高級マンションのエントランス脇に止められたリムジンに、一人の男がもたれかかっている。黒いコート姿の男だ。その口には、一本の煙草が挟み込まれている。
彼は、咳払いの音に振り返った。自身のくわえた煙草の煙の向こうに見えたものは、険しい顔をした青年の姿だ。常であれば朗らかな笑顔をあたりに撒き散らすはずの整った顔は、今日に限ってはいつになく顔色が悪く、朝だと言うのに疲れ切った様子ですらある。仕方あるまい。なにしろあの惨劇が発生したのはつい昨日のことで、昨晩は遅くまで総理官邸にて対応を協議していたという。
「倉田さん、煙草はちょっと」
「これはすみません」
と、頭を下げつつ倉田部長は吸っていた煙草を文字通りにまるごと消し去り、続いて逆さに持った杖を掲げながら右袖を捲りあげた。顕になった腕には、八咫烏の紋章と所属番号が刻まれている。魔力で刻まれたそれは闇祓いであることを示すとともに、この場合においては他の誰かが魔法薬や変化術の類でなりすましたものではないことの証明でもある。
ふたりの魔法使いを後部座席に乗せ、車はゆっくりと走り出した。
「ご家族は、ご無事でしたか」
車窓に映る景色が流れ出してしばらくしたところで、四十住議員、あるいは四十住魔法大臣はさも気遣わしげに隣に座る闇祓い部の長に家族の安否を訪ねた。あの惨劇から、まだ一晩。魔法大臣も闇祓部長も、互いが無事であることは連絡を受けて知っていてもそれ以外には何も把握はしていない。
「実家は鞍馬の山寺で、妻はマグルで娘は普通の学校です、この件では何の被害も。そちらは──閣下のほかは全員がマグルのご一家でしたか」
「いえ、私以外では母が魔法族です。ですが別段、魔法省に関わる仕事をしていたわけではありませんし、なんなら殆ど会ったこともありませんからね」
「ああ、これは失礼しました」
倉田部長は、目を伏せて頭を下げた。マグルの政治家一族出身の魔法大臣が、意外と複雑な家庭環境の出身であったことを失念していたのだ。
リムジンのカーナビからは、NHKのニュースが流れ続けている。その伝えるところはおよそ昨晩の魔法省落下事故とそれに関連するあらゆる出来事で占められており、中でもドーマを名乗り、あの事件の首謀者であると自ら自白した直垂姿の男については随分な時間を取って報じている。
「現場に居合わせた魔法省職員に限った生存者は十四名、魔法省基部、つまりは地上からの上下関係で言えば最上部にて浮力維持システムの管理にあたっていたものがほとんどです。被害者数は、いまのところ不明ですが職員数からの推定では千名を下らないものと思われます」
闇祓部長の報告をうけ、ああ、と、うめき声とも返事とも付かない声が四十住の喉より漏れ出てその顔を両手が覆った。自分よりも遥かに若年の、およそ見た目以外の評判のよくない上司の反応を見た倉田部長の顔には、意外な、と言いたげな表情が浮かんだが、無論、口には出さない。
「全体の生存者としては、非番のものや休暇中のもの、出張のものなども含めれば七十四名と連絡がついています。うちの部と事故惨事部を含めた数ですね。現状連絡の取れる職員のリストはこちらに。封筒には封印呪文を駆けておりますので規定の手順で開封お願いします」
倉田が玉紐のついた茶封筒を四十住の膝の上に置くと、両手に覆われたままの顔が、ピクリと震えた。首肯した、ということのようだ。
「それから……昨晩のあのドーマと名乗った男に関して、総理を通して警察に対して闇祓いを取り調べに協力させてもらえるよう要請をしてもらえませんか。マグルの法体系ではやつを裁くことはできないし、そもそも彼らにはやつの言うことも理解出来んでしょう」
続けざまに、この報告を倉田自らが持ってきた最たる理由である話題を切り出したところで、顔を覆っていた両手がゆっくりと降ろされた。数分ぶりに現れた上司の顔に、闇祓いを統括する立場にある歴戦の魔法使いは、柄にもなくぎょっとする。青年政治家の顔に浮かんでいたのは、意外にも、と言うべきか、この場には似つかわしくない──嘲笑とも取れるような表情であったのだ。
真意の汲めない表情を浮かべたまま、四十住セイシロウは遥かに年上の部下に対し、憐れむような口調で話しだした。
「いまさら、あの男を追うのか? 非魔法族がどうのというが、あなたがた闇祓いだってあの男の企てていたことの片鱗すらもつかめなかったし、裁くどころか捕縛の権利も持たなかったじゃないか」
目の前の男を心から見下したような態度を隠しもしなくなったいま、四十住はいつになく状況に
「たしかに、ええ、あの場ではマグルを名乗り、いかなる魔法も行使していない男を捕縛できなかった。ですが、過去の判例の中に、魔法製品を使い公衆の面前で魔法の効果を披露したマグルに対して警察隊が攻撃と捕縛を行った事例というのがあって、これが合法とされている以上──」
ややあって、倉田は昨晩法務部の生き残りとともに見つけ出した魔法法の抜け道を説明しだしたが、その言葉も刺々しい笑いで遮られる。
「あはは、すごいな、鬼刑事って感じだ。だけど、粛々と職務を遂行することで見ないふりをしているのかもしれないが、あんた、この状況で魔法法をこねくり回して、それでどうする。逮捕状は誰が書く。逮捕状はどうにかしたとして、法廷はどうやって開く。検察官も裁判官もどれほど残っている。そもそも、魔法省なんていうよくわからない機関の裁判所が日本国民を裁くことを、どこの誰が許容する」
倉田部長の眉間に皺が寄り、怒りが顔面をこわばらせる。ここまで明確に自分のやっている仕事を否定されれば、怒らない人間もまず居ないだろう。即座に怒鳴り返さなかったのは年の功ゆえ、というよりは単純に彼も疲れていて、それだけの気力がなかったのだ。
車はすでに国会の前に到着している。だが、後部座席の二人はどちらも降りる素振りは見せず、運転手も戸を開いて良いものか迷っている様子だ。
数拍の間をおいて、ゆっくりと、言葉を選びながら倉田部長は反論をはじめた。
「大変な事態に際して気が立っておられることは理解します。ですが、あなたのような立場の方が短絡的なものの見方をされては困る。OBや魔法魔術伝習所教諭、議員経験者やその身内、法曹資格保有者、とにかく専門技能を持つものに声をかけ、可能な限り早急に魔法省の機能回復を図る旨話し合っているところなんだ。あなたが最初に何もかも放り出したら、いま頑張ってる奴らはどうなるんです、四十住大臣」
放り出すなら放り出すでさっさと辞任してくれ、と、思いはすれど、ギリギリ言葉にはしない。とにかく、今は邪魔にならない程度に理性を保ったまま大臣としての職務を果たしてくれさえすればいい。そのような思いで紡ぎ出した倉田の言葉は、しかし、やはり四十住の冷めた笑いを前に、何の効果も発揮はしなかった。
暗い感情を煮詰めたような表情で首を左右に振りながら、四十住セイシロウは、血の底から響くような声を発した。
「そりゃあ、倉田さん、無駄な努力ってもんだよ。昨日の夜、総理と話して決めたんだ。魔法省は、その権限を全て日本国政府に返上し、全ての魔法族は日本国政府の指導するところに従うと」
四十住魔法大臣の宣言より一拍ほどの間をおいて、倉田部長の座る座席のシートが鋭利な刃物で裂かれたように弾け、防弾ガラスが砕けて白く割れた。抑えがたい感情の奔流は、ある程度以上の力量を持つ魔法使いにおいては無言・杖なしでの魔法の効果として現れることがある。魔法使いたちの不穏な話を運転席で固唾を呑んで聞いていた運転手が、うわあ、と声を上げて車を飛び出そうとした。だが、自分が掛けたロックのせいでなかなか戸が開かず、ひとり狂乱を繰り広げることとなる。
「──あんた、馬鹿な、そんな重大な決断を議会にも掛けずに、一体どんな権限に基づいて」
運転席のマグルがパニックに陥っていることにも構わず、憤怒に震える声で倉田部長は四十住の決断を詰る。それに対する魔法大臣の答えは、心の底から目の前の闇祓いを見下したような表情だった。
「だから言ってるだろう、そんなことを考えるだけ無駄だ。ひとつの国家の領域の中にあって、国民たる存在のうち特定の何百万人、最大限に解釈すれば国民の一割近くを統括しうる組織が、政府を名乗る? ああ、その存在が秘匿されていればまだ、実態はどうあれそんな絵空事に基づいたごっこ遊びも許されただろうさ。だが、いまや魔法族は白日のもとにさらされた。御伽噺の時間は終わったんだ。そのうえで主権国家からの独立を謳うというならば、それはもう国家主権への反逆だ」
「だから今、事故惨事部が必死になって、全力でもう一度魔法族の秘匿を図っている、元の状態へ戻そうとしているんだ、なぜその努力を信じない!」
「努力? 馬鹿を言うな、闇祓部だって努力して、全力であのドーマとかいうテロリストを追いかけて、その結果がこれだろうが! お前らの努力は無駄だった、闇祓いが無能だったから
再び革張りのシートが弾け、ばきりと防弾ガラスにひびが入る。今度は運転席の後ろを中心にした、つまりは四十住セイシロウを中心とした魔力の奔出だ。運転手は、ここに至ってようやくドアのロックに気がついたらしい。ドアを押し開けて車外へと転がり出ると、異変に気づいて車を取り囲んでいたマグルの警備員や国会で待機していた魔法大臣付きの闇祓いを押しのけ、逃げ出していった。
ふたりの魔法使いたちは、それ以上会話を続けようとはしなかった。魔力の及ぼした損害を
「……そういうわけですので、倉田さん、対応よろしくおねがいします」
しばし瞑目した後、再び目を開いた青年政治家の顔は、メディアを通じて見られるのと同じ、いつもどおりの表情へと変化していた。目の前で起きた奇妙な出来事に目を白黒させる警備員たちに何でもないと伝える四十住の態度には、何一つ直前までの醜態を思わせるところはない。
「何かありましたか、部長」
待機していた二班の二人のうち周防ウコンはその場に残り、生き残った魔法省高官たちの纏っていた明らかに険悪な空気について、彼の上司へと部長に問いただした。
「随分と大事でな……ん、今日の大臣付きは二班だったか」
「本来は一班のはずですが、ふたりとも杖が折れてしまっているので交代を。LINEで連絡して、既読はついていたかと思いますが」
「ああ。すまん、そうだ、たしかに確認したはずだ」
受けたはずの連絡を頭から消し飛ばしてしまっていたことに気づいた倉田部長は眉間を抑えつつ首を振り、先程までその中に乗っていたリムジンにもたれかかった。
「──現状、一刻でも早く議会と裁判所の機能回復を図り、四十住の弾劾と四十住の権力移譲の無効判決を待つことになるだろうが──あのマグルもどきのボンボン、責任を取りたくないならさっさと辞めてくれりゃあいい、誰がやってもあいつよりはマシってもんだ」
車内での話をかいつまんで伝えた話の結びに、倉田部長はそう吐き捨てた。再びその口には煙草が戻っており、悪罵とともに辺りには煙が広がってゆく。
周防はといえば、聞いた話をしばし頭の中で反芻し、深く考え込んでいた様子だった。が、やがて、何か一つの結論に達したらしい。
「部長。そういう次第であればひとつ、案があります。……というか、かなり現状はまずい状況かもしれませんよ」
寒空の下、二人の闇祓いたちは紫煙に巻かれつつ、抜けるような青空とは真逆の、仄暗い言葉を交わしはじめたのだった。
† † †
寒空の下、雑然とした横丁は今日という日であっても常と変わることはない。
石畳の上には長いローブや鳶コート、着流し姿といったおよそ浮世離れした人々が行き交い、左右に並ぶ店という店では空中に浮かぶ行灯や人の言葉を伝える鴉、いたずら道具専門店の様々な魔法道具、自らページを開いてその内容を垣間見せようとする魔導書といった物品が人の目を引いている。
「ダイアゴン横丁の日本版、って感じですね。まあ、名前からしてそのまんまですけど」
とは、明治や大正の時代を思わせる雑踏の中、秋津・ミズホ・ローレンスが下した評価だ。ミズホの視線の先では、空中に「大納言横丁」という看板が浮かんでいる。
「明治十四年、英国ダイアゴン横丁に範をとり作られた、日本魔法界創設期の息吹を残す赤煉瓦の街並みです……ってさ。これ、観光客向けっぽいけどどういう層が観光客として来るんだ?」
ミズホの言を受け、大納言横丁入り口で配布されていたパンフレットの説明文を読み上げたのは穂村カツミだ。ミズホと穂村は、かたやワンピースの上にダッフルコート、かたやスーツにダウンコートという〝ごく普通の格好”であるため、魔法族だけが行き交う横丁においては随分と浮いている。
