戦場に
それでも、救え。
過去との完全な訣別を
その『患者』を見た瞬間に美波が思ったことは――――――『間に合わない』の六文字であった。
美波は国内最悪の独立宗教法人『楽園教』の
人体実験を当然のように行い、化学兵器の研究をし、世界大戦の誘発をすらしようとしていた『最』『悪』の組織。そこで美波は父から直接認められるほどに莫大な貢献をしていた。
それを当たり前だと思っていた。
『彼女』に出会う前は。
「シロちゃんッッッ‼‼⁉」
海賊との決戦準備を進める傍ら、唐突に響いた爆発音。それは船内の空気をも揺るがす勢いで『晴風』を駆け抜けた。爆風で服を羽搏かせた明乃は数瞬の沈黙を経てすぐさま決断した。即ち、甲板に出ることを。
その爆発の原因が
誰か。
それは誰だ?
(口では残酷で冷酷なことを言いつつも胸の奥の『甘さ』は捨てきれていない。……艦長が『何か』を抱えているのは間違いないが、……人為淘汰、いざとなればどうとでもなる、……か)
無論、その『誰か』とは重要人物ではない誰かに違いない。明乃は『晴風』船員全員の前で
つまり、
言うまでもなく、そんな奴のために明乃達が動く理由は無い。
海賊の討伐計画を練っている今、そんな余裕は無い。
なのに、明乃は行くことを選択した。
『優秀な海賊が自分の仕掛けた爆弾の結末を見に行くはずがない。だから今、甲板は逆にセーフゾーンなはず』
そんな無茶苦茶な理論武装をして。
様子を見に行きたい、仲間が心配だから、そんな当然の心遣いすらも歪な理論武装をしなければ出力できない。そういう
彼もそうだったように。
リーダーに必要なのは善あるいは悪に突出したリーダーシップだ。リーダーが全能である必要などない。
明乃はそういう意味で、とても素晴らしいリーダーシップを持っている。
下位の人間には『この人についていけば間違いない』と思わせるリーダーシップを。
上位の人間には『この人を助けてあげたい』と思わせるリーダーシップを。
「……ぅ」
「シロちゃんッ‼ シロちゃんっ⁉ 副長ッッッ‼‼‼」
「下手に動かすな艦長ッ‼ 殺したいのかッ⁉」
ガントリークレーンのすぐ傍でうつ伏せに倒れ伏したましろに駆け寄り、思わずと言った形でましろの身体を揺さぶりかける明乃を怒鳴りつけた。
この濃い霧の中では近寄って詳しく観察をしてみなければわからないが、倒れ伏している人間を揺さぶるなんて愚の骨頂だ。医療知識を持っていない人間が伏した人間にしていいことは一つだけ。強く呼びかけ続けることだけだ。
「退け、艦長ッ!」
呆然とする明乃の腕を掴、
美波の動作が、止まる。
(……蕁麻疹に痙攣動作?)
バッ、と美波は明乃の顔を見る。
長年の感が、幾人モノ『患者』を扱ってきた『人間のスペシャリスト』としての感が、
瞳が交錯する。
その中にある、深い……闇。
「ッ⁉」
それは、典型的な
「ぁ、あぁ、ぁああぁああああああああああああ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛っっっっっ‼‼‼‼‼」
「明乃ッ、私の目を見てっ‼」
『失敗した』、その後悔が美波の胸を渦巻く前に多少は動けるようになった芽依が動いた。芽依は明乃がこういう風になるのを何度か見ている。幼き頃、両親を喪ったトラウマ。そこから生じたいくつもの精神の病、人間不信。落ち着かせられるのは芽依くらいなものだ。
美波の瞳を見て訴えかける。
禁忌肢は『殺したいのかッ⁉』という言葉。
それは平素であれば何の問題も無い言葉だったけれど、この追い詰められた状況では禁忌の言葉だった。
だって、表には出していなくても明乃はとっくに限界を超えているのだから。
「明乃ッ!」
「っ」
両頬を手で挟んで無理矢理顔を上げさせる。瞳をしっかりと見つめて勝機を取り戻させる。それは慣れた行い。二人の付き合いの深さ。
「明乃、落ち着いて……ゆっくり呼吸をして…………、そう……大丈夫……まだ
「はっ、はぁーっ! はぁっーっ、はっ、ひひっ!」
過呼吸気味な明乃を落ち着けさせようと動く。それは真に『友人』である芽依だからこその動作。過去は、決して変わらない。未来は、決して望みどおりに紡げない。それでも、……求めたモノがたった一つの理想であるのならば、
それでも、
『私を――――――殺して』
それでも、
芽依は。
「みなみさん! 副長はっ!」
