HERO ——what is jastice?—— 【未完】   作:ぽけきょー

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HERO

 夕焼けで紅に染まる街で、二つの影が対峙している。

 一つは、特徴的な劔のマークを胸に付け、短剣を振り回す男。その血走った眼は、しかし対象をしかと見つめていた。

 その表情は怒りを露わにしていたが、一方で怯えているようにも見える。

 

 そして、もう一つの影が跳んだ。

 金色の光がその姿を鮮明に照らす。白いスーツにメット、目元をバイザーで隠し、真っ赤なマントを羽織う彼は、正真正銘のヒーローだった。

 

「......ジャスティィィスッ!」

 

 彼は絶叫と共に、空中で拳を握り締める。

 相手は背を向け、逃げようとする。その拳に刃が通らないことを知っているのだ。

 だが、あまりに遅い。背中のバックパックから放たれる圧縮ガスによって、彼は人間離れした跳躍力を持つ。

 

「パンッ、チィィィッッ!!」

 

 その拳が、相手と大地に突き刺さった。

 粉塵となったコンクリートが舞い、煙が上がる。その中で、ヒーローはカメラに向かってにかっと笑顔を見せる。遠巻きに様子を見ていた人々から、割れんばかりの拍手と歓声が鳴り響いた。

 

 

 

 

『——ご覧いただいたのは、昨日の《ジャスティス》の戦闘の様子です。《ジャスティス》はここ数年で、目覚ましい成果を挙げており......』

 

 画面が切り替わり、そこそこ美人なニュースキャスターの顔が映し出される。

 大多数の他の市民と同じように、彼女の頬は紅潮しており、声色も多少は興奮を含んでいた。

 

「くぅぅぅぅっ!《ジャスティス》、カッコ良すぎるぜっ!」

「まったく、もう少し声抑えなさいよ。あんたのヒーローオタクは、もうみーんな知ってるから」

 

 人目も憚らず、隣からは感情を剥き出しにして喜ぶ声が聞こえてくる。その向こうで、真奈がため息をついた。

 頭頂部が本来の薄い茶色に戻ってしまっている金髪を揺らしながら、映司は交差点に設置された巨大モニターを恍惚とした表情で見上げている。

 

「このカッコ良さが分からないなんて、俺はお前らの神経を疑うよ。特に悠」

「......別にいいだろ」

 

 半分以上が高層ビルで遮られた空を見上げながら、悠は呟いた。

 どこにでもある地方都市に過ぎない緋色市でまでこんな光景が見られるようになったのは、ここ十年くらいのことだ。田舎には未だ膨大な土地が余っている一方で、都会では上へ上へと、青空への侵略が進んでいる。そんな科学の進歩の頂点に、ヒーローはあった。

 

 十五年前、「ヒトシ・オカモト」を名乗る匿名の科学者によって、一夜にして二つの新技術が発表された。

 一つは、「ライフレーダー」。生産体制は確立されているものの、未だ原理は不明なこの機械で計ることができるのは、「命の輝き」だ。

 事故でも、事件でも、病気でも、寿命でも、命の危険に晒されている者は、例外なくこのレーダーで感知される。

 

 そして二つ目が、「強化スーツ」。

 ポケットに入る大きさから、ボタン一つで着脱可能。異常な怪力と銃弾をも防ぐ耐久性で、着る者を超人にすることができる。

 

 十五年経った現在においても、この二つの技術は明らかな超科学(オーバーテクノロジー)で、人間には過ぎた産物だ。

 だから時の政府が、この二つの技術の無許可での研究・生産を禁じて事実上独占したのは、正しい判断だったとは思う。

 

 だが、誰だって自分に迫る危機を知りたいと考えているし、子供の頃に超人を夢見なかった者はいない。

 やがて、人々の生活を豊かにする技術を政府が独占するのはおかしい、と主張する団体が現れた。

 

《カンパニー》だ。

 

 彼らは当初は穏健な市民団体を謳っていたものの、一部の人々の支持を背景に急速に過激化していく。

 彼らの訴えという名の破壊行為によって治安は悪化し、数え切れないほどの死傷者が出た。

 

 それを抑えるために政府が創設したのが、未然救命救急隊、通称ヒーロー隊だ。

 格上げとなった東京消防省に所属し、ライフレーダーを携帯して二十四時間街を見回り、《カンパニー》が現れれば強化スーツを着て戦いを繰り広げる。

 自らを「正義の味方」、《カンパニー》を「悪の組織」になぞらえた彼らの活動は、失われかけた政府への信頼を瞬く間に取り戻した。

 

「......おい、悠?」

 

 映司の声で現実に引き戻される。

 

「大丈夫か?怖い顔してたぞ」

「ごめんごめん。ちょっと考え事してた」

 

 悠は映司に笑いかけて、歩き出す。

 照り差す太陽。排気ガスの匂い。遠くに見える、緋色山。どうってことない春の一日の大切さを、彼は知っている。

 

「おいおい、大丈夫か?疲れてるんじゃ」

「それはこっちの台詞。お前、バイト詰め込み過ぎだって」

 

 そりゃそうだ、と映司は笑った。

 映司は背が高い。と言うより、悠は平均的な十七歳に比べて、明らかに背が低い。だから映司と話す時は、どうしても見上げる格好になる。

 だから今日みたいな日差しの強い日は、彼の表情は影になってよく見えない。

 

「......俺も、あんなヒーローになりたいからな。つーか、高校くらいは出ないと」

 

 自分に言い聞かせるように、映司は一つ頷いた。

 

 悠は彼の向こう、春らしい淡い桃色のセーターに、チェックのスカートといった出で立ちの真奈の方に顔を向ける。悠と真奈は家が近所で、小学校からの幼馴染。そこに高校に入ってから映司が加わり、最近は三人で遊ぶことが多くなった。

 

「ところで、後どのくらいだ?その、新しくできたアイスクリーム屋は」

「うん、もうすぐ。忙しいのに、連れ出しちゃってごめんね」

「おいおい、嘘だろ?俺だけハブるなんて無しだぜ」

 

 映司は冗談めかして、また笑う。

 彼のこういう気配りが無意識のうちにできるところと、どんな時でも笑顔でいるところが、悠は好きだ。

 

 工事現場の真横を通った。と言っても完成間近で、足場を組んで作業員が淡いベージュの塗料を塗っている。

 この辺りにはまだ、建設途中の建物があちこちにある。ふと思い立って看板に近づいて見ると、どうやらビジネスホテルが出来るらしい。僕らには関係ないな、と悠はがっかりした。

