明るい筋肉 作:込山正義
遅くなってしまって申し訳ないです。
「うう、ごべんねえがづらぎぐんんん……」
肩を落とし、泣きながら謝罪してくる西川。
いや、あれは仕方ないだろう。こちらが弱かったのではなく、相手が強かった。白組女子を賞賛する気持ちはあれど、負けた彼女たちを責めるつもりは一切ない。
「なに、次の種目でリベンジすればいいだけの話だ。みんながこの1ヶ月どれだけ頑張ってきたか、俺はちゃんと知っている」
反省はいいが引き摺るのはよくない。一度負けてしまったのなら他で全勝する。そのくらいの気概でいた方が実力は発揮できる。
「それに、男子が勝ち続ける限り差が詰まることはない。だからこの結果を重く受け止める必要はない。気負わず全力で、この体育祭を楽しんでいこう」
勝ちに拘るあまり苦しみを覚えてしまっては本末転倒だ。
笑顔なき勝利は勝利でなし。ボディビルダーの大会だって、笑顔は大事な項目の一つとなっている。
「それじゃあ、手筈通りに行こうか」
「ああ。みんな配置についてくれ」
審判から競技の説明を受け、綱の元へと移動すると同時、赤組の男子たちが俺と平田の指示によってテキパキと並び順を変えていく。
基本は背の順。しかし利き手や体重、力の強さなどで若干順番を調整している。
「変に力む必要はない。棒倒し以上に純粋な力勝負。それが綱引きだ。練習通りやれば絶対に勝てる」
白組の陣形はバラバラだ。やはりBクラスとCクラスは連携を取れていないようである。
慢心はしない。だが客観的に見ても、チームワークすら覚束ない相手に負けるとは思えなかった。
「よっし! 行くぞお前らァ!」
『オオッ!!』
須藤の掛け声に全員で返す。
それから程なくして、試合の開始を告げる合図が響いた。
それと同時、お互いの陣営が弾かれたように綱を引き始める。
『オーエス! オーエス!』
拮抗は一瞬。5秒を待たずして、流れは一気にこちら側へと傾いた。
綱を脇で挟み、体を正面に向け、空を見上げながら体重を利用して全身で斜め上に引っ張るように。
もちろん、相手も基本フォームくらいは身につけている。
だが条件が同じならチームワークの高い方──そして体重の重い方が勝つというのが綱引きという競技の性質だ。
筋肉は脂肪よりも比重が大きいというのは有名な話だが──つまりはそういうことである。
「オラオラァ! 余裕余裕!!」
その勢いのまま1回戦目を圧勝する。そう思っていたのだが、ここで一つ事件が起きた。
僅かにだが存在していた抵抗が、勝利が確定する寸前に一気に消失したのだ。
『!!?』
綱が中心で切られたような感覚。身体を支えていた力がなくなり、全身が後方へと吹き飛ばされる。
まずい。相手に視覚的威圧感を与える意味も込めて、俺の立ち位置は一番前。このまま倒れてしまえば、後ろにいる人間が100キロを超える巨体に押し潰されることになってしまう。
反射的に上半身を捻り、真後ろへ落下していた軌道を無理やり捻じ曲げる。そのまま手のひらで地面を叩き横に身を投げ出すことで、何とか最悪の事態を回避することには成功した。
「みんな、大丈夫か!?」
回り受身を取りながら立ち上がり状況を確認する。予想した通り、赤組の生徒はドミノ倒しのような状態で地面に倒れていた。
「ってて……なんだよ一体……」
原作知識を頭の隅に置いていた俺以外に、被害を免れた者は一人もいない。裏を返せば、全員それだけ真剣に綱を引いていたということだ。
綾小路は……おそらく、やろうと思えば対処できたが、目立つことを嫌ってあえて巻き込まれたのだろう。だから怪我はないと思われる。心配なのはその他の選手たちだ。
「おいっ! これは一体どういうことだ!」
見れば赤組側だけでなく、白組の前半分──Bクラスの生徒たちも転倒していた。
無事なのはCクラスだけ。元凶は明らかだ。
全員の怒りの矛先が一点に集中する。
「勝てないと思ったから手を休めたんだよ。それに、Bクラスだってついさっき同じことをしてたじゃねえか。俺たちだけ責められるのは不公平だと思わないか?」
