小隅清一郎の人生には、時折現れては波紋を残してゆく一つの言葉がある。
一度目は、小学校にも上がらない頃のことだ。セイイチロウの前にひとりの老人が現れて抱き上げると、件の言葉を述べたのだった。
「お前にはカムイの力がある、もしもカムイの力を恐れればウェンカムイになり、怒りとともにお前とお前の周りのものを喰らい尽くす」
場所は見知らぬ冬山の中で、老人の顔には独特の文様が刻み込まれていた。──と、説明するだけでは状況が分かりづらいだろう。
両親や警察の証言するところによれば、事の次第はこうだ。セイイチロウは幼稚園から帰ってきて一人で積み木遊びをしていた。そうするうちに、突然家の中で何かが弾けたような音がしたかと思えばセイイチロウの姿が消えていて、辺り一帯を探し回ったが見つからず、警察に届けを出した。北海道の冬のことだ。雪で埋もれた溝や軒先から落ちた雪山の中を捜索しても見つからずに夕刻に差し掛かろうとした頃、突如警察署にアイヌの民族衣装を着込んだ老人が子供を連れて現れた。子供とは無論セイイチロウのことだ。
もちろん、警察は老人から話を聞こうとした。けれど老人は
「この子供はカムイの力を持つ。恐れることなく、正しく育ててやれるよう取り計らいなさい」
と告げると何処かへと姿を消し、セイイチロウはと言えば
「モモンガにあいたくてテレビに映ったお山に行った、だけれどモモンガがいなくて、帰り方も分からなくて困っていたらおじいちゃんが連れ帰ってくれた」
と、拙い証言をするばかりで、セイイチロウ少年行方不明事件はかくして多大な謎を残しながらも大団円を迎えたのだという。この話は、セイイチロウの持っていた積み木がカムイエクウチカウシ山の頂上で見つかった、という後日談と合わせて、幼児の頃に起きた事件として何度も両親から聞かされたものだった。
後知恵と推測を付け加えて解説をするならば、老人もまた“カムイの力”を持つアイヌの古老で、同じ力を使って雪の中に現れた子供を何らかの方法で察知し、保護した上で子供の持つ力について警告を発したのだろう。
その種の異能の持ち主が思った以上にたくさん世に溢れていることは、セイイチロウが育つにつれて明らかになっていった。件の事件からしばらく経った頃には、音信不通状態だった親族が突然家を訪れて、実は自分も同種の力を持っていて、セイイチロウにはその血が隔世遺伝したのだろうと言ってかんたんな力の使い方を教えていったし、小学校に上がる頃には南硫黄島にある「魔法学校」からの入学案内まで届いたのだった。
セイイチロウの実家は、ごく普通のサラリーマンの家庭だった。それでも、幼少期の行方不明事件や親族の存在、それに魔法学校教師からの説明を経て、セイイチロウの持つ力についてはとても良く理解をした。──と、少なくともセイイチロウ自身は思っている。魔法学校には行かなかったものの、それは小学校のうちは巨大海燕に乗って太平洋上の学校へ毎日通い、中学校に上がってからは寮に入る必要があるという過酷な環境をセイイチロウが嫌がったためで、高校を出るまで“氷のおばさん”が定期的に家にやってきて力の使い方と隠し方を教えてくれていたところからして、両親が可能な限りセイイチロウを「正しく育てて」やれるよう努力をしていたことは間違いないだろう。
そうやって、セイイチロウは「正しく育って」いった。これも後知恵の言葉を使うならば、非魔法族のなかで暮らす魔法族として力を隠しつつ生きる、正しい態度を身につけていったのだ。かつてアイヌの古老が残した言葉は、セイイチロウの人生に降り積もるたくさんの時間の下に埋もれ、とうの昔に流れ去っていったかに思われた。──
そうして、非魔法族になりすました魔法族としてセイイチロウが人生を歩んでいるなかで、不意をつくように二度目の言葉が現れたのだった。
「小隅さん。我々の力は、隠そうとしすぎると暴走しますよ」
不意にそんな言葉がかけられてセイイチロウは目を瞬かせた。目の前にいるのは
「まあ、テレビでお見かけする分には大丈夫だとは思いますが。魔法教育を受けていない魔法族が非魔法族として人前に出ておられるからには、不都合の出る場面もお有りかと思いましてね」
魔法教育。魔法族。非魔法族。いくらカメラが回っていないとはいえ、政治家が真面目な表情で口にするとは思えない言葉の羅列にセイイチロウはしばし思考が追いつかず、ようやく思考が追いつくとともに慌てて周囲を見回した。議員控室には、番組スタッフがすし詰めになっている。
「ご心配なく、音は周囲には漏れていませんし、彼らはいま我々への興味をすっかり無くしています」
素性が明かされることを恐れる看板アナウンサーをよそ目に、青年政治家は堂々と細長い指揮棒のようなものを取り出し、しなやかに振ってみせた。その軌跡には、燐光が散っている。──魔法の杖。セイイチロウは、子供のころ入学案内を携えて家にやってきた魔法学校の教師の姿を思い出していた。
「四十住議員、あなたは」
「ええ、魔法使いです」
たしかに、室内の番組スタッフはなにやら雁首揃えて機材を覗き込み、被写体たちが会話をしていることにすら気づいていない。それと気づいてみれば、逆にこちらからあちらの音も聞こえていないようでもある。四十住の言葉は、どうやら嘘ではないらしい。
「どうして、私が
四十住は、魅力的と評される顔にはにかんだような笑みを浮かべた。普段マスコミを相手に見せる、訓練された笑顔とは全く異なる種類の表情だ。カメラを回しておけばよかった。状況とは裏腹に、セイイチロウの脳裏にはそんな思いが去来するほどだった。
「手段も、ないでもないのですが。この場合はマホウトコロ……魔法学校入学拒否者のリストを魔法大臣権限で閲覧していたところ、有名な名前があったもので」
「魔法、大臣? 内閣に、そんな秘密の役職があるのですか」
この会話をカメラに収めたい。せめてICレコーダーで録音を。いや、記録されないからこそ四十住セイシロウはこの話をしているのだ、記録などしようとすればおそらくはなにもかもご破算だ。そんな当たり前の考えをこねくり回しながら、セイイチロウは身を乗り出した。
「魔法大臣というのは、魔法族統括機関の長のことで、日本国政府とは別個に存在するものです」
「つまり、魔法使いの作る私的な組織の長を、便宜上大臣と呼んでいると。……では、日本国政府は魔法使いの存在を感知していないし、あなたが魔法大臣であることも知られていない? いや、そもそも、魔法族と言いましたね、私や四十住議員のような力の持ち主をそう呼んでいるのですか? あと、魔法族統括機関と言いましたが、その役回りというのは──」
「あはは、質問が多いな、まあ、いきなりいろいろなことを知らされればそうもなるか。いいでしょう、一つずつお答えしましょう」
想定していた休憩時間を大幅に過ぎているというのに、周囲のスタッフは誰ひとりとしてインタビューを再開しようとはしていない。同じ部屋に居ながら隔絶された二人きりの空間で、四十住は記録に残されないインタビューへと誠実な回答を返し続けていった。あとから考えれば四十住にとってはごく当たり前の事柄を答えているだけだったのだろう。けれど、この時の四十住は間違いなく、セイイチロウの知る限り最もわかりやすい言葉で質問に答え続けていた。