 

 その時、急に強い風が吹いた。

 真奈が悲鳴をあげてスカートを押さえる。慌てて目を逸らし、一瞬視線が宙を彷徨う。

 

「〜〜〜!」

 

 映司が何か叫んだ。

 反射的に振り返ったはいいものの、何を言ったのか分からなかった。聞き返そうとして、彼の目が上空に釘付けになっていることに気づく。

 何気なく悠もそちらの方向に目を向けて、

 

 黒い塊が、ゆっくりとこちらに落ちてくるのが分かった。

 

 慌てて身をよじるが、それだけでは避けられそうにない。足を動かそうとするも、その動きもまた像の歩みのように鈍い。

 

 あの塊は、たぶん足場だ。さっきの風で、足場が崩れたんだ。

 作業員さん、大丈夫かな。そんなことより、自分の心配か。

 僕、死ぬのかな。どうせ死ぬなら、苦しまずに死にたいな。

 

 あぁ。このままだと、真菜と映司に死ぬとこ見られちゃうな。

 それは、嫌だなぁ。

 脳味噌ばっかりよく動きやがって。そのエネルギーの半分くらい、足に回せば助かるのにな。

 

 くそっ。

 まだ、死にたくないなぁ。

 

 

「ジャスティィィィスッ!」

 

 

 脳に、がんがんと声が響く。

 走馬灯ってやつか?僕、こんな声知らないけどな。

 

 

「ハンッ、マァァァァァッッ!」

 

 

 視界を覆っていた真っ黒の塊が、急に粉々に砕けた。

 陽の光が眩しい。掌を眼に翳してから、時間の流れが戻っていることに気づいた。

 

「悠っ!」

 

 二人が駆け寄ってくる。

 悠は何が起きたか分からないまま、呆然と起き上がった。そのまま立ち上がろうとして、力が入らずそこで硬直する。

 

「怪我は!?」

「多分、大丈夫。立ち上がれないけど」

 

 それを聞いて、映司が悠の腕を引っ張ってくれる。

 その後ろでは、真奈が座り込んで泣きじゃくっていた。映司の肩を借りながら、よろよろと悠は真奈の方に微笑みかける。

 

「大丈夫だから。もう泣くなよ」

「......うん」

 

 ティッシュか何かないかとポケットを探ったが、空だった。

 舌打ちしてポケットの中をまさぐり続ける悠の前に、横からすっと白いハンカチが滑り込んできた。

 

「えっ?」

「良かったら」

 

 恐る恐る真奈がそれを受け取る。

 映司が、マジか、と呟いた。

 

 純白のスーツ。澄み切った青のマント。そして、目元を覆うバイザー。

 先程までモニターに映っていた《ジャスティス》が、目の前に立っていた。彼の後ろには、彼に助けられたと思しき作業員たちが寝かせられている。

 

「少年、大丈夫か?ライフレーダーに感謝するといい」

「......ヒーロー。あんたが、僕を?」

「迷惑だったか?」

「......いや。ありがとうございます」

 

 思わず、言葉に棘が出る。

 ジャスティスは眉間に皺を寄せ、たかはこちらからは分からないが、怪訝そうに首を傾げた。

 

 隣では映司が、正気か、という目でこちらを見ていた。

 

「お、おいおい。《ジャスティス》にわざわざ助けてもらって、それだけかよ。......い、いつも活躍、拝見してます!あの、良かったらサインを」

 

 映司が背負ったリュックを下ろそうとする弾みで、悠を支える腕が持ち上がる。

 悠はどさり、という音とともに、床に背中を強打した。

 

「......悪い、悠。忘れてた」

「そりゃないよ」

 

《ジャスティス》は大袈裟に笑った。

 

「俺なんかより、友人を気遣ってやるといい。何も今じゃなくても、本部に来てくれればいつでも大歓迎さ」

「は、は、はい、そうします!」

 

 彼は悠をちらりと一瞥すると、救急車は必要なさそうだな、と呟き、小さく手を振る。

 眼を輝かせて手を振り返す映司を冷めた目で見つめながら、悠は肩を竦めた。

 

 だが。

 いつまで経っても、白スーツのヒーローがその場を動く気配はない。

 左腕に取り付けられている時計と悠とをちらちらと見比べて、不審げに呟いた。

 

「......あれ、おかしいな」

「何か?」

「ライフレーダーが戻らない。故障か?」

 

《ジャスティス》はわざわざ悠の方に近づいて、ライフレーダーをこちらに見せてくる。

 彼の汗と熱気がこちらに漂ってきて、悠は思わず吐きそうになった。

 

「ほら、見ろ。命の危険がある人が、赤い点で表示されるんだが」

 

 確かに、レーダーのど真ん中に橙色の点があった。

 赤が濃くなるほど危険度が高いということなのだろう。橙色がどの程度の危機を指すのか、悠は知らないが。

 

《ジャスティス》はしばらく悠に近づいたり離れたりを繰り返していたが、やがて納得したように頷く。

 

「......うん。これ、やっぱり少年を指してる」

「つまり?」

「少年の命の危機は、まだ去っていないということだ」

 

 真面目に言ってから、急に力なく笑う。

 

「......と、言っても、どういうことか俺にはさっぱり。悪いけど、ちょっと本部に来てもらえるかな」

 

 彼の言葉を聞く限り、これっぽっちも悪いと思う気持ちはなさそうだった。自分の価値観に疑いを持たないタイプの人間なんだな、と悠は漠然と感じる。

 

「時間は取らせないよ。念のためだ」

「はぁ。......まぁ、どの道今更アイスクリームって気分でもないんで」

 

 面倒臭い、とは言わず、とりあえず悠は頷いておいた。

 そういう訳だから、と映司に告げる。ヒーローに対する嫌悪感で恐怖が上書きされたのか、いつの間にか一人で立てるようになっていた。

 真奈にも、ごめんねと言っておく。と言っても、彼女はまだ心ここに在らずという感じで、悠の言葉も耳には届いていなさそうだ。

 

「それじゃ、行こうか」

「......補導されてるみたいですね」

 

 何となく冗談を言ってみたら、《ジャスティス》はまた、がはは、と大袈裟に笑った。

 

 

 ◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇

 

 

 駅の真正面の好立地にある緋色市のヒーロー隊本部は、思っていたよりもスタイリッシュな外見をしていた。

 汚れひとつない白一色の外観に、自動ドアを抜けた先は大企業のような鏡張りの床のロビー。入ってすぐのところにエレベーターはあったが、《ジャスティス》は迷わず奥の通路を進み、関係者専用と書かれたエレベーターのボタンにカードキーをかざした。

