ロドス生活区画。
朝から夕暮れまで多くの人が慌ただしく行き交い、夜になると切れかけた白熱灯のノイズが聞こえるほど静か。
そんな場所の一角に俺は立っていた。
奥行8m幅6m。バク宙できるほどだった部屋も、厨房と席を置いてしまえば少し狭苦しい。
しかし、やってきたばかりの余所者に充てられるには十分すぎるほどのスペースだ。
「よし、ファサード(店先)はこんなもんかな」
レンガ調のタイルを壁に貼りアンティークランプで照らす。スライド式だった扉をクルビアの前店からもぎ取ってきた木製扉に付け替えて、小窓に着いた汚れを念入りに拭き取り店内の様子が伺えるようにする。
最後にチョークで書き殴った看板を店先に建てる。
『Café:Valentine 本日開店』
:::::::::::
PM8:02
開店してすぐに扉が開かれ、来店を祝す鐘がシャリンと鳴る。
入って近くのカウンター席に座ったのは黒いタイトセーターを着た長身の女性。
長い白髪を肩に掛け、髪の間から黒みがかった角が間接照明の灯りを受けて艶やかに光る
「……煙草を吸っても?」
「ご遠慮を。 下ろしたての店なんだ。吸わせるのは愚痴だけにしてくれ」
「フフ…もっともだ」
「…ご注文は?」
「コーヒー。うんと苦いものを」
彼女は席にあるメニューに目もくれずそう言った。
任せられている。品定めをしているのだろうか。
よし、受けて立とう
「ここは…良い雰囲気だな。私的にはフューチャリズムの取り入れたデザインが好みではあるのだが……なるほどアンティークも悪くない」
「それを言えば、ロドスの中なんてどこも未来的なデザインだ。俺は多忙を極めた研究者達に木調のやすらぎを感じてほしいのさ」
スプーンで計った豆をミルでゴリゴリと削りながら話す。
挽き終えた粉を抽出器に入れ、ゆっくりと加圧し絞り出した濃厚な汁をカップに注いでいく。
沸き立つ芳醇な香りに目の前の彼女は少し興味を向けたようで、頬をついていた右手を置き、さらりと木質のカウンターを撫でた
「どうぞ、エスプレッソだ」
「ありがとう」
彼女はソーサーを受け取ると、すぐにカップに口をつけた
眼を閉じ、蝶が水を啜るようにゆっくりと口元を濡らす。
彼女は味合うタイプのようだ。開店すぐに来たのもよっぽどコーヒーが好きだからに違いない。
「あぁ……いいな、これは」
「お気に召したか?」
「ああ、久しぶりに感じた味だ。やはり店の…人の淹れるコーヒーは違うな」
「お眼鏡にかなったようで」
「ああ、満点だ。…いつもこんな時間に店を開くのか? できれば明日の朝も寄りたいが…」
「研究者にとってはこれからが本番だろう? 俺はそんな彼らをカフェインで奮わせてやりたいのさ」
でも少し考える
「でも、モーニングコーヒーというのも悪くないな。 …このまま朝まで営業するか」
「勘弁してくれ。朝一番に味のおかしいコーヒーは飲みたくないからな」
「はは、安心してくれ。例え寝ぼけてたって最高のコーヒーを作ってやれるさ」
……シャリンと鐘が鳴り、扉が開く
入ってきたのは栗毛色の髪を持つ少女。くんくんと何かを嗅ぐような雰囲気でこちらを向いた。
「いいにおい!」
「ケオベ…?」
目の前の女性が少し不安の混じった声を出す。
少女はとことこと歩き彼女の横に座ると耳をピピと震わせて笑う。
「サリア…おねえちゃん? だっけ。 はちみつクッキーがたべたい!」
「あ、ああ…。ま、待ってろ…ケーちゃん…」
無邪気に笑うケオベと呼ばれた少女を前にサリアは心底不安そうにこちらを向く。
「マスター。 食べ物は無いだろうか?…できるだけ腹が持つもの」
「……無いな。 悪いが開店したてなんだ。 食べ物は用意できていない。だが…」
少し思いついて、紅茶を用意する。
温めたミルクを紅茶に注ぎ、そこへスプーン一杯…いや二杯のはちみつを溶かし込む。
少し大きめのカップにそれを注ぎ、ふわりと香る甘い匂いからか、瞳を爛と輝かせた少女の前に置く。
「はちみつミルクティーだ」
「はちみつ!」
少女は勢いそのままに両手でカップを持ち、一気に飲もうとした。が流石に熱かったか、はふはふと息をつきながらちびちびと飲み始めた。
横にいたサリアも何か心配そうに眺めていたが、やがて安心したのか自身のカップに再び口を付け始めた。
………
「ごちそうさま!」
「おう、おいしかったか?」
「おいしかった! なんだかポカポカして、おいらねむくなってきた」
そう言うと少し落ち着いた彼女はふわりふわりと扉を開け出て行った。
「……彼女の代金は私が」
「いや、いいんだ。開店初日はここのお偉いさんが出してくれるようでね。今日はフリ
―カフェだ」
「ほう、それは良いことを聞いた。研究室に戻ったら仲間にも伝えておこう」
「ああ、是非ともお願いしたい。今はどんどん常連を作らないといけないからな」
「では、私は常連第一号という訳だな。 今後ともサービスを頼むぞ、マスター?」
そう言って、サリアはくっくと笑う。強面の彼女だったが、笑うと女性らしくあどけない。
……
やがてカップを置いた彼女は席を立つ、やや暗めになるように間接照明を配置した店内で彼女が立つと長身で顔が暗く見えにくくなる。腰から伸びるベージュのロングスカートに少しだけ見える足首。その長い脚がコツコツと動き扉へ向かう。
「…では、私はこれで。本当にタダでいいのか?」
「いいさいいさ。払うのはあの仮面を被ったお偉いさんだ」
「ああ、ドクターか。あまり絞ってやるなよ? あれはあれで苦労している」
「こんないい場所を用意してくれた人を無下にはしないさ。彼もここに来れば最高の一杯を用意してやるつもりだ」
「ああ、お前になら可能だろうな…」
「では」と扉から出ていく直前、彼女が振り返る
「そういえば、名前を言ってなかったな。また来るだろうし名前を教えた方がいいだろう?」
「いや、もう知ってるよサリア」
「ん?…あぁ、ケオベが来たときか…。お前は? 何と呼べばいい?」
「あー…コードネームはOranzeだ。…まあ呼びにくいだろうし、“オーレン”でどうだ?」
「オーレンか……。あぁ、また来るオーレン」
そうしてカフェ。“バレンタイン”の扉が鐘と共に閉められた。