頑張った人間には、救いがあっても可笑しくはない。

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いつの日か、彼方で

 

「そうだ、この世界を救うのは私と君だ――そうだろう、立香?」

「あぁ、勿論――行こう、キリシュ」

 

 

 ■

 

 

「ね、ね、キリシュ、これ着て見て欲しいんだけれど」

 

 最終特異点を攻略し、人理修復を果たした翌日。

 慌ただしく事後処理に追われるカルデアの中で、頬や腕にガーゼを張り付けた立香がそう言って一枚の衣服をキリシュタリアに突き出した。同じように、頬やら首やらに治療痕の残るキリシュタリアは、食堂に駆け込み声を上げた立香を見る。満面の笑みを浮かべた彼を見て、キリシュタリアは手にしていた紅茶をソーサーに戻した。

 

「何だい立香」

「良いから、ほらほら!」

「いつになく強引だね……これはTシャツかい?」

「そうそう、俺とお揃い!」

 

 手渡されたそれを広げ、キリシュタリアは微妙な表情を浮かべる。前々から彼のセンスは中々に独特だと理解していたが、これは。

 

「真っ赤な色にデカデカとバスターの文字……これは、一体どういう」

「バスターしときゃ死ぬ!」

「立香、私は偶に君が分からなくなるよ」

「この世の真理だよ! 良いから着て見てよ! 絶対似合うって!」

「それは誉め言葉なのかい? というかバスター(破壊する者)とは、私達は本来守護する側であって」

「こまけぇことは良いんだよ!」

「……うん、まぁ、そっか」

 

 キリシュタリアは諦めた、こういう時は深く考えてはいけないのだ。この愛しき我が親友は時折此方の予測を軽々と上回る事を仕出かす。という訳で着ていたシャツを脱ぎ捨て、上半身裸になって渡されたTシャツを着込む。その際痣になった脇腹や切り傷、刺し傷、火傷などが露になる。攻略してきた数々の特異点、そこでの激闘はキリシュタリアと立香に癒えぬ傷跡を残した。しかし、その甲斐あって『誰も喪うことなく』此処まで来られた。

 それは、正に偉業と言って差し支えない。

 ひとりでは成し得なかった、二人だから成し得たのだ。

 立香とキリシュタリアは、そう確信している。

 

「――ふむ、これは中々」

 

 食堂に設置された手洗い場。その鏡に映る己を見るキリシュタリア。派手な赤にバスターの文字、有体に言って『クソダサイ』以上の何でもないが、これはこれで中々どうして悪くない……のだろうか。

 

「意外性に富んでいるな、着てみれば存外悪くない」

「だろう? 肌ざわりなんかも結構良いんだ!」

「因みにこれは何処から持ってきたんだい?」

「サバフェス倉庫で埃を被っていた奴を引っ張り出した! 他にも『アーツ』と『クイック』ってTシャツもあったけれど、そっちの方が良い?」

「それも赤色?」

「いや、青と緑だった」

「何故そう派手な色ばかり」

「でも何だろうな、キリシュ、そのバスターも似合うけれど、アーツの青っぽい感じもする……あとで倉庫からアーツのTシャツも持ってくるよ!」

「いや、良い、君とお揃いのバスターで十分さ」

 

 キリシュはそう言って先ほどまで座っていた場所にかけ直した。立香もその対面に座り、何が楽しいのかニコニコと笑っている。真っ赤なTシャツを着た最期のマスターが二人、実に奇妙な光景だった。食堂には他に誰も居ない、然もありなん、マスターである二人以外のカルデアスタッフは仕事に奔走しているのだから。

 キリシュはカップに視線を送りながら、「立香も飲むかい?」と問いかける。彼は「良いの?」と目を開き、「勿論」とキリシュは頷く。立香の満面の笑みが更に深くなった。

 

