明るい筋肉 作:込山正義
環境破壊が可能なら、筋肉の出番は増えたのだろうか
身体に当たる微風に気持ち良さを感じながら空を見上げる。大気汚染と無縁な無人島から見る星空は、今まで見たどれよりも明るく美しく壮大なものだった。
人工的な明かりに慣れた現代人にとって、夜になれば訪れる自然な暗さというのは一周回って新鮮だ。
月明かりが世界を薄く照らし出す。それでも森の中は大半が深い闇に包まれたままで、潜り込んだらそのまま吸われて出られなくなりそうな、そんな得も言われぬ不気味さを醸し出していた。
内側から滲み出る原始的な恐怖と高揚感。野生に近い環境に身を置くことで、筋肉が本来の役割を思い出し覚醒しているような気がした。
無人島生活が始まってから、俺は外で一夜を過ごすようにしていた。洞窟の壁に背中を預け、座った体勢のまま眠りにつく。テントも寝袋も使用しない。それがここ数日の就寝方法だった。
端的に言えば綾小路対策だ。
Aクラスのリーダー及びキーカード。加えて3日目からはCクラスのリーダーとキーカードも洞窟の中で匿っていた。常時入口を垂れ幕で覆い隠し、日中は交代で見張り役を立てる。基本的に外を出歩けないため窮屈な思いをさせている自覚はあるが、クラスのためと言って我慢してもらっている。幸いなのは、ポイントで娯楽品も購入できたことだろう。
一分の隙もない厳重過ぎる警戒体制。だが、夜はそうもいかない。
一日の疲れを癒すためにも、しっかりと睡眠は取ってもらいたい。そんな思いから、俺はこうして自ら夜間門番を買って出たのだ。
用心し過ぎだと皆は言う。だがやり過ぎて損はないと俺は考えている。
夜中の間に洞窟内に忍び込み、誰にも気づかれないままキーカードを盗み見る。
そんな芸当が綾小路にならできるのではないか。そう思えてならないのだ。
もちろん、一人の存在だけに気を取られて不意の角度から足を掬われたのでは本末転倒だ。
だが他の人にできて綾小路にできないものなど、それこそ人脈を駆使した人海戦術くらいしか思いつかない。
つまり徹底的に綾小路対策をしておけば、自ずと他の攻撃への対処も可能になるということ。
綾小路だけ警戒しておけば基本的に問題ない。身も蓋もない言い方だが、それが現状であり現実だった。
「神室か」
背後から近づいてくる気配を察知し反射的に声をかける。
「目で見る前から分かるって、あんたの感覚一体どうなってんの?」
垂れ幕を片手で払いながら姿を現した彼女の顔には、驚愕ではなく気持ち悪いという感情が滲み出ていた。
失礼な。気配に足音に筋肉。三つも判断材料があるんだから分かる人には分かるだろう。
「……もしかして起こしちゃった?」
「いや、まだ寝ていなかっただけだ。だから気に病む必要はない」
「そ、ならいいんだけど」
たとえ寝ていたとしても誰かが近づけばすぐに起きられるけどな。
睡眠時間を削らずとも見張りを行える。俺の意見が通った理由のほとんどがその特技故だった。
「大変じゃないの?」
そう問い掛けながら、神室は俺の横に腰を下ろした。
密着はせず、けれど小声で会話が可能な絶妙な距離。
トイレのために起きたのかと思っていたがそうではなかったらしい。
「こんなとこで寝ても疲れ取れないでしょ」
「問題ない。これしきでへばるような柔な鍛え方はしてないからな」
俺のことを心配してくれているみたいだ。
彼女といいみんなといい、Aクラスは優しい人間ばかりで嬉しくなる。
「……坂柳に何か言われたか?」
ふと、思ったことを聞いてみる。
「なんで?」
「自分の意思で俺に話し掛けてくるのが考えられなくてな」
「私のことなんてお見通しってわけ」
「4ヶ月も一緒にいれば人となりくらいは見えてくるものだ。違っていたなら謝る」
「いいよ、あんたの推測は当たってるし」
神室はあまり人と関ろうとしない。基本的に坂柳には従うがそれだけ。自ら積極的に交友を持とうとはしない。
そしてそれは試験中であっても例外ではない。
ま、この無人島試験に限っては、原因の半分以上は俺にあるわけだが。
「坂柳がどうして今回の試験を休んだのか、神室は知っているか?」
「30ポイント減ったのがそんなに不満?」
「そんなことはない。もし坂柳がこの場にいたなら、ポイント全てを注ぎ込んで快適な環境作りをしてやってもいいとさえ思っている」
洞窟内の全員がちゃんと寝静まっているのを気配で確認してからそう口にする。
神室相手にだからこそ言える本音を交えた冗談だった。
「分かってたけど、葛城って甘いよね」
「そんなことはない。誰かに甘やかしてもらう必要があるほど、坂柳は弱い人間ではないだろう」
「別に、坂柳に限った話じゃない。あんたは誰に対しても甘いと思う。自分にはこれ以上ないくらい厳しいくせに」
そりゃあ、甘やかすだけじゃ筋肉は育たないからな。
だが、そうか。
俺の行動がAクラスのみんなの成長を阻害している。その可能性もあり得るのか。
「あんたがどういう風にクラスを導くのか。坂柳はそれを知りたいんだってさ」
天を見上げる神室。釣られて見れば、雲が空全体の半分くらいまでかかり始めていた。もう半分の星空が逆に際立って見えるが、それももう少しで完全に覆い隠されてしまうだろう。
「俺のやり方を知ったところで意味があるとは思えないがな。2学期から指揮を執るのは坂柳なわけだし」
「あいつの企みなんて、私に分かるわけないでしょ」
それもそうか。
しかし俺のやり方を知っておきたい、ね。
大方、駒の性能を把握しておきたいとかそんなところだろうか。
もしくは再び対立した時に容易く叩き潰せるようにとか?
