かつて、人がまだ空にいた頃。
世界は二分されていた。
大いなる宇宙から現れし停滞しながらも完璧たる遺物の民と、空の島々に這いつくばりながらも進化を止めない化石の民。
しかし、それらの民の中から「完璧でありながら、それでも更新を止めない」超越存在が現る。
特異点と呼ばれた彼らは、世界を巻き込み、全ての事象を加速させ、崩壊と再生、補強と再構成への道をひた走るのであった。
地にベルゼバブが叩きつけられて、数分後。
「ぐ......クク......悪あがきにしては上出来か......」
底には、五体満足で静かに嗤うベルゼバブが居た。
自慢の肉体や衣類は血にまみれているが、彼の力を持ってすればそのようなもの直ぐ吹き飛ばせる。
彼はおもむろに剣の柄を掌で覆い、そのまま一息に引き抜いた。
するとどうだろうか、一瞬血が吹き出たかと思いきやみるみるうちにそれは収まり、被服も含めてあるべき姿へと戻っていくではないか。
星の民の「絶対的存在」というのは、このような神秘すら引き起こす。
「そうあれかし」という概念を纏うのだ。
そして彼は、自らを自らで定義している。
他人に自分を合わせない。他人が自らのために合わさるか、あるいはそのまま調和するのだ。
より強く、より強靭に、より、より、より。
不完全であることは許されない。
この世に完全が「まだ」存在しないのであれば、自らがその「完全」という概念を定義しよう。
それが彼の原動力で、呪いだった。
「しかしまあ......あの小娘、自らのやったことを理解しているのか......?」
ふと彼は考える。
そも、理由すら知らせずミーシャを捕らえろという龍門サイドにも問題があるのは明白。
ただ組織が大きいという理由だけでのさばられるのは元々不愉快極まりなかったが、まさか保護対象がここまでお転婆だとは彼らも予測できなかっただろう。
「大した被害が無かったとは言え、余の目的の邪魔をしたことは事実......ただで済むとは思うなよ、ミーシャ......!」
殺す理由ができた。
たかだか小蝿だとしか彼は認識していなかったが、今このときこの瞬間、明確に敵視することにしたらしい。
爛々と紅く輝く瞳は、この薄暗いスラムの路地を刺すように照らしていた。
龍門、防衛拠点にて。
各々全てが一度体勢を立て直していた。
恐らく敵も、相当な被害を受けたはずであろう。
しかし、死地からなんとか生還したばかりだというのに、ロドスはまたそこへと歩みだしている。
「今、戻った。作戦の進捗は?」
そこへ、殉職者リストに名前が載りかけていた、その男は帰ってきた。
「ベルゼバブさん!ああ、良かった............」
一人だけ、たった一人だけだが、死んだ人間は存在しなくなったのだ。
それだけだが、アーミヤにとっては重い出来事である。
彼女は命が失われるのを見て傷付かないわけではない。
ただ我慢するのが上手いだけなのだ。
「余があの程度で死ぬとでも?
次の行動はいつ頃に、どこで、何をするのだ。」
しかしながらベルゼバブはそこのところ鈍感である。
というよりむしろ、彼はアーミヤに期待しすぎなきらいがある。
彼にとって唯一至上とも言える、「王」たる資格。
あまりにも抽象的で、具体性に欠け、実体の無い言葉ではあるが、彼はそれをロドスの幼きリーダーに見いだしていた。
信頼からの厳しさ、ぶっきらぼうさであるが、なにも知らぬアーミヤにとっては負担になる。
「......次の作戦は、活動を活発化させたレユニオンの掃討です。」
掃討。
ベルゼバブの好きな言葉だ。
何より、生業だ。
まだ星晶獣の力すら得ていなかった頃ですら、幽世の民の軍勢を相手にして無双。
彼率いる軍隊は無敵を誇り、卓越した練度と、ベルゼバブ自身の力、采配により空の世界の平穏を守っていた。
彼が居れば、覇空戦争はまた違った結果になったと言われたほどだが、その事実は今や誰も知らない。
「ほう、なれば余が___」
彼は口を開きかけたが、アーミヤの話は終わっていないようだった。彼女がまだしゃべると毅然とした態度で示したので、彼は円滑なコミュニケーションのため口を閉じ直す。
「とても言いにくいことなんですが............貴方には待機してもらいたいと思っています。」
「何だとッ!?何故だッ!」
だがそれは直ぐに破られることになったらしい。
彼にしてみれば、利用するためのロドスに消耗して欲しくない一心でここまで力を貸していたのだが、それはそれとして自らの力を振るえないというのは満足いかないことであった。
「龍門側からの要請です。「なるべく施設には傷を付けるな」と............」
アーミヤの懸念は、別に彼の力不足を疑うとかそう言うのではなかった。
むしろ真逆のことである。
強すぎるのだ。彼にとっての「余興」とは、周囲全てを軽く吹き飛ばし、敵をズタズタの肉雑巾に変え、地形を積み木をするかのごとく組み替えることを言うのだ。
チェルノボーグでさえああなのだ、建物が密集した龍門で彼を投入すれば、それ以上の惨状が産み出されることは火を見るより明らかである。
「............言いたいことはわかった。そしてそれは全くの見当違いであることを教えてやろう。」
不機嫌そうな顔から一転、自信に満ち溢れた何時もの顔へと変化するベルゼバブ。
瞬間、金属質で鋭利な音が鳴り響き、見てみれば彼の背から腕へと添えられるように翼が現れていた。
「その目で見ろ。余の力は完璧で、制御を失った醜き暴力とは決定的に異なるということをな。」
何かが煌めき、何かがアーミヤのすぐそばを掠めていった。
表面を撫でるように通っていったそれは、しかし傷ひとつアーミヤの身体、衣服に付けることなく、そして背後の壁すれすれで静止していた。
「どうだ?」
かなり強引な手法ではあるが、自らの戦闘力は技術も伴っていると示したかったらしい。
アーミヤはしばらくぎょっとしていたが、直ぐにそれの意味することを理解した。
自分の影のように背後に浮かぶ、ウサギの形に型抜きされた黒い羽。
「強引な人ですね......わかりました。そこまで言うのなら作戦への参加を認めます。」
「ドクターとやらが指揮するのならば、これ以上余に異論はない。」
付け加えて自らのスタンスを明確にする。
もっともドクターが帰還した今、わざわざ彼の人以外に指揮を執ろうとする物好きな人間などどこにもいないが。
「......余を虚仮にした奴等と「ミーシャ」には必ずや報いを与えんとな。」
伝えたいこと全てを話終えたのか、身を翻して龍門の街へとゆっくり歩みを進めるベルゼバブ。
その目はいつにもまして、気力と殺意に満ちていた。
アーミヤは、その目だけが気がかりだった。