記録されることのないインタビューは、セイイチロウに対する魔法界のプレゼンテーションとしてはあまりに有意義なものだったと言えるだろう。なにしろ、おおよそ時計の針が一周するころには、セイイチロウは日本魔法界と日本国政府の関係や、その歴史についての概要を把握するに至っていたのだ。
「いやあ、やはり看板アナウンサーだけある。的確に情報を拾って、的確に質問を返してくれますね。正直に言ってバラエティ向きのタレントもどきかと思っていたんだ。さて、質問は以上で大丈夫ですか?」
非魔法族のなかで暮らす魔法教育未履修者に魔法界の概要をつたえることができて、四十住は満足しているようだった。整った顔に浮かぶ笑顔をみやりながら、セイイチロウは最後の質問を発するべく口を開いた。
「最後に一つ。四十住さん、どうして、わたしに質問をさせてくれたんでしょうか」
四十住の顔に、陰が走った。相手の好きに喋らせて胸筋を開かせたあとに、感情を揺さぶる質問をする。これが本当のインタビューならば、これこそが本題への入り口だ。とはいえ、相手はマスコミへの応答、特に自らのイメージ形成を得意とする世襲政治家のこと。仮面をかぶられれば、そこで終わる話でもあるが。──
「オブスキュラスという、魔法族特有の疾患がある」
「これは──いや、説明するよりも見せたほうが早いな。いまから、僕の記憶を共有する魔法を使うために、あなたに杖を向けます。VRのようなものだと思ってください」
四十住のこめかみに押し当てられた杖先が、銀色の靄を引き出すのをセイイチロウは見た。杖は銀の靄を絡めたままセイイチロウへと向けられ、靄はセイイチロウの額へと流れ込む。
途端、部屋の景色は変転し、銀の霞に覆われた見知らぬ光景が目の前に広がっていた。VRのようなもの、との説明がなければ、自分が何処かに移動したと思ったことだろう。場所は、旅館かどこかの料亭のようだ、と初めは思った。セイイチロウの知る広い畳の部屋というのがそういった施設であったからだ。けれど、どうやらそうではないらしい、と知れたのは、鴨居の上になにやら仰々しい書だの賞状だのに紛れて並ぶ、数枚の写真を見たときだった。写真のうち、最も新しいものは黒いスーツを着こなした男を写している。それが四十住セイシロウの父であり、数代前の宰相であった政治家の若き日の姿であることはひと目で分かることだった。
四十住邸の一室には、数人の人間がいる。正確に言うならば、男女二人の大人と、三人の子供が、というべきか。男が部屋を見下ろす写真の一枚と同一人物であることを見て取るまでもなく、それが四十住セイシロウが幼い頃の家族の姿であることは状況から読み取れる。そして、この光景が幸福な光景ではないことも、すぐに知れた。何しろ、四十住の両親は言い争っていて──いや、父親が、ほぼ一方的に母親を詰っているのだ。青年政治家の幼い頃の記憶を、どうやら自分は傍観させられているらしい。部屋の隅で縮こまる三人の子供達を見やりながら、セイイチロウは状況を悟っていた。
「お見苦しい記憶をお見せして失礼。重要なのはここからです」
隣からはっきりとした声が聞こえ、セイイチロウは振り返った。いつの間に現れたものか、四十住が議員控室の椅子に座ったまま銀に霞む景色の中に現れていたのだった。
同時に、遠い過去の光景には一つの異変が生まれていた。例えるならば、水に黒いインクを落としたように。あるいは、空間そのものに染みが広がるように、母親の体の周囲を取り囲むように黒い靄のようなものが発生していたのだ。
「あれがオブスキュラス。魔法族が自らの魔力を抑え込もうとした結果、感情の爆発に合わせて力を暴発させてしまう心因性の疾患です。暴発によって周囲に被害が出るばかりではなく、当人すらも飲み込み、死に至る可能性もある」
自らの母の身に起きた異常を、青年政治家は国会でなにか答弁でもするように朗々と述べていった。いや、四十住セイシロウの普段の答弁がトートロジーじみたものであることを考えれば、国会の答弁よりよほど明快に述べている、というべきか。
記憶の主の説明のとおり、黒い靄は四十住の母の体を包み込み、父を吹き飛ばし、畳に爪痕を残し、部屋の窓ガラスを粉々に割り、何もかもを飲み込んでいく。我々の力は、隠そうとしすぎると暴発する。はじめに四十住セイシロウが言った言葉が、ここに来て再びセイイチロウの脳裏に蘇ってきた。
いや、それだけではない。
カムイの力を恐れればウェンカムイになり、怒りとともにお前とお前の周りのものを喰らい尽くす。
遠い昔、すべての記憶の奥底に追いやられていた言葉が、峻厳たる雪山の景色とともにセイイチロウの目の前に鮮明に現れるようだった。ウェンカムイ。アイヌの言葉で悪神、人に害をなす神を指す言葉だ、という程度のことは一般教養として頭に入っていた。けれど、遠い時間の向こうに忘れた言葉と知識が結びつくことは、このときまではなかったのだった。
荒れ狂う黒い靄はさながら小さな嵐であり、人の力など及びそうにもない。セイイチロウは目の前に再生される他者の記憶に重なり、吹き荒れる吹雪すらも薙ぎ払い、人の営みを破壊し尽くす嵐のごときウェンカムイを幻視した気がした。
「ご心配なく、このあと母は聖マンゴ……魔法界の病院に収容されました。もちろん父も未だに健在なのは御存知の通り」
黒い吹雪の幻は、けれど、唐突に議員控室の風景に取って代わられることとなっていた。銀の記憶は、記憶の主が杖を振るとともに綺麗さっぱり掻き消えていたのだ。
「まあ、そのようなわけで、非魔法族の間で暮らす魔法族には、少しばかり関心があったわけですよ。そこにあなたとの仕事が入ったので、一つ、なにか力になれればと思いましてね」
四十住はそう言って、杖を頭上に掲げた。杖先からは燐光が舞い、議員控室に散ってゆく。遠ざかっていた無数の騒音が戻ってきて、セイイチロウは誰にも知らされることのないインタビューが終わりを告げたことを知ったのだった。
「機材トラブルによって」一時間あまりの遅れを出した番組用のインタビューもつつがなく収録を終え、セイイチロウと四十住セイシロウは各々の日常へと戻っていった。もちろん、四十住セイシロウ直々の助言と幼い頃の記憶の共有にはそれなりに心を動かされもした。けれど、そもそもセイイチロウが力を使ってできることと言えば、せいぜい氷を作り出す程度のことなのだ。四十住の助言も、ひいてはかつてのアイヌの古老の言葉も、セイイチロウの人生で意味を持つ場面があるとは思えなかった。
──東京に巨大な破壊が降って湧いた日までは。
モニターには、もうもうと立ち込める土煙と膨大な瓦礫と突き出たひしゃげた鉄骨と、それらを次々と消し去っていく黒いプロテクター姿の人間が映っていた。セイイチロウが司会を務める情報バラエティ番組〈情報ブロードデイズ〉の最中に飛び込んできた速報を伝える映像だ。
「これはいまリアルタイムの映像ですか? 機材はTBNのもの? つまり、誰かが作ったCGではないということですね? なんとも、信じがたいと言う他ありません──」
