クルツシリーズ   作:あらほしねこ

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君の願いは

「こんなアホらしいこと、やってられるかい!」

「やりたくなくてもやるんだよ!」

 逆上してデッキブラシを振り上げ、わめき声を上げながら飛びかかってきたリオを、俺は、手にしていたデッキブラシで攻撃を受け止め、そのまま勢いを絡め取るように受け流した。そうしたら、リオ介の奴は、自分の勢いで足を滑らせ、そのまままっすぐ湯船に突っ込んでいった。

「わぁっ!?」

 ずいぶんまた、可愛らしい悲鳴を。意外な発見に感心しながら、豪快な水しぶきと共に湯船に沈んだリオの姿を見る。ナメてもらっちゃ困る、こう見えたって銃剣格闘はわりかし得意だったんだ。

 おはよう!ははは、まだ寝てたかな?日も昇りきらない暗いうちから、俺とリオは朝掃除に出動してるってわけだ。朝稽古前のジムの掃除と風呂の支度は、まあ、新人ボンズマンの仕事みたいなもんだが、俺も、こいつに仕事を教えるために、わざわざ早起きしたって訳だ。

 それなのにこのチビ介ときたら、いきなりこれだもんな。

「・・・なんで、うちがこんな事せんとならんのじゃい」

 水風呂のなかから再上陸を果たしたリオは、かなりしょげた様子で自分が落としたデッキブラシを拾い上げている。まったく、いい加減諦めの悪い奴だ。そりゃ、本人にして見りゃ転落人生ここに極まれり、と言ったとこだろうが、それは俺だって一緒だ。

「いちいち文句垂れんな、早くしないと、朝稽古の連中がきちまうぞ」

「言われんでも、わかっとるわいっ」

 いちいち口答えの多い奴だ。こっちはわざわざお前さんに合わせて、しなくてもいい早起きをしてやってるってのに。

 

「なんじゃい、今日もこれかい」

 本当に、いちいち文句の多い奴だ。

「配給制限なしに、腹一杯食えるのがキッシ・ヌードルだけなんだ。文句ばかり言ってると、それだって食わせてもらえなくなるぞ」

「・・・あっちはええのぅ、丸々太ったエビフライ」

 リオは、戦士階級の連中が食ってるエビフライやテバサキ・フライをうらやましそうな目でながめている。っていうか、朝からあんな重たいモン食いたがるなんて、若いってのはいいねぇ。

「あっちはあっち、こっちはこっちだ。いちいち気にしてたって仕方ないだろう」

 俺は、未練がましい表情のリオに一言釘を刺すと、ボウルの底に残ったスープを一気に飲み干した。

「クルツ、俺はちと急ぎの用があるでよ、片付けておいてくれみゃあ」

「うちのも頼むだぎゃ」

「クルツ、俺のも頼む」

 マスター、ディオーネ、アストラの3人が、俺の前に次々とトレイを置いて立ち去って行く。お?ははあ、なるほど、そう言うことか。

「リオ、食えよ」

 俺は、3人分のトレイの上に、少しずつだが手付かずで残っている、エビフライやテバサキ・フライを、食い終わった空のボウルに素早く集めてリオの前に置いた。

「人の残飯なんぞ食えるかいっ!」

「食わないなら、俺が食うぞ?」

「待たんかい!おどれに食われるくらいなら、うちが食うわい!」

 そう言うと、リオの奴はちょうど一人分のフライを集めたボウルをひったくると、ボウルの上に覆い被さるようにして、フライにかじりついた。ハハハ、まるで猫だ。

 だが、実際問題として、育ち盛りの子供に粗食ってのも、ちと考えもんだ。ただでさえ、ひねり上げればポキンといきそうなくらい痩せてるだけに、食事については、ちゃんと考えてやらなければなるまい。

「ん、どうした?」

 食後の茶を飲んでた俺の脇腹を、リオが突っついてくる。やめろよ急に、噴いたらどうすんだ。まったく、今度は何だよ。

「食い足りなくても、もうないぞ。あんまり甘えると、クセになったら後がツラいぞ」

「・・・そ、そんなんじゃないわいっ。その、うちも腹一杯になったけん、残りはわれにやるわい」

「いいのか?」

「せ、戦士に二言はないわいっ」

 まったく、こいつは何赤くなってんだよ。なに、よくわかるなって?あのな、そりゃ、ひと月近く顔合わせてりゃ、それくらいわかるようにもなるさ。

「ありがとうな、リオ」

「ええから!とっとと食わんかいっ!」

 ハハハ、可愛い奴だ。

 

 ここ最近の共同生活でわかったことがある、このリオ介、なかなか機械いじりのセンスがあるということだ。呑み込みがどうとかそう言うレベルじゃない、こいつは、俺達テックが言うところの、『機械と会話』出来る感覚が備わっているらしい。

 わずかな作動音の違い、外観から直感的に感じる違和感、それらを嗅ぎ取り、認識することを、俺達は機械と会話すると言っている。 

 もちろん、これは誰でもできるって訳じゃないが、それでも経験や修行である程度は身に付けることは出来る。でも、このリオのように、子供のうちから感覚として備わっていると言うのも、かなり面白いことだ。

 例えば、こいつが変だ、と言ったところを試しに開けてみたら、本当に変だったりすることがちょくちょくあった。とは言ったって、まさか本当に整備の手伝いなんてさせるわけにはいかない。子供に触らせたと面白く思わないメック戦士もいるし、そもそも、危険な作業を子供にさせるわけにはいかない。であるからして、コイツに手伝わせているのは、せいぜいが機体の掃除と部品磨きくらいだ。

「ほぎゃっっ!?」

 人がそう言ってるそばから、いったい何やってんだよこいつは。なにぃ?コンデンサーに触ったぁ!?アホか!下手打ちゃ死ぬぞ!

 あぁあぁ、こんなに手を真っ赤に腫らしてからに。とはいえ、メックのサーボモーターコンデンサーに触って、あの程度で済んだのは本当にラッキーだぞ。一つ間違えりゃ、真っ黒焦げになってもおかしくないんだからな。

 わかったわかった、今手当てしてやっから、もう泣くんじゃないよ。

 

「なんでだめなんじゃいっ!?」

 だから、そう大声出すなってのに。もうすぐ消灯なんだぞ、近所迷惑だろうが!

