クルツシリーズ   作:あらほしねこ

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地上の星

「く、クルツ、お、お願いがあるんじゃ」

「なんだよ、改まって?」

「そ……その、あの………」

 いつものようになんの代わり映えもない一日が終わり、居室でのんびりとしていた俺に、なにやら思いつめたような表情で、リオがおずおずと話しかけてきた。

まあ、大体の見当はつく。もうすぐ俺の給料日だからな、きっと何か欲しいものがあるんで、これをチャンスと見込んでのことだろう。

「とりあえず、言ってみ」

「う、うん……あの、実は、自転車を買うてほしいんじゃ」

「自転車?おまえ、自分でモペットを直して乗り回してるじゃないか。やっぱりぶっ壊れたのか?あのポンコツは」

「ち、ちゃうわい!………あ、その、ど、どうしても必要なんじゃ」

「なんで?」

「う……そ、それは、その………」

 さて、これまたこのお姫様は、ずいぶん奇妙な事を言い出したもんだ。この間、ジャンクパーツ置き場に打ち捨てられていたモペットを拾ってきて、何をするのかと思っていたら、やはりジャンクパーツをあちこちからかき集めてきて、すっかりレストアして乗り回している。

 エンジンつきの自家用車があるってのに、どうしてまた、わざわざ自転車なんか?

「まあいいさ、で、どんな奴だ?」

「う、うん、あの、多段ギアとサスペンションダンパーのついとる、ごっついやつなんじゃけど……」

「MTBのことか?どうすんだ、そんなの?クロスカントリーでも始めんのか?」

「そ、それは、その………」

 俺の質問に、リオは観念した表情で、とんでもない事を打ち明けてくれた。

「また神判か!?お前はどうしてこうも血の気が多いんだ!」

「じゃ、じゃけん!あんなこと言われて、黙ってられんわい!」

「このストラバグ!もう少し腹の中で考えてから行動したって遅くないと、いつも言ってるだろ!大体お前、その調子でこないだシブコのガキ共相手に、不服の神判とかいって乱闘おっぱじめて!おかげで、俺はお前が病院送りにしたガキ共の教官に、今でも睨まれてんだぞ!その辺りの事をもう少し考えて動けよこのバカ!」

「じゃ、じゃけん!」

「じゃけんもなにもあるか!よりによって今度は気圏戦闘機乗りにだと!?毎度毎度地雷原を全力疾走するような真似ばかりして!今度こそ死ぬぞ!」

「せ、戦士が死ぬのを怖がってどうするんじゃい!」

「お前にもしものことがあったら、俺がクラスターの連中にぶっ殺されるんだよ!」

「う………!」

「まあいい。今のは言い過ぎた。とにかく、事情を話してくれ。それがわからんことには、どうにも手の打ちようがない」

 とりあえず、ここはいったん、お互い頭を冷やしてからにしたほうがよさそうだ。部屋の隅に置いた小型冷蔵庫から冷やしたジュースを取って、リオと俺の前に置いた。

「まあ、飲めよ……で?同じこと聞くけどもが、なんでまたこんなことに?」

「う、うん………」

 少しは落ち着いてきたのか、リオは神妙な顔をして居住まいを正すと、今日あった事をぽつぽつと話し始めた。

 どうやらこのおチビさん、気圏戦闘機乗りとひと悶着おこしてきたようだ。その気圏戦闘機乗り、ジークと言う奴らしいが、俺も噂程度は小耳に挟んだことがある。冷静沈着を通り越して、冷血無感情。人と言うより、まるで気圏戦闘機のアビオニクスの一部のようなパイロットだと聞いている。

 なんでまた、そんな奴と、ある意味正反対の性格をしているリオが接点を持ったか知らないが、ともかく、そのジークの言うことには、地面を這いずり回るだけの、鈍重な人形風情呼ばわりされた。というのが大まかな内容だった。

 まあ、確かに音速を超えた世界で戦う連中にしてみれば、メックなんてその程度かもしれないが、なにも子供相手にそこまで言うか。ってのも正直なところだ。しかし、リオ自身のメック戦士に対する思いとその努力は、そこいら辺のシブコのガキ共に勝るとも劣らないものを積み重ねている。

 いったいどんな経緯でそういうことになったかは、リオの説明だけでは細かい所まで知ることは出来ない。それでも、一番大切にしているものをいたく傷つけられたと言うことは、十分理解できた。

「なるほどなぁ。でもな、悔しいのもわからんこたぁないが、メック戦士にはメック戦士の、気圏戦闘機乗りには気圏戦闘機乗りの本分ってもんがあるんだ。どっちが優れてるとかどっちが劣ってるとか、そういった問題じゃないだろ。そんなことでいちいち腹立てていたら、そのうち全兵科同士で神判のバトルロイヤルだぞ」

「そ、それはそうじゃけど………」

 不承不承ながらもうなずくリオに、俺は諦めにも似た気持ちで小さくため息をつく。しかし、どうにも腑に落ちない。

 いくらこのチビ介が、愚直極まりない性格をしているからと言って、この程度で戦士階級の人間にケンカを売るものだろうか。兵科が違うとは言えど、気圏戦闘機乗りも、立派な戦士に違いは無い。

 どうにもその辺りがひっかかる、これだけの話じゃ済まないような気がする。少し気は引けたが、少し探りを入れた方がよさそうだ。大体、干渉が怖くて保護者などやってられない。

 

 

 ………なんてこった。

 あれからどうにかして事の次第を聞き出した俺は、可哀そうなくらいグズグズと鼻を鳴らしてうつむいているリオを前に、改めて途方にくれてしまった。やはり、メックやメック戦士をどうこう言われただけの話じゃなかった。

 シブコにも加われず、さりとて学校にも行けず、貧民層の子供のように働くしかできない。そして、それを放って何もしない、無能な連中。ってのが、俺やクラスターの皆のことだ。そう、言われたらしい。

 原因は、俺だ。

 リオは、今の所、形の上ではボンズマンと言う扱いになっている。しかし、知っての通り、リオはまだ10かそこらの子供だ。と言うことは、本来ならば、この年の子供と言うのは、学校に相当する機関に通っていなければおかしい。

 当然、リオはノヴァキャットのシブコ達と混じって、その教育隊に入ることなど実質上不可能だ。しかし、市民階級の子弟達が通う学校に通わせるとしても、それはそれで微妙な問題が付きまとう。

 なにしろ、この子は、ノヴァキャットの中で潜在的な禁忌とされている、スモークジャガーの生き残りだ。そして、リオ自身も、それを隠したりごまかしたりなどと言う真似は、一切しないしする気も持ち合わせてはいない。

 となると、どこへ行こうと、厄介な問題や軋轢を生み出すことは、もはや火を見るよりも明らかだ。

結局、俺みたいな一介のボンズマンが考えることではない。と、マスターやスターコーネル・イオのような直属の上官に一切を丸投げしてしまい、そのままずるずると保留し続けてしまったのが、そもそもの原因になってしまったって訳だ。