対して、その場に馴染んでいるのは、二人のやや後ろを歩く敷島エイシュウだ。私服の上からローブを着込んだだけの若い魔法族にありがちな姿であるだけに、かえって地元民の雰囲気を醸し出しているのだ。
「おい、通り過ぎてるぞ、杖屋はこっちだ」
地元民の貫禄に違わず、エイシュウは目的地を通り過ぎようとする二人を呼び止め、狭い路地を下ってゆく階段を指差した。その先には、確かに店の入口が見えている。
「あれ、でもオリバンダー杖店大納言横丁店はこの先って……」
「そっちは輸入品の店だよ、高い」
穂村の持つパンフレットを指差すミズホに構わず、エイシュウは階段を下りつつ、さらに言葉を続け──
「陰陽寮の経費で落とすんだろ、見た目には多少目をつぶってこっちの安い方にしといたほうが──うわあ!?」
と、いつもの通りの調子であまり人聞きのよくない杖の評価を口にした所で、その身体は一挙に階下へと引きずられ、悲鳴とともに階段を転げ落ちていった。
「どうしたんですか敷島さん……敷島さん!?」
「えっ何、あれ何、誰!?」
何事か、と路地の入り口から覗き込んだミズホと穂村は、口を抑え、目を見開いた。何しろ、階段の下では敷島が屈強な老人に──そう、一見するに巨人やその類の血を引いているかと思われるほどに巨大な老人にその襟首を掴まれ、ぶら下げられていたのだから。
老人は、エイシュウの顔を覗き込み、怒気も顕に胴間声を張り上げはじめた。
「オリバンダーの店に比べて低級だの、見た目がダサいだの、天下の往来で好き勝手に言ってくれるじゃねえか、ド素人が!」
実を言えばエイシュウは、無言の杖なし呪文で自らの身体を浮かせつつ、こっそりと耳に入る声の音量調節も行っていた。だが、それでも老人の声はエイシュウの鼓膜を震わせ、体全体が嵐の中に巻き込まれたかのような気持ちすら抱かせたのだった。
「すまん、いや、でも入道の爺さん、俺は低級だとは一言も──」
「ああ!? しかもお前、あのやたら短い杖の小僧っ子じゃねえか! なんだ、あのわざわざ作ってやった杖まで折ったってのか!? あの杖を作るまでにどれだけ杖を無駄にしたか覚えてないわけじゃないだろうなお前、この恩知らずが!」
そして、エイシュウの体は、宙を舞った。「入道の爺さん」が掴み上げた体を表通りに向け放り上げたのだった。勿論、杖がない状態でも闇祓いともなればその程度で怪我一つ負うはずもない。怪我は負わないが、ただし、そのためにはなかなか瞬発的な呪文の行使も必要となる。
「ジジイてめえなあ、こっちは杖なしだぞ、並の魔法使いなら死んでてもおかしくねえぞてめえ」
あっけにとられているミズホと穂村を押しのけて、再度エイシュウは階段を駆け下りた。階段の下で腕を組む「入道の爺さん」はといえば、そんなエイシュウを蟷螂がカマを振り上げているかのように見下ろしつつ、ふう、と息を吐いた。
「そのくらい、分かっとる。さっきから杖なしで呪文を使ってるのを見てなきゃあそこまではせんよ。──そっちの二人も、さあ、入ると良い」
エイシュウが階段を下りきるタイミングで、店主は自らの店の扉を押し開けた。カラン、と音を立てて大振りなドアが開き、木と畳の匂いが流れ出る。階段を駆け下りた勢いもそのままに、エイシュウは魔法介具店金山屋へと入店することとなっていた。
金山屋の店内には所狭しと商品が積み上がり、今にも倒れてきそうなほどだ。英国魔法界に足を踏み入れたことがあるならば、店先から奥が畳敷きになっていて、杖の他にも刀や十手と思しきものまで取り揃えていること以外はオリバンダー杖店とほぼ同じような状態、と言えば伝わるだろう。あるいは、呉服屋のつくりをそのままに扱っている品を呪文の媒介具に置き換えたような、と例えることもできるかもしれない。
「あっ、お客さんですか、いらっしゃいませ」
エイシュウが座敷に上がるとともに、店の奥からはそんな声が上がった。若い女性、あるいは少女の声だ。エイシュウが以前に訪れたころ、つまりは魔法所への入学が決まった頃の彼が訪れたはるかな昔には居なかった存在だ。バイトでも雇っているものか、と「入道の爺さん」に聞こうとした矢先──
「──あれっ? この間の、闇祓いの人だ」
そんな声とともに、どこか見覚えのある少女が彼の前には現れていた。ややぽっちゃりした体型に眼鏡を掛けた、いかにも真面目そうな外見の少女は──
「あー、たしか、白虎寮の……」
「一ッ目ナギサです。よかった、闇祓いさんは無事だったんですね、昨日の事件で」
一ッ目ナギサ、魔法所での依代事件に際していっとき依代であるとの濡れ衣を着せられかけた、白虎寮の役員生だ。
「もう必要な単位もほとんど取り終わってるので、授業のない日は家業の伝いをしてるんです。卒業したら、ここで働く予定ですから」
「家業? じゃあなに、きみ、あの入道の爺さんの……」
心の底から驚いた声を上げたエイシュウに、店先から「娘だ」との声が飛ぶ。
「えっ娘? 孫じゃなく? でも名前が──」
「金山はうちの氏神から取った屋号で、入道はお前ら魔法所のガキが勝手につけたあだ名だ、まさか本名だと思ってたのか? 表札もあるだろうが、一ッ目
コヅチはぶつぶつと自身に対する敬意のなさを愚痴りつつ、ミズホの杖を見繕いはじめた。値段と見た目に差はあれど、金山屋の杖は、作りや品質の面ではオリバンダー杖店に勝るとも劣らない。三本ほどの杖を試した所で、ミズホに適合する杖は難なく見つかったようだった。
続いて、エイシュウが結果はわかりつつも店主の巨体の前に進み出たところで、コヅチはくるりと店の奥を振り返り、ミズホの杖の領収書を書くナギサに声をかけた。
「丁度いい、ナギサ、そいつにどんな杖が合うか一度見立ててみろ。特殊な杖しか合わんから練習になるぞ」
領収書から顔を上げたナギサの顔が、ぱっと明るくなった。練習台と明言されたエイシュウとしては内心複雑な気分ではあったが、やる気をみなぎらせる杖職人見習いを前に、無下に断るのも気が引けるものだった。
「お願いします、がんばります!」
と頭を下げるナギサに笑顔で快諾を与えると、エイシュウは黙って次々に差し出される杖を振りつづけたのだった。
「たしかにこれは、なかなか珍しいですね。普通、魔力量が多いなら杖が長いほうが呪文が安定するはずなんですが、なんで長ければ長いほど詰まっちゃうんでしょう? いや、でも黒檀と一角獣の鬣でここまで派手に壊れるのは本当に珍しい、わざとやったって無理ですよこれは」
そして、三十分ほどの後。およそありとあらゆる長さと素材の杖の残骸が周囲に散らばり、エイシュウが気まずげな表情を浮かべるのも気に留めず、ナギサはらんらんと目を光らせて言った。その目は、この上なく興味深い被験体を目にした狂科学者の目と同種の輝きを放っている。対象は違うがこいつは玄武の奇人、いまは魔法生物飼育学教師となっている南方サクマと同種の人間だ。今になってようやく、エイシュウは目の前の杖職人見習いについての正しい見識を有するに至っていた。
「……あー、これ、正解言っちゃったほうがいい? 言っちゃだめ? まだ調べる? 商品、かなり無駄にしちゃってると思うんだけど……」
「杖は大丈夫です、これ全部私が端材で作った試作品なので」
半ばうんざりしていることを匂わせ、それとなくそろそろ杖を見繕ってほしいとエイシュウは伝えようとした。が、ナギサは今まさに割れた杖の芯材を見比べ、その素材や長さごとに並べて何かを見出そうとしているところで、そんな微妙な機微には気づく様子もない。これは、諦めてゆっくりと待つしかなさそうだ。エイシュウは達観に至り、穂村が店先で試し振り用の杖を持ち、ミズホから習った呪文を試している様子を眺めて時間をつぶすことにした。杖が折れた原因が自分にあるから新しい杖の代金は損害補填費用として陰陽寮に計上できる、と言い出し、わざわざ大納言横丁まで着いてきたのは、杖に興味があったから、ということなのかもしれない。
陰陽師が畑違いの魔力の使い方を簡単に習得する頃には、百近い杖の残骸を前に黙考していたナギサも結論に達したようだった。何の呪文がどう作用したのか、杖先から炎でできた鳳凰を飛び出させている穂村を背に、杖職人見習いは清々しい笑みをうかべた。
「──大体わかりましたよ。魔力って、普通杖を通したら安定するものなんですが、闇祓いさんの場合、どういうわけか杖を通すとむしろ不安定になるみたいなんです。だから、長ければ長いほど魔力が詰まってしまうと。特に、芯材の忠誠心が高いほどその傾向が強まって、杖をまるごと裂いてしまうようですね。ああ、つまり、芯材が持ち主の無意識の意向や周囲の状況を汲んだ挙動をしやすいほど、っていうことですが」
店先で舞い踊る炎の鳳凰その他の縁起の良さそうな瑞獣たちに照らされながら、見習い杖職人は、杖の様子から見出したエイシュウの魔法の特性を述べ立てた。全く、完全にそのとおりだった。二十年前には彼女の父親が、何十本もの商品を無駄にして、額に青筋を立てながらも達したのと同じ結論にナギサも見事達したのだった。
「だから、なるべく杖は短く抑えた上で、芯材にはなるべく持ち主の意向を汲みにくい、御しにくい性格のものを。木材には芯材そのもののブレを抑える力を持つものを選ぶと良いから、龍の髭となるべく樹齢の長い榊を選ぶと良い。反抗的ではありますが、多分闇祓いさんの特性なら馴染むと思います」
子供の頃に言われたのとほとんど同じ評価が下されるのを聞き、エイシュウは苦笑いを浮かべながら数度、うなずいた。気にしないふりをしつつ娘の様子を見守っていたコヅチは即座に破顔し、よくやった、と自身の杖先から色とりどりの花吹雪を当たりに散らし、笛だの太鼓だのの音をどこかから鳴らしはじめる始末で、穂村の出した炎の鳳凰と相まって店内は謎の奇祭でも始まったかのような様相となっている。エイシュウとしては、子供の頃から変わらずひねくれたままだ、と言われているような気分でもあったのだが、ともかく杖を手に入れられるならそれでよし、とすべきだろう。
「いや、恐れ入ったよ、親父さんにも昔、同じことを言われたもんだ。多分、今回も特注になると思うんだが──」
「──いや、あるいは、早い話媒介が魔力の癖を反映しなければ良いんだから……待ってください」
まだ試さなきゃいけないのか、早いところ杖を作ってくれ、と内心叫びを上げるエイシュウをよそに、ナギサは何かを思い出したように立ち上がり、店先に裸足のまま飛び降りた。そして、壁際のショーウィンドウの鍵を外すと、中から一振りの刀を取り出してエイシュウに向けて差し出したのだ。
金山屋には、前述の通り杖以外の魔法の媒介具も取り揃えられている。なかでも、刀というのは取り回しの悪さを差し置いても目を引く用具であり、魔法所の新入生のうち一定の数は必ず杖よりも刀が欲しいと店先で駄々をこねることになるものだ。
とはいえ、誰もが刀を持っている時代ならばともかく、今や長い棒を持っているだけで警棒だと誤認されてマグルの警察に捕まりかねない時代だ。ましてや、杖はたいていの魔法使いにとっては水を出し、湯を沸かし、料理を作り、部屋の掃除を行うための日用品なのだ。だれも、木の棒よりも重くて取り回しのしづらい金属の塊を日用品にしたいとは思わない。そんなわけで、刀はあくまで魔法の道具としてもマグルの世界でのそれと同様、趣味の領域の美術品程度の扱いであるわけだが──
「三代前の当主
半ば押し付けられるように刀を受け取ったエイシュウは、視線をさまよわせた末、店主であるコヅチを見た。店内で、抜身の刀を振るわれるなど御免だ、とでも言ってくれることを期待したのだ。
けれどエイシュウは、すぐさまその期待が裏切られたことを知った。コヅチの目には、先程彼の娘が見せたのと同種の、物狂いとも思しき光がみなぎっていたのだ。銘も知らぬ刀を一度振るわない限り、杖を手に入れることはできそうにないと見える。
「秋津、穂村、防御を頼む。どういう結果になるか予想がつかない」
腹をくくり、エイシュウは受け取った刀を鞘から抜き放ち、八双に構えてみせた。なるほど、妖刀との触れ込みに違わず、鞘から抜き放ったとたん乱刃の刀身の周囲にはある種の魔力が渦巻き、柄を握る手にも呪物を手にしたときと同種の痺れにも似た不快感が湧き上がる。だが、意識して魔力を刀身に伝えると、その感覚もすぐに消えてなくなった。それどころか、手に馴染む感覚すらあるほどだ。たしかに、日本随一の杖職人の一人娘の見立ては間違っていないようだった。
自身の周りを護符と