「大丈夫だ! 死んではいない!」
「ねっ、明乃……だから大丈夫。ゆっくり、落ち着いて呼吸して、……明乃ならできるよね」
「っ、芽っ、……依…………っ」
僅かな逡巡の末、美波は明乃ではなくましろの診察を先にすることにした。瞬間
その判断は正常だった。
少なくとも、一面的には。
ましろの身体の極至近距離まで顔を近づける。
「呼吸音正常、意識無し、脈拍低下、瞳孔左右差無し、対光反射あり……至近距離で爆発を受けたことによる意識喪失。……野間、背中と首下に腕を通してゆっくりと副長を仰向けに起き上がらせてくれ」
「分かった」
迅速に、しかし確実に診察を続ける。場合によっては残酷な判断をしなくてはならないかもしれないから。それを……艦長に言わせるのはあまりにも酷かもしれないから。
口を開け、携帯している小型ライトで喉奥を照らす。右側頭部からの出血あり。なお失血死には至らない程度。耳の中をライトで照らす。
「……気道熱傷及び外傷性鼓膜穿孔。……この程度なら死にはいたらない」
軽く頭部の出血部分を触診する。
血流が停滞している感覚は……無い。
「頭部の挫傷と裂傷は見られるが軽度、……急性硬膜下血腫の可能性……、
「ぅ、……っ」
「艦長、判断できるか?」
「……大丈夫だよ、衛生長。……だいぶ、おちツいたから」
芽依に肩を貸してもらいながらもなんとか落ち着いた様子の明乃に美波は判断を仰ぐ。どれだけ消耗し、憔悴していようが明乃は『艦長』だ。当然、直上に判断を仰ぐ必要はある。
無論、間違った意見が出たならば反論はするが。
「衛生長としては副長を船内の適当な一室に寝かせておくことを提案する。甲板に放置しては外に放りり出される危険性もある上に気温低下による凍傷の危険性もある。できるならばどこかのベッドに寝かせておきたい」
「確認するけど、直近で命の危険はないんだよね」
「無い。脈拍、呼吸、瞳孔反応に異常はなく、触診でも重篤な結果は見られなかった。西之島新島まで十分にもつ……無論、私達が海賊に勝てる前提で、だが」
「…………衛生長の進言を受け入れます。副長は艦内の一室に退避させます。……野間さん、背負える?」
「問題ない。……っと」
ファイヤーマンズキャリーでましろを背負い、マチコは船内に進む。扉を開けてすぐの場所に部屋が一つある。ましろはそこに寝かせればいいだろう。
そのマチコの服を、明乃がつまんだ。
「……艦長?」
マチコに呼びかけに明乃は答えない。ただ、一点をじっと見つめている。
一点。
ましろの、指。
人差し指。
一刺し――指。
「人差し指を――曲げている?」
笑みが零れた。
笑えて仕方がなかった。
鉤型の人差し指。
それが意味するモノはたった一つ。
「……『窃盗』…………っ、はは、……最高すぎるでしょ、副長……っ!」
なんてご褒美だ。
なんて遺言だ。
もちろん、明乃はましろを『下』に見ていた。客観的に見ても明乃とましろではましろの方が上だ。それは事実。
だけど、ましろは遺した。
最後のメッセージ。
最高のメッセージ。
「海上で窃盗を意味するメッセージを残すってことは、それが意味することは一つしかない」
一つ。
繋がる。
青い、闇が。
「私が、間違ってた」
呟きのボルテージが上がる。
誤解が解ける。
なぜ?
その謎が、解明される。
「私が、間違ってたんだ……っ!」
深い、濃い、霧の中で、
独りの少女が一つの答えを導き出した。
あまりにも遅すぎる、応えを。
「
「
そして、会敵。
故に、決戦。
「終わらせよう、みんな」
「どうやら僕もまた、真実を知らない愚者のようだ」
深い、深い霧の中。
対峙するは少女達と歴戦の兵士。
刻一刻と迫る決着の時を前に、
第三の悪意はただ、嗤っていた。
今話のサブタイトル元ネタ解説!
病院において容態が急変した患者が発生した際に使用される隠語。
宗谷ましろはここで脱落です。
ですが彼女は最後に最高のメッセージを残しました。
それを活かせるかどうかは、明乃次第。
感想、高評価、ここ好きをいただけますと大変やる気が湧いてきます!よろしくお願いいたします!!!
表紙絵の感想は?
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素晴らしい!
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特にない。