愛は薄明の中に刹那   作:沖 一

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第七話 Dawn Breaker

□――???年前――

 

 瞼の向こうに、陽光を感じた。

 もう少しだけ寝ていようかなんて考えていたけど、あの人のハミングが聞こえてきた。

 珍しい、起きる時にフローがいるなんて。

 いや、昨日は一緒に寝たんだった、どうしてだっただろう?

 

 まとまらぬ思考のまま瞼を開ければ、窓際で朝日を眺めるフローの姿があった。

 彼女のハミングに合わせて揺れる頭につられて、肩に届きそうな黒髪がいったりきたりしている。

 揺れる髪先の下には、しなやかな肌色の曲線が背中を描き、曲線はそのまま小ぶりな尻を形作っていた。

 

 つまり、一糸まとわぬ姿でそこにいた。

 

「ど、どうして?」

「ディア、起きたんだ。調子はどう?」

 

 フローはこちらに振り向くと、自分の姿をまるで意に介さぬように歩み寄り、ベッドから身を起こしていた私の顔に手を近づけた。

 そこでやっと私も同じように何も身に着けずに眠っていたことに気が付き、頬のそばに近づいた細い指を見て昨日のことを思い出した。

 

 

 二十の誕生日を迎えた朝だった。

 フローから紅石を渡されて、それが何か一目でわかった。

 私がずっと小さかった頃に彼女が一度だけ言っていた——『吸血鬼の能力の下地』の他に、『吸血鬼の血』こそが吸血鬼になるのに必要なもの。

 

 紅石はフローの血で作られた宝石だった。

 

 もし私が紅石の正体に気が付かなかったら、きっと彼女は何も言わなかっただろう。

 私だけが人里へと降りるか、フローと共に過ごして私だけが老いて死ぬか。

 そんな別れが自然なんだと彼女は思っているようだった。

 

 だけど、そんな別れよりも望んだ未来が私にはあった。

 

「フロー、どうすればいい?」

「……まったく、覚えてないと思ったんだけどなぁ。それを飲み込めば、いやいや別に石のまま無理に飲み込まなくても——ちょっと!?」

 

 どうやらフローの制止を振り切って紅石をそのまま飲み込んだのが無茶だったようだ。

 本当は僅かな違和感がしばらく続くだけと聞いていたが、私の場合はそうではなかった。

 

 飲み込んだ紅石が食道を通って胃に到達し、そのまま全身へと行きわたるのを熱として感じた。

 でもそれは苦しいような熱ではなく、むしろ切なさであった。

 頬が火照り、指先が痺れるような、形容するなら甘さとも言うべき熱が私を浮かせていた。

 心配そうに「大丈夫?」と右手に触れたフローの指が冷たくて、なのに私を溶かしてしまいそうな不思議な感覚。

 

 両手でフローの手を握りこんで、フローに体重を預けた。

 ほんの少しだけ息を呑む声が聞こえたように思う。

 受け止めてくれたフローの肩へ頭をゆだねると、フローの首元がしっとりと汗ばんでいた。

 

 私の熱い息が、フローの首を撫でた。

 

 

 

「ほら」

 

 回想に沈んでいた私を引き戻すように、私の頬に手を近づけていたフローが私の髪を一房掬いあげた。

 彼女の手の中にある私の髪は昨日までの白髪ではなく、澄み渡る夜空を写したような黒だった。

 

「フローと同じだ」

「うん、私達の色」

 

 そう言ったフローは少しだけ申し訳なさそうな色をしていたけれど、隠し切れない喜びがにじみ出ていた。

 私も同じだ。これから、フローと同じ時を過ごしていけるのだと思うと、どうしても顔がほころぶのを抑えられなかった。

 ガラス越しの太陽は、生まれなおした私を祝福するように輝いていた。

 十年以上前にフローに救われた人生が、やっと産声を上げた気がした。

 

 

 

 それは今から遠い昔の出来事。

 

 憶える者は私しかいない宝物の記憶だった。

 

 