視線の先で、龍園は一切悪びれることなく笑っていた。
「ふざけてんのか!」
「やっていい事と悪い事があるだろ!」
「クク、なに怒ってやがる。せっかく勝ちを拾えたんだからもっと喜んだらどうだ?」
「テメェ……!」
起き上がるや否や、怒り心頭といった様子の須藤が龍園の元に駆け出そうとする。
棒倒しの時も攻撃を受けていたようだしその気持ちは分からなくもない。
だがダメだ。赤組に2人いるリーダーの片割れとして、その行為を認める訳にはいかない。
「落ち着け須藤」
「離せよ葛城! 悪いのはどう考えてもあっちだろうが!」
「挑発に乗ってしまえばそれこそ奴の思う壺だ。暴力沙汰を起こして、今の1勝を無駄にする気か?」
「けどよ!」
「どんな形であれ勝利は勝利だ。格好のいい敗北など奴らにくれてやれ」
ルール違反をしなければ何でもしていいという考えは好きではないが、全否定するほど嫌悪している訳でもない。
そういう手もあるだろう、くらいの認識でいることが心を冷静に保つための秘訣だ。
「まだ2回戦目が残ってる。せいぜいいい勝負をしようぜ?」
陣地入れ替えのために率先して移動を開始するCクラス。これ以上言い合いをしていたら審判から注意が入る可能性が高いため、他のクラスも渋々それに倣って動き始めた。
「今の出来事を踏まえた上で、俺から一つだけお願いがある」
移動の最中、俺はDクラスの生徒も含め赤組全員に聞こえるように言う。
「勝つために、次も全力で綱を引いてくれ」
また手を離されたら次も盛大に転んでしまう。そんな不安を押し殺し、1回戦の時のように綱を引くことが、この状況における最善手だと俺は考えている。
様子見は悪手だ。転倒を恐れて初期の体勢が悪かったら、その隙を突かれて白組に1勝を取り返されてしまう可能性がある。
たとえ途中で立て直せたとしても、力が拮抗した瞬間に手を離されれば同じこと。相手が敗北を代償とした後出しを可能にしている以上、最初から本気で行くより他に有効な選択肢はない。
俺一人で戦うと言えればカッコイイのだが、こればっかりはどこぞの主人公のようにはいかない。
だから、みんなの力を借りる必要がある。
身体が浮遊感を覚え死を連想する感覚は、この短時間でそう簡単に忘れられるようなものではない。
だが安心してほしい。
鍛え上げられた筋肉の鎧があれば、そうそう怪我なんてものは負わない。
自分の肉体を信じろ。
もしも負傷をしたら、それはこれまでの筋トレが不足していただけの話だ。
「行くぞォ!」
『オオオオッ!!』
試合開始の合図が聞こえたと同時、1回戦目と同様の正しいフォームで力一杯綱を引いた。
その数秒後、感じていた抵抗はまたもや一瞬のうちに消失した。
2度目の転倒。場所は一番前から一番後ろに移ったので、俺の巨体に誰かを巻き込むことはない。
あとは怪我人がいないことを祈るのみ。
余裕をもって勝てる人員を残した上で、数名の選手には龍園の作戦決行のタイミングで綱を逆方向に引くよう指示してあった。
だから勢いは少し軽減されたはずなのだが……まあ、体感した限りだと何とも言えない。効果があったかは微妙なところだ。いっそ俺がその役目を担うべきだったか?
「お前らが地に這いつくばる姿を見れて面白かったぜ」
龍園は最後にも挑発の言葉を残してから、配下を連れて堂々とした態度で引き上げていった。
「待てよこの野郎!」
「ちょっ、やめろって須藤!」
そこから少し離れた場所で、暴れようとする須藤を同じDクラスの男子が数人がかりで押さえつけていた。
手助けが必要かと焦ったが、見た感じ今のところは問題なさそうだ。
何はともあれ2対0でのストレート勝ち。アクシデントこそあったものの、結果だけ見れば上々である。
しかし龍園の最後の発言。まるで試合に負けて勝負に勝ったとでも言いたげだった。
だが違う。試合に勝ったのも勝負に勝ったのも俺たち赤組だ。
だからみんな、胸を張れ。たとえ地に伏せようと、チームに貢献した事実は変わりないのだから。
****
続く女子の綱引き。
1回戦目は我々赤組が勝利したものの、2回戦目で一之瀬率いる白組に敗北し追いつかれてしまう。