「どこでもええって、ゆぅたじゃろうが!」

 ああ、確かに言ったともさ。でもな、日曜市だけには行きたくないんだよ。

「明日、ジョージとサダームが不服の神判をやるから、それじゃ駄目か?メックを使うって言ってたから、メック戦の参考に・・・」

「他人のケンカなんぞ見て、何が楽しいんじゃい!」

 おやおや、ずいぶん氏族人らしからぬお言葉でやがりますね。

「とにかくだな、バザール以外だったら、どこでもいいから。他にないか、ん?」

「・・・な、ないわいっ!・・・ふぇっ・・・じゃったら、部屋で・・・ひっく・・・寝とるわいっ!」

 コンチキショウ、人の気も知らんと、ベソベソ泣きやがって・・・。

「そうか、まあ、気が変わったら言えよ」

「じゃ、じゃかあしいわいっ!」

 涙と鼻水でぐしゃぐしゃになった顔を真っ赤にして怒鳴ると、リオは、もはや自分のもの同然にした俺のベッドにもぐりこむと、毛布を頭からかぶってそのまま丸くなってしまった。

そして、その布団饅頭の中から聞こえてくる嗚咽の声を聞きながら、俺はどうにも晴れない気分を持て余す羽目になった。

 本当にすまない、でも、とにかく、バザールだけは行きたくないんだよ。

 いつしか、泣き疲れてしまったのか、静かになった部屋の中で小さくため息を吐く。なんだ?随分らしくないじゃないかって?あのな、俺だって木の股から生まれたわけじゃないんだ。約束破られた子供がどんな思いをするかくらい、わかってるつもりだよ。

 

 翌朝、膨れっ面をぶら下げながら、デッキブラシを手に風呂場のタイルを磨いているリオは、起きてからずっと、一言も口をきこうとしない。

「・・・リオ」

「・・・・・・」

「・・・リオ介」

「・・・・・・」

「・・・リオってばよ」

「・・・・・・・・・」

「早く終わらせろよ、朝飯食ったら、日曜市に行くからな」

 その時、黒い砲弾が飛んできたと思った瞬間、俺は腹に鈍い衝撃を受けて、危うく足を滑らせて湯船の中にひっくり返るところだった。

「ほんとか!ほんとに行くんじゃな!」

「ああ、だから早く終わらせようぜ」

 俺の腹に抱きついて、こっちを見上げているアイスグリーンの瞳が、コヨーテ氏族の宝石職人が磨き上げたエメラルドにも負けない輝きを浮かべている様に、俺は少し言葉を詰まらせちまった。こいつらでも、こんな顔が出来るんだな・・・。

「アハッ!アハハハハッ!」

 弾けるように離れると、リオはデッキブラシを拾い上げ、まるでダンスのステップを踏んでるかのように、軽やかな足取りでタイルを磨き始めた。最初の頃は、転んでばかりいたのにな。

 そんなコイツの様子を見ながら、やはり、思い切ってよかった。そう思いながら、何となく軽くなった気分でポケット越しの銀細工に触れた。

 

 バザールに来るのなんて、何年ぶりだろう。まさか、またここに来ることになるとは思わなかった。

ん?ああ、あの時のことを気にしてるのかって?まあ、そうだな。そうかもしれないな。

「クルツ!腹が減ったけん、何ぞ食わしてくれんかのぅ!」

 そりゃ、あれだけはしゃげば腹も減るだろうさ。まったく、人の気も知らないで、気楽に跳ね回りやがって。けどまあ、子供が元気なのはいいことさ。

「・・・で?何が食いたいんだよ」

「あれじゃ!」

「あっ!?おい!待て!」

 その勢いに、思わずひるむくらい元気良く即答したリオは、俺が場所を確認する前に鉄砲玉のようにすっ飛んでいくと、人ごみの中を巧みにすり抜けて、あっという間に見えなくなっちまった。

「おい!リオ!あれってどれなんだよ!」

 ・・・くそう、なんてせっかちな奴だ。

 リオが駆け出して言った方向へ、記憶を頼りに人ごみをかき分けて行くと、果たして、リオは見知らぬ男となにやら話している様子だった。まさか、勢い余って人様にぶつかって、迷惑かけてんじゃないだろうな。

 だが、俺はリオの前に立っている男に、言い様の無い違和感を感じた。いや、何がどうって訳でもないんだが。

 灰色に近い褐色の肌、何もかもを見透かすような、銀灰色の小さな瞳。背はあまり高くないだろう、やせぎすの体格は、その存在感をさらに薄めている。

 有体に言えば、どこにでもいるような男。けれども、俺はこの男に、とてつもない不吉さを感じた。

 考えすぎ?ああ、それならいいけどな。でもな、俺だって整備兵とは言え、軍人のはしくれさ。危険要素に対して、無駄でもなんでもいいからセンサーが反応しないようじゃ、俺はとっくの昔にこの世からおさらばしている。

「お取り込み中すみません、私はこの子の保護者です。何か、ご迷惑をおかけしましたか?」

 俺が話しかけると、リオは明らかに動揺した表情を見せて振り向いた。くそ、やっぱり何かあったのか?

「いや、なんでもない。少し、道を聞いただけのことだ」

「・・・この子は、最近ここに引っ越してきたばかりだから、あまり詳しくは無いと思いますよ。よろしければ、私がご相談に乗りますが?」

「いや、それには及ばない。特に急いでいるわけではないのだから。では、君。引き止めて済まなかった」

 男は、静かな口調でリオに言葉をかけると、そのまま人ごみの中へと消えていってしまった。なんだよ、まるで幽霊みたいな奴だな。ああ、確か、前に見た時はあんな感じだったぞ。

「リオ」

「な、なんじゃい!」

 ・・・こいつ、何を動揺してるんだ?

「お前な、誰が財布を持ってると思ってるんだ?腹が減ってるのはわかるけどな、もう少し落ち着いたってバチはあたらんぞ」

「わ、わかっとるわい!」

 まあいいさ、何があったかは知らんが、ここでうるさく聞いて場を壊すこともない。

 俺の言葉に、どこか安堵の表情を浮かべつつも、リオの奴は、揚げ物の音も小気味いい、屋台と言うよりちょっとした食堂と言った風情の小屋を指差した。

「ぶちえぇ匂いがするけん、クルツ、あれを食わしてくれんかのぅ」

「わかった、少し早いが、あそこで昼飯にするか」

 俺がそう言うや否や、リオ介の奴は弾かれたように駆け出すと、あっという間にカウンターに張り付いていた。

「クルツ!はよこんかい!」

 はいはい、わかってますよ。

 

「いただきます」

「おう、食え」

 ありとあらゆる飯に、常に感謝の気持ちを。

 俺は、他はともかく、このひと月近く、これだけは徹底してリオ介にしつけた。そして、小さな手を合わせて神妙な表情で挨拶を終えたリオは、早速のようにフォークを取り、ミソソース・カツレツと戦闘を開始した。

 おぅおぅ、あんなに美味そうに食ってからに。

 そして、俺の両手の平を合わせたほどもあるカツレツは、瞬く間にリオの腹の中へと消えた。俺も、その一部始終を見ていたが、まるで飢えた黒猫が餌にかぶりついているようで、けっこうほほえましい。