「やった、キリシュの紅茶はエミヤと同じくらい美味いから無性に飲みたくなる時があるんだ」

「彼か、紅茶は一応、私も凝っている方だからね……料理の方はてんで駄目だ、彼には敵わないな」

「まぁサーヴァントにご飯を作らせている時点で何をやっているんだ感が凄いけれど……あ、砂糖は一個でお願いします」

「ふふっ、勿論だ」

 

 手慣れた動作でカップとソーサーを用意し、紅茶を注ぐ。投入する砂糖は一個、彼の好みの分量は既に理解している。彼の目の前にそっと置くと、「ありがとう」と言葉と共に待ち切れないと早速一口。そして、柔らかく微笑んだ。

 

「――うん、キリシュの味だ」

「私の味かい? 憶えられてしまったかな」

「もう何回飲んだか分からないよ」

 

 実際、冬木を入れて九つの特異点を攻略する間、二人の間には長い時間が存在した。一緒に食事をした、一緒に野宿もした、一緒に風呂に入って、一緒に戦って、一緒に血を流して、一緒に困難を共にして――一緒に人理を救った。

 同じ釜の飯を食う仲どころではない。最早その情は血を分けた兄弟に近い。この紅茶だって、もう何度口にした事か。

 

『この人は絶対に裏切らない』という絶対の信頼がある。

『この人には無様な姿を見せたくない』という絶対の敬意がある。

『この人は自分と同じである』という絶対の親愛がある。

 

 キリシュタリアという人間は立香を腹の底から信じている。

 立香という人間も、キリシュタリアを腹の底から信じている。

 特異点での数多の経験がそうさせた、天才と凡才という垣根を超えた絶対なる親愛がそこにはあった。事実、人理を救う上で他人の言う【才覚】というものがどれ程薄っぺらいものなのかを、キリシュタリアは実感した。

 立香とキリシュタリア――二人に存在したのは、意志である。

 絶対に生き残るという意志、絶対に世界を救うという意地。

 そして、世界を悲劇のまま終わらせたくないという願いである。

 

「でもやっぱり、何か肩身が狭いというか、申し訳ない気がするなぁ」

「こうして休んでいる事かい?」

「そうそう、今まで暇な時間があれば修練だ霊基再臨だ何だって、休む暇も無かったじゃないか、それがこう、最後の特異点を攻略した途端何もしなくて良いなんて……ねぇ?」

 

 カップを揺らしながら、そう呟く立香。キリシュタリアはそんな彼を眺めつつ、穏やかに答えた。

 

「所在ないのは仕方ないさ、私達マスターは戦い、指揮する事が仕事、そして彼らの仕事は私達のバックアップ――立香は十二分に努力し戦った、戦いが終わった後の処理位、任せてしまっても良いだろう」

「それ、所長とかマシュにも言われたよ、『良いからベッドで大人しく転がっていなさい! 書類仕事でアナタは役に立たないから!』、『先輩、まだ傷も完全に癒えていないのですから、どうぞ体を労わって休んでいて下さい!』――って」

「ふふっ、中々似ているじゃないか、特に所長のソレは声も特徴を掴んでいる、かなり大爆笑だ」

「爆笑してないじゃん、そういうキリシュも前にやっていたよね、『話の途中で済まないがワイバーンだ!』とか」

「あれは空気を読まずに飛んでくるワイバーンがいけないのだよ」

 

 澄まし顔でそう告げるキリシュタリア、ぶれないなぁと立香。何だかんだと言って彼はノリが良い事を知っている。こんなふざけたTシャツを淡々と着てくれるのが良い証拠だ。整った容姿に確かな血筋、その育ちの良さを感じさせる所作に反し、その性根は驚くほどにフランク。外見は貴人、中身は緩い。キリシュタリアという人間に触れれば直ぐに分かる。

 緩すぎるのも問題だが――金時やモードレッドと馬鹿をやっている姿を見たのは、一度や二度ではない。

 