 せめて、その穴埋めにと、仕事が終わった後、リオのレベルにあった内容の勉強を見てやっていたが、それで済む問題でもないのは、少し考えればすぐわかることだ。もしかしたら、あの時のシブコ達との悶着も、その辺りが原因だったのだろう。

「すまない、リオ。俺がいい加減だったばっかりに、悔しい思いをさせちまったな。本当に、悪かった」

「………ヒック、く、クルツが悪いんじゃないわいっ・・・ヒック、あ、あいつには関係ないことなのに・・・ヒック、く、クルツやクラスターのみんなをコケにしたから、絶対に許せなかったんじゃい!」

 天におわすスモークジャガーの英霊達に畏み申す。貴方達が命がけで守ろうとした誇り高き精神は、なおも滅ぶことなくこの小さな少女に宿りしけり。願わくば、この誇り高き小さな戦士に、御加護を賜らんことを。

「………とにかく、ほら、そろそろ機嫌を直せ。ほら、今日は特別だ、チョコバー、食ってもいいから」

「ほんまに?……でも、夜に甘いもん食うなって………」

「いいんだよ。言ったろ、今日は、特別だ」

「う、うん、おおきに………」

 リオは、グシグシと顔を拭うと、冷蔵庫の中からチョコバーのパックを取りに、おずおずと立ち上がった。そして、俺は、容易ならざる事態に頭を抱える。

さてさて、これは本当に弱ったぞ。

 別に、自転車一台買ってやる事はたやすい。そんなものは、ミキに連絡を一本入れれば済むことだ。そうすれば、良心的な値段で高品質のブツが選り取り見取りで手に入る。

「とは言えなぁ……さて、どうしたものか………」

しかし、そうしてしまったあとに起こる必然的な結果と、それに伴う災厄を考えたら、どうしても次の言葉が出てこない。

 ……え?なに言ってんだよ。俺のことはどうでもいいさ、いざとなったら、どうとでも切り抜ける自身はある。それよりも、リオのことだ。

 彼女が神判として望むことになったのは、『ダウンヒル』と呼ばれる、自転車競技の一種だ。どんなものかと言えば、早い話、高台の上まで登っていって、そこからガタゴト道を全速力で駆け下りると言う、どうにも危険極まりないものだ。

 なぜにダウンヒルかといえば、気圏戦闘機乗りたちの間で、陸上トレーニングのひとつとして、ちょっとした流行になっているかららしい。山肌を高速で駆け下りることで、とっさの判断力と動体視力を養うには、もってこいだと言う話を聞いたことがある。

 もちろん、まったく人の手を加えられていない山の斜面を駆け降りるわけだから、一歩間違えば大事故に直結し、最悪、首の骨を折ってはいそれまでよ、と言う洒落にならない事態も珍しくない。実際、先だって、それで使いものにならなくなった気圏戦闘機乗りの話を聞いたばかりだ。

 当然、リオはダウンヒルなんて一回もしたことはないし、自転車らしい自転車も乗ったことなどない。最近モペットを乗り回しちゃいるが、あんなのはモーターボートとカヌーほどの差がある。

それに、形式上はスポーツ競技とは言え、命に係わる要素を多分に含んでいるだけ、ある意味、本格的な神判だといえなくも無い。当然、リオはそう言った類の経験など、一度も無い。

 今まであいつがやらかした神判は、市民階級の連中が、もめごとの調停に持ち出すものと、ある意味同レベルだ。いまさら、付け焼刃でどうこうなるだろうか……ならないだろうな、さて、本当に弱ったぞ。

「クルツ、入るぞ」

 その時、手に包みを抱えたアストラが、俺の居室を訪れてきた。

「どうした、2人とも。ずいぶん深刻そうな顔をしているな、俺でよければ力になれないか?」

「アストラ・・・すまないな、せっかく来てくれたのに。つまんないとこ見せて」

「気にするな、俺とお前の仲だろう、そんな遠慮は無用のものだ」

 アストラは、鷹揚にうなずきながらも、腰を下ろして話の輪に加わる。

「そういえば、今日の昼ごろ、リオがジークとなにかもめていたようだが………もしかして、その時のことか?」

「ああ、そんなとこだ」

「そうか………」

 俺は、リオから聞いた話をかいつまんでアストラに説明し、アストラもまた、終始真剣な表情でそれに耳を傾けていた。

「そうか……なるほど、大体の事情は飲み込めた。しかし、クルツよ。一度神判の契約を交わしてしまった以上、それを放棄することは許されない。無慈悲な事を言うかもしれんが、これはこの世界において動かせない戒律のようなものだ」

「ああ、それはわかってる。やっぱり、そうするしかないんだろうな」

「うむ。それと、リオにも言っておかねばならんことがある。リオは少し思慮にかけるきらいがある。勇敢な精神は大いに結構だが、使いどころを誤れば、それは敢闘精神ではなく、ただの無分別だ。リオも、その加減を考えて行動したほうがいい。俺は、そう思う。

 だが、譲れないものを守ろうとした心意気は、賞賛の極みだ。しかし、ひとりで抱え込む前に、クルツや俺達に一言話して欲しい。そのためのトロスキンではないか」

 さすがに、現役戦士からの諫言は、さすがのリオにも堪えたらしい。後ろの尻尾と一緒に、しゅんとうなだれている。

「まあいい、終わってしまった事をどうこう言っても始まらない。大事なのは、これからどうするかを考えることだ。同じ悩むなら、最善の対策を練る方向に使った方が、よほど有意義と言えるものだ。それより、姉から菓子を預かってきた。新しい趣向を試してみたので、ぜひ試食してくれとの事だ」

 沈みかけていた空気を追い払うかのように、巧みに話題を変えたアストラは、傍らに置いた包みから、皿の上に丁寧に盛り付けたウィロー・プディングを広げた。

 それにしても、いつ見ても見事なできばえだ。その瑞々しさといい、ほんのり香る甘い香りといい、その柔らかな弾力を感じさせるプディングは、ドラコの和菓子職人が本気で悔しがりそうなできばえだ。

 それに、盛り付けのセンスもいい。余計な装飾を無意味な事として嫌う氏族人だが、プディングの上に、爽やかな香りを漂わせる小さなハーブの葉が、洒落たアクセントとして添えられている。

 ともかく、超破壊的な行動パターンをデフォルトプログラムされたような女性が、これを作ったと言うこと自体、世の中は本当に驚きに満ちている。まあ、人はうわべだけじゃわからん。と、言うことだろうな。

「ともかく、自転車を入手する必要があるだろう。俺の持っている余剰パーツを提供したい所だが、どれもリオのサイズには大き過ぎるのが痛い。自転車は、体格に対して大き過ぎても小さ過ぎても事故につながる」

「そうだな、それは俺も考えていたよ。けどまあ、ディオーネも、また一段と腕を上げたもんだな。なんだか、こんなむさくるしい部屋で食うのが、もったいないと言うか申し訳ないというか。