けれど、振り下ろしきって止めた手には、再び鉄の重さが戻っていた。見れば、確かにそこには刀身もしっかりと存在している。では、今の感覚は魔力を行使したゆえに起きた錯覚、あるいは未知の現象であったものか。と、そこまで考えたところで、はたとエイシュウは気がついた。
「悪い、呪文を使い忘れた」
「けど、真剣はちょっともう勘弁してくれ。手からすっぽ抜けそうで怖いんだよこれ──」
音を上げたのは本心からのことだった。そもそもいわつきの妖刀など、愛称が良かろうが長く触っていたいものでもない。刀を納めてエイシュウは振り向き、振り向いた先で彼は、無数の呆然とした顔と対面することとなった。呪文の使い忘れがそんなに驚くようなことか、と言いかけたところで、何かの崩れる音が鳴り響いた。まさか、と思いつつ、先程は視界に収めなかった防御術の防壁の向こうへと再度、エイシュウは顔を向けた。
「あっ」
ミズホの盾の呪文と護符で十全に守られていたはずの空間には、いまや両断された護符が散らばっていた。そして、破壊された魔術的防壁の向こうでは店のガラス戸が割れ落ちて、更にその外では表の街路に上がるための石階段の中央に派手な亀裂が走り、今まさにひび割れを広げているところだった。
† † †
「敷島さん、あれ買ったら良かったじゃないですか。安くするって言ってくれてましたし」
そして、ミックスジュースを口に運びつつ、ミズホがからかうように言った。
時刻は午後十二時半。壊れたガラス戸だの石階段だのを直し、妖刀を押し付けようとする一ッ目
「あんなもん持っててみろ、ちょっと外に出るごとに何回
「しかもいちいち刀抜くんですよ。いや、見るだけなら見てみたいですって、十メートルぐらい離れたとこから」
「お前、現場出る時には強制的に俺と一緒だからな、傍から見たら不審者仲間だぞ」
「現場だと闇祓い全員、マグルから見たら不審者ですって。ノーカンですノーカン」
エイシュウの杖はまるごと特注品になるため、一時間余り時間をつぶす必要がある。ということで、時間を潰す構えの闇祓いたちは回転を上げたい店側の思惑を完全に無視し、オープンテラス席にわざわざ風除けの結界まで張ってメインの食器が下げられた後も無駄話に花を咲かせていた。自然、唯一部外者である穂村が会話の輪からは外れることになるが、陰陽師は陰陽師で大納言横丁のパンフレットを写真に撮り、向かいのウィーズリー・ウィザード・ウィーズ大納言横丁店の店先を彩るいたずら用品だの魔法生物だのを眺め、周囲でごく普通に昼時を過ごす魔法界の人々を感慨深げに見やり、それなりに過ごしているようだった
「昨日の今日でも、存外に魔法界ってのは平和なものなんだな」
スマートフォンの画面を眺めつつ時間を潰していた穂村がふとそんなことを口にしたのは、何度目かに店員が空いたグラスに水を注ぎにやってきて、昼時に貴重なテーブルを占領し続ける客に無言の圧力をかけたときのことだった。なにか含意があるわけではなく、その言葉はただ純粋に周囲に広がるごく普通の日常を眺めていて、口をついて出たものであるようだ。
「まあ、むしろ昨日の今日だから、誰も何がどうなるかわからない、ってのが正直なところだろうがな」
机の上に置かれたスマートフォンをエイシュウが指先で叩くや、本体のやや上にその画面が投影された。画面には無数のプッシュ通知が表示されている。ゲームや通販アプリの通知を消していけば、残るのはマグル向け魔法族向けを問わずニュース速報ばかりになる。
「ニュースでなにか起きてることを知って、漠然と不安ではあってもひとまずは目の前の生活に向かう、そういうもんだろ。まして、生活圏に直接影響が出てるわけではないんだ。言っちまえばここに居る俺たちだって似たようなもんだしな」
空中に投影された通知のなか、エイシュウが触れたのは『四十住大臣 マグルの政府に全権移譲の意向』とのニュース速報だ。表示された記事では、四十住セイシロウが魔法省の全権をマグルの政府に移譲する意向を示した旨が関係者談話として伝えられている。通知の時間は八時四十五分となっているから、速報からはすでに四時間近くが経っている計算となる。通知を時間順にたどっていけば、その次には四十住大臣への抗議のため魔法議会議員生存者が四十住のもとへ向かった旨が、その次には四十住大臣の判断には法的根拠が存在しないとの関係者談話が、と言った具合に四十住セイシロウの独断を責め立てる記事が次々に表示され、その合間に昨日の事故の犠牲者を伝えるマグルのニュースが挟まれる、といった具合だった。
「まあ、助かると言えば助かりますけれどね。いまこの状況で、マグルは殺せ、穢れた血になんか従えない、って暴動でも起きたら目も当てられませんよ」
「穢れた……?」
今朝の速報を見て妙に動揺した様子を見せていた穂村が、怪訝げに眉をひそめた。当然だが、魔法教育を受けていない魔法族が魔法界の差別用語を知る由もない。
「それは、つまり、あんたら魔法使いが、人間を……魔法を使わない常人を、差別してるってことなのか」
「そういうことです、恥ずかしい話ですけどね、居るんですよねえ、どうしても」
コップの底に残ったミックスジュースを吸い上げながら、ミズホが首を左右に振る。その答えで、何か納得するところがあったものか。穂村は何やら、ようやく得心した、と言いたげに虚空を見上げるに至っていた。
「そりゃあ感覚が違うはずだ、前提が違いすぎる」
空中を見上げながら、穂村はその場で立ち上がった。どうしたのか、と不思議そうにして声をかけようとしたミズホの腕を、エイシュウがはっと何かに気づいたように引いて止める。
「なんです、敷島さん、穂村さん、何が……」
まだ事態の飲み込めていない様子のミズホに、エイシュウは空中の画面に表示された通知を示してみせた。数回の不在着信の後に表示されたその通知は倉田部長からのメッセージで、「陰陽寮に不審な動きあり 同行者に警戒せよ」「先に攻撃は加えるな」と、短い文言が連なっている。
立ち上がった穂村は、呪符を頭上に掲げつつ、苦しげな表情を闇祓いたちに向けた。
「もう、魔法使いの理屈で人間がどうだとか、魔法界の法律がどうとか、そういう次元のことを言ってられる事態じゃあないんだ。……騙すような形になって申し訳ない。だが、行ったことのない場所に大人数を移動させるには、内側から手引するのが一番手っ取り早い方法なんだ、すまない」
呪符は空中にとどまり、上空に向けて霧を噴き出しはじめていた。一見するに、陰陽師の使う移動術、隠形の際に発生する霧と見える。ミズホは杖で、エイシュウは素手のまま霧に向けて
実際にそれは、隠形と同種の効果を持つものだった。陰陽師の使う隠形が姿くらまし・姿あらわしとやや異なるのは、霧に向けて任意の場所を念じれば霧そのものがその場所に通じる一種の門へ変化する点だ。目的地点で霧を発生させて、一定の場所と行き来するための道を作る、という使い方も可能であるということだ。
例えば、部外者が入り込まないように結界で守られた地域へと、一度に味方を呼び込むような場合に。
「
霧から離れながら、路上に倒れたままの穂村に向けてエイシュウは
「秋津! こいつを縛り上げて本部に連れて行け! 向こうが先制攻撃を加えた証人だ!」
エイシュウはミズホに向けて、穂村の体を突き飛ばすように押しやった。盾の呪文で周囲の民間人を守りつつ姿くらましや煙突飛行での脱出を呼びかけている最中のミズホは、無言のまま
「ですがいま、本部は陰陽寮に間借りしてます!」
エイシュウは、寒風に吹かれているというのに全身が汗ばむのを感じた。そうだ。魔法省が文字通りに壊滅したいま、闇祓いはちょうど合同捜査本部を作っていた関係もあり、まるごと陰陽寮の中に一室を借りている状態となっていたのだ。では、魔法界の一角に陰陽師が攻撃を加えている今、本部に残った闇祓い、同僚たちはどうなっている? エイシュウはスマートフォンを手に取ろうとしたが、その前に机がまるごと吹き飛び、スマートフォンもどこかへ転がっていく。
「──とにかく、死なせるな! 死なせればこちらが先に手を出した証拠にされかねん!」
霧の中からの攻撃は、いつしか止んでいた。だが、霧が晴れたわけではない。白く濁ったもやの中には魔力による攻撃の派手な光に代わり、無数の人影が現れようとしていた。
攻撃の余波で壊れたテーブルや椅子の残骸の中では、どのような偶然によるものか、スマートフォンが未だ空中にその画面を投影したまま、ひとつのニュースを流していた。それは、マグルの国会を映したものであり、映し出されているのは若き国会議員にして魔法大臣でもある四十住セイシロウその人だ。
けれど、常であれば「よく聞くと何を言っているかわからない」と言われる答弁をしつつも余裕ぶった表情と態度を崩すことはない青年政治家は、今このとき、画面越しにも分かるほどに狼狽し、混乱していた。どうやら、国会においてなにか、予期せぬ出来事が起きたゆえのことであるようだ。
霧の中からスーツ姿の陰陽師たちが現れ、一糸乱れぬ動きで通りに面した建物へと呪符を飛ばしてゆく中、スマートフォンからは小さな音で魔法大臣の答弁の声が聞こえている。
『──違う、違うんですよ、我々は確かに自らの存在を隠そうとしていました、ですが、その間にも確かに非魔法族の政府、つまりは日本政府との交流はあり、独立機関となったあとも変わることなくその意向をくんで魔法省という自治機関を運営していた! 互いに交わした魔法法とその適用範囲に関する書類もあります、浅草には我々の街も存在している、南硫黄島には学校もある、我が国においてはどれも明治以来の政府の、つまり日本政府の主導のもと生み出されたものだ! その記録もふくめて全て存在しない、歴史上一度たりとも日本政府が魔法族を関知したことがないなんて、真っ赤な嘘ですよ──とにかく、魔法族が一方的に日本政府や日本国民を騙して、記憶を書き換えて、都合のいいように操っていた、などということは絶対にありえないんだ!』
国会の場において、予期していたものとは全く違う「真実」が暴露されたことに対し、四十住セイシロウは必死に正しい魔法界の歴史を伝えようとしている。だが、いつもならばよく通るはずの声は国会のあちこちから飛ぶヤジの喧騒にかき消されかけており、なにより、大納言横丁においては、街そのものを無に帰そうとする陰陽師たちの破壊活動により、その声は完全に悲鳴と轟音の中に埋もれてしまっていた。
† † †
四十住は、ヤジと怒号と奇異の目とを一身に集めて立ち尽くしていた。あらゆる不規則発言が議場を席巻して委員会は進行不能に陥り、議長が暫時休憩を宣言した、その後のことだ。
「──大臣。大丈夫ですか、大臣」
SPに半ば引きずり出されるように議場を脱出し、その先に待ち構えていた記者による質問の質問の嵐を抜けた四十住の前に、そんな声とともに水の入ったペットボトルが差し出された。未だ、投げかけられたヤジだの不躾な質問だのが四十住の脳裏に渦巻いているときのことだ。選挙民からの絶大な人気も魔法の力によるものですか、お父上やお兄さんも魔法使いなんですか、奥さんとの馴れ初めにも魔法を使ったりしたんですか、その他諸々。四十住がショックを抜け出して状況を把握するのには、しばしの時間が必要だった。
やがて彼は、落ち着いた内装の部屋の中に移動して居ることに気がついた。議員控室ではない。与党の最大会派に属する四十住には、本会議場に最も近く最も大きな控室が割り当てられている。だが、今いる部屋の広さはせいぜいワンルーム程度、ベッドと冷蔵庫が置かれ小型のユニットバスが据え付けられただけの随分と簡素な部屋だ。少なくとも国会内に存在する部屋とは思えない。
「差し出がましいかとは思いましたが、私の個人用の休憩スペースにご案内いたしました。おそらく、控室では休憩にならないかと判断したもので。よろしければ、水を」
四十住の前に膝をついたまま、銀縁のメガネを掛けたスーツ姿の男が再度ペットボトルを差し出した。それが周防ウコンという闇祓いであると気づくとともに、四十住はようやく状況を飲み込んだ。魔法で作った休憩スペースだ。激務の多い魔法省職員は大抵アタッシュケースや書類カバン、人によってはローブやコートの裏地の間などに検知不可能拡大呪文を極限まで掛けて、仮眠用のスペースを作り出すものだった。よく見れば、確かにベッドの脇には闇祓いの黒いプロテクター一式が無造作に置かれている。
「すまない、周防さん。ありがとう」
ミネラルウォーターを受け取り、半分ほどを一挙に飲み下すと、四十住は深く息を吐いた。水で、すっかり乾ききった喉は多少なりとも潤いはした。だが、先程までのあの悪夢のような光景はとうてい、飲み干せる気がしない。
