一昔前までの私の朝の日常。
『おはようございます! 涯梨五席!』
『やあおはよう、みんな。今日も良い日だね』
『はい! 朝から五席とお話出来るなんて、最高です!』
『おや、褒めても何も出ないよ』
『ちょっと! アタシが話してたのよ!』
『おやおや、喧嘩はいけないよ?』
『はーい!』
アハハ、ウフフ。
まぁこんな感じだった。
そして今の私の朝の日常はというと──
「今日も可愛いね砕蜂たんあべし!?」
「おはようございます、涯梨五席」
「ぐ……ぐふぅ、そんな他人行儀ぶらなくても、私のことは気軽にジンたんとでも呼んで構わないのだよ? 照れ臭いならハッたんでも良いよ?」
「申し訳ありません。朝から害虫を見て気分を害しましたので先に行ってもよろしいでしょうか?」
「むっ、砕蜂たんの気分を悪くするとはとんでもない虫だ! いよぅし、私が懲らしめておこう! では砕蜂たん、またね!」
「……失礼します」
慇懃に頭を下げて立ち去る砕蜂たん。
入隊直後の砕けた口調ではなく、隊士として礼節を弁えた言葉遣いは素晴らしい。
流石は代々隠密機動第一分隊『刑軍』に一族の者を送り出してきた蜂家の人間である。
笑顔で手を振りながら砕蜂たんを見送った後、私は腰に下げていた斬魄刀を抜き放つと己の首筋に押し付け、勢いよく引き下ろ──
「ちょっとちょっと、何やってるんスか尽八サン!?」
そうとしたところ、強引に刀を奪われた。
「返してください浦原三席! 私は、私は砕蜂たんに嫌な思いをさせた害虫を殺さねばならんのです! 具体的にはこの私を!!」
「害虫!? ちょ、一旦落ち着きましょう尽八サン!!」
朝っぱらから大の男二人が息を荒げながらもつれあうというこの世(あの世?)の地獄のような光景を繰り広げた後、なんとか冷静さを取り戻した私と私を止めた男性────二番隊第三席、浦原 喜助さんは、隊舎横の長椅子に腰掛けた。
「つまり、砕蜂たんは朝から麗しくてたまらないということなのです浦原三席」
「冷静になってませんよね尽八サン」
そんな小粋な冗句も交わしつつ、私はため息をつく。
「……一体。何故こうなってしまったんでしょう」
「いきなり冷静になられるとそれはそれで対応に困るんスけど」
「かつての私は、由緒正しい貴族・涯梨家の若様、容姿端麗な秀才、先達に愛され同輩に頼られ後進に憧れられる理想的な護廷の隊士でした」
「よく自分のことそこまで褒められますね」
「それが今や、女性隊士には毛虫かゴキブリの如く蔑んだ目で見られ、男性隊士には恐れとドン引きの籠もった目で見られ、部下達からは目も合わせてもらえない嫌われ者……ふふっ、今の私と対等な立場で仲良くしてくれるのは、喜助さん、貴方くらいのものです」
「内容の割には余裕ありますね、尽八サン」
「……ですが一番の問題は、正直そういう目とか心底どうでも良くて、砕蜂たんの朝ごはんの献立の方がよっぽど気になる私の心構えです」
「蛆虫の巣、まだ空きはありますよ尽八サン」
ふぅ、と、再度物憂げなため息をつく私。
「砕蜂たんのふんどしになりたい……」
「最近愉快な人になってきましたよね、尽八サン」
私の切実な祈りにちょっと身を引いた浦原三席は悪くない。悪いのは全て私なのだろう……。
「ほら、そろそろ仕事に行きますよ尽八サン。今日は朝から夜一サンに呼ばれてるんスよね?」
「行きたくない……このままずっと砕蜂たんの足の感触を思い出していたい……」
「少しは真面目に働かないと本当に蛆虫の巣に送られちゃいますよ?」
「それは困ります。砕蜂たんに会えなくなってしまう」
仕方ない。ここは真面目に働こう……。
そのまま喜助さんに引き摺られるように隊首室に連れ込まれた私は……。
「異議申し立てをさせて下さい」
「却下じゃ。ちなみに弁護士も弁護側証人もおらんからの」
「司法は死んだ!!」
入って早々、隠密機動総司令近衛部隊にふん縛られて床に転がされた。
君ら、ちょっと前まで同僚で現在は上官に当たる私への敬意とか無いのかい? 無い? 軍団長閣下の意見が常に最優先? ちゃんとわかってて偉い。
そしてそんな私を見下ろす褐色の快活そうな女性と何十年か現世の先取りをしてそうなヤクザと胡散臭い金髪。
もとい二番隊隊長、四楓院夜一さんと同副隊長、大前田希ノ進さんと同第三席、浦原喜助さんの三名。
え、リンチ? リンチですか?