お願いだからその線はやめてほしいな。
「今回の試験で結果を出せば、リーダーの地位を奪い取れるんじゃない?」
「嫌だ。やりたくない」
「そ、ならいいんだけど」
いや、でもあれか?
ここで結果を出しすぎると、やはり葛城こそがリーダーに相応しいと弥彦あたりが騒ぎ出しかねないのか?
だが仮にそうだとしても、わざと負けるような真似はしたくない。
Cクラスからの援助。有能過ぎるクラスメイト。原作知識。
これだけの武器があって勝利できないとか、そんなことはあってはならない。
「……雨か」
神室との話が一段落ついたタイミングで、ポツリと水滴が頭皮にダイレクトアタックしてきた。
雨が降っているのに外で寝るのはさすがにあれだと思い、神室を連れて洞窟内へと避難する。
洞窟の入口付近。そこが俺の新しい寝床となった。
眠りにつくために瞼を閉じながら、俺は改めて決意する。
Aクラスが一位で試験を終える。これはすでに決定事項だ。
誰が何と言おうと、覆させるつもりはない。
****
試験6日目午前8時過ぎ。
点呼を終えた俺はすぐさま浜辺へと移動を開始した。
荷物片手にぬかるんだ大地を爆走する。現在は雨が止んでいるが、空を見るに午後からまた降ってきそうだ。
目的地に辿り着く。
それから数分後、持っていたトランシーバーに通信が入った。
『こちら鬼頭。対象Bの姿を確認した』
「了解だ。後はこちらに任せてくれ」
『頼む』
鬼頭との短い通信を終えてからさらに数分後。
再びトランシーバーに通信が入ったので応答する。
『こちら西川。対象Dはまだベースキャンプにいるよ』
「了解。先ほど鬼頭からも連絡があった。西川も洞窟に戻ってゆっくり休んでくれ」
『ごめんね、一番大変な役を任せっきりにしちゃって』
「問題ない。俺の筋肉を信じろ」
『うん、信仰してる』
そこは信用か信頼じゃないのか。
少しだけ困惑しながら通信を切る。
さて、BクラスとDクラスのリーダーをほぼほぼ確定させたAクラスだが、ここからでもどうにかできる方法が一つだけ存在する。
それがリーダーの変更だ。
ルールには正当な理由なくリーダーの変更はできないと記されている。だが裏を返せば、正当な理由があればリーダーの変更は可能ということ。具体的には病気や怪我によるリタイアがそれに該当する。
リーダー当ては最終的なリーダーを指名しなければ意味はない。たとえ6日目までリーダーだった人物を指名したとしても、7日目に違う人間に変わっていたのならその回答は失敗扱いになってしまう。
正直言って、かなり酷いルールだと思う。
一度でもリーダーをした人物なら誰を指名しても正解にしてほしかった。
極限の状態でルールの裏をつける人間がいるかどうかを見極めるためなのだろうが、それにしても他にやりようはあったはずだ。
体調管理のできない人間が得をするとか正直不満しかない。社会に出たら真面目な人間ほど苦労するという現実でも教えたいのだろうか。
ちなみに俺は一度も風邪を引いたことがない。バカは風邪を引かないという言葉に当て嵌めると、俺は生粋のバカということになる。南無三。
「何か用か? ここは立ち入り禁止だぞ」
俺の姿に気づいた教師がタラップを渡りこちらへと寄ってくる。
「大丈夫です。そちらに足を踏み入れるつもりはありませんから」
現在位置は船へと続く浅橋の手前。
俺はここで試験終了まで一人で過ごす気でいた。
雨避けのために地面に先んじてパラソルを刺し、携帯食料と水、トランシーバーをその下に置いてからその近くで筋トレを開始する。
「き、君は一体何をしているんだ?」
「ただの筋トレです。気にしないでください」
「いや、気にするだろう」
「この場所は無人島の一部のはずです。ならばここで筋トレをしようとルール違反ではない。そうですよね?」
「それはそうだが……」
困惑した表情になった教師は、これ以上は無駄だと悟ったのか船内へと戻っていった。
試験をリタイアした人間は、試験終了までの残りの時間を船内で過ごすことになる。つまり、リタイアする場合は必ずこの場所を通るということ。たとえ緊急の事態ということでヘリが出動するようなことになっても、ここにいれば気づくことができる。ヘリの後を追いかけて現場を確認する。それでどうにかなるはずだ。