 

「......もっと、市役所みたいなところかと思ってました」

「ヒーロー隊本部は四階まで。それより上はホテルになってる。触れ込みは『ヒーローが貴方を守ってくれる』」

「さぞかし、高いんでしょうね」

 

 エレベーターはすぐに二階に着く。階段の方が早いのではと聞くと、四回以下に通じる扉は本部側からしか開かないらしい。

《ジャスティス》は既に強化スーツを解いでいた。歳は二十代半ばから三十歳くらい。筋骨隆々な浅黒い肌と、端正だが胡散臭さを滲ませる容貌がよく分かる。

 

 廊下を抜け、奥の扉を開くと、一気に喧騒が耳に飛び込んできた。

 鳴り響く電話や書類の束が無造作に置かれたデスク、天井から吊り下げられた部署の名が書かれた看板、忙しなくあちこちを動き回る人々の姿は、テレビドラマで見た雑誌の編集部を想起させる。

 

《ジャスティス》はその最奥で腕を組む仏頂面の中年男性に、本部長、と手を振った。

 彼はデスクの上の何かの設計図をどかし、無言のまま、こちらに手招きする。

 

「《ジャスティス》から報告を受けてる。後藤悠くんだね、歓迎するよ」

「......どうも」

 

 悠は会釈しようか迷ったが、結局やめた。来たくて来たんじゃないのだから、歓迎されても困る。

 本部長は眉一つ動かさず、目線を《ジャスティス》に移す。

 

「時に、休暇の日、しかも単なる事故に強化スーツを無断で着用するのはいただけないな」

「しかし、我らが未然救急救命隊の理念は、街の治安維持だけでなく、人命を可能な限り守ることです」

「......そりゃあ、そうなんだが。規定は規定、始末書は書いてもらうぞ」

「もちろんです」

 

 本部長は呆れたように頭を掻いた。

 そりゃそうだ。強化スーツはそう簡単には生産できず、ヒーロー隊の人員は限られている。当然重視すべきは《カンパニー》や非《カンパニー》の悪人を指す《アウトサイダー》の打倒であって、今回のようなケースまでは面倒を見ていられない。

 助けてもらった身としては、言いにくいが。

 

「それで、ライフレーダーが反応し続ける件だがな。今しがた報告が入って、倒れた足場の関節部分に、非常に小型で小威力の爆弾が仕掛けられていたらしい。強風に合わせてそれを起爆させれば、意図的に足場を落下させることができる」

「爆弾!?それって!」

「......何者かが、後藤くんの命を狙っているということだ。ライフレーダーが反応するのも、そういう理由だろう」

 

 本部長は疑わしげな目で悠を眺め回した。

 悠は不快感を露わにする。

 

「何ですか」

「何か、人から恨まれるような心当たりはないかね。特に《カンパニー》絡みで」

「......ありませんよ。むしろ、俺はあんたらが嫌いなんだ」

 

 悠はむっとして言い返す。

 二人は顔を見合わせて苦笑した。

 

「それこそ、心当たりがないな。私たちが君に何をした?」

 

 悠は思わず吹き出した。

 ヒーローたちは、そんな認識でいるのか。自分たちは正義の味方だから、日本全国一億人、全員に愛されているはずだ、と。

 

 意地悪な閃きが頭に浮かんだ。

 しばし思案を巡らせ、言っても大丈夫だろう、と判断する。

 

「......五年前の、緋色山中トンネル崩落事故」

 

 口にした瞬間、オフィス中の空気が変わったのを感じた。

 怒りというより、苦々しさに近いだろうか。負の感情が、場を支配していく。そんな彼らを、悠は鼻で笑った。

 

「僕は、その事故で犠牲になった後藤大の弟だ」

「......確か、ご遺体がまだ見つかっていない」

「そうです。死体がないんじゃ葬式もできないんで、映司も真奈も知りませんが」

 

 あえて「死体」という直接的な言葉を使ったのは、彼らの罪を明確にするためだ。

 

 五年前、何百人もの乗客を乗せた列車が通行中のトンネルが、突如崩落するという事故が起きた。

 トンネルは瓦礫で埋まり、通常のレスキュー隊はすぐに立ち入ることができない。それまでは《カンパニー》の鎮圧に専念していたヒーロー隊に白羽の矢が立ったものの、場所が緋色山中ということもあり、そのような事態に慣れていない彼らの到着は遅れに遅れた。

 

 そして、瓦礫の下敷きとなった列車内で、いくつもの命が失われた。

 その中には、デートの帰り道だった兄貴と、その恋人も含まれていた。

 

 ヒーロー隊の理念に、「人命を可能な限り守る」の文言が追加されたのは、その後からだ。

 もっとも未だヒーロー隊が事故や災害の現場に向かうことはほとんどないが、訓練の内容は少しは変わったらしい。

 

「事故そのものは不可抗力だったし、別に恨んでるって訳じゃない。ただ、嫌いなんです。兄貴一人助けられなかった癖に英雄ぶる、あんたらヒーローが」

 

 わずかな時間、オフィス全体に沈黙が訪れる。

 本部長がごほん、とわざとらしい咳払いをした。

 

「とにかく。君が何者かに狙われている以上、警備をつけなきゃならん」

「要りませんよ。自分の身くらい自分で守れます」

「足場が降ってきてもか?」

「......気をつければ、大丈夫です」

 

 強がってみたものの、悠の声は自分で聞いても弱々しかった。

 本部長は不機嫌そうに、鼻を鳴らす。

 

「《ジャスティス》。しばらく彼についてやれ」

「了解!」

 

《ジャスティス》は何故だか嬉しそうに敬礼する。

 悠の意思は微塵も尊重されることなく、二十四時間体制でこの鬱陶しい男が纏わりついてくることが決まってしまった。

 

「よろしくな、悠」

「呼び捨て、やめてもらえます?」

 

《ジャスティス》は何が面白いのか、にかっと笑った。

 オフィスには喧騒がすっかり戻っていた。

 

 

 

 

 

 二人が去ったのを確認して、本部長は大きくため息をついた。

 運命のいたずらか、はたまた必然か。どちらにせよ、《ジャスティス》はいずれ、とてつもなく大きな苦難に直面するだろう。

 真面目で正直で、少し熱くなりやすい。彼は、いいヒーローになった。

 

「......どう転ぶかな」

 