「呼ばれた理由はわかっておるな?」
「砕蜂たんへの愛は止まりません」
「……。話が早くて結構じゃな」
一瞬夜一さんの頬がヒクついたけど怯まんぞ私は。
「個人の恋愛にまで上官が口出ししないで頂きたい。ただし砕蜂たんへの行き過ぎた好意の表現及びそれに付随する隊務の怠慢を隊規として処罰すると言うなら甘んじて受け入れます!」
「こいつ、開き直ってやがる……!」
希ノ進さんの差し金だなこれは。サシ飲みの時の態度で更生の見込み無しと踏まれたか。それなら檻理隊隊長の喜助さんが同席しているのも納得だ。
「勘違いしておるようじゃから言っておくがな、儂等は何もおぬしを今すぐ蛆虫の巣送りにしようと言っているわけではない。じゃが、物事にはケジメというものが必要じゃろ?」
除隊とか一切ボカさず蛆虫の巣送りって言ったこの人! いや、内情知ってるから隠さなくてもいいけども。
自分だってサボり魔のくせに、とは思っても口に出さない賢い私。
「おぬしとはおぬしの入隊以来の付き合いじゃが、色恋沙汰にうつつを抜かすような男でも、それを理由に仕事をおざなりにする男でもなかったと儂等は思っておる。……何故、砕蜂にだけそうも執着する?」
「……そんな、改めて聞かれると恥ずかしいんですけど」
「普段のお前の素行より恥ずかしいもんはそうそうねえだろうがよ……」
頬を染める私に酷い言葉を浴びせかける希ノ進さん。
しかし、ここは正直に話しておくべきだろう。
「何故、と言われても、本当に一目惚れなんです……。強いて言うなら、あの眼でしょうか」
「ほう?」
「こう、なんというかですね……彼女の家って代々刑軍輩出してる蜂家でしょう? まぁ小さな貴族家系だとそういうのチラホラありますけど、そういう子達って結構冷めた眼してる子が多いのですよ。仕方なく、とか嫌々、とかではないんですけど、自分が果たすべき役割としては誇りを持ってるけどそれ以上でもそれ以下でもない感じと申しますか……。まあそれはそれで立派なことではあるんですけど、外様の私からしますと少し萎縮してしまうところがあるんですよね。そんな中で彼女は、蜂家の人間として、一族の誇りとして以上の気構えをその眼に宿してるというか、畏敬とか崇拝とかそういう類のものだと思うんですけど、すごくキラキラした光が宿ってて、彼女自身の熱みたいなものを感じて眩しいんですよね。特に私のように、本家の指示でやりたくもない危険任務に従事させられてる身からすれば、彼女の在り方そのものが尊くて尊くてもう一目見ただけで心洗われると申しますか……。あともちろん容姿も可愛らしいですよね。愛らしい顔に浮かぶキリッとした表情もちょっと困ったような顔もどちらも素晴らしい。小柄だけど芯を感じる肉体は肉付きの薄さすら魅力ですし、立ち方からは彼女の鍛錬と素質を感じます。そう、素質も素晴らしいですね。もちろん油断してたとはいえ入隊直後に私に受け身も取らせず投げ飛ばす技量、普段の鍛錬でも打撃も鋭く、バランス感覚も良い。ちゃんと鍛えれば夜一さんに匹敵する白打の使い手になると思いますよ。あぁ。彼女に蹴られると鋭い痛みが走ってですね、私は被虐趣味は無いので正直辛くもあるんですけどこの痛みが彼女を育てる糧になっていると考えるとそれだけで私は! 私は!! もうたまりまモガモガモガ」
「わかった。もうわかった。いったん黙れ」
あと一時間くらい語っていたかったのに、強制的に口を塞がれた。
なんたる理不尽。恥を忍んで己が心中を吐露したというのに。
不満の意を込めて夜一さんを睨むと、すごく疲れた顔でシッシッと手を振られた。
「色々説教するつもりじゃったが、正直今の話聞いてるだけでもう疲れたからのう……。今日のところは己の執務室に戻れ。あと、あまり新入隊士を困らせるでないぞ」
「モガ……」
猿轡を噛まされたまま、渋々頷く私。
