「…………人類最後のマスターに、そのサーヴァント……一度だけ、言いますよ」
カツリ、カツリと死が迫る。
剥き出しの殺意に、体が震えて心が凍るような戦慄を覚えた。
それほどまでにバーサーク・アサシン……サーヴァント、カーミラの存在感は圧倒的であった。
戦いに関しては、『ニーベルンゲンの歌』に語られる大英雄ジークフリートが味方にいるこちらの方が有利であるはずだ。
……本来ならば、であるが。
エリザベート=バードリーの渾身の一撃を、防御体制すら取らずに受け止め、返す一撃で、サーヴァント一騎の意識を沈めたカーミラの戦闘能力は、異常の一言に尽きる。
思考を巡らせる。
そして、恐怖に毒される。
その毒は全身に巡り、身体は完全に硬直していた。
ああ、だから。
彼女の言葉を聞いて、
「その娘を置いていくのならば、貴方達は見逃しましょう」
恐怖に顔を引きつらせながらも、不敵に笑え。虚勢と共に意地を張れ。
そして、エリちゃんを抱える両の腕へと力を込めて、私は叫び返すのだ。
「うっさい、ばーか!!!」
…………三秒ほど、場を沈黙が支配して。
「……残念、貴方は殺します」
「ジークフリート!弾いて!」
「了解!」
一瞬で振り下ろされたカーミラの爪を、ジークフリートが弾き飛ばす。
その鈍い音が、この戦闘の始まりを告げた。
爪による連打を大剣で受け流し、カーミラの攻撃のリズムが乱れた所を見逃さず、ジークフリートは攻勢に出る。
元々、カーミラの攻撃手段は多い方ではない。
小回りが効きにくい大鎌に、鋭く伸びる両の爪……接近戦で注意するべきことは、それだけだろうと踏んだジークフリートに隙はなく、実際のところ、その読みは大きく外れてはいなかった。
どれだけお化けなステータスをしているとはいえ、懐に飛び込めば
連打に次ぐ連打。
ジークフリートの攻撃に、終始カーミラは翻弄されっぱなしのままであり、その光景を少し離れたところから見ていた立香の頭に、『このまま、押し切れるのではないか』などという考えが浮かぶ。
……しかし、その次の瞬間
「……っ、鬱陶しい、わね!」
カーミラが大鎌による薙ぎ払いを放つ。
それを完璧なタイミングで受け止めたジークフリートが、
その一撃は、立香の想定を遥かに凌駕しており、必死に考えていた策の幾つもを根底からひっくり返してきた。
「……っ!?」
「タゲは引き受けますわ……!ますたぁを任せます!」
「は、はい!お気をつけて」
躊躇いなくカバーに入ったのは清姫。
ジークフリートへと追撃を入れようとしたカーミラの行手を阻むように炎の壁を展開し、カーミラの正面へ躍り出る。
立香は、清姫の無事を祈りながらもジークフリートへ容体を確認するが、受け身は取っていたようで問題はないらしい。
「ますたぁには、指一本たりとも触れさせません」
「あら、そう……ならば、貴方が先に逝きなさい」
扇に炎を纏い、凛とした表情でカーミラを堂々と相手取る清姫だが、立香は知っている。
彼女の戦闘スタイルは、決して接近戦向きではないということを。更に言えば、ジークフリートの一撃ですら傷つかないその身体には、彼女の爆炎も有効打にはならないだろうということを。
しかし、もう一つ……足りない能力は仲間を信じて補う他ないということも、立香はこれまでの戦いで知っていた。
「大人しく、死になさい!」
「丁重にお断り、しますわ……!」
何層にも張り巡らされた炎の弾幕を掻い潜り、接近したカーミラの爪が、清姫の持つ扇子を叩き落とす。
連続で振われたその爪牙が、清姫のもつ白き柔肌を切り刻む……その直前に、
