砕蜂は最初、その人物が誰なのかわからなかった。
この数日で嫌というほど聞かされた猫撫で声。
この数日で嫌というほど見せられたニヤケ面。
隠密機動の一員に相応しいとは毛ほども思えない、みっともない男。
目の前の彼はそんな姿とは全く違った。
どこまでも暗く沈んだ声。
値踏みするような冷徹な瞳。
まとう霊圧に一切の乱れはなく、湖面のように静かに──同時に、大海のような底知れなさを感じる。
だから砕蜂は、わからなかった。
しかし砕蜂が呆気に取られていても事態は動く。
彼に殴り飛ばされた虚が怒りに身を震わせながら飛びかかってきたのだ。
背後からの奇襲に砕蜂が警告を告げるより虚の動きは速く。
────彼の反応は、更に
「
静かに告げた一言で、虚の全身が燃え上がる。
『ギィィィィィ!!?』
予想外の反撃にバランスを崩し、巣の上を転げ回る虚。
しかし彼にとってもこの結果は予定外だったようだ。
「
だが、と拳を固める。
「
トン、と軽く足踏みをした直後、その姿がかき消える。
死神の高等歩法『瞬歩』──それも、砕蜂の目でも追えない疾さ。
一瞬で虚の目の前に躍り出た彼だが、虚もただではやられるものかと足掻くように、遮二無二に粘性の糸を撒き散らす。
彼が咄嗟に空中で霊子を蹴り距離を取った隙に、虚は次の一手を打つ。
捕らえた死神の一人──砕蜂と同じ班の新人──を手元に手繰り寄せたのだ。
『ギギィィィ……』
「……人質か。小賢しいな」
表情があれば、いやらしく笑っているかのような耳障りな鳴き声。
大方、仲間を盾にすれば彼が手出しできないと思ったのだろう。
──だが、それは無駄だ。
『仲間がやられたら好機と思え。間に入るな。後ろから刺せ』
蜂家の教えであると同時、隠密機動に綿々と受け継がれてきた理念。
我等は、己の命を惜しまないように仲間の命も惜しまない。
人質など取ればむしろ動きの妨げになるのは虚の方。
あの新人隊士ごと虚を倒してお終いだ。
砕蜂は彼の勝利を確信した────直後、信じられないものを見る。
「降参だ」
ばんざーい、などと軽く言いながら、両手を上げる尽八。
あまつさえ、手甲と化した斬魄刀を自ら蜘蛛の巣に絡めているではないか。
「そら、これで私の手は動かんぞ。安心だろうってうお! ……ばっちいな」
ふざけたことを言う尽八に向かって粘性の糸を飛ばす虚。
あっという間に、彼は両手両足を蜘蛛の巣と繋がれてしまった。
「ばか、な……! なにを、しているのですか、あなたは!?」
思わず声を荒げた砕蜂に一瞥もくれず、尽八は続ける。
「ここまでやらせてやったんだ。さっさと彼を放してもらおう」
「ギィィ……」
糸は巻きつけたまま、新人隊士を蜘蛛の巣に掛け直した虚は、そろりそろりと尽八に近づいていく。
先程の謎の火炎攻撃を恐れるかのように、慎重に。
それを見た尽八は、呆れたように続ける。
「護廷十三隊のお膝元に巣を構えておきながら、大胆なのか臆病なのかわからん奴だな。……どれ、お前が更に安心できるよう、私の斬魄刀の能力でも教えてやろう」
言葉を理解する知能があふかも怪しい虚相手に呑気な調子で語る。
そのあまりに無防備な態度が、かえって虚の警戒を掻き立てているようだった。
「私の『燻灯』は炎熱系の斬魄刀なんだが面倒な奴でな。攻撃にわざわざ一手間掛けねばならんのだ」
糸に包まれた腕を軽く揺らしながら。
「まずこの手甲で一撃を入れる。直撃でも良いし防がれても良い。なんなら掠めるだけでも構わない。とにかく相手に接触さえすれば、その瞬間、手甲を通して私の霊圧を相手の体内に潜り込ませる。後は合図一つで好きなタイミングで相手を内側から焼き殺せる」
ぐるぐる。ぐるぐると手を回し。
「この時の火力は注ぎ込んだ霊圧の量によって変わってな。そこらの雑魚虚なら打撃一発分の霊圧で十分なんだが、貴様のように多少強い相手だと二、三発殴る必要がある」
だが、と腕の動きを止め。
「実は触り続けるだけでも少しずつなら霊圧を注ぐことが出来る。例えば────今みたいに」
瞬間、砕蜂達を拘束していた蜘蛛の巣全体が発火する。
