私がそれに気付いたのは中学生の時。卒業してからは誰にも教えてない。封印したわ。だって、中学生だったから。ただでさえ信用の置けない年齢の子供が超能力者です、なんて言ったら。一笑されて終わってたでしょうね。今だって笑い話でしょうけど。当時は先生たちに、病院とか(具体的な科とかは考えて無かった。子供ね。)に送られるんだと本気で思っていたから、怯えて言わなかったの。信用されなくなると思った。実際に能力を目の当たりにしない人たちが如何に自分たちを常識と信じているか、そして常識以外を簡単に否定してしまえるか、中学の私は分かってなかったのね。
二十歳超えた今なら分かる、大人というのは、特に先生というのは大体がつまらないものよ。ユーモアの欠片も無い人ばかり。少なくとも、私の学校の私のクラスの担任は、相談ごとをするにはセンスに難ありだったわね。大人の対応、というものだったのかもしれないけれど、乙女の扱い方としてはどうかしら。当時の私がもし彼に能力について相談していたら、そんなことよりって勉強や学校生活についての話を振られるか、冗談として笑われるかだったに違いない。そういう良くも悪くも月並みな、平凡な担任教師のおかげで私は、本当に親しい人以外には秘密を頑なに守りつつ、時にアルバイトや代返、サークル活動に精を出し、時にセンスやユーモアを捨ててレポートに立ち向かう、立派な大学生へと成長していた。
水曜日、今日の授業は一限があるだけ、その一限も今朝休講を確認した。だから私は本来大学に来る必要は無いのだけど・・・。テスト期間でも無いし、午後のサークルの定期活動時間まで、遊びたいじゃない?いつもの時間に起きて部屋を適当に掃除、一限の始まる時間までには家を後にした。
私の住んでいるアパートの最寄り駅から大学の最寄りまで電車で四十五分程。駅からの距離を考えて、普段は授業開始の一時間半前には家を出ている。使う電車は一本。まだ通勤ラッシュの時間帯だったが、乗り換えの多い二つ目の駅で運良く席を確保出来た。駅員のアナウンスに発車の気配を感じながら、いつも持ち歩いている本を開く。と、その前に携帯電話のアラームをセットしておこう。乗り過ごさないように出入り口上に表示された乗車時間からマイナス二分でセット、スタートボタンを押す。隙間時間に本を読む時はたいていこれを使う。参考書でも小説でも、本の情報には流れとまとまりがある。だから各駅ごとに意識を途切れさせていては、きちんと頭に入らない。それじゃあ時間がもったいない。この分だと九時四十五分頃には学校側の駅に到着するだろう。それまで、私の時間だ。ポケットに携帯電話をしまい、出発の不規則な揺れの後、手元の本に目線を落とした。