明るい筋肉 作:込山正義
お待たせして申し訳ありません。
体育祭編始まりまっする。
夏休み明け。2学期最初の登校日。
その日の午後からの授業は、2時間連続でホームルームというスケジュールになっていた。
一年Aクラスの担任である真嶋先生が教室に入ってくるなり軽く出欠確認を行い、それから淡々と説明を開始する。
「今日から改めて授業が始まったわけだが、2学期は9月から10月初めまでの1ヶ月間、体育祭に向け体育の授業が増えることになる。新たな時間割を配るためしっかりと保管しておくように。それと同時に体育祭に関するプリントも配っていく。前の生徒から順番に後ろに回しなさい」
体育祭という単語を聞き、複数の生徒から歓声が上がる。
筋肉isマッスル。筋トレ信者に筋肉を披露する場を提供する事は、魚に水を与える事と同等の意味合いを持つ。
Aクラスの時代がやって来たと言っても過言ではない。
「また、学校のHPでもプリント同様に詳細が公開されている。必要だと思うなら確認してみるといい」
まあ、それは後でもいいだろう。
今はとにかく目の前の資料だ。
「では、順を追って説明していく。すでに目を通して気づいた者もいるだろうが、今回の体育祭は全学年を2つの組に分けて勝負する方式を採用している。お前たちAクラスは赤組に配属が決まった。そしてDクラスも同様に赤組として戦うことになっている。この体育祭の間はDクラスが味方というわけだ」
必然的に、残ったBクラスとCクラスが白組として手を組み、俺たちの前に立ちはだかることになる。
「へー、そんなこともあるんですね」
隣の席の弥彦がやや驚いたように言う。
この学校はテストにしろ特別試験にしろ、クラス単位での戦いというのが基本のスタンスとなっていた。
その枠組みから外れてのチーム戦。しかし胸の中に生まれた感情は不安よりも興奮が大きい。
クラスや学年を超えての大掛かりな対決。燃えるなという方が無理な話だ。
「まず何よりも先に体育祭がもたらす結果について教えておこう。それを知っているかどうかで、体育祭への意欲や取り組み方も少しだけ変わってくるはずだ」
先生の言葉に耳を傾けつつ、手元のプリントに視線を落とす。
そこには以下の内容が記されていた。
・体育祭におけるルール及び組分け
全学年を赤組と白組の2組に分け行われる対戦方式の体育祭。
内訳は赤組がAクラスとDクラス。白組がBクラスとCクラスで構成される。
・全員参加競技の点数配分
結果に応じて1位15点、2位12点、3位10点、4位8点が組に与えられ、5位以下はそこから更に1点ずつ下がっていく。
団体戦の場合は勝利した組に500点が与えられる。
・推薦参加競技の点数配分
結果に応じて1位50点、2位30点、3位15点、4位10点が組に与えられ、5位以下はそこから更に2点ずつ下がっていく。
最終競技のリレーのみ上記の3倍の点数が与えられる。
・赤組対白組の結果が与える影響
全学年の総合点で負けた組は全学年等しくクラスポイントが100引かれる。
・学年別順位が与える影響
各学年、総合点で1位を取ったクラスにはクラスポイントが50与えられる。
総合点で2位を取ったクラスのクラスポイントは変動しない。
総合点で3位を取ったクラスはクラスポイントが50引かれる。
総合点で4位を取ったクラスはクラスポイントが100引かれる。
「簡単な話、手を抜くのは推奨されないということだ。負けた組が受けるペナルティは決して軽いものではない」
もし仮に赤組が負けてAクラス単体としても最下位になった場合、それだけでマイナス200クラスポイント。クラス変動が起きかねない数字だ。
「先生、一つ質問してもよろしいでしょうか?」
「何だ? 言ってみろ」
もはや答えは分かりきっていることだが、気になった点を念のため確認しておく。
「これはつまり、赤組が勝利しても報酬は貰えない、という認識でよろしいですか?」
「そうだ。所属する組が総合点で勝利しても報酬は出ない。マイナスの措置を受けないだけだ」
「分かりました。ありがとうございます」
旨みがない。その非情な宣告によって、クラス内に落胆するような空気が漂い始めた。
無人島試験、船上試験共に報酬が莫大だったのも理由の一つだろう。飴の味を覚えてしまった今、鞭だけではどうしてもやる気を引き上げるには至らない。
加えて今回の体育祭の場合、Aクラスだけが頑張っても意味がないというのも大きい。たとえAクラスが筋肉パワーで怒涛の快進撃を続けたとしても、他のクラスや学年に足を引っ張られたらクラスポイントがマイナスになりかねないのだ。
学年別1位になっても赤組が負けたらその時点で後退確定。モチベーションの低下も致し方なしと言えた。
「これだけだとマイナスの面が強いように見えるかもしれない。だがこの体育祭ではクラスポイントの変動の他に、活躍した生徒には個人報酬が与えられる手筈となっている」