 どのみち、過去にはいつか区切りをつけなくてはなるまい。乗り越えなければ、彼は本当の正義の味方にはなれないのだから。

 本部長は、個人としては彼を信じることに決めた。

 だが本部長としては、一本電話をかける必要があった。

 

 

「私だ。ヒーローが一人、足りなくなるかもしれない」

 

 

 

 ◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇

 

 

 

「......その店長がさ、こう言うわけ。『正義の味方は、うちには要らない!』って」

「どういうこと?」

「『ちょっとした不正のために、一緒に働く仲間を売るやつは偽善者だ!人間の屑だ!』」

「それ、うちは日常的に不正してるけど隠蔽してね、ってことじゃん。辞めちゃえば、そんなバイト」

「時給はいいんだよなぁ。他の店舗より唐揚げ一個少ないけど」

「......全然ちょっとしてないじゃない。映司、大丈夫?捕まったりしない?」

 

 桜が散り始め、薄桃色のカーペットを踏みつけて高校に向かう道の途中。いつものように映司がバイトの愚痴を零し、真奈がそれを聞く。そして悠は、ときどき口を挟みながら、内心で社会の苦労を知らない自分を恥じる。

 二年生になっても、何も変わらない日常がそこにあった。たった、一つを除けば。

 

「......近くないか、正義」

「ん、そうか?」

 

 数メートル後ろをぴったりとついて来る、悪びれずに笑うやけに身体の大きな男。コードネーム《ジャスティス》、本名は石橋正義だと、昨日ヒーロー本部を出た後で聞かされた。

 

「お、おいおいおい。悠てめぇ、何で《ジャスティス》を呼び捨てにしてんだよ」

「......こいつが先に呼び捨てにしてきたんだ」

「はぁ?」

 

 憤慨する映司を、正義ががはは、と笑いながら宥めた。どうやら彼はこの笑い方しかできないらしい。

 

「いいんだよ。俺は悠と友達になりたいんだから」

「......別にそういう訳じゃない。いちいち畏まって喋ってたら、疲れも倍増だからな」

 

 お前そういうとこあるよな、と映司が呆れたように呟いた。悠は意味が分からないふりをして肩をすくめる。

 

「大人しく言うこと聞いときなよ。死んじゃったら元も子もないのよ?」

「まぁ、そりゃそうだけど」

 

 諌める真奈に、悠の声が小さくなる。

 考えれば考えるほど、恐怖は増してくる。何といっても、実際に爆弾が使われているのだ。相当大きな組織、もしかしたら本当に《カンパニー》が、自分を狙っているかもしれない。そう考えると、すれ違う人全てが敵に見えた。

 

 だが、それでも。

 目の前で阿呆面を晒す、この男を信じることだけはできなかった。

 

 

 

 

 

「......すまなかった」

「えっ?」

 

 昨日、正義は自分の名前を伝えるとともに、悠に深々と頭を下げた。

 

「あの事故は、俺の初めての仕事だった。一日たりとも忘れたことはない」

 

 陽の光が、頭を上げた彼の強張った顔を照らした。

 困惑する悠をよそに、彼は話し続ける。

 

「急ごしらえのマニュアルは何の役にも立たなかった。当初の計画は何度も変更され、何十分もその場で待機したこともあった。あの時の俺たちは、本当に滅茶苦茶だった」

「......おい」

「それでも、俺たちが着いた時には、まだ列車の中には生きている人がたくさんいた。すぐに瓦礫を壊して、何人かの救助に成功した。間に合うと信じていた」

「やめろよ。......やめてくれ」

「だが、俺たちの目の前で......第二の崩落が起きた。今、まさに助けようとしていた人の断末魔が聞こえた。結果として、崩落に巻き込まれた車両の乗客百七十名のうち、助けられたのは二十五名。死者百四十四名、行方不明者一名。もし、俺たちがあと一時間早く到着していたら、五倍の人数は助けられた。君のお兄さんだって」

「もうたくさんだ!」

 

 悠は叫んだ。

 正義の身体が弾かれたように揺れ、そして硬直する。

 

「知ってるよ!あんたらがどれだけ馬鹿だったのかなんて、全部知ってるよ!......謝ったって、兄貴も、その恋人も、死んだ奴は誰一人戻っちゃ来ない。あんたも、分かってんだろ!?」

「......すまない。俺は、君に恨まれても仕方がないことをした」

 

 正義は、ぎゅっと眼を閉じた。荒い息を落ち着かせるように、悠は胸に手を当て、彼に背を向ける。

 

「それでも」

 

 雑踏の中。

 絞り出したような正義の声が、一度は歩き出した悠の足を止めた。

 

「それでも俺は、君を守りたい。君のヒーローで、ありたい」

 

 悠は、何も言わなかった。

 代わりに振り返り、ひとつため息をついて、それから、顎をしゃくった。

 

 

 

 

「.....どうした?」

「いや、学校の中までついてくるのかと思って」

 

 目を丸くした正義から声をかけられ、慌てて軽口を飛ばした。どうやら知らぬ間に、彼を凝視してしまっていたらしい。

 悠たちは校門の前まで辿り着いていた。悠を除く二人は、既に校舎の中に入っている。正義はそちらを覗き見ると、大袈裟に首を振った。

 

「いいや。学校内は安全、っていう訳でもないが、目立つしな。誰に見られてもいいと思っているなら、最初からあんな回りくどいやり方はしないだろ。俺はどっかで時間潰してるから、何かあったらスマホに連絡してくれ」

 

 それとも不安か、と正義がにやにやと気持ち悪い笑みを浮かべる。

 確かに、校内には千人を超える生徒と、教師や事務員らが常に監視している。校門の前にも警備員が立っていて、先程から悠たちのことを不審そうに見ているし。

 他の生徒の好奇の目に晒されてまでわざわざこの男と一緒にいる必要はなさそうだ。

 

「わかったよ」

 

 悠はその先に何か言葉を続けようか一瞬迷って、結局やめた。

 

 

 

 ◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇

 

 

 

 チャイムの音で目が覚めた。

 新年度最初の授業が、どうやら下手な睡眠導入剤より効いたらしい。去年の数学教師はもう少しユーモアがあったのだが。

 そして、悠がこの有様ということは。

 

「あー......」

 

 映司は、大いびきをかいて眠りこけている。

 初っ端から百パーセント目をつけられたな、と悠は苦笑する。いつもは悠がノートを見せてやっているのだが、今年はそうはいかないようだ。真奈とは違うクラスだが、数学の教師は同じだったはずだ。またあいつの負担が増えるな、と他人事のように思いながら、悠は欠伸をした。

