明るい筋肉 作:込山正義
全員参加種目並びに午前の最後の競技200メートル走。
その準備場所で、須藤は怒りの形相を浮かべていた。前方から近づいてくる龍園の姿が視界に入ったからだ。
「てめぇ……!」
先程の騎馬戦、結果は赤組の勝利で終幕した。
しかしそれはAクラスの活躍があったからこそ。Dクラス──須藤たちが龍園にしてやられた事実に変わりはない。
それがとにかく気に食わなかった。
「鈴音は200メートル走に出てなかったみたいだな? まさか仮病か?」
「あ? 気安く名前で呼んでんじゃねーよ」
同じクラスですらない龍園が、なんの対価も制約もなしに堀北を名前呼びしている。
体育祭で優秀選手に選ばれるという──高難易度の条件付きでようやく可能性が見えた須藤としては見逃せる行いではなかった。
「鈴音のせいでウチの木下は大怪我を負い、残りの競技は全て欠場。だってのに、あの女は謝罪の一つも寄越さねえ。その上本人は優雅にサボりと来た。随分といい身分じゃねえか」
「あれは事故だろ。堀北は悪くねえ。怪我をしたのは堀北だって同じだ」
「本当にそうか? 実力は木下が上。損失はCクラスの方がでかい。事故に見せ掛けて退場に追いやる理由としては十分だろ」
「あいつがそんなことするはずねぇだろうが!」
須藤が叫ぶ。近くにいた生徒たちがギョッとしながら振り返った。
「そんなマジになんなよ。あくまで可能性の話だ。ま、俺は鈴音が悪いと確信しているがな。木下が可哀想で仕方ない」
「いい加減に──」
と、そこまで言いかけて、須藤は小さな違和感に気づいた。
龍園の表情。クラスの仲間を思いやるような言葉を吐きながら、その口元は醜悪に歪んでいた。
まるで獲物を罠に嵌めて悦んでいるような──そんな顔。
龍園は堀北がわざと木下を怪我させたと考察していた。
だがここで新たにもう一つの可能性が浮上する。
もしも、その言葉が全くの嘘で──。
そして、真実が全て真逆だったとしたら──。
「てめぇ、まさか──」
龍園に詰め寄ろうとする須藤。しかしそのタイミングで審判から招集が掛かってしまう。
第2レースに出場する予定の龍園は、須藤から視線を切るとそのまま歩き去っていく。
「おい! 待ちやがれ!」
「ダメだよ須藤くん! もう競技が始まる!」
近くで成り行きを見守っていた平田が須藤を押さえつける。
それでも須藤は龍園の元へ向かおうとしたが、綾小路が平田に加勢したことでなんとか動きを止めることに成功した。
何事かと様子を見に来た教師の1人が、騒いでいる彼らに一言二言苦言を呈す。
そうなってしまえば、須藤としてもこれ以上暴れることはできなかった。
「くそっ……あの野郎ぜってー許さねえ!」
もちろん、怒りがすぐに収まるようなことはなかった。
****
「マジでボコボコにしてやる、あの野郎!」
競技後。一度Dクラスの待機場所に戻った須藤は、その足でCクラスの元へ歩き出そうとしていた。
もはや我慢の限界だった。痛そうに足を押さえる堀北の姿を見た瞬間に頭の中は真っ白になり、感情は怒り一色に支配されていた。
理性のブレーキはすでに外れている。龍園を殴った際のデメリット。そんな簡単なことにすら考えは及ばない。
「須藤くんの言いたいことは分かるよ。でも少し冷静になる必要があるんじゃないかな。君が龍園くんに暴力を振るったらどうなるか。結果は分かるはずだよ」
須藤の前に立ちはだかる平田。
そんな仲間のために行動した彼を、須藤は邪魔者であるかのように片手で押しのける。
「るせぇよ! ふざけてんのはあいつだろ! 反則ばっかしやがって!」
「反則の可能性は高いと思う。だけどその証明は難しいんじゃないかな」