なにぶん、看板アナウンサーと呼ばれるだけの実力はある。なにも考えずとも、なんとなれば全く違う事を考えながらでも、その場に見合った間を保つための言葉が真に迫った調子で次々に口から飛び出してくるのは、自分自身に感謝したいところだった。セイイチロウは、東京タワー上空に浮く建物の存在を知っていた。中継映像のなかで文字通りに飛び回る特殊部隊が、おそらくは闇祓いと呼ばれる魔法使いの治安組織であることも知っていた。もちろん、映像の中にやがて現れて長口舌を奮った男の言ったことも、全て余すことなく意味を理解することが出来ていた。
だからこそ、セイイチロウの苦難は、中継映像が終わったあとから始まったのだった。
「魔法使いだか超能力者だか霊能力者だか、とにかくそういう妙な力を持った連中がずっと存在を隠されてきて、その存在を知らせるためにあんな事件を起こしたってこと? あんな力を持ってるなら、もっと穏当なやり方をすりゃあよかったんだよ」
違う。あれは非魔法族だ、本人がそう言っていただろう。共同で司会を務めるコメディアン兼映画監督のコメントに思わずそんな言葉を返しかけて、セイイチロウは口元を抑えた。
「あのテロリストは、自分はそういう力は持たないと言っていたようですよ」
体のなかで暴れまわる冷たい激情が声に表れないよう気をつけながら、冷静さを装ってセイイチロウは反論した。〈情報ブロードデイズ〉は、大物コメディアン兼映画監督の率直で時に露悪的な「ボケ」に、常識的なアナウンサーである小隅セイイチロウが淡々と冷静に「ツッコミ」を入れることで番組としてのバランスを保っているのだ。
「そんなん、嘘かも知れないじゃん。あんな事件を起こしたら最初から嫌われちゃうからさ、自分は人間だけどこういう可哀想なやつらがいることを知っていて、その解放のために事件を起こしたんだ、って言ったほうが受け入れられやすいって、そう考えたんじゃないの」
セイイチロウは、返す言葉を見つけられなかった。共同司会者の露悪的なコメントは、今しがたの映像を見た人間が到達しうる思考の、一つの類型に違いなかったからだ。そう思う人間はまちがいなく一定数、この世に存在する。多数派と言ってもいいだろう。では、そんな世界で魔法族は、自分たちはどう取り扱われる?
腹のなかでいいようのない焦燥感が蠢き、発汗と手足の震えとして伝わるのをセイイチロウは感じていた。カメラにはセイイチロウの焦燥は数秒の沈黙として映っている。放送事故だ。慌てた他の出演者たちが、いまは何もわからない状態ですからね、とお茶を濁してくれているうちにCMが挿入され、速報映像の中継のために大幅に放送時間を超過していた番組はそのままエンディングを迎えたようだった。
ようだった、というのは、CMに入った瞬間、
「──すみません、申し訳ない、わたくし、どうも気分が──」
と言いながら、セイイチロウはその場に倒れていたためだった。
そして、次に目を覚ましたときには、世界はすっかり様変わりしていた。
四十住セイシロウが死んだ、と言うのが、目を覚ましたセイイチロウに初めにもたらされた情報だった。正確に言えば、その前に自分があまりにも目を覚まさないので何らかの病気を疑われて病院に運び込まれていたことや、検査の結果は過労の他には別段問題はないこと、むしろ身体機能の面で言えば同年代の成人男性よりやや若いほどであることなどは告げられていたものの、セイイチロウにとって重要な情報という点では、四十住議員の死にまさるものではありえない。
「午前中の国会答弁、凄かったのよ。話の内容もだけど、四十住ジュニアでも追い詰められたら理路整然と喋れるんだな、って言って笑ってて、そしたらこのニュースでしょ。明らかおかしいでしょ、絶対消されたのよねあれ」
自分が倒れたあとの処理をしてくれた関係者に一言入れるべく出社した先でセイイチロウは知り合いのディレクターに捕まっていた。四十住の死を伝えるニュースに呆然と聞き入っていたところ、興奮気味に声をかけられたのだった。
「もうヤバいよね日本、超能力者が居たのよ本当に、それも国会にまで入り込んで。裏から人間を支配する計画が明らかになるとか、漫画だったらそんな展開になるやつよこれ。局にもシレッと入り込んでて、放送の内容をこっそり操作してるとか。あ、そういうネタで一本番組作ったら数字取れそうじゃない? 昔のオカルト番組のノリで、明らかにバカバカしいやつ。出演者全員芸人で固めて、ガキ使みたいな雰囲気でさ」
そのディレクターは、悪い人物ではない。いかにも業界人らしい飄々とした態度を取ってはいるが、キー局でディレクターを務めるだけあって頭の回転は早く精力的で、かつ、時代の空気も読むことができる。この会話も、テレビ人としてはまっとうな世間話でしかない。セイイチロウも、当事者でさえなければ間違いなく、好奇心混じりの意見を出していたに違いないのだ。
「局にも入り込んでるのなら、あんまりふざけた内容なら放送を妨害されるんじゃないの?」
「あっは、小隅ちゃん、それイケてる。生放送でやって、本物の超能力者に番組を妨害されてる、みたいな演出入れたらウケるかも。うん、それで一回企画出してみるわ、ありがとね」
必死に頭を働かせて言葉をひねり出すと、ディレクターは勝手にいいアイデアを思いついて、足早に去っていった。「自分が魔法族であることを知らない小隅セイイチロウ」を演じられたことに一旦胸をなでおろした直後、セイイチロウの背には戦率とともに背筋に汗が吹き出ていた。
「ずっと、これをやり続けなきゃいけないのか」
瞬間的に脳裏を駆け巡ったのは、LGBTだとか発達障害者だとか、表面上それとはわからない少数者に関する知識だった。往々にして彼ら/彼女らを取り扱った番組は、自分自身の持つ属性を隠しながら生きていくことへの苦悩だのカミングアウトに伴う葛藤だのを取り上げたがる。それは、ある種のお決まりのパターンであり、番組の体裁として苦悩や葛藤をことさらにクローズアップするのは当たり前の演出だった。けれど、知識として理解していたそれをセイイチロウが真に理解したのは、この瞬間が初めてだった。
セイイチロウは、局のエントランスに設置された液晶画面を呆けたように見上げていた。緊急ニュースでは、国会議事堂のトイレを背に17年度入社の若いアナウンサーが四十住議員の死を伝えている。未確認の情報ですが、目撃者によれば四十住議員は首にネクタイが巻き付いた状態で発見されたとの話です。あっ、いま遺体が運び出されるようです……
「四十住ジュニア、首吊り自殺って?」
「まさか、そんなタマじゃないだろ」
「でも国会で人なんて殺せるか?」
「国がやる気になったら何でもできるっしょ、午前中の答弁聞いた?」
「いや、絶対あれは仲間割れだって信じてるから。能力者が普通の人間に殺されるとかイメージ壊れる」
「能力者って、ハンタかよ」
時間は、ちょうど昼過ぎのことだ。取材ついでに遅い昼食でも済ませて帰ってきたのだろう。どこかの番組のスタッフががやがやと、センセーショナルなニュースについて雑談を交わしながらセイイチロウの脇を通り抜けていった。
ニュースについて、ひいては魔法族について語る言葉は、それが全てではない。エントランスでは、あちらこちらでめいめいの好きな呼び名でめいめいの思う通りの魔法族についての会話が花咲いていた。好意的なものにせよ否定的なものにせよ、あるいはただの好奇心だけによるものにせよ、話者は誰一人、目の前に話題の対象が存在しているなど想像していないことだけは確かだった。
