「誠に、申し訳ありませんでした」
日本聖マンゴ魔法疾患傷害病院の病室にて、闇祓いたちはこの上なく神妙な表情を浮かべたまま頭を下げた。病院は今夜、ひどく慌ただしい。
そんななかにあって、闇祓いはなるべくじゃまにならないよう、ロン・ウィーズリー氏の横たわるベッドの脇に固まったうえで彼の妻、つまりは現役の英国魔法大臣たるハーマイオニー・グレンジャー・ウィーズリー女史に向けて頭を下げたのだった。
英国魔法大臣は、怒りと呆れとをないまぜにした顔で、深々と頭を下げる日本の闇祓いたち──ではなく、その向こうでベッドのシーツに頭までくるまっている彼女の夫を見やった。シーツは時折痙攣するように震え、その中からは嘔吐のような声と何かがべしゃりと落ちる音とが断続的に鳴り響いている。ハーマイオニーは、その姿を見てしばし何かを考えていたようであったが、やがておもむろに自らの杖を取り出すと、
「
と、シーツの塊に向けて呪文を唱えるに至った。途端、シーツの中からはロン・ウィーズリーが現れ、背筋をピンと伸ばしてベッドの上に立ち上がる。
「は、ハーマイオニー。この体制、ちょっといまの僕にはキツいっていうか……うぇ、ま、また出る、頼むからちょっと屈ませて──うォぇえッ」
いや。事実、ロン・ウィーズリーは激しくえづきながら、その口から巨大なナメクジを吐き出しはじめた。直立しながらでのことだ、ナメクジの粘液が口から顎へと思い切り滴り落ちて惨憺たる有様となっている。流石に、周囲への被害が大きいと判断したのだろう、ハーマイオニーの杖が振られるとロンの体は起立呪文の効果から開放され、ナメクジは無事、満杯のバケツの中に落とされるに至ったのだった。
「どうも。……いや、そう怒らないでくれよ、ちょっとこれには理由があってね──」
「理由? ええ、すでに報告は倉田部長から聞いているわ。わざわざ行かなくてもいいのに事件が起きたばかりの魔法学校へ付いていったあげく、学校で飼われている魔法生物を敵襲と勘違いしてナメクジげっぷの呪いをかけようとして跳ね返された、って」
話を向けられた倉田闇祓部長は、この上なく神妙な表情のまま、重々しくうなずいた。その脇に立つ敷島エイシュウと秋津・ミズホ・ローレンスもまた同様の表情を浮かべたまま頭を垂れ、目をそらし、あるいは閉じている。警護対象を守りきれなかったことを心から悔やんでいるためではない。そうしていないと、湧き上がる笑いを押さえきることが不可能であったのだ。なにしろ少し気を抜くと、中庭から現れた妖怪
「倉田部長、それに敷島さんにローレンスさん。ここまで付き添っていただいてありがとうございます。でも、彼のためにこれ以上ベッドを一つ使わせるのも人手を割かせるのももったいないわ、すぐに引き払います。いいわね、ロン。それ、放っておいたらそのうち治まるのは覚えてるわよ」
と、言うが早いか、ウィーズリー氏はハーマイオニーの杖先から発せられた何らかの魔法によってベッドから下ろされ、病室の戸に向けて引きずられていった。
「大臣殿、念の為ホテルまでうちの者と癒者を付けたほうが」
慌ててその背を追いながら倉田部長が行った提案は、すぐさまハーマイオニーに謝絶された。
「ありがとう、でも警護も
ハーマイオニーがそう言って扉を開いた開いた先の廊下には、たしかに数人の英国人の姿があった。部下をともなった英国闇祓局長ハリー・ポッター氏と、大臣が本国から連れてきたらしい癒療スタッフたちだ。ロン・ウィーズリー氏にはひどく気の毒なことに、ハリー・ポッターには笑いを噛み殺そうとする努力の痕跡は見受けられたものの、長い銀髪の癒師などは病室からロン・ウィーズリーが現れた瞬間に指をさして大爆笑をはじめている始末で、誰一人として英国魔法大臣のファーストパーソンに対して同情を示すものは存在しなかった。どうやら彼らの反応を見るに、ロンが自らの放ったナメクジげっぷの呪いを自ら受けるのも、その現場にハリーやハーマイオニーらが居合わせるのも、これが初めてというわけではないようだ。
英国魔法大臣一行を見送ると、魔法所へ一日缶詰になっていた二人の部下に帰宅を命じて倉田部長は窓から飛び立っていった。空を飛ぶことのできる生き物の
「あっ」
めいめいに帰路へとつこうとしたところで、エイシュウとミズホは知った顔と鉢合わせることとなった。廊下の隅に座り込んだ穂村カツミ陰陽師とその部下たちだ。あの場では分からなかったが穂村陰陽師はなかなか深手を負っていたと見え、部下たちは石化したまま砕けた穂村の左足を組み立てようと奮闘しているところだった。同じ廊下でも、運び込まれた生徒たちからは離れた場所でのことだ。病院スタッフには気づかれていないだろう。
「それ、早く直さないと、子供が掛けた
組み立てた後で構わないから、と本人が止めようとするのを振り切って、ミズホは癒者を呼びに走っていった。後には、エイシュウと陰陽師たちが取り残されることとなる。双方の間に流れる空気は、この上なく気まずく、緊張に満ちたものだ。いくら一時は共闘することになったとは言え、エイシュウ個人については第一印象があまりにも悪すぎたようだ。
妙な緊張感に満ちた空気と遠い喧騒の中、かしゃん、と小さな音が響いた。半分ほど組み上がっていた穂村の石化した左足が、ちょっとした拍子に崩壊したらしい。陰陽師たちは慌ててもとに戻そうとするも、余計に欠片はバラバラになっていく。
が、不意に石の欠片は彼らの目の前で動き出し、脚の形のパズルはひとりでに完成されていった。陰陽師の誰かがやったわけではない。そうであれば、彼らが一様に目の前の光景に驚愕し、声を上げることはなかっただろう。と、なれば、誰がやったのかの答えなど一つしか無いわけだが──
「──ほら、そこです!」
組み上がった左脚から陰陽師たちが顔を上げたその直後、ミズホの声とともに無数の足音が陰陽師たちの周囲を取り囲んだ。どうやら、穂村は何かを言おうとしたようではあった。だが、その前に癒者が血相を変え、石化した脚とともに左脚のない陰陽師を強制的に連行していったため、背を向けたままのエイシュウとの間に何らかの会話が成り立つことはないままに終わってしまった。
それが、一昨日のことだ。
そして今日、闇祓いと陰陽師はふたたび東京タワーの真下で顔を合わせる事となっていた。魔法所に現れたときとは違い、陰陽師の一団はごく普通のスーツ姿で位階を示す色はネクタイに現れている程度に過ぎない。杖を片手に駆けてきたミズホも制服姿である以上、この場においては、大時代的なマントを制服の上から着込んだエイシュウが最もマグルのファッションセンスから外れているだろう。
とはいえ、それもいまは人目を引くものではない。なぜならば今夜は、営業時間中であるというのに一時間ほど前から
「あ、こないだの陰陽師の人。良かった、治ったんですね左脚」
エイシュウを前にどう反応していいか分からなかった様子の陰陽師たちは、マントの影からミズホが姿をあらわしたことで、明らかに安堵した様子だった。
「治ったよ、おかげさまで。そっちの医療はすごいね、正直いちどは義足生活を覚悟したんだよ」
「ちゃんともとに戻せば傷も残りませんからね。あっ、でも大丈夫だったならあたし、陰陽寮の人にずっと言いたいことがあったんですよ」
穂村の無事を一通り喜んだ後、ミズホはパッと顔に浮かぶ感情を怒りへと変えてみせた。何のことか心当たりのない様子の陰陽師たちは、両手を腰に当てて肩を怒らせる小柄な闇祓いを前に怪訝な顔を浮かべている。
「今日もそうですけど、なんだってこっちに雑用ばっかり押し付けてくるんです? なにか事件が起きたときだってたいてい、あとは犯人を確保するだけって段階でやっとこっちに協力を要請してくるし、闇祓いを雑用扱いするのほんとやめてください、こっちは日本魔法省の闇祓部であって、日本国政府の管轄下にあるわけじゃないんですよ」
ん? と、黒服の陰陽師たちが一様に、不思議そうな表情へと変化した。それを見たミズホもまた同様の表情とともに首を傾げ、会話は宙ぶらりんのまま暗礁に乗り上げてしまった。唯一、エイシュウだけは双方の認識の齟齬が理解できたらしく、頭を掻いて
「ああ、それは……」
と面倒くさそうに説明をはじめようとした。だが、その前に暗い駐車場の中にヘッドライトの光が滑り込み、すべての会話は一旦打ち切られることとなったのだった。
隣接した駐車場に滑り込んできたのは、一台のリムジンだった。闇祓いの二人が赤いカーペットを空中から出現させて歩道に敷き詰める横で陰陽師たちは横並びに整列し、リムジンが横付けされるのを待った。