そうだ、こんど部屋をタタミ・カーペットに変えてみるかな。そうすりゃ、今度またおすそ分けがあったとき、いい感じで食べられそうだ」

「うむ、いいかもしれん。ローク隊長や姉もそうしているからな。すぐに許可は下りるだろう」

「え、そうなのか」

「ああ、お前のこれまでの功績なら、特に難しくはないだろう。それに、ローク隊長は気楽にくつろげると言っているし、姉は瞑想を組むにはもってこいだと言っている。あの2人、ずいぶんドラコの文化が気に入ったようだ」

 へえ、なるほどねぇ。

「そうだ、忘れないうちにこれを返しておこう。この間借りた、対人交渉術シミュレーションソフトだが、なかなか面白かった。噂には聞いていたが、中心領域の人間は、気持ちひとつ伝えるにも、実にじっくり時間をかけるものなのだな。

しかし、ドラコ連合とも接触が増えた今のご時世だ。こういったもので中心領域人の心理を勉強するのも、悪くない」

「なるほど。で、一番のお気に入りは?」

「サキ・ニシノだ、あのひたむきさがいい。彼女の為なら、喜んで死地にも臨めよう」

 なるほど、さすがアストラらしい答えだな。まあ、予想はしてたけど。

「ただ、シオリ・フジサワは、どうも昔の姉を思い出すから、若干抵抗があったが」

 ディオーネが?嘘だろ。ありゃ、典型的な優等生キャラだぞ・・・?

「それより、このゲー……あいや、シミュレーションは、続編もあるんだが、借りていくか?」

「それは本当か!?ならば感謝の極み!!」

「ははは、そう大げさなもんでもないさ。確か、こっちのラックにしまっておいたはず……だけどな。お、あったあった」

「重ね重ねすまない。しかし、ドラコと言うのは恐ろしい所だ。これだけの心理分析シミュレーションを、一般流通で市販しているのだからな。これはやはり、日常生活においても、有事に備えた態勢作りを怠らない。ということだろう。なるほど、ルシエン会戦でのあの強さも、それなら納得できる」

「まあ、そうかもしれないな」

 そりゃ考えすぎだろう。単なるサブカルチャーとドラコの強さは、あまり関係ないと思うぞ。まあ、いらんこと言う必要もないけどな。アストラが楽しんでいるなら、それはそれでなによりさね。

「のう、さっきから2人でなに話とるんじゃ?」

 まったく、泣いてたカラスがなんとやら。チョコバーやディオーネ謹製のプディングという、夜のケーキタイムにすっかり機嫌を良くしている。まあ、それはそれで一安心だが。

 ともかく、俺達のやり取りを不思議そうに眺めていたリオは、もっくらもっくらと、口の中にものを詰め込んだまま話しかけてくる。氏族人とは言え、女の子がなんとも風情のないことだ。今度、『ケレンスキー様がみてる』でも読ませてみようか。女性シブコ達の実態を、深く鋭くえぐった名作もとい迷作だぞ。

『戦士たるもの、身だしなみはいつもきちんとね。ケレンスキー様が見てらっしゃるわよ』

ってなもんだ。

 

 

 あれから数日後、『必ず間に合わせてみせる、金剛鮫の名にかけて!』という、意味はよくわからないが、妙に頼もしいミキの言葉どおり、当日の3日前に宅配の荷物が到着した。俺達はさっそく、リオにあわせたセッティングをアストラに依頼することになった。

「なるほど、タチバナ・レーシングコーポレーションのクロスカントリーモデル『サイクロン』か、地味だが堅実、そして基本に忠実だな……折角だったから、俺もなにか注文すればよかったな」

「でも、どうせならフルダンパーモデルの『バトルホッパー』が良かったんじゃないか?素人には、ハードの助けがあってもいいんじゃないかと思ったんだが・・・」

「いや、駄目だ。最初からそれでは、ライディングに悪い癖がつく。フルダンパーはそれなりの技量でもそれなりに走れてしまうからな」

「だったらなおさら………」

「本来走れないコースを走れてしまうと言うのは、趣味で走る分には一向に構わん。しかし、そこで変な癖を覚えてしまったら、それは半永久的に直らん。バトルホッパーのようなタイプは、競技に熟達した者が、コンマ秒でタイムと戦うためのものだ。オールラウンドに、しかも基礎をしっかり身に着けるなら、基礎設計は古くとも、ハードテイルの方がいい」

「そうか……まあ、アストラがそう言うなら、その通りなんだろうな」

「そうだ、あと、無茶をさせないためでもある」

「え?」

「自分にできることとできないことの見極めを持たせたい、昔、神判でティンバーウルフを勝ち取った同機がいた。奴には悪いが、身の丈に合わない機体を手に入れたものがどうなったかは、お前も覚えているはずだ、クルツ」

「あ……ああ、そうだったな」

 アストラの同期だったメック戦士、歴相応に優秀だった男。しかし、自分の未熟さをカバーして余りある期待を手に入れた彼は、敵の真っただ中に深入りし、そのまま帰ってこなかった。

「そうだな……そう言うもんだよな………」

「うむ、信頼してくれていい」

 穏やかにうなずくアストラに、これ以上ないくらいの心強さに包まれる。彼の持つ自信は、彼自身の生きざまに裏付けられたもの。歪みなく、揺るぎない、一つ一つ丹念に積み上げた石垣のようにそれは強く硬い。まあ、戦士としての経験論もそうだが、そもそも今回の自転車騒ぎにしても。自転車を走らせたら、アストラの右に出るものは、このイレースにはいない。技術的なもの云々それ以前に、愛用のMTBでジープを追い抜く様を目の当たりにしたら、余計な口を挟む気はなくなる。なんにせよ、彼の存在は天祐以外の何物でもない。

 

 

「リオ、あと一周、走ってみてくれ」

「う、うん!」

 リオをMTBに乗せ、俺達はリオが自転車をこぐ様子を事細かに観察する。特に、アストラは、リオにもっとも最適なセッティングを思索中らしく、その目は真剣そのものだ。

「……どうだ、アストラ」

「ああ、もう大体わかった。セッティングの方針も、これで決まった」

「そうか、なら、さっそく作業にかかるか」

「そうだな。クルツ、いつもメックでは世話になっている分、ここで恩を返そう。あのサイクロン、最高のマシンにしてみせる」

「ああ、頼りにしてる……リオ!戻ってきな!一服したあと、もう一度セッティングするぞ!」

「わ、わかったけーん!」

 ははは、尻尾をなびかせながらやってくるよ。どうにも、あの格好を見てると、状況が深刻な事を忘れちまう。でもまあ、アストラの言うとおり、過ぎたことをくどくど後悔するより、最善の対策を考えるために動いていたほうが、確かにマシってもんさね。

 

 

 あれから丸一日かけて、俺達はリオのMTBのセッティングに費やした。アストラは、リオの走りを見て、そのクセを全て頭に入れてしまったらしい。

そして、その走りのクセの短所を補い、長所をより引き伸ばすため、俺みたいな素人にはよくわからなかったが、サドルの高さ、前後位置、ハンドル幅からグリップの選定など基本的なことから始まり、タイヤの種類やリアスプロケット比、サスペンションオイルの粘度からダンパースプリングの硬度。はては、チェーンやボトムブラケット、リムスポークやハブに至るまで、フレーム以外、元の部品がほとんどなくなるほどの、まさに大改造と言ってもいいくらいの作業だった。

 そして、アストラが持てる知識と技術を総動員し、セッティングとチューンを施したサイクロンをリオに引き渡すと、今日はいよいよ慣熟走行をかねて遠出をすることになった。

 それにしても、2人とも凄いペースだな。俺はスクーターで追っかけてるが、それでも置いていかれそうになる。アストラはともかくとして、リオは一体どういうことだ?

