駅前から奥の所に行くと人通りの少ない少しサビれたカラオケ店についた。
総武校の生徒ならまず駅前のカラオケ店に行くのでここなら誰かと鉢合わせになる事もないだろう。
「らっしゃいませー」
やる気のない大学生っぽい店員は学生割のメニューを差し出し開いている部屋を教えてくれる。
空き部屋は多いので機種に拘らなければどこでもいいだろう。俺はアニソンの映像が多い部屋がいい。機種的に30番台の部屋に多そうだ。
「お前どこの部屋にする?」
「それじゃあ俺は23番の部屋に」
「そうか、じゃあ俺は38番の部屋に」
「すいません、23番学生2人で」
「え?」
俺がアニソン歌いまくろうかなーと思っているとサクサクと葉山が部屋やら時間やらを決めてしまう。
「お飲み物どうされますか?」
「2人ともドリンクバーで」
「ちょ」
「それでいいよな比企谷?」
ニコリと暗黒面に落ちた笑みを浮かべる葉山に俺は無条件降伏をした。なんか今日のこいつ怖い。
カラオケ店の中は電気が所々切れかかっているのかチカチカと点滅していた。部屋の中も可もなく不可もなく普通よりやや下という感じだ。
とりあえずお互いが鞄を下ろして2本あるマイクを確認すれば準備は完了だ。といっても俺は歌うつもりがないのでマイクは1本で十分か。
「それじゃあ……先歌うか?」
「ここまで来て日和るなよ。とりあえず適当になんか歌えよ。聞かない事には何も言えねえし、得意な歌とかあるのか? アニソンとか」
俺がソロカラするときの選曲はドラマで気に入った歌2割と残り8割はアニソンだ。むしろ、それ以外の選択肢はない。
だから進めてみたが葉山はなんとも微妙そうな顔で注意をしてくる。
「……これは善意から言うけど高校生の集まりでそのチョイスはどうかと思う」
まったく持ってその通りである。しかし、俺の得意とするカラオケは独りで出来るもんのソロカラだからその注意は無意味である。
「うっせ、いいんだよ。どうせ誰かと来ることなんてないんだから。ソロカラには恥も外聞もないんだよ」
「そういう開き直った所は素直に尊敬するよ。真似はしたくないけど」
ならそれは尊敬じゃないのではと思うが、あえて口にはしない。どう考えても俺が傷つく未来しか見えないし。
「俺の事は良いから早いとこ曲入れろよ。じゃないと適当にランキング1位のやつとかいれるぞ」
俺がされたらした奴を死ぬほど恨む。だってこういうカラオケのランキングに俺の好きな歌が入ることはないし、下手をすると48人組のアイドル曲を入れられる。
なのに葉山は一切の動揺を見せずケロリとしていた。
「ああ、じゃあそれで」
自称で音痴らしいが、その反応で俺は一種の安心を覚えた。普通の奴なら自分が知らないかもしれない歌なんて歌いたくない。自信がないからだ。それを容認できるという事はどんな歌でもある程度はできると確信している証拠である。
俺の選んだのは男性アイドルグループの人気らしい曲だった。イントロが流れカッコいいイメージのメロディーが流れる。
そう、この時の俺は本当に油断をしていた。そのせいであんな悲劇に見舞われるとは夢にも思わずに。
曲が終わり一仕事終えた風に気持ちのいい笑みを浮かべる葉山は振り返りながら聞いてくる。