 オケアノスの海で「サーフィンしようぜ!」と満面の笑みで告げたモードレッドに対し、「遂に私のサーフィンテクニックを見せる時が来てしまったか」とコートを脱ぎ捨てて海にモードレッドと共に駆け出した彼を見た時は目を疑った。因みにその後、本当にモードレッドとサーフィンを敢行し、所長に怒られていた。然もありなん。

 

 金時とはバイク談義で盛り上がったり、ダヴィンチに何とか自分のバイクを作って貰えないかと交渉しに行ったりと突拍子もなく行動する。後は黒髭と何かの本を読みながら語り合っていたり、レオニダスと二十四時間耐久マラソンをしていたり、クーフーリンと魚釣りをしたり、エミヤと紅茶を淹れ合ったり――その見た目と実力に反し、彼は実に付き合い易い。

 

「そう考えるとキリシュって、意外と残念なイケメンって奴なのか?」

「おっと、我が親友の唐突な罵倒に私は深く傷ついたよ、一体どうしたというのだ」

「いやだって、キリシュって見た目に反して結構緩いじゃないか」

「失礼な、私のどこが緩いというのか」

 

 ふふん、と胸を張ってどや顔を晒すキリシュタリア、そういう所やぞ。

 

「この前バニヤンとパンケーキの大食い対決とかやっていたよね」

「うむ、あれは実に良い戦いだった……尤も負けてしまったがね、次は勝つさ」

 

 そもそも変幻自在のバニヤンと大食い対決という時点で結末が見えている。だというのに挑む彼は勝てる要素を見出していたのか――いや、あれは絶対面白いから乗ってやろうという雰囲気だった。立香は確信している。

 

「その前は巴御前とFPS対決」

「テレビゲームというのも中々どうして趣深い、現代の兵器に関しては余り精通していなかったが、触れてみる良い機会だった」

 

 因みに十二時間ぶっ続けでプレイしてナイチンゲールに強制連行されていったのを目撃している。立香も参戦していたが、マスター保有スキルの『直感(偽)』により難を逃れた。具体的に言うと「ちょっとトイレ」と言ってそのままトンズラした。襟を掴まれ引き摺られていく巴御前とキリシュタリアを見て己の勘は正しかったと深く安堵したのを覚えている。

 

「少し前だとマーリンと一緒になってロマニ虐めていたよね、あれは何だったの?」

「ふむ、何、信じていたアイドルの中身が中年オヤジだった、みたいな話だ、丁度花の魔術師が暴露していた所だったので、便乗して煽っただけの事」

「それ結構な事じゃない? ロマニ地団駄を踏んで泣いていたよ?」

「おぉ、あわれ、あわれ」

 

 こ奴、中々良い性格をしておる。

 

「パンケーキと言えばこの前の大食い大会の残りが冷蔵庫にあった気がするな……立香、一緒にどうだろう」

「エミヤとタマモの合作だっけ? じゃあ、有難く貰おうかな」

「了解した、直ぐに用意しよう」

「手伝うよ」

 

 二人しかいない食堂で、パンケーキを暖め紅茶と一緒に頂く。この、のんびりとした平穏な時間が立香は好きだった。そして多分、キリシュタリアも。

 パンケーキにバターを塗り、蜂蜜を掛け、紅茶と一緒に頂く。少し前の備蓄に不安があったカルデアでは贅沢であった事だ。フォークで小さく切ったパンケーキを口に運ぶ。甘く、蕩ける様だった。

 

「……結構、長い旅だったよね」

「あぁ、そうだね」

 

 立香の言葉に、キリシュタリアは深く頷き、同意した。

 

「冬木では、凄いテンパった、正直キリシュがいなかったら死んでいたよ、俺」

「何、それは私とて一緒さ、サーヴァントもなくその身一つで特異点に放逐されてはね、誰だってそうなる、当然の事だ」

「よく言うよ、キリシュなら一人でも余裕だっただろう?」

「立香は私を過大評価し過ぎだ、私とて人間なのだよ? それにマシュの成長を促し、あの反転した騎士王の一撃を受けられる段階にまで引き上げたのは立香、君がいたからこそだ――きっと私では成し得なかった」