□【夜興引(ヴェスパー)】ラディアラ・リベナリル

 

 轟音と共にフォリウムは降り立った。

 【スプリンガー】へ振るった拳は躱されて、代わりに大地に大きなクレーターを作っていた。

 立ち上がったその背中を思わず見上げる。

 

 なぜ。

 

 立ち向かうのは無茶だと言ったのは彼女なのに。

 これは私の戦いで、彼女には関係無いはずなのに。

 彼女に言った言葉は『助けて』ではなく『邪魔はするな』だったのに。

 なのに、なぜフォリウムは私の前に立ち、怪物へと拳を向けるのだろうか。

 

 特典武具は、人々にとって力である以上に偉大なる名誉であるはずだ。

 〈UBM〉(【スプリンガー】)が私を仕留め勝利に酔う、疲弊しきった隙だらけの時に今の一撃を放っていればフォリウムは確実にその名誉を得ていただろう。

 

 なのに、なぜフォリウムは私を護ろうとしているのか。

 

「ごめんね、ラディアラ。遅くなって」

「どう、して……」

「まだ謝ってないの」

 

 暁光を浴び、ブロンドの髪を輝かせてフォリウムは言った。

 

「〈マスター〉の事をろくに説明せずにログアウトしたこと。それに、ご飯とベッドの恩も返せてない」

「……そんなの、もう、いいわ」

「晩御飯が美味しかったからまた食べたい。森を一緒に回るのもまだしてない。やってみたい事、いっぱいあるよ。私はラディアラとしたいこと、いっぱいあるの。だから怖いけど、怖いから、戦う」

 

 なぜ。疑問は今だに消えない。

 だけどそれは船上でのフォリウムが見せなかった煌めき、覚悟の発露。

 ならば信じよう。

 数値で表すことはできなくとも確かにある、燃ゆる魂の煌めきを。その覚悟を。

 

「なら、手を貸してもらうわ」

「もちろん」

 

 フォリウムの後ろではなく、隣へ。護るならば共に。

 何も失わずにあの怪物を倒すために戦う。

 肩を並べた私達にお互いの顔は見えなかったけれど、一つはっきりと分かることがあった。

 

 ここには怯えで戦いから逃げる者も、諦めで戦いを投げる者もいない。

 二人は命ではなく、心を賭してここにいた。

 

◇ ◆ ◇

 

 【スプリンガー】は突如空から降ってきた人間に警戒していた。

 だがラディアラが相対した相手の格を見極めたように、【スプリンガー】もまた悟っていた。

 

 ――あぁ、こいつは大した者ではない。(STR)は恐ろしいが、攻撃を掻い潜りながら攻めるような真似はできない格落ちだ。

 

 その判断は正しい。

 夜が明けてもなお一万弱のAGIを確保しているラディアラと違い、第Ⅴ止まりの〈エンブリオ〉に上級職止まりのただの〈マスター〉であるフォリウムのAGIは1000にやっと届くかといった程度で、亜音速機動など到底できはしない。

 脚力の強化によって亜音速移動が可能な【スプリンガー】にしてみればただの鈍亀。

 

 更に付け加えると、ラディアラだけでなくフォリウムも【救命のブローチ】を持っていなかった。

 彼女の懐事情は失ったばかりの【ブローチ】を500万リルという大金をはたいて買う余裕はなかった。

 おまけにフォリウムは特典武具まで持っていない。

 

 この戦場に降り立ったフォリウムは能力も無ければ装備もなく、その格は二者とは到底比肩するものではなかった。

 

 それでも【スプリンガー】に油断はなかった。

 

 ——最初から戦い続けている術師(ラディアラ)からはまだ魔力の匂いがする。奇怪な術で足止めをされるような事でもあれば、拳士(フォリウム)は手痛い一撃を己に叩きこむだろう。

 

 その判断もまた正しかった。

 この場における状況をまとめるならば、【スプリンガー】が自身の残存MPや足止めに留意しつつこの拳士を殺せば、もはや【スプリンガー】に負けの目はないということだ。

 まだ【麻痺】と【吸魔】は残っているものの、それを齎しうる残り九本の血の短剣も、先ほど融けて血だまりとなっていた。

 