「そこ、です!」
加えられた衝撃に、流石のカーミラも膝をつく。とはいえ、外傷は見当たらないため、軽い脳震盪のようなもので、一時的に行動不能となっただけであろう。
要約すれば、永遠に無敵状態の相手に、1ターン分のスタンを入れたようなものであった。
「ますたぁ!?何を考えて!」
「清姫さん、マスターからの指示です。私と、貴方とカーミラさん……その全員を囲む炎の檻を作ってください!」
マシュに主人の安全を託してきた清姫が、困惑に陥るが、立香もそれを承知の上でマシュを送り込んでいた。
これは、彼女が弄したたった一つの策。
守りの要を、自ら手放したその真意はただ一つ。
「……っ、まさか」
「ここで、暫く引きつけます!」
一人で無理なら、二人組で対処に当たる。
しかし、策を行動へ移そうと、大きく円を描くように炎を広げたその瞬間……
「今すぐ逃げてください、ますたぁ!!」
子供でも思いつくような単純に見える主人の一手に、清姫は致命的なまでの欠陥を見つけ出してしまい、絶叫した。
恐らくマシュですら突破できる炎の壁など、今のカーミラには意味をなさない。
前提条件に取り返しのつかないほどの、見落としが存在した。
慣れない戦闘の指揮だ。
仕方ないといえば、仕方ないのだが……それで済むほど、戦いの世界は甘くない。
守りが薄くなり、一番の獲物を抱えた最弱の彼女を、暗殺者の位を冠するカーミラが狙わない筈がないのである。
絶叫から一秒後。
カーミラが笑みを浮かべ、清姫へと背を向けた。
二秒後。
清姫の伸ばした手は届かず、カーミラはエリザベートの魔力を手がかりに、加速を開始する。
三秒後。
先回りをしたマシュの大楯と、大鎌が激突し、マシュの姿が掻き消える。
そして、五秒後。
目を逸らしたくなる気持ちを抑え、清姫は運命の瞬間を見届けようと目を凝らす。
炎を突き抜け、大鎌を振り上げたカーミラが見たのは……
「そう来ると……読んでたよ!」
恐怖で頰を引きつらせながらも、気丈に笑みを浮かべてみせた少女の抵抗であった。
彼女は見る。
藤丸立香が掲げた
「……っ、ぶっとばせ!ジークフリート!!!」
マスターからサーヴァントへ。
その身を囮として作り出した好機に、御膳立てはバッチリと言わんばかりの令呪一画。
背中を押されない筈がない。
気合が入らない筈がない。
願いを叶える英霊とも謳われるその剣士が
彼女の想いに応えないはずが、ないのである。
「宝具解放……その願いに応えよう。空を穿て!」
大剣の柄に嵌め込まれた青の宝玉が、光を放ち真エーテルの放出を開始する。
蒼銀の焔は大剣へと収束し、その輝きは悪を焼き尽くす裁きの一撃と至るのだ。
「
その一撃は、カーミラが立香の元へと辿り着くコンマ数秒前に放たれ……
次の瞬間
青き光が、世界を埋め尽くした。
◇◆◇
よく知っている。
これは……夢だ。
走る。奔る。疾る。
息を切らして、血反吐を吐いて
呼吸なんか知らないと、苦痛なんて知らないと
ただ今は、前へと足を運んでいく。
進んだ先に何が待ち受けているかなど、知っている。
それでも前へと進むのだ。
いつ、どこで終わりを迎えても
辿り着く場所が定められていたとしても
現実という名の未来から逃げる。
滑稽な程無様に、愚かしい程ひたすらに
気を抜けば飲み込まれ
必死に走り続けたとしても
いつかどこかで追い抜かれることなど分かっているのだ。
それでも走る。
ひたすらに、ただひたすらに。
惰性なのかもしれない。
とうの昔に心なんてものは折れているのかもしれない。
それでも、逃げ続けているのはきっと……
