明るい筋肉 作:込山正義
よう実2巻ってAクラスやることないですよね
それは偶然の出来事だった。
学校が終わり、寮へと辿り着いた俺は部屋に戻る前に郵便物の確認を行っていた。何かがポストに入っていることなどほとんどないが、今や帰宅前の習慣となっている。
もしかしたらラブレターが入っているかもしれないという可能性を考慮すれば見ないわけにもいかない。普通入れるなら下駄箱か机だろうけど間違えて郵送しちゃううっかり屋さんがこの世のどこかにはいるかもしれない。
さて、その後当然のように中に何も入っていなくて少しだけ残念な気持ちになった俺だったが、エレベーターへ続く道を歩いている途中でただならぬ気配を纏った1人の女子生徒を発見した。
根元で二つ結びにされたピンク色の長髪。後ろ姿だけでもわかる。1-Dの佐倉愛里だ。
グラビアアイドルとしての裏の顔を持つ少女はポストの前で固まって動かないでいる。
「……大丈夫か?」
「ッ!?」
その様子を見過ごせずに近づいて声を掛けるとビクッと大袈裟すぎる反応が返ってきた。
肩が大きく跳ねた拍子に佐倉の手元から何かが落ちる。それは手紙のようだった。ひらひらと宙を舞った手紙はなんの悪戯か俺の足元にピタリと落下した。
反射的に拾い上げる。瞬間、俺の手から手紙が引ったくるような勢いで奪い去られた。
こやつできる。
「み、見ました……?」
「いや、一瞬だったからな」
本当に一瞬だったから、8割くらいまでしか読めなかった。
「あ、あの…………ごめんなさい!」
佐倉は手紙を握り潰しながら胸元に抱えると、身を翻してこの場から立ち去ろうとする。
「佐倉」
その背中を呼び止める。
ビクッと震えた彼女は立ち止まるとゆっくりと振り返った。
その表情には困惑の色が浮かんでいる。
なぜ呼び止めるのか。なぜ自分の名前を知っているのか。
そんな疑問が言葉にしなくても伝わってくる。
「俺の連絡先だ。何か困ったことがあったら遠慮なく頼ってくれ」
思考する暇を与えぬまま、一枚の紙切れを強引に佐倉へと手渡す。
こんなこともあろうかと、電話番号とアドレスを書いた紙をポケットに忍ばせておいたのだ。
名刺を渡すノリで使える機会があればと思っていたが、まさかこんなところで役に立つとは。
「……あの……」
ずっと俯き続けていた佐倉が顔を上げる。
可愛いという小学生並みの感想がまず最初に思い浮かんだ。
「あなたは、もしかして……」
目と目が合う。レンズの奥の瞳が小さく揺れていた。
こんな見た目だ。怖がらせてしまったのかもしれない。
そうでなくとも今の俺はいきなり話掛けた挙句連絡先を渡してきた知らない筋肉男。控えめに言ってもただのナンパ野郎だ。
「……いえ、なんでもありません……」
これ以上怖い奴だと思われたくないので石像のようにじっと動かず安全ですよアピールを続けていると、やがて向こうから視線が切られた。
「失礼します……」
反転すると、今度こそ佐倉は逃げるようにして俺の元から走り去っていった。
その後ろ姿を完全に見送ってから、俺も部屋に戻るために歩き出した。
同じ方向だからな。待たないと尾行しているものだと誤解されてしまう。動く筋肉が女子学生を追い回している光景とか通報不可避だ。
****
手洗いとうがいをしっかりした後、俺は筋トレをするよりも先に携帯を操作し雫のブログを開いた。
雫──本名佐倉愛里がグラビアアイドルの活動を始めたのは今からおよそ2年前であり、同時期にそれ専用のブログも開設されている。
俺は雫がアイドル活動を始めた当初からの古参ファンだ。というのも、2年前の段階で関わることのできる原作キャラが佐倉しかいなかったというのが最大の理由だ。
早く綾小路に会ってみたい。早く坂柳を生で拝んでみたい。そんなミーハー全開の内心を、俺は唯一繋がりの持てる佐倉にぶつけた。
不純な動機。だがそれもほんの最初期だけだった。
雫の活動を目にするたび、雫のブログが更新されるたび、俺は一人のファンとして次第に彼女に惹かれていった。
魅力的な容姿もさることながら、そのひたむきさにも心を動かされた。アップされる画像から、彼女が本当に写真が好きなことが伝わってきた。ブログに書かれた文章から、彼女がとても頑張り屋さんだということが見て取れた。原作知識も合わせて考えると、彼女は人と関わるのが苦手で、そんな自分を変えたいと思っていて、けれど現実はそう甘くなくて、それでも少しでもいいから前に進もうと努力していることが朧げながらも理解できた。
弱さを克服しようとする健気な少女を、俺はできる限り応援したいと思った。