 まったく、初めてのことでも、少しコツをつかめばいっぱしにこなしちまう。さすがにトゥルーボーンって言ったところかね。まるでDESTの隊員みたいなオールラウンドぶりだよ。

 そんな事を考えながら、軽快そのものの走りを見せる2人の後ろを走っていると、不意に、先頭を走っていたアストラが、何かを見つけたように停止した。

「どうした、アストラ」

「ああ、いい斜面がある。リオ、ちょうどいい機会だ。ダウンヒルというものがどういったものか、少し手本を見せよう」

「え?う、うん」

「よし、では行ってくる。ここで見ていてくれ」

「わ、わかったけん」

 そういい残すと、アストラは再びMTBを駆ると、まるで山猫のような俊敏さでMTBを駆り、あっという間に斜面の頂上まで駆け上った。

「ぶ、ぶち凄いのう、アストラ兄ちゃん」

「そうだな。お、始まるぞ」

 高台の頂上で、豆粒ほどの大きさに見えるアストラが、地面を蹴ると同時に、斜面に向かって駆け出した。そして、スタートダッシュで最加速に乗ったと同時に、どう見ても安定性には程遠い斜面の岩肌を、まるで滑走するように駆け下りてくる。

 下半身のバネを利用し、巧みに重心の調整を繰り返しながら、今にも振り落とされそうな激しい衝撃をうまく逃がしている。そして、コースの二手三手先を読むように、自然な流れで段差や障害物をすり抜けるように疾走する。

 その走りは、熟達した者だけが持つ、一種の芸術的な気迫さえ感じさせる。ふと見ると、隣にいるリオも、アストラのその姿に、瞬きを忘れて見入っている。

「あっっ!?」

 その時、リオが突然大声を上げた。その理由はすぐにわかった。アストラの進行方向に、メックの頭ほどもある岩が行く手をさえぎっていた。

「あ、危ないっっ!!」

 心底うろたえた叫びを上げながら、リオが思わず身を浮かせた瞬間、アストラはとっさに前輪を跳ね上げて、ウイリー走行の要領で岩を捕らえると、スピードをまったく殺すことなく、重心移動とサスペンションの弾力を使い、岩をジャンプ台に見立てて高々と宙を舞った。

 そして、数メートルほど滑空したあと、アストラはMTBに覆いかぶさるように重心を均等に散らすと、不安定な地面をしっかり前後のタイヤに食いつかせ、そのまま何事もなかったかのように猛スピードで滑走を再開していた。

 リオは、その一部始終を見て、呆然としている。確かに、アストラの技術的なものも凄かったが、ダウンヒルの、その想像以上の激しさに少なくない驚きを感じたようだ。

「……あ、あんなん、うちにできるんじゃろうか………」

 やっとのことで口をついた言葉は、リオには似つかわしくもない、弱気なものだった。意地の悪い言い方かもしれないが、アストラの実演で、自分がこれから挑もうとしているものが、どれだけ高度な技術が必要なものであり、かつ危険なものかと言うことを、ようやく悟ったようだ。

 多分、アストラもそれに気付かせるつもりだったんだろう。こればかりは、知らなくても何とかなるとかいう問題じゃない。一瞬の不注意が、即、大事故につながり、最悪の場合、それはそいつの人生に幕を引きかねないものだ。

 それに、最後のジャンプはともかくとして、石くれや軟弱な土で作られた斜面を、オートバイ並みのスピードで、しかも完璧に走破するなんて、昨日今日ダウンヒルに挑戦する人間が出来る芸当じゃない。

 完全に言葉を失っているリオに、なにか声をかけてやりたくても、かける言葉が見つからない。俺みたいな素人が、何を言ったって気休めにもならない。そうこうしているうちに、何事も無かったかのように戻ってきたアストラが、すっかり放心しきった表情のリオに話しかけた。

「どうだったろう、やや雑ではあったが、だいたいああいった感じだ。ダウンヒルは、ただ茫洋と斜面を降りてくれば良いというものではない。全身をつかっての重心移動と、二手三手先を読むコース取りが重要になる。リオの場合、スピードや素早い状況判断は、この際考えなくてもいい。

 とにかく、重心の使い方を覚えて、確実に走破できるようにすることが先決だ。こう言ってしまっては、戦士としての誇りを傷つけることになるかもしれん。だが、今回の神判、勝つことよりも無事に生きて帰ることを考えろ。

 鍛錬を積んだもので、勝ちを狙わないのは間違ったことだが、まったくなんの経験もないことで敗れても、それは恥ではない。もしそれで二度と使い物にならなくなってしまったら、それこそ完全な敗北と了解してくれ。

 勝つことが全てではないし、負けることが必ずしも恥ではない。次のステップに進むための敗北もある。俺は今言った事を強制するつもりはない。だが、リオはまだ幼いが、大切なことが何かもわからないほど愚かとは思わない。それだけだ」

 アストラの言葉に、真剣に聞き入っていたリオだったが、そのエメラルド色の瞳には、固い決意をみなぎらせてアストラを見上げた。

「うん、わかった……じゃけん、うちはどんな時でも全力を尽くす。あの時、ああしときゃよかったなんて、後悔すんのは絶対嫌じゃ」

「……そうか。しかし、それでいい。最善を尽くせ、リオ」

「うん!ありがとう!アストラ兄ちゃん!」

 確かに、アストラの言うことも、リオの言うことも否定する根拠はどこにもない。俺が出来ることは、すべてやりつくした。

 トーテム・ノヴァキャット、セント・サンドラ、セント・ジェローム。そして、天にありしスモークジャガーの英霊達。どうか、この少女に御加護を賜らんことを。

 

 

 いよいよ神判の当日、俺はまんじりとせず朝を迎え、明らかに寝不足なのに、それでも、頭だけはいやにはっきりとしている。まるで、濃すぎたコーヒーを飲みすぎたように、意識は起きているが、体が脳の指令にワンテンポ遅れる。そんな感じだ。

 なのに、こいつと来たら、いったいなんなんだよ。朝までぐっすり、朝食もバッチリ、まるで、俺がひとりで大騒ぎしているみたいだ。いや、少なくとも、大騒ぎしているのが、俺ひとりじゃないのはわかった。