そして全てが決まる最終戦。長期戦の末、勝利をもぎ取ったのは敵である白組だった。
白熱した僅差の勝負。正直、どちらが勝ってもおかしくなかった。
しかし、どんなにいい勝負をしたところで負けは負け。2連続で敗北を喫し、西川なんかは死にそうな表情になっていた。
その気持ちも分からなくはないが、しかし実際のところ彼女は悪くない。
というより、Aクラスの筋力は基準値を上回っている。
だから、敗北した原因は他にある。こんなことを言いたくはないが、Dクラス女子の平均筋肉量が些か物足りないのだ。
堀北のような例外もいるにはいるが、Dクラスには運動を苦手とする女子生徒が多く集まっていた。
あとは金欠によるプロテイン不足。これも理由の一つだと思われる。
いい筋肉はいい食事から。今度、佐倉にオススメのプロテインをプレゼントしてあげるとしよう。
それにしても、男子と違って女子の方は白組も纏まりがあるように見えるな。
一之瀬の人間性が為せる技なのか。あるいは龍園の支配が女子までは深く及んでいないのか。
うーん、分からん。とりあえず、今は次の競技に集中するとしよう。
団体戦で差は広がらなかったが詰まってもいない。
つまり、Aクラスが1位である事実は未だに変わりないということ。
落ち込む必要は全くない。個人種目なら、女子たちもいい成績を残せるだろうしな。
だから坂柳。神室をそんな目で見るのはやめて差し上げろ。
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5種目目。個人種目のみだと3種目目。競技名は障害物競走。
俺は相変わらずの第1走者だ。誰が来ても絶対に勝つという意志を込めて、全ての個人種目で初手に配置させてもらっている。
「綾小路もこの組か」
「ああ。お手柔らかに頼む」
横並びになる8人。その中に注意すべき相手は綾小路以外見当たらない。その綾小路だって、無難に3位から5位あたりを狙って全力は出さないはずだ。
とはいえやることは変わらない。同じAクラスの生徒を含め、ここにいる全員が俺のライバルだ。それにこれは障害物競走。事前情報から走力で上回っていることが分かっていても、何かの要素一つで結果は簡単にひっくり返ってしまう。油断など出来ようはずもない。
パン、というスタートの合図。それが聞こえたのと同時に爆発するように動き出す。
よし、スタートダッシュは完璧だ。このままリードを維持して1位でゴールする。
……と、そう考えていたのだが、しかしここで想定外のことが起きていることに気がついた。
視界の端に、俺と同じ速さで並走する影を捉えたのだ。
横を見る余裕はないが、方向からしておそらく綾小路だろう。
まさか、ここで実力を明かすのか? こんなところで? 何のために?
浮かび上がってきた様々な疑問を、しかしすぐに打ち払う。
もしも本当に綾小路が本気を出すというのなら、それこそ余計なことを考えている余裕はない。
いいだろう。やってやる。
こっちだって、黙って噛ませ犬になる気は毛頭ないぞ。
50メートルにも満たない短い距離を走れば、すぐに第一関門へと到達する。
最初の障害物は平均台。落ちたら大幅なタイムロスになるが、安全策を取っていたら十中八九抜かされてしまう。
スピードをできるだけ殺さないよう意識しつつ、勢いに乗ったまま平均台へと突っ込む。
確かに道幅は狭く走りづらい。だが綱渡りなどとは違って足が完全につく以上、大きくバランスを崩さなければ落下することはない。
俺は体幹もしっかりと鍛えている。この程度で軸がブレるなどありえない。
そのまま俺は問題なく平均台を渡り切った。地面を走る時とそう変わらない速度で真っ直ぐに駆け抜けた。
だというのに、綾小路との位置関係は逆転していた。
平均台に乗ったタイミングは俺の方が一歩分だけ早かったのに、地面に下りる時には俺の方が一歩分遅くなっていた。
くっ、速い。速すぎる。平均台の上で逆に加速するとか誰が想像できるだろうか。
相対的に、周りからは俺が減速したように見えているのか?