棒倒しでの直接攻撃。綱引きでの手抜き。騎馬戦の整髪料使用。そして障害物競争での、故意の接触による怪我の誘発。
そのどれもがマナー違反であるが、証拠がなければグレーのまま。
怒りに任せて詰め寄ったところで軽くあしらわれるのは目に見えている。どころが、逆に利用されかねない。
大衆の面前で他クラスの生徒に暴力を振るえば、本人の失格だけでは済まない可能性だってある。
「この体育祭じゃ俺がリーダーだ。従えよ平田。一緒に龍園に詰め寄るぞ」
しかし、須藤は止まる気配を見せなかった。
「僕は君がリーダーであることを否定するつもりはないよ。この体育祭に限って言えば間違いなく君が適任だ。でも、周りをよく見てほしい。今の君をリーダーとして認めている人がどれだけいるかな?」
言われるがまま、須藤は周りを見渡した。
怒られ怯えている池や山内を始め、ほとんどの生徒はイラつく須藤の傍に近寄ろうともしない。誰も彼もが逆鱗に触れないよう距離を置いている。
「俺はクラスのために必死になってんだろうが……!」
賛同者がいない現状に、須藤が不満の声を絞り出す。
そんな荒ぶる暴君へ向け、平田以外の生徒が初めて声を上げた。
「本当にそうなのか? お前、クラスを勝たせたいって気持ちより自分が活躍したい、自分の凄さを見せ付けたいとしか思ってないんじゃないか? 少なくとも俺にはそう見える。ただ感情に任せて使える使えないを判断して、煽って、それでクラスが勝てるなら苦労しないだろ。リーダーとして振る舞うなら、冷静な判断と的確なアドバイスが必要だ」
切り出したのは幸村だった。体育祭に真剣に取り組み、それでも結果を残せず苦しんでいる彼は、Dクラスみんなの代弁をするようにそう告げた。
「るせぇ……」
「僕も同じ気持ちだよ須藤くん。須藤くんを頼りにしているからこそ、もっと大局的に状況を見てほしい。そして沢山の仲間の気持ちに応えてほしいんだ」
「るせぇよ……」
俯く須藤。それでも言葉は届くと信じて、平田は続けた。
「君なら出来るはずだよ須藤くん。だから──」
「うるせぇって言ってんだろ!!」
ゴッ、と鈍い音が響いた。身体が吹き飛び、地面に叩きつけられる。
須藤は拳を振り抜いた体勢のまま、呆然と地面に倒れ込んだ相手を見下ろした。
「な、なんで……」
須藤が殴ったのは平田ではなく、平田を庇い前に出てきた堀北だった。
女子を──それも惚れた相手を、手加減なしに殴り飛ばした。その事実に、さしもの須藤も動揺を見せる。
「ち、ちがっ……」
背中から派手に転んだ堀北は、地面に手を付きながら、ゆっくりとした動きで何とか立ち上がろうとしていた。
しかしその足は震え、今にもまた倒れてしまいそうだ。頬は赤く腫れ、口元からは僅かにだが血が垂れている。
「俺は、そんなつもりじゃ……」
誰から見ても満身創痍だと分かる堀北は、それでも必死に2本の足で地を踏みしめると、足を止めることなく須藤の元へと向かっていった。
目の前に到達し、立ち止まる。
そして動けずにいる須藤の頬に狙いを定め──強烈なビンタを食らわせたのだった。
『!!?』
パン、という甲高い音が響き渡る。
彼女の予想外すぎる行動を、周りにいた生徒たちはただ黙って見ていることしか出来なかった。
しかし、その一連の流れに最も驚愕していたのは、遠くからDクラスの様子を観察していた葛城だった。
平田を庇い拳を受けた堀北。そして仕返しの強烈なビンタ。腕を組む葛城の表情はいつもとそう変わらないものの、頭の中は混乱で満たされていた。
──えぇ、何この展開……。俺知らない……。
長い昼休憩が幕を開けた。
****
50分の昼休憩を終えれば、ついに体育祭は推薦競技の時間へと突入する。