 

 窓の外を眺める。見える景色は今は閉鎖された裏門と、それに伴い通る人がいなくなった裏道、既に使われなくなった用具入れとお世辞にも芳しいとは言えないが、天気くらいはわかる。

 午後から雨が降るかもしれないと予報されていたが、空に雲はまばらだった。これなら、二時間目の体育は運動場でやるだろう。

 

 映司は授業遅刻の常習犯とはいえ、起こしてやらないのも可哀想だ。悠は映司の机をがたがた揺らし、彼が薄く目を開けたのを確認してから着替え始めた。

 

 

 

 

 ところが、授業開始のチャイムが鳴って、ちょっと遅れてきた生徒たちが慌ただしく走ってきた後も、グラウンドに映司の姿はなかった。

 一番遅くまで教室にいた生徒に聞くと、あの後もう一眠りしてしまったらしい。

 

「また森田か。全く、いつもいつもあいつは」

 

 と小太りの体育教師は呆れ、点呼を取り始めた。新年度早々風邪をひいて休んでいる生徒を除けば、グラウンドにいないのは映司だけだ。

 

 軽く体操をして、体育教師がやる気のなさそうな顔で、今日はサッカー、と告げたところで、映司はようやく校舎から出てきた。

 小走りで教師の前まで来ると、半笑いで元気よく、寝てました、と宣言する。

 

「......まったく。次は気をつけろよ」

「へぇ、すんません。鍵はちゃんと閉めてきたんで」

 

 若干得意げに鍵束を見せつける映司に、当たり前だ馬鹿野郎、と野次が飛ぶ。

 教師が彼を本気で叱らないのは、彼の遅刻癖が不真面目から来ている訳ではないことを知っているからだ。

 

 既に元気な生徒の一部が、グラウンドに駆け出している。その後ろで、何だ、サッカーか、と嬉しそうな顔で聞きながら、映司の健康的な肉体が躍動する。

 そして試合が始まると、映司は誰よりも精力的に動き、また誰よりも周りをよく観察する。体育のサッカーひとつとっても、彼がクラスメイトから高い信頼を集める理由がよく分かる。

 

「悠!」

 

 呼ばれて反射的に足を出すと、タイミングぴったりでそこにボールが飛び込んできた。

 蹴った、というよりは足の甲に当たっただけだったが、ボールはころころと転がり、がら空きのゴールに吸い込まれていく。

 

「ナイスシュート!お前、プロのサッカー選手になれるぜ」

 

 ワールドカップの決勝戦かと錯覚するほどの熱狂と落胆の中、映司が悠にハイタッチを求める。

 悠は自分の貧相な身体を見下ろしながらそれに応えた。ゴールキーパーを自分に釘付けにして、寸分の狂いもないキラーパスを寄越した彼がそう言うのなら、きっとそうなのだろう。

 

 その後も互いにゴールネットを次々と揺らし合う乱打戦となったゲームはつつがなく進行し、授業の終わりを告げるホイッスルで幕引きを迎えた。

 映司は両チームの総得点十二点のうち半分を入れるヒーローっぷりを存分に見せつけ、満足そうだった。何の異常もない、平穏な時間だった。

 

 教室に入った後で、クラス三十八名、全員の財布が盗まれたことが分かるまでは。

 

 

 ◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇

 

 

「何だよ、あいつら!」

 

 校門前。

 悠は苛立ちまぎれに、まだ薄桃色の花を咲かせる桜の木を蹴りつけた。みしっ、と鈍い音がした。

 

「おいおい、桜に当たってもしょうがないだろ」

 

 正義が慌てて悠を押さえつける。その顔には困惑の色が浮かんでいた。

 

「どうしたんだ、一体」

「どうしたもこうしたもないよ!」

 

 鼻息荒く正義の手を振りほどき、再び木に脚をぶつける悠。彼の代わりに、複雑な表情を浮かべた真奈が状況を説明する。

 

 

 

 

 最初にそれを指摘したのは、大橋時生だった。

 

「......悪いけど、犯人は一人しかいないよ」

 

 彼はトレードマークの丸縁眼鏡をくいっと上げ、言った。

 大橋時生、科学部所属。強化スーツとライフレーダーを生み出した「ヒトシ・オカモト」を継ぐ高校生として、全国紙で特集を組まれるほどの天才だ。昨年の全国高校科学コンテストでは、画期的な着眼点だけでなく、自ら資金を集め試作品をも製造する子供離れした能力を見せ、断トツでの優勝を果たし世間を大いに賑わせた。

 他のクラスメイトとの交流は少ないものの、彼の発言にはみんな耳を傾ける。

 

「と、いうと?」

「簡単なことさ。体育の授業の前までは、皆の財布は確かにあった。となれば、犯行時刻はそれ以降だ。......つまり、最後まで教室に残っていた奴が、犯人ってことになる」

 

 彼は眼鏡のレンズ越しに、細い目を一点に向けた。

 

「確か、森田くんが一番遅かったよね」

 

 皆の目が、つられて映司の方を見る。

 映司は目を見開き、え、俺、と呟いた。

 

「おいおい、そりゃないぜ。普通に考えれば、授業中に誰かが侵入したんだろ。このクラスのやつじゃない、誰かが」

「それは無理だよ。だって、君が教室に鍵をかけて、そのままずっと持ってたんじゃないか。窓から進入しようったって、ここは四階だぜ」

 

 映司は流石に黙った。

 そこで悠は我に返り、時生に詰め寄る。

 

「......おい!映司がみんなの財布を盗む訳ないだろ!?」

「理由は知らないよ。僕は事実を言っただけだ」

 

 時生は不愉快そうに三歩後ろに下がり、机にぶつかってイテテ、と呟いた。

 騒ぎに気づいた担任の教師がやって来て、馬鹿みたいな顔をして、何があったの、と言った。

 

 

 

 結局、映司の荷物から、いや教室中のどこからも、財布が出てくることはなかった。

 にも関わらず、映司は拘束され、小太りの体育教師に睨まれている。

 

「......財布はどこだ、森田。今ならまだ引き返せる」

「だから、俺は本当に盗ってないんだって。信じてくれよ」

 

 教室から断片的に漏れ聞こえる声を、悠は歯噛みしながら聞いていた。

 廊下では悠をちらちら見ながら、担任の女教師と教頭が小声で話している。

 