整備班の連中はもちろんのこと、シフト休になっているはずのメディック達の班が、装備資器材を担いで現れた。それだけじゃない、万が一の時の搬送に備えるためか、ヘリボーンの連中までもが現れ、現場で待機している。

「なんじゃい、まるで、うちがコケて大怪我するとでもいわんばかりじゃのぅ」

 まったくもってその通りだ。と、言いたくなる気持ちをぐっとこらえ、ブレストガードとヘルメットに身を包んだ、外見はこれ以上ないくらい勇壮なリオの姿をみやる。

 その、ちょっとした野戦基地のような周りの様子を見ながら、リオは憮然とした表情を浮かべていやがる。まったく、自分がどれだけ大事に思われてるか、ほんとにわかってるのか。ただ、なんだってこいつは、ヘルメットの上に無理矢理猫耳カチューシャをとっつけてんだ。

 ともかく、時間より少し早めに来たわけなんだが、その間に、リオの応援に駆けつけてきた連中が、気を利かせて作ってくれたミルクコーヒーをすすりながら、リオとアストラはMTBの最終チェックに余念が無い。

「あっ!きよったな!!」

「あっ、おい!」

 突然、リオが大声で叫んだかと思ったら、物凄い勢いで駆け出していく。その先には、見るからに使い込んだMBTに乗ってやってきた気圏戦闘機乗りがいた。なるほど、あいつがジークか・・・。噂は聞いていたが、本物を見るのは初めてだ。

 しかし、なんていうか、えらく小さい。気圏戦闘機乗りにチビが多いのは知っていたが、改めて見ると、さらにその小柄さに驚く。女と言うのを差っ引いても、比較対象のリオがいると、否が応でもそれが目立つ。

 いやはや、氏族人ってのは、戦闘要員を必要以上に大きくしたり小さくしたり。まあ、理にはかなってるんだろうが、中心領域で兵科にあわせて兵士の体格を遺伝子操作なんてしようもんなら、その瞬間からマッドサイエンティスト呼ばわり確定だ。

「シブコにもボンズマンにもなりきれない半端者が、よく逃げずに神判に挑む。正直、驚いた」

 おいおい、凄い言いようだな。しかし、このジーク、アストラから聞いた話だと、その歯に衣着せぬ容赦ない物言いでことある度にトラブルを起こし、部隊行動を乱すこともしばしば。

 それで、もといた部隊を追い出されたって話だ。しかしまあ、うちの星団隊も含めて、この管区の部隊が実力的にはフロントライン級にも引けを取らないのに、セカンドライン級部隊の格付けをされてるってのも、まあ納得だ。

 どうしてこんな奴がセカンドラインに?と、思っても、伝え聞こえる噂話などをかいつまんでみると、たいがい原隊で問題児あるいは厄介者扱いされて、この管区に飛ばされてくるって話が多い。

「やかましいわい!そんなすました顔も、今だけじゃい!」

「そうか、なら、私の表情が動くほどのものを見せてくれると言うわけか」

「当然じゃい!」

「お前の死をもってか」

 こいつ、平然ととんでもない事を言ってくれる。

「その程度ではつまらん、それでは失望にすらならない」

 何なんだこいつは、もしかして脳味噌の代わりに、シリコンチップが入ってるんじゃないだろうな。どうしてこうも、遠慮のない事を言えるんだ。

 それにしても、ジークひとりだけか?他の同僚達は、誰もこなかったのか。リオにあれだけ応援が押しかけてきたんだ、てっきり、ジークにもそれなりにサポートが来ると思っていたが、さて?

 まあ、なんにせよ、ひとりでいるのもなんだろうし、茶でも持っていってみるとしようか。

「スターコマンダー・ジーク、まだ少し時間があります。コーヒーはいかがでしょうか?」

「必要ない。引っ込んでいろ、人っ腹生まれ」

「なんじゃと!もっぺんいってみんかい!!」

「やめろ、リオ!申し訳ありません、非礼のほど、どうかご容赦を」

 別段、自分が言われたわけでもないのに、火をつけた火薬みたいにいきり立つリオを抑え、表情ひとつ変えないジークに頭を下げる。

「関係ない、だから引っ込んでいろと言っている」

「わかりました、出過ぎた真似をして、申し訳ありません」

「な、なんでクルツが謝るんじゃい!」

 こんな扱いは別に初めてじゃない、ここに来たばかりの頃は、それこそ毎日のように言われたことだ。けど、リオはどうにも納得が行かない様子で、俺に肩を押さえられながらも、隙あらば飛びかからんばかりの形相でジークを睨んでいる。

「……いい気なものだ、雁首そろえてピクニック気取りか」

 ジークは、向こうに見えるメディックやヘリボーン達を一瞥し、心底不愉快そうな表情で吐き捨てるようにつぶやいている。どうにもまあ、なんとなくだが、誰も来なかった理由がわかったような気がするよ。引っ込んでいろ、か。やれやれ………。

「時間の無駄だ、始めよう」

「望むところじゃい!」

 ディオーネの時とは明らかに違う、敵意むき出しの表情でジークを睨みつけるリオの目は、炎が揺らめいているかのように激しい光を放っている。

まさに一触即発、ほんの些細なきっかけで炸裂寸前の空気の間をすり抜けるように、マスターが2人の間に割って入ると、のんびりとした表情で声をかけた。

「まー、待つでよ。こっちはまだ朝飯も食っとらんだで、時間までもーちっとあることだしが、そー、せくもんじゃねーだぎゃ」

「………フン、勝手にするがいい」

 マスターの言葉に、ジークはあからさまに不服そうな表情でそっぽを向くと、MTBを押して一団から離れるように歩いていった。

 なるほど、孤独な一匹狼………ね。俺は、遠くの方で、ひとりでなにをするでもなく、ぽつんと座るジークの姿を見て小さく息をつく。

 どこにでも、ああいった奴はいるもんなんだな、俺も、コムガード時代、あんな感じの奴を何人か見たことはある。まあ、そう言った連中は、大体真っ先に土の下に行っちまったけどな。

 

 

 そうこうしているうちに、いよいよ時間になった。リオとジークの2人は、例によってマスターから一通りのルールを聞き終わり、いよいよ神判に望むことになった。

 畜生、なんか胃の辺りが痛くなってきた。当たり前だろ、不安に決まってる。ディオーネの時は、マラソン勝負だった。だから、特になんの心配もしてなかった。だが、今度ばかりは事情が違う。

 くそ、わかっていると思っていたはずなのに、なんだって氏族人ってのは、こうまで当たり前に人の生き死にを扱えるんだ。

「クルツ」

「アストラ?」

「戦士が戦いに赴こうという時に、そんな悲壮な顔を浮かべてどうする。リオに力を与えてやれるのは、お前だけだ。お前がそんな顔をしていてどうする、必ず帰ってくると信じろ。そして、お前がリオを祝福し送り出してやるんだ。