その炎は、囚われていた砕蜂達には何の熱も与えず、一瞬で蜘蛛の巣だけを焼き尽くした。
直後訪れる浮遊感。
彼女達を磔にしていた巣が焼却されたことで、身体が宙に投げ出されたのだ。
未だ身体を蝕む虚の毒と、霊力を喰われたことによる疲労によりまともに動かない身体が大地に引き寄せられ────
「おっと」
尽八は、その全ての人々を一人一人空中で抱き抱え、丁寧に地面に寝かせた。
まるで分身したかのような早業。
そのついでのように、彼は仕込みを終えていた。
「さて、終わりだ」
突如巣を焼き払われ、未だ地面に到達すらしていない虚に彼は声を掛ける。
「人質の救出ついでに、貴様を
つまり。
「点て、『燻灯』」
真紅の炎が、その身を焼き尽くした。
「うん……衰弱はしているようだが、命に別状は無さそうだ。妙な虚だったが、そのおかげで助かったな。なんらかの麻痺毒を使われたみたいだが、こっちは四番隊に任せるか……」
虚の討伐後すぐ、尽八は衰弱著しい流魂街の住人や重傷を負った先輩隊士の容態を確かめていた。
ブツブツと漏れ聞こえる内容から察するに、どうやらあの虚はよほど大事に大事に食糧を残しておきたかったらしく、死人はいないようだ。
安心したように気を緩める姿は、先ほどまでとはまた違う、緩い笑みを浮かべいる。
横たわりながらそれを見ていた砕蜂は、つい、口を開いてしまった。
「涯梨殿……貴方は」
「砕蜂たんどうしたんだい。君から声を掛けてくれるなんて初めてじゃないか。いや、さっきの戦闘中も声をかけてくれていたね。もちろん気付いていたとも。無視したわけじゃないんだ、あそこで私が砕蜂たんに反応するとあの虚の注意が君に向くかもしれないと思ってあえて応えなかったんだ。ああ、苦しかったとも。悲しかったとも。この胸が千に万に引き裂かれるような痛みを覚えたとも。君の言葉に応えないなんて!! いや、そんな私の都合はどうでもいいか。なんだい何か聞きたいことがあるのかい。ああ! 何故私がここにいるのか知りたいんだね。あれは昨夜のこと、私が溜まりに溜まった仕事を消化していたら廊下の方から君達が帰還していないというじゃないか。捜索も難航していると聞いてね、即座に仕事投げ捨てたよ。そのまま砕蜂たんの救出に向かいたかったんだが何せ私は勝手に動いてるわけだからね、瀞霊廷から流魂街に出るだけでも大変だ。何せ通行証が無いと通れないからね。そこで私は友人が門番を務める西の門、白道門から出させてもらったのさ。そこから夜通し走ってこの東流魂街まで尸魂界半周した後、君達を捜索する他の二番隊隊士の目から隠れつつ君達を探していたら、砕蜂たんの霊圧をビンビンに感じる蒼火墜の光が見えるじゃないか。ピンときた私は全速力で駆けつけて今ここに居るというわけさ! あぁ、砕蜂たん、私を許しておくれ。もっと早く着いていれば君を長く苦しませることも傷つけることもなかっただろうに!」
直後に後悔した。
戦闘中まともに見えたからついうっかりしていたが、この男、頭がどうにかなっていることを忘れていた。
正直言葉の洪水過ぎてほとんど聞き取れなかったが、この男、また仕事を投げ出したとか言っていなかっただろうか。
こんな男が五席で大丈夫なのでしょうか、軍団長閣下。
即座に汚物を眺める目に切り替えた砕蜂に、なおも言い募ろうとする変態の目と鼻の先に降り立つ影が一つ。
「やかましいわ貴様!」
「ぐぺぇ!?」
二番隊隊長にして隠密機動の総司令官、四楓院夜一様その人だ。
「なんで! 執務室で! 仕事してるはずのおぬしが! こんなところにいるんじゃ!」
「ぐふぅ! げはぁ! ガプッ! おぷふぁ!?」
腰の入った一撃で変態を沈め、そのまま馬乗りになって追撃を掛けるその姿すら麗しい刑軍軍団長閣下は、一通り狂人を殴って気が済んだのか、晴れやかな顔で振り返った。
「さて、皆……救出が遅れてすまんかったの。急ぎ四番隊に搬送する。悪いが、もう少し辛抱してくれ」
そして彼女は砕蜂の前に膝をつくと、質問をしてきた。
「儂等も破道の光を目印にここを見つけたんじゃが……あの阿呆が言うには、おぬしが撃ったそうじゃの?」