「もちろん、退学でしょう。彼がやったことは明白だ」

「そんなっ......!難しい環境で、魔が差しただけでしょう。ちゃんと指導すれば、まだ彼はやり直せます」

「この後に及んで、まだしらを切っているんですよ。一度盗みをした奴は、何度だって同じことをするんだ。この先もっと悪いことをして、本校の評判が悪くなったらどうするんですか」

 

 教師になって三年目の担任は何か言い返そうとして、背後の足音に気づいて口を噤んだ。

 黒いベストに紫のロングスカート。四十代半ばと聞いていたが、十歳は老け込んで見える、映司の母親が来ていた。

 

「森田さん。話は聞いていると思いますが......」

 

 教頭が声をかけた途端、頰がげっそりこけた彼女の顔が、くしゃくしゃに歪んだ。

 

「誠に、誠に申し訳ございません!うちの映司が、他所様のお金を盗むなんて......!」

 

 慌てる二人の教師に向かって、彼女は深々と頭を下げる。アイラインを含んで茶色く変色した涙が、床にぽつぽつと落ちた。

 やがて教室の扉が開き、映司が出てくる。母親は彼の手をとり、またも目に涙を浮かべながら、神妙に頭を下げた。

 

 何となく声をかけづらくて、悠はただ二人の後をついていった。

 玄関前まで来たところで、映司が不意に立ち止まり、根負けしたように唸った。

 

「何だよ、悠」

 

 彼の低い声を、悠は初めて聞いた。

 映司は傍らの母親に、先に行くよう目で促す。彼女は不安げな眼差しで悠と映司を交互に見て、諦めたように歩き出した。

 

「お前も、俺がやったって思ってるんだろ」

 

 映司は、悠と目を合わせようとしないまま言った。

 反射的に首を振る。彼の雰囲気にたじろいでしまって、正直彼が何を言ったかは半分も聞こえなかったが、それでも、ここで首を振るのがゼロコンマ一秒でも遅かったら、二度とその遅れは取り戻せない気がした。

 

 実際、悠がすぐに首を振ったことで、映司はいくらか落ち着いたようだった。

 ごめん、と彼は謝り、地面に尻をつけた。悠もそれにならった。

 

「外の会話も聞こえてた。みんな、俺のことをそうやって見てたんだって思って、なんか俺、訳わかんなくなっちゃって」

「『やった』って言ったの?」

「いや、それだけは言わなかった。言えるわけないだろ。俺が認めたら、母さんがまた悪く言われるんだ。片親だから子育てに失敗したんだって。昔から俺がトラブる度に、どいつもこいつも陰口叩きやがる」

 

 担任の言った「難しい環境」は、すなわち彼女のことを指す。

 駆け落ち。両親との断絶。ギャンブルに狂った夫の変貌と、早すぎる死。判明する借金。この一年間、映司が少しずつ語ったことを整理すると、そういうことになる。

 三文小説のようで、世の中に溢れている不幸。映司は、その中で必死にもがいてきた。奨学金だけでは足りず、バイトをいくつも掛け持ちして高校に通った。

 

「なぁ、悠。俺、悔しいよ。俺は何も悪いことしてない。母さんの迷惑にならないように、今まで精一杯真面目に生きてきたんだ。なのに、結局みんなこうだ。何でもかんでも、本当はそうじゃないことまで、母さんのせいにしたがる」

 

 俺、悔しいよ。

 映司はもう一度静かに言うと、立ち上がった。校門の前で心配そうに見つめる、大切な母親の元に戻るために。

 

 ——俺も、あんなヒーローになりたいからな。

 

 夢があった。全力で努力していた。自分のことだけで手一杯のはずなのに、いつも誰かを気にかけていた。

 僕を、気にかけてくれていたんだ。

 

 

 

 真奈の話を、正義は神妙な顔で聞いていた。

 控えめに吹いた風が、春の匂いを運んでくる。それにつられて、悠は結んでいた口を開いた。

 

「......担任も、教頭も、実の母親さえも、映司がやったって決めつけてる。あいつは盗みなんてやる奴じゃないって、みんな知ってるはずなのに」

 

 あいつらは、映司の何を見てたんだ。

 映司はいつだって、みんなのヒーローだった。自分が疑われた時も、クラスメイトに罪を着せるようなことは絶対に言わなかった。

 

「映司は、みんなを信じてた。それなのに、誰も映司を信じないなんて。そんなのって、ないよ」

 

 悠は木を蹴るのをやめ、その場に崩折れた。悔しかった。映司のために何もしてやれない自分が、情けなかった。

 映司は強い。あんな状況下にあっても、決して泣かなかった。

 悠は、そんな風にはなれない。

 

 

 

「......誰も、じゃないだろ。まだ、悠が信じてる」

 

 涙が溢れそうになった時、上から声が降ってきた。

 低くて野太い、けれど強くて優しい、声だった。

 

 悠は、ゆっくりと顔を上げた。

 夕陽に、やけに大きな身体が被さっていた。

 

「真奈はどうだ?」

「わ、私もよ。映司が悪いことなんてするはずないって、信じてる」

 

 それを聞いて、正義はにっこりと笑った。

 初めて見た、柔らかい笑い顔だった。

 

「......助けてくれるの?」

「もちろん。悠にいいとこ見せなくちゃな」

 

 正義は大きく頷き、力こぶを見せた。

 その大仰な動きが、何故かやけに頼もしく見える。

 

「......どうして」

 

 震える声で尋ねると、正義は照れ臭そうに頭を掻いて、背中を向けた。

 そして大きく息を吐き、ゆっくりと高らかに宣言した。

 

「俺が、正義の味方だからさ」

 

 言ってしまってから、正義は頬を真っ赤に染めた。

 

 

 

 ◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇

 

 

 

 苛々する。得体の知れない感情に、胸がざわざわする。

 沼に嵌っていくような、泥に溺れていくような、心地がする。

 

 何も手につかない。何も、できない。

 だから、この気持ちを消すためなら何だってした。自分の価値を、何度だって証明してみせた。

 それなのに、動悸は一向に収まらない。それどころか、どんどん、どんどん大きくなっていく。

 

「道を間違えたんじゃないのか」と、耳元で囁く声が聞こえる。

 だけど引き返そうにも、もう帰り道さえ分からない。

 だから、自分に言い聞かせるしかないんだ。

 

 間違えてなんかない。間違えてなんかない。

 

 

 

 

 帰り道の途中で、スマートフォンがないことに気づいた。

 舌打ちをして、学校に戻る。他のものならいいが、あれがないのは不味い。

 