 お前が信じなければ、あの子は何を信じたらいい?お前が信じてくれるからこそ、それはリオの力になる。さあ、戦士の門出だ。行って、言葉を」

「アストラ………すまない、確かに言う通りだ。俺達がしてやれることは、みんなし尽くしたんだよな」

「その通りだ」

「あとは、リオを信じるだけなんだよな」

「その通りだ」

「わかった、行ってくる。それと、ありがとう、アストラ」

「お前と俺はトロスキンだ。その事実は、何があろうと動かない」

 俺はアストラの言葉に背中を押されるように、今まさにMTBにまたがって、走り出そうとするリオに駆け寄っていった。

 

 

 丘の頂上に見える、リオとジークの姿が、それこそ豆粒のように見える。そして、今回も立会人を買って出たマスターが、ゆっくりとアーマーマグナムを頭上に掲げる動作が、いやにゆっくりと見えた。

 そして、号砲が轟いた。

 ほぼ同時にスタートダッシュを決めた2人だが、リオは持ち前の脚力で、アストラがリオのために完全セッティングしたサイクロンの力をフルに引き出し、リオがリードを切る形でレースが始まった。

 しかし、問題はここからだ。いったんスピードに乗れば、それ以上加速することはコントロール不能を招き、足場の悪い斜面では転倒につながる。あとは、運動エネルギーに任せたまま、いかに最良のコース取りをするかにかかっているってわけだ。

 確かに、スピードは脚力に勝るスタートを切ったリオの方が若干勝っていた。しかし、ジークは、まったく無駄のないライン取りで、じわじわとリオに追いつき、そして、とうとう中腹付近で彼女を抜き去っていった。

 リオが、その並外れた運動神経を駆使して、必死にギャップを乗り越え、暴れかけるMTBを押さえつけながら疾走するのに対し、ジークは、その数メートル前から滑らかにラインを流し、少しでもギャップの抵抗が少ないコースを、正確にトレースするようにパスしていく。そのせいか、彼我の差はじわじわと放され、すでに3、4車身の差がつき始めていた。

 リオの駆るMTBは、彼女の制御に忠実に応えてくれているようで、激しくバウンドしつつも、車輪はしっかりと斜面を捉え続けている。もし、あれが箱出しの仕様のままだったとしたら、あの揺さぶられ方では、コースの半分も行かないうちにギャップに弾き飛ばされてしまっているだろう。

 その時、俺は、リオの走りにかすかな違和感を感じ始めた。周りの連中も、どうやら同じことに気付いたらしく、ざわめきの波が広がっていく。

おかしい、リオの取るラインが、少しずつだが横に流れ始めている。ジークのラインを直線として表せば、リオのラインはそれから離れていくように、じわじわと膨らんでいく。

 まさか、もうとっくの昔にコントロールできなくなっているのか!?

 そう思った瞬間、全身の血液が轟音を立てて足元へと落下した。俺は、反射的に振り向くと、斜面を見上げているマスターに駆け寄ろうとした。

「待て、クルツ」

「ア、アストラ!あのままじゃまずい!あのままじゃリオが!!」

「だから、神判を放棄するよう言うつもりか」

「それは………!」

「クルツ、いつかはリオもメックを駆り、戦場に立つ日が来るだろう。それは、今日とは比較にならない過酷なものだ。いや、それよりも、今ここでリオを降ろしたとしよう。その時、あの子には何が残る。生き残ったと言う、安心感か」

「け、けどな………!!」

「クルツ、いや、トマスン・クルツ、中心領域の戦士よ。たとえ今は虜囚の身でも、お前の中にある戦士の魂は、それが正しいと言うのか」

 わかってる。それは、わかってるつもりなんだ。けど、こんなのはないだろう!こんな終わり方なんてないだろう!!

 だが、どのみちもう間に合うことは無い。たとえここでマスターが神判の放棄を承認したところで、どうやってリオを助けに行く?ここには、そんな手段はひとつもそろっていない。もはや、リオの運命は誰にもわからない。

 アストラに肩をつかまれたまま、もう一度リオの姿を探した。そして、俺の目は、まなじりが張り裂けそうなくらい見開かれたのが、自分でも嫌になるくらいよくわかった。

 リオは、斜面から突き出た巨大な岩塊に向かって、少しもスピードを緩めず、むしろ加速さえしているようにさえ思える中、まっすぐに突っ込んでいく。

粉々に、なる。

 俺は、声にならない叫びをあげていた。

 俺はもうどうなってもいい、だから、あの子だけは助けてくれ

 無我夢中のまま、俺はアストラの手を振り解いて、全力で駆け出していた。アストラの叫びが聞こえたが、それはどこか遠くで聞こえるラジオのように、今の自分にはまったくかかわりのない音としてしか聞こえなかった。

 そして、リオの駆るMTBは、一直線に岩塊に突き刺さり、その姿が消えた。

 その時だった、岩塊から、何かが羽ばたくように宙を駆け上がった。激突のショックで、岩陰にいた鳥が驚いて飛び出したのかと思った。けど、それは鳥ではなかった。

 全身の力で跳躍した、しなやかな黒豹を思わせる姿。そして、それは弾丸のように空中を飛翔すると、全ての障害を飛び越え、はるか先を疾走していたジークすらも置き去りにし、悠然と舞い降りてきた。

 それが、リオだと理解できたのは、MTBが自由落下に近い勢いで着地し、凄まじい衝撃音とともに、主を振り飛ばした瞬間だった。

 俺は、全身の筋肉に鞭を入れて、がむしゃらに加速をかけると、エレメンタルにでも投げ飛ばされたように、放物線を描いて吹っ飛んでいくリオを追い、地面に激突寸前のその小さな体に追いすがり、飛びかかるように突っ込んでその体を受け止めた。

だが、不安定な姿勢で、その強烈な衝撃を受け流せるわけも無く、俺は加速のついたまま吹っ飛びながら転倒し、後頭部に爆ぜた鈍い衝撃と同時に一瞬目の奥に光った火花と共に、視界がブラックアウトする。

 ・・・ツ!・・・ルツ・・・・・・クルツッッ!!

 石か何かに頭をぶつけたらしい、脳味噌の代わりに、綿を詰め込まれたような頭の中に、ぼんやりと声が聞こえる。けど、脳だけじゃない、目にも、耳にも、中身を綿に取り替えられたような、頼りない感覚しか感じない俺には、なにがどうなのかさえもはっきりしなかった。

 

 

「よー、大怪我名人。気分はどーかみゃあ」

「か、勘弁してください。せ、背中を叩くのはっ………!」

 病室に現れたディオーネは、入ってくるなり俺の背中をぺしぺしとはたいてくれる。いや、ほんとに冗談にならないから。痛ででっ!