暗い雰囲気を見兼ねたわけではないだろうが、真嶋先生は餌をチラつかせるようにそう続けた。
プリントを読み進める。内容は以下の通り。
・個人競技報酬(次回中間試験にて使用可能)
各個人競技で1位を取った生徒には5000プライベートポイントの贈与もしくは筆記試験で3点に相当する点数を与える。
各個人競技で2位を取った生徒には3000プライベートポイントの贈与もしくは筆記試験で2点に相当する点数を与える。
各個人競技で3位を取った生徒には1000プライベートポイントの贈与もしくは筆記試験で1点に相当する点数を与える。
(いずれの場合も点数を選んだ場合、他人への付与は出来ない)
各個人競技で最下位を取った生徒にはマイナス1000プライベートポイントのペナルティが科せられる。
(所持するポイントが1000未満の場合は筆記試験でマイナス1点となる)
・反則事項について
各競技のルールを熟読の上遵守すること。違反した者は失格同様の扱いを受ける。
悪質な物については退学処分にする場合有り。それまでの獲得点数の剥奪も検討される。
・最優秀生徒報酬
全競技で最も高得点を得た生徒には10万プライベートポイントを贈与する。
・学年別最優秀生徒報酬
全競技で最も高得点を得た学年別生徒3名には各1万プライベートポイントを贈与する。
例えば勉強が苦手で、運動がすごく得意な生徒がいればこのシステムは大歓迎のはずだ。
しかしAクラスには赤点スレスレの人間など存在していない。テストの際に心に余裕が持てたり小遣いが増えるのは嬉しいだろうが、別に大騒ぎするほどのものでもないというのが正直なところだった。
だから気になるのは、どちらかと言えばそのさらに下に書かれていた記述の方だろう。
・全競技終了後、学年内で点数の集計をし下位10名にペナルティを科す。
ペナルティの内容は各学年ごとに異なる場合があるため担任教師に確認すること。
「真嶋先生、この学年下位10名に科せられるペナルティというのはどのようなものなのですか?」
俺や他のAクラスの生徒に先んじて、坂柳が挙手して質問する。
「お前たち1年に科せられるのは次回筆記試験におけるテストの減点だ。総合成績下位10名の生徒は10点の減点を受けることになる。どのような方法で減点を適用するかは筆記試験が近づいた時に改めて説明するため、この場ではその質問には答えることが出来ない。また、下位10名の発表も同様に、筆記試験説明の際に通告する段取りになっている」
「例えば体育祭を欠席した場合、その生徒はペナルティを受ける対象になり得ますか?」
「ああ、なり得る。坂柳にとってはこちらとしても非常に申し訳ない限りだが、どうか受け入れてほしい」
「ええ、問題ありません。特別待遇はあまり好みではないですから」
知りたいことを知れた坂柳は、先生に軽く礼をした後一瞬だけこちらを見てきた。
その流し目は、だそうですよ、と伝えているかのよう。
個人報酬で筆記試験の点数を貰った場合、100点を超えての限界突破が可能なのかという事象について考えていたからそれを読まれたのかもしれない。
俺と坂柳のテスト勝負は小テストも合わせて今のところ全戦全分け。しかし次の試験で坂柳のマイナス10点が確定している以上、その記録にも終止符が打たれる可能性がある。
まあ、それを勝ったことにしていいのかと言われると、全然そんなことはないわけだが。
入賞した場合は、大人しくその全てをプライベートポイントに変換してもらうとしよう。
「体育祭で行われる種目の詳細は全てプリントに記載されている通りだ。変更する予定は一切ない」
「え、なんか多くない?」
どこからが聞こえてきた驚愕の声。しかしそんな呟きが洩れてしまうのも仕方のないことだろう。
そのスケジュールは1日で行うにはなかなかハードな内容となっていた。
・全員参加種目
①100メートル走
②ハードル競走
③棒倒し(男子限定)
④玉入れ(女子限定)
⑤男女別綱引き
⑥障害物競走
⑦二人三脚
⑧騎馬戦
⑨200メートル走
・推薦参加種目
⑩借り物競争
⑪四方綱引き
⑫男女混合二人三脚
⑬3学年合同1200メートルリレー
最低でも1人8種目。
俺としては筋肉の活躍の場が増えて万々歳だが、運動を不得手とする人間からすれば地獄だろう。
勉強も得意とは言えない佐倉あたりは絶望していそうだ。後で励ましてあげよう。
「競技の多さに対する心配は尤もだ。だが安心しろ。その分応援合戦やダンス、組体操などの種目は一切存在しない。体育祭はあくまでも体力、運動神経を競い合うものというのが学校側の意向だ」
止むを得ず取り除かれた応援合戦やダンスなども、体育祭になくてはならないものだと個人的には考えている。
だから多くの不平不満が出ることを承知で言いたい。
体育祭、2日構成にすればいいのでは?