 

 自分は己のみで完結しているから。きっと、『マシュと共に』という発想すら抱かなかっただろう。

 

「そんな事はないよ、キリシュだったらきっと、何ていうか、もっとスマートに解決していた気がするんだ、実際ほら、オルレアンでは複数のサーヴァント相手に大立ち回りを演じていたじゃないか」

「あれは運が良かっただけだ、もう一度同じ事をして欲しいと云われても出来ないよ、それに直接的な戦闘能力だけでは人理は救えない――いや、そうじゃないな、この言葉は正しくない……立香、君の強さは、そうじゃないだろう?」

 

 言外に、同じだけの仕事を君とてやってきた筈だという響きがあった。立香は頬を掻き、恥ずかし気に目を逸らす。それを為したという実感が彼には無い。自分は弱いという事実が胸に存在する。前に立ち、敵を打ち倒すだけの力を持つ『彼等』が少し――眩しい。立香にとっての力とは物質的なものだ、聳え立つ壁を打ち崩す為のもの。

 立香から見たキリシュタリアという人は、強い人だった。精神的にも、肉体的にも、そして戦力的な意味合いとしても。自分ではどう足掻いても真似できない、魔術師としての格差が存在する。複数のサーヴァントを単身で相手取るなど、逆立ちしたって真似など出来ない。

 けれどキリシュタリアは云う、自身の持つ強さと、立香の持つ強さというのは別のものだと。その言葉は何処までも優しく、真摯で、強い意志を感じさせた。

 

「君には君の強さが、私には私の強さがある――そして私は、最後に君の持つ強さに救われた」

「救われたなんて、大袈裟だ、あれは皆が頑張ってくれたお陰だよ」

「けれど、その縁を結んだのは立香、君の力だ――立香がいなければ私だって、どうなっていたか分からない、だからどうか誇ってくれ、この旅は私一人だけでは成し得なかった」

「……改めてキリシュにそう言われると、弱いな」

 

 照れたように、立香は笑った。卑屈になっていた自分が愚かに思える程、彼は真っ直ぐ思いを伝える。だから敵わないなといつも思う――対面に座る男が似た思いを抱いているとも知らず。

 

「そうだ、どうせ時間があるんだしさ、皆でパーティでもしない?」

「パーティ?」

「うん、ほら、折角人理を救ったっていうのに祝勝会の一つもあげてないじゃないか、今は事後処理で忙しいっていうのも分かるけれど、今後どうなるかも分からないし、サーヴァントの皆は退去するって話だし――その前に、思い出作りがしたいんだ」

「思い出作り、か」

 

 真剣な様子でそう口にする立香に、キリシュタリアは考え込んだ。ややあって、彼は頷く。実際、やりたいかやりたくないかで言えば、彼とてやりたい。もっと言うと騒ぎたい。

 こういうお祭りは――大好きだった。

 

「良し、なら善は急げと言う、早速やろうじゃないか」

「えっ、まさか今日!?」

「勿論だ、こういうものは思い立ったが吉日、エミヤとタマモに頼んで料理を作って貰おう、何、もう備蓄を気にする必要はないのだ、あるだけ使ってしまおう、仕事の方はダヴィンチちゃんに相談し、切り詰めるだけ切り詰める、私も微力ながら手伝おう、そうだ、百貌に助力を願えば百人分の助力が叶う、会場はこの食堂で構わないとして――」

「いや、ちょ、キリシュ! 言い出したのは俺だけれどさ、流石に今日は無理だって!」

「何を言う立香」

 

 腰を浮かせ、困ったような顔で告げる親友にキリシュは笑いかける。両手を広げ、立ち上がった彼は満面の笑みと、そして自信満々な口調で以って言うのだ。

 