「――ふぅ、どうだったかな。今日は結構声の調子がいい気がしたんだけど」
俺は素直に率直な意見を言うことにした。いや、これは意見じゃないクレームだ。
「度下手くそじゃねえか!?」
まるでナマコの内臓をぶちまけられたような酷い歌だった。苦痛の表情を浮かべる俺に葉山は心外だと言い返す。
「いきなり騒ぐなよ。それに音痴だって最初に言っただろ?」
「音痴とかそういうレベルじゃねぇ。もっとよく分からないけど恐ろしい何かだよ。何が声の調子がよかっただ。最初から最後までナマコの内臓をぶちまけたみたいな歌しやがって!?」
「ひ、酷いいようだな。流石にそんなことは」
分かった。こいつは自信があったのではなく、自分の現状を把握できていないだけだ。誇れる自信も卑屈になる挫折も理解できないから無関心でいられたのだ。
「これ、機種機能で録音したから。再生するぞ」
現実を教えてやるぜヒャッハーと再生ボタンを押した後に気が付いた。これ、俺ももう一回聞くことになるじゃん……。
「うっそだー……」
自分の歌を客観視した葉山も己のうかつさでナマコの内臓を食らう羽目になった俺もお互いが苦痛でしかない時間が過ぎると、葉山は信じられないといった風に視線を忙しなく泳がしている。
自陣喪失気味の葉山をよそに俺は思考する。
失敗した。こんなはずではなかった。てっきり完璧主義者とか高スペックな奴がいう常人以上にできるけど自分的にはいまいちレベルだと思ってた。
これはそんなレベルじゃねえ。
俺の手に負える案件ではない。
よし、逃げよう。
「じゃあ、もう歌も聞いたんでそれじゃな。後はひとりで頑張れ、大丈夫だ独りでやることは悪い事じゃない。だからダイジョブ」
本日何度目かになるのか分からないガシが来た。手首をつかまれほどけない。
「ここまで来てそれはないだろ! 恥を晒したうえ頭を下げたんだぞ! 俺が、よりにもよって君に!」
「おいこら、原作でも触れてない心の声を暴露するな。ていうかいたいいたいいたい」
「頼む! 俺には君しか頼れる奴がいないんだ。この通りだ!」
恭しく頭を下げる葉山だが、その手は変わらず俺の手を握りつぶすかの如く力が込められている。
「全力で腕を握りつぶそうとしてなにがこの通りなんだよ。分った、分かったから離せ」
「ああ、ありがとう」
パッと離された手は真っ赤になっていた。
「この野郎……殴りたいこの笑顔」
「構わないが、その時は全力で殴り返すぞ?」
「……」
俺の呟きに帰って来た葉山の笑顔は今日一番の笑顔だった。怖い。
1時間後。プルルルルと電話が鳴る。ガチャと受話器を取ればやる気のない店員の声が聞こえてくる。
『お時間になりました。延長されますか?』
「時間だがどうする、もう1時間延長するか?」
「……ノー」
満身創痍でテーブルに突っ伏した俺は、力の入らない首をゆさゆさと揺らす。地獄の様な時間だった。
「このまま帰ります」
『あざしたー』
葉山が答えると電話は一方的に切れた。
態度の悪い店員に突っ込む気力すらない。だが俺は生還した。お兄ちゃんお家に帰るからね小町!
「今日は付き合わせて悪かったな。それで次の予定なんだが」
今の俺の心境を教えてやろうか?