「また、ここに参加表と呼ばれる物があるが、これはお前たちで話し合って全ての種目に記入を終えた上、担任である私に提出してもらう。このような方式を取っている学校は他にないと思われるので、間違いが起きないよう心に留めておけ」
「全て、とは、文字通り全てですか?」
「そう、全てだ。体育祭当日に行われる競技の全て、何組目に誰が走るかまでお前たち自身で決めるんだ。提出期間は体育祭の1週間前から前日の午後5時までの間。締め切り以降は如何なる理由があろうとも入れ替えることは許されない。もしも提出期限を過ぎた場合はランダムに振り分けられることになるから気をつけろ」
それからいくつかの質疑応答を繰り返し、二人三脚で欠員が出た場合はペア諸共失格、騎馬戦なら騎馬が少ない状態で対決開始、推薦競技は1回につき10万プライベートポイントで代役を立てることが可能、などというルールが判明した。
これで可哀想なのは女子だろう。Aクラスの女子は20人。坂柳が参加できないため、必然的に二人三脚はもう1人失格、騎馬戦では騎馬が1つ少ないことが確定することになる。
いや、まあ、上級生は欠員という名の退学者が1人どころではないから、参加表を作るのがさらに難しくなってくるはずだ。
1年Dクラスにも高円寺というサボりがほぼ確定している人物が1人。こうして考えると、まともに参加表を埋められるのは全学年合わせても1年Bクラスと1年Cクラスだけということになる。
まあ、1年Cクラスは怪我を前提にした自演自爆特攻を仕掛けてくる可能性が非常に高いから、まともとは言い難いのかもしれないが。
「これ以上質問がないようなら説明は終了とする。残りの時間はお前たちで好きに使うといい。次の時間は第一体育館に移動したのち、各クラス他学年との顔合わせを行う予定になっている。くれぐれも時間に遅れないようにしろ」
そう言い残し、真嶋先生は一度教室から退室した。
そうして残された俺たち生徒は、早速体育祭についての話し合いを開始するのだった。
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不意に訪れた、生徒の、生徒による、生徒のための時間。
だが自由時間になったからといって、皆が皆思い思いに別行動を開始するわけではない。
ここは天下の1年Aクラス。そこにはただ1人の統率者が君臨しており、彼ら彼女らの空間、時間は常にその人物を中心に回っている。
熟練の兵隊たちが、指示を求めるように己の主へと視線を向ける。
その先で、銀髪の少女は薄く微笑んでいた。
「方針を決め、目標を定め、効率を高めるにあたって、何よりもまずリーダーを立てることが先決でしょう。本来なら私が務めるところですが、見ての通り役に立てず、どころが競技に参加することすら出来ません。ですので代役として、一時的に別の方にリーダーを務めていただきたいと思います」
すいっ──と、その鋭い視線が俺を向く。
「葛城くん、お願いできますね?」
「……なぜ、俺なんだ?」
何言ってんだこいつ、とでも言いたげな顔をされたが、構わず続ける。
これはクラスの勝敗を分ける、重要な事柄だ。
「俺は前回の特別試験でリーダーを務め、Aクラスを散々な結果に導いている」
「だから一時的とはいえ、リーダーをやるべきではない、と?」
「そうだ」
「ですが、他に適任者がいるとは思えません」
「別に、坂柳がやればいいだろう。なにも名選手でなければ名監督にはなれない、というわけでもあるまい」
「それでも、競技そのものをやったことがない人間が監督になる例はかなり稀だと思いますよ?」
確かに坂柳は運動の経験がない、いわば素人だろう。
だが知識ならば運動に密接に関わっている人間と同等か、それ以上に有していると思われる。
