「お届け物です!サインをお願いします!」
今日だけでもう二桁は繰り返しているその言葉は、もはやただの定型文と化していて、自分自身が何を言っているのかよくわからなくなりそうになる。
「ご苦労様です」という言葉に「失礼します」と返しながら軽く礼をし、僕はその場を素早く立ち去った。
我ながら配達員の見本のようなやり取りだなと思う。
思えばかれこれ一年近くは配達員として働いているのだ。最初の頃よりは配達員らしい言葉や所作がなかなかに板に付いてきたように思える。
しかし、中途半端に慣れてきたことで仕事が雑になるようでは本末転倒も甚だしいので、むしろ一層気を引き締めていかなければならないと思う。
ところで、迷宮都市において配達業務は馬車を利用することが殆どである。
それは偏にこの都市の広さが理由である。単純に、広すぎるこの都市において人の足で荷物を運ぶのにはかなりの時間と労力を要する。
とはいえ「じゃあ、自分たちも馬車を使いましょう」とは簡単に言えないのが実情である。所せましと居住地や商業地が立ち並ぶこの街において馬を領有しておける区画は限られており、そのため、必然的に馬を生育するための土地代は一般的な費用感覚からするとかなり高額なためである。
一方で、数少ない馬を生育する土地を所有した者たちによる馬車の貸し出しはそこそこの需要があり、実際、自分の手で馬を生育するよりははるかに安く済むことには間違いないのであるが、そのサービスを日常的に利用することを考えるとやはりどうしたって少なくない費用がかかってしまう。
だから一般的に、迷宮都市の中で配達の依頼というのは高額なサービスであり、一般人がおいそれと利用できるようなものではないのだが、そんな中『黒猫』は庶民でもかなり手を出しやすい価格で配達を請け負っている。
それはいったいどんなカラクリがあってのことなのかと『黒猫』の利用者は口を揃えて言うのだが、その答えは至ってシンプルである。
つまり『黒猫』は、配送において費用がかかる原因である馬車を一切利用していないのである。
迷宮都市ににおいて人の足で荷物を運ぶのにはかなりの時間と労力を要する。しかし、実はそれは
恩恵を刻まれた『子供』たちの身体能力は、そうでない子供たちとのそれは比較するのが馬鹿らしくなるほどの強化が成される。
岩を片手で持ち上げ、馬よりも速く走る。そんな御伽噺のようなことを恩恵を刻まれた人々は可能にする。
そして『黒猫』の従業員は全員、その恩恵が刻まれた元・冒険者である。
冒険者が死ぬ前に冒険者を引退する理由のほとんどは、迷宮内での再起不能なレベルの怪我を負ったためであるが、実は、特に引退するほどの傷を負ったわけでも無く冒険者を引退する人間も存在する。
それは例えば、養わなければならない家族ができたとか、冒険者業に嫌気がさしたとか、あるいはもっと人には言えないような事情があって冒険者という職を若いうちに辞する人間はそこそこの数でいるのである。
『黒猫』の従業員たちはそんな五体満足なまま冒険者を引退した者たちなのである。
そのため、『黒猫』は通常馬車で行う配達作業を人力で行うなんて荒唐無稽なことを実現させ、そしてそれらを一般的な基準よりも安価で提供することを可能にしているのだ。
その結果が今日に至るまでの盛況ぶりであり、そして目の前の荷車に積み上がる荷物の山なのである。
朝一番に比べると多少その数を減らしはしたものの、側を通り過ぎる人々がギョッと驚き、その山を二度見するくらいにはまだまだその存在感は健在である。
「今日は特に依頼が多い」とは聞き及んでいたものの、実際に目の当たりにしてみると想定していた数倍はあり、「本当に今日中に終わるのだろうか?」という感想をまず初めに抱いた。
いくら恩恵を刻んでいるとはいえ、都市の中を走り回り続けて、そこそこの重さのある荷物を運ぶのはかなり骨の折れる、というかぶっちゃけ死ぬほど辛い。
それゆえ、その作業がまだ半分も終わっていないと目に見えて分かってしまうと誰であっても少しは気落ちするだろう。
「はぁ……。」
だから、小山を載せた荷車を前にしてため息をつく僕の姿は仕事の多さに項垂れる配送員として
ゆっくりと空を見上げた。
何よりも高く、どこまでも広い蒼穹は、ずっと見つめているとだんだんと吸い込まれていくような気になるほど青かった。
あの澄んだ空よりもさらに遠いところに神々が住まう『天界』はあるらしい。
それは、空に浮かぶ小さな雲をつかむことすらままならない下界の子供たちにとってはまるで想像が出来ないスケールの話だ。