「うへへ、そーかみゃあ?うちがせっかく皮膚をわけてやったってのに、それでもまだいてーかみゃあ?」

「あっ!あいてててっ!ほ、ほんとに許してくださいっっ!!」

 まるでスイカの良し悪しを吟味するかのように、お気楽に背中をはたくディオーネに、俺は必死で声を上げる。すると、こんどは、何を思ったかおもむろにアーミーパンツを脱ぎ始めた。

「ちょ、ちょっと!?」

「ほれほれ、ここん所な、こっから皮取って貼っつけたんだがや」

 パンツ丸出しをものともせず、ディオーネは両足の太ももの内側に貼られたパッドを、足を開いてしつこく俺に見せ付ける。言いたいことはわかるが、実際に見せられても困る。

「いや~、おかげでな、歩くたんびに擦れてうっとしーだで、だぶついた奴をもらってきたでよ」

「あの、ホントすいません。近いですから、近い!近い!」

 ……よう、なんか病院での挨拶も毎度のことになっちまったな。悪いが、こんな格好で失礼するよ。

背中の皮膚がなくなるくらいおもっくそ擦りむいちまった俺は、転げたついでに地面に埋まっていた石に頭を直撃させ、そのまま人事不省になって病院に担ぎ込まれたそうだ。どうにも、神判に臨んだリオが無傷で、傍観者の俺が重傷ってのも、なんともわからないもんだ。

 え?ああ、神判の方か。あれは、その・・・ちと言いにくいんだが、リオの負けってことになっちまった。理由は、俺が対等の環に入っちまったから。そして、あまつさえ、リオを手助けするような事をしちまったから。ってのが、負けの理由だ。

 あれから一週間、今日、ようやく集中治療室から出て来れた。背中の皮膚移植手術の方はともかく、頭を強打したことで大事をとってのことらしかった。

 とりあえず、連絡はしておいたのだが、リオは姿を現していない。まあ、無理もないな。もしかしたら、あいつが大怪我をしたかもしれないが、同時に、あの強引なジャンプのパワーダイブで、逆転勝ちということになってかもしれないんだ。

 それを、俺がみんなぶち壊しにした……まあ、無理ないな。怒るのも。いや、怒らせるだけですむかな。すまないだろうな、絶対。

「どーしただぎゃ、クルツ」

 不意に黙ってしまったから、ディオーネが少し声のトーンを落とすと、身をかがめて俺の顔を覗き込むように話しかけてきた。

「もしかして、怒ったかみゃあ」

 ・あれで気を悪くしない奴は、滅多にないと思うが……でも、そうじゃない。

「おみゃーは、にゃーんも悪くにゃーよ。おみゃーが背中ズル剥けになんのも、あのチビ介が着地失敗して地面に叩きつけられるのも、どっちも結果は同じだぎゃ。どっちに転んでも、リオの負けは動かねーだぎゃ」

「それは……でも………」

「あんまそーシケた面すんじゃねーだぎゃ。おみゃーやトラ坊はまだえーだぎゃ、うちみてーに、ケッタマシーンに詳しい訳でもねー。特に、手伝いができるわけでもねー。ただお祈りしか出来ねーってのは、どーにももどかしーもんだぎゃ。でも、とりあえず、お祈りも届いてくれたみてーだし。おみゃーが大怪我したのは予想外だけどもが、あのチビ介が無事でよかっただぎゃ」

「それじゃ、姿が見えなかったのは………?」

「ま、それがうちに出来ることだぎゃ。気にするこたぁねーでよ」

 ディオーネが、俺を慰めてくれようとしているのはわかる。でも、俺は、氏族人の誇りを土足で踏みにじった。それは、どうあっても消えない事実だ。

 その時、ことさらわざとらしい咳払いがあり、つかつかと足音を立てて、誰かが病室に入ってくる気配がした。

「クルツはいるか」

「お、ジーク。なんか、用かみゃあ」

「クルツ、貴様のしたことは間違っている」

「バチクソシカトてんj-だぎゃ」

 ジークか、何しに来たか知らないが、いきなりこれか。

「貴様のしたことは、神聖な戦いを冒涜し、破壊した。私は、納得できない」

 だから、なんだってんだ。畜生。

「リオに伝えろ、私は、いつかもう一度、必ず神判で争うと。いかな理由であれ、完全な勝利でなければ意味がない」

「おみゃーも、たいがい難儀な奴だみゃあ」

 ディオーネのあきれ果てた言葉を無視して、ジークは、まっすぐ俺の目を見る。なんて目だ。まるで猛禽類の目玉をはめ込んだみたいだ。

「リオが力をつけたその時、私は彼女に所有の神判を申し込む。所有を争われるのは、貴様だ。貴様は、リオともう一度勝負するためのアイソーラだ。その事実、しかと胸に刻め」

 俺をかけて?所有の神判?訳のわからない奴とは思っていたが、ここまでくると、もはや別次元だ。俺なんかかけて、どうするつもりだ。

「リオに伝えろ、私は、奴が憎いと。私の持たざるもの全てを持つ、奴が憎いと。私は、奴のもつ全てを奪い取り、この手にする。必ず伝えろ、わかったな、人っ腹生まれ」

 言いたいだけ言うと、ジークは挨拶もなしに、さっさと病室を出て行った。ったく、それにしても、なんて言い草だよ。

 見ると、ディオーネは笑いをかみ殺すように肩を震わせている。

「まったく、あいつもどーしよーもねー意地っ張りだで。ほんとはリオ介がうらやましくて仕方ねーくせに、おみゃーにやつあたりなんぞしとるだぎゃ」

「はあ………?」

「ふへっ、あいつな、友達をわんさか見せ付けられて、嫉妬しとるんだぎゃ。自分を称えるもんはだれもいねー、それなのに、リオの周りは呼びもしねーのに人が集まってくる。いくらプライドが高くたって、高けりゃたけーほど、あん時のこたぁ面白いわけねーだぎゃ」

 そう言うと、ディオーネは小さく肩を震わせて猫のように笑っている。俺にはいまいちよくわからなかったが、女には女同士で、なにか見えるものがあるんだろうか?

「まー、このてーどならかわいーもんだで。だども、度を越すよーなら、遠慮なく潰させてもらうだけだぎゃ」

 なるほどねぇ………しかしまた、潰すとはまた物騒な。

「ま、えらそーなこと抜かしとっても、ひこーきから降りたら、ただのチビ介だぎゃ。にゃーんも怖ぇーこたーねーだぎゃ」

 そう言うと、ディオーネはけらけらと無責任に笑っている。まったく、彼女にかかると、どんなことでも些末事なんだろう。

「それはそーと、さっきから何が窓に当たっとるだで?虫かなんかでもいるんかね?」

 話が一段落つくと、ディオーネはうっとうしそうにつぶやきながら、病室の窓ガラスに近寄り、何の気なしに窓を開けた。

「ギィニャアァ―――――――――――ッッ!?」

 窓を開けたとたん、いきなり凄まじい悲鳴をあげたディオーネが、片目を押さえて床の上を転げまわっている。ま、まさか、蜂でもいたのか!?か、勘弁してくれ!こんな状態でたかられるなんて冗談じゃない!