 春になったのだから、まだ太陽は出ているはずなのに、視界がやけに暗い。初めて「実験」をした日から、ずっとこうだ。

 構わない。暗い方が性に合ってる。

 

 職員室のキーボックスに鍵はなかった。そういえばトラブル防止のため、教頭が鍵を預かることになったんだった。職員室に教頭の姿を探したが、見当たらない。

 仕方なく階段を上がって教室を覗くと、灯りの消えた教室の隅の机の上に、無造作に千円札が置いてあった。あれは確か、いつも森田とつるんでる後藤とかいうチビの席だ。

 そういえば昼休みに、隣のクラスの女が借りた金を返しに来ていた気がする。財布にしまうのを面倒臭がっているうちに、忘れてしまったのだろう。

 

 森田を見ると動悸が激しくなる気がした。だから、「実験」の道具にさせてもらった。

 後悔はしていない。だけど結局、靄は残ったままだ。

 

 スマートフォンは廊下のロッカーの上にあった。ほっと息をついて、教室から出ようとした時、頭の中に悪魔的な閃きが弾けた。

 この瞬間だけは、期待で胸がいっぱいになる。他の余分なものが、追い出されていく。

 僕は足早にその場を後にした。

 

 数分後、僕は教室に降り立った。

 荒い喘鳴が静かな教室に響く。僕は必死に声を抑える。

 窓から涼しい風が吹き込んでくる。たった千円のためにどうしてこんなことをしているんだ、と後悔する気持ちが湧き上がってきた。誰かに見られたら、一巻の終わりだ。

 

 分かっているんだ。

「実験」がどんどんエスカレートしていること。どこかで、何かが狂ってしまったこと。

 

 間違えてなんかない。間違えてなんかない。

 

 僕は呟きながら、千円札をそっと懐に収めた。もう何度も、制服のポケットに他人のものを入れてきた。

「実験」は終了。終わってみれば、呆気ない。落胆しながら、僕は窓に足をかける。

 

 

「......お前だったんだな」

 

 

 低い声がした。

 恐る恐る振り返る。殺気立った後藤の二つの眼が、しっかりとこちらを見据えていた。とても、偶然見つけてしまった、という顔じゃない。

 

 嵌められたな、と耳元で誰かが笑った。

 どこで間違えた、と嘲るような囁きが、繰り返し繰り返し、耳を震わせる。脈拍が速くなる。呼吸が浅くなる。視界が、左右に揺れる。

 

 黙れ。黙れ。黙れ。

 間違えてなんかない。間違えてなんかない。間違ってるのは、僕じゃない。

 

 そうだ。

 間違ってるのは、あいつらだ。

 

 僕は窓枠から足を下ろし、眼を閉じ、深呼吸した。

 再び眼を開けると後藤は消え、純白のスーツに身を包むヒーローが、こちらに鋭い眼光を向けていた。

 

 

 

 ◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇

 

 

 

 悠は教室の外から、中の様子を伺っていた。

 言いたいことは他にも山ほどあったのに、敵の姿を一目見た瞬間、傍らにいた正義に外に摘み出された。仲間外れにされているようで気分は悪かったが、ここからは彼の領域(テリトリー)、ということなのだろう。

 

 初めから違和感はあった。

 真っ先に映司を糾弾した彼の台詞。

 

 ——窓から侵入しようったって、ここは四階だぜ。

 

 なぜ彼は、「窓から侵入する」という発想が浮かんだのだろう。

 彼の言った通り、四階にあるこの教室に窓から入れないことは明白だ。分かりきったことを、なぜ彼はわざわざ言ったのか。

 

 それは、彼が実際に、その窓から侵入したからに違いない。

 高校生科学コンテストで優勝を果たした際、彼は自ら資金を集めて試作品を製作した。それがどんな研究なのかなんて、誰も気にもしなかった。

 

 黒く塗装された、機械仕掛けの翼。

 大橋時生は、自分の身体よりも大きなそれを背負い、大空を飛んで窓に辿り着いたんだ。

 

 教室の窓から見下ろせる裏道の、使わなくなった用具入れの奥。

 昨日悠たちは学校に戻り、正義がそこでそれを見つけた。発見した瞬間、深刻そうに目を伏せた彼には、何か思い当たる節があったらしい。

 犯人はほぼ時生に絞られていたが、確実に追い詰めるために、悠は罠を張った。そしてその罠に、時生はまんまとかかった。

 

 

 

 

「......《ジャスティス》。あんたの差し金か」

「いいや。俺は君が嵌めた森田映司の友人のために、ちょっと手を貸しただけだ」

 

 時生の眼鏡が、夕陽に反射してきらりと光った。

 大きな翼を重そうに引きずりながら、正義の方に近づいてくる。

 

「《非業の天才科学者(バット・サイエンティスト)》。半年前から、そう名乗る《アウトサイダー》による窃盗事件が頻発してると聞いた。侵入に一切の痕跡を残さず、被害者はインターネット上の犯行の自慢を見て初めて、自分が被害に遭ったことに気づくとか」

「確かに、それは僕だ。いい名前だろ?」

 

 時生は、へへへ、と半笑いを崩さない。この場を切り抜けたとしても、逃げ場などどこにもないのに。

 狂ってしまっている、と正義は思った。そしてその原因は、恐らく自分たちにある。

 

「どうしてだ。お前ほどの天才なら、金なんていくらでも手に入るはずだ。こんな手段で小銭を稼ぐ必要がどこにある」

「......うるさいな」

 

 時生の笑みが止まった。

 それと同時に翼が大きく開き、黒く着色されたガスが噴出される。塞がれた視界の隙間から、時生が背後に跳んで窓から外に出るのが見えた。

 

「畜生!」

 

 正義は悪態をつくと、自らもバックパックからガスを噴射して窓を乗り越える。黒い煙が校庭の方へまっすぐ伸びている。

 彼は校舎の壁を蹴って軟着陸し、窓から身を乗り出す悠に「待て」のジェスチャーをして走り出した。

 

 いくつもの足跡が、橙色に染まる校庭。

 時生は逃げるでもなく、その低空で待っていた。

 

「僕は、もともと僕が貰うはずだったお金をいただいているだけさ」

「何の話だ?」

「とぼけんなよ!......見ろ、この《バット》の美しい飛行を!」

 

 時生は激昂すると、一度くるんと宙返りしてから急上昇してみせた。

 正義もガスを放出して跳び上がる。

 

「《バット》は僕の才能の結晶だ。努力の証だ。この翼で、僕の名はオカモトと肩を並べるはずだった!」

 