 ――今のやつらにまともに攻める手はない。ここは一度距離を取り、ブレスをもって攻勢にでよう。

 

 【スプリンガー】の取った思考。

 それは正に、二人が望んでいた行動だった。

 

「《ブラッド・アレスト》」

 

 ラディアラの宣誓と共に、【スプリンガー】の近くにあった血だまりが輝きだし、血の網へと姿を変えて【スプリンガー】へと向かった。

 【高位呪術師(ハイ・ソーサラー)】のスキルであるそれはMPで動くため、SPの枯渇したラディアラにも使える技。

 そして着地隙を逃さぬように紅網が襲い掛かると同時に、フォリウムも走り出してスキルを発動する。

 

「《インパクト・チャージ》」

 

 フォリウムの発動したスキルは先ほどの強襲時に使ったものと同じ、スキルのチャージ時間の延長を代価にスキルのダメージ倍率を跳ね上げるもの。

 

 ここで【スプリンガー】が焦燥の声を上げた。

 【スプリンガー】に絡みついた《ブラッド・アレスト》は【呪縛】の状態異常を与えると同時にランダムにスキルを封じる。

 【呪縛】は段階的にAGIを減算することで動きを封じる【麻痺】とは違い、状態異常が発動したその時点で動きを封じる。

 さらに《ブラッド・アレスト》により血の網となっている血は、《紅血鍛冶(ブラッド・スミス)》により短剣と化していた血液であり、その時に《カースド・ブラッド》によって込められていた【吸魔】の呪いも残っている。【吸魔】によってMPの流出は加速し、スキル封印によって更に手札を削る。

 駆け出したフォリウムは《削岩穿》既にスキルチャージを始めている。このまま最短距離で突っ込めば拳は【スプリンガー】に届く。

 

 だが、最短距離での到達はできなかった。

 紅網に捕らわれた【スプリンガー】は水球を中空に生み出した。

 いかに【高位呪術師】の《ブラッド・アレスト》と言えど、相手は伝説級〈UBM〉。【スプリンガー】のスキルをまとめて封印することは叶わず、不運にも【スプリンガー】の水魔法を封じなかったのだ。

 

 三発の激流が放たれる。

 

「クッ!」

 

 三発ともが狙うはフォリウム。

 それをSTR任せに地面を蹴ることによる即席の亜音速機動で躱す。

 それは砲弾のように直線的ではあるが来るとわかっている攻撃を振り切る為ならば問題ない。

 襲い掛かる水流の全てを躱した。

 

 だがダメージは受けずとも時間はロスし、その結果は、言うまでもない。

 

「……《削岩穿》」

 

 硬化した肉を貫くに足る拳は、行き場を無くして空を貫いた。

 その隙に【スプリンガー】はまだ残るMPによって【呪縛】へのレジストに成功し、力任せに《ブラッド・アレスト》の網を引きちぎる。

 身体と能力を縛る鎖は解かれた。

 術師からはさらに離れ、先ほどの血だまりのような仕込みも周りに無い。

 故に考慮すべきは眼前の拳士のみ。

 

 ――ならば長い溜め無くしては有効打を放てないこの拳士に時間を与える事こそが愚策。

 

 拳士に技を溜める時間は与えない。

 なけなしのMPによる筋力(STR)強化を脚力に集中させ、咢を開いて拳士へと跳んだ。

 ブレスの発動に伴う溜め時間すら惜しいが故の最速・最短攻撃。

 その五体を咬み砕き、四肢が折れた所を後でブレスで消し飛ばす。

 そうすれば残るはただの死にぞこないの術師だけだ。

 

 【スプリンガー】は己の勝利への道筋を確信する。 

 

 しかし、牙を突き立てんとしていた【スプリンガー】は拳を引いて飛び込んでくる拳士の姿を見た。

 

 なぜか?