やがてリムジンが陰陽師たちの前に停車すると、後部ドアがSPによって開かれた。陰陽師たちが一斉に頭を下げるなか現れたのは、魔法界で言うところの「マグルの大臣」──要は、日本国総理大臣である。
扉が閉められると、リムジンは来たときと同様丁寧な運転で駐車場の一角へ走り去っていった。
「こんばんは、総理大臣閣下。どうぞこちらへ」
いつ現れたものか、正装用のローブに身を包んだ魔法省役人がうやうやしく総理に挨拶をしてみせた。総理がSPとともに東京タワーのエレベーターへと案内されていく合間も陰陽師たちは頭を下げ続け、彼らがようやく頭を上げたのは、静かな作動音とともに鉄の躯体が上階へと登っていった時点でのことだった。
「あの異世界行きの方法、まさか魔法省へ行く方法だとはなあ」
穂村陰陽師が、透明なシャフトを登ってゆく灯りを眺めながら誰にともなくつぶやいた。そう、総理大臣はこの場所に、東京タワー展望台行きのエレベーターを通じて魔法省へ向かうために現れたのだった。
東京タワー展望台行きのエレベーターで魔法省に行くには、まず四階、二階、六階、二階、十階の順番に移動し、十階では降りずそのまま五階へ降りる事になっている。すると、五階についた時点で魔法省の受付係が現れるので、そこで来客手続きをした上で一階のボタンを押すことではじめて、エレベーターは魔法省の一階へと到着することになるのだ。間違ってもマグルの一般人が魔法省に入ってこないための措置であったのだが、近年、魔法省職員の子供が面白がってマグルのネット掲示板へ「異世界へ行く方法」として書き込み、拡散してしまった事がある。穂村が言っているのはそのことだろう。
「そちらの大臣が、
吐き捨てるようにエイシュウが答えた。口に咥えた煙草に杖先を押し当て、無言の
「悩みのタネ……というと、魔法大臣ってやつのことか」
「どういうことです? 魔法大臣が悩みのタネって」
エイシュウが意識的に埋め込んだ
答えの代わりに、エイシュウはマントの上から自らのスマートフォンを杖で叩いてみせた。途端、スマートフォンの画面が空中に投影され、SF映画に出てくる空中ディスプレイのような外観となる。さらに杖先は投影された画面をスワイプし、その中から一つのアイコンを選びだした。テレビの形をした、一見するに何らかの動画アプリと思しきアイコンだ。
『──理大臣が、いま、
アプリが起動すると、まずはアナウンサーの声があたりに流れ始め、映像は数秒遅れで映りはじめた。映っているのは、大きなテーブルを挟んで豪華な椅子が並び、その周囲に多数のマスコミ関係者が所狭しと詰め込まれた部屋だ。日本魔法省最上階にもうけられたその部屋こそ、今から行われる日英両魔法大臣、及び日本国総理大臣の会談が始まるその会場にほかならない。
が、会場の警備にあたりつつ、完全に任務を忘れ去っている闇祓いと陰陽師の注目する所は、会談そのものではない。
カメラが魔法大臣の顔を大きく捉えた瞬間、陰陽師の間からどよめきが起きた。
「えっ、この四十住って、あの四十住ジュニア? こいつ国会議員だろ、なんで魔法大臣なんか……えっまさか」
穂村の問いかけに、エイシュウはうなずいてみせた。
「そのとおり。四十住
寒空の下、うっそお、とか、どういうことだよ、とか、あらゆる驚愕の声が上がるのをよそに、空中に投影された画面の中では日本魔法大臣が爽やかな笑顔をあたりに振りまいている。その姿は、正装用ローブを身につけているほかはマグルのニュースに度々国会議員として現れるものと寸分代わりはしない。間違いなく、日本魔法界の代表を務める魔法大臣は、マグルの世界で国会議員を務める人物であったのだ。
「こいつ顔だけじゃん、えっまさかあれも世を欺く仮の姿とか……」
「でもいつもテレビで見るのとなにも変わらないわよ。絶対魔法界でも評判最悪でしょ」
「親父のほうの四十住は? あっちももしかして魔法使いだったりするわけ?」
「こっちの国会議員が魔法大臣をやってるとなると、どういうシステムになってるんだ……?」
地上で好き勝手に吐き出される四十住セイシロウに関するあらゆる評価をよそに、画面の向こうでは両魔法大臣と総理大臣とが無数のフラッシュの中、握手を交わし合っている。
『──会談が始まるということで、私達プレスはここで退出となります。また、動きがあり次第お伝えしたいと思います。それではスタジオへお返しします。──』
はるか上空、雲の向こうにあって地上を睥睨する魔法省ビルの中では、中継でアナウンサーが話すとおりいままさに重い扉が厳重に封鎖され、日英魔法界トップ同士の会談が始まろうとしていた。報道陣が退去し、巨大なテーブルの左右に日英の魔法大臣および日本国総理大臣とその随員が残るだけとなった部屋の空気は、急に重圧感を増したようだ。けれど、だからといって英国魔法大臣ハーマイオニー・G・ウィーズリーは別段気負った様子を見せることはなく、かといって笑顔を見せることもなく、菊の紋の入った豪華な椅子に収まっていた。もっとも、対する四十住大臣も総理大臣も似たような調子ではある。基本的にこの種の会談は事前に意見を通告した上でおおよその論陣もしっかりと決めた上で始まるものであるため、よほどの波乱が予想されてでもいない限りは予定調和に終わるものだからだ。
会談の口火を切ったのは、ホスト国たる日本の魔法大臣だった。
「時間は有限なものです、単刀直入に申し上げましょう。我が日本魔法省はあくまで、民間の判断には不介入、と。その姿勢は変わりません」
同時通訳者による翻訳が終わるのを待って、ハーマイオニーは四十住大臣の言葉に頷いた。現代では、話者の多い言語の日常会話程度であれば自動通訳呪文をつかうのが一般的となっている。けれど外交の場となるとやはり人間の通訳者は欠かせないものだ。
「勿論です、魔法省による民間の経済活動への介入は原則、避けられるべきです。ですが我が国から再三申し上げているのは、それ以前の次元の話だ。おそらく、お分かりの上でのことかとは思いますが」
同じく通訳者の翻訳を待ってはいるが、四十住大臣のほうは英語で発せられた時点でハーマイオニーの言葉を理解していると見える。端正で爽やかと評される顔に貼り付けた笑顔には、僅かながら陰が走った。ハーマイオニーの使った言葉は、外交の席で使うものとしてはかなり強い語調だったからだ。
ハーマイオニーは、四十住大臣が返答を探すのも待たず、更に言葉を継いだ。
「日本の魔法製造大手が相次いで英国から撤退したことは、日本魔法界が非魔法族社会と深く結びついていることとけして関係なくはないはずです。一例として、日本魔法界では独自通貨を採用していませんね。これは、国際魔法使い機密保護法の定めるところからすれば重大な違反であり、魔法界の存在の露見につながる危険性をはらんだ状態にほかなりません。保護法では、統計上の魔法族人口が一国の人口全体の一割を超える場合、独自通貨を採用し魔法族のみの経済圏確立をめざすものと定められているのはご存知ですね?」
「ええ、それは、もちろん問題の存在を認識し、暫時前向きに取り組んでいく。そういった気持ちです」
四十住大臣の返答は、半ばハーマイオニーの言葉にかぶせるような形でなされた。横ではまだ同時通訳者が話している最中だ。面には出さないが、焦っているのは間違いない。発言が終るや、彼の売りである爽やかな笑顔で言葉の内容のなさを補おうとしたのが何よりの証拠だろう。
けれど、マグルや魔法族のメディアには魅力的に映る笑顔も、この場においてはただ空虚なだけでしか無い。
「前向きに、と仰るが、同様の答弁だけならば過去に前任者も含め何度も行っていたはずです。けれど、貴国魔法界において非魔法社会からの脱却が大幅に図られたためしといえば、1945年にMACUSAの指導のもと日本国政府から魔法省が独立した時を除いて存在しないのではありませんか。いったい、貴国ではいかなる行動をもって前向きにと仰るのです」
さらにハーマイオニーが追撃のように続けた言葉には、四十住大臣の返答はなされなかった。かわりに、通訳が終わったところで小さく息を吐き、手を上げて発言の意図を示したのはマグルの首相であった。隣に座る青年政治家に向けて助け舟を出そうというのだ。
「よろしいでしょうか。人口の一割を超す魔法族を抱える、日本国の代表として、意見を表明させていただきたい」
英国魔法大臣が頷くと、日本国総理大臣は軽く身を乗り出し、自らの意見を述べ始めた。
「主に西洋の魔法族は、自らの特殊な技能に対する非魔法族、つまりは圧倒的多数である我々の反応を鑑み、自らを隔離している。このことは、西洋の歴史からして大きくうなずけるところであります。しかし我が国は、西洋とは大きく異る歴史を有している。これもまた、事実であります」