それはちょうど、この都市に来る前の僕が、この都市の広大さをまるで想像できなかったような話なのだと思う。まぁ、実際に訪れたところで、見るものすべての規模の大きさにとにかく呆然とし続けることしかできなかったのではあるが。
神々が『下界』に降臨した『神時代』において、もはや超越存在である神々が僕たち『下界』の子供と同様に日常生活を送っていることに疑問を抱く者はいなくなった。
時には
そんな神々の姿に慣れ親しんだ人々にとっては神々が住まう場所だという『天界』が存在すること自体、いまいち実感が湧かない話なのであった。
そのため、この都市に住む人々が神々の住まう場所としてまず頭に思い浮かべやすいのは『天界』ではなく、空を見上げてもなお視界の端で捉えることができる白亜の巨塔、
もともとは迷宮を塞ぐための『蓋』として建設された神塔であるが、その天を突くほどの高さから、高層階は特に、この地上で一番『天界』に近い場所だとして神々の居住地が用意されている。
だから、この都市に住む人間は神々のことを想うとき、天高く広がる空よりも街の中心に悠然と聳える塔を見上げるのだ。
もっとも、そこに居を構えるためには信じられないほどの資金が必要になってくるため、神であれば誰でも住まうことができるという訳ではない。
それを可能にできるのは神の中でもほんの一握り。
埒外なほどの資金を手にすることができるほど巨大な【ファミリア】を持った神のみである。
つまり、神塔の頂上とは名実ともにこの街の頂点を意味している。
だからこそ、そこに住まう神の名を聞いたときに驚きはそこまでなかった。むしろ、「やっぱりな」と納得したものだ。
ただその答えを知ったことで、納得以上に僕の頭の中を占めたのは「なぜそんな場所にいる神が僕を見ているのだろうか」という疑問だった。
「はぁ。」
二度目の、しかし今度は先ほどよりも短いため息が出る。
つまるところ、このため息の原因は荷物の山などではなく、それなのだ。
うっすらと雲のかかった巨塔の頂上。
そこから降り注ぐ、無遠慮で一方的な値踏みするような視線。
この都市を訪れてから数えきれないほどに感じてきたその視線を、
かつてはその視線が意味することを全く理解していなかった。
好奇心と悪戯心がない交ぜになったようなそれに対してただ困惑し、首を捻ることしかできなかった。
けれど
これは、『予兆』だ。
あの女神が身勝手に、無邪気に、だからこそ神らしく、『何か』をしてくるという予兆。
そしてその『何か』は『試練』として、あるいは『災厄』として僕の身に降りかかるのだ。
だからこそ、わからない。
全てをあきらめて、目を逸らしてきた僕に今更いったい何を求めているのか。
僕が冒険者を辞めてから今日に至るまで、その存在すら気取らせなかったのに、なぜこんなにもいきなり動き出す気配を見せたのか。
例え、この視線が持つ意味を理解出来ても、その意図を知ることなど、それが神の思惑である以上到底できない。
分かるのは、近い将来、間違いなく厄介な事が起こるということだけ。
それでため息をつくなという方が無理があるだろう。
ハッキリ言って、もう僕には関わらないでほしい。
もし仮に、今の穏やかな日常が崩れてしまうことが
けれど、それが彼の神によって下されるのだけは絶対に違う。
自分のことを棚に上げているようだけれど、
だから僕は僕自身と同じくらいあの女神を許してはいけない。
街に長い影を落とし続ける巨塔。
その頂点に位置する場所をじっと、見つめ返すように睨む。
本当にそこにいるのかはわからない。ましてや、彼女に僕の声が聞こえるわけがない。
それでも、間違いなく僕の言葉が届くという確信があった。
だから小さくその名を呼ぶ。
「フレイヤ。」
迷宮都市最強派閥の双璧をを為す【フレイヤ・ファミリア】。
その主神たる女神の名前を呼び捨てる。
敵の名前のように。忌むべき言葉のように。
どこまでも黒く、深く、自分の心が冷えていくのを感じながら。
そして呟く。
「次は絶対に───。」
瞬間、風が吹いた。
まだ冷たさを残す風が頬を撫でた。
ただその場を通り過ぎていくだけの風が髪を揺らした。
そして、その気まぐれな風の中で僕は確かに彼女の声を聞いた。
───その時を楽しみにしているわ。
過ぎていく風を追うように振り返る。
当然、そこに何かが残っているわけでも無く、ただ相も変わらず都市の雑踏と小高く積まれた荷物の山だけが視界には広がっていた。
先ほどと何も変わらない穏やかな街並みといつも通りの日常。
気が付けば視線は感じなくなっていた。
フレイヤ様好きです。
おっぱい大きくて良いよね。