無数の声が雪となり、吹き荒れている。セイイチロウは、唐突にそんな連想をしていた。吹雪の中心には、黒い嵐の姿をしたウェンカムイがいる。ウェンカムイは何もかもすべてを薙ぎ払い、自分自身の力が尽きるまですべてを蹂躙してゆくのだ。──
冷たくも心地の良い想像に身を任せようとしたセイイチロウが我に帰ったのは、
「あれ、小隅さん。よかった、すぐ退院できたんですね」
と、声をかけたものがいたためだった。〈情報ブロードデイズ〉のADが丁度通りかかったのだった。
セイイチロウは本来の要件を思い出し、ADから対応にあたったスタッフの名前を聞き出して個別にメッセージを送ると、局をあとにした。本当は対面で礼を言おうと思っていたのだが、この調子では局の中にいるだけで精神的に参ってしまいそうだったのだ。
けれど、この時の状況は、あとから考えればまだまだ序の口だったと言えるだろう。
同じ日の午後には、魔法省の新魔法大臣を名乗る人物が堂々と官房長官の記者会見に乱入し、日本政府の見解に異を唱えた。その次の日には闇祓いが警視庁と抗争を繰り広げ、魔法族の警官たちが死の代償を伴う呪術的契約を結ばされていたことが魔法省から喧伝された。
そんな状況にあって、魔法族について語る声が少なくなるはずがない。ネット上でも現実でも、もちろんセイイチロウが生業とするテレビでも、魔法族に関するほんの少しだけの事実と多大な誤謬と意図的な欺瞞に基づいた言葉は吹き荒れ続けていた。セイシロウ自身、ニュースの嘘と誤りを知りながら、さも事実であるかのように読み上げたことは一度や二度では済まない。訓練された声色で淡々と意に沿わない言葉を口にする度、セイイチロウは体のどこかに氷のような激情が溜まっていくのを感じていた。いや。押し殺しているそれが、ただの感情などではないことを、彼はすでに知っている。ウェンカムイ。あるいは、魔法使いたちの積み上げてきた知識の体系に照らし合わせれば、過度に抑制しようとして暴発する寸前の魔力の塊。
それを、
「どうにかしないとまずい」
と、気づいたのは、セイイチロウが自宅マンションのソファに座っているときのことだった。正確に言えば、彼の座ったソファを中心に、獣が暴れまわったような傷が部屋中につき、その上から薄い氷が張っている事に気がついたときのことだった。
全身を覆う倦怠感と合わせて起きたことを類推するに、自分は一度魔力を暴走させかけて、それを自分の知る魔力の使い方で制御して、抑え込んだのだろう。セイイチロウの魔力の使い方は、氷作りに特化している。飲み物を冷やす時くらいにしか使えない力だと思っていたが、これが物を燃やす能力であったら、と考えれば力の使い方を教えてくれた“氷のおばさん”には感謝してもしきれないほどだ。
魔力の暴走の原因は、よく分かっていた。手の中にある布だ。魔力検査布と呼ばれているそれは元は黒色で、魔力の持ち主が手にすることでピンクか白に変わる。セイイチロウの手のなかの布は、もちろん美しい桜色に染まっていた。
インターホンが鳴っている。これだけの破壊を成したのだ、隣近所にも騒音は嫌というほど伝わっているはずだ。出て、謝らなければいけない。けれど、セイイチロウの体はソファから立ち上がってはくれない。魔力というのは、存外に体力と不可分なものだ。言うなれば四十五歳にもなって金属バットを持って部屋中を壊して回ったようなものと考えれば、体じゅうを取り巻く倦怠感も節々の痛みも理解ができるというものだろう。それに、直接隣人と顔を合わせて部屋の惨状を見せて、一体どう言い繕えというのか。すでに、魔法生物がマンションのベランダに集まることで十分すぎるほど怪しまれているはずなのだ。こんばんは、何かすごい音がしましたが大丈夫ですか。それに、最近変な生き物がベランダに集まっているみたいですが。そういえば、布が届きましたよね、あれ、何色でしたか。──
気の滅入るやり取りを思い描いているうちに、インターホンはやがて鳴り止んだ。代わりに、がちゃりとドアノブを回す音と、続き、蝶番のきしみが耳に届く。ドアが開けられている。管理人にでも言って、合鍵で扉を開けさせたか。それならばそれでいい。下手に取り繕うよりも、桜色の布を持ってソファに座り込んだ姿を見てもらうほうがよほど楽だ。
──だが、確か、ドアにはチェーンを掛けたはずではなかったか?
セイイチロウがはっと顔を上げるのと、
「オブスキュラスになりかけて、自力で止めたようですね。多少なりとも魔力を使う方法を知っていたおかげでしょう」
との声が頭上から降ってくるのとは、ほとんど同時だった。
ソファの後ろには、二人の男が立っていた。一人はなにやらロックバンドでもやっていそうな若い男で、もう一人は上品そうな初老の男だ。セイイチロウに声をかけたのは、年上の男の方らしい。オブスキュラスに、魔力。長くしなやかな杖が燐光をはらんで振られるや、空中でココアがひとりでに入ってゆくのを見るまでもなく、二人が魔法使いであることは明白だった。
周防右近と美作晶と名乗った二人は、自分たちは闇祓いであり、自衛手段を持たない魔法族の保護に当たっているのだ、と自分たちの役割を説明した。
「あなたは魔法学校の入学拒否者に名前を連ねていたのでこちらから接触を図ることが出来ました。魔法教育を受けずに一般社会で人前に出る仕事をし続けていたとなれば、さぞかし苦労なさったことでしょう。よく、頑張りました」
ココアに口をつけつつ、セイイチロウは深々と頭を下げた。ココアには魔力を回復する応急処置用魔法薬が入っているらしく、一口飲むごとに全身の疲れが取れていくようだった。
日本魔法省は魔法で隔離した街に一時的な魔法族の避難場所を作っており、そこから今まで通りの出勤や通学も可能だ、と周防は話した。
「瞬間移動のような魔法もある、ということですか。ですが、その場合不都合が出ませんか」
「希望があれば、近隣住民や職場の人の認識や記憶を魔法で操作することもできますので」
セイイチロウは、自分の記憶の中にだけ存在するインタビューの間じゅう「機材トラブル」への対処を続けていたスタッフのことを思い出していた。それから、多少回復し始めた思考はドーマと名乗ったテロリストの演説を想起させる。歴史上行われてきた様々な隠蔽と欺瞞を、あの男は告発していた。欺瞞の主体とはたしか、日本魔法省と日本政府であったのだったか。なるほど、たしかに告発の内容には相応の正当性が存在していたようだ。
「あー、あれっすよ。別に頭の中身をイジったって、性格とか行動に影響が出たりとか、そういうことってないですから」
保護対象者の沈黙を、認識操作への倫理的な忌避感に由来すると判断したらしい。部屋中の傷を修復にかかっていた美作が、軽い調子で声を上げた。確かに、ある程度は忌避感を感じたのも事実だ。だが、セイイチロウが黙っていたのはそれ以上に、未だ思考力が回復してきておらず、脳が勝手に行う連想を言葉に紡ぐまでに至っていなかっただけのことだ。
思考が一挙にギアを上げ始めたのは、続いて美作が