いや、そんなはずない。さすがに無理がある。
タイムを測っていないと言っても、気づく人は気づくはずだ。
まさか得意種目平均台とか言って誤魔化すつもりだろうか。
うわ、ありそうだ。直線では葛城に負けてただろとか言いそうだ。
くそ、舐めやがって。
と、ここまでも十分に常軌を逸していたのだが、続く網くぐりでの動きは最早変態的と言えた。
まるで爬虫類か何かのように、超高速の匍匐前進で地を進む綾小路。
俺の体がでかくて網をくぐるのが苦手なことを差し引いてもあのスピードはおかしい。どこかの特殊部隊に入れそうなレベルだ。
差は詰まるどころが広がる一方。網をくぐり抜ける頃には、時間にして3秒以上のビハインドが生まれてしまっていた。
綾小路の得意種目に網くぐりも加わった瞬間だ。
そこから少し走れば最後の障害物が待ち受ける地点に辿り着く。頭陀袋による跳躍はやはり得意とは言えないが、それでも諦める訳にはいかない。
全身の筋肉をフル稼働させ一心にジャンプを繰り返す。
前傾姿勢になり、前に倒れようとする力さえも推進力に利用する。
少し加減を間違えばたちまち転倒してしまうだろうが、リスクを気にしている暇はない。
当然、綾小路は頭陀袋ジャンプもバカみたいに速い。
だが距離は縮まった。
残るは最後の直線50メートルのみ。純粋な走力勝負によって全てが決まる。
規定の位置まで辿り着いたタイミングでわざと前に転び、クラウチングスタートのような姿勢で袋から飛び出す。
これが、俺の考えた無駄のない脱出方法だ。
視線の先には綾小路。誰かの背中を追いかけるなど、この体育祭では初めての経験だ。
しかし好都合。俺は追われるよりも追う方が好きな人間。前に強敵がいればいつもよりさらに速く走れる気がする。
走る。走る。走る。
がむしゃらに綾小路を追いかければ、段々と背中に近づいてきた。
だが同時に、ゴールまでの距離も縮まっている。
諦めるな。最後まで走り抜け。
ゴールとは胴体がラインに触れた瞬間に判定される。つまり、胸筋が盛り上がっている俺の方が若干有利ということだ。
背中を捉える。追いつく。横並びになる。
それとほぼ同時に、俺たちはゴールテープを通過した。
結果は──綾小路の勝利だった。
「ハァ、ハァ、ハァ……」
ああ、悔しい。
悔しい悔しい悔しい。
綾小路はたぶんまだ全力じゃなかった。
それでも俺は敗北した。
苦手な障害物だったことなど関係ない。
相手が主人公であるなど言い訳にもならない。
ああ、くそぉ……。
ほんと、筋肉が張り裂けそうなほど悔しい……!
「……綾小路。お前は前回の競技で手を抜いていたと記憶している。なのに障害物競走ではこれ以上ないほどに目立つ真似をした。それはなぜだ?」
敗者がみっともないと分かっていながら、俺は疑問を口にせずにはいられなかった。
「悪いな葛城。今須藤に諦められると困るんだ」
そう意味深に残して、綾小路はクールに去っていった。
……とりあえず、体育祭が終わったら一から鍛え直さなきゃだな。
****
「葛城くん、残念でしたね」
待機場所に戻るや否や、坂柳に話し掛けられた。
「ところで、あなたに土をつけた生徒のことをご存知ですか」
その視線は、俺ではないどこか別の場所を向いていた。
坂柳の見ている方を追う。その先では、自称事なかれ主義を掲げたハイスペック主人公が須藤にめちゃくちゃ賞賛されていた。
「あいつは綾小路清隆。極めて質の高い筋肉を持つ男だ」
「そうですか」
自分から質問しておいて、興味なさそうに呟く坂柳。
興味がない、と言ってもそれは俺の発言に対してであり、綾小路という人間に対してはかなり興味津々の様子である。
「彼とは以前から面識が?」
「ああ、一学期の頃から仲良くさせてもらっている」
綾小路は変に注目を浴びることを好まないが、これは言っても特に問題ないだろう。
俺は基本的に誰とでも仲良くしている。友好を築いているというだけでは特別気にかけているという事実には繋がらない。
それに、坂柳に隠し事をしようとしてもすでに手遅れだ。
「あなたから見て、彼はどのように映っていますか?」
「すごい筋肉」
「聞いた私がバカでした」
坂柳は小さい頃に綾小路を窓越しに見たことがあり、ホワイトルームという綾小路最大の秘密を知る数少ない人物でもある。
俗に言う幼馴染。たとえ綾小路の方は坂柳を知らない一方的なものだとしても、俺は個人的な趣味からそう解釈すると決めていた。
原作でも、坂柳はこの体育祭で綾小路の存在を認知する描写があった。しかしそれは、最後の種目である混合リレーで、堀北会長と激戦を繰り広げる彼の姿を見たのが原因だったはずだ。
なのに目の前の坂柳は、まだ全員参加の種目すら終わっていないこのタイミングで綾小路のことを認識してしまっている。
うーん、なんか早くない?
俺の存在がイベントの消化に使われたようで何とも言えない気分だ。
ここは原作ファンらしく喜ぶべきなのか。それとも悲しむべきなのか。
うーん、分からない。
分からないので、とりあえず負けた悔しさをバネに筋トレをすることにした。
筋肉vs筋肉。
勝者筋肉。