総理大臣の意見を聞くハーマイオニーは、先程までのように敵意を顕にしてはいない。むしろ、ようやく
「我が国において、魔法、魔法族という概念は明治維新のあと、西洋に追いつけ追い越せの近代化の過程で導入されたものでしかありません。それ以前にも、魔法族は非魔法族と区別されることなく日本列島の上に存在し、共生していたのです。現代でも、大多数の魔法族は非魔法族の社会の中で、大きな問題を起こすことなく共生し、ともに社会を作り上げている。これをいまさらに分断し、経済活動すらも別個のものとする、すなわち日本国から一割の経済圏を消し去る、となれば、それこそ甚大な影響が発生することを危惧します」
総理大臣が総裁を務める政党に属する国会議員でもある四十住魔法大臣は、基調演説のような総理の意見に深く頷いてみせた。いかにも政治家らしい迂遠な言い回しではあるが、総理の意見はすなわち、日本国内の魔法族が独自の経済圏を築き上げることへの経済的観点からの反対意見にほかならない。その意見に対して、日本国魔法界の代表が同意をしているのだ。
「私も日本国魔法大臣として、マグルの首相閣下の憂慮に寄り添っていきたい考えです。魔法族の統括組織は魔法族を保護する義務を持つが、魔法族は各々の居住する地域の国家に帰属する国民でもある。そのことを忘れずに活動をしていきたい」
四十住魔法大臣は、「総理に同意する」という以外にはいまひとつ趣意のわかりにくい言葉をいつもどおりの空虚な笑顔で締めくくった。つまるところ、この会談は事実上、英国魔法大臣と日本国総理大臣の間で合意点を探るためのものであるのだ。
会談の成果を今かと待ち続ける廊下では、何人かのアナウンサーたちがカメラに向けて喋り続けている。
『──今回の会談の争点はふたつ、日本魔法界がガリオンを導入するか否かと、魔法族に対する魔法省の権限の強化が行われるか否かです。前者は日本国政府の強い反発が予想されるため見送られると目されておりますが──』
TVのアナウンサーの話す声は
「つまり、我々も一応魔法界の人間ってことになるわけか? 入学許可証みたいなのが届いたときぐらいしか魔法界らしい魔法界と接点なんてないままだったのに?」
空中に浮かぶ無数の図形や大量の光る文字を眺めながら、青いネクタイの陰陽師、穂村カツミが腕を組み、心底驚いた声を上げている。その後ろに並ぶ他の陰陽師たちも同様の反応をしているあたり、魔法所出身者でない魔法族の魔法界への認識はおおよそ同程度のものであるらしい。
「日本魔法法に基づけば陰陽師も魔法省の管轄下で活動をするはずだけども、実態として魔法省が日本国政府のいち省庁かのように振る舞っていて、その上で宮内庁直轄の陰陽寮のほうが即応性が高いから事実上陰陽寮の要請を受けた上でないと闇祓いは動けない……って慣習になってる? だけど魔法法の関係で、魔法犯罪の逮捕権限は闇祓いだけが有してるから、最後の最後になってこっちが美味しいとこだけ持っていくみたいなことになってると。そういう理解でいいんですか?」
同じく空中の文字を眺めて驚きを顕にしながらも、多少なりとも陰陽師たちよりは深い考察をしてみせたのは秋津・ミズホ・ローレンスだ。日本魔法界の事情には疎いものの、英国魔法界で七年間を過ごしただけのことはあるようだ。
「そういうことだ。理解の早い生徒がいて助かるよ、グリフィンドールに十点」
暗い駐車場の景色を黒板代わりに、大量の光る図形と文字を駆使して日本魔法省と日本国政府の関係性を説明しきった敷島エイシュウは、いつもどおり気だるげではあるがほんの少しだけ満足気にうなずいて、空中の光る文字をすべて消し去った。はじめは簡単に説明するつもりであったものが、歴史的事象や特別法を参照する必要が出てきたりしたせいでちょっとした社会科の授業じみたことになってしまったのだから、〝生徒”の理解に繋がれば達成感も出るというものだろう。
「えーっと、待てよ? ってことはだな、いま上でやってる会談が成功した場合どうなるんだ。魔法省の権限の強化を受け入れるかどうかってのが主な争点だってのは聞いてるが」
穂村陰陽師が、頭上を指し示しつつ空中に表示されたままのニュース画面を見やった。画面上ではちょうど、日本における魔法族人口と魔法省の権限についての解説が行われているところだ。曰く、日本における魔法族人口はおよそ一千万人規模であり、公表されている魔法族人口としては世界でもトップクラスである。しかしながら、これは統計のとり方によるもので、その中には
「成功の定義にもよるが、日本魔法省が提言を全面的に受け入れた場合、あんたらが今の俺達のポジションになるか、闇祓部か警察隊に合流することになる……かもしれんが、まあ、そうはならんだろうな。なにせ、魔法大臣からしてあからさまにマグル側に人生の基軸を置いた人間だ」
折しも、空中の画面上では爽やかな笑顔の魔法大臣がマグルの国会議員として衆議院の席に座る映像から、歴代の魔法大臣たちの映像へと移り変わるところだった。その映像にふたたび陰陽師たちからどよめきが上がったのは、魔法大臣がひとり残らずマグルの政治家としても名の知られた存在であったためにほかなるまい。慣習として、日本の魔法大臣は伝統的にマグルの国会議員を務める魔法族から選ばれる。法制度が存在するわけではないしあくまで慣習にすぎない。だが、日本の歴代魔法大臣が例外なく国会議員であったのも確かな話だ。
「日本の魔法使いは、公僕である限りはマグルの下働きってわけか」
日本魔法界の姿をようやく知るに至った穂村陰陽師は、エイシュウへ向けて
まだ多少のしこりは残っているものの、人間、その場にいないものへの無責任な批判を言うときほど団結できるものだ。丁度ニュース番組が四十住セイシロウの発言を紹介し始めたことも手伝って、陰陽師と闇祓いはしばし完全に職務を忘れ去り、彼らの頭上で会談に臨んでいる年若い魔法大臣を好き勝手に評価し合うこととなったのだった。
そうして、およそ公人に対して下しうる悪評という悪評が出尽くし、「それでも顔は間違いなく良い」「あそこまで中身のない言葉を常人は思いつかない」と一周回ってよくわからない再評価が始まった頃、それは発生した。
「何だ、停電か?」
と、穂村陰陽師が言ったことは、およそその場に居た全てのものの感想だったろう。あたりが不意に真っ暗になり、なにも見えなくなったのだ。場所は東京タワーの真下、都心も都心でのことだ。
穂村陰陽師があたりを見回しながら呪符を使って火を灯したが、その炎はすぐにさほど意味をなさなくなった。彼らを睥睨する巨大な鉄塔に光が戻ってきたからだ。周囲をとりまく都市の中にも、ぽつぽつと光が戻っている場所が見える。あくまで停電は一時的なものであったようだ。
『──停電でしょうか、スタジオの電気が一瞬消えましたが、今は復旧しています。屋上カメラからの映像に切り替えられますか──』
空中に投影されたニュース画面の中でも同様の現象が魔法族向けの放送局を襲ったらしい。司会者が突発的な出来事に対応しつつ、屋上据え付けのカメラがとらえた停電の瞬間の映像を映すようスタッフに要請した、その時のことだ。
『────あー、あー。もしもし、聞こえます? OKOK、通じてるね』
唐突に画面にブロックノイズが走り、次の瞬間、画面は全く別の映像へと切り替わっていた。画面上に映る景色は、都心を上空から捉えたものだ。
『チワっす、俺、葛西
声の出処は、ニュース画面をつけたままのスマートフォンだ。誰もチャンネルを変えてはいない。一体何がどうしたのか、と誰もが抱いた疑問の答えはその直後、葛西と名乗った男自身によって説明されることとなった。
『今、ちょーっと
「これは……東京タワーがこの位置に見える、ってことはスカイツリーの上か?」
空中に投影されたままの画面を見て、穂村が言った。そう、そこに映るものは今や、ニュースではなくなっていた。圧倒的に光量の不足した都会の夜景を背に、一人の若い男が画面に向け、語りかけている。手持ちのスマートフォンで撮影されているらしい映像はときに激しく揺れ、安定していないが、確かに背景の中には暗闇の中にそびえ立つ東京タワーが見て取れた。それも、見上げる構図ではなく、やや上から見下ろす形でだ。東京都内で東京タワーを見下ろしうる建物といえば、スカイツリーしか存在してはいない。
『はい、そーです! ここ、スカイツリーの上なんですね。いやあ、俺こんなとこ初めて登りましたよ、高いですねー、怖いですねー、俺、むかしブロック塀に登ってそのまま落っこちて一ヶ月ぐらい入院して以来、高いとこホント駄目なんですよー』
