明るい筋肉 作:込山正義
よう実最新刊読みました。続きが気になって仕方ありません。
様々なボードゲームで遊ぶ事ができる『カフェ Bang U』。以前にも訪れたことがあるその場所で、俺は坂柳とチェスをしていた。
学校が用意したクルージングの旅に出掛けていたから、坂柳とは実に二週間ぶりの再会である。他の皆とは共に無人島生活を送ったり同じ部屋で寝泊まりしたりと一緒にいることがいつもより多かっただけに余計懐かしく感じてしまう。
「それにしても珍しいですね。あなたが戸塚くんや西川さんを連れていないなんて」
「それを言うなら、そっちだって鬼頭を連れていないじゃないか」
「彼はチェスが出来ませんから」
「こちらも同じ理由だな。弥彦がこの場にいても退屈なだけだ」
「それに、ボディーガードなら他にいますし」
「坂柳も、ようやく俺の筋肉の素晴らしさに気がついたか」
「使い方がそれしかないのが悲しいところですよね」
キャスリングを行いながら、坂柳は反筋肉勢力に相応しい暴言を吐いてくる。
酷い。
「西川はルールを把握しているが、今日は部活らしくてな」
「テニス部は部活があるんですか……なら、なぜ橋本くんはここに?」
「そりゃないぜ。姫様がここに呼んだんだろう?」
「何となく、橋本はサボり常習犯に見えるがそこの所はどうなんだ?」
「葛城まで酷いな。偏見は良くないぜ?」
「……そうだな。すまない」
「ま、その通りなんだけどな」
「おい」
橋本が元々そういうタチなのか。あるいは部活に出る暇もないほど坂柳にこき使われているのか。
何とも判断に困るところだ。
「神室は……ご愁傷さま?」
「なに、いきなり」
「いや、さっきからずっと暇そうにしているからな」
「帰っていいの?」
「それは坂柳次第じゃないか?」
小さな主君に判断を仰ぐ。
「ダメです」
「だ、そうだ」
「……いいけどね、別に。振り回されるのにはもう慣れたし」
「満更でも無さそうだな」
「可愛いでしょう?」
「ああ。坂柳が傍に置くのも分かるというものだ」
「あげませんよ?」
「それは残念」
「……盤面ひっくり返されたいの?」
ツンデレみたいな認識が気に食わなかったのだろう。神室が冷たい目で睨みつけてくる。
戦況はこちらが劣勢だし、全てを無に帰すエクスプロージョンはありかもしれない。
「旅行は楽しかったですか?」
「ああ、楽しかった」
「そうですか。私は退屈でしたけど」
「来れば良かっただろう」
「ドクターストップが掛かってましたから。それに、葛城くんも私の不参加を望んでいたようですし」
「そんなことはない。坂柳が居た方がより楽しめたと思っている」
「だけど策を実行に移す余裕はなくなっていた、でしょう? 欠席する旨を伝えた際にあなたが浮かべた安堵の表情に、私が気づかないとでも思いましたか?」
ビショップによってチェックを掛けられる。
取った相手の駒を盾に使いたいところだが、将棋ではないためそれはルール違反。逃げるしかない。
「実施される特別試験の内容を、葛城くんは予め知っていたんですか?」
「知るはずないだろう」
「そうですか。それにしては、随分と都合のいい試験内容でしたね」
「最初の特別試験ということで、学校側も報酬を多めに用意してくれたのだろう」
「全部、葛城くんの想定通りですか?」
「想定通りにいかなかったから、クラスポイントが減ったんだがな」
「ふふっ、そうでしたね。普通に負けるだけならまだしも、手心を加えた上での最下位は笑いました」
笑うな。
そしてプロモーションをするな。
クイーン増やしてハーレムを築こうとするな。
「ですが、これで手加減の必要はなくなりましたね」
「……それはどういう意味だ?」
「私がやりすぎても問題ないように、退学を回避出来るだけのポイントを他クラスに譲渡したのでしょう?」
「どんな解釈だ」
なんだその、蘇生手段があるから殺してもいいよね的な思考回路は。
悪魔か。
「……念のため言っておくが、やめてくれよ?」
「感情というものは面白いですよね。やめてと言われるほどやりたくなる」
「本当に頼むぞ? 絶対だからな?」
「そこまで言われたら仕方ありませんね」
「いや、違う。振りとかじゃないから。だからその笑顔を早く引っ込めてくれ」