「人理を救った私達に、不可能などない!」

 

 

 ■

 

 

 そして、宴は実現した。

 

 退去するサーヴァントのお別れ会兼人理を救った祝勝会兼事後処理頑張りましょう会兼カルデアの皆さんありがとうございました会。

 ダヴィンチちゃんやロマニは、キリシュタリアよりこの話を持ち掛けられた時は青白い顔を更に悪くして「無理無理無理無理」と首を横に振っていたが、今の今まで無理を通して生き残ってきたカルデアである。人理を救う事に比べれば書類仕事など何のその、サーヴァントにも助力を願い、スタッフ全員で文字通り死ぬ気で働き一日分の猶予を確保した。たった一日、されど一日、作業をせずとも間に合う余裕を作るには文字通り必死の努力が必要であった。

 

 しかし、成し遂げた。

 

 皆が皆、どこか魂の抜けた様な顔で食堂に集まっていたが、いざ宴の開始が宣言されれば生気を取り戻し、飲めや歌えやのどんちゃん騒ぎ。美味い酒に美味い飯、共に死線を潜り抜けた仲間と最高の『幸福な結末』――騒がぬ理由などない。

 明日はきっと死ぬ思いをするだろう、けれどどうした、実際死なないのならば安いものだ。命を張って戦ってきた自負がある、この程度何でもないと、人理の旅を経て強靭となった魂が囁くのだ。

 もう二度と逢えないかもしれない、そんな言葉を口にするのは野暮だった。涙は呑んで、胸の内に仕舞うもの。最初は「やっちまった」と蒼い顔をしていた立香だが、暫くすればもうどうにでもなれとばかりにキリシュタリアとサーヴァントと肩を組み、大声で笑いながらエミヤ特製子どもビールを呷った。因みにキリシュは紅茶である、実は彼、余りアルコールに強くない。そんなキリシュに子どもビールを押し付ける立香、受けて立つと言わんばかりに杯を呷り、噴き出す。そんな彼の常の雅とした姿とかけ離れた所作を見て、爆笑する周囲。

 

 あんさん、まだまだやわぁと酒呑。この美味さが分からない内はまだまだ子どもらしい。そうか、私はまだ子どもなのか、キリシュは何とも言えない感慨深さを覚えた。

 こら、余り無理をさせるものじゃない、こういうものは好きな者だけ飲めば良い。そう言ってキリシュから子どもビールを取り上げ、立香の額を小突くエミヤ。彼は立香と肩を組み、ビールジョッキを掲げるクーフーリンを一瞥し、余り唆すな、教育に悪いと小言。対し青の槍兵は馬鹿野郎、これも漢の通過儀礼だ、と歯を剥き出しにして笑った。

 

 遠くではスタッフがエミヤの食事を口に放り込み、カルデア子ども組がケーキやお菓子に囲まれ笑っていた。ブーディカやアタランテがそんな彼女たちを温かく見守っている。ベオウルフとフェルグスが何処から持ち込んだのか、樽の上で腕相撲を開催しており、それをヘラクレスやエイリーク、スパルタクス等が見守っている。陳宮は呂布の腕を何やら弄りながら茶を啜り、作家組が喚きながら原稿を書いていた。円卓組は静かに食事を行っているものの、その速度は尋常じゃない。特に騎士王、まるで皿から食べ物が消えていく様だ。隣で恭しく侍るベディヴィエールが次々と食事を運んでいた。

 

 皆が皆、思い思いに過ごしている。楽しい時間だ、そんな彼らの姿を通してキリシュタリアはこれまでの旅を思い返した。

 

 恐らく、自分一人ではこれ程の縁は結べなかったに違いない。己の力のみで道を切り開き、この場所がここまで賑やかになる事は無かっただろう。きっと、孤独の中で冷めた紅茶を啜り、いつも通り微笑んでいたに違いない。

 ――『こういう強さもあった』、それは彼と出会えなければ知る事の出来なかった強さ。

 