葛西は、まるでYoutuberが東京スカイツリーの上に登ってみたところを配信しているかのような調子でその場所がいかに高く、寒いかをレポートし続けている。そのさなか、ラフな服装の男の背後で夜景が明滅を繰り返しているのは、断続的な停電が都心を襲っているためだ。タイミングから考えて、停電と葛西による魔力放送ジャックとが全くの無関係であるとは思いようがなかった。
「念の為、エレベーター封鎖してきます」
事態の全貌が薄っすらと見えてきたところで、エイシュウの隣では行動力に溢れた新人が誰の指示も待たずに東京タワーのエレベーターホールへと駆け出していた。万一の際には、魔法省につながるエレベーターを封鎖して魔法省への物理的なアクセスを断つ。エイシュウとミズホが命じられた行動指針はそのようなものであった。とはいえ、それはあくまでエレベーターを通じて魔法省へ赴こうとする狼藉者が現れた時の話であったのだが、この場合、停電に乗じた襲撃を予想して保険をかけておいて損はないというものだ。
と、映像の中に動きがあった。明滅する夜景の中に、箒に乗った警官の姿が現れたのだ。同時に、闇祓いの持つ無線からはエレベーターの封鎖を連絡するミズホの声と交錯し、彼らとは直接関係のないやり取りが流れ出ている。
『こちら墨田ゼロヨン、二十一時四十七分現着、違法魔術使用者の姿を確認』
墨田ゼロヨンというのは、魔法省法務部の持つ警察の一隊に割り振られた番号だ。たいへん存在感は薄いが、魔法省にも闇祓いのほかに通常の警察組織は存在している。事件に少しでもマグルが絡んだ場合はもれなく陰陽寮の管轄になる上、少し込み入った事件ともなれば闇祓いが出張ってしまうために非常に影が薄いものの、この場合、はじめから魔法族内部のみで処理しうる犯罪行為であったため彼ら魔法警察が堂々と乗り出したものだろう。
『本部、了解』
無線からそんな声が流れるとともに、箒に乗った警官たちはスカイツリーの展望台上部に降り立ち、杖を構えつつ葛西に向かって歩み寄っていった。魔法警察も、闇祓いと同じく
画面の中では、杖を構えた警官たちが葛西シュウジを囲み、配信をやめさせようとしているところだった。
『はいはい、お兄さんね、それ違法だからね。魔力による放送への干渉はこれを禁ずる、って分かっててやってんでしょ』
『ほら、
あくまで抵抗の意志のないものと想定して、警官たちは葛西の持つスマートフォンに手を伸ばし、
『うわあ、すっげえ。エクスペリアームズ、だって、マジで魔法の呪文じゃん。すっげえな、ゴゼンサマの言う通りだ、ってことは──』
ゴゼンサマ、という言葉が聞こえるとともに、エイシュウは無線の送信ボタンを押していた。気をつけろ、そいつは蟲に魔力を底上げされている、そう伝えるためだ。
だが、彼が言葉を発するより早く、無線が雑音を発したあたりで、画面上では
『
との声とともに黄色い閃光が走り、警官の片方が画面の外へと消え去っていた。姿くらましをしたわけではない。そもそもスカイツリーの敷地内は他の大抵の公的施設同様に姿あらわし禁止区域であるし、その場に
『たすけっ、たすけてっ、いたいいだいいぃいい』
と、直後に魔力放送に乗って流れ出した音程を外した悲鳴が何より雄弁に語っていただろう。第二号指定禁止呪文、
『貴様っ、すぐにやめろ!』
残る片方の警官が、すぐさま杖を振った。無言呪文だが、非常時の無言呪文というのはその時の思考と連動するものだ。おそらく使用したのは
けれど、警官が無言のままに行使した呪文がなんであったかはついぞ判明することはなかった。なぜならば彼の放った呪文は葛西に対して効果を上げることはなく、その代わりに
『うわっすっげえ! ほんとに効いちゃうんだこれ、そんじゃもう一発──
と、再度放たれた磔呪文が、防具にかけられた盾の呪文を押し切って彼の身体に人間の感じうる最大級の苦痛をもたらしていたからである。
『あー、えーっと、これちゃんと今のも映ってましたかね? 見ての通り! 俺、今ちょっと最強チートな状態になっちゃってんですわ。ほら、これ見てこれ。お茶の間の皆さん、よーくテレビに近づいてくださいよ』
断末魔のごとき悲鳴が響き渡る中、葛西はへらへらとした調子でふざけたことを言いながら、カメラに向けて口を大きく開いてみせた。まるで、口の中を見せようとするような調子だ。だが、彼が見せようとしたものは、その直後に喉の奥から現れたものに他ならなかった。巨大でグロテスクな地虫、腹中蟲だ。
と、その蟲が、ぎちぎちと鳴き声を上げた。今までの蟲に比べると、葛西に寄生する虫はやや色が黒く、その口の周りには触覚らしきものが生え、幾分か育っているようだ。
「なんだ、成虫に近づいてるのか? 虫って言うより鰻か何かみたいだが」
同種の感想を抱いたものらしい。そんな感想を述べながら穂村陰陽師が画面の前に割り込んだときのことだ。
目の前が、黄色く光ったようだった。実際には空中に投影した映像が呪文の閃光を映しただけなのだが、どうしてか、その映像を見るものにはそう感ぜられたのだ。
そして、そう感じた者たちは残らず、その直後に一つの激烈な感覚に身を灼かれる事となっていた。
「う、ああ、あああ!!?? 痛いっ、何だこれ、呪いか──」
閃光が走った直後、地面の上にはそう叫びながらのたうち回る穂村の姿があった。明確に、
「──
穂村に向け
だが、事実として、目の前で穂村陰陽師は禁呪の直撃を受け、エイシュウもその余波を食らっているのだ。
『──ね、すっげえでしょ? ですから、とりあえず俺のお願い聞いてもらいたいなーって、そう思うんですよねえ。聞いてもらえるまで、十分ごとにさっきのやつ、繰り返しますからねー』
望外の凶行を実行してみせた男は何もなかったかのようにふたたび腹中蟲を飲み下すと、自らの要求を魔力放送の及ぶ範囲全てに向けて語りはじめた。その背後には、展望台の上をのたうち回る二人の警官の姿と、明滅を続ける東京の街が映り込んでいる。
「あの男、停電にも関わってる……?」
映像を固唾を飲んで眺めながら、不意にミズホが漏らした言葉は、しかし、間断なく響く悲鳴にかき消されていった。
『──こちら闇祓本部より、闇祓部員へ。直ちに集合せよ』
明滅する夜景を背に葛西の要求が垂れ流される傍ら、無線からは重々しい声で、倉田部長からの集合命令が下った。その命令を待ち望んでいたかのように東京タワーの周辺には姿くらましの破裂音が響き渡り、闇祓いたちはその職務に服するべく魔法省の中へと移動していったのだった。
† † †
葛西シュウジの要求は、次のとおりだった。
いわく、消費税を直ちに全廃すること、文科省を解体すること、改元および遷都を行うこと、大仏を建立すること、5000兆円を用意すること、庵野秀明にエヴァンゲリオンの製作を禁じて特撮映画を好きなだけ作らせること。
「最初の二つはともかく、あとは全部ふざけすぎて要求とも思えません。このようなことをして、マグルに魔法族の存在が露見すれば一体どうなると思っているのか」
第二班の周防
ざざ、と捜査本部のスピーカーから無線特有の雑音が流れ出し、闇祓いたちは液晶画面を見やった。液晶画面の全面には何重にも盾の呪文が掛けられ、さらに画面の前には透明なポリカーボネート製の大盾を呪文で急遽平らに伸ばしたものが配置されている。やや画面が見づらくなっているが、磔呪文や、あるいはその他の禁呪の直撃を食らうことを思えばその程度の不便は許容して余りある。
『こちら第三班日向より本部、二十二時十五分スカイツリー上空到着、マル被の足元に警官二名の姿を確認。現在は第二号の影響はない模様』
巨大な液晶画面の右半分には葛西が強制的に配信する映像が、もう片方にはスカイツリーをさらに上空から見下ろした映像が表示されている。左半分の映像は、箒で上空に到達した闇祓いのうち、第三班長のヘルメットに付けたウェアラブルカメラから送信されたライブ映像だ。もし葛西が上空を見上げていれば、箒にまたがり重厚な防具と防寒用マントに身を包み、防護面を装着した闇祓いの群れを見つけることが出来たろう。その姿は、防護面の特徴的な形も相まって、しばしば彼らの部隊章である三本足の烏にも例えられるものだ。が、葛西は箒の試し乗りに夢中で、頭上を旋回する猛禽たちの存在には気づいていない。
「こちら本部倉田より第三班第四班へ。最優先事項は警官二名の身柄保護だ、少しでも危険性がありそうならばすぐに現場を離脱せよ」
『了解。ただちに保護に移る』
返事とともに、闇祓いの視点による映像は一挙に地上を見下ろす角度へと変化し、凄まじい勢いで降下を始めた。空中に浮かんだ四騎の飛行箒が、下降を開始したのだ。