雫がブログを更新するたび、欠かさずコメントを書き込んだ。
個人で雑誌や写真集を購入することはできなかったが、友人や知り合いに頼んで一通り目は通した。
しかしそれも、この学校に入る前までの話。
ポイントはなるべく温存しなければならないから、雑誌は軽く立ち読みするのがせいぜい。
学校の外と連絡を取り合うことが禁止されているから、ブログにコメントを書くことも無理。
故に、今の俺にできるのは、アップされた写真を眺めながら心の中で声援を送るくらいのものだった。
『運命って言葉を信じる? 僕は信じるよ。これからはずっと一緒だね』
このコメントにも、妄想乙と返すことができない。
『いつも近くに感じるよ』
精神科を勧めることができない。
『今日は一段と可愛かったね』
同調することができない。
『目が合ったことに気づいた? 僕は気づいたよ』
俺は会話したとマウントを取ることもできなければ、ファンとしての自覚を持てと注意することもできない。
雫は……佐倉はどう思っているのだろうか。
俺は良きファンだと思われていただろうか。コメントが急に途絶えたことに何かしら感じるものがあったのだろうか。一応諸事情によりコメントできなくなる旨は伝えたが、それについてはどう思っているのだろうか。
知りたい気持ちはある。だが本人に直接聞くような真似はしない。
俺は雫のファンだ。そのことに誇りすら持っている。
ファンがアイドルのプライベートに関わるなんて以ての外。論外だ。偶然や向こうからのアプローチならまだしも、こちらから進んでなんてあり得ない。
だからとりあえずは静観を決め込む。
ストーカー問題を綾小路に丸投げすることに罪悪感を覚えながら、俺ことハンドルネームハゲマッチョは静かにページを閉じた。
****
『少しトラブルがあり、1年生のポイント支給が遅れている。トラブルが解消され次第ポイントは問題なく振り込まれるはずだからそれまで待ってほしい』
そんな内容の話を真嶋先生から聞いた翌日、Aクラスの生徒にはその言葉通り滞りなくポイントが支給されていた。
今回のトラブル──Dクラスの須藤健が起こした暴力事件はCクラスの生徒との間で発生したいざこざのため、AクラスやBクラスは無関係と判断されたのだろう。
今月の支給額は107300ポイント。クラスポイントにして1073ポイントだった。
なんか上がり過ぎじゃね? と最初は思った。
しかしよくよく思い出してみると、中間テストを乗り越えたご褒美として各クラス
いや、あり得ない。そう考えれば辻褄は合う。
下位ボーナス? 知らん。実力主義を謳うなら、バラエティ番組のようなことはしないでほしい。……いやマジで。かなり切実に。
「学校を巻き込むほどの事件を起こすなんて迷惑な奴らですよね。やっぱり、不良品はどこまでいっても不良品なんですよ。0円生活で懲りなかったんですかね」
下二つのクラスの間でトラブルが起きたという話を聞いたからか、弥彦が嘲りを滲ませた口調で話しかけてくる。
前半は尤もだが後半はいただけない。
「弥彦、下位のクラスに所属しているという理由だけで他人を見下すのはやめろ。自信を持つのはいいが慢心は良くない。いつか足元を掬われることになるぞ」
C、Dクラスに所属する優秀な生徒など今更挙げるまでもない。
この事件を起こした龍園翔の意図を理解できて初めて、真正面から嘲笑する権利が与えられると個人的には考えている。
俺に真正面から注意されたからか弥彦は目に見えてしょぼんとしていた。
「そんな顔をするな弥彦。Aクラスに誇りを持つのは悪いことじゃない。だが、今のお前は本当にAクラスに相応しい人間なのか? 他者を見下す暇があるなら、自分を高めるべきだと俺は思う。……どうだ、異論はあるか?」
「ないです!」
立場の弱い者を蔑むことで悦に浸るのは退学フラグだ。何がなんでもへし折っていく。
見本を見せるようにその場でスクワットを始めれば、弥彦もそれに続いてスクワットを開始してくれた。
そう、それでいい。努力はお前を裏切るかもしれない。だが筋肉は決して裏切らない!
「いえ、場所を考えてください。教室ですよ、ここ」
暑苦しいです、と吐き捨てながら近づいて来たのは坂柳だ。
その姿を見て俺はすぐに自分の過ちを悟った。
「弥彦、筋トレ中止だ」
「え、でも──」
「中止だ!」
「は、はい!」
スクワットをやめ坂柳に向き直る。
誠心誠意の謝罪の意思を込めて、俺は深く……深く頭を下げた。
「本当にすまなかった。坂柳」
「葛城くん、あなたは一つ勘違いをしています」
え、勘違い?
