるモンスター。
おそらく【ウィザードリザード】から〈UBM〉に成長してもその習性が変わらず、濃い自然魔力を求めるあまり〈アクシデントサークル〉による転移魔法でこの森にやってきた線がもっとも濃厚か。
【ウィザードリザード】はアルター王国では見かけないモンスター。故に警戒してラディアラは早期討伐を考えたのだろうか。いや、それにしても、もっとやりようはあっただろうに。
「このまま高度を保ってあの〈UBM〉から離れよう。私の知ってるモンスターの類縁種なら、遠距離魔法を扱うこともあるから警戒しながら――」
「私は行く。あの〈UBM〉を仕留める」
「……え?」
限りなく現実的に思えた私の案は、即座にラディアラによって棄却された。
だけど理解できなかった。
彼女の継戦意志の理由が分からなかった。
いつか仕留めるというなら、わかる。
しかし空はもう薄明。
【夜藍狼】であれ【
なのに、夜が終わりを告げたこの時に戦いを挑もうというのか。
ラディアラは茫然とする私に構いもせず、いつも首から提げているロケットを強く、怯えを振り払うように強く握りしめながら甲板の縁へ歩いていく。
「【スプリンガー】の狙いは館なの。より濃い自然魔力を求めて、魔力を集める機能のあるあの館を目指してる」
「そんな、でも、私達で戦ったとしても──」
「あそこは
あぁ、きっと私ではラディアラを止めれない。
吊り上げられた眉、固く握られた手、ダメージの疲労を感じさせない立ち姿。
言い淀んだ私に叫んで振り返った彼女の表情は毅然としているよう、なのに、どうして泣き出しそうにも見えるのだろうか。
それは、私を締め上げるラディアラが寝室で見せたのと同じ、彼女が抱え込む秘密を知らないが故に私が理解できない彼女の素顔だった。
この沈黙の間もラディアラはロケットを固く握りしめている。
それが彼女の言うフローという人にまつわる品なのだろうか。
その人への想いが、彼女に何年もこの地に一人で生きさせているのだろうか。
だとしたら一体だれがラディアラを救えるのか。
そして、譲れない想いを抱えて戦いを選ぶ彼女は知ってて言っているのだろうか。
【スプリンガー】の秘めるリソースが伝説級〈UBM〉に相当するということに。
逸話級〈UBM〉でさえ少なくとも500レベルまでカンストした〈マスター〉と同格の戦闘力を誇り、伝説級〈UBM〉ともなれば超級職の〈マスター〉で五分と評される存在だ。
ただのティアンと〈マスター〉の二人で勝てるような相手ではない。
いや、違う。
ラディアラは、決して
「邪魔をするようなら容赦はしない」
ラディアラはもう隠すつもりを捨てていた。膨大なリソースをその身に宿す強者として告げて、続けて宣告した。
――逆転の一手を。
「《
光が消えた。
その宣告は東の稜線から現れようとしていた太陽を隠し、地上から光を奪った。
すなわち夜の再臨である。
もちろん、たかだか上級職の【宵闇狩人】にできる芸当ではない。
「もしも、この戦いの果てに私が生き残ったなら――」
スキルによるものでない、私自身の生来の直感。それに従ってラディアラに《看破》をかける。
かつて【夜藍狼】に発動し損なった一度目。
ただの【宵闇狩人】としか表示しなかった二度目。
しかし三度目の《看破》はようやく正しく彼女の秘密を暴いた。だが、
暴いたのは【夜藍狼】でも【宵闇狩人】でもないラディアラの真の称号。高レベルの《隠蔽》により今の今まで暴けなかった彼女の秘密。
「――その時はどうか、この事は他言無用でお願い」
さらに《看破》はもう一つ、彼女の身に宿る膨大なリソースの一翼を暴いた。
それは人の身ではない、ある亜人種の特徴。
「過ぎる力は、恐怖と凶行を招くから」
【
それは狩人系統 夜行狩人派生超級職、夜の下あらゆる命を狩る超越者の称号。
それは永劫の若さと人外の能力を手にし、人間範疇生物の頂点の一角に君臨する存在。
人の身を超える力を二重に擁した彼女はただそれだけを言い残し、羽ばたき、船を飛び降りた。
自らの想いと遺されたものを守るために。
□ラディアラの初撃について
もし夜明けを承知で【スプリンガー】をより時間をかけて観察していたのなら、時間経過によってSTR・END上昇の効果が切れるのを目撃しただろう。もし日が沈むまでに館に到達されるのを覚悟で罠を張り巡らせて足止めに徹すれば、ある程度の消耗を代償に【スプリンガー】の館到達によるMP回復を防いで戦いに望めただろう。
しかし、それは≪瀟殺≫の発動機会を失うということでもあり、館に到達されるリスクをも生む選択肢であった。自身の最高の一撃を捨ててもなお館が侵される可能性を残す選択肢など、ラディアラには到底、選択することができなかった。
□吸血鬼の特徴について
これを書いていた当時は吸血鬼がAE含めて原作では未登場であり、またティアンの吸血鬼がいまだ出ていないので見た目設定に関しては捏造しています。
原作と共通するのは『血液の摂取のみで生存可能』『高い個人能力』『日中での能力低下』などです。