箒による急降下とともに、先行する第三班の二名は
目まぐるしく変わるウェアラブルカメラの映像からその時起きたことを判別することは極めて難しかったが、ほぼ固定されている葛西のカメラの中には、闇祓いたちの連携プレーが成功するさまが見事に捉えられていた。スマートフォンのマイクが僅かに風を切る音を捉え、葛西が後ろを向いた、その次の瞬間、気絶した警官たちの体が浮き上がる。と、ともに、葛西の体からは黄色い
『第四班、警官二名を保護! ただちに帰還を──』
第四班長からの報告が本部のスピーカーから流れ出した。第三班、四班の任務は、警官二名の保護だ。その目的が達成された以上、彼らは即座に姿をくらまして捜査本部に舞い戻る手はずとなっていた。
だが、闇祓いたちが捜査本部の窓の外に現れることはなかった。代わりに、彼らは葛西の持つスマートフォンから送られる映像の中で空中を迷走し、それでもなお箒から振り落とされまいと細い棒にしがみついている。獲物を狩る猛禽であったはずの闇祓いたちは、いまや嵐に翻弄される小鳥の群れでしかない。禁呪が、箒に乘った闇祓いたちを一斉に襲っているのだ。かろうじて箒からの落下が防がれているのは、対魔法犯罪者特殊部隊たる闇祓いなればこそ、と言いたいところだが、その大部分は闇祓いの使う95式警ら用箒に予め組み込まれた吸着呪文と飛行補正の効果によるところが大きかったろう。
倉田部長が無線に向けて呼びかけるが、返ってくるものは断末魔とも聞き違えるような悲鳴ばかりだ。闇祓いのヘルメットから送られる映像は、ビルの壁にすんでのところでぶつかりかけ、地上を走る車のフロントガラスを舐めるようにかすめてゆく、あまりにもスリルに満ちたものとなっている。闇祓いたちが現場でどのような有様になっているか、その映像を見ただけで想像がつくというものだ。
「部長、我々が増援に」
周防が箒を掴み、窓枠に飛び乗りながらマイクの前に座る部長を振り返った。彼の相棒である美作に至っては、すでに窓の外で箒にまたがっている始末だ。倉田部長も即座にうなずき、第二班は第三、第四班の救出に向かおうとした。
それが成されなかったのは、彼らが姿をくらます直前、スピーカーから
『
との呪文が悲鳴に混じって漏れ、
『──本部! 突っ込む! どうにかして!』
と叫び声が上がるや、ウェアラブルカメラごしの映像は暗転し、直後、逆さになったビルの窓とその内外で箒にまたがる闇祓いの姿が大写しとなったからだ。その光景がどこのものか、など考えるまでもない。
「
捜査本部に居たものたちは、闇祓いもその他のスタッフも一斉に
折り重なった人と箒の中で、一人の烏姿の闇祓いがその身を震わせた。どうやら、防護面を取ろうとしたものらしい。が、強烈な磔呪文を受けた体はすぐには自由にならないと見え、震える手は空中を掻くばかりだ。
「他のみんなは──」
駆け寄った周防が鳥頭の防護面を外すや、現れたのは血まみれになった第三班長日向ナツキの顔だった。どこかで打ち付けたものだろう、額が割れ、仮面の中を血で溢れさせていたのだ。が、彼女は割れた額からあふれる血を拭うこともせず、他の班員たちの無事を周防に尋ねた。
周防は杖を振り、クッションの上に折り重なった人々をゆっくりと床の上に移動させていった。
「第三、第四班四名と、それに警官二人、全員無事です」
返ってきた答えに、日向は安堵の息をついた。周防の言ったとおり、たしかにそこにはスカイツリーに向かった四人と、彼らが保護を試みた警官二名が無事とは言い難い有様ではあったものの、全員揃っていたのだ。
「動かないでください、どこを打っているかわかりません、癒者が来るまでそのままで」
起き上がろうとした日向を、周防が押し留めた。それでも、日向にはどうやら言いたいことがあったと見える。クッションの上に横たわったまま、彼女は震える声を絞り出しはじめた。
「──二回目の呪文、防御呪文を全部突き抜けてきた。それに、射程もとんでもなく長い」
日向の手は、半ば無意識にだろう、自身の体を抱きしめるように握りしめられている。その体に装備されているのは、機動隊が使用するものと同種のプロテクターに、多重に
「だけど……たしかに、
続いて発せられた言葉に、倉田部長は静かに頷き、机上に置かれたマイクへと口を近づけた。彼の命令をいまかと待つ闇祓部第一班、敷島エイシュウと秋津・ミズホ・ローレンスに連絡をするために。
ざざ、と、無線の雑音が大鉄塔を織りなす鉄骨の合間に鳴り響いた。
『本部より第一班へ。マル被の魔力使用と周辺の停電との間に関連あり。直ちに東京都下の電力供給を差し止めにかかれ』
今も、葛西が何らかの呪文を戯れに使っているのだろう。不夜の街であるはずの東京の夜景は、今夜に限り不安定に明滅を繰り返している。その様子は、東京タワーの頂上付近に立つふたりの闇祓いの目から見れば、まるでスカイツリーが気まぐれに都下の明かりを吸い上げているかのようであった。
「第一班敷島、了解」
エイシュウは短く返答すると、上方を振り仰いだ。大鉄塔のアンテナを背に箒を掴むミズホは、すでに黒い外套と鳥頭の防護面を着用して飛行に備えている。明滅する鉄塔の電飾に照らし出され、その姿は黒い大鴉のように見受けられた。
もっとも、その外観についてはエイシュウも同じことだ。
「行くぞ、秋津」
エイシュウも手早く防護面を付け、箒を手に鉄骨を蹴った。
箒と言っても、いま第一班の二人が乗るものは、ごく普通の掃除用箒はもちろん、一般的な飛行用箒とも、それ以前の95式警ら用箒とも大きく異なる外観をしている。数年前に正式採用された17式警ら用箒の特徴は、なんと言っても箒とは思い難いそのシルエットだ。両手を離した状態での操縦を可能にするため、鞍と鐙──というよりはシートとステップを実装し、前照灯と尾灯を備え、左右に突き出したグリップを有したその姿は、箒というよりは車輪のない空飛ぶバイクと言うべきものだった。
無骨な飛行用箒にまたがった闇祓いたちは、二匹の大鴉が飛翔するがごとくに黒いマントを翻して夜空を裂いてゆく。その目的は、闇を祓うという彼らの名とは裏腹に、大都市から光を奪い去ることだ。
「目的地は、品川火力発電所。その一箇所の機能を停止させれば残りはブラックアウトする──その理屈は問題ないんだな」
「はい、それは間違いありません、北海道の大停電と同じ原理です」
先をゆく「烏」の問いかけに、後方に続く「烏」が大声で返事をした。
いくら闇祓い、魔法使いといえど、いきなり東京じゅうの電力を停止させるようなことは不可能だ。仮にそれを可能にする呪文を生み出せたとしても、おそらくは多大な魔力と労力を必要とする大掛かりなものになるはずだ。
ならば、どうやって電力を停止させるか、といえば、答えは簡単だ。既存のシステムに存在する脆弱性を突けばいい。ブラックアウト。何らかの理由で大電源が喪失すると、電力量が需要に追いつかなくなり、電気の周波数が低下することになる。すると、同じ系統に連なる発電施設への負荷が大きくなり、機器の保護のため連鎖的に発電施設が停止、大規模な停電に至る現象だ。近年では二〇一八年、北海道胆振東部地震をきっかけに発生した大停電の原因として広く知られている。
もしこれをマグルが持ちうる技術で意図的に行うならば、発電施設を狙った大規模な破壊活動が必要となるだろう。
だが、魔法使いであれば、いくつかの呪文を組み合わせれば簡単に達成しうる。
テールランプの尾を引きながら空中を疾走していた二機の箒は、一定の速度に達したところでその姿をくらました。一秒ほどの時間のあと、彼らは空間を超え、破裂音とともに東京湾岸に現れる。鴉たちが旋回するそのはるか下方に見えるものは、暗い東京湾に突き出た人口の埠頭だ。
埠頭の上に築かれた品川火力発電所は、面積の小ささと景観への配慮を謳うだけあって、モニュメントのような一本の煙突に連なる発電設備と、変電所と事務所からなるコンパクトな施設だった。
「あの、白い建物です。大きなダクトが続いてる所。あそこに炎凍結呪文をかけて、それから消火呪文、防火呪文で、最後に石化呪文。全部最大出力でお願いします」
それらの施設のうち、発電所本館を指差してミズホが言った。発電施設の停止については、マグル出身である彼女の知識が頼りといって過言ではない。炎凍結呪文は炎の熱をなくす呪文で、消火呪文はそのまま火を消す呪文、防火呪文も同じくものを燃えなくなる呪文だ。石化呪文については、今更説明するまでもないだろう。どれも単純かつ学校で習うような呪文だが、火力発電施設に使えば即座に水蒸気を発生させタービンを回すための火を奪う事が可能な呪文だ──とは、闇祓部でミズホが言ったことだった。葛西による禁呪の使用と停電のタイミングの関係から、魔力を電力から生成していることを予測し、その対策として発電施設の安全な強制停止とその方法までを考えだしたのは、他でもない、秋津・ミズホ・ローレンスだったのだ。