例えば俺は筋肉についてかなり多くの事を知っている自負があるが、その中に坂柳が知らない知識があるとは思えない。
全てを分析し最奥部から的確に指示を出す。普通の人間には無理なことでも坂柳なら可能だろうと、俺はそう確信していた。
「それに、坂柳や俺以外にもリーダーが務まる人間はいると思うぞ。橋本なんてどうだ?」
「は? 俺? 無理無理、出来ねえって。だったら神室がやった方がいいだろ」
「イヤ。鬼頭がやれば?」
「俺にリーダーは務まらない。順当に、葛城がやればいいのではないか?」
なんか、このやり取り前にも見たような気が……。
「どうやら葛城くんは、クラスを背負うことに今更ながら不安を覚えているようですね」
いや、今更というか……最初から一貫して、不安は抱えっぱなしなんだけどな。
「そんな見た目に似合わず小心者な葛城くんに、一つだけ聞きたいことがあります」
見た目に似合わずは余計だ。
「なんだ?」
弱気になっている俺に向け、挑発するような笑みを浮かべながら坂柳は言う。
「──こと肉体で全ての勝敗が決まる対決において、それでもあなたは不覚を取る予定がおありですか?」
……ああ、そうだな。
その質問にはこう返させてもらおう。
──あるわけがない。
「ふふっ、どうやら決まりのようですね」
笑みの性質を満足気なものへと変えた坂柳は、次いで教卓を手で示した。
「ではリーダーさん、体育祭に向けて一言どうぞ」
それに促されるまま、俺は教室の最前へと躍り出る。
その場所からは、全員の表情がよく見えた。
反応は様々だ。
体育祭に向け闘志を燃やす者。精一杯頑張ろうと意気込む者。だがやはり、あまりやる気が感じられない者も中には見られた。
そういう人間のモチベーションを最大限まで引き上げるのが俺の役割。
リーダーとしての最初の使命である。
「この体育祭、前回までの特別試験のように、大きな見返りが用意されているわけではない」
まず初めに、最大の問題点を挙げる。
「日々の勉強を怠っていないAクラスの生徒にテストの点数の加算など必要ないし、上位入賞して得られるプライベートだって、言っては悪いが端金だ。また、俺たちAクラスがいくら頑張ろうと、赤組の他のメンバーがだらしなければクラスポイントがマイナスになる可能性もある」
続いて、具体例を示す。
「だが、そんなのはどうでもいいことだ」
そしてそれを、価値のないゴミであるかのようにぶち壊し投げ捨てる。
「見返りがなんだ。報酬がなんだ。お前らは飴がないと動けないモルモットなのか? それとも鞭がないと走れない馬畜生なのか?」
左から右へ。右から左へ。ぐるりとクラスメイトたち全てを見回す。
「結果による影響など所詮は些事。そんなものより、もっと大事なことがあるだろう!」
気分はさながら、国民を奮い立たせる煽動者のごとし。
「俺たちは今まで何のために筋トレを行ってきた!? 今この時、この瞬間のためじゃないのか!!?」
俺の魂のこもった言葉に、賛同する声がいくつも上がる。
「そうだ、今こそ見せつけろ! どのクラスの筋肉がナンバーワンか! それを全人類に証明してやれ!!」
叫び声が叫び声を呼び、気づけばクラス内には莫大な熱気が渦巻いていた。
「勝つのは俺たち赤組だ!」
『オオッ!』
「1位になるのは俺たちAクラスだ!!」
『オオッ!!』
ありとあらゆる筋肉に賭けて、俺がこのクラスを優勝に導く!
「いくぞっ! 今こそ立ち上がれ筋肉信者たちよ!! 俺たちが最強だァッ!!!」
『オオオオオオオオォォォォ!!!!!』
その大歓声は、1番距離のある3年Dクラスまで届いたという。
めっちゃ怒られた。
キャラ崩壊?
いえ、彼の筋肉愛は元々こんなもんです。