 ハハハ、こいつ、俺の皿の上を見てやがる。

「食うか?」

 俺は、半分ほどになったカツレツの乗った皿と、付け合せの黒パンをリオの方に寄せてみた。さあ、どうする?自称戦士様。

「う・・・」

 一丁前に迷ってやがる、バカだねこいつは。今までさんざんマスター達のおこぼれをちょうだいしておいて、今さら何を見栄張る必要があるんだか。

「まあ、余計なお世話だったかな。気にするな」

「待たんかい!誰もいらんとはゆぅとらんじゃろうが!」

 そう言うと、リオは素早く細い腕を伸ばすと、皿を自分の方に引き寄せる。そして、カツレツをナイフで半分に切ると、残りの皿を俺の方に差し戻してくる。

 ははぁ、コイツめ。いっちょ前に気をつかってやがる。

「俺はいいよ、遠慮すんな」

「・・・ええんか?」

「ああ、食べろ食べろ」

 少し考えこむような表情を浮かべた後、リオは小さくうなずくと残ったカツレツにかぶりついている。それにしてもいい食いっぷりだ。こうまでくると、食わせ甲斐があって嬉しい。

 とりあえず、なんだかんだで、休日は彼女の満足感を満たしてくれたようだ。さてさて、トーテム・ノヴァキャット、セント・サンドラ、そして、セント・ジェロームに、感謝の極みを、だな。

 

「冗談もたいがいにしろ!そんなこと、認められるか!」

「なんでじゃい!」

 その日の夜、宿舎に戻った俺は、それとなくあの時のことをリオに問いただした。そして、誘導尋問にあっさりひっかかったリオが口にしたのは、まったく予想外もいいところな話だった。

「アンタロスに行くだと!馬鹿も休み休み言え!」

「じょ、冗談なんぞゆぅとらんわい!うちはスモークジャガーの戦士じゃ!みんながいる場所に帰って、何が悪いんじゃい!」

 畜生、あの時見た男は、やっぱりただの流れもんじゃなかったらしい。リオの話から察するに、奴はスモークジャガーの生き残りで、秘密裡に各地をまわっては、同朋を探し、アンタロスへの勧誘をしてまわっているらしかった。

 冗談じゃないぞ、いくらリオがスモークジャガーの生き残りでも、アンタロスなんて掃きだまりなんかに行かせてたまるか。だいたい、戦災孤児や少年兵の末路なんて、恐ろしいほど例外というものがない。クソのような連中にいいように使われ、くたばる。ただそれだけの話。

 自分の目で見たり、報告資料で見たり、そりゃもううんざりするほど同じ話の繰り返し。そして、下衆な話をするようだが、小娘がそんな状況に放り込まれたが最後、さらにろくでもない扱いが待っている。そうなるとわかっていて、はいそうですかと首を縦に振るつもりなんてない。

「とにかく落ち着け、ノヴァキャットでも戦士になれる。お前にだって、その資格は充分あるんだ。ここでしっかり修行していれば、お前の夢は必ずかなうんだ」

「・・・う、じゃ、じゃけん、うちはスモークジャガーの・・・!」

「だから、落ち着けと言っているんだ。スモークジャガーは、大拒絶でブラッドハウスは抹消されたんだぞ?どんなに頑張ったって、アンタロスじゃ名誉ある戦士にはなれないんだ。リオ、お前のしようとしてることは、危険なことなんだぞ?頼むから思い直せ、みんなだってお前のことを気に入ってくれている。ノヴァキャットは、お前を絶対裏切ったりなんかしない」

「じゃ、じゃけん!うちはみんなのいるアンタロスに行きたいんじゃ!」

 生き残った同胞がいる場所、そこへ行きたいというこいつの気持ちはよくわかるつもりだ。そこが、人間のクズ共が集まる無法地帯じゃなけりゃ、俺だって考えたろう。しかし、そうじゃなかった。だから、この話はここでお終いなんだ。

「だからって、そんな危険なとこに行くと聞いて、はいそうですかなんて言えるわけないだろう」

「じゃ、じゃかあしいわい!この人っ腹生まれのボンズマンが、なに偉そうな口きいとるんじゃ!!」

 それでも、意固地なまでに拒絶するリオの言葉に、じわじわと焦りと怒りが浮かぶ。人の気も知らないで、なんにもわかっちゃいないくせに、そんな薄黒い大人の理屈が鎌首を持ち上げる。

 それでも、どうにか感情を抑えつけ、言葉を探そうとしてみるが、こんな時に限ってムカつくくらいうまい言葉が出てこない。

「ノヴァキャットは敵じゃ!中心領域の猿と一緒にスモークジャガーを滅ぼした敵じゃ!」

「お前な!いくらなんでもその言い草は何だ!」

「おどれこそ何様のつもりじゃい!このフリーバース!!」

「!」

 さすがに、この十年来、散々言われっ放しで慣れてきたと思ったが、今の一言は、どう言うわけか、俺の心臓に根元まで突き刺さるような激痛を与えた。

 ノヴァキャットを敵と呼ぶのはいい、そして、俺を人っ腹生まれと呼ぶも別に構わない。実際、その通りだし、こいつの見てきたものを想像すれば、そんな言葉が出てきても仕方ない。そして、勢いで出た言葉だとしても、一番言われたくない相手から、一番聞きたくない時に投げつけられた言葉は、目潰しのように俺の視界を真っ黒にした。

 もう返す言葉も出てきやしない。俺は、今さらながらに、トゥルーボーンと呼ばれる連中と、俺達フリーボーンの人間との間に立ちふさがる、壁のようなものを思い知らされる。しかも、それを口走った相手が、俺にとっていろいろな意味で最悪だった。

 それでも、何か言わなければ、どうにかして、この狂った空気を元に戻さねば。そんな思いが頭の中で、出来の悪いシチューのようにぐるぐるかき回される。しかし、今まで見たこともないような敵意を向けてくる眼を見た瞬間、俺の無駄な努力を目一杯煮込んでいた大鍋がひっくり返り、その中身をぶちまけていた。

「・・・ああ、そうかよ」

 俺は、この時どんな顔をしていたんだろう。さっきまで、あれだけ怒りと興奮で歪んでいたリオの顔が、まるで液体窒素でもぶっかけたように凍り付いている。

 だが、もう何もかもがどうでもよくなった。俺は、ほとんど無意識に、壁に引っかけていたバックパックを引っ掴むと、その中に目に付いた衣類や携帯食料など、ありとあらゆるものを手あたり次第に詰め込んだ。

「もってけ、このボンズマンからの献上品だ。これ持って、アンタロスでも地獄でも、どこでも好きな所にいくといいさ」

 もう、理性的な言葉なんて考えつかない。俺は、パンパンに膨らんだバックパックをリオ押し付けた。

「それ持ってとっとと行きな。ああそうさ、こっちだって口だけ達者な穀潰しの世話はもう沢山だ」

 リオの褐色の頬が、それとわかるくらい引き攣り、震えている。だがもう知ったことか、もうたくさんだ、うんざりだ。

「それじゃ、元気でな」

「おどれに言われる筋合いなんぞないわい!」

 バックパックを抱えたリオは、俺の別れの言葉に、敵意に満ちた言葉と目を向けると、後はものも言わずに駆け出し、居室を飛び出していった。そして、嵐が過ぎ去ったような居室の真ん中で、俺は糸が切れたようにへたり込んでいた。