だから俺はこの場に身を置くことを決めた。リタイアする者がいないかと目を光らせるためだ。
リーダーがリタイアしないならそれでよし。リーダーがリタイアするのなら指名をやめるようトランシーバーで連絡する。
ただそれだけの簡単なお仕事だ。
物陰に身を潜めて遠くから観察する手も考えたがやめておいた。
隠密は苦手であるし、夜になれば視界が悪くなってどうせここに移動する必要が出てくる。ならばと最初からここに居座ることにした。一々筋トレを中断して動くのはめんどくさい。
「……あんた、何やってんの?」
浜辺に単身赴任してからおよそ9時間後。日が沈み始めた浜辺に伊吹が現れた。
「リタイアする者がいないか見張っている」
「なんのために?」
「勝つために」
「……ごめん、意味わかんない」
30ポイントのペナルティを負うという前提があるからか、わざとリタイアするという可能性は考慮していない様子だ。Cクラス以外に無駄にポイントを減らすような真似をするクラスがあるとは思えないのだろう。
「リーダーはわかったのか?」
「当然。Dクラスはバカばっかりでやりやすかったよ」
ちょっと得意げになってる伊吹可愛い。
綾小路の手のひらでコロコロされてることに気づいてないとこも含めてすごく可愛い。
「何、教えてほしいの?」
「問題ない。こちらもこちらで情報は手に入れている」
「あっそ」
面白くなさそうに吐き捨てると、伊吹は俺の横を通り過ぎて船へと続く道を歩いていった。
その背中を呼び止める。少しだけ聞いてみたいことがあった。
「洞窟に行けば、残り一日の無人島生活を不自由なく過ごせるぞ」
「冗談でしょ?」
振り返りながらそう言うと、今度こそ伊吹はリタイアするために船内へと消え去っていった。
それからさらに2時間後くらい。
雨が降り出してきたタイミングで、目的の人物がようやく姿を現した。
暗さと雨のせいで視界が悪いが、俺が間違えるはずもない。
やはり来たか、綾小路。
AクラスとCクラスの契約内容的に、伊吹はキーカードに記された名前を撮影する必要も、キーカード本体を盗み出す必要もなかった。必然的に、伊吹と堀北のリアルファイトは行われてはいないはず。にもかかわらず、綾小路は堀北を抱えながらこの場にやって来た。
お姫様抱っこだった。
「……どうしてここにいる、葛城」
「リーダーがリタイアする瞬間を見逃さないためだ」
前髪から水滴を垂らしながら、綾小路は色のない瞳で俺を見る。
「こうなることが、最初からわかってたのか?」
「可能性として考慮していた。堀北の体調が優れないことは把握していたしな」
試験2日目。Cクラスのベースキャンプで会ったその時から兆候はあった。
パッと見の感想であるから正確性にはやや欠けるが、当時の症状は比較的軽度なものであったと思われる。全身に怠さはあっただろうが、我慢しようと思えばできる程度。リタイアが可能かと言われればかなり微妙なラインだったはずだ。
それが今はどうだ。堀北の体調は誰が見てもすぐわかるくらいに悪化していた。
現に俺と綾小路が会話しているのに目を覚ます気配がない。無理を重ねなければこうはならないだろう。
「もうすぐ点呼の時間だけどいいのか?」
「それはそちらも同じだろう」
「こっちは仕方ない。緊急事態だからな」
なら早く連れて行ってやれよ。そう目で訴えかけると、綾小路は会話を切り上げて浅橋を渡り始めた。タラップを上り、船のデッキに足を踏み入れる。すると彼の存在に気づいた教師が駆け寄ってきた。
点呼の時間ならば人の目はない。綾小路はそう考えたのだろう。
だがそれは大きな間違いだ。5ポイント程度のペナルティを今のAクラスは気にしない。点呼の時間に合わせて偵察を行った時点で、その可能性を考慮しておくべきだったな。
「ここへの立ち入りは禁止だ。失格になるぞ」
「急患です。彼女は熱を出して今は意識を失っています。すぐに休ませてあげてください」
耳を澄ませ、綾小路と教師の会話を盗み聞く。
海水を叩く雨の音がうるさいが、全神経を集中させれば聞き取れない距離ではない。
「彼女はリタイアということでいいんだな?」
「それで問題ないです。ただ一つ確認させてください。今はまだ8時前ですから、彼女の点呼は無効ですよね?」
「……確かに、ギリギリそうなる。だがお前はアウトだぞ」