──昨晩、魔法省代表と称するもの、魔法大臣と名乗る存在から、わたくしのもとへ、接触がございました。たしかに、様々な事実と突き合わせて鑑みるに、魔法という力の存在は、認めざるを得ません。
総理大臣は、本会議の場においてそのように話しだした。思えば、その時点で奇妙であったのだ。けれど、四十住にしてみれば魔法省墜落の後、日本国政府と魔法界の関係を詳らかにし、衆目のもとに判断を仰ぐほうがいい、と言った総理の言葉が念頭にあったので聞き流してしまい、その次に「魔法大臣」として四十住セイシロウの名が指名されるに至っても何らの否定もすることなく登壇し、そして──
「どうして、あんな……僕たちが、まるで不法に日本国内で、政府の許可もなく活動していたようなことを」
そして彼は、まるで魔法族が今までに一度たりとも日本政府と関わりを持ったことがなく、これまでに魔法大臣として四十住が話したことも何一つ覚えていないかのような口ぶりで、総理が魔法族と魔法大臣たる四十住セイシロウを糾弾しだす場面に直面することとなったのだ。あまりの衝撃に、四十住は思わず余人に
いや。その可能性は今も、心の底では捨てきれていない。なにしろ、魔法省がまるごと空から落下するなどというとてつもない事態が起きたのだ。総理大臣に記憶修正術を施すテロリストが現れてもおかしくないのではないか。
少しでも良い方へと考えようとする四十住の思考は、ややあって伝えられた周防からの報告で遮られた。
「大臣、申し上げづらいのですが、現在闇祓部に対し陰陽師が武装解除を求め、戦闘が開始されております。未確認ですが、大納言横丁、および魔法魔術伝習所に対する攻撃の報告も入っております」
「そんな、馬鹿な! 総理は禁呪を、
わずかばかり残っていた希望が打ち砕かれるどころか、さらなる現実に叩きのめされ、思わず四十住は座っていたベッドから立ち上がった。周防は、そんな四十住を眼鏡の奥から奇妙なほど落ち着き払ってみやっている。
「あるいは、そうかもしれません。そうだと閣下が判断なさるならば、我ら闇祓いもその想定に基づいて行動いたします」
闇祓いの返答を聞き、自身の言葉が現状でどのように働くかを悟ったものらしい。慌てて四十住は、スマートフォンを取り出す周防の手を掴んだ。
「待て、待ってくれ、まずい、それはまずい。あっ、いや、戦闘中と言ったか、それも駄目だ、すぐに連絡してくれ、戦闘をやめろ、いまこの状況で魔法族が非魔法族の敵とみなされるのはものすごくまずい」
話しているうちに、四十住の体は崩れ落ちていき、最後には自分よりも小柄な闇祓いの体にすがりつくような形となってしまっていた。爽やかでハンサム、と評される顔は涙だの鼻水だのでぐちゃぐちゃになって見る影もない。
無様としか言いようのない大臣の姿を見下ろしたまま、しかし、周防はスマートフォンを握った手をそれ以上あげようとも下げようともしない。
「つまり、大臣閣下、あなたはあくまで日本政府に恭順し、求めるところに従う所存であると」
「あっ、当たり前だろ、四十住セイシロウの名前は、偉大な政治家として語り継がれるべきなんだ、魔法族と非魔法族に決定的な分断をもたらした愚か者、流す必要のない血を流した虐殺者として語り継がれるなんて、絶対に嫌だ、受け入れがたい」
しゃくりあげるほどに涙を流し、いやいやをするように首を左右に振りながらの言葉である。そのさまは、大の大人が赤ちゃん返りしたかのようなもので、滑稽ですらあった。しかも、その言といえば判断の内容はともかく、そこに至る理由は自身の名を守るためでしかない。
だと言うのに──あるいは、それだからこそ、と言うべきか。そう言い切ったときの四十住は、今までに彼が公の場でどのような空虚な言葉を口したときよりもはるかに決然と、魂の底から言葉を発しているかのようであった。
もしかすれば、彼がその信念に従って最後まで行動することができていれば、四十住セイシロウの名前は一定の怨嗟を受けつつも、一定の尊敬をも集める事ができていたかもしれない。あくまで現実には起こり得ない、仮定の話に過ぎないが。
周防は、青年の姿を半ば憐れみ、半ば見下すような目で見やっていた。だが、やがて根負けした、というように息をつくと、
「そうですか。……では、仕方ありませんね。ひとまず顔を洗ってはいかがです」
と、ユニットバスを指差した。
ユニットバスの中から水音の流れる中、周防はスマートフォンを数度タップし、倉田テンゴウの連絡先を選びだした。呼び出し音がなっていたのはほんの一瞬で、ごく短時間で通話が開始される。
「どうも。そちらは大丈夫ですか、ああ、片付きそうですか。それは良かった。こちらは、意外にも、というか、坊っちゃんは折れませんでしたよ。はい、ですので、今朝のプラン通りに」
通話はほんの一分もかからずに終了し、余人に一切知られることのない、そして持ち主がその気になればすぐにでもまるごと消し去ることのできる空間には、水音だけが響き続けている。
周防は、四十住が脱いだシャツと背広とネクタイの塊に杖を向けた。見えぬ魔力の効果が現れると、乱雑に抜き取られていたネクタイが生き物のように動き出し、するするとユニットバスの中へと入り込んでいった。まるで、獲物を狙い忍び寄る蛇のように。
およそ、それから十分の後。
あちこちに出入りする記者やアナウンサー、その質問に答える国会議員たちの声でいつになく騒がしい国会議事堂の、ある男子トイレの手洗い場にて、美作
「美作くん。人払いとカメラ類の目くらましは」
「退避ルート含め完璧です。途中、陰陽師がちょっかい掛けてきたんでとりあえず全員俺の休憩スペースに放り込んでますけど」
「そちらは後ほど処理しましょう。まずは、大臣殿に最後の役割を果たしてもらいましょうか」
闇祓部第二班の二人は短い会話を交わすと、開いたままのアタッシュケースに杖を向けつつ、トイレの個室を覗き込んだ。
† † †
石畳の街路には、散発的な破砕音と、時折どこかから聞こえる姿くらましの破裂音が響いている。
ほんの十分程前までは日ごろと変わらぬ昼過ぎを迎えていた魔法の横丁は、いまや瓦礫と無数の呪文や呪符が舞い飛ぶ場所へと変貌していた。飛び交うものが魔力の成果物ではなく銃弾であれば、戦場と言っても過言ではない光景だ、とミズホは思う。
いま行われている戦闘は、彼女が経験してきた魔法による戦闘とは、明らかに質の違うものだ。ミズホは半壊した建物の二階部分から横丁の通りを見下ろしつつ、プロテクターの下で肌が汗ばむのを感じた。眼下には、黒い甲冑にも似た装備を身につけた闇祓いと、土煙を挟み、闇祓いをいまにも飲み込もうとする巨大な大蛇の姿がある。大蛇は、陰陽師の呪符を寄り集め、魔力を練り上げて作った大型の式神だ。その巨体は横丁そのものを叩き潰すために作り上げたものであるらしく、路上でエイシュウが気を引き続けなければすぐさま横丁の建物を押しつぶし、破壊し始めるのだ。
「──おい、何やってる、抵抗はするな、我々が受けたのはあくまで破壊命令だ、人は抵抗しなきゃ見逃せるんだよ」
右隣、やや後方よりそんな声が聞こえ、ミズホは視線だけをそちらに向ける。手足を縛られたまま、赤茶けた髪の女が可能な限りに身を起こし、ミズホに近づこうとしている。
「破壊命令、ですか。証言をありがとう、穂村さん」
穂村に返答を返しつつ、ミズホはエイシュウの周囲に盾の呪文を張る。抵抗しなければ見逃せる、と言うからには、こうして抵抗している以上は殺すこともいとわない、ということだ。本当に、事態はそのレベルに達してしまっているのか。いや、すでに大蛇によって数棟の建物は完全に倒壊している。人的被害は少なからず出ているだろう。目眩のするような感覚を覚えつつ、ミズホは大蛇と、その背後から式神を操る陰陽師たちの動きをくまなく観察し、盾の呪文を張り、後方の瓦礫を吹き飛ばし、エイシュウの支援を続ける。一人が攻撃役に周り、一人が周辺の状況を確認しつつ防御その他の支援に当たる、というこの形こそが、
「でも、心配はいらないわ。闇祓いの前に魔力をもって立ちはだかった以上、魔法をもって報いを受けることになる」
穂村は、それ以上何を言おうともしなかった。彼女があくまで陰陽寮からの命令に従って動いている以上、下手にものを言えば自分たちに不利な情報を漏らすことになりかねない。逆の立場であればそう考えるであろうことも、ミズホには容易に想像がついた。
けれど、大蛇がごうごうとその喉を鳴らすに至って、その顔からさっと血が引くのが見えた。
「──避けろ、攻撃が来る!」
穂村の発した警告を、しかし、ミズホは無線で伝えはしない。代わりに彼女が無線に伝えたのは、
「敷島さん、後方の障害物すべてクリア、
との言葉だった。
大蛇の首が持ち上がり、ゆっくりと、しかし実際には反応し難いほどの速度で、闇祓いに向けて突き出される。蛇が小鳥を飲み込むよう、と例えるにしては、呑み込む側も呑まれる側もあまりにも禍々しい外観であったろう。だが、起きたこととしてはそう代わりはしない。白い大蛇が、その尾で無造作に周囲の建物をなぎ倒しながら、大鴉のごとき装備ごと闇祓いの体を呑み込み──
「
と、低い声で呪文が唱えられるとともに、一迅の光が土煙の中を走った。
びょう、びょう、と蛇が喉を鳴らす。断末魔にも似た声だ、と思ったものは、実際にそうであったらしい。今にも閉じられようとしていた大顎が再び大きく開いた、と見えたのはほんの一瞬のことで、その次の瞬間には、大蛇の体がまるで顎を持って上下に引き裂いたかのように、真っ二つに両断されていたのだ。
魔力で練り上げられていた巨大な式神は、いまや膨大な呪符の塊へと還り、辺りに燐光を放ちながら撒き散らされている。闇祓い、敷島エイシュウの姿は紙吹雪の中、先ほどと変わらない場所に立ったままだ。ただ一つ異なっているのは、先程はなにも握っては居なかった手にはいまや一振りの刀が握られ、陽光とはちがう輝きを放っている、ということだ。
「あ、例の、妖刀」
穂村が、呆然とそんな言葉をつぶやいた。そう、
「敷島さん、前方百メートル先左手、ペットショップ奥の路地に敵、五名。右手蕎麦処内にも同数展開。双方、表に
だが、大蛇を片付けたからと言ってすべての敵が消えたわけではない。ミズホは身を低くして半壊した建物の中を駆け、隣の建物の屋根へ飛び移り、無線に向けて短く呼びかけた。返答はないが、聞こえてはいるものだろう。燐光の紙吹雪の中、エイシュウが虎動を脇に構え、ゆっくりと前へと進んでいく。実際のところは知らないが、その動きは落ち着いたものとミズホには見えた。
対して、慌てきっているのは、左右に展開した陰陽師の一団だ。展開した、とミズホは表現したが、その実は、ただ単に物陰に逃げ込んだ、というのが関の山で隊列すらまともに組めていない。いや、その動転の理由はおよそ、ミズホにも想像はついた。大蛇の式神が、ただ一人の魔法使いに破られるとは思っていなかったのだろう。
空中に、光が放たれた。エイシュウの放った
「うわあ」
「地面が、隆起して」
そんな無数の悲鳴とともに、左右に分かれて隠れていた十名の陰陽師は、ミズホの言葉に従えば、
何枚かの呪符に魔力が通され、閃光が狙いもなにもなく周囲に伸びたのは、ごく単純に、攻撃の準備をしていた者が思わず呪符を起動させてしまった、というだけのことだろう。散発的な呪符の攻撃は、しかし、予めミズホがエイシュウの前に張っておいた盾の呪文に弾かれ、闇祓いに届くことはない。
「
往来の真ん中に現れた陰陽師に向かって、放たれた攻撃をものともせず、妖刀が閃く。勿論、直接刀で切りかかりはしない。およそ五メートルほどの距離を置いて、呪文の詠唱とともに脇に構えた刀を逆袈裟に振り上げたと言うだけだ。
状況によって様々な効果を発揮する武装解除呪文は、この場合、なかなか類を見ない結果を産んだ。一塊になった陰陽師たちの懐から呪符が辺りに撒き散らされる、というところまでは陰陽師に行使された武装解除呪文が起こす最もスタンダードな現象だが、それとともに、どういうわけか陰陽師たちが身につけたスーツが切り刻まれ、肌すらも割かれ、全身から血を吹き出すに至ったのだ。確かに陰陽師のスーツには、闇祓いのプロテクター同様に防御術が掛けられている。妖刀が、それも攻撃可能な得物と判断したものか。
エイシュウも、その結果にはかなり驚いた様子だった。だが、続いてミズホが無線に向け
「さらに前方、書店跡手前で警官隊が民間人とともに陰陽師と交戦中」
と呼びかけると、すぐさまそちらの応援に向かっていった。
大納言横丁制圧のために陰陽寮が送り込んだ人数は、穂村によれば百五十名ということだった。対する防衛側は、闇祓い二人と交番勤務の警官二人と、それと有志の腕に覚えのある民間人がせいぜい十名程度であったろう。けれど、たった十名あまりの魔法使い、それも大半は闇祓いの二人によって、陰陽師たちはほんの一時間もしないうちに壊滅させられていた。
襲撃をしのぎきった横丁は、中心部の建物を中心に十軒以上が倒壊し、半壊から一部損壊であれば更にその倍以上の被害を出しつつも、その姿は確かにとどめていた。陰陽寮がおそらくは日本政府の意向に従って企てた、魔法界の拠点と言うべき場所をまるごと消し去る計画は、完全に失敗した、ということだ。
「この場での最高位者は俺だ、命令を受けただけの兵隊に責任はない」
遅れ、姿をあらわした増援の闇祓いと会話するエイシュウに向け、檻の中から穂村が声を上げた。その直前、第三班の日向が檻の中の陰陽師たちを石にして砕いて東京湾に撒くか、と口にしてエイシュウがオリンピックが近いんだから選手のことも考えてやれと返し、他の闇祓いたちが笑ったものを、穂村が冗談としてではなく受け取ったものであるらしい。大げさな、と思うかもしれないが、生存した、あるいは自ら降伏した陰陽師たちは、横丁の中心部に変化術で作り上げた檻の中に閉じ込められた状態だ。壊された店舗や住宅の住民も戻りはじめた今、彼らは完全に晒し者となっている状況でもあり、闇祓いらしいたちの悪い冗談も、けして冗談とは思えなかったのだろう。
「……あと、できれば服か布をもらえないか、何かを頼めるような立場じゃないのも分かってるが、すまない、頼む」
闇祓いたちの冷たい目を受けつつ、穂村は頭を下げた。どういうわけかあの妖刀で呪文を使うとどれだけ威力を絞っても斬撃の効果がつくらしく、武装解除後拘束された陰陽師たちの半数以上は寒空の下、男女問わず裸で放り出されているのだった。さらに言えば、檻の中には住民たちから罵倒と様々な種類の呪文とが飛んできていて、交番の警官たちも形程度にしかそれを止めようとしていないことを思えば、そのまま放っておけば現代社会らしからぬ蛮行が発生するのも時間の問題かと恐怖を覚えるのも無理はあるまい。
ひとまず周囲を覆う布でも作り出そうか、とミズホが杖に手を伸ばした時、闇祓いたちが顔を見合わせ、目配せを交わしあった。
「では、では、日向めがご希望に
と、屋敷しもべ妖精の口調を真似しつつうやうやしく檻の前へと進み出たものが居た。一課第三班の班長、日向ナツキだ。日向はしなやかな杖を指揮棒のように振った。行使されたのは、何の呪文であったか。かすかな燐光が檻の中を駆け巡った、と思った途端、裸体を隠そうと狭いスペースの中座り込んだりうずくまっている陰陽師たちにも、そうではなく服を着たままの陰陽師にも分け隔てなく布が巻き付き、瞬く間に衣装へと変わっていった。通常の服ではない。ピンクやオレンジといった原色の派手な布地は、精緻な呪文によって裁断され、細部にレースやリボンを生成し、更にはスカートの内部に何十枚ものペチコートを作り出し、檻の中には色とりどりの可愛らしい、魔法少女アニメを彷彿とさせる衣装を着せられた陰陽師が現れる。
陰陽寮は、女性の比率の高い集団だ。日本の魔法族はたいてい寺や神社その他の家業を持つ家に生まれ、その家業を継ぐ必要のない嫡子以外が陰陽寮に入るためにそうなるのだ、と説明を受けた記憶を、ミズホは思い出していた。とはいえ、全員が大卒以上の年齢で、そのための化粧もヘアメイクも何も施していない状態では、魔法少女のコスチュームなど着せられたところでただ滑稽な姿にしかなりようがない。
事実、その光景を前にした闇祓いたちは喝采と笑い声を上げ、つられて周囲の住民からも見事な呪文への称賛と割れんばかりの爆笑が巻き上がっていた。
闇祓いは、自らの呪文の腕に自信を持つ者が多い。その反応を受けて、我こそは、と杖を握るものが現れるのも当然の流れであったろう。檻の中にすし詰めになった魔法少女集団は次の瞬間には縞模様の囚人服へと着替えさせられ、その次にはリオのカーニバルのド派手な衣装、幼稚園のスモック姿、道化師の衣装、小学生の体操服など思いつく限りの様々な、「面白い」衣装へと次々に変化させられていく。
まるで、寮対抗のクィディッチの試合で仲の悪い寮に勝ったときのような雰囲気だ。それも、良くない盛り上がり方をしている時の。
ホグワーツに在学中、スリザリンとの決勝試合で激戦の末、グリフィンドールが試合を制したときのことをミズホは思い出していた。スリザリン側が反則スレスレの汚いプレーを繰り広げたこともあり、試合の後グリフィンドール生からスリザリン生に向けてさんざんヤジだの悪戯グッズだの呪いだのが飛ばされ、監督生であるミズホの静止もろくに効果はなく、最終的に乱闘騒ぎに発展した結果、グリフィンドールはその時の勝利で得た加点を全て失う事になったのだった。
あの時は大事に思えたが、結局は学校の中でのことだ。行使する魔法もたかが知れているし、スリザリン側も応戦することは可能で、なにより、生徒たちの上には教師という絶対的な抑止力が存在していた。
だが、今はそうではない。
いま、陰陽師たちの手元に呪符はなく、檻に閉じ込められた状態だ。そして、この場において、闇祓いを止められるものはどこにも居ない。
勿論、闇祓い全員がその晒し者としか言いようのない呪文の曲芸に加わっているわけではなかった。加わっているわけではないが、だからといって住民の溜飲を下げる変化術の即興試合を止めようとするものも居ない。陰陽師を使った見世物をよく思わないものも遠巻きに苦笑し、あるいは見て見ぬ振りをしているというのが全てであった。エイシュウも、檻に背を向け、ただ煙草をふかせている。そして、ミズホもまた、監督生であったときのように無為であることを知りつつ静止の声を上げる事すらできず、あたりに広がる異様な空気を良くは思っていない、と言いたげな表情を浮かべてきょろきょろとあたりを見回すことしかできていないのだ。
「あの、敷島さん……どうしましょう、どうすればいいのか、あたし」
檻の中にきわどい水着姿の集団が現れて、魔法少女のコスチュームのときに勝るとも劣らない量の爆笑と見た目の悪さへの嘲笑が四方から飛んだところで、ミズホはエイシュウのもとに駆け寄って、その腕を引いた。普段よりも大量の紫煙を吐き出しながら、エイシュウは、勘弁してくれ、と言いたげな表情を浮かべる。
だが、困り果てた様子のミズホを前に、何か思うところはあったらしい。
「本部は、大丈夫だったのか。朝からほとんど携帯を見られていなくて連絡も確認できていないんだ」
ややあって、近場に居た第四班の伊予スバルへと、エイシュウが声をかけた。伊予も、苦笑しつつ傍観している組だ。大丈夫か、と言ってもすでにここに増援が現れている以上は大丈夫に決まっている。声をかける内容に窮してのことであるのは明白だった。返答は当然のように問題ない、陰陽寮を逆に制圧しきった状態だ、とのことであり、しばしエイシュウは奇襲をかけたつもりの陰陽師たちを見事に迎撃し、ついにその中枢部を陥落せしめた次第について聞かされることとなった。
「つまり本部機能はまるごと生きてるわけだな、なら報告を上げたほうが良いだろう、そこに陰陽寮側の動きについての証人がいるから連れて行かせてもらうぞ、そいつが最高位者で残りはただの下っ端らしいから適当に開放してやってくれ」
一通りの武勇伝を伊予から聞き終えた所で、半ば強引に話をそのように結論し、振り向くことなくエイシュウは呪文を使った。件の妖刀ではなく素手で、使ったのは変化術と呼び寄せ呪文だったようだ。穂村の前の檻が大きく開いたかと思った直後、彼女の身体は前方へと強く引かれ、エイシュウのもとへと飛んでいく。
穂村の体がエイシュウの背にぶつかるとともにミズホの腕も掴み返され、移動呪文特有のあの感覚にミズホは巻き込まれていた。
そして、身体が細長く伸び、管の中を通り抜けるような感覚の後、三人の姿はコンクリート造りの陰気な建物の中にあった。
陰陽寮地下一階。地上部の存在しない陰陽寮の最上階にして、闇祓いとの合同捜査本部が置かれていた間借り先でもある。ただし、その場所では凄まじい戦闘が発生したものらしい。廊下はあちこちが陥没し、コンクリートがえぐれ、本来捜査本部であったはずの部屋は、両隣の部屋との間の壁がなくなってすっかり見通しが良くなってしまっている。
しばらくは、誰も何も口にしなかった。今しがたまで起きていた出来事について、互いの立場と状況があまりにも混線し、絡み合いすぎていて、何をどう口にすれば良いものか誰も分からなかったのだ。
「……ごめんなさい、穂村さん、それに敷島さんも、無理言ってすみません」
はじめに口火を切ったのは、ミズホだった。同時に、周囲に散らばっていたなにかの書類がより集まり、元々着ていたスーツに近い服となって穂村の体を包み込む。
呪文を使ったのは、ミズホではなくエイシュウだったらしい。出来上がったスーツが、女性用ではなく男性用の合わせとなっているのを見て、穂村は小さく笑った。
「いや、こっちが謝られる状況でもないよ。うん、間違いなく引き金はこちらが引いたんだ、ああいう悪ノリもまあ、分かるよ、荒っぽい集団だとあるよなああいうの、関係ない集団ならともかく職場の人にやめろとはいいづらいよな」
穂村は変わり果てた陰陽寮の姿を見回しつつ、ゆっくりと歩き出し、しばらく歩いた所で立ち止まった。その視線の先ではなにがどうなったものか、ぺしゃんこになったエレベーターリフトがワイヤーに釣られ、開きっぱなしのドアの向こうで揺れている。
「陰陽寮の中枢を占拠した、って言ってましたね、最下階、ってことでしょうか」
各フロアの説明が書かれたパネルをたどり、地下六十階に
「姿くらましと姿あらわしの封印は解除されてるんだ、呪文で移動したほうが早い」
と、再びエイシュウがミズホと穂村の腕を掴んだ。何かの弾けるような音とともに再びあの奇妙な感覚を抜けた先には、無数の黒い大鴉とも思しき姿がひしめいていた。
戦闘の中で電気系統が落とされたものだろう。地下階は薄暗く、魔法で作られた炎が空中に浮かび、闇祓いの姿を照らし出している。薄暗いフロアに現れた侵入者へと鳥頭の面が一斉に向けられる光景は、一種、異形の猛禽のすみかへと侵入したかのような錯覚さえ覚えさせるものだった。
とはいえ、現れた三人のうちの二人もまた、彼らの同類である。腕の防具を一時的に外し、その下の紋章と所属番号に魔力を通しながらエイシュウが名乗り出ると、鳥頭の闇祓いたちは杖をおろし始めた。
「部長なら奥の会議室だ、円卓のある方の。でも、今更指揮官クラスを連れてったってな……」
同じく八咫烏の紋章を光らせつつ答えた第三課の闇祓いの言葉は、今ひとつ歯切れが悪かった。それもそのはずだ。彼らの眼前では、陰陽頭執務室がすっかり荒れきった内部を晒していた。第三課の闇祓いたちは執務室内部の書類を押収するため、二十畳もあろうかと思われる和室の中を総ざらいしているところであったのだ。考えれば当たり前の話だ。陰陽寮をまるごと陥落させたなら、そこに魔法界への攻撃に関する命令書や記録も残されているに決まっている。畳の上には、不要と判断された書類だの『醜の御楯と出で立つ我は』と大書きされた額入りの書だのが転がり、編み上げ靴に踏まれ、ぐしゃぐしゃになっていた。
「ま、報告を上げないわけにもいかないだろうからな」
ごくろうさん、と言いたげな同僚を尻目に、エイシュウは歩き出した。ミズホは先に穂村を歩かせて、さも被疑者を連行している風を装いつつ、辺りに視線を走らせる。
最下階も、上階と同じく随分と破壊の跡が目立っていた。上階と違うのは、あちこちに倒れ伏したまま微動だにしない人の体や、あるいは人の体の一部と思われるものが転がっている点だ。大納言横丁での攻防でも勿論、陰陽師側に死者は出ている。明確には認識していないが、ミズホが使った呪文でも数人は死んでいるはずだ。だが、それにしても、最下階に集まる死体はあまりにも多い。陰陽頭に徹底抗戦でも命じられたものか。だとすれば、あまりにも愚かな判断だと言えるだろう。
動かない死者たちに対して、死体の合間を縫い、蠢いているのは闇祓いたちだ。様々な書類や記録を確保するために動き回るその姿は、鳥頭の防護面と黒いマントのためにゴミ捨て場を荒らす烏の群れを思わせる。見慣れたはずの、何ならば今自分自身が付けてさえいる装備であると言うのに、その姿が驚くほどに禍々しく見えることにミズホは今更ながらに気づかされ、愕然とする。
やがて、三人は両開きの重い扉の前へと到達した。その左右には、杖を掲げた大鴉のごとき闇祓いが立ち、一対の彫像のごとくに三人を見やっている。エイシュウが例によって右腕の紋章を見せつつ目的を述べれば入室が許可され、扉は開かれた。
「一課第一班、敷島エイシュウならびに秋津・ミズホ・ローレンス。報告に上がりました」
大会議室は、その外に死が蔓延していることが嘘のように、清潔で明るい状態を保っていた。破壊がされていないだけではない。天井には、おそらく本来照明があったであろう場所に丸窓が開き、その向こうには青空としか思いようのない空が輝いて陽光すらも降り注がせているのだ。
魔法の陽光に照らされた円卓には、まばらに十人足らずの人が座っている。魔法議会の生存者たちだ。円卓の周囲、部屋の壁の前にはまるで列柱のように烏姿の闇祓いたちが立ち、儀仗兵のように杖を掲げている。
闇祓いたちの長の姿は入り口の正面、ちょうど部屋の最も奥側の席にあった。倉田も他の闇祓い同様にプロテクター一式とマントを身に着けてはいるが素顔を晒した状態で、どういうわけか、円卓の上に置かれた石膏か石の裸婦像に杖を向けているところだった。
「面白い杖を手に入れたようだな、敷島」
彫像を雑に脇へ押しやると、倉田はエイシュウに気楽げな調子で声をかけた。無論、エイシュウが腰に差した刀のことだ。
「本当はちゃんとした杖が欲しかったんですがね、杖の完成前に蛇が出たもので」
「そうかお前、魔力に癖があるんだったか。使えるならまあなんでもいい、これから忙しくなるぞ、ひとまずは魔法族が一丸となれるような体制づくりからしなければいけないからな」
「は……?」
今ひとつ、闇祓いの長の発する言葉としては奇妙な言葉に、エイシュウが怪訝な顔を浮かべる。そこで、報告に現れた部下が前提となる情報を共有していないことに気がついたのだろう。倉田はやや
「言い遅れた、ついさっき、俺が新しい魔法大臣に選出されたんだ。まだ正式な辞令を出しているわけではないが、闇祓部は周防に任せることになる」
闇祓いの一人が倉田の紹介に合わせて進み出ると、よろしくおねがいします、と鳥頭の面を外し、頭を下げた。エイシュウもミズホも動揺を隠せないままに、こちらこそ、と頭を下げ返すも、全く状況は飲み込めてなどいない。
「あの、でも、魔法大臣……ええと、前の、
「残念ながら、四十住大臣は身罷られました」
「へっ!? みまかられ……死んだってことですか!?」
ミズホの問いに答えたのは、新たな闇祓部長となった周防だった。素っ頓狂な声を上げるミズホに、事細かに説明するよりもそのほうが早いと判断したのだろう。周防は壁に据え付けられた液晶モニターへと杖を向けた。陰陽寮の電力は寸断されている様子であったがモニターはすべて問題なく点き、様々なニュースを映し出す。マグル向けのものも魔法族向けのものも混在しているが、伝えられているニュースはおよそ全て、これほど混乱した状況であるというのに、同様の内容であった。つまりは、
『──資料用映像に映っているのが、当該の男性用トイレということで間違いないんですね。ええと、こちらの、奥から二番目……この個室で、四十住セイシロウ議員が、首を吊っているところが発見されたと。四十住議員は本日、国会で魔法族の大臣、魔法大臣として総理から名指しされており、自殺だとすれば、原因はその答弁であろうと──』
と、マグル向け情報番組の司会者が当人も混乱を隠しきれない状態で話している通りの内容である、ということだ。
報告に訪れただけであったはずの二人の闇祓いは、全く予想だにしなかった情報を前に、ただただ頭を抱え、口元を手で覆い、流れるニュースを眺めていた。もはや、一日のうちに起きる出来事があまりに多すぎて頭が追いつきそうにもなかった。
「四十住大臣は、残念ながら重責に耐えられなかったようですね。あのような形で非魔法族に素性を明かされてしまったのです、心痛もさぞ大きかったのでしょう、実に悼ましいことです。さて、一班のお二人は報告に来てくれたということでしたね、辞令はまだですが私が聞きましょう」
半ば強引に四十住大臣の件についての話題をまとめてみせると、混乱のさなかにある二人の闇祓いに向け、新闇祓部長が報告を促した。そうだ、この部屋には、報告に訪れたのだ。エイシュウは慌てて横丁での攻防の次第を報告しはじめ、ミズホはその横で直立不動の姿勢を取る。
エイシュウの報告を聞き、周防の顔を眺めながら、ふと、ミズホは何か、凄まじい違和感が湧き上がるのを感じた。違和感と言えば、いまこの状況すべてがおかしなことだらけではある。だが、いま目に入る視界に、何か、気づかねばならないことがあるのに意識がそれを拾い上げていない、そんな違和感があったのだ。
しばらく考えた末、不意にその原因に気づき、ミズホははっと顔を上げた。
「──あの、周防さん、周防部長、ちょっと、いいですか」
エイシュウの報告を遮る形でミズホは手を上げ、円卓に身を乗り出した。報告の最中だ、とエイシュウは苦言を呈したが、ミズホは構わず言葉を続ける。
「四十住大臣の警護業務って、わたしたち、二班と代わってもらいましたよね。でも、どうして今、周防さんはここに居るんですか。周防さんだけじゃなく、美作さんも居ますよねそこに、マントの裏地が赤いからわかりやすいんですよ美作さん」
周防の目が、眼鏡の奥で細められた。同時に、周防のやや後方に立っていた赤い裏地のマントの闇祓いが周防の方を見て、手で制されて元の直立不動の状態に戻る。
「あと、あとですね、ごく単純な手続き上の話なんですが、ここで倉田部長……倉田さんが魔法大臣に選ばれるのは、無理じゃないでしょうか。新しい魔法大臣の任命には、魔法大臣死去と議員の死去が同時に起きた非常時であるゆえ信任投票が行われたと仮定しても、生存議員の過半数の賛成による承認が必要であるはずです」
ミズホは、堰を切ったようにいま目に入る視界の中に存在する違和感を、次々に述べ立てていった。円卓に手を付き、身を乗り出してのことだ。円卓を囲む魔法議員の一人が若い闇払いに向けて何度もまばたきをし、喋るな、と言うように小刻みに首を横に降っては何かを指し示すように下方へと目線をやっていると言うのに、ミズホはそれに気づきはしない。隣りにいるエイシュウにしてもミズホに注目しているため、議員の決死の訴えも、議員が示そうとする机の下の様子も視界に入りはしない。
それに気づいたのは、二人のやや後方に立っていた穂村だった。
穂村はその事実に気づき、総毛立ったように身をこわばらせた後、そっとエイシュウに近づいて円卓の下を指差した。マントに覆われた大きな背がわずかに震え、そして、戦慄したように小さく後ずさりをしたのは数秒の後のことだった。
「──魔法議員は地元に戻っていた人も含めれば全部で三十六名の生存が発表されていたはずですが、この場の議員の皆さんは九名ですから、少なくとも今ここにいる皆さんだけでは魔法大臣の選出は不可能であるはずです──」
「秋津。黙れ、命令だ、喋るな、それ以上喋るな、秋津」
命令を下すかのように、エイシュウはミズホの言葉を遮ろうとした。だが、ミズホは言葉を止めようとはしない。
「──黙りません、ハリー・ポッターは英国魔法省がおかしくなっても屈しなかったんです!」
そう、ミズホの脳裏にあったのは、ハリー・ポッターの逸話の一つだった。トム・リドル、通称ヴォルデモート卿の復活を認めようとしなかった英国魔法省に圧力をかけられた第五学年次のハリー・ポッターは、それでも水面下で有志を集めて闇の魔術へ対抗する訓練を続け、ついに魔法省に乗り込むに至ったというのだ。ホグワーツ生、特にグリフィンドール生にとっての伝説的な出来事のひとつだ。いま、ミズホはその範に従おうとしているのだった。
「だいたい、おかしいですよ、そもそもなんで今四十住さんの死がニュースで伝えられてるのに、もう新しい魔法大臣が──」
「秋津!
けれど、その言葉はついに遮られることとなった。エイシュウの手に魔力が通り、魔力の通った手が直接、ミズホの頭を押さえつけたのだ。二つの呪文はてきめんにミズホの体を支配し、深々と頭を下げた状態でその体は動かなくなる。
頭を押さえつけている側もまた、円卓に頭をぶつけかねないほどに頭を下げている。頭を下げたまま、エイシュウは絞り出すように声を出した。
「申し訳ありません、倉田魔法大臣、周防闇祓部長、自分の、班員への教育が足りず、非常事態であることを理解できていないようです」
ミズホが、信じがたい、と言いたげに、エイシュウへと視線を向けた。服従呪文に体を支配されながらも、その効果に抗おうとしているのだ。
だが、エイシュウは更に服従呪文の強度を上げ、自らが後ろへ下がるのに合わせてミズホも強制的に後退させていった。頭を下げたままでのことだ。ある程度円卓から離れたところで、自然と円卓の下が視界に入ることとなる。上から見るぶんには空席と思しき席に、ある場所には誰かの足首から下だけが、また別の席には炭化した人体の一部だけが残された、そんな光景が広がる円卓の下が。
もはや、この場所が陰陽寮の他の場所と隔てられた、清潔で明るい空間であるなどとは誰にも思いようがなかった。魔法で作られた陽光に照らされた円卓の下を見てしまった今、修羅の巷と化した陰陽寮のあらゆる場所と同様、ここも大量の死に──それも、闇祓いの強大な力がもたらす、理不尽で抗いようのない死に充ちた忌まわしい空間でしかない。
「自分がよく言って聞かせますので、どうか、ご容赦ください。忙しいときにお時間を取らせて申し訳ありませんでした」
ミズホが息を呑む音をかき消すように、エイシュウは続く言葉を言い切り、すぐさま背後の扉を押し開け、外へと転がり出ようとした。
けれど、扉が開くことはない。
「いや、敷島、秋津、時間は十分にあるよ。おまえたち二人から話を聞くに足る時間はな」
がちゃがちゃとドアノブを押しては
「タイミングが悪くてお前たちには話をする暇がなかったからな、秋津が混乱するのも、敷島が怯えるのも無理はない。いや、話というのもそう難しいことじゃない、この先我々は、二つの道のどちらかを選ばねばならないということだ。つまりは、マグルに恭順するか否か、二つに一つということだ」
倉田が何事もないかのように話し出すに至り、大きく深呼吸をしながら、エイシュウが再び部屋の奥へと向き直った。その顔には笑みさえ浮かべ、さも先程までの同様が嘘であったような態度を装っている。
「それで、先の大臣は恭順を選ぼうとした、ということですね。話はよくわかります、マグルに下る道などあるはずがない。俺はそもそもマグル嫌いです、極力マグルとは関わるべきでないと考えるレイシストですよ、むしろ倉田さん、あんたのほうがマグル好きだと思っていましたが」
倉田の考えに同意していることを強調しつつ、ごく普通の、どちらかといえば軽薄な調子を装ってエイシュウは言葉を選んでいく。ただし、顔に浮かぶ笑顔は引きつっており、周囲を取り巻く空気も、ほんの僅かでもきっかけが荒れば暴発しそうなほどに張り詰めたものだ。
「うん、確かにマグルは好きだよ、ごく簡単な魔法を使ってやるだけで驚いて、すごい、と感動する、可愛らしい存在としてな。お前は違ったんだったか?」
巨大な円卓を挟んだ向こうから、再び会話のボールが投げ返される。いや、その問は明らかに、分かりきった答えを求めたものだ。何を言うべきか、エイシュウには分かっているのだろう。だが、それは同時に彼にとって口にしたいたぐいのものでもないように見受けられる。
表情を取り繕う事もできず、こわばった顔に大量の汗を浮かばせながら、エイシュウは再び口を開いた。
「
そして、血を吐き出すような声で、エイシュウは返答を紡ぎあげた。もはやその言葉にも表情にも、無論その内容にも取り繕う余地はない。それ故に、彼の答えはこの場の支配権を握るものをひとまずは満足させたようだった。
「そうだったな。うん、そうだ」
部屋の奥で無数の死体と少数の生者に取り巻かれたまま、倉田は破顔した。難しい問題をどうにか解き上げた生徒を見る教師のような表情だ。
だが、笑顔はすぐに消え去り、氷のように冷徹な表情へと取って代わる。
「腹中蟲事件。お前、毎回事件のときは出動しているよな」
「え? ──いや、そりゃあ……」
「祝賀パレードの日はともかくとして、ウィーズリー氏の魔法学校での講演、英国魔法大臣とマグルの首相との会談、それからガサ入れの日。なぜマグルのテロリストが、ピンポイントで日程を知っていたんだろうな?」
エイシュウの表情がみるみるうちに青ざめていき、蒼白へと変わるまではほんの一瞬だった。彼は上官が何を言いたいか、理解したのだ。
「俺を、疑ってるんですか。まさか──その情報程度なら、他にも知ってるやつなんていくらでも」
倉田は答えない。答える代わりに、その手元には一束の書類が出現していた。それは、古い報告書だ。
「三年前の、
エイシュウはこくこくとと頷いた。問いの意図はつかめないながら、質問の答えはすぐに思い出せたらしい。
「はい、倉田さんと組んでたころに、中国から有知性魔法生物を密輸した魔法使いを摘発した事件ですよね。群馬の山奥で自給自足で生活していて、一晩かけて山狩りするはめになった」
「あのマグルが連れている子供。あれは魔法生物との混血だが、兎系統の特徴を持っていて人間との混血が可能な魔法生物は限られてくる。年齢と合わせて、あのときの兎児爺と魔法使いの子供が居たと考えれば、辻褄が合うんじゃあないかと思うんだ」
いつしか、闇祓いたちは杖を構えていた。杖先は残らず、エイシュウへと向けられている。
「そんな、言いがかりですよ、あのときは夜明けが迫っていて、魔法生物の子供をこっそり匿っているような暇もなかった。倉田さん、一緒に居たんだから覚えてるでしょう。そうだ、なんなら記憶を見せたっていい」
目に見えて動転しながら、エイシュウは自らのこめかみに指を当てて銀に光る靄を引き出して見せた。魔法界に生きるものならば、それが記憶の媒介であることは一目見れば分かるはずだ。もちろん記憶を改ざんすることも可能だが、もしそうした場合には、改ざんの痕跡も残ることとなる。
「そうか。あくまで、無実だと言うんだな」
「当たり前です、俺は闇祓いだ、そのことに誇りを持っている、知っているでしょう、倉田さん」
「ああ。そうだ。そうだったな」
自ら記憶を曝け出そうとまでしたエイシュウの様子を見て、無実を信じてくれたものか。記憶の霞を受け取らないまでも、倉田は数度、エイシュウの言葉に頷いてみせた。
その様子に、ようやく疑惑から開放されたかとエイシュウが思わず息を吐いたときのことだ。
「なら、敷島、そこの陰陽師を殺せ」
「えっ……は?」
安堵に緩んだ顔が、驚愕の後ほんのひととき泣きそうに歪み、一瞬の後に全ての表情を消し去った。表情のない顔の中、目だけがぎょろりと横を向き、穂村の視線とかち合う。
「こいつは証人だ、証人ですよ、供述調書も何も取ってないのに」
「証人なら、もうここに一人確保している」
ここに、と、倉田は石像を杖先で叩いてみせた。なぜか場違いにも円卓の上に置かれた、あの石像のことだ。
石像は、頭付きのトルソーと言うべき形状で、遠目にはパラス・アテナか何かをかたどったギリシア彫刻のように見受けられた。けれど、いま改めて見るとその体型や顔立ちは日本人のそれだ。腰ほどまである長い髪の動きも含め、手足のない割に随分と躍動感のある造形で、まるで何かの動作の途中で人が石に変えられたように精緻な作りをしている。
「あ」
石像へと視線をやっていた穂村が、だしぬけに頭を抱え、絶望的な表情を浮かべた。
「──
そう、それは、石化呪文によって石に変えられた人間であったのだ。石像と思われたものは確かにそれと気づいてみれば賀茂ヤスナ陰陽頭の姿そのままであり、よく見れば顔の周囲だけは生身の質感を残してもいる。おそらく、いま杖先から呪文を放ち、一部だけ生身に戻したのだろう。賀茂陰陽頭は首から下が石化している関係上声を出すことも息を吸うこともままならないらしく、ただ、苦しげに口を開閉させるばかりだ。
「すでに、記憶も抜き取っている。頭を抑えさえすれば残りは不要だ、だから、さあ」
すべての空気に針が含まれているような雰囲気の中、エイシュウが穂村に向き直った。構図としてはつい昨日、洞窟の中で決闘まがいのことをさせられた際と似てはいるが、深刻さにおいてはよほど今のほうがのっぴきならない。何しろ、エイシュウがためらえば周囲を囲む闇祓いの杖から呪文が放たれ、二人共に殺されるのは目に見えているのだ。
いや。扉の外に出られなかった時点ですでに、三人の運命は定まっているのではないか。ミズホは沈黙呪文と服従呪文で自由にならない体を動かそうとしながら、頭をフル回転させる。エイシュウに、おそらくは言いたくなかったであろう過去を語らせ、証拠とも呼べない証拠を並べて疑惑をかけ、いま穂村を殺させようとしているのも、服従させるためではなく反発を誘っているとしか思い難い。服従させるためであれば、それこそ服従呪文でも使えばいいのだ。仮にエイシュウが唯々諾々と穂村を斬り伏せたとして、その次にはどんな展開が待っている? 倉田テンゴウは、結局のところマグルに従うか否かの二択をさせるつもりであるのだ。エイシュウには、形だけでもその機会は与えられた。だが、マグル生まれであるミズホには、選択の機会は果たして与えられるのか? ──
エイシュウの腰から、虎動が抜き放たれる。刀身に渦巻く黒い妖気でさえ、いまこの会議室に満ちている敵意と悪意に比べればよほど純粋なものだ。絶望的な表情で向き合う二人も、おそらくはミズホと同様の考えには至っているはずだ。けれど、抵抗の余地など存在するはずもない。なにしろ、周囲にはずらりと闇祓いが並び、いつでも呪文を放たれる状態なのだ。少しでも不審な動きを見せればその瞬間、反抗の意思ありとして殺されることは目に見えている。では、もう後は遅かれ早かれ迫りくる死を受け入れるしか無いのか。
そんなわけはない、と、ミズホは思う。なぜならば、ミズホは、闇祓いであるのだ。
闇祓いとは、魔法使いの中でも最も魔法の運用に長じたものだ。それは、ただ魔力が膨大であるとか、強い威力の呪文が使えるとか言うことではない。勿論最低限の魔力量による足切りは存在するが、闇祓いに求められる最大の資質とは、あらゆる場面に置いて適切な呪文を選び出し、行使することができるということだ。例えるならばそれは、火を燃やしたいときに燃焼の呪いではなく
この期に及んでも、何かまだ、状況を変えうる呪文は存在するはずだ。ミズホは脳内であらゆる呪文、あらゆる呪文の組み合わせを次々に思い浮かべていく。彼女にとって魔法とは、希望の光につながる素晴らしい力であるはずなのだから。
そして、事実、秋津・ミズホ・ローレンスはその答えを見つけ出した。
「
自由になった体で、ミズホは、あらん限りにその呪文を叫んでいた。ただ叫んだだけではない。呪文の詠唱は、言葉として聞き取るのが困難なほどの大きさとして響き渡り、円卓を震わせ、居合わせたものの鼓膜には衝撃とすらなって叩きつけられる。
音響が鼓膜に衝撃を与えるのと同時に、陽光呪文の光もまた網膜を灼く。要は、
残響と目を開けることもできないほどの光の中に、無数の足音が雪崩込んだ。明らかな非常事態を察知した廊下の闇祓いが、会議室の封印を解いて踏み込んだのだ。
つまり、扉はいま、開いている。
ミズホは黒い猛禽たちの間を抜け、伸びる手を床を滑って躱し、ほんの一歩先の部屋の外へと出る。そして、部屋の中に倒れている二人に向けて
「殺したんだ! あの人たち、
破裂音とともにその足が柔らかな地面を踏んだ瞬間、ミズホはそう叫んでいた。
周囲に広がるのは、まだ日は沈みきっていないというのに深く暗い森だ。富士の樹海の只中に、ミズホは姿あらわしの先を選んだのだった。
「なんで、昨日まで、普通だったのに! 確かに変な事件は起きてて、でもその犯人の本拠地に乗り込むはずで! それが済んだら、また普通に戻るはずだったのに!」
ミズホとともに冷たい腐葉土の上に姿をあらわした二人も、暫時音響と閃光の影響から回復し、一挙に様相の変わった周囲を見て事態を理解しつつある様子だ。
があがあと、烏が遠く鳴いている。幾重にも重なる枝の合間からかすかに除く空は、夕刻へと向かおうとする時刻のそれへと移り変わっていた。
「申し訳ない、俺を連れて行かなきゃあ、いや、そもそも俺なんかと多少なりとも仲良くなってなきゃ、あんな、妙なことにならなかったろうにな」
葉の落ちた黒い枝によって幾千に分かたれた空を見上げながら、穂村が言った。魔法製スタングレネードの効果がまだ残っているのか仰向けに倒れたまま顔を多い、目を押さえたままでのことだ。
「そんなこと。逆に嫌ですよ、あんなことになった闇祓部に残って仕事し続けてるって考えたら」
「そうか。秋津さん、あんた偉いな。敷島さんも。俺は、二人を騙して横丁襲撃の手引をしろって命令されたとき、何も言わずに従っただけだったよ」
穂村の震える声に答える言葉を探しあぐねているミズホは、その視界に黒いものが舞い落ちていることに気づき、頭上を見上げた。あたりには、気づけば烏の声が渦巻き、黒い羽が舞い散っている。いつしか頭上を覆う木々の上空には、無数の黒い鳥が群れを為し、空を埋め尽くすかのように飛び交っていたのだ。
冷たい土の上に力なく寝そべっていたエイシュウが、はっと身を起こすとともに黒馬へとその姿を変化させ、頭上を振り仰いだ。
「なんて、言ってるんです」
鳥の言葉を理解しうる
「嗤っている。群れからはぐれた烏を馬鹿にして、いずれ死が訪れると」
人の姿へと戻りながら、エイシュウが答えた。群れからはぐれた、とは、あまりにもいまの三人の状態に合致しすぎている。だが、まさか、烏の群れが人の世界、それも闇祓い部でつい先程起きたことを知っているはずもないだろうに──
そんな疑問は、続くエイシュウの言葉で、悪い形で氷解することとなった。
「昔、闇祓部で話が出たことがあったんだ。使い魔の烏を放ち、野生の群れに紛れ込ませ、統率を取らせ、情報収集の役に立てようという話が。使い魔の方はうまく調教できて導入直前までは進んだんだものの、法的根拠が存在しないということで話は流れたが、そのときの烏どもの飼育は続けていたはずだ」
乾いた哄笑のごとき烏の鳴き声が、三人の上に降り注ぐ。闇祓部がクーデターを起こしたいま、法的根拠などどうにでもなるだろう。すぐさまミズホは頭上に目くらましの呪文を掛け、さらに鳥避けや人避けといったあらゆる防御呪文を周囲に張り巡らせはじめる。
「そこまで、やるものですか。一体どうして、どこもかしこも、まるで──」
必要以上に念入りに呪文を使いながら、ミズホが呟いた。どうしてこうなったか、起きた出来事をたどることは簡単だ。魔法の存在が明るみに出て、日本政府が魔法界との関係を全てなかったことにしようと試み、陰陽寮を使って魔法界の掌握と記録の消滅を試み、反発した闇祓いが陰陽寮を殲滅するとともに魔法界への支配を強めようとしている。暴力の連鎖、といってしまえばあまりにも陳腐にすぎるだろう。魔法族も非魔法族も、自身に降り掛かった火の粉を打ち払おうとするあまりに、自らの他の存在を亡き者にしようとし合うに至っている。まるで──
「──まるで、一つの器に入れた蟲が、互いに喰らい合うように」
蠱毒。小さな器に複数の蟲を入れ、互いに争い、食い合わせ、怨念に充ちた一匹の蟲を作り上げる呪術。
言うなれば、いまの状況は、自然のままでは出会うことのない二種の蟲を一つの器に放り込んだような状態であった。日本という狭い器の中に存在した壁が最も不幸な形で破壊され、唐突に出会った魔法族とマグルは互いを、あるいは同族すらも攻撃し、喰らい尽くそうとしている。そう、今起きている出来事は、蠱毒なのだ。
「あの男、こうなることまで予測してあの事件を起こしたと?」
「ここまで激烈な反応は予測していなかったかもしれませんが、少なからず軋轢が発生し、暴発することは予想していたでしょう。魔法省を消滅させるにあたり、武装組織である闇祓いだけが残る瞬間を狙ったのも、最も過激な反応を起こさせるためだったのかも」
エイシュウの問いに答えるうちに、ミズホは、ぐちゃぐちゃになった頭の中がすっきりと整頓されていくような感覚を覚えた。あの男。すなわち、ドーマと名乗り、自らマグルの警察に投降していったテロリストだ。そう、全てはあの男が仕組んだことである以上、この状況もまた、何かの目的があった上で引き起こされた状態であるはずなのだ。蠱毒というのは、強力な呪物たる一匹の蟲を作り上げるための儀式であるのだから。
ミズホの考えに、エイシュウも穂村も、全面的に同意した、というわけではないようだった。特にドーマの計画については、当人の申告のとおりに完全なマグルであるとすれば、魔法界や魔法省と日本政府の関係性、さらに言えば魔法省の所在地までをなぜ熟知できていたのか、という問題が存在する。実のところは場当たり的な犯行の結果にそれらしい演説を乗せて、さも意味ありげに仕立て上げただけではないか、というのが二人ともに共通した見解で、ミズホにしてみても、たしかにそのあたりは現状の情報量では説明しきれないことは認めざるを得なかった。
──だが。そうだとしても、いや、それだからこそ、取るべき道は一つしか無い。
「だったら、当人に聞きましょう。いま、どこにいるのかは分かってるんですから」
と、ミズホは決然と、暗い森の中で言い切った。若い魔法使いが言い出した提案に、エイシュウと穂村は、常からの仲の険悪さにもかかわらず、二人同時に「何いってんだこいつ」と言いたげに眉をしかめ、口をぽかんと開いてみせた。
「だって、考えてみてください、いまの闇祓部、魔法省の状態じゃあ、あの男を実力で奪取してそのまま闇に葬るところまでやりかねません。そうなったらどうなります、あいつ、魔法族への差別を糾弾して暗殺された英雄、ってことになっちゃいます。その前に、あいつが本当は何をしたいのか吐かせて、白日のもとにさらさなきゃいけないんです」
「いや、まあ、理屈はわかる、理屈は分かるけどな、東京なんかに舞い戻ってみろ、たちまち烏の目に見つかっちまう」
烏など、いくらでもいる。それも、都市部ともなればなおさらだ。石原都知事の時代に始まって以来継続的に続けられている駆除計画によりその数は往時に比べれば減っているとはいえ、今なお東京には、何千何万という烏が生息しているのだ。それが全て監視カメラと同様の意味を持ち、監視網を構築するならば、東京はもはや闇祓いの完全な監視下に置かれたと言っていいほどだ。
「そういうことなら、伝手はあるよ」
反対の姿勢を崩さないエイシュウに対し、そうではないのは穂村だ。どうやら移動手段に心当たりがあったらしい。彼女はあたりを見回したあと、空中に指を伸ばした。
「陰陽寮は、本来の役回りはともかく現代じゃあ実質、常人と異能者との緩衝役だ。警察とのパイプも当然に存在する」
指先から溢れた炎が、空中に呪符と同種の文様を描き出してゆく。蛇を出したときと似通った効果だが、今回のそれは神道式のものではなく、呪符の効果を素手で再現しているようだ。最後に急急如律令と唱えて文様の中心部にふれると、燃える文様からは霞が溢れ、辺りを覆っていった。隠形、陰陽師の使う移動の術だ。
「……少々、魔法使いにとっては不快な体験をするかもしれないけどな」
そう言い残すと、穂村は先んじて霞の中に歩きだした。ミズホも当然、その後に迷うことなく続き、最後に残されたエイシュウも、苦虫を噛み潰したような顔をしながらも、霧の中に姿を消したのだった。
† † †
マグル向けのテレビ局はもはや、何の情報を優先して報道すればいいかわからない状態であるらしい。魔法という恐るべき力の実在が判明した上に、起きているあらゆる事件が平時であれば一週間ぶっつづけでトップニュースを飾り続けるようなバリューを持つものであるのだから、仕方がないといえば仕方あるまい。ある番組ではドーマを名乗る人物の出現とともにネット上にアップロードされた『魔法魔術学校の教科書』の全学年全教科全ページの画像を取り上げて作り物にしては手が込みすぎていると伝え、別の番組では四十住セイシロウの経歴、特に学歴について、出身校とされている学校の実在を検証し、また別の番組では親戚に魔法使いが存在するという人物のインタビューを放映する、そんな状況となっていた。
それでも時折、一斉に各局が同じ情報を流す瞬間というのも時折現れる。関連する事象に新たな展開が訪れたときというのがそうだ。
正午丁度から始まるNHKニュースでも、その映像は流れていた。映像は、警視庁の正面を映している。正確には、警視庁の正面を今にも突破しかねない様相で居並んだ黒いマントの一団を、だ。
烏姿の闇祓いの前には、同じくプロテクター一式とヘルメットを装備した機動隊が、大盾を並べて隊列を組んでいる。魔法族の特殊部隊とマグルの警察とがこうして対峙し、その様子をカメラが捉えている理由というのは、それより一時間ほど前に起こった出来事に端を発するものだった。
およそ一時間前、官房長官による定例会見の場で起きた出来事というのは、端的に言えば、「新魔法大臣」を名乗る人物がその場に踏み込み、自らの所信を表明した、というだけのことだ。つまり、数人の闇祓いを連れた倉田テンゴウが、マグルの記者たちを前に魔法省墜落事件の被害者への哀悼の意を表明するところから始まり、昨日彼らの身に降り掛かった出来事を述べはじめたのだった。事件直後自らも現場で救出作業を行ったこと、その際の思いなども述べて、テロリストとその凶行への怒りの表明へと展開していく話の運びは、そのくだりだけを見ればごく普通の政治家による哀悼のメッセージのようでもある。倉田が話す場所が官房長官による定例会見の場であり、その隣では官房長官が動転し、警備員が壇上に向けて駆け出していなければ、の話だが。
周囲の喧騒など少しも気にすることなく淡々と述べられていく哀悼のメッセージがその様相を変えたのは、魔法省墜落の原因、すなわちドーマへと言及がなされたときのことだった。
「──このような惨劇の原因は、ドーマを名乗ったテロリストにほかなりません。その犯行の手口や原理は、我々魔法使い、魔法族についてよく知り尽くした上でのこととしか思えず、また、マグル、つまり魔法の力、異能の力を持たない方々には理解しがたいものであることでしょう。しかしながら、奴はマグルの警察の拘束を受けている。いや、拘束などと言うべきではないな。奴の犯行は、我々の持つこの力、魔法の力を多分に利用したものだ。ゆえに、マグルの法律では一切裁き得ない。それを分かった上で自らがマグルであると称し、マグルの警察に下っている状況は、いわば、マグルの国家権力に保護を受けている状況だとすら言える」
この力、と倉田が言った所では、画面上には宙に浮かび、空中でもがく警備員たちの姿が映されている。なにしろ官房長官の会見の席である、その場で起きたことは主要各局のカメラが余す所なく映し出している。
「そのような状況で望みうることはなにか。日本魔法族の自治統治機関が望みうる最大の展望は、マグルの政府、日本のマグルを統括する政府と手を取り合い、協同でテロリストに対処することであったはずです。けして、日本政府に我々魔法族が服従を強いられることでも、況してや魔法族とマグルがかねてより築き上げてきた関係を
倉田が宙に向けて手を振るや、その背後に無数の映像が投影され、同時に記者たちの前には大量の書類が山となって現れていた。映像は四十住魔法大臣と日本国総理大臣とが揃って英国魔法大臣との会談に臨んだ際のものであり、書類は、古文書と呼べるほどに年代を経たものからつい最近のものまで、日本国政府と魔法省の間で交わされてきたあらゆる種類のものだ。記者たちは色めき立ち、目の前に現れた資料へと群がっていく。
いや、示された資料はただ、日本政府と魔法族のつながりを示すものだけではない。映像はやがて、破壊のあとの色濃い大納言横丁や怪我を負った魔法所の生徒を映した映像へと切り替わり、書類の山の上にはさらに、陰陽寮から押収した命令書の類が積み重なる。
倉田は大量の証拠を示しながら魔法族に対する攻撃が行われたことを述べ、それがマグルの政府に従う一部魔法族の犯行である、と断定した。無論、倉田は反撃によって「マグルの政府に従う一部魔法族」を殲滅しきっていることなどは口にはしない。資料に群がる記者たちを前に、彼はさも神妙そうな顔を浮かべたまま、「思わぬ形で襲いきた現実に耐えられず自死を選んだ」前任者を悼んでさえみせたのだ。
「その上で、わたしは、魔法族の代表として改めて、前任者に代わり日本政府に対して以下のことを要求する」
自分たちの被害者性を十分に立証した上で、倉田魔法大臣は決然と言い放った。
「我々魔法族が、日本政府とその法の拘束を受けることのない存在であると改めて確認をすること。すなわち、日本の国土の上において魔法の力をもつものを、我々の法のもとに置くことだ」
見たことのない役所の、しかし形式や決済印は公文書に間違いない数々の資料を前に色めき立っていた記者の間に、そこではじめて困惑のさざなみが広がりはじめた。場所は、官房長官の定例記者会見の場である。集まっているのは各局、各新聞社の政治部記者たちだ。倉田の言が意味するところに気づかないようなものは居ない。たちまち、疑問の声があちこちから飛び交い始める。治外法権を要求しているのか、今までも関係があるってことはすでにそうなってたんじゃないのか、そんなもの国体が根本から覆ることになる、諸外国はどうなってんだ、云々。
けれど、その言葉が直接に、闇祓いの動向につながっているわけではない。その次に、収まるところを知らない喧騒を
「──そして、我々は当然要求しうる権利として、なんらかの方法で
倉田が言葉をそう結んだとき、記者たちから声が一時的に奪われていなければ、予防拘禁につながる、それではあらゆる人が当てはまってしまう、との声が四方から上がっただろう。けれど、記者たちの喉は魔法の効果で音を発することはなく、いつにないほどに静かなまま、突発的な会見は終わりを告げたのだった。
──それから、およそ一時間。曇天の下、異なる装備を身に着けた二つの組織はいまだ、無数のレンズに囲まれたまま微動だにすることなく睨み合っている。
その様子を、部屋の隅に置かれた液晶テレビ越しに見ている者たちがいる。警視庁のある部屋でのことで、窓から顔を出せばその様子が見られるというのに、窓にはブラインドが引かれ、更にその内側ににパーテーションが置かれている様子は、外から見られることを恐れているかのようですらあった。
液晶テレビの前に立つ男が、振り返りながら背後に座る三人に向けて口を開いた。
「ほんとうに、あなた方の言ったとおりに事が進むとは。内部を知るものは違うというべきか」
口では褒めているが、男の顔は少しも笑ってはいない。両の目はまるで氷のような冷たさで、パイプ椅子に座る魔法族たちを見やっているのだ。
「とはいえ、連中はあくまで、友好関係とやらを重んじて今の所動きを見せないだけでしょう。あなた方はその気になれば人間を意のままに操ることも出来ると聞きます。あの魔法使い、倉田とかいいましたか、あの口ぶりではそのうち「機動隊員が魔法で操られている可能性」を盾に強硬手段を取るのでは。そうなったら、一体どうします」
「ええ、
背広姿の警官の問いに答えたのは、秋津・ミズホ・ローレンスだった。
「ですが、
ミズホの案をさして目新しいものでもないような態度で聞き終えると、青槻
「
青槻の答えに、ミズホが目を瞬かせる。小鬼の開発した服従呪文を洗い流す水は、魔法族、それも防犯対策などに携わる業界の人間しか知らないような知識だ。それを知っているとなれば──
「青槻さん、あなたは」
「違いますよ。僕は
魔法族なのか、と聞こうとしたミズホの言葉を、青槻が短い言葉で否定する。ミズホより後方、パイプ椅子をまるごと横に向けてさも興味のなさそうな態度をとっていたエイシュウが眉間に皺を寄せつつ顔を上げたのに対し、穂村は一切の反応を示すことなく椅子に座り、目をつぶり続けている。
「我々とてあなた方のような存在が日本国内に居る以上、その力を取り込み、知識をつけないわけにはいかない。それだけのことですよ。……
そう言い捨てると、青槻はテレビを消して足早に部屋を出ていった。ドアの閉まる音と鍵の音、その向こうへと去って行く靴音とを聞きながら、呆然とミズホは立ち尽くしていた。
すでに、穂村の「伝手」である人物を通して警視庁を訪れた目的は伝えた上でのことだ。ドーマと接触させることなく、外から鍵のかかる部屋へと閉じ込めていったということが意味するところは、目的の却下にほかなるまい。
「だから、言ったろ。不快な体験をするかも、と」
しばし続いた沈黙を破ったのは、穂村だった。穂村はいつのまにかパイプ椅子に反対向きに座った上であぐらをかき、疲れ切ったように椅子の背に顎を載せている。
「けど、あんたらなら建物に入りさえすればどうにかできるだろう」
窓を覆うブラインドには、頻繁に飛び交う烏の影が落ち、時折窓ガラスをくちばしで叩く音さえ聞こえてくる。明らかに、使い魔の烏たちが僅かな隙間からでも警視庁の内部を覗き込もうとしているのだ。おそらくは、警視庁へと踏み込むだけの理由を探すために。そして、それが果たされるまでの時間は、そう長くもないだろう。
ミズホはしばし目を伏せた後、