「キリシュ?」

 

 不意に、隣り合った立香が声を上げた。心なしか、どこか訝し気に。キリシュタリアは微笑みを張り付け、顔を上げた。

 

「……うん? どうしたんだい、立香」

「あぁ、いや……何ていうか、勘違いだったら悪い――キリシュの横顔が、どこか寂しそうに見えてさ」

 

 子どもビールのせいか、頬に桜を散らしながら彼は告げる。それは自分を気遣う言葉であり、彼の優しさだった。キリシュタリアは一瞬言葉に詰まった、寂しい――そんな表情をしていたのだろうか、自分は。

 多分、していたのだろうな。

 けれどは疎外感や劣等感からくるものではない、そんなものと自分は無縁だ。だからきっと、寂しそうな顔をしていたのだとすれば、それは。

 

「いや、何でもないよ――ただ、そうだね」

 

 キリシュタリアは一度口を噤み、言い淀んだ。彼らしからぬ態度だった。そして伏せた顔をゆっくりと上げ、再び食堂を見渡す。多くの英霊が集い、騒ぎ、笑顔を見せるこの場所。きっと、彼が居なければ実現しなかった。そして己がその場の一員であるという、この暖かな気持ち。

 辛く、苦しい旅だった。けれど同時に、得難く、楽しい旅だった。

 

 視線の先に居た、カイニスが視線に気付いた。肉を頬張っていた彼は口元を乱雑に拭い、皿を片手に満面の笑みでキリシュタリアの名を呼ぶ。

 おうキリシュタリア! 一緒に喰おうぜ、この肉、くっそうめぇぞ! なんて。

 

 キリシュタリアは笑って、胸元を強く握りしめた。温かい、暖かい感情だ。目の端から涙が零れそうになった、それをぐっと目を瞑って押し殺し。

 穏やかに、笑って言った。

 

「君達と別れるのが、とても寂しい事だと――そう、気付いただけさ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ぐぅッ――……!?」

 

 痛みで、目が覚めた。

 総じて、今まで感じた痛みの中で一等のものだった。強く拳を握り締め、深く息を吐く。喘ぐように呼吸し、その度に酷い痛みが全身を襲った。

 何があった、何が起こった? 一瞬、混乱し、自分が地面に転がっている事を自覚する。硬い石床には赤黒い血が滲み、じわりと広がっている。出血している、いつの間に? 駄目だ記憶が、覚えがない、自分は確か――カルデアで皆と酒を飲みかわし、美味い料理を食べて、立香と。

 

 そうだ、立香は! 彼は無事なのか!? 

 キリシュタリアは痛みを噛み殺し、立ち上がろうとして。誰かが自分の顔を覗き込んでいるのに気付いた。

 

「おい、生きてんのか、キリシュタリア」

「――カイ、ニス」

「おう」

 

 自分の顔を覗き込むのは、自身の右腕とも言うべきサーヴァント。見慣れた顔だった、彼は感情を殺した瞳で自分を見下ろしている。そこまでして、自身の倒れている場所がカルデアではない事に気付いた。

 暗い空、飛び散った石片、そして――下半身の吹き飛んだ、瀕死の己。

 遥か向こう側に光が見える。そうだあれは――大令呪(シリウスライト)の光。

 

 

 あぁ、そうか――私は。

 

 

 全てを悟った、理解した。あのカルデアは、あの世界は、きっと。

 キリシュタリアは口元を緩めた。血を吐き出し、最早助からぬその体を震わせ、柔らかに笑った。

 

「ふ、ふふっ」

「なに笑ってんだテメェ、締まりのない顔しやがって」

「……お揃い、の、真っ赤なTシャツを、着て」

「あん?」

 

 震える指先で自身の胸をなぞる。ほんの数分前に飲んだ子どもビールの苦みが残っている様だ。尤も、もう血の味で一杯だけれど。それでも、エミヤとタマモの手料理の味は憶えている。