 

 俺は、なにか勘違いをしていたんだろうか。こいつと寝食を共にした1ヶ月という時間で、俺はこいつの何になれたって言うんだろうか。それでも、いつの間にか、あの子を大事に思うようになった自分を否定はできない。

 けれど、それはみんな俺の思い上がりだったんだろうか、独りよがりだったんだろうか、あの子にとって、俺は裏切り者の氏族の人間で、ただの人っ腹うまれでしかなかったのか。その事実を、他ならぬ本人から叩きつけられ、そして、裏切られたと勝手に逆上し、あの子をここから追い出していた。

 別に、今の今まで、感謝されたくて面倒を見てたわけじゃない。マスターからの下命だったとはいえ、それでも、してやれるだけのことはしてやりたいと思った。さっきのザマを見られたばかりじゃどうしようもないが、本当に、そう思っていた。思って、いたんだ。

「畜生・・・・・・!」

 俺は、急に温度が下がったような居室の中で、使い慣れた椅子に腰を落とした。そして、マスターが残していった、ボトル入りの酒を引っつかむと、もぎり取るように栓を開け、委細かまわず喉の奥に流し込んだ。

 強烈なアルコールが喉を焼く。だが、普段ならそれだけでひっくり返るそれすらも、心地良いものに変えてしまう。

 いや、心地良いわけなんか無いだろう。

 いい大人が、子供の言うことに逆上して、挙句の果てにはヤケ酒か。ザマぁないったらありゃしない。だから、バザールに行くのは嫌だったんだ。あそこに行くと、大体ろくでもないオチがついてくる。本当に冗談じゃない、人を馬鹿にするのも大概にしろと喚きたくなる。いや、こんな人間だから、こんなろくでもないオチしか引けないんだろう。

「畜生・・・」

 何度目かわからない悪態をついたその時、居室のドアをノックする奴がいる。

『班長、いいッスか?』

「・・・シゲか、どうした」

 この時間に珍しく、居室を訪ねてきたシゲは、丸縁眼鏡の奥の目を瞬かせている。

「いえね、こんな時間にリオちゃんがバックパック背負って走ってったもんッスから、何かあったのかと思いましてね、ええ」

「アイツなら、ここを出ていくとさ」

「え?」

 俺の返事に、シゲは困惑するような表情を浮かべる。

「それって大丈夫なんッスか?後でロークさんにどやされませんかね」

「知ったこっちゃねぇよ、そん時ゃそん時だ」

「ひとっ走り行って、追っかけてきますか?」

「余計な事してんじゃねぇよ、ほっとけっつってんだろ」

「・・・わかりました、それじゃ、失礼するッス」

 気遣うような表情で振り向きながら、ドアを閉めたシゲの足音が遠くなっていく。それが何故か、無性に情けなくなって、俺はボトルの中身を一気にあおった。

 

 

「起きたかみゃあ、大将」

 朝、のっけから奇妙な挨拶で目を覚ますと、そこには、ディオーネの姿があった。昨日の深酒で、目玉が不愉快に重い。

「・・・どうして、ここに?」

「どーしてもなにも、おみゃーこそ何こんなとこで寝とるんだがや」

 俺が寝ていたのは、整備員当直室だった。酔った勢いかなんかで居室を抜け出し、こんなとこでクダを巻いてたのか、俺は。消灯時間を過ぎていたのに、よく警邏隊に見つからなかったもんだ。

「それはそーと、おみゃーよ、あのポンコツのレストアはどうするんだぎゃ?おみゃーが直さんかったら、ありゃいつまでもガラクタのまんまだぎゃ」

「わ・・・わかりました」

 そうだった、最近ようやく仕事が落ち着いてきたのを機会に、今までだましだまし動かしていたローカストをレストアしてたんだ。

 数年前のように、あちこちの氏族から目の敵にされ、追いかけ回されていた時ならともかく、ドラコと同盟を果たし、イレース星系の片隅に落ち着けた今では、当面の強敵は減ったことになる。まあ、もっとも、そのおかげで他の氏族連中から恨みを買う羽目になったんだけどな。

 いわゆる、『ノヴァキャットの放棄』と呼ばれたあの戦い。あれは、今思い出しても酷いものだった。

 侵攻派・守護派問わず、ほとんどの氏族が中心領域の星系へと向かう船団に、その容赦のない牙を向いてきた。だが、スノゥレイヴン・ダイヤモンドシャーク両氏族の助けで、半分以上の人命と財産を失いながらも、どうにか全滅を免れてイレースにたどり着く事が出来た。

 それ以降は、作戦らしい作戦はないものの、備えを固めておくに越したことはない。ということで、旧式メックのレストアと改修・戦力化は、俺の所属しているクラスターのみならず、ノヴァキャット氏族全体の急務事項に認定されている。だから、ここ最近は戦闘がない代わりに、今までだましだまし使用されていたようなメックも、オーバーホールと強化改修の対象になったって訳だ。

 ああ、クラスターってのは、中心領域の軍事編成で言えば、大隊とかそのあたりになるもんさな。ともかく、スターコーネル・イオ閣下直々のお達しとあらば、頑張らない訳にはいかない。同じ命令されるにしたって、おっさんより美人に命令されれば、数倍力が入るってもんだ。

 それはともかく、だいぶ前の話になるが、ルシエンで起きたテロに巻き込まれながらも、ディオーネの冗談みたいな活躍によって捕獲し、DCMS相手に所有権を主張して持って帰ってきたローカストは、バキバキに破壊されたコクピット回りを何とか載せ換えたまではよかったが、うちの部隊は二線級扱いの部隊なもんだから、ⅡCタイプに改造するだけの物資はまわってこない。それどころか、クラシックタイプのローカストなんて氏族軍で部品を扱っているかどうかもわからないような有様だ。

 まあ、お前さんも今まであれこれ見聞きしてきて、薄々感づいてるかもわからんけど、このクラスターは、どうも変わり者とかクセの強い連中をかき集めて置いてある部隊らしい。そして、何か事があれば公式非公式を問わず、真っ先に最前線に放り込まれる、遊軍と言うか、まるで懲罰部隊みたいな任務をおおせつかることが多い。

 覚えてるか?結構前の話だが、ディオーネがスランプになった時、ドラコの連中とちょっとした小競り合いをしたことがあったろ?あれなんて、もしコムスター辺りに嗅ぎつけられたら、神判の契約を破ったとかで、あのいけ好かない白装束の眼帯親父が何を言ってくるかわかったもんじゃない。まあ、そんなこと俺の知ったこっちゃないけどな。