「本部、こちら第一班敷島、二十二時四十二分品川火力発電所到着。今から発電施設を停止させる」
新入りの後輩から指示を受ける状況に特に不満を抱く様子もなく、エイシュウは無線の向こうに作業の開始を告げ、杖を構えた。ゆっくりと高度を落としていた二機の箒は、今やほとんど発電所の屋上に降り立ちかねないほどに建屋に近づいている。
了解の声が本部から帰ってくるとともに、二本の杖が発電所に向けられた。途端、建物の屋上はまるでカステラについた紙を剥がすかのようにめくれ上がっていき、内部が顕になる。消音の呪文も行使しているため、起きていることの大掛かりさの割に音はほとんど出ていない。ゆえに、施設に残っている夜勤のスタッフも、すぐには起きていることに気づきはしない。
あとは、完全に事前の打ち合わせのとおりにことは進んでいった。ボイラーに呪文をかけて火の発する熱を消し、火そのものを消し、燃料への引火そのものを防ぐ。それから、まだ予熱によって発生する蒸気のために回り続けるタービンを石化呪文で停止させれば、あとは電力供給の途絶からブラックアウトの発生までは時間の問題だ。
異常事態に電力会社のスタッフが気づく前に、闇祓いたちは再び音もなく建屋の屋上をもとに戻すとすぐさま飛び立った。発電所の姿あらわし禁止区域から離れ、すぐさま都心に移動するためだ。
「第一班より本部へ、作業完了。これより犯人確保に向かう」
エイシュウが報告を行うとともに、空を裂く二機の箒は湾岸の空から姿を消し、ふたたび都心に向かった。
「成功しているようだな」
姿くらまし特有のめまいのするような感覚を振り払いながら、エイシュウは眼前に広がる景色をその一言で総括した。闇祓いたちの前にあるものは、いままさに光を失いゆく都心の姿だった。ブロックごとに段階を踏んで順次進んでいく停電は、ブラックアウトに他ならない。ほんの数分の間に、都心に残る光は巨大な黒いモニュメントに変貌したビル群の合間を縫う車のヘッドライトと、病院などの自家発電設備を持つ大型施設だけに減少していった。
数を減らしたわずかな明かりの中から、ふたつのライトが並走するエイシュウとミズホを左右から挟み込むように近づいてきた。どちらも、17式警ら用箒の前照灯だ。
「ブラックアウトの瞬間、葛西は箒から落下し、それ以降飛行に成功していません。間違いありません、彼の魔力の大部分は電力によるものです」
同じ烏姿であるために分かりづらいが、エイシュウの隣についてそう述べたのは第二班の周防ウコンだ。敬語を使っているが、エイシュウよりも年次が低いというわけではない。彼は誰にでもそういった言葉遣いをするのだ。キャリアで言えば、周防は現在の闇祓部では部長に次ぐ長さだろう。
「それじゃあ、あとはこっちが呪文を掛けるだけってことだな、楽な仕事だぜ」
「油断してはいけませんよ、美作くん。もとより外法の業を使っている連中です、どれほどのことが可能かもまだ未知数なんですからね」
「わかってますって周防さん、でもこっちは四人なんだ、魔力の増強さえされてなけりゃ、半端者相手にそう気負うこともないっしょ」
同じく第二班の美作が発した軽口を周防がたしなめ、それに対して美作が更に不満を漏らす。いつもの掛け合いではあるが、そのやり取りに挟まれた第一班の二人は、くちばしのついた防護面を見合わせて、プロテクターに守られた肩をすくめるほかなかった。マスクで見えはしないが、エイシュウもミズホもその下で苦笑を浮かべていることは間違いない。
第二班の二人の掛け合いとともに、四人の闇祓いは箒を駆り、スカイツリーへと接近していった。スカイツリーはいまや闇の中に黒ぐろとそびえ立つ塔へと変貌しており、その展望台上にいるはずの葛西の姿も闇に紛れている。防護面の風防ガラスに「フクロウ目の呪文」が掛けられていなければ、遠目には所在を確認することも困難だったろう。
展望台の上で、おもちゃに飽きてしまった子供のように、あるいは瞑想するように足を組んで座り込む葛西を見下ろしながら、周防が杖先に光を灯した。複数の班が共同で作戦に当たる場合、指揮は基本的に最先任の班長が取ることとなる。この場合は、周防ウコンがそうであるというわけだ。
打ち合わせをその場で一通りすませ、
「では、総員降下開始」
と、周防の杖が掲げられ、振り下ろされるとともに、闇祓いたちは一斉に降下を始めた。
周防の立てた作戦はごく簡単なものだった。スカイツリー本体の影に隠れてギリギリまで降下、展望デッキ上部が呪文の射程に入り次第、遮蔽物を作り接近を図る。ただ、それだけだ。だが、どんな防御呪文よりも物理的な遮蔽物のほうが禁呪に効果的であることを考えれば、それ以上の方策も存在しないのは確かだった。
鳥頭のマスクと分厚いマントに身を包んだ夜鴉の群れは、スカイツリーの影に隠れ、狩るべき獲物へと接近してゆく。みるみるうちに展望デッキが近づく中、フクロウ目の呪文がかかった強化ガラス越しに、エイシュウの視界の隅で光が瞬いて、消えた。周防が指示を出したわけではない。そも、いま彼らは縦列ではなく、横並びになっている。万一の際、一斉に攻撃を受けることを防ぐためだ。誰かの呪文が見えるはずもない。ならば、いま消えた光は何だ?──
疑問の答えをエイシュウの脳がはじき出すのと、
「──避けてください!」
と、聞き慣れた声が風の中に混じるのとはほぼ同時で、一拍の後、闇祓いたちの前には分厚い壁が現れていた。壁そのものはなんらかの攻撃ではない。それは、スカイツリーの壁面を変形させてできた防壁であり、その直後に向こう側から叩きつけられた磔呪文によって砕け散っていたからだ。そう、磔呪文だ。まだ展望台デッキまでは数百メートルの距離があるというのに、闇祓いたちにはまた再び禁呪が放たれたのだ。
「秋津、いまのはお前か?」
エイシュウは壁の残骸を蹴って強制的に上昇へと転じつつ、新人闇祓いへと呼びかけた。先程の警告を発したのは他でもない、ミズホだ。ならば、無言呪文で建物を変形させたのもミズホであろうと判断したのだった。
案の定、帰ってきた答えは肯定であった。
「はい、さっき一斉にスカイツリー周辺の車が、ライトを消したんです」
外壁を絶え間なく壁に変えながら、ミズホが下方を示した。言われてみれば、確かにスカイツリーを中心にした道では車があらゆるランプを消し、同時に運転も不可能になったと見え、無数の事故が誘発されている。
「それに、このスカイツリー。よく考えたら、これだけ大きい施設なら絶対に自家発電設備とある程度の燃料が常備されているはずなんです。それなのに、いまこの建物がまるごと真っ暗ってことは──」
即席の防壁が崩れ、黄色い閃光が視界の端をよぎった。が、崩れた防壁が呼び寄せられてすぐに遮蔽物が再構築され、禁呪の直撃は免れる。周防と美作が一旦降下を諦め、壁の構築に回り始めたのだ。しばし、壁の破壊と再構築の攻防が続き、それに伴って都心に残った光は更に数を減らし続ける。規模が小さいだけで、完全に停電前と同じ状況だ。都心には、ガソリンで発電をする車はもちろん自家発電設備を持つ大規模施設が多数存在している。そういった電源を魔力源として、今なお葛西は強大な魔力を行使しているようだ。
だが、行使する禁呪の規模が巨大であるだけに有限の電力が尽きるまでの時間も相当に短いと見える。都心に広がる闇は、刻々とその面積を増やす一方だ。
「──みなさん、まだ魔力は保ちますか?」
暗さを増してゆく大都市を横目に見ながら、周防が問いかけた。その真意は明白だ。このまま、都内に存在する残る電力がすべて枯渇するまで
「もちろん、こっちは闇祓いなんだ。あんな力任せの禁呪を連発するやつ相手なら余裕っすよ」
美作の答えに、エイシュウもミズホも異論はなかった。
このとき、都心にはすでに魔法事故惨事部が出動し、スカイツリー周辺には幻覚が張り巡らされている。故に、マグルたちがふとそちらを見上げたところでただ停電しただけの大電波塔が目に入るだけであり、そこで起きているいかなる異変も、響き渡る破砕音も知覚されることはない。けれど、もしもその幻覚の影響を受けることなくその光景を目にしたものがいれば、さぞ仰天したことだろう。何しろ、すっかり光を失った大電波塔の上空ではロンドン塔に集う大鴉のごとき異形のものたちが飛び交い、塔の外壁から次々に水平な障壁を作り出し、ときに障壁の影から攻撃呪文を放ち、下方より放たれる黄色い閃光と激しい攻防を繰り広げているのだ。