「目が!目がああああああああっっ!!」

 ま、まずい!これは背中が痛いとか何とか言ってる場合じゃない!俺はその場から逃げ出そうと、痛みをこらえて死に物狂いでベッドから這い起きた。が、その時、窓の下に、大きな紙飛行機が落ちているのが見えた。

「このガキャア!そこ動くんじゃねーだぎゃあ!!」

 床の上を、無様に転げまわっていたディオーネが、いきなり弾かれたように跳ね起きると、怒りの形相も凄まじく窓の外を睨みつける。長い黒髪が深緑色に底光りし、ざわざわと生き物のように波打つ異様な光景に、俺は思わず自分の目を疑った。と同時に、ディオーネはその身を翻すと、いきなり窓から外へと飛び出していった。

 って、あっ!おい!ここ三階だぞ!?

『ね、姉ちゃ……げふぁ!!』

『わっ!わあっ!?か、堪忍じゃ!ディオーネ姉ちゃん!!』

 アストラとリオらしき悲鳴が立て続けに聞こえる。一体、下で何が起こってるんだ!?どうにか窓際までたどり着くと、ディオーネがアストラを殴り倒し、その隙に慌ててMTBにまたがったリオが、物凄い剣幕でわめき散らして追い駆けてくるディオーネから逃走を図り、弾丸のように病院の前庭を駆け抜けていく光景だった。

 そうか、この紙飛行機、リオが投げたものだったのか。俺は、その紙飛行機を拾い上げると、どうにも複雑な気分でそれをかざしてみる。それは、何度も窓にあたったらしく、先端はやや潰れていた。

 ディオーネのあの取り乱し方も気にはなったが、血らしきものはどこにも着いていなかったから、多分大丈夫だろう。そもそも、彼女の目玉が、たかだか紙飛行機程度でどうこうなるような、ヤワな代物とは思えない。

 それはそうと、この紙飛行機。なにやら、裏側に字らしきものが書き綴られている。わざわざ、こんな手の込んだ事をしてまで、何を書いて寄越したのか。正直、怖くもあったが、今、あの子が思っている気持ちを知りたい。という感情が不安を押し流し、俺は、かすかな緊張を感じながら、ゆっくりと紙飛行機をほぐしてみる。

 そこには、子供が書いたとは思えない、きっかりとした文字。ありがちの誤字脱字も一切無い、清廉な文章。でも、文字の美しさに反して、その中身は子供らしい思いついたままに自分の言いたい事を書き連ねた物なのが微笑ましい。そう、あいつはあいつなりに、今回の事件の重さを真剣に考えたらしい。

『ありがとう、だが、友人の見舞いを済ませてからでいい』

 ん?この声は、アストラか?

「クルツ、久しぶりだな。大事なさそうでなによりだ」

「ああ、ありがとう……それと、本当にすまなかった。俺が勝手な事をしたばっかりに、リオが……」

「気にすることは無い、まさか、俺もリオがあんな思い切った事をするとは、思ってもみなかった。あの時クルツが飛び出さなければ、あの子は地面に叩きつけられておしまいになっていた。神判は、最後まで立っていることも勝利の条件だ。どのみち、あの時点でジークの勝利は動かない。リオにも、それはよく言い聞かせておいた」

「そうか………」

 はは、姉弟そろって同じ言葉を聞かされるとはね。

「それはそうと、アストラ、ディオーネにやられたそれは、大丈夫なのか?」

 アストラの左頬には、スタンプで押したように、見事な鉄拳の跡が真っ赤に浮かんでいる。

「いつものことだ。今日はこの程度で済んで、俺は運がいい」

「そ、そうか………」

「今回の一件、リオにとっていい経験になったはずだ。今の自分では、自らの行動に全ての責任を負う力が無い。それがわかっただけでも、今度のことは無駄ではなかったと思う」

「そう……か」

「とは言え、やはり学校に通わせることは、保留してはならない問題ということだ。大人に混じって生活していると、己の分や能力に錯誤が生じる。同じレベルの集団に身を置き、その中で自己研鑽を図るのが正しい道だと思う。その点については、ローク隊長やイオ司令も検討するそうだ」

「知ってたのか………」

「済まない、その点に関しては、俺も上官の判断任せにしていた。せめて、立場上多少でも権限のある俺が、ローク隊長なりに真剣に具申すべきだった。許せ」

「アストラが謝ることじゃないさ、やっぱり、なんでもかんでも問題を棚上げにするのはよくないな。必ず自分にツケが回ってくる。今回の一件でよくわかったよ」

 なんの責任も非もあるわけではないのに、真剣な表情で詫びるアストラを見ていると、改めて自分のいい加減さが見にしみる。しかし、不意に、アストラは真剣な表情を浮かべると、俺の目をまっすぐに見据えてきた。

「クルツ、言っておきたいことがある」

「どうしたんだ、急に………?」

「俺は、リオになんでもひとりで抱え込むな。と言った。だが、それはクルツ、お前に対しても言いたいことではある」

 不意に、琥珀色の瞳に鋭い光を走らせると、アストラは、射抜くような視線をまっすぐに向けてくる。

「クルツ、俺にはどうしても、お前は、俺には及びもつかない何かを持っている気がしてならない。姉に視法の導きを取り戻してくれたことも、ルシエンで名誉を守るために共に戦ったことも、俺は決して忘れはしない。だが、俺とお前はトロスキンだろう。どんな些細なことでもいい、いつでも呼んでくれ。なんでも話してくれ。俺にも手伝わせてほしい」

 責めるようにも、懇願するようにも聞こえるアストラの言葉。今まで見せたことも無い、その真剣な表情に、おれは素直にうなずくしか他にできなかった。

「そうだな、アストラ。ありがとう」

 そう答えると、アストラは、まるで少年のように満足そうな笑顔を見せて立ち上がった。

「時間を取らせてすまなかった。では、俺はもうひとりのトロスキンの救出に行ってくる。あの子の足なら多分逃げ切れたとは思うが、一応念のためだ」

「ああ、よろしく頼む」

「うむ、今度来るときは、ちゃんとリオも連れてくる。なにしろ、手紙で前置きをしてから、そのあと病室を訪ねようという作戦は失敗してしまったからな。やはり、戦士たるもの、まわりくどい真似はいかん。今度は、正々堂々と正面から来よう」

「わかった。楽しみに待ってるからと、リオに伝えてくれ」

「承知した、任せてくれていい」

 そう言うと、アストラは一礼して病室を立ち去っていった。お?なにやら待ち構えていたらしい看護婦に捕まったようだな。

 それにしても、俺もこんな世界でよく今までやってきたもんだ。もし、これがノヴァキャットでなかったら、とっくの昔に脱柵してたかもしれない。

 ただ上ばかり見上げていちゃ、わからないものがたくさんある。リオにも、そして俺にも。自分の周りを見てみれば、こんなにも強く輝き、導きの光を投げかけている星があるじゃないか。

 そういや、考えてみれば、こうしてひとりで病室にいるってのも初めてだな。よし、誰も戻ってこないうちに、とっとと寝ちまおう。それがいい、うん。

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