正当な試験の結果そうなるならまだしも、故意に退学させることを狙うとか何のためにポイント手に入れたのか分からなくなる。
最悪弥彦に被害が及ばなければいい……か? いや、こいつなら味方ごとやりかねない。
弥彦は坂柳にも噛み付く稀有な存在のため、それに対して鬱陶しさを感じていてもおかしくはない。
ちょっとぶつかっただけで山内を退学に追い込んだ事実を、俺だけは知っているんだからな。
「誰かが退学になることがそんなに嫌ですか?」
「嫌だが……そんなにおかしいか?」
「いえ、普通の感性だと思います。ですがあなたの場合、少々忌避し過ぎかと……。別に、死に別れる訳でもないでしょうに」
「……その後の交流が途絶えてしまうのなら似たようなものだろう」
「それは当人たち次第では? あ、チェックメイトです」
「…………」
お互い会話をしながらのため条件は五分。その上こちらは有利な先手だった。
それでも勝てない、か。
「さて、次にいきましょうか。続けて葛城くんが白を持っていいですよ」
「……なあ、これいつまでやるんだ?」
「二週間分ですから、あと十局ですね」
一日一局計算なのか……。
「いや、そろそろ俺のメンタルが……」
「負け続けるのが嫌なら、勝てばいいじゃないですか」
「そう、だな……」
とは言うものの、簡単に勝てたら苦労はしない。
「……橋本」
「……なんだ?」
「見ているだけじゃ暇だろう。お前も一緒に対局しないか?」
「……いや葛城、それは違うだろ。坂柳に勝てないからって他の奴から白星を拾おうとするのはよくないと俺は思うぞ」
別に、そんな意図があって誘った訳じゃない。
退屈を解消してやろうという親切心100%の申し出である。本当だ。
「そうですね。では葛城くん、盤面をあと二つ用意してください」
「承知した」
「え……は? まさか坂柳まで賛成なのか? 俺とやっても面白くないだろ?」
「いえ、私は弱者をいたぶるのは好きですよ?」
改めて宣言するまでもない。もはやそれは周知の事実だ。
「ほら、俺は神室と対局するから……なあ?」
「え、いやだけど」
「あら、振られてしまいましたね」
「好感度が足りなかったか」
味方がいない状況に項垂れる橋本。
しょうがない。原因は俺だし、少しだけ助け船を出してやるか。
「今更だが、神室はルールを把握しているのか?」
「はい、私が教えましたので」
「そうか、なら二人ずつに分かれて順番に指すというのは──」
「いや」
残念。俺の提案は神室によってあっさりと却下されてしまった。
「本人がそう言うなら無理強いはできませんね。今日のところは橋本くんだけで勘弁してあげましょう」
「あのー、俺もめっちゃ拒否ってるんですけど……。本人の意思は?」
「橋本くん、時には諦めも必要ですよ」
「そうだぞ橋本。ほら、準備も完了した」
「ありがとうございます葛城くん」
「なに、このくらい礼を言われるまでもない」
机に三つ巴状態で置かれたチェス盤と駒を見て、橋本は片手でそっと目を覆った。集中力を高めるためのルーティンかもしれない。
「日本語が、通じない……」
「IQが20違うと会話が成立しないって話は本当だったわけね」
「……いや、それは少し違うんじゃないか?」
用意した席にゆっくりと座る橋本。
まるで死地に赴くような雰囲気を醸し出す彼を見兼ね、坂柳が優しく言葉を掛ける。
「安心してください。ハンデとして、先手番は橋本くんに譲りますから」
「ハンデになってないんだよなぁ……」
囲碁の置き石や将棋の駒落ちと違い、チェスでハンデを付けるのはあまり一般的ではない。
先に数手連続で指したり将棋と同じ駒落ちが実際にはあるらしいが、俺自身は今までやったことがない。
坂柳も採用する気はないようだ。可哀想だな、俺……。
****
その十数分後。
三つの盤面で始まった戦いのうち、すでに二つが決着しようとしていた。
橋本と対局するのは初めてだったが、どうやら俺の方が実力は上だったようだ。チェス歴10年の面目躍如と言えるだろう。
「……なあ、降参してもいいか?」
「ダメです」
「そのルール俺にも適用されんのかよ……」
リザインの禁止。それは今日の対局で坂柳が俺に課した特別ルールだった。
必然的に聞くことになるチェックメイトの宣言。