 上空十メートルで、時生と正義は睨み合う。

 正義は怒りと悔恨を混ぜ合わせたような、苦々しい顔で言った。

 

「......やはり、本部に図案を持ち込んでくれた子か」

「そうだよ!《バット》でヒーローはさらなる高みに到達する。僕は、その立役者として世界中から尊敬される。......そんな未来を、貴様らは奪ったんだ!」

 

 ——無理だね。こんなオモチャ、ウチじゃ採用できない。

 

「オモチャだと!?違う、違う、違ぁう!《バット》は科学史に燦然と輝く世紀の大発明だ。僕が、それを証明してやる!」

 

 目を血走らせる時生との距離が、徐々に離れていく。正義の身体が下降しているのだ。

 時生は嘲るような笑みを浮かべ、自身はさらに上昇していく。

 

「貴様らのバックパックは、圧縮ガスを噴出した反動で飛び上がる仕組みだ。強化スーツ無しではとても扱えない重量な上に、ちまちま使わないとガスはすぐに尽きてしまう。だから、そんなことになる」

 

《バット》から砲門が露出し、次の瞬間、大量の弾丸が矢のように発射された。

 落下していく正義の身体の上に、弾丸の雨が容赦無く降り注ぐ。

 

「ぐっ......!」

 

 重力により威力を増した、上空からの銃撃。

 強化スーツ越しに衝撃が伝わり、正義は苦悶の声を漏らす。

 

 まさか、こんなものまで。

 正義は歯噛みする。今の轟音で、職員室にいる教師たちも異変に気付いただろう。このままでは、取り返しのつかないことになる。

 

「この《バット》は違う。最初こそガスを使用するが、すぐに大気の流れに乗り、僅かな電気エネルギーで何時間だって自由自在に飛び回れる。五年前のトンネル事故だって、《バット》があればあんな惨事にはならなかった!」

「......っ!」

 

 爆音の中で、時生の声はよく通る。特殊な拡声器を用いているらしい。

 意気揚々と《バット》の優位性を語る時生の姿はあまりに幼稚で、微笑ましさすら感じさせる。だからこそ、本部長はああいう言い方をしたのだ。どこが間違っているのか、自分で考えさせるために。

 

 だが、彼は歪んでしまった。

 窃盗だけなら、まだやり直せる。だがヒーローとこんな大立ち回りを繰り広げたことが分かれば、そうはいかない。

 

 今、俺たちが時生にしてやれることは。

 一刻も早く、終わらせること。

 

「......それが、俺たちの責任の取り方ってやつだ」

 

 とん、と地面に足がつく。

 身体中が痛みを訴える。ぎしぎしと骨が軋む。弾丸の雨は止むことなく、メットに、腕に、突き刺さる。

 

「一撃で決めるぜ!」

 

 それても正義は、歯を食いしばって、再び跳躍した。

 残りのガスを目一杯使い、弾幕を突っ切る。

 

「ジャスティィィィスッッ!」

 

 腕を振り上げる。

 ガスがほとんど入っていない《バット》は、咄嗟の移動が出来ない。時生の表情が、乾いた笑みが張り付いたまま硬直する。

 

「パァァァァァンチッ!」

 

 叫びながら放った一撃は、機械翼を呆気なく粉砕した。

 翼をなくした時生は、笑みを浮かべたまま重力に身を任せ落下していく。

 

 正義は急いで彼の身体を抱えると、ガスの勢いを弱め、ゆっくりと降下を始めた。

 彼は厳しい顔つきのまま、青ざめる時生に語りかける。

 

「重量をぎりぎりまで減らし、しかも中に回路をごちゃごちゃ張り巡らせた《バット》は、脆い。救助活動もするが、俺たちの本領はあくまで治安維持だ。簡単に壊れるものは採用できない」

「.......そんな」

 

 呆然とする時生。ただの高校生に過ぎない彼に、戦闘に耐え得るか、などという発想など出てくるはずもない。人々の生活に役立つものをつくる科学者としては、彼の研究は決して間違ってなどいなかった。

 

 グラウンドに、二人の足がつく。

 同時に、何人かの人影が校舎から出てくるのが見えた。彼が犯した罪そのものは誤魔化せないが、そこら中に散らばった金属片から、機関銃の面影を見てとるのは不可能だろう。

 

「俺には科学のことはよく分からんが、オカモトだって最初は失敗ばかりだったはずだ。......間違えたら、戻ればいいんだ。お前はまだガキなんだから、なおさらな」

 

 虚ろな瞳でどこか遠くを見つめる今の時生に、正義の言葉は届かないだろう。

 それでも、すぐに自分で気づけるはずだ。何といっても、彼は天才なのだから。

 

「......まったく、そう暗い顔するなって」

 

 正義は時生の肩に、ぽんと手を置いた。

 

「俺は、自分が間違えたかどうかも分からねぇ。それに比べりゃ、ずいぶんマシじゃねえか」

 

 スーツを解いた彼の顔が、少しだけ曇った。

 

 

 

 ◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇

 

 

 

「いや、お前らにも見せたかったよ、教頭のあのマヌケ顔。俺笑いこらえるのに必死だったもん」

「笑ってやればよかったのよ。私、前からあいつ嫌いだったのよね」

「なんで」

「だって、顔からして性格悪そうじゃない」

「出たよ、真菜の面食い癖」

 

 ここ数日でだいぶ花を散らせた桜並木の下で、いつものように映司と真奈は馬鹿話をしながら学校への道を歩く。そして悠は、ときどき口を挟みながら、内心で日常が戻ってきたことに安堵する。

 そう、事件の前と何も変わらない日常がそこにあった。たった、一つを除けば。

 

「......どうした、悠」

「ん?」

「距離が近くないか」

 

 正義はびくついた様子で、隣の悠を見つめる。

 悠は口元を少しほころばせて、何か言おうとして、やめる。

 

「別に。あんまり遠いと、警備もしづらいでしょ」

「......ふぅん」

 

 妙な顔で笑う正義に、何だよ、と悠は顔をしかめる。

 いや別に、と笑いながら、正義は映司たちとの間隔を少しだけ詰める。それに合わせて、悠の歩幅も一瞬だけ大きくなる。

 

 ねぇ。

 何となく、口が動いた。

 

 正義が立ち止まって、怪訝な顔で振り返る。

 悠はその横を通り過ぎながら、聞こえるか聞こえないかくらいの小さな声で、たった一言、つぶやいた。

 

 

「ありがとう」

 

 

 

 

 

 

 

 

 to be continued.

 

 

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