参加者はクラスで選ばれた猛者ばかり。午前中以上に厳しい戦いになることは避けられないだろう。
だが負ける気はないし、負ける気もしない。
弁当を3つ平らげたことで、すでに体力は回復している。
筋肉にも不備は見られない。正真正銘の絶好調だ。
今なら綾小路にだって勝てそうな気がする。
「何か揉めていたようだが大丈夫か?」
「ああ、心配ねぇよ」
近くにいた須藤に声を掛ければ、そんな応えが返ってきた。
強がっているようには見えない。何かが吹っ切れたような顔をしている。
昼休憩の時は堀北と衝突していたようだが、身内でのいざこざということで大きな問題にはならなかったようだ。須藤が今この場にいることがその証拠である。
「なんつーか、目が覚めた気分なんだ」
須藤はそれだけ言い、その場でゆっくりとストレッチを始めた。
長くは語らない。故に詳細は分からない。
だが、その変化に堀北が関わっていることだけは確かだった。
「そうか。健闘を祈る」
「ああ、リベンジしてやるから覚悟しとけよ」
競技に参加しないどころか、午前中より研ぎ澄まされている様子の須藤。
これは要注意だな。俺もいっそう気を引き締めねば。
****
推薦競技1種目目──借り物競争。
出場するのは各クラス6人ずつ。1レースの参加人数は4人。クラスから1人ずつ出しての少数競技。
そして、得点が個人競技よりも高く設定されている。
とはいえやることは今までとそう変わらない。
1レース目を1位で終え、Aクラスに流れを引き込む。それが俺の役割であり使命だ。
スタートの合図と共に全力で駆け出す。借り物競争において最も需要なのはいかに簡単なお題を引けるかという点だが、しかし単純な走力も疎かには出来ない。
お題の難易度が同等なら、必然的に足の速い方が勝利するからだ。
よって、お題までの道のりも手を抜くような真似はしない。
そのまま順当に抜け出し、1位で箱の設置地点まで辿り着く。
選び放題だ。だが迷っていては時間をロスするだけなので速攻で紙を1枚引く。
信じるは己の直感のみ。さて、結果は……。
『好きな人』
……なるほど。そう来たか。
「…………」
引き直しには30秒もの待機が必要。つまり最初からその選択肢は存在しない。
それに『好きな人』とひとえに言っても、恋愛的にとは一言も書かれていない。
つまり友達として好きだったり、人間的に好きだったとしても問題はないわけだ。
しかし、仮にここで男を選んだ場合、本心ではそういう意味でなくとも誤解は必至。明日から俺は筋肉ホモ(ハゲてる)として学校中に噂されることになるだろう。
それは嫌だ。すごく嫌だ。
だったら普通に女子相手に告白して振られた方がマシだ。
男が選べない以上、選択の幅は一気に半数へと激減する。加えて敵である白組の生徒に頼んでも断られる可能性が高いため、そこからまた半分。教師や上級生に頼むのは難易度が高いためさらに3分の1以下。その中で頼れる相手となるとかなり候補は絞られてくる。
その上で俺のお願いを断らず、迷惑を掛けてもそこまで心が痛まない相手が理想的──。
ここまでの思考を1秒で終えた俺は、さっそく『借り物』の待つ場所へと走り出した。
最終的に条件に合う対象は数人。その中で最も勝利に近い──すなわち、最も距離が近い人物の元へと向かっていく。
その相手とは──。
「櫛田、悪いが俺と一緒に来てもらえるか?」
「えっ、私?」
驚く櫛田に頷きを返す。
本音としては櫛田を引っ張り一刻も早くゴールへと向かいたい。しかしいきなり手を引くのはさすがにマナー違反だろう。出来ることなら今すぐ全てを察してゴールへと全力疾走してほしいところなのだが……。