「は……ハッ!」
震える声で返答する砕蜂に、夜一はニッと笑うと少女の頭をグシャグシャにかき混ぜる。
「よぉ頑張った。やはりおぬしは見どころがある。励めよ、砕蜂!」
「ッ…………! はい!!!!」
そしてそんな上官に、歓喜のままに全力で応える砕蜂。
ここに、彼女の忠義と思慕はさらに深まった────。
そんな、少女達の麗しいやり取りの裏で……。
「回道を……回道を掛けてください……」
「尽八サン……ほんと、何やってんスか……」
一人の死神が上司の暴力により死にかけていたが、まぁ大した話ではなかった。
──数日後。二番隊隊舎前。
「クスクス。なにあれー」
「恥ずかしいー」
道行く人々の好奇の目線が癖になりつつある、涯梨尽八です。
今の私の状況を端的に説明しますと、隊舎前の歩道に置かれたちゃぶ台に正座で向かいながら、こないだ投げ出した仕事を処理しているところである。
ちなみに背中には、『わたしはしごとをサボりません』と書かれたノボリを背負っています。
数日前の事件、また仕事ほっぽりだして流魂街まで脱走した件の罰がこれだ。
一周回ってご褒美にすらなってきた羞恥責めだが、それも仕方無きこと。
結果として私が一番乗りで隊士達を助けたものの正直砕蜂たんの蒼火墜を見た夜一さん率いる捜索隊がすぐに到着していたはず。私のやったことは、かえって現場を混乱させる恐れすらあったのだから。
ハァ、それにしても周りの視線が辛い。四番隊の救護詰所に入院中の砕蜂たんに会いたい。癒されたい。
「……何をしているのですか、貴方は」
「懲罰中だとも……ってそそそ砕蜂たん!?」
目、目の前に砕蜂たんが!? ついに私、仕事中にも幻覚を見るようになったか!?
「……以前から思っていたのですが、その『たん』という呼び方はやめて頂きたい。酷く不愉快です」
このクールな感じ、間違いなく本物! 退院できたんだね砕蜂たんおめでとう! いやそれよりも早く返事を!!
「ごめんよ砕蜂たン゛っ、ン゛ン゛! いや、砕蜂ちゃん……さん……様……閣下……?」
不味い。敬称変えるたびに砕蜂たんの機嫌が悪くなっていく。ど、どうすれば……!?
「砕蜂で結構。……貴方に、聞きたいことがあります」
「なんだい!?」
なんでも聞いておくれ! 涯梨尽八、独身! 彼女募集中! 好みのタイプはー、きゃっ、本人の前で恥ずかしくて言えなーい!
「……何故、一度虚に捕まるなど、余計な危険を冒したのですか? 貴方なら、あの虚が特殊な個体だとわかっていたのでは?」
あ、お仕事の話なんだね……。
しかし何故、と言われても……。
「あの虚は確かにそれなりに強力だったけど、せいぜい
「もし奴が初手で拘束ではなく、攻撃を行っていれば? 貴方もただでは済まなかったはずだ」
「一撃くらいなら、耐えてみせるさ。なんせ最近はやたら強い女性陣に殴られ慣れてきたからね!」
冗談めかした言葉に、砕蜂た……さん?の眉間のシワが深くなる。そんな顔も可愛い。
「……『仲間がやられたら好機と思え。間に入るな。後ろから刺せ』。貴方も隠密機動ならば、この言葉は知っているはずだ」
「……その言葉はこう続くね。『それすらできぬ程、敵との力量が隔たっているならその場で仲間は見殺しにしろ』。つまり、敵との力の差によっては、臨機応変に動いてもいいということじゃないかな?」
「都合の良いこじつけだ! 余計な危険を負い任務遂行を危うくするなど、やはり貴方は……!」
私の言葉に怒りを見せる砕蜂……ちゃん。
実際、曲解と言われればぐうの音も出ない。でも彼女のように幼少期から隠密機動の心得とかを叩き込まれたエリートと違って、私、四番隊志望だったし……隠密機動入りは本家の指示だし……。
ともかく、どちらが正しいかと言えば隠密機動においては彼女が正しい。
「君に押し付けるつもりはないよ、砕蜂。私の甘えが気に障ったなら謝ろう」
入隊間もない私にこの言い訳用意してくれたのあの人なんだけど────
「夜一さんの教えでも、全てが正しいわけではない」
「素晴らしい解釈だと思います!!!!」
!?
