燃えるような熱い憤怒を抱いたことのある者にしか分からない。ごく普通の日常を歩んでいればその感情を味わうことがないのだから、当たり前である。そもそも“普通”とは何だろう。不自由ない生活を送ることだろうか。それとも冷えた居間を家族一丸となって温めるように談笑に花を咲かせることだろうか。他にもいろんな意見を出した。いや、頭が勝手に出したんだ。よく考えればすぐに思いつく。だって自分が持ってないものを上げればいいんだから。
底の知れない沼のような憤怒を経験した俺は普通じゃないんだから。
その日は本来、清々しいほど青く染まるはずであろう青空や灼熱の赤き太陽は灰色の雲に覆われ、姿を現すことはなかった。そのおかげで、夕暮れの鮮やかな曙色で照らす町の地面も既に闇黒に変えられていた。
いつもは明るい街ですらその状態なのだ。ただでさえ日光の届きが悪い森は暗いという言葉では有り余る暗さである。そんな暗闇は鬼の活動には最適であり、今宵も人を食らおうと動き始めていた。また、その鬼どもを狩りつくそうと気合を入れた鬼殺隊士たちも動き始める。森が戦場へと名前を変えるのはすぐのことだった。
「こんな涼しい場所を独り占めってか。いい趣味してんじゃん」
「ここは俺の餌場だ。鬼狩り」
鳴が話しかけたのは岩の上で肉を口にいれ、美味しそうに頬張る“鬼”に対してだ。おそらく人肉だろう。片手には女性のむごい体が掴まれていた。体といえるのだろうか。すでに原型はない。
鳴の友好的な問いかけに、鬼は高圧的な態度で敵視する。睨むような眼は瞳孔が開いていた。
「まぁまぁ、そんな怖がらなくていいよ。餌場は逃げないからさ。それに餌場を見るのも今日が最後になりそうだから、ゆっくり堪能しな」
「可哀そうだな、最後に拝むのがこんなじめじめした森で。それにお前らの大嫌いな鬼に殺される。名前だけは聞いといてやるよ」
「そう? ここ涼しいし俺は好きだよ? それと、そっくりそのまま言葉をお返しするよ。俺の名前は風巻鳴。君の名前は?」
「ご丁寧にありがたいねぇ、鬼に名前を名乗るなんて物好きだな。生憎、俺はお前らに名乗るような名前は持ち合わせていない」
「常識って言葉知らないのかな? おら、名刺交換とかする時、自分だけ出さなかったらやばい奴扱いされるぜ? うちの職場なんて上下関係厳しすぎるよ……、はぁ、転職したい」
「敵の仕事環境は是非とも聞いておきたいが、早く飯を食いたいんだ」
「奇遇だね、俺も早く寝たい」
軽口や皮肉が言い終わると同時に戦端の火蓋が切られた。
──-潜在(ポテン)能力(シャル)は高いが、技量が追いついていない。
戦闘中に感じた鬼の評価はこうだった。確かにこの鬼は強い。実際、この鬼の跳躍力は並の鬼の物ではなかったし、繰り出してくる一撃一撃はどれも鳴の隙を突くようなものばかりで戦闘経験が豊富なことが推測できた。相手の見ている視線、筋肉の動き、汗の量など些細な変化を瞬時で判断し相手の体力や次に来る技の予測などに長けている。この鬼相手じゃ、確かに階級が低い隊士じゃ相手にならない。柱が駆り出されるのにも頷ける。
だが、足りていない。圧倒的に他の鬼に引けを取っている。おそらくこの鬼は“多くの人間を食らっていない”。
その証拠が“血鬼術”である。かれこれ三十分、刀や拳を交えて戦っているが鬼最大の必殺技といっても過言でもない“決鬼術”をこの鬼は使っていない。鬼は人を食った数に比例して強くなる。そして、人を食らい、ある程度まで強くなると自らの血を武器にできる“血鬼術”が使えるようになるわけだが、この鬼は使ってくる気配がない。加えて言えば、先程から鳴はこの鬼の返り血を浴びている。鬼からすれば絶好の使いどころだ。それでも言えば、使用してこないのはただ、単純に“血鬼術が使えないから”であると鳴は結論付けた。血鬼術が使えないということは人を多く食べていないという証拠にもなる。なお、この先に気合いと感情だけで血鬼術の才能を開花させた少女が現れるのを鳴はまだ知らない。
それはさておき、血鬼術が使えないのであれば話は楽だ。これほどの力があるのは純粋な才能だろう。鬼になってからその才能が開花したか、または元から武道家だったか。真相は謎だが興味はない。この戦いを終わらせることが最優先事項だと、鳴はそそくさに脚の踏み込む力を強めた。
「へぇ、なかなかやるじゃん、俺一応柱なんだよ?」
「うるさい、殺す」
「語彙力なくなってきてない? 今度一緒に国語勉強しようよ! あ、次は来世だから地獄で罪を償ってきてからだね!」
「貴様は天国に行けるとでも思ってるのか? 馬鹿馬鹿しい奴だ」
「君、辛辣だねェェ! お兄さん傷ついちゃったよ」
「そんな小さな体で青年を語るな」
「絶対殺す」
軽口をたたいている間にも戦闘は進んでいく。本格的に体温が上がり、血の巡りが良くなってきた鳴は速さが着々と上がっていく。それは相手の鬼にも伝わっていたようで少しずつ焦りが浮かんでいるのが目に見えて分かってきた。
ここは一気に攻めるのが得策である。鳴は木々を伝って鬼の背後を取ろうとする。当然鬼にも行動の意図はバレており、後ろを振り向く。しかし、鳴の姿は見当たらない。木の物陰に隠れているのだろうか。
「っ!」
鬼の後ろ側から石が投げられる。後ろだけじゃない。左側や右側、前からも。四方八方に鬼めがけて石が投げつけられる。犯人は言わずともわかるだろ。鳴である。鬼殺隊最速は伊達じゃない。流れるように木から木へと移り石を投げてくる。風のようだった。何処から吹き出るか分からない隙間風のような。
鬼の動体視力など遥かに越している。
だからこそ、『一瞬』であった。
その隙間風が嵐へと変わったのは。
「嵐の呼吸 伍の型 疾風の裁き」
どこからか現れ、鬼の頭上を取り隙なく呼吸を繰り出す。一瞬にして放たれる居合技、はどこか慎みを感じさせるように荒い。嵐のような竜巻を上げる中、その竜巻が覆う内部は疾風のように速い鳴の居合が鬼の頸を体から切り離したのを、確認できた。
「フッ……」
灰となり何も残らない鬼は僅かな微笑と笑い声をあげている。
「強くなれよ」
鬼の最後の言葉はまさに武道家を現すような讃え方と励ましであった。その最後は何処か記憶の片隅にある何かと重なった。
こうして確かに鬼を討伐し、任務を終えた鳴は日輪刀を片手に唖然とするだけだった。
鬼の血を被ったままである。
何書いてんだろ、俺…