「ちょっとマグルが見えないものを増やしたって問題ないっすからね。もともとあいつらこの世に存在するものもちゃんと見えてないんだから」
と、魔力の燐光をわざと散らしながら軽口を叩いた瞬間のことだった。
「……マグル?」
その言葉を一度も聞いたことがないかのように装うことが出来たのは、東京タワー壊滅からこちら、実生活で何も知らず何も意見を持たないもののふりをしつづけていたおかげだったろう。
マグルという言葉の意味を、セイイチロウは四十住から聞いていた。その言葉は、かつては単に非魔法族を指す言葉だったがいまでは非魔法族出身者が口にする他では差別的なニュアンスを含む言葉であることも、いまマグルという言葉を使う魔法使いは非魔法族で言う自民族中心主義者のような存在であることも、四十住はよく教えてくれていたのだ。
説明のために口を開いたのは、周防だった。
「魔法を使わない人間、ということです。魔法使いは、そうでない人間とは異なる語彙を使うことも多いんです」
あくまで穏やかな笑顔を浮かべたまま、周防は明白な欺瞞を口にした。ぞわり、と全身の体温が下がるとともに、思考の速度が上がる。番組中に災害や事件の速報が入ったときと同じかそれ以上の、世界が非常時に切り替わる感覚だ。
「そういえば倉田さんでしたか、魔法大臣と名乗った方がそんな意味合いで使っていましたね。すみません、頭がいま、動いていないらしい」
そうだ。そもそも、なぜ自分が存在を知っているにも関わらず日本魔法省に接触を図らなかったか。それは、新しい魔法大臣がはじめにマグルという言葉を何度も口にしたからではなかったか。ココアを飲み干すとともに、脳内に散らばっていた様々なことを思考が再び拾い上げ始め、心臓が鼓動を早めてゆく。それ以降の動きや対外的な宣伝の方針も含め、日本魔法省はあまりにも行動が暴力的で、信用ならなさすぎる。かといって、対抗馬としていきなり発足した日本魔法族評議会はと言えばどう考えてもただの日本政府の傀儡で、発表には政府にとって都合のいい嘘やごまかしが含まれていることを知っている。ということで、正体を隠して生きるいち魔法族として激動の時代に取りうる行動は、判断を保留して大勢が決まるまで身を潜める、ということになっていたわけだが。──
「ちなみに、参考までに、ですが。このまま家に残ることは可能なんでしょうか」
いま取るべき行動を考えるための時間を確保するべく、セイイチロウは質問を口にする。
「一応は可能ですが、やめておかれたほうがいいとは思いますよ。どうやら魔力目当ての魔法生物にも対処できないようですし、なによりこの環境ではオブスキュラス……魔力の暴走を誘発するばかりだ」
「評議会の言う避難先に行ったって、あいつらは治療法もなにも知らないから余計に悪化させるばっかですからね。前に番組で国立競技場に中継入れてたから知ってるでしょうけど、テント村状態で衛生環境も最悪だし」
大勢が決まる前に向こうからやってきた選択肢たちは、さも気遣わしげに返答をした。いや、本当に気を使い、同情しているのだろう。下等な種族のなかで苦難の日々を送っていた、彼らの同類に対して。
彼らについていけば楽になれる。セイイチロウは、確信していた。たった一人で吹雪の中に取り残されてウェンカムイになることを恐れる必要もなければ、自分の素性を隠す必要もない、暖かな共同体に受け入れられるのだ。だが。──
「もう一つ、お聞きします。きちんと教育を受けた魔法使いが、非魔法族に殺害されることはあり得ますか」
闇祓いたちが、目を瞬かせた。あまりにも唐突な質問だったので、趣意を汲み取れなかったのだろう。
「それは、実力の度合いと状況にもよりますが。私やここにいる美作くん、あるいは闇祓いであれば、まずありえません。そうでないものならば、杖を奪われたり口をふさがれていたならばあり得ることです。ですが、それが一体──」
「では、四十住セイシロウ議員の実力は、どの程度でしたか」
困惑しながらもにこやかに応答していた周防が、口を噤んだ。どうするべきか未だに決めかねていたゆえの時間稼ぎの質問だけに、この反応は意外なものだった。
周防はなんの表情も浮かべず、ただじっとセイイチロウを眺めていた。一体何を考えているのか、と眼鏡の奥の瞳を何気なく見た瞬間──
「──ああ。あなた、四十住の坊っちゃんから、魔法界の存在を聞いていたんですね」
突如、記憶が脳内で奔流を起こした、とセイイチロウには思われた。彼がもう少しだけ魔法の知識を持っていれば、周防が開心術と呼ばれる読心術を使おうとしていることに気づけただろう。だが、彼はあくまで、表層的な知識を持つだけの教育を受けていない魔法族にすぎない。
「その上、僅かな知識とマグル流の常識に照らし合わせて、我々に反感を抱いている。だから、知っているのに我々へ接触を図らなかったのですね。なんとも哀れな」
記憶と思考が自分の意志によらず展開してゆく不快感に、セイイチロウは抗おうとする。だが、視線を逸らそうにも体の動きすら少しも自由にはならず、意識をそらすことも出来はしない。全身から汗が吹き出て、それとともにせっかく回復した体力すらも抜け出るようだった。
「あなたは、僕の知る限りはマグル社会で最も有名な半端者です。本当は、あなたの意思でこちらの宣伝に協力していただきたかったのですが」
ああ、なんだ。広告塔にするつもりだったわけか。突如冷たさを増した周防の言葉を聞きながら、セイイチロウは、奇妙な安堵が体に広がるのを感じていた。では、その目論見が外れた以上、彼らにとって自分は余所者となったのだ。そして自分にとって彼らは大多数の人々と同じ、身を切るように真っ白な吹雪のひとひらに今や成り果てたのだ。
ならば自分は、やはりウェンカムイになるほかない。
心が凍りつくような感覚とともに、吹雪のイメージが鮮明に脳裏に蘇る。心象の向こうで周防が目を見開いて飛び退り、そして──
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「ほんとうに、何もかもを壊してしまうつもりなのか」
白い吹雪の中に、一人の老人が立っている。顔には独自の入れ墨を入れ、毛皮を縫い合わせた民族衣装を着込んだアイヌの古老だ。仕方がないだろう。あちらがそうさせたのだから。そう返答しようとして、セイイチロウは自分の口からごうごうという猛獣の鳴き声、あるいは暴風のごとき音しか出なくなっていることに気がついた。そして、自分が口を開くたび、周囲に黒い嵐がうずまき、雪を吹き飛ばしていくことも。
「ああ、そうだ。仕方がないとも、ウェンカムイよ。お前が吹雪を打ち払おうとあがき、死んでいくのは仕方がない。古来、数多くのカムイの力の持ち主がそうやって死んでいった」
不思議なことに、セイイチロウの言いたいことは十分に伝わっていたらしい。老人は、憐れむようにセイイチロウに手を伸ばし、頭をなでた。──そう、気づけばセイイチロウは、遠い昔に冬のカムイエクウチカウシ山へと迷い込んだころの姿に、つまりは幼児の姿に帰っていたのだ。
「けれど、ウェンカムイよ。お前には、本当はもっと強い力があったのではないかな?」