「隊士の犠牲を出さずに済むならば、長期的にはその方が組織の利になります!! 流石は軍団長閣下!!!!」
あ、この子思ったより愉快な子だな? ますます好き!
ひょっとして私のこと心配してくれてるとか思ったけどたぶん普通に私のこと気に食わなかったのかな! たまらないなぁ!!
晴れやかな顔で夜一さんの素晴らしさを語っていた砕蜂殿だが、一層愛を深めて温かな目で見守る私に気づくと、顔を赤らめてわざとらしく咳払いをした。
「コホン……そういうことでしたら、これ以上私からは言うことはありません」
「ん……それじゃあ、またね、で良いかい?」
名残惜しさを隠そうともしない私に、砕蜂様は少し逡巡してみせた後、言いづらそうに口を開く。
「……今までの貴方への態度を詫びるつもりはありません。今でも貴方のことは気持ち悪いと思っていますし、付き纏われることは鬱陶しいと思っています」
「……まぁ、当然だね」
辛いけどね!!!!
「……ですが、貴方を軽んじていたことも確かです。斬拳走鬼、その全てにおいて、貴方から学ぶものは多くある……出来れば、今後の組手では、手を抜かずに立ち合って頂きたい」
!?
そ、それはつまり……!?
「その……君と接しても……良いってことだろうか……?」
砕蜂は目を背けたままだったが。
確かにコクリと頷いた。
よっしやあああああああああ!! お触り許可祭りじゃあああああああああ!!
「それからもう一つ」
執務机(ちゃぶ台)をひっくり返して喜びを示そうとした私を遮るように、砕蜂ちゃまからまだ何かあるようだ。
「結果的には、貴方の行為は全くの無駄でした。貴方が居なくとも、軍団長閣下率いる部隊が救助に間に合っていたはずです。ですが…………」
「助けて頂き、ありがとうございました」
小さな声でボソリと。
不服そうに。無念そうに。顔は背けながら。
それでも、その声は私に背いた。
言うべきことは言ったとでも言うように隊舎に入る砕蜂。
それを見送って私は……私の、心臓は……────
「うーっす。尽八ちゃんよぉ、大前田副隊長様がサボってないか見に来てやったぞーって、おい、寝てんなよったく仕方ねえなあ。おい、起きろ、おい。……………………し、しんでる」
※その後、四番隊に担ぎ込まれ、無事蘇生しました。
──とまぁ、そんな感じで私はカッコよく砕蜂隊長をお助けしたわけだ。
──今考えれば、あの蜘蛛型虚は藍染の改造虚の一環だったのかもしれないね。
──なに? 『戦闘描写盛りすぎッスよ。絶対もっと気持ち悪い感じだったでしょ』?
──希千代くんふっざけんなよお前! 違いますー! ちゃんとカッコよく決めましたー!
──あ、砕蜂隊長! ねぇ隊長! あの時わたしカッコよかったですよね!?
──『覚えてない』? 嘘だ、ほらあの時ですよ! 私が一糸纏わぬ砕蜂隊長を初めて拝見した日ぶぺぇ!
──ちが! 出来るだけ目は逸らしてましたけど抱き留めた時ちょっと見えちゃったというか凄い綺麗なサクランボでしギャポウ!?
特に見る必要はないけどせっかく頑張って設定考えたから公開したいという夕鶴の欲望まみれの斬魄刀図鑑①(②以降は多分存在しない)
名前:『燻灯(くゆりび)』
解号:『伏せろ』
形状:鈍色の手甲(右手のみ)
能力:
①手甲に触れた対象に、使い手の霊圧を潜り込ませる。累積するので、触れれば触れるだけ対象内の霊圧は蓄積されていく。
殴ろうと撫でようと掠っただけだろうと、なんなら敵の攻撃をガードしようと、一度の接触で送れる霊圧に変化は無い。
②『点(た)て』の号令と共に、使い手の霊圧のみを燃料にする火種を放ち、内部から焼く(燃えてる対象を他人が触っても熱が伝播することはない)。①の能力で注ぎ込まれた霊圧が多ければ多いほど火力が向上する。
ソフトタッチ連打しまくれば理論上は流刃若火に匹敵する火力を出せるが、敵の前で正気じゃないので基本的に尽八はぶん殴ってチャージを貯めて不意打ちファイアでトドメを刺す戦法を好む。
訓練の結果、手を離さず触れ続けている対象に追加で霊圧を少しずつ注げるようになったが触り直した方が早いので滅多に使わない。