 とにかく、こき使われるわりには物は回ってこないって面倒な所だ。だから、IICアップデートは無理にしても、出来るだけのことをするしかない。さっきは急務と言ったが、コイツに関しては、まあ、やるだけやってみろ。みたいな扱いになっている。とはいえ、1V型といっても、ローカスト自身は元々素性のいいメックだから、特に苦労はしないと思うけどな。

「せっかくふたりでとっ捕まえた奴だぎゃ、直して使えるんなら、直すに越したこたぁねーだぎゃ?」

「そうですね、わかりました」

 俺は、昨晩のやけ酒でドラムロールを響かせる頭をなだめすかしながら、ディオーネに促されるままに当直室を後にした。

 

「おはようございます、班長!なんか顔色悪いッスよ?ああ、そうそう、冷蔵庫にスポドリあるから飲んでいいッスから」

「ああ、ありがとう、シゲ」

「なんのなんの」

 昨日、相当みっともない姿を見せただろうに、誰もそれを気にした様子もなく、いつも通りに接してくれている。みんながこれだけ気を使ってくれていることで、あの時の俺が、どれだけ大人気ない真似をしたのかを思い知らされてしまい、どうにも目を合わせづらい。

 詰所の隅の冷蔵庫にストックされた、相変わらずケミカルな色合いのスポーツドリンクを2本頂くと、ディオーネにも一本差し出したら、彼女はなんとも微妙な表情でかぶりを振った。

「こんなえげつねー色、よう飲めたもんじゃねーだぎゃ」

 いや、つったってコレ、氏族製の飲みモンだぞ?

「いらんモン寄越そーとしてんじゃねーだぎゃ、オーツカの奴はねーんきゃ?オーツカのは」

 これまた、高級なもの持ち出してきたな。

「誰か使いにやって、買わせてきますか」

「朝っぱらから大儀ィことせんでえーよ、コーヒーくれみゃあ、コーヒー」

「わかりました、少し待っててくださいね」

「おー」

 まったく、このお姉さんも、あれ以来すっかり贅沢になって、隙あらば中心領域製の飲食物を要求してくる。今淹れてるこの中心領域産のコーヒーも、実質ディオーネ達戦士階級が来た時の応接用になってしまっている。

「んなことより、だいぶこのポンコツもさまになってきただで。あとは、代わりのハッチを見つけてくりゃ、外に出して使えそーだでね」

 マグカップ片手に、機嫌のよさそうな表情を浮かべるディオーネは、今は基地警備に使われているクラシック・ローカストを見上げている。まあ、施設警備や偵察とかだったら、実戦でも使えなくはないだろう。しかし、いかんせん、アビオニクスが古臭いから、そこをなんとかしないとどうにもならない。

「そうですね、あとはソフトウェアもなるべく新しいものに更新して、各部ハードの認識をチェックする感じですか」

 あの時、ディオーネがおしゃかにしてしまったコクピットユニットの修理も終わり、この300年以上前の星間連盟華やかりし頃の遺物は、少しずつその力を取り戻して行く。捕獲後、こいつの中身を見た時は、どこのスクラップヤードから拾ってきたのかと思うくらい、駆動系も電装系もヨレヨレな状態だった。もっとも、これがしかるべき整備を適切に受けていた機体だったら、多分、俺もディオーネもここにいなかっただろう。

 それにしても、こいつを捕獲した本人であるディオーネが、自分達の戦利品であるとして、頑として所有権を譲らず、DCMS管区本部に対し所有の神判騒ぎにまで発展しかけたらしい。結局、余計な面倒事を増やしたくなかったのか、せめてもの報酬と思ってくれたのか、神判沙汰は無事回避され、めでたく我がクラスターの装備資機材が増える運びとなったそうな。まあ、経緯が経緯だし、これはこれでいいんだろうな。

 それにしても、俺の知り合いってのは、本当にケンカの達者な連中ぞろいだよ。

「まったく、おみゃーは機械をいじくりまわしとる時は、どえりゃー幸せそうだでね。ホントに、変わっとるやつだで」

 別に手伝ってくれるわけでもなく、作業の手を動かす俺の周りをうろうろしながら、ディオーネがあきれたようにぼやいている。確かに、俺は他の連中のように、戦士階級に抜擢されるための自主トレや特練なんて、一度も参加したことはない。まあ早い話、俺は別にこのままでいいと思ってる。正直、戦士階級とかには、あまり興味がない。

 もっとも、そういった考えは、氏族人から見りゃ、確かに変としか言えないだろう。けれどもが、いくらこの社会に馴染んだからと言ったって、俺自身の根本的なものが変わるわけじゃない。だから、俺はいつまでもボンズマンのままなんだろうな。

「にしてもまー、もったいねーと言うか、おみゃーも少し本気をだしゃー、とっとと戦士階級になれるっちゅうんに。一体何を遠慮してるんかみゃあ」

「まあ、逃げ足なら誰にも負けない自信はありますね」

「そんなもん自慢してどーすんだぎゃ、このたーけ」

「それしか自慢できるものが無いんですよ」

「そー言う問題じゃねーだぎゃ」

 ディオーネは、ローカストの足に寄っかかりながら、面白くなさそうな言葉遣いとは裏腹に、どこか楽しそうな表情を浮かべている。特に急いでいるわけでもないローカストのレストアをしろと急かすのも、もしかしたら、彼女なりの気の遣い方なのかもしれない。

「ま、だからローク隊長も、おみゃーさんの好きにさせてるんだろーけどもが」

 さてさて、これはまた妙な話になってきた。いったい俺のことをどう見ているかは知らないが、俺はなんの変り映えもしない男だよ。

 

 昼飯を持ってきてやるから待ってろ。と言う、メックウォーリアー・ディオーネ様のもったいないお言葉に甘え、俺はコーヒーを沸かしながら、携帯型のトライビットでも見ようかと私物を入れた引き出しをあさる。

 そういえば、おぼろげに残る記憶で、確かあのチビ介に渡した荷物の中に、予備のトライビットを押し込んだ覚えがある。まあ、旅先でも情報は必要だろうし、あれは連中にとって手土産代わりにもなるだろう。それに、実はもうひとつ予備がある。まったく問題なしだ。

「さて、世界情勢は、と・・・」

 トライビットをテーブル代わりの作業台の上に置き、チャンネルを入力する。実は、こいつは中心領域製のものだから、氏族社会じゃコードに引っかかるような放送も、余裕で受信してくれる。だから、これで、ここじゃ規制コードに引っかかって見られないような情報配信だってお手の物だ。さて、ディオーネ姐さんが帰ってくるまで、ゆっくりトラビ鑑賞と行きましょうかね。

 

 なんてこった

 