何の話だ。魔法を習わなかったことを責めているのか。もし教育を受けていたとして、行き着く果てはあの差別主義者どもだ。ウェンカムイになるのを避けて、吹雪のひとひらに成り果てろというのか。
ごうごうと風に舞い散る雪の中、老人は首を左右に振った。
「カムイの力は、カムイのものだ。その力で全てを意のままにしようとすれば、いずれ報いを受けよう」
老人の手が、セイイチロウを抱き上げる。遠い昔の記憶では、このあと老人はセイイチロウを家族のもとに引き渡して姿を消したはずだ。
けれど、いまは違った。老人は、幼い少年、あるいはウェンカムイを抱きかかえたままびょうびょうと吹きすさぶ吹雪に乗り、空へと飛び上がったのだ。
吹雪はいま、光り輝く街の灯りのようでもあった。いや。雪と思われていたものはいつしか、ほんとうに東京の夜景を彩る無数の光へと変貌していた。一体何のつもりだ。何をしようとしている。ウェンカムイが口を開けば、夜景は黒い嵐にかき消され、消し飛ばされてゆく。
「わしがやろうとしているのではない。お前がいまやっていることだ、ウェンカムイよ」
状況が飲み込めず困惑するウェンカムイの口からは、その間にもごうごうと猛獣の雄叫びが漏れ出し、嵐として街を破壊していく。いま、自分がこれをやっている。瞬間的に思い起こすのは、暴発した魔力が壊した自室の姿と、四十住セイシロウの記憶で見たオブスキュラスの姿だ。あれが、もしも開放された空間で起こったならば。
「ウェンカムイになるとはそういうことだ。何もかもを破壊する。何もかもを薙ぎ払うとはそういうことだ」
駄目だ。それはもはや嵐だ。それはもはや災害だ。一人の魔法族が災害ほどの脅威になりうると分かれば、他の魔法族はなお一層追い込まれることになる。なお一層ウェンカムイを生むことになる。
「そうだ。お前は全てわかっている。ならば、ウェンカムイを生まないためには、何をすればいい」
いますぐ、山奥に連れて行ってくれ。なにもないところで一人で力を使い切れば、私一人が死んで事が済む。
「それは、お前から始まる連鎖を止めるだけだ。いずれ同じようなウェンカムイが何処かで生まれ、別の鎖が作られる」
ではどうすればいい。他に私は何も知らない。魔法の使い方も知らない。私はただの──
「そう、お前は何も知らない。お前はウェンカムイではない、ただの──」
セイイチロウは、視界の端に光る、四角い光を見た。新宿アルタ前の大型デジタルサイネージだ。番組が中断されて緊急ニュースに切り替わったのだろう、アナウンサーが速報を伝えている。他局の若いアナウンサーは、明らかに緊急事態には不慣れと見える。都内で発生している奇妙な連続事故を伝える原稿を読み上げる声は上ずり、取るべき言葉のすらも取れておらず、報じる内容よりも読み手の焦りばかりが画面に映る結果になっている。自分があれを読み上げるならば、もっと……
「あ」
セイイチロウは、声を上げた。そうだ、と、老人が何処かで満足気にうなずいたように思われた。
そうして、体は浮遊感に包まれながら夜景の中へと落下していき──
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「いや、そりゃあ他の場所に落ちたことを思えば、あんたにとっちゃとてつもない幸運だとは思うよ。だが何もあんた、これだけ広い東京の、それなりに広いオリンピックスタジアムの、救護テントの中の、魔法薬製作中の大鍋に落下してきて何もかもふっ飛ばすこともないだろう。適宜かき混ぜ方を変えながら37時間煮込む必要のある魔法薬を癒療チーム全員で交代しながら作っていて、あんたが降ってきたのは36時間48分目だったんだよ。もちろんあんたのせいじゃないのは分かっているとも。分かってはいるが、いくらなんでも泣き言ぐらいは言わせてくれよ。
…………は? 職場に行く必要がある? 馬鹿か。本当にそういうこと言うのかよ日本人。オブスキュラスになりかけて、その足で職場に? 夜までだろうが同じことだ、許可できるか。自分が魔法族だと職場に伝わる前にって、あのなあ、そういうとこだぞ、そんなんだからオブスキュラスになりかけるんだ、出勤そのものをやめろ、許可なんて…………何だって、テレビの生放送で? ええと、生放送というと……………いやいやいや駄目に決まってるだろう、その場でもし発症してみろ、いったいどうなるか…………まあ、そりゃあ上手く行けば他のオブスキュラスが多少なりとも減ることになるかもしれないが…………ああ、畜生、知ってるよ、あんたみたいな自分の使命がどうの力がどうのなんてことを言うやつはなあ、放っておいたら勝手に抜け出して勝手に騒ぎを大きくするんだ…………なら、それよりも……おーい、ゴイル! ちょっと頼まれてくれ、今からちょっと、この患者をつれて姿あらわしをしてやってほしいんだ」
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そして、小隅セイイチロウは〈情報ブロードデイズ〉のスタジオに立っていた。
全身には、筋肉痛のような鈍痛が渦巻いている。これでも、ゴイルという看護師から受けた痛み止めの魔法で随分とマシになっていると言えば、元の状況の酷さが伝わるだろう。
隣では共同司会者がお抱えのスタッフにネクタイを直させながら原稿に目を落としていた。番組の始まりは、セイイチロウが視聴者に挨拶をしてトークを始め、共同司会者に話を振る形ときまっている。つまり、台本にない話を伝えようと思えば、トーク中に隣に立つ大物芸人に話を回さなければいいのだ。
番組の進行に関する話を半ば上の空でこなしているうちに、やがて、放送開始時刻が迫ってきた。
「五秒前!……三、二、一、スタート!」
テーマソングが鳴り響き、曲の節目とともに正面の第一カメラのランプが灯る。いま、全国のテレビにはいつもどおりに並んで立つ二人の司会者が映っているはずだ。
「こんばんは。三月十四日、土曜日夜一〇時になりました、〈情報ブロードデイズ〉の時間です。今夜は、日本の皆さん、世界の皆さんに聞いていただきたい話がございます」
何事もない調子で冒頭の挨拶を済ませたが、すでにスタッフの中には怪訝な顔をするものや、手を止めてセイイチロウを見るものも現れている。お決まりの文句の最後の部分が変わっているからだ。
「皆さん、すでに手元に魔力検査布が届き始めているかと思います。わたくしのもとにも昨晩届いておりました」
流れるように話をしながら、セイイチロウは上着のポケットから布を取り出した。正確には、これはセイイチロウに届いた布ではない。後から特集で使うための、まだ封を開けていない黒色の布だ。共同司会者が、隣で目を瞬かせている。カメラマンが背後を見やり、ディレクターが渋面を浮かべている。けれど、ストップはかからない。いま止めれば見るからにそれと分かる放送事故になるからだ。
スタッフの顔色が変わったのは、話をしながら封を開け、取り出した布が黒から鮮やかな桜色へと変化したときのことだ。あっ、と隣で驚嘆の声が上がり、スタジオの出演者たちがどよめきを上げるが、一切構うことはなくセイイチロウは事前に考えた通りの話を、淡々と述べていった。
「色はご覧の通りです。ですが、実を言うとわたくし、この結果は事前に知っておりました」