 答え合わせには、コンマ一秒も要らなかった。

 

「《ハートブレイカー》」

 

 それは空振った打撃スキルをストックし、次の攻撃時に属性や性質を保ったままダメージを十倍化するスキル。

 それこそが【砕拳士(バウンド・ボクサー)】の奥義《ハートブレイカー》。

 その一撃は諸刃の剣。

 十五秒以内に相手へとぶつけなければ十倍撃は己の心臓に降りかかる。

 

 だがフォリウムには当たる確信があり、外す心配など微塵もなかった。

 SPが切れたラディアラに即ブレスを溜め始めた感の良さ、降り立った私へ侮りを抱きながらもチャージを始めた私を近寄らせない狡猾さ。

 この(さか)しいトカゲが狙うのは、ラディアラではなく間違いなく自分だろうと信じていた。

 

 威力が十倍化された《削岩穿》を乗せた拳は【スプリンガー】の眉間へと振り抜かれ——

 

 衝撃は頭蓋を貫通し脊椎の八割を消し飛ばし、

 脳、心臓、肺、その他多々の主要器官を抉り、

 主要器官を【欠損】した【スプリンガー】は、残存HPを全て失った。

 

 レジェンダリアという異邦から訪れた伝説級〈UBM〉がその身を光の塵へと変えていくのを一人の〈マスター〉と一人のティアンが見つめていた。

 

【<UBM>【湧沸蜥蜴 スプリンガー】が討伐されました】

【MVPを選出します】

【【フォリウム】がMVPに選出されました】

【【フォリウム】にMVP特典【蓄魔手甲 スプリンガー】を贈与します】

 

 それは勝利の報せ。

 運営()の手によってなされたそれは、絶対に揺らがぬ真実。

 薄明を跨いだ戦いは今、終わりを告げた。

 

□【大冒険家(グレイト・アドベンチャラー)】フォリウム

 

「フォリウム!」

 

 ぺたり、と座り込む私にラディアラが駆け寄ってきた。いまだ警戒半分、期待半分の顔で。

 私は特典武具と化した【スプリンガー】を掲げてラディアラに応えた。

 

「終わったよ、ほら」

「よかった……倒せたんだ」

「うん。ダメージ量の問題なのかな、私がMVPになっちゃった。なんかズルしたみたい」

「それでよかったわ。私はいくら持ってても名誉にはならないから」

 

 全く謙虚なことだ。もっとも、世俗から離れてあの館で暮らし続けるラディアラにしてみれば心からそう思っているのかもしれない。

 

 いや、それよりも。ラディアラに伝えなくては。

 

「ねぇ、ラディアラ」

 

 うん?と座ったままの私を見つめたラディアラをすっかり昇った太陽が照らしていた。

 優しく吹く風が、長く伸びた黒髪を綺麗になびかせている。

 

「私、他の人に絶対言わない。【夜興引】のことも、吸血鬼のことも。ここにあなたが暮らしてるってことも。……だから、その、えーっと」

 

 何を伝えたかったのだろうと、しどろもどろになった私を見ていたラディアラが不意にクスリと笑った。

 

「あなた、戦ってた時のほうがよっぽど上手く喋ってたわ」 

「えぇ……」

 

 二の句を繋げなくなったままの私に、ラディアラは手を差し伸べた。

 

「ありがとう、フォリウム」

「え?」

 

 私は手をとって立ち上がった。

 ラディアラが言う。

 

「帰りましょう」

 

 ラディアラは手を離して、歩き始めた。

 私もその後を追うように歩き出した。

 北へ、館のある方へ。

 

 

 

 これが、私がラディアラと一緒に暮らす事になる出来事。

 

 私のとっておきの思い出だった。

 




 これで上章完結となります。この後はキャラ・設定紹介と接続話を含んだ間章を挟んだ後、下章になります。
 さて、ここでターニングポイントになるので読者の皆様には評価のほどをしていただけたらなと思います。評価がもらえる事は書いてる者としてとてもうれしいことですので。
 感想もお待ちしています。
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