 俺は、トライビットの画面に映る、その予想外の映像に、マグカップを持つ手が凍りついた。

 針金で後ろ手に縛られたフリーのジャーナリストと思しき連中が、みるからにヤバそうな戦士らしき集団に、家畜のように一所に追い立てられている。その、まさに盗賊のような荒んだなりをした連中は、彼らに対し、ひとかけらの慈悲も持ち合わせていない様子で、まるで、土嚢か何かのように、彼らを無造作に突き飛ばし、蹴りたてている。

 恐怖にひきつった悲鳴とともに、突然画面が傾き、激しくバウンドするように画像が揺れた。そして、つい数瞬前までそのカメラを持っていたであろう男が、命乞いの悲鳴とともに引きずられ、ゴミ袋か何かのように地面に放り投げられる光景を、まるでカメラが見送るように映し出されている。

 その男だけじゃない

 全員が、一様に蒼白な表情で、懸命に命乞いと慈悲を叫び続けている。しかし、連中の、彼らに対する答えは、その手に握られていたマシェットを、次々と彼らの頚椎に振り下ろすことだった。

 まるで、シャンパンのコルクのように無造作に頭が飛び、噴水のように鮮血が吹き上げる。次々と、次々と。連中は、一体何が気に入らなかったか知らないが、泣き叫ぶクルー達を、それこそ男も女も関係なく、無造作にその首を刎ねていく。

 一体なんなんだ、この連中は!?

 俺は、とり憑かれたように画面に視線を凝視する。そういえば、この連中、話し言葉に、かすかにだがダヴィオン訛りがある。そして、この無法者達の身に着けているジャンプスーツやジャケットに縫い付けられている紋章。

 大型猫科肉食獣の頭蓋骨をあしらったエンブレム。その白い頭蓋骨から生えた、ひときわ目立つアクセントの金色の牙。

 まさか、こいつら、『ダーク』か!?

 確か、この間もコムスター経由の配信を閲覧したとき、小さくではあるが扱われていたのを見た記憶がある。だが、その時は、単なる落ち武者として、暗礁宙域でひっそり逃亡生活をしている連中、といった印象しかなかった。

 だが、今ここに映っている連中は、一体何の真似だ!?いや、別に不思議でもなんでもない。こいつらダーク、いやさスモークジャガーの連中だとしたら、ダヴィオンに対して並々ならぬ憎悪を持っているということぐらい、あの大拒絶の経緯を知っていれば簡単に見当がつく。

 だからといって、だからといって、こんな馬鹿な真似を?

 別に、こんな光景を見るのは初めてじゃない。こんな世界で生きていれば、こういった場面のひとつやふたつ、お目にかかる機会はいくらでもある。けれども、俺は、あいつの顔が浮かび上がり、それを押しやる事ができなかった。

「くそったれ!なんてこった!」

 俺は、システムの検査用に使っている端末に飛びつくと、キーが悲鳴じみたタップ音を上げるのも構わず、とにかくキーボードを叩き続けた。早く!早く探し出せ!

 そして、航宙港湾局のデーターを引きずり出し、画面を走らせたその中に、一隻だけ、スクラップ輸送の名目でチャーターされている、バッドニュース行きの船があった。

 もしかして、この船に?

「行ってやれ」

 画面を凝視していた俺の肩越しに、聞き覚えはあるが知らない口調で呼びかける声に振り向くと、そこにはディオーネがいた。

「ディ、ディオーネ・・・?」

「行って、あの小娘を連れ戻してこい。見たろう?あんな莫迦げた所で、あの泣き虫がやっていける道理はない」

 普段の飄々とした笑みはなりを潜め、彼女の銀色の瞳は、まっすぐに俺を射抜くように向けられている。知っている顔なのに、全く知らない人間に見えて、完全に彼女の存在感に飲み込まれてしまう。

「あのローカスト、あれの足ならなんとかなるだろう。少しでも後悔しているなら、お前が行くべきだ」

「い、いいのか・・・?」

「莫迦げたこと言っている場合か、行くのか?行かないのか?」

 その銀色の目は、俺の心の奥を見据えるように真っ直ぐに動かない。

「お前が行かずに、誰が行くというのだ?」

 そう、答えはひとつしかないだろう。

「・・・すまない、ディオーネ。行ってくる」

 俺は、立ち上がるとディオーネにまっすぐ向き合い、そして感謝の言葉を返した。途端、ディオーネは、まるで大輪の花が咲いたかのように、満面の笑顔を浮かべてうなずいた。

「それでこそ私のクルツだ、さあ、時間がない、急げ」

「わかった、すまない!」

 そうとなれば、後は時間との勝負だ。バッドニュース行きの船が出るまでに、宇宙港へたどり着かなければならない。待っていろ、リオ。今度はもう、お前が何を言おうと必ず連れ戻す。お前が居るべき場所は、地獄なんかじゃ絶対無い。そんなこと、俺は絶対に許さない。

「後の面倒は私が引き受けよう、心配しなくていい」

 検索したデータをローカストに転送し終え、ラダーを駆け上がる俺の背中にかけられたディオーネの言葉は、まるで姉か母のように暖かかった。

 ありがとう、本当にすまない。

 そして、ローカストのコクピットに収まり、ヘルメットとゴーグルを被り、イグニッションを作動させた。マグナ160が力強い鼓動を刻み、みなぎる力を抑えようとする駿馬のように、心地よい振動が伝わってくる。

 あとはもう行くだけだ。スロットルを全開にすると、ローカストはこの瞬間を待っていたかのように、凄まじい加速と共にハンガーを飛び出した。

 その後方警戒モニターに、ほんの一瞬だけだが、こちらを見送るようなディオーネの姿が見えた。俺は、もう一度心の中でディオーネに礼を言うと、スロットルとスティックの操作をしながら、テスト用に取り付けたキーボードを弾き、システムが警告を出す前に、ドライバーの修正を片付けていく。ハッチがないままだが、そんなもの気合でどうにでもしてやる。今は、そんなこと気にしてる場合じゃない。

 頼むぞ、ローカスト。今は、お前の足だけが頼りなんだ。

 

 場所は郊外にある民間請負輸送船専門の宇宙港、そこからバッドニュース行きの物資運搬のチャーター便が出港する事になっていた。時間はもうない、これを逃がしてしまったら、全てはジ・エンドだ。

 隊庭を駆け抜け、制止の声を振り切ってゲートを突っ切る。整備中で、武器弾薬や装甲のほとんどを取っ払っていたローカストは、あっという間にトップスピードですっ飛んでいく。

どうでもいいが風圧が物凄い、こいつって、こんなに速かったけか?とは言え、ただでさえ20トンという、紙のように軽い機体なのに、さらに5トン近くダイエットしたローカストは、それこそ疾風のように幹線道路を駆け抜ける。

 幹線道路といっても、一部石畳が敷いてある程度で、実際は整地された幅の広い道路といった感じだ。車両もたまに軍用トラックや配給センターのカーゴとすれ違うくらいで、邪魔になる奴はない。こんな真似をルシエンとかでやろうものなら、1kmも行かないうちにいったい何台の車やバイク、そして歩行者を蹴散らすことになるんだろうな。

『そこのメック!所属を名乗り右に寄せて止まれ!』

 畜生、面倒くさい連中が出てきやがった。後方監視モニターには、軍警の装甲車が追っかけてくるのが見えた。

『止まれ!』

 やかましい、誰が止まるか!