懐から次にセイイチロウが取り出したのは、古い羊皮紙だった。羊皮紙にはエメラルドのインクで、セイイチロウに日本魔法魔術伝習所への入学許可が下りたことが記されている。スタジオではディレクターが何かを叫んでいる。カメラマンが動揺したように振り向いて、カメラの液晶パネルに手を伸ばす。カメラを止めろとディレクターに言われているのだ。けれど、カメラマンの手は止まり、ランプは灯ったまま保たれる。
「馬鹿野郎止めるな、お前カメラマンだろう、何を撮るべきか分かってねぇのかこの野郎」
共同司会者がそう怒声を上げ、カメラマンがディレクターの指示に従うことを止めたのだ。
セイイチロウは、全てに構うことなく言うべき言葉を冷静に述べ伝えていく──つもりだったのだが、この時点でセイイチロウの手は緊張に震え、声すらも揺れはじめている。
「マホウトコロ、日本魔法魔術伝習所については日本魔法省の広報でご存じの方もおられるかと思いますが、念の為説明すると、魔法族が魔法使いになるための学校、ということです。ただし、わたくしは入学を拒否して、非魔法族としての人生を送ってこの場に至っておりますので、出来ることと言えばせいぜいこの程度です」
スタジオに足音が響き、ディレクターがCMを入れるよう叫ぶ。だが、技術スタッフがディレクターに従うより早く、彼らはディレクターとともに羽交い締めにされて技術ブースから引き出されていた。共同司会者のお抱えスタッフの仕業だ。共同司会者当人はと言えば、いつの間にかカメラマンの横について撮るべき映像を指示し始めている。事故だ。完全に放送事故だ。それも、不測の事態ではなく、自分が意図的に事故を起こしている。
だが、ここまで来たからには、止めるわけにはいかない。セイイチロウは掌を上に向けて、魔力を通した。魔力は燐光を放ちながら空中で渦巻き、その中心に氷を生成してゆく。小さな氷の城が掌の上に生まれるまでには、そう時間はかからなかった。
「カメラごしでは分かりづらいかもしれませんので解説しますと、これは氷です。体の中にある力を使って作り出すことを除けば、ごく普通の氷です。溶ければただの水になります。家庭の冷蔵庫で作ることの出来る氷と少しも違いはありません。いまはちょっと見栄を張って複雑な形にしましたが、これと同程度のものならば氷の彫刻で作ることが出来る人は世の中にたくさんいると思います」
カメラが氷の城に寄って、静止した。オンエア確認用のモニターには、手の上にあって溶けることもない氷細工が大写しになっている。セイイチロウは、大きく深呼吸をした。
「わたくしにとってはこの力、魔法の力やカムイの力、その他たくさんの呼び名をもつこの力というのは、冷蔵庫を持っているとか、氷の彫刻を作る技能があるとか、そういうことと同列のものであるということです。力の使い方は、他にもたくさんあります。人によってはライターと同じようなものだという人もいれば、電子レンジと同じという人、水道と同じという人、洗濯機と同じという人、絵を描くのと同じだという人、文章を書くのと同じだという人、そもそもなんの役にも立たない、盲腸のように体にくっついているだけのものにすぎないという人もいるでしょう。
つまりは、この力を持っているというのは、ただその程度のことなんです。あなたに出来ないことが出来る誰か、誰かに出来ないことが出来るあなたと、ほんの少しの違いもありません。小隅セイイチロウはテレビに出て、こうやって話をして物事を伝えることが出来ます。それが出来ない人もたくさんいます。その違いと、氷を作ることが出来るかどうかの違いに、どれほどの違いがあるでしょう。小隅セイイチロウはこのスタジオにあるセットを作ることが出来ません。カメラや、他の機材を操作する方法も知りません。けれど、だからこそ、私達はともに働いています」
一旦引いたカメラが振られ、フレームは
「もちろん、教育を受けた魔法使いたちにとっての魔法はおそらく、それらすべてを統合した上でもっと便利にしたような、文明の利器すべてに取って代わるほどに便利な力でもあるはずです。魔法が支える文明や知識の積み重ねが全人類の手に渡り、物理法則のように解明される日がくれば、格段にこの世を進歩させ得る可能性もあるでしょう。
ですが、もしそれを望むのならば、わたしたちはこの力を当たり前のものとして捉えなければいけない。素晴らしい力であるはずだった魔法は乱暴なやり方で暴かれてしまって、魔法は未知の力として恐れられて、力を持つ者自身からすらも忌避されている。考えうるなかでこの出会いは、最も不幸な出会いだった。世界はいま、最も不幸な状態です。わたくしは世界を変容させたあのテロリズムを、あの男を許容しない」
ぐるりとバックヤードを映し終えたレンズは、再びセイイチロウと向き合っている。絶えず響くどんどんという打撃音は、スタジオの扉を叩く音だ。テレビ局が、姿あらわしという瞬間移動の魔法で移動できない地点に設定されていることをセイイチロウは知っている。だから、扉の向こうに居るのはあくまで、異変に気づいた局員たちだろう。扉そのものは暴力的な方法による放送の妨害を防ぐために相当頑丈に作られているはずだが、かと言っていつまでも立てこもるわけにも行くまい。セイイチロウは話を終わらせるため、氷の城を手で割り砕き、大きく深呼吸した。
「わたくしは、魔法の力が体力や知力、あるいは思考の様式やある種の技能のような、人が持つ多様性の一つに過ぎなくなることを望みます。それは、いまは容姿や資産のように、生まれついてのスタート地点に左右されるものかもしれません。ですが、文明の進歩や人の意識の変容がそれらを克服し、すべてをフラットなものに変えようとしているように、いま何処かで自らの本当の姿を隠さねばならないと怯えている人々が、ただの人間として過ごしていけることを望みます。力を恐れるべきではない。力を恐れれば、力は恐ろしい脅威として私達自身に襲いかかってくる。だからこそ、あらゆる力、あらゆる属性を持つ人間が、同じ人間として認められる日を、わたくしは心の底から望みます。
──公共の電波を、番組司会者の立場を利用して専有し、わたくし事に使ってしまいました。報道に携わるものとして言語道断な、あるまじきことです。本当に申し訳ありません。この件は、わたくし一人で考え実行に移したものです。他に責任のある方は誰もおりません。扉を開けてください。わたくしのわがままに最後までお付き合いいただいたみなさん、ありがとうございました」
カメラのレンズに向けて、大きく頭を下げる。誰かが大扉を開けたのだろう。いっときばかりの静寂に包まれていたスタジオに、足音と喧騒が舞い込んできた。
「こんなの、出版社を襲撃するのに比べりゃガキのいたずらだよ、いまの世の中に必要なこと言ってんのに処分なんかしちゃ駄目だよ、俺もあんたらも、目の前でもっと酷いこと言ってきただろ──」
出演者たちがセイイチロウに頭を上げるよう言う横で、共同司会者が入ってきた役員たちに向けて叫び、同じくスタジオになだれ込んできた顔見知りの局員や別の番組のスタッフたちが、申し訳ない、まさかあなたがそうだとは思わなかった、などと謝っていた。完膚無きまでの放送事故だった。何しろ、その様子までもが誰もカットを入れないせいで全国に向けて放送され、翌日のスポーツ紙とワイドショーの話題をかっさらい、SNSでの大乱闘を呼び起こしまでしたのだ。その有様は、