それだけが、私の存在証明だったから
この必死にもがいて、もがき続けたこの時間のみが、私が私でいられるじかんであるのだから。
愚かな夢を 諦めることが できなかったから
だから、もう一度立ちあがろう。
せっかくの好機だ。
叶うことなら最期まで、
私は私で在り続けよう。
◇◆◇
華やかな庭園など、見る影もなく。
ボロボロの荒野のように成り果てたその土地に
銀の閃光が乱れ飛ぶ。
鈍い金属音が響き重なり、衝撃の余波が風圧となって、彼女の元へと辿り着く。
左を見れば、大楯を杖のようにして立ちあがろうとする後輩の姿。
腕の中には、未だ目を覚さないピンク髪の少女が存在する。
衝撃の発生源でぶつかりあうのは、ジークフリートとカーミラ。
ありったけの勇気を振り絞り、全力を込めた先の一撃。
セイバー・ジークフリートによる全力の宝具『幻想大剣・天魔失墜』。それをもってしても……カーミラは未だ無傷。
無理だ、と理性が望みを捨てる。
策を巡らせ、力でゴリ押し……やれることは全てやり切った。
それでいて敗北するのならば、仕方がない。
もう……諦めてしまっても構わない筈だ。
それでも……
「…………っ、まだ……立てる、から……!」
それでも、意地でも涙は溢さなかった。
唇を噛み、こぼしを握り……必死になって思考を回す。
その息は荒く、意識が飛びそうになるのを何度も抑えて、諦めたくなる絶望感に抗って。
体力を、魔力を、気力を、
死力を尽くして徹底抗戦を続けた立香へと
『……っ!やっと繋がった!立香ちゃん、マシュ!聞こえているなら返事をしてくれ!二人とも無事かい!?』
「…………どく、たー?」
最後の転機が訪れる。
話は、結率いる遊撃部隊がオルレアンへと突入を開始する少し前まで遡る。
オルガにより、オルレアン全体を囲むように張られた結界の解析が終わり、結はその結界の持つ
『結界内に存在する竜の魔女陣営のサーヴァントに対するもう一段階上の【凶化】。己の欲望に応じた全能強化……こんなのっ、こんなのって!』
オルガの叫びに、青年は応える。
「ああ……サーヴァントを駒としか考えてない最悪の術式。全能強化……それも俺のとは比べ物にならない程強力な効果。そんなもの、
自らの問いに
「聖杯の魔力か?」
淡々と
「竜の魔女の令呪か?」
淡々と
「黒幕さんの、サポートか?」
感情の籠らぬその声で返答し
「否だ、それのどれもが恐ろしいほどに否だ」
最後に否を叩きつける。
聞いているオルガが、寒気を感じそうになるほどの冷え冷えとした声音に、アサシンは少し驚きながら、自らのマスターの裾を引っ張った。
「……マスター、ちょっと怖いですよ」
「………っ、ああ、すまん。少しキレそうだったから……冷静になる」
結は暫く黙り続けたが、他でもない結界の情報解析を行った彼女だけは、知っていた。
その強化の副作用のことを。
過ぎた力は身を滅ぼす、まさにその通り。
起源は代償。
その言葉の意味を、誰よりも知るその青年が憤りを感じたのは仕方のないことで……
「絶対、ぶっ壊す」
『「当然!」』
気合を入れ直した青年達の姿を見ながら、白聖女ことジャンヌ・ダルクは、カルデア本部へとその情報の報告に当たっていた。
◇◆◇
「……要するに、カーミラの強化は対エリちゃん戦特攻ってこと?」
『正確に言えば、エリザベートを倒すまでの強化、無敵状態だね……つまり…………』
「全滅か、エリちゃん一人の犠牲で進軍するか……って、こと、なの……」
抱える少女に、視線を落としながら立香は呆然とした様子で、そう呟いた。
27話 「選択」