 俺はスロットルを全開に開けると、さらに機体を加速させる。すると、向こうもやっきになって追いすがってくる。面白い、タイヤつきのくせにこのローカストと勝負しようってのか。なら、足つきにしかできない走りってもんを見せてやる!

 うまい具合に下り坂になってきた、しかも、急勾配、そして入り組んだワインディングだ。さあ、ついてこられるもんなら、ついてきやがれ!

 ローカストは坂道を全速力で駆け抜けると、そのまま今にも離陸しそうな勢いで疾走する。どうでもいいが、さっきからキンコンキンコンやかましい。いったい誰だ!コンソールに車両用の速度計なんかとっつけた奴は!って、俺か。まあいい、こんなやかましいもん、帰ったら速攻取っ払ってやる!

 蛇がのたくるようなコーナーで、一切合切スピードを落とさず、反射神経の限界に挑戦するようにスロットルとフットレバーを操作し、慣性移動の横滑りを使ったドリフトでコーナーをクリアしていく。一方、軍警の方も、相当腕に自信があるのか、タイヤの音がきしむ音がここまで聞こえるほど、巧みに車体を振り回しながらしつこく追いすがってくる。

 結構いい腕してるじゃないか。だが、ずいぶん一杯一杯みたいだな?よし、これからがショーの始まりだ。今日は特別にタダで見せてやるから、よく見とけ!

 ようやく待ち焦がれていたポイントが見えてきた。ほとんどヘアピンカーブのそれは、崖っ淵に続く一本道にしか見えない。しかも下り坂だ、ほんの少しでも下手を打てば、次の瞬間にはあの世行きのダイブ確定だ。さあ、どうする?軍警さん!

 相変わらずキンコンやかましいコンソールを無視して、スロットルを全開にすると物凄い勢いで迫ってくる急カーブに向かって、そのままローカストを突っ込ませる。

その瞬間、強烈なGでシートベルトに体がめり込み、一瞬息が詰まる。そして、クリップポイントでフルブレーキングをかけると同時に、限界まで機体をしゃがませて重心を落とし、急激な振り戻しに機体を滑り込ませた。

 急激に視界が下がり、生乾きの風景画を横様に布巾がけしたみたいに、周りの景色が道路を引っかき削る轟音とともに崩れ流れていく。そして、バッタのように身をかがめたローカストは、ヘアピンカーブに向かって物凄い勢いでドリフトしていく。

 そして、コーナーの出口が視界に入った瞬間、フットレバーを踏み込むと、ローカストは我ながら惚れ惚れする勢いでロケットスタートを成功させ、再び次のコーナーに向かって猛然と突撃を再開した。

 後は同じ要領の繰り返しだ。そして、案の定、3つ目のコーナーで、軍警の姿は後方モニターから消え去っていた。

 

 いくらこいつが10個もヒートシンクを積んでるとはいえ、ほぼ全力稼働での走行はガタのきたこいつにかなり無理をさせたようだ。まだ完全レストアじゃなかったこともあり、未調整の関節は連続フル稼働のために、駆動系の過熱と消耗がそろそろ無視できないレベルになってきた。

 頼む、もう、すぐそこまで港が見えてきてるんだ。帰ったらフルチューニングしてやるから、お願いだから頑張ってくれ!

 心底慌てふためく警備員の制止を無視して、宇宙港のゲートを飛び越えると、そのままエプロンに向かって突っ走る。そして、エプロンが見えた瞬間、俺の血液は一気にマイナスまで冷え切った。そこには、今まさに離陸準備を始めているドロップシップの姿があった。機体の形式とナンバリングされた番号は、間違いなく検索して見つけたバッドニュース行きのドロップシップだった。

「そのドロップシップ!待て!」

 俺は、ローカストのモニターに映る、離陸寸前のドロップシップと併走するようにローカストを全力疾走させた。けれども、彼我の速度の差はどうしようもなく、ローカストはぐんぐんと引き離されていく。

「頼む!待て、待ってくれ!」

 限界を超えたローカストの脚部が、悲鳴じみた軋みを上げているのが、コクピットシート越しにはっきり伝わってくる。すまん!だけどもう少し、もう少しだけでいいから持ちこたえてくれ!

滑走路の強化コンクリートを蹴立てながら、ローカストは俺の叫びに応えてくれているかのように、必死にドロップシップに喰い下がる。しかし、とうとう限界に達した彼の足は、セーフティクラッチのかかる暇もなく、甲高い音と共にすべての関節がロックした瞬間、コンクリートの地面に激突するように転倒した。

 コクピットハッチもないのに、表に放り出されなかったのは奇跡としか言いようがない。けれども、これでもう、俺の悪あがきのすべは全てなくなった。その瞬間、航空燃料の匂いを含んだ空気の塊が、嘲笑うように俺の顔面に叩きつけられた。

 俺は、芋虫のようにローカストから這い出ると、足を引きずりながら、空へと駆け昇っていくドロップシップの後を懸命に追った。

「頼む!待ってくれ!お願いだ!待ってくれ!戻ってきてくれ!お願いだ!お願いします!お願いだよ、お願いだよぉっ・・・!!」

 叩きつける突風で視界がぼやける。足の痛みなんてこれっぽっちも気にしてなかったが、俺の意思を無視して足は勝手に力を無くすと、俺はみっともなくコンクリートの上に這いつくばる。そして、俺の目の前で、ドロップシップは、お前の都合など知ったことではない。とでも言うように、轟然と空へと舞い上がって行く。

「お願いです!なんでもします!お願いです!戻ってきてください!お願いします、お願いします!お願いしますお願いしますお願いします!お願いしますっ・・・!」

 こぼれ落ちた涙と同時に、ほんの一瞬だけ、視界が戻ってきた。けれども、その瞬間、ドロップシップは白煙の柱と共に一直線に天空へと駆け上がり、空に溶け込むように、俺の視界から消え去っていった。

 

 あの後、軍警に逮捕された俺は、身元引受人となってくれたマスターに連れられて宿舎に帰ってきた。その頃には、もう消灯時間になっていて、宿舎はひっそりと闇の中に沈んでいた。

「ほいじゃ、クルツよ。仕事の方は、俺から言ってしばらく休みにしとくでよ。明日のことは気にせんで、ゆっくり休んどくとええだぎゃ」

 マスターは、それだけ言うと、静かに部屋を出て行った。あれだけ迷惑をかけたというのに、何一つ言うことなく、警察署で黙って俺の始末書にサインをしてくれた。

 駆けつけてきてくれたアストラやディオーネも、軍警の連中に対して一歩も引かず、これ以上ガタガタ言うなら、不服の神判を発動させるとまで言い切って、警官達を真っ青にさせた。