 

「子どもビールを、飲んだんだ、手料理も……日本の、みそ(スープ)、ホットケーキは……焼きたて、で……蜂蜜は、バニヤンが、好きな――」

「……何言ってやがる」

 

「――夢を、見たんだ」

 

 あの七度目の人理修復は、決して叶わない夢幻(ゆめまぼろし)だったのだ。

 

 キリシュタリアは笑っていた。それは、とても楽しい夢を見た幼子の様であった。カイニスはそんな彼の顔を見て、言葉に詰まる。狂った訳ではない、狂人であればこれ程安らかな顔で笑える筈がない。だからきっと、彼は嘘など吐いていない。直感的に、カイニスはそう悟った。

 

 キリシュタリアは、想う。

 彼等、Aチームの皆と歩んだ六度の旅路。その最後にきっと、異界の神ではない、この世界の神でもない、もっと別な、心優しい誰かが用意してくれた――あれはきっと、泡沫の夢だったのだ。

 キリシュタリアはその夢を、大事に、大事に仕舞い込んだ。あの、六度の旅路と同じように。もう取り出せない様、何があろうと色褪せない様。それ程までに、暖かな夢だった。残酷なまでに、素晴らしい世界だった。

 そんなキリシュタリアを見て、カイニスは乱雑に髪を掻き、ぶっきらぼうに問いかけた。きっと彼は否定するだろうが、今にも儚く消え去りそうなキリシュタリアを引き留めようとした、無意識の行動だった。

 

「そんなに、良い夢だったのかよ」

「……あぁ、素晴らしい……夢、だったよ」

 

 呟き、キリシュタリアは不意に血を吐き出す。もう長くはない、自分の体の事だ、直ぐに分かった。か細い呼吸を繰り返しながら、キリシュタリアは宙を仰いだ。余韻に浸るとは違う、ただ最後の最後に素晴らしい夢を見せてくれた存在に感謝した。そして同時に、少し恨んだ。あんな夢を見せられては――もっと望んでしまうじゃないか、と。

 

 もし。

 もし、叶うのなら。

 Aチームの皆が揃い、そして立香という最後のマスターと共に。

 あの、素晴らしい旅路を歩めたら。

 ――どれ程、どれ程楽しい世界であっただろうか。

 

 考えて、キリシュタリアは鼻で笑う。妄言、妄言だ。所詮妄想、所詮叶わぬ夢、幻だ。理解しているとも、分かっているとも。

 けれど、願わずにはいられなかったのだ。それ程までにあの旅路は暖かく、輝かしく、素晴らしいものだった。

 言葉にするのは野暮だ、涙は呑んで胸の内に仕舞うもの。だからキリシュタリアは涙を零さなかった。そっと瞼を閉じて涙を隠した。けれど、胸に燻る強い想いだけは――どうしても言葉にしたくて。

 

「かなうのなら、皆と――世界を救いたかったなぁ」

 

 声は震えていて、涙が滲んでいた。カイニスは今にも事切れそうなマスターを見つめ、唇を噛んだ。やるせない、悲痛な感情が胸にあった。だから思わず、問うた。

 

「……おい、なんかもっと、ねぇのかよ、お前」

「……?」

「言いたい事とか、やりたい事とかあるだろう、もっと言えよ、聞くだけは聞いてやるから」

「――やりたい、事」

 

 問われ、キリシュタリアは定まらない視線で虚空をなぞる。皆で、世界を救いたかった。そこに偽りはない、これはキリシュタリアという人間の本望だから。けれどその先――もし、皆で世界を救えたのなら、その後は?