負けると分かっていても戦わざるを得ない。そんな絶望の中で無意味に足掻く姿を高みから見物したいのだろう。
敗北することのない坂柳だからこそできる提案。ドSここに極まれり。
俺に有利に働く事は皆無。そこまでして俺を嬲りものにしたいのか。
「二面指しというのも楽しいものですね。あ、橋本くん、チェックメイトです」
「思考が割かれるから俺は苦手だな。橋本、チェックメイトだ」
「…………」
そして不幸にも流れ弾で瀕死に陥る運命を辿ってしまった橋本。
生気の抜けた顔になった彼を慰めようと動く者は一人もいない。神室と坂柳はそんな性格ではないし、俺は残ったもう片方の盤面に集中しなければならない。
とりあえず黙祷だけ捧げておく。
「そういえば、葛城くんはもうすぐ誕生日でしたか」
坂柳に一矢報いてやろうと気合を入れていると、唐突にそんなことを言われる。
この話題は正直予想外だった。白のルークを動かす手が一瞬止まる。
「……教えたか?」
「戸塚くんが広めてました。あなたから直接聞いた覚えはありませんね」
自分のならまだしも、なぜ人の誕生日を吹聴しようとするのか。
俺の生誕を祝うのってそんなに楽しいものでもないだろうに。
「プレゼントを用意するとしたら何がいいでしょうか」
「くれるのか?」
「欲しいんですか?」
少し考える。
坂柳からの誕生日プレゼントか。確かに魅力的だが……。
「いや、要らないな。だが気を悪くしないでくれ。これは坂柳に限った話じゃない」
「別に、その程度のことで腹を立てたりはしませんよ」
説得力がない。
「ですが、一応の理由は聞いておきましょうか」
「貰った分を返すのが大変だからだな。一人二人ならまだしも、人数が多くなるほど使用するポイントも増えていく。際限がなくなるくらいならそういう催しは最初からしない方が楽だ」
「ドライですね。いえ、律儀なのでしょうか。お返しなど考えず、貰うだけ貰っとけばいいじゃないですか」
「そういう訳にはいかない。仮に誕生日パーティーなるものが開催されるなら、特定の人物の時だけでなく参加者全員分漏れなく行うべきだと俺は考えている。そうなるとすでに誕生日が過ぎた人間はどうなるのだという問題も発生してしまう」
「気が早くないですか? まだ誕生日会があると決まった訳でもないでしょう」
「弥彦ならやりかねない」
「ああ、それは確かに否定できませんね」
40人分の誕生日会。時間的にもポイント的にも大変そうだ。
当日におめでとうと一言告げればそれで十分だと思う。だから弥彦には後でちゃんとその旨を伝えておこう。
あいつならクラスの枠を飛び越えて学校中の生徒に声を掛けかねない。
誕生日パーティーの招待状を配り歩く姿が目に浮かぶようだ。俺はキリストか何かか?
「あら、これは……」
残った最後の盤面。俺と坂柳の一騎討ち。
やや遅れたが、それもようやく決着を迎えた。
「ふっ、ステイルメイトだ」
劣勢を潜り抜け、俺は坂柳との対局を何とかドローへと持ち込むことに成功していた。
先手番の白を持っての引き分け狙い。他者から見たら惨めだろうが俺にとっては大きな一歩だ。
「……随分と嬉しそうですね」
「坂柳に負けなかったんだ。嬉しくないはずがないだろう」
「……そうですか」
「どうだ、俺の実力を思い知ったか?」
「……そういう言葉は、私に勝ってから言ってほしいものですね」
呆れたような笑みを浮かべながら、坂柳が次の対局の準備をする。
こちらの目の前に用意されたのは黒の駒。……え、俺の後手番?
「あと九局、一回でも勝てたら誕生日プレゼントを差し上げましょう」
その言葉を合図に、坂柳によるハゲマッチョ蹂躙劇が始まった。
そういえば誕生日で思い出したが、原作では葛城が妹に誕生日プレゼントを贈ろうと四苦八苦する話があったはずだ。
もちろん俺は予め知っていたため、プレゼントは三年分用意して自室に隠して置いてきてある。妹には内緒でおばさん達にだけその事を伝え、肝心の中身もアクセサリー、筆記用具、筋トレ用品、現金と複数用意してあり抜かりはない。
そんな可愛い可愛い妹は、俺と一つだけ歳が離れていたりする。
原作では双子の設定だった気がするが記憶違いだろうか。
……まあ、どっちでもいいか。
実際のところ、綾小路と坂柳がチェスで対局したらだいたい引き分けになりそうですよね。