「私はみんなの迷惑になると思ったからあなたを止めたに過ぎません」
そう、なのか?
「だからそのものすごく申し訳なさそうな顔をするのを今すぐやめてください。私は生まれてこのかた、たったの一度だって、筋トレをしたいと思ったことはありませんから。あなたを羨望の眼差しで見たことも皆無です」
「そんな……!」
「あなたに欠点があるとすれば、それはその筋肉に対する異常な信頼ですよね」
坂柳は先天性心疾患を患っているせいで医師から運動を禁止されている。そんな彼女の前で筋トレを始めるなんて愚行を俺は働いてしまった。筋トレをしたくてもできない。その苦しみを、俺は誰よりも理解していなければならなかったのに。あまつさえ目の前で見せつけるようにやり出すなんて最低の極みだ。死んだ方がいい。
そう反省していたのだが……。
「今度、坂柳でもできそうなメニューを考えて──」
「いりません」
坂柳の呆れた溜息を見るに、どうやら本当に筋トレをする俺たちに嫉妬していたわけではなかったらしい。
「こんな無駄話、そろそろやめにして本題に入ってもいいですか?」
「無駄話? いや待て、筋トレのことを無駄話というのは──」
「本題に入ってもいいですか?」
「……いいだろう」
なんか坂柳が刺々しい。
実はやっぱり筋トレがしたかった──というわけではないだろう。この原因はおそらく最近のクラス内の雰囲気にあると思われる。
現在Aクラスは真っ二つに分断されている。すなわち、原作にもあった坂柳派と葛城派の対立だ。
中立派などすでにいない完全な全面戦争。露骨にやり合っているわけではないので冷戦に近い状態か。
他のクラスに勝つためにはクラス一丸となるのは必須事項。そのためにはリーダーを決めておく必要がある。ならば誰がリーダーをやるか、というのが今回の争いの論点だ。リーダーを予め決めておかないと面倒なことになると、優秀なAクラスの皆は当然のように理解していた。
つまり、CクラスとDクラスのことを言えないというのが今のAクラスの現状である。
リーダー2人でいいじゃん、と思うだろうが、それを良しとしない人間がクラスに4人ほどいるのでタチが悪い。
「今回起きたCクラスとDクラス間での揉め事、葛城くんとしてはどうお考えですか?」
こうやって向こうからも時々話しかけてくる辺り、坂柳がクラスの現状を余興だと思っていることは想像に難くない。
彼女は結果を求めるタイプだと思っていたが、それでいて過程も楽しむ類の人間だったようだ。
見た目に反してなんて欲張りなことだ。
「どう考えるも何も、未だ実情がわからぬ状態では答えようがない」
「では質問を変えます。今回の件、何か行動を起こす気はありますか?」
「今のところはないな」
「それは何というか……意外ですね。あなたは事件があれば迷わず首を突っ込む人だと思ってました」
大体の場合はそうだろう。
人が困っていたら助けたい。未知の刺激がほしい。あるいは原作の出来事に関わりたい。
そう考えてしまうのは人間として普通のことだ。
ただし今回に限って、俺にはそれよりもやるべきことがある。
「当事者になるより、傍観者でいた方が得るものが大きいこともある」
「クラス毎の方針及び対応力の確認と学校のルールの把握に徹する、ということですか?」
「そうだ」
さすが坂柳、よくわかっているじゃないか。
この様子だと、今回の事件が意図的に引き起こされたということも理解していそうだ。
原作知識なしでそれとか、どんな脳味噌してるのかすごい気になる。俺の筋肉全部圧縮して脳にぶち込めば対抗できるのだろうか。
「それに、下位のクラス同士で争う様は見ていて面白そうですものね」
「…………」
「あら、私のことは注意しないんですか? 戸塚くんのように」
「嗜める相手は弁えているつもりだ。坂柳はわかっていて言ってるだろう?」
「さて、どうでしょうか」
弥彦が言えば生意気な印象を受けるが、坂柳くらいの奴が言えば様になる。
これもあれか。可愛いは正義に含まれるのだろうか。
「人によって対応を変える差別意識の持ち主だ。そう周りに思われても知りませんよ?」
肝に銘じておこう。だがそこはせめて、女に甘いとかにしてほしかった。
俺は紳士なマッチョなんだ。
アニメで葛城が数字が2増えてるCクラスのクラスポイントを見て「Cクラスが伸びてますね。また龍園の仕業でしょうか」ってしたり顔で坂柳に言ってるシーンがニコ動でネタにされてたのを思い出した今日この頃。