 その先を夢想し、キリシュタリアは微笑んだ。つい、先ほどまで実現していた理想を、キリシュタリアは楽しそうに語った。

 

「……皆で、お酒を、飲みたい」

「おう」

「美味しい料理も、沢山、食べて」

「おう」

「その後は、他愛もない雑談で、笑い合うんだ」

「……おう」

 

 きっと、カイニスも気に入るに違いない。信じられるだろうか? 私達はあのカルデアの面々と共に酒を飲みかわし、笑い合って、カイニスなぞ両手に肉を持って頬張っていたのだ。それも、満面の笑みで。

 きっと、言っても信じまい。けれどそれで良い、これは自分の中に仕舞い込んだ色褪せぬ(理想)――キリシュタリアは静かに目を細め、眩しそうに宙を見た。その視線に、自身の夢見た光景があるように。

 

「『八度目』の人理修復は、きっと、素晴らしいものになる……誰も欠けず、私の、愛した、親友――と……」

 

 キリシュタリアの言葉が詰まり、呼吸が止まる。最後の意識が流れていく。滾々と失われていく赤色、カイニスは少しずつ瞼を下ろしていくマスターを見つめ、悪態を吐いた。八度目の人理修復という言葉から、彼が今まで何をしていたのか――朧気ながら悟ったのだ。だから尚更やるせなくて、制御できない感情が荒れ狂って、強く拳を握った。

 

「……なにやってんだ、馬鹿、お前ひとりで頑張り過ぎだ」

 

 独りで何でも可能であるからこそ、個人で完結する。誰に頼る必要もなく、誰に縋る必要もなく。力を持つが故の孤高――しかし、キリシュタリアは小さく笑ってカイニスの言葉を否定した。もう笑うだけの力もないというのに。緩やかに、けれど、確りと。

 

「……はは、君にそう言って貰えるのは、嬉しいけれど……それは、違うよカイニス」

 

 私は、ひとりじゃない。

 私一人が、頑張っているのではない。

 そうだ、キリシュタリアは思い返す。泡沫の夢に過ぎなかったけれど、所詮夢幻と消える記憶だったけれど。私も、彼も、サーヴァントの皆も、カルデアスタッフの皆も。そして、『本当の自分』が生きた、この世界でも。

 

「人間は、みんな頑張っているんだよ」

 

 頑張っていない人間なんて、誰ひとりいなかったのだ。

 

 

 

 ――そうだろう? 私の親友(藤丸立香)

 

 

 

「チッ、んなワケあるか、壮大な厭味言ってんじゃねぇぞ、キリ――」

 

 そこまで口にして、カイニスは口を閉じた。

 瞼を下ろし、呼吸を止めた貴人。まるで眠っているかのよう。

 

 カイニスは暫くその場に佇み、それからそっとマスターの頬に手を伸ばした。まだ、暖かい。けれど首元に指先で触れれば、脈はなかった。彼の魂は此処にはない。此処にあるのは既に魂を失くした、キリシュタリアだったものだ。

 カイニスは静かに立ち上がり、宙を見上げた。飛び立つ鳥を見送る様に。

 

「――こいつ(キリシュタリア)に、頑張っている、なんて言わせたんだ」

 

 カイニスは己の得物を小さく振り回し、石突きで地面を叩いた。甲高い音が木霊する、柳の如く静かな闘志がカイニスを包んだ。

 コイツは、最後まで戦った。カイニスという存在が知り得る限り、最も素晴らしい人間のひとりだ。それは、胸を張って言える。

 

 ならば――己はどうだ?

 

 この素晴らしい人間に相応しいだけのサーヴァントだったか? そう堂々と言えるだけの力を見せたか?

 こいつの隣に立つ資格を持っているのは己のみだと――そう断じる事が出来るか。

 

「――あぁ、オレが馬鹿だったよ」

 

 証明しよう――キリシュタリア・ヴォーダイムの隣に立つに相応しいサーヴァントは己のみであると。

 彼をして、『頑張っている』と称された人間に。

 

「行って来るぜ――マスター」

 




 斯くして黄金の鳥は飛び去った。
 事切れた主を背に、稲妻の槍は嘶く。
 嘗て人であった名残を持つ己も又――頑張る為に。
 


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