即席の壁が砕かれ、その破片が再び障壁を成し、更にその壁も砕かれる無限とも思われるやり取りをどれほど繰り返したころだったか。すでに、スカイツリー周辺からは明かりがすっかり消え去っている状態でのことだ。
「いけますね、これ。あいつの呪文の射程が短くなってる」
美作がそう述べたとおり、都市から明かりが消えるのにつれ、禁呪の効果範囲は次第に短くなり、闇祓いたちは段々と展望デッキに近づいていけるようになっていた。このまま押し切れば、逮捕も目前と思われた。そんな時のことだ。
びょう、と風が吹いた、その次の瞬間。闇祓いたちの周囲には無数の白い紙が飛来していた。呪符、陰陽師たちの使う呪文代わりの札だ。
一体何が起きたか、と思う暇もなく呪符は一塊になり、巨大な白蛇へと姿を変えた。いや、白蛇が現れただけではない。白蛇は大電波塔に巻き付くと、空中の闇祓いたちに大顎を開いて躍りかかり始めたのだ。明確に、闇祓いを攻撃するよう命令を受けている。
「──何のつもりだ、陰陽師!」
大白蛇の顎をすんでのところで躱しながら、エイシュウは叫んだ。白蛇の向こうには、黒いスーツ姿の陰陽師たちの姿が見える。空中に浮かべた呪符を足場代わりに夜の闇の中に並び立ち、揃えて伸ばした二本の指を白蛇に向け続けるその姿は、彼らが今なお白蛇に闇祓いを襲わせようとしていることを物語っている。
「何のつもりだとは、こちらこそ問いたいところだ、闇祓い!」
エイシュウに対抗して声を荒げたのは、穂村陰陽師だ。穂村の声に合わせ、他の陰陽師たちがあらたな呪符を行使するとともに白蛇の鱗からは赤い炎すらも上がり始めて飛び惑う夜鴉たちをなお惑わせる。
「このありさまはどういうことだ、お前ら、首都を停止させるつもりか! いったいこの停電でどれほどの被害が発生していると思ってる、交通事故だけで何件起きたかすら未だに把握できていない始末だ、商業への被害額なんて想像もつかん、おまけに非常電源まで次々止めやがって」
エイシュウに向けて、燃える蛇の大顎が開かれた。その奥には、青い光が見える。超高温の炎を吐き出させるつもりなのだ。が、攻撃を受ける側も、伊達に闇祓いの肩書を持つわけではない。
「
と呪文を唱え、杖を蛇の喉奥に向けるや、杖先からは水の奔流がほとばしりはじめる。高圧ホース並の勢いで叩きつけられる水はただ炎を消し止めるだけではなく、大蛇の体をふくらませるほどに満たし、その動きを鈍らせるには十分なものだった。
「今です、全員で蛇を消しますよ!」
闇祓いたるものが、その好機を見逃すはずもない。周防の号令にあわせ、闇祓いたちは揃って
エイシュウは、陰陽師たちを見据えた。
「闇祓いを前に、魔法でもって立ちはだかったな。明確な公務執行妨害、および人間に対する魔法の不正使用だ。直ちに排除する」
大蛇という障害物が消え、真っ向から空中にて相対することとなった黒いスーツの一団に対して、エイシュウは杖を振った。彼の言ったとおり、陰陽師たちの行動は闇祓いによる葛西の逮捕を妨害しようとするものしか見えなかったためだ。無言で行使したのは
「待って! 待ってください!」
凄まじい速度で展開されるエイシュウと陰陽師たちの魔力の攻防はなお続いていたが、唐突にそんな声とともに飛来した黒い影によって中断されることとなった。退治する闇祓いと陰陽師との間に、ミズホの箒が割って入ったのだ。直接割って入っただけに、呪符から放たれた攻撃も杖先から飛んだ攻撃もある程度その身に直撃することとなったが、通常の攻撃呪文は闇祓いの纏う防御呪文によって弾き飛ばされ、なんらミズホに危害をもたらすことはなかった。
陰陽師たちはなお呪符を展開する素振りをみせたが、最上位者である穂村が何かに気づいたように手を上げ、部下の攻撃を止めた。ミズホが鳥頭の防護面を外して、素顔を晒したのだ。
「秋津、退け」
エイシュウがそう命じるも、ミズホは彼に背を向けたまま動こうとはせず、さらに杖を逆さに持って手を上に上げてみせた。陰陽師に伝わるかどうかはわからないが、相手に向けて呪文を行使することはない、という意思表示だ。
「何か、手続き上の問題があったんだったらすみません、でも、あとちょっとで拘束できそうなんです、そうしたらすぐに発電所にかけた呪文も解除します、だけど、ここで息をつかせたら──」
と、ミズホは下方で護符の防壁を破ろうとする二班の二人と、そのさらに向こうで上空の様子を不思議そうに見やりつつその様子をスマートフォンに向けて実況していると思しき葛西を示してみせた。眼下の夜景の中では、まだ完全には発電のための燃料や蓄電池を使い切っていなかったと思しき施設に光が戻りつつある。葛西は、おそらくは蟲の能力によってある程度魔力の貯蓄が可能となっていると思われる。この間にまた電力から魔力を貯められれば、逮捕はまた困難となってしまうだろう。
そう主張するミズホに対して、穂村陰陽師は空中で、どうしようもない理不尽、巨大な不理解に直面したかのような表情を浮かべてみせた。
「分かってるよ、そのくらいは分かってる。だがな、闇祓い。お前らに暴れられて、あいつが電力を吸い上げると、完全な停電が広がるんだ。いま、都内にある病院の非常用発電すら使えなくなっていってるんだよ」
「あっ」
ミズホが、片手で口元を覆った。そう、電力を寸断するということは、それを絶対に必要とする人間に多大な被害を──ときには人命を脅かすレベルの被害をもたらすということでもある。けれど、職務に伴うマグルの被害を考慮する義務は闇祓いには、ひいては魔法省には存在せず、それに気づきうる立場のミズホも目の前にいる葛西を捕縛する事に気を取られていたために、誰一人背後に潜む被害の可能性に気づかないままことが進んでしまっていたのだ。
「魔法省闇祓部は、直ちに民間人保護のために出動を取りやめ、帰還していただきたい。これは賀茂ヤスナ陰陽頭より魔法省にも通達されている要請である」
ミズホが、苦しげな表情で振り返り、エイシュウを見た。いただきたい、という語尾と、要請、という言葉から伺えるとおり、この要請には法的な強制力はない。いまそこに魔法を使って違法行為に手を染める犯人がいる以上、魔法法は闇祓いによる即時逮捕こそを裏付けているからだ。
だが、だからといって、今の話を聞かされた上で独断で動けるような人間もこの場には居ない。
「本部、こちら第一班敷島。現在、陰陽寮よりマグルの保護を旨とする出動中止要請を受けている。判断を請う」
本部への問いかけへの答えは、しかし、なかなか帰っては来ない。
それもそのはずだ。なぜならば、隅田川に沿っておよそ十キロほど下っていった先に存在する東京タワーの、その頭上に吊り下がった日本魔法省の一室では、今まさに現場で起きているのと同種の混乱が、より深刻な形で起こっていたのだ。というのも、捜査本部で倉田部長と闇祓いたちに「要請」を突きつけたのは賀茂ヤスナ陰陽頭当人ではなく、
「お分かりでしょう、倉田さん。これだけの規模の停電というのはいわば災害だ。私は災害を受け入れるわけには行かない」
と、やはりどうにも趣意の分かりづらい表現を使う魔法省の最高位者、四十住セイシロウ魔法大臣であったからだ。その後ろでは、居並ぶ法務部の職員の向こうに賀茂陰陽頭が佇んでいる。その位置関係には、どこか飼い犬とその飼い主を思わせる所があった。少なくとも会議室に集う者たちからすれば、陰陽寮からの要請を唯々諾々と受け入れた、としか見えない構図である。
「それは魔法法の定めるところじゃあありませんよ、四十住大臣」
「いま、現場で戦ってる仲間がいるんだ」
「何だってそんな半端者どもの言うことを聞かなきゃあならないんです」
「逮捕を引き伸ばしてどうなるっていうんだ、結局は同じことをやらなきゃどうにもならんでしょう」
当然に、闇祓いたちは吹き上がり、会議室は喧騒に包まれる。だが、自分の意見を持っていないと散々囁かれる若き大臣も、こればかりは譲るわけには行かないらしい。当たり前といえば当たり前だ、彼はマグルの国会に議員として名を連ねてもいる。実力はともかく人気は凄まじいことからいずれは総理大臣にとの声も高く、実際にそのポストを狙っていることも間違いない。そんな前途洋々たる身からしてみれば、いま魔法界の事情でマグルの社会に損害を与え、表沙汰にならないとはいえ現総理の覚えを悪くするのは全く得策ではないだろう。
喧騒を遮るように、バン、と破裂音がした。液晶テレビの前に設置されていたポリカーボネート製の大盾が弾け飛んだ音だ。また、魔力放送を使った攻撃が再開されたということだ。