「わかってます。それともう一つ。このキーカードをお返しします」
俺の存在があるのを気にした素振りもなく、綾小路は堂々とキーカードを取り出し教師へと手渡した。
こちらはすでにリーダーを把握しているから見られてもダメージはないし、そもそもリーダーが堀北から変わるのだから何も問題はない。
全くもってその通りだ。だがそれにしても、なかなかに大胆な行動であることに変わりはない。守るべき最重要アイテムを敵の前で見せびらかすというのはちょっとした衝撃シーンである。
「代わりのリーダーについてですが……」
来た。一番聞き逃してはいけないやり取りだ。
自動的に近くにいる綾小路がリーダーになるのか。はたまた本人の意思に関係なく指名が可能なのか。
それが問題だ。
「ルール説明の時に、時間内に決められないようなら学校側がランダムに決定すると仰ってましたよね?」
「ああ。万が一の場合に備えた強制的な措置だ」
「なら、今回はそれでお願いします。次のリーダーはランダムに決めてください」
なん……だと……。
「キーカードはどうする?」
「もう使う予定はないので、そちらで勝手に処分しておいてください。わざわざ作る必要もありません」
「わかった」
いや、まあ、そりゃそうだよな。この話を俺に聞かせている時点で対処法は思い付いていたに決まってるよな。
でもそっかぁ。ランダムかぁ。
はぁ。確率38分の1とか指名不可能って言ってるようなもんじゃん……。
「では、オレは試験に戻りますので」
最後に教師にそう言い残し、綾小路は無人島内へと戻ってきた。
「葛城はここに残るのか?」
「他のクラスがリーダーをリタイアさせる可能性もあるからな。リーダー指名のタイミングまでは居座るつもりだ」
「あと12時間近くあるぞ?」
「そうだな」
「……ここで夜を明かすつもりか?」
「そうなるな」
「…………」
迷いなく頷けばなんかすごい目で見られた。
まるで化け物でも見るかのような視線だ。対象が違うと思う。そういうのは鏡に向かってやってほしい。
「──葛城は、オレのことをどう思ってるんだ?」
その問いかけの意味は、彼の鋭くなった眼光を見れば容易に想像がついた。
この試験中、俺は徹底的に綾小路対策を行ってきた。いや、この試験に限った話ではない。1学期の最初から、俺は彼のことを原作主人公ということでどこか特別視していた。
その違和感や異常性に、綾小路本人が気づかないわけがない。
どう思っているのか。その言葉はそっくりそのまま、どこまで気づいているのか、どこまで知っているのかという問いに置き換えられる。
なるほど、これが綾小路に本気で警戒されるという状況か。
放たれる静かな威圧感。全身の震えを抑えるのでやっとだ。
恐怖ではない。これはきっと、武者震いというやつなのだろう。
「安心してくれ。信用できないかもしれないが、俺はお前のことを誰かに話すつもりは一切ない」
質問には答えず、あえてはぐらかすような物言いをする。
「目立ちたがらない性格なのは知っているからな。俺はこう見えて、結構友達想いなんだ」
綾小路が求めているであろう言葉を紡ぐことは、そのまま綾小路のことを深く理解していることを意味してしまう。
逆に警戒度が上がる結果になるだろう。それでも俺は、綾小路が少しでも安心感を覚えてくれるという小さな可能性にかけた。
綾小路には穏やかな学校生活を送ってほしい。
Aクラス維持のために身を潜めたままでいてほしい。
どちらも俺にとって嘘偽りない本音だった。
「……頑張れよ」
綾小路の中でどのような結論が出たのかはわからない。
けれど最後にそう声をかけてくれたあたり、そこまで悪い結果にはならないだろうとそう思えた。
「ああ、頑張る。そっちもな」
そう返し、徐々に小さくなっていく背中を見送る。
完全に姿が見えなくなり気配も遠ざかったタイミングで、パラソルの下に置いてあったトランシーバーを手に取った。見届けてそれで終わりではない。俺にはまだやるべきことが残っていた。
「西川か? こちら葛城。報告がある」
雨風の音に掻き消されないよう、はっきりと告げる。
「──堀北鈴音がリタイアした。龍園にもそう伝えてくれ」
雨の中海辺で一人野宿を決行しているとか綾小路でもドン引きですよ。