突然今から君たちには殺し合いをしてもらいますとバトルなロワイヤルを切り抜けたら外の世界がバイオがハザードしてたレベルの絶望感だよ。
「は? 次?」
俺の問いかけに葉山はうんと頷いた。
「流石に1回2回でどうにかできる訳もないからな。どうにか引っ張って2週間は時間を稼ぐつもりだ。その間よろしく頼む」
待って。まじで待って。2週間? これを? ふえぇぇ。八幡死んじゃうよー。
命の危険を感じ、もういいじゃないかと提案しようとすれば、言葉の途中でも葉山は何を言いたいのか理解できたのだろう。
皮肉気な笑みを浮かべた。
「な、なぁほらもうこれ以上はアレがアレだから」
「……ああ、そうか」
その顔は似てるはずもないのにどこかの誰かにそっくりだ。
小学生の合唱大会で練習ではうまくできていたが本番の緊張で俺は声が上ずってしまった。
頑張って練習したのにと女子は泣き、お前のせいだぞと責められ俺も泣いた。
翌年の合唱大会では今度こそとやる気を出せば、大会当日にクラスの奴らから「お前は口パクしろよ!」と言われた。
じゃあ、練習の時からそう言えよと悪態をつきながら合唱大会は無事に終わった。
なんてことはないただの思い出話だ。今の葉山の顔がその時の誰かさんとそっくりでちょっと思い出しただけの……。
「
ただ無性に腹がたっただけだ。他意はない。ちょっと意地になっただけだ。
「なんか言ったか?」
「いいや、それより明日の放課後でいいか。いいなら同じ時間にここな」
「え?」
驚いたように普段の葉山が見せない唖然とした顔をしている。
「なんだよ。予定でもあるのか」
「いや、大丈夫だけど。比企谷はいいのか?」
「生憎お前と違って俺は基本暇な日が多いんでね」
「そうじゃなくて」
分かってるツーの。いわせんな恥ずかしい。照れとそっぽを向きながら雪ノ下みたいに早口でまくし立てる。
「乗りかかった船だろ。言っておくが俺はボイストレーニングなんて知らんしどうすれば歌が上達するのかもわからん。ただ聞く事しかできない。だから自分で調べろよ。そしたら後は雪ノ下式でいく。死ぬ気で歌えよ」
「……ありがとう比企谷」
その笑顔は暗黒面に落ちた笑顔でも怖い笑顔でもなかった。
本日どころか俺がこいつと会ってこれまでみた事がないような心からの笑顔だった。そんな葉山に俺は言葉をかけたくてしょうがない。
「……だからそういう思わせぶりなのやめろよ。海老名さんが沸くだろ」
・・・
それから濃厚な日々が過ぎていく。
3日後
「どうだ!」
「ナマコの内臓からジャイアンくらいにはなったんじゃね?」
7日後
「今度こそどうだ!」
「え、なんだって? すまん、最近やたら耳が遠くて」
12日後
「さぁどうだ!」
「お、おう。普通に下手だ」
・
・
・
そして15日目。
頬がこけ二日酔いの親父の様な顔色をしている俺は部室で死にそうだった。
「ヒッキー大丈夫?」
トテトテとやってくる由比ヶ浜が心配そうに覗きこんでくる。
俺は体を持ち上げる力もなくゴロンと体を投げだしながら答える。
「あん、別になんでもねえよ。ただここ何日かナマコの内臓を耳の奥にぶち込まれ続けただけだ」
「グロいし! 全然だめだじゃんそれ。何してたの!?」
何をしたと聞かれても答えに困る。生憎と俺は言いふらす友達がいない事に定評があるもんで。
「あー……なんでもねえよ。それより少しボリューム下げて。お願い」
「う、うんごめんね?」
「由比ヶ浜さんその男の事はほおっておいてこちらに来なさい。おいしいお菓子があるわよ」
俺に対する気遣いなのか、俺に由比ヶ浜を取られた腹いせなのか雪ノ下はうまそうなクッキーをちらつかせて手招きをする。
「不審者の誘い方だよゆきのん!?」
「いらないの?」
「いるー!」
駄目だこの子、親御さん御宅の娘さんが
もぐもぐとうまそうにクッキーを頬張り紅茶を飲む由比ヶ浜は雪ノ下と世間話に花を咲かせた。この花は多分百合の花だと思いました。
「あ、それでね。昨日由美子たちとカラオケに行ったんだけどね。由美子ったら隼人君が歌っている時うっとりしてて可愛かったんだー」
「へー……? あら、彼が歌ったの?」
不思議そうにコテンと首を傾げる雪ノ下。
葉山と雪ノ下は幼馴染だから、もしかすると、あのことをこいつも知っていたのかもしれない。
ただ、雪ノ下も俺と同じで言いふらす様な友達がいない事に定評があるから大丈夫だろう。何よりも。
「隼人君? うん。普通にうまかったよ」
すでにそれは過ぎ去った話で、ただの笑い話にしかならない。
由比ヶ浜の声を聞いて俺はフッと笑い意識を落とした。
本日の勝敗。 八幡の勝ち。
「それでね今度はみんなでカラオケ行こうよ!」
「私は遠慮するわ」
「……絶対に行かない」
「えー!」