こう面と向かって迷惑をかけるなと言われると、改めるつもりがあるかどうかはともかく申し訳なさは感じてしまう。
仕方ない。今日一日は砕蜂たんに会わないようにしよう。
会えばまた理性を忘れて彼女に求愛してしまうからな……。
私は悲痛な覚悟を胸に抱く。
拘束を外された私は、一礼して隊首室を後にするのであった。
しかし隊首室、なんか妙に幸せな気配を感じたな……。まるで砕蜂たんが近くにいる時のような気分だった。
涯梨尽八が退室した後の部屋で、二番隊首脳陣は大きなため息を吐いた。
「まさかあのクソ真面目じゃった尽八が、ああもおかしくなるとはのぅ。恋愛沙汰とは恐ろしいもんじゃな」
「あれはアイツが変態なだけだと思いますよ、夜一さん」
隊長と副隊長が困ったように顔を見合わせる横で、喜助が手を上げる。
「あのー、それより、あの子呼ばなくていいんスか?」
「おぉ、忘れるところじゃった。おおい、入って良いぞー」
パンパン、と夜一が手を叩くと、天井の板が外され一人の死神が降りてきた。
件の変態、尽八に付き纏われている新入隊士、砕蜂その人だ。
尽八に説教をする傍ら、砕蜂が目の前におらず比較的以前までの正常な人格に近づいた状態を見せることで、ただの変態ではないと釈明するつもりだったのだが……結果として、彼女に付き纏う変態の気持ち悪さを再認識させる結果になってしまった。
怒ってるような困ってるような疲れてるような曖昧な表情を浮かべる彼女に向かって、夜一はガバッと頭を下げた。
「すまん! 奴にも多少まともなところがあるとわかれば、おぬしも気が楽になると思ったんじゃが……」
「そ、そんな! 軍団長閣下が頭を下げる必要などありません!!」
夜一の謝罪に、大いに慌てる少女。彼女からすれば、変態どうこうよりも敬愛してやまない四楓院夜一に頭を下げられる方がよほど大事なのだから。
ワタワタと手を動かす砕蜂に、希ノ進も声を掛ける。
「まぁもしアイツがあんまりにも目に余るようなら、キチッと処分は付けるとして……配置換えは、お前の家柄じゃあ難しいからなぁ」
「い、いえ、問題ありません! 軍団長閣下の下で戦えるのです! 多少の妨げなど気にもなりません!」
「妨げ……いやまぁ、そうとしか思えんわな」
曲がりなりにも惚れた相手に妨げ扱いされる部下にほんの少しだけ同情はしつつ、希ノ進は思い出したように続ける。
「そういやお前さん、今日は午後から流魂街での任務だったか。このまま行けるか?」
「ハッ! 問題ありません!」
「うし、じゃあ行ってこいや」
先程までの戸惑いを消して、隠密機動らしい、感情を殺した戦士の顔を浮かべる砕蜂。
その様子を見て大丈夫そうだと判断。少女を送り出す。
そして三人に戻った部屋で再びため息を吐いた。
「いやー、思った以上に重症っスねぇ、尽八サン」
「笑いごとじゃねえぞ……隠密機動の分隊長が私情で仕事に差し支えるとか前代未聞だ」
「かといって尽八の奴を動かそうにも、理由が理由じゃからなぁ。奴が態度を改めんのなら、十一番隊くらいしか受け入れてくれそうにないのう」
割とドライに第五席を飛ばす算段を話し合う二番隊首脳陣。
仕事をサボること自体は隊長である夜一がそもそもサボリ魔ではあるが、流石に直接的に隊士に被害が出ては呑気に見てもいられない。
入隊以来まじめに積み重ねてきた信頼故に数日は様子見をしてきたが、流石にこれ以上は隊に悪影響を及ぼしかねない。
「とにかく、しばらくは尽八と砕蜂を接触させんようにして様子見じゃな。奴があまりに態度を改めんようなら、その時は正式に対処せねばなるまい」
頷き合った三人は、とりあえずどのように尽八を砕蜂と隔離するかを簡単に話し合って、各々の業務に戻るのであった。
しかし、この話し合いは結果として意味を持たなくなる。
この日の斥候任務に参加した刑軍軍団員は新人、古参合わせて十二名。
──その全員が、流魂街にて消息不明となった。
砕蜂隊長をもっと書きたい。