「むっ」
──と、そうも言ってられない状況になった。
2番手を走っていた生徒が、借り物を手に入れる姿を視界の端に捉えてしまったのだ。
「……悪いな櫛田。これも勝利のためだ」
「えっ? ちょっ……きゃあ!」
このままでは負けてしまう。そう思った俺は咄嗟に櫛田を横向きに抱えた。
俗に言うお姫様抱っこである。あまりの早業ゆえ抵抗の余地はない。
「危ないから口を閉じていろ」
そのまま全力ダッシュ。背中に女子の黄色い歓声と男子の怨嗟の悲鳴が聞こえた気がするが無視して突き進む。
人間を1人抱えたくらいで俺のスピードが落ちるはずもない。僅かに前を走っていた敵をギリギリのところで追い抜き、俺は何とか1位でゴールすることに成功した。
「……ふぅ。危なかった」
櫛田をゆっくりと地面に下ろす。しかし何か気になることがあるのか、櫛田はしばらくの間放心したように無言だった。
「……びっくりしたー」
「ああ、それについてはすまないと思っている」
無理もない。いきなり誘拐されたら誰でも驚く。
「全然揺れなくて」
ああ、そっちか。
細心の注意を払ってはいたが、どうやら乗り心地は悪くなかったようだ。
「ありがとう櫛田。お前のおかげで俺は戦いに勝利できた」
「うん、どういたしまして。でも、こういう強引なのは良くないと思うよ? 私じゃなかったら顔を殴られても文句は言えないからね?」
「なに、俺にダメージを与えられる者などそうはいないさ」
「そういう意味で言ったんじゃないんだけど……」
分かっている。櫛田は他人の目があるところでそんな真似は絶対にしない。その辺もちゃんと計算尽くだ。
「うぅ、絶対クラスのみんなに何か言われちゃうよ……」
「なに、櫛田なら慣れっこだろう」
「いやいや、こんな経験したことある女子なんて普通はいないでしょ」
呆れたように笑う櫛田。
それもそうか。しかし、対人仕様の櫛田と話すのもなかなか面白いものだな。容赦のない本心を想像するだけで2倍楽しめる。
「で、結局お題は何だったの?」
「これだ」
審判が確認を終えた紙を受け取り、2本指で挟みながらピラリと見せつける。
「……あー、なるほどねー」
照れる。もしくは恥ずかしがる。
そんな反応は最初から期待していなかったが、まさかここまで表情が動かないとは。
嫌がることはおろか困惑すらしていない。少なくとも表面上は普通の笑みを浮かべている。
改めて演技力の高さに感心してしまうな。
「お題の内容は『カチューシャをつけた女子生徒』だった。それでいい?」
「ああ、こちらも話を合わせよう」
変に噂されても面倒くさいだけ。
そう判断したのか、淡々としたやり取りの末にそういうことになった。
審判以外にお題を公開する義務はなく、証拠の紙も回収してもらった。
これで真実は迷宮入り。解き明かすにはコナンくんか綾小路くんの力が必要になることだろう。
その後も借り物競争は恙無く続き、会場は大きな盛り上がりを見せた。
不確定要素が大きく観客も参加するような一体感があるからか、見ていてかなり面白い競技だった。
最大の見どころとなったのは一之瀬のレースだろうか。一之瀬が引いたお題は『友達10人』。大声で協力者を呼び掛けたところ、俺含むかなりの大人数が押し寄せる図は中々に壮観だった。
あとは綾小路のレース。
ぶっちぎりの1位でお題箱まで到着した綾小路は、その後競技終了までずっとその場を動かなかった。
どうやら引いたお題が悉く悪かったらしく、エターナルフリーズモードへと追いやられていた。
ステータスが軒並みカンストしている主人公。だが運の数値だけはかなり低めに設定されているようである。
【悲報】原作主人公敗れる