 こんな、馬鹿でどうしようもないボンズマンのために。

 もう、何をするのもおっくうだ。リオは、これからどうなるだろう。アンタロスにいる仲間達は、あの子を暖かく迎えてくれるだろうか。

 あの時、力ずくでもいいから止めるべきだった。

だが、今さらそんな事を言っても、もう時間は元には戻らない。あのドロップシップを積み込んだジャンプシップは、あの子を乗せて、バッドニュースへ行ってしまったのだから。

 強情で、意地っ張りで、泣き虫で、そして、誰よりも心優しかった子。

 俺は、取り返しのつかないことをしてしまった。

 確かに、今までの人生の中で、俺が清廉に生きてきたなどというつもりなんてない。万人の恨みを買い、万人に悲しみを与え、万人に恐怖を与え、万人に絶望を与えてきた。軍人なんて商売をしていれば、そんなことは当たり前の話だ。今さら悔い改め頭を垂れてみた所で、俺の罪が消えるわけでもない。

 だけど、それでも。

 俺は、あの子に、昔の姿を重ねていたのかもしれない。泥の中で、暗闇の中で、冬の雨風の中でうずくまっていた、あの時の俺を。

 だから、今度は俺が、あの子をすくい上げようとしていたのかもしれない。けれど、結局俺がしたことは、あの子を今までとは比べ物にならない地獄へと送り込んでしまったという、取り返しのつかない失敗だけ。

 俺には、誰も、何も、救えない

 否定したくても、厳たる事実が俺の思考を侵食していく。もう嫌だ、何もかも。

 疲れた

 俺は無意識に立ち上がると、意味もなく居室をうろついた。何かを探そうとしている、なんとなくそういう気がする。ただ、何を探しているのかは、何故か思いつかない。

 何を探してるんだ?

 俺は、いい加減みみっちい自分に、もう笑うことしか出来なくなった。あきれたもんだ、こうなったら、人間おしまいだ。

 俺は、夜の闇に沈む窓の外に目を向けた。その、廃油を固めたような、真っ暗な窓に呼ばれているような気がした。ああ、結構さ。どうせ俺には、暗がりがお似合いだ。俺は、松葉杖を立てかけると、窓際に体重を預けるように寄りかかった。まったく、俺もよくよく飽きもせず足を折る男だ。

 すっかり灯も落ちた前庭は、使い古したオイルのようなねっとりとした暗黒に沈んでいる。何もかもを塗り潰すような漆黒の闇、いっそ、俺の心も全部塗り潰してしまえたらどんなに楽だろう。

「畜生、畜生、畜生・・・」

 馬鹿野郎、いつまでもメソメソしやがって。母さんが死んだ時、もう泣くことはないと思っていたのに。どこにこれだけ残っていやがったんだ、畜生。

 大の大人が、ベソベソみっともなく鼻を鳴らす音が、闇夜の中に響き渡る。その時、ほんのかすかに、闇の中から、微かに唸るような音が聞こえた。

「・・・誰だ?」

 嫌なもんだ、こんな時でも、軍人として訓練された感覚は鈍るって事を知らない。

「隠れてないで出て来い、いるのはわかってるんだ」

 いい加減、暗闇に向かって映画のキャラみたいな台詞を並べている。そんな自分が余計惨めで、グジグジと未練たらしく鼻をすすりあげた。

「もう勘弁してくれ、お願いだから」

 俺は、心の底からそう思った。そして、その時

「ぅ・・・」

 かすかな声とともに、藪がかさかさと囁くような音を立てた。そして、そこから、大荷物を背負った小さな人影が、ためらうように、迷うように、おずおずと立ち上がった。

 その時、俺は自分が何を考えているかなんてわからなかった。頭の中が痺れて、太陽をまともに見上げた時のように、目の奥が真っ白になる。そして、俺は思わず窓を飛び出していた。だが、ギブスで固められたとはいえ、骨にひびを入れた俺の右足は、そんな無謀さに抗議の声を上げた。

「ぁ痛でっ!?」

 骨と筋が軋むような激痛に、一瞬意識がくらみ、無様に窓の下に転落した。そして、息を詰まらせたまま、嘔吐感を必死にこらえながら土の上でうずくまる。

「ぬおおお・・・・・・っ!」

「ク、クルツっ!?」

 体中の神経を引っつかまれたような激痛に、声も出せずに地べたに転がる俺を、慌てて駆け寄ってくる足音の主が、その小さな手で必死に支え起こそうとする。

 間違いない、他に誰がいるってんだ。俺はその小さな体を、反射的に力一杯抱きしめていた。今ここで捕まえなければ、もう二度と会えない気がしたから。

「く、クルツ・・・く、苦しいけん・・・」

 その声を聞いた瞬間、かじかんだ手を湯につけた時みたいに、心がじんわりと震えた。ああ、そうさ、クサいのはわかってるさ。

「リオ・・・お前・・・あのドロップシップに・・・」

「うち・・・うち・・・荷物に入ってたトライビットを見て・・・それで・・・知らなかったんじゃ、あがーなことする連中じゃなんて、ちぃとも知らんかったんじゃ」

 こいつ、アレを見ちまったのか。俺でさえ、いい加減薄ら寒くなったんだ。リオにとっては、衝撃以外の何ものでもなかっただろう。

「うち・・・うち・・・ぶち怖ぁなって・・・気持ち悪ぅなって・・・うちは、デズグラじゃ。戦士の資格なんて、これっぽっちもない出来損ないなんじゃ・・・うっ・・・うぇぇ・・・・・・」

 リオは、俺の腕の中で小さく肩を震わせながら、絞り出すような声とともにすすり泣く。そんなリオが、どうしようもなくいじましくて、その骨ばった肩をさする。

「・・・リオに問う、戦士とはかくあるべきや」

「・・・せ、戦士とは、己と、民の名誉と誇りのために戦うものなり」

 唐突な俺の問いかけに戸惑いながらも、リオはまっすぐに俺の目を見据えてそう答えた。

「是(アフ)。無力なる民を徒に傷つけ、苦しめることは、戦士の為すべきことであるや?問否(クイネグ)」

「・・・ね、否(ネグ)!戦士とは、民の盾となり、剣となるために戦うものなり!」

「是(アフ)・・・大丈夫、それがわかるお前なら、きっと立派な戦士になれる」

 俺は、腕の中で震えているリオの肩に、包むように手を置いた。

「さあ、いつまでも外にいると体冷やすぞ。とりあえず、何か食べよう」

 俺の言葉に、リオは鼻声と一緒に何度もうなずきながら、その細い腕に力を込めた。ハハハ、ガリガリのやせっぽちのくせして、たいした力だよ。

 

 おかえり、そして、ありがとう。

 

 


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