「とにかく倉田闇祓部長どの、重ねて要請する。現場から闇祓いを退かせていただきたい。常ならぬ力を持つものがその活動の中で力を持たざるものに危害を及ぼす。これこそ最も避けるべき事態だということは、魔法使いとて共通の認識であるはずだ」
けれど、そんな攻撃になど頓着しない様子で、賀茂陰陽頭が「要請」を繰り返した。鋭い視線を真っ向から受ける倉田部長はというと、唇に手を当てて何やら考えている様子だ。
「──では、こういうのはいかがかな。当面、最も喫緊に電力を必要とする場所は病院やそれに準ずる施設であるはずだ。ならば、魔法省から癒療スタッフを都内の病院に送り込み、電力を必要とする治療を受けている患者に治療魔法を施す。停電下での重篤患者の延命程度ならば、一つの病院に一人二人癒者を送り込めば済むはずだ」
やがて倉田部長が発した案に、捜査本部のスタッフからは、おお、と歓声が上がる。部長の案ならば、そう時間もかからず、停電による最も深刻な影響を回避することが可能であるはずだ。
けれどその提案には、若き魔法大臣に付き従う魔法法務部長が首を左右に振った。
「それは、困る。こちらから能動的にマグルに対して働きかけることは魔法法の最も忌避するところで、特にマグルに対する魔法治療行為は厳禁されている」
「いや、それなら……魔法に起因する損害を補填するのであれば魔法法の定める魔法事故対応に当たるはずだ」
「いや、駄目だ、損害の原因となるものが闇祓いの行動である以上、原因を取り除くことが優先です。気持ちは、分かります。ですが、倉田さん、ここは呑んでもらえませんか」
法務部長がそう言って頭を下げるのを前に、倉田部長はまいったな、と言いたげに空を見上げ、
「勿論だ、勿論です。我々の活動がマグルへ危害を与えることなどあってはならないことだ、承知しています」
と、苦渋を滲ませた声で返答した。闇祓いたちからは、魔法族への被害はどうでもいいというのか、との声が上がっているが、部長は振り向くことなく机上のマイクを呼び寄せた。
「こちら本部、倉田より第一班、第二班へ。要請は把握している、すぐに──」
倉田部長が重々しい声で帰還命令を下そうとした、その矢先。
慌ただしい足音とともに、捜査本部に数人の魔法省スタッフたちが駆け込んできた。
──そして、スカイツリー上空では、闇祓いと陰陽師とが風に吹かれつつ驚愕の顔を浮かべていた。なぜならば、一度途切れた無線は再び数分間沈黙を続けたあと、
『繰り返す、第一班、第二班はすぐにマル被を確保せよ』
と、犯人の確保命令を伝え始めたからだ。闇祓いですらも驚きを隠せず、陰陽師たちに至っては再び呪符を取り出して闇祓いが動き次第攻撃を開始する構えを取り始めたのも無理はあるまい。
「秋津、保護面をつけろ」
エイシュウと穂村陰陽師の間に滞空した状態で未だ保護面を外していたミズホに、エイシュウが短く指示を出した。この状態では、陰陽師が呪符を使えばまず直撃を受けるのは彼女ということになる。ためらいながらも新人闇祓いが疫病医のものに似た保護面を付け、陰陽師の呪符が闇祓いたちを取り囲み、秋風と言うには冷たすぎる夜風の孕む緊張がこの上なく高まった、そんなときのことだった。
『──マグルへの被害の懸念は全て払拭されている、心置きなく捜査に専念せよ』
数度命令を繰り返したあと、倉田部長の声は最後にそう告げ、雑音とともに通信を終えた。無線の内容は無論、陰陽師たちにも聞こえている。穂村がすぐにポケットからスマートフォンを出すと、そこには着信が入っていたらしい。数度の操作で穂村と上司との通話が始まり、そして、その通話は倉田部長の言葉を裏付けるものであったと見える。
「呪符を戻せ、彼らを止める必要はない、護符もだ」
穂村の命令のもと、周囲の呪符が発動することのないまま陰陽師たちの元へと戻っていった。完全に、陰陽師たちの敵対心は消え去っているようだ。
「いったい、どうして──」
「要らない事を考えている場合じゃあないぞ、犯人はまだそこにいるんだ」
不思議そうに首を傾げるミズホの注意をうながすべく、エイシュウは下方を示した。護符の防壁が消えていく事に気づかず、葛西は相変わらずスマートフォンに向けて実況を続けている。結果的に、ではあるが、陰陽師たちとの「仲間割れ」は、葛西のスキを引き出すこととなったようだ。
周防の杖先に、再び光が灯った。その光が振り下ろされるとともに、黒い猛禽の群れは一斉に獲物に向け、今度こそ確実に逃すまいと一斉に襲いかかっていく。──
† † †
葛西シュウジが闇祓いに打ち倒され、蟲を吐き、捕縛されるところまでを彼の持ち込んだスマートフォンは余すことなく配信し続けていた。
つまりは、コンクリート造りの広い空間の中、液晶TVにかじりつくようにしてその様子を見入っていた兎耳の幼児、ギョクトが
「あーん、あいつもまたやられちゃった!」
と、悔しげに叫ぶ原因となった、ということだ。
「ドーマさま、敵のほうがずーっと多いんですから、やっぱり滅茶苦茶にしてやろうとしたら一人ずつ送り込んでちゃ駄目ですよぉ、もっといっぱい、同時に送り込まきゃ」
「ふふ、ギョクト、おまえがすぐに十分な数の蟲を作ってくれると言うならそれも悪くないとは思うがね」
赤い狩衣姿の童子に対し、直垂を着込んだ男が本気とも冗談とも付かぬ声色で返答する。すると、ギョクトは怖気の走ったように体を震わせてみせた。蟲を量産するのはなかなかに骨の折れる作業であるようだ。
ドーマは、呪符に覆われた大きな水槽へと視線を向けた。しばらく前には大量の地虫で満杯になっていたはずの水槽は、いまやどの水槽を見ても汚れの他には何一つ残っては居ない。かといって、部屋の中を見回しても完成した腹中蟲がどこかに移された様子はないが、一体何処へ消えたというものか──
「魔法使いが能力の限りを尽くして対処してくれれば、それだけで全てはこともなし」
空中に何かを描くように、あるいは指揮者がタクトを振るうように、ドーマは揃えた人差し指と中指を優雅に動かして見せる。
「すでに蟲たちはあるべき場所に巣食っている、あとはただ、蟻の一穴を開けることのみ」
やがて、ドーマは割れた窓によりかかり、暗い景色へと視線をやった。そこに横たわるものは、今宵闇祓いたちがもたらしたものと同種か、それ以上に暗い闇だ。はるかな闇の奥で、蟲のごとくに悪意が蠢いている。では、その闇を祓うべき者たちがいま何をしているかと言えば──
「本当に、なんと申し上げればいいか」
と、頭を下げていた。その対象は一昨日、いや、もはや日付が変わっているから三日前と同じハーマイオニー・グレンジャー・ウィーズリー英国魔法大臣だ。地上での騒動のあいだ魔法省に留まっていたウィーズリー大臣に彼らがふたたび頭を下げているのは、しかし、以前とはまた別の理由によるものだ。
「情けない話だが、大臣殿の助力がなければマグル社会への介入を行うことは不可能でした。ありがとうございます……と言うのも妙な話だが」
そう。倉田部長が述べたとおり、今宵闇祓いたちが職務を遂行できた理由は英国魔法大臣の助力のおかげであったのだ。
英国魔法大臣は、倉田部長とそれに付き従う闇祓いたちを前になんともいい難い表情を浮かべた。助力、と倉田部長は言ったが、率直に言ってしまえば「外圧」をかけたことを自覚しているからだろう。
「私は、あくまで東京に住む英国籍非魔法使い保護のため、早急な犯人の逮捕とそのために必要なあらゆるバックアップを求めただけのことです。その他のことは、ただ偶然起きただけのこと」
政治家の表情でそこまでを述べたところで、ふっ、とハーマイオニーの表情から力が抜けた。安堵の表情を浮かべたわけではない。友人と不安を共有するときのような、そんな表情へと切り替わったのだ。
「──だけれど、うまく意図を察してくれて安心したわ」
ほとんど、倉田部長だけに聞こえるような声で、すれ違いざまにハーマイオニーはそう囁いた。
「おそらくこの国にはいま、なんらかの闇の魔法が渦巻いている。闇は、少し気を抜けばまたたく間に一つの国を覆い尽くすもの。皆さんなら、正しく闇を祓ってくれるものと信じています」
ロン・ウィーズリー同様にハリー・ポッターの友人として学生時代を過ごし、十代の大半をトム・リドル事件の渦中で過ごし続けた英国魔法大臣は、振り向くことなくそう言い残し、歩み去っていった。政治的なカードというのは、往々にして一度にいくつも切ることは出来ないものだ。英国魔法大臣は、英国人保護のために外圧をかけた。その代わりに、会談で成果が得られる可能性は完全な無に帰したことだろう。
闇祓いたちは、去りゆく背に向けて敬礼をした。敬礼は、英国魔法大臣の姿がすっかり見えなくなるまで続けられていた。