「まるきり、君を中心に嵐でも巻き起こったようだよ」
とは、一週間後に辞表を手に出社した矢先、役員会で言われた言葉だった。セイイチロウは放送後の混乱のなかで待ち構えていた看護師に身柄を押さえられ、避難所の救護テントへと連行されて一週間を過ごすことになったのだった。
「いきなりじゃあなく、もっと早くに言ってくれれば相応の番組を作ることが出来たのに、残念だ」
言われる言葉はこの上なくまっとうなもので、反論のしようもなくセイイチロウはただ、無言で頭を下げるばかりだった。四角く並べられた長机をかこむ役員たちは、低い声でささやきを交わし合っている。
「処分はおいおい決めるとして、ひとまずはまあ、選挙特番の司会を務めてもらうところからだな」
そうして、やがて発せられた言葉が耳に入ってからセイイチロウの脳が意味を理解するまでには、数秒の時間が必要だった。
「……えっ?」
下げていた頭を上げた先には、含み笑いを浮かべる取締役の姿があった。ドラマでありがちな展開、だが、まさか。救護テントに収容されている間も、情報を断っていたわけではない。新聞は通常のものも魔法界のものも一通りすべて配達されていたし、避難所の中継ついでにとスマートフォンを届けてくれたものや、局の状況を知らせてくれるものもいたからだ。どの媒体を見ても非難の声はあり、特にネット系の媒体では電波ジャックの身勝手さから長口舌の内容の偽善ぶり、果ては「経歴の詐称」まで、あらゆることを批判するほとんど暴言に近い声が数多く渦巻いている。それらのほんの一部だけが社に届いたとしても、「お叱りの声」は膨大な数に登ったはずだが。──
「罵詈雑言とまっとうな非難の声の区別のつかないような馬鹿は我が社にはおらんし、視聴者からの激励の声を無視する馬鹿ももちろんいるはずがない」
取締役は、机の上に透明なケースを出してみせた。中には、大量のはがきや封書が詰まっている。読んでみろ、と言われるままに近づいて手に取れば、それは小隅セイイチロウをやめさせないよう訴える手紙であり、あるいはセイイチロウ個人に連帯を示したり、はげましの言葉をかけるものばかりだ。
感情の高ぶりを自覚するよりも先に涙が溢れ、声が詰まる。そんなセイイチロウを微笑ましげに眺めながら、取締役が再び口を開いた。
「……それにな。ここだけの話だが、徳澤アナウンサーが今度、自分が化け狐だと番組で告白するそうだ。そう、〈真実報道キシャクラブ!〉の徳澤アナだ。今はフリーだが、おそらくは古巣の日ノ本テレビでのことになるはずだ。おそらくどこの局も、身内から魔法族やその関係者をこぞって出してくるはずだ。君にはぜひとも残ってもらわないと視聴率が取れないばかりか、TBNはとんでもない鬼のような会社という事になってしまうんだ……」
そんなわけで、小隅セイイチロウは再び、スタジオに立っていた。セットも顔ぶれも〈情報ブロードデイズ〉をベースにしたものだが、曜日は土曜日ではなく、番組タイトルも選挙特番らしいものになっている。選挙というのは、言うまでもなく日本に住む魔法族の独立を巡る意見投票のことだ。
番組は、上手く進んでいた。投票のさなかに発生した魔法使いによる戦闘や時間の異常といったトラブルも含めて、選挙特番とは思えないほどに盛り上がったとさえ言えるだろう。そうして、どういうわけか非魔法族にも一時的に魔法の力が付与されるなか、空中に浮かんだ巨大な砂時計のような投開票装置は魔法族が独立を望んでいないことを示して全ては丸く収まった、はずだったのだが。──
「カメラ、これ方向はさきほどと変わっていないですよね?」
和やかなムードに包まれかけたスタジオで、セイイチロウは一人、緊迫した声を上げた。投開票装置の映像に、異変が生じたのだった。
「左手にNHKホール、奥に代々木公園で、変わっていませんね。投票の砂時計も、左側が賛成、右側が反対票のままですね」
スタッフは現地のカメラマンに確認を取り、セイイチロウの言葉が正しいことを裏付ける。いや。わざわざそんなことをせずとも、映像だけで何が起きたかは明白だった。独立の可否を巡る投票の、賛成票が一挙に増えている。
「非魔法族のみなさんが、投票をしていると。そういうことですか、これは」
中継映像の中では、投票用の銀の魔力塊が飛び交い、賛成側の容器が溢れかえっている。当事者じゃない人が投票したって無効でしょう。さっきの騒ぎで投票箱になにか変な細工でもされたかもしれないよ。なんのために起きた騒ぎかもわからないですもんね。出演者たちは口々に、場を取りなすような言葉を発している。けれど、どう言い繕いようもなくこれは、日本に住む魔法族に対するひとつの回答だった。投票の成立不成立などという制度上の話を抜きにしても、あるいは、追加の賛成票がすべて悪戯であるとしても。
白暁の空には、逃げ惑う烏を翻弄させながら銀の光が舞い散っている。まるで、吹雪のように。
セイイチロウは、吹雪のただなかに立つ自分を想像した。吹き付ける風は身を切るように冷たく、身を苛むのだ。
だが。
「小隅さん。小隅さん、あんなの嘘だよ」
トークを共演者に任せて黙り込んだセイイチロウに、共同司会者が声をかけた。
「あとから投票したやつ、全員馬鹿なんだよ。面白がって、ネットの人気投票みたいにふざけてるんだよ。日本人が突然どっか追い出されるなんて、そんなのありえないだろ」
投票した方の意思はわかりませんから。あるいは、今はまだどんなことも判断できる状態ではないかと思います。普段ならば、そんな無難な答えを返すところだろう。
だが。
「ええ。ありがとうございます」
この番組の裏では、徳澤アナウンサーが日ノ本テレビで報道特番の司会を務めている。他の局でも、魔力を持つことを明らかにしたタレントやアイドルを同様の番組に出演させているはずだ。彼らはいま、おそらくセイイチロウに向けられたのと同種の、少なくとも善意に基づいた言葉をかけられている。テレビメディアというのは、そこに出演する人間というのはそういうものだ。そして、その姿は、少なくとも今何処かの局の選挙特番を見ている人間には届いている。
「この光景は真実です。ですが、思いやりを持った言葉をかけてくれる方がいる、というのも、確かな真実です」
脳裏には、吹雪が渦巻いている。けれど、心が氷に変わるような感覚は訪れない。ウェンカムイは、どうやら心に焚かれた火に恐れを成し、何処かへと去っていったようだった。
「どうか暖かな人がいることが、暖かな場所があることが、心の灯火になることを祈ります」
小隅セイイチロウはカメラのレンズに向けて一言ずつはっきりと言葉を発していった。吹雪のなかに炎が灯り、連なっていく光景を思い浮かべ、自らの言葉に力があるのならば、その光景こそが真実になることを祈りながら。
〈おわり〉
書籍版のおまけとしてつけた短編です。
もとは本編に織り込むつもりだったのですがどうしてもねじ込めなかったので外伝化した話です